『武術とは何か?』

武術や武道の定義は人それぞれでしょうが、私は以下のように考えています。

武術とは?武道とは?

「武術」とは、殺傷・撃退・捕獲・護身・威嚇・交渉などを目的とした個人レベルの戦闘技能です。武術は主たる武具や攻撃方法によって様々な種類があります。日本では武芸十八般(弓術・馬術・槍術・剣術などなど)による分類がよく知られています。また、流派による分類もしばしばなされます。

そして、「武道」とは、武術を修得する者に課せられる特有の社会規範(社会と適切に共存する為に必要な行動様式など)を修得&実践し続けることです。具体的には、他者に脅威を与えない態度や、むやみに戦闘技能を用いない理性などがあげられます。

戦闘技能としての武術

戦闘技能としての武術は、科学技術や法令などにあわせて変化し続けます。私たちが現実に住んでいるこの日本社会も例外ではありません。所有できる武器には制限があり、違法に流通している武器もそれほど多いとはいえず、過剰防衛も処罰対象となります。日本刀を腰に差して生活する人などおりません。

このような社会においては、伝統武術のいくつか(例えば居合いや抜刀術など)は必ずしも実用的ではありません。たしかにまったく使えないわけでもありませんが、その実用性に比べて修得コストが高すぎるように思います。

発生頻度や効率を考慮すると、一般市民はナイフ(包丁を含む)から自分の身を護ったり、侵入者を棒状のもので撃退する程度の戦闘技能を修得しておけば十分だろうと思います。ツナ缶投擲術のようなものも有用でしょう。もちろん、伝統武術のいくつか(柔術や杖術など)は現代社会でも十分に実用的です。< それでも、さっさと逃げたり近隣住民や通行人や警察に助けを求めたりする方がたいてい上策です(その戦闘の目的は勝つことではなく負けないことなのですから)。

なお、伝統武術を学ぶことは(それが実用的であるか否かに関わらず)武道を学ぶ方法としてとても有用です。

伝統文化としての武術

伝統武術を学ぶことには、文化の伝承という意義もあります。

いくつかの理由で、武術の技の多くは門外不出とされてます(ここでは便宜的に「裏」と呼びます)。奥義に至っては、信頼できる門弟にしか伝授されません。そのため、門外に見せる為の技や初心者に基本を教える為の技がしばしば考案されました(便宜的に、ここではそれを「表」と呼びます)。

その性質上、「表」は伝承されやすいですが「裏」は失伝してしまいやすいです。実際に「裏」を失伝してしまった流派も少なくないだろうと推測しています。個人的に思うに、伝統武術の文化的価値が失われるのはとても残念です。

それでも、武器や人体の構造は今も昔もほぼ同じですので、(理合を考察し術技を検証できる人ならば)失われたあるいは隠された「裏」とほぼ同じものを改めて考案できるだろうと思ってます。そもそも流派の初代だって、現代よりもずっとずっと情報の少ない状態から新たな技を考案したのです。

スポーツとしての武術

武術(特に相手を殺傷する可能性があるもの)の修得においては、たいてい打込稽古や型稽古や模擬戦(スパーリング)などが併用されます。これらの稽古を総合することで結果的に武術を修得できると考えられています。

武術稽古としての模擬戦の目的は、模擬戦で勝利することではなくあくまで特定の戦闘技能を修得することにあります。したがって、多くの模擬戦では攻撃手段が限定されます(例えば剣術の模擬戦では投げ技や奇襲などが制限されます)。

模擬戦はスポーツとして独立することがあります。スポーツとしての模擬戦の目的は、ルールに従って勝利することです。勝利の為に、知恵や技術などを尽くしあいます。

この二面性ゆえに、例えば「剣道は武術かスポーツか?」のような小さな対立が発生します。私の考えは「剣道は、(武道の修得を目指しているならば)武道の一部であり、(試合における勝利を目指しているならば)スポーツの一種であり、(身体能力の向上を目指しているならば)トレーニングの一種である」です。武術の稽古としてランニングをしているならば「ランニングは武道の一部」と言うことができます。

目的が異なる人々が同じ場所で稽古あるいはプレイするので、しばしば小さな対立が発生するのです。できることなら住み分けるのが望ましいです。

その他を目的とする武術

演劇(コスプレを含む)や健康法としての武術などもありますが、ここでは割愛します。

ARAI Satoshi ( arai@luminet.jp )