多様性の容認と多様性の強要の相違はこの図が分かりやすいと思います。実際には「どんな色でもいい」「全ての色が含まれなければならない」「黒以外ならなんでもOK」「黒以外を全て使わなければならない」「黒と赤と白だけ使用できる」など言葉通り色々様々です。
多様性の容認は「社会全体の共通の利益」が侵害されない限り他人の思想や表現を許容します。多様性の強要は「社会全体の共通の利益」を侵害させない為に他人の思想や表現を制限します。
「社会全体の共通の利益」の具体的内容はそれぞれの社会ごとに法律や宗教などの社会的規範で定められます。例えば、ある宗教を主な社会的規範とする社会では特定の思想は行動を伴わなくても「社会全体の共通の利益」を侵害すると考えられてます。
多様性を容認する側から見れば、多様性の強要そのものは多様性のひとつとして容認できます。自分たちが強要されなければいいので、ちゃんと住み分けできるなら問題ありません。「関わらない。関わらせない」です。
ところで、いわゆるポリコレの行動のひとつに「社会全体の共通の利益」の具体的内容をいかにして自分たちに有利なよう改正していくかがあります。彼らの一部はささいなことでも実例や判例を作り出しそれを根拠に議論の機会を封じて更に実例や判例を積み重ねていこうとします。
多様性を容認する側は議論の機会が封じられる前に反論しなければならないのですが多くの人は自分の反論の機会が封じられてから反論しようとするので結果的に自分たちの不利なように徐々に改正されてしまいます。だから「いつの間にかおかしな時代になってしまった」と言うのです。
例えば昭和の時代には別に差別でもなんでもなかった言葉や表現が一部で差別に使用されてたので現在では差別として自主規制させられただけでなく当時に普通に使用されてた事例まで差別だったとされそれに反論しようとすると「傷つく人がいる!差別の正当化は卑怯」とされてるケースがあります。
話を戻しましょう。「関わらない。関わらせない」は確かに効果的ですが、やがて擦り寄ってくる強要に対抗するにはそれだけでは不十分です。言論の自由の確固たる維持が必要ですし、状況によっては「尊重するけど沈黙してもらう」という積極的な手段も必要になります。
社会的規範が改正される前にその規範をもって沈黙させるのが最も簡単です。また、過去の事例を観察するに多様性の許容を封ずる段階では共闘できてもその後は主導権争いや内ゲバが生じるので、それを早めに顕在化させて共倒れや内部崩壊や還俗を誘導するのも効果的だと思います。
雉も鳴かずば撃たれまいに。
確かにBはAから派生した話だけどAとは別の話なのでわざわざ別の場でBの話をしているのに、わざわざBの場に来てまで「Aと関係ない話するのは意味わからない」と意見するのは本当に意味わからないなあ。しかも私はAの意見を支持してるのに。
正論であれ盲信であれ「私の意見は正しいから何を言っても許されなければならない」と本気で信じている人たちが求めているのは完全同意やイイネの数であり、大同小異な意見は求めてないどころか許すこともできないのですよ。そんな人たちは互いに服従を強要するので簡単に内ゲバで潰しあいます。また、最初から完全同意で媚びてくる人もいつか「僕の勝手な期待を裏切ったな」と手のひらを返します。だからそんな人たちとはほどほどの距離を保って付き合うのが賢明だと考えてます。
その一方で、互いに大同小異を認め合える人たちは利害を調整することで安定して共存することが可能です。私はそういう人たちと仲良くやりたいです。
1982年9月18日(土)に千代田公会堂で催された「うる星やつらファンの集い」に参加してきました。内容は「ニャオンの恐怖」先行試写、「オンリーユー」製作発表、コスプレショー、アフレコ再現、コンサートなど盛りだくさんのイベントでした。
ゲスト(敬称略)は、高橋留美子、中野まき子、斉藤邦子、田中喜一、O島(仮名)、平野文、古川登志夫、杉山佳寿子、鷲尾真知子、神谷明、永井一郎、緒方賢一、佐久間なつみ、松谷祐子、ヘレン笹野、ヴァージンVS、多賀英典、落合茂一、布川ゆうじ、今春智子、押井守。
さて、イベントの開催を知ったのは週刊少年サンデー誌上でした。ネットなんて普及してませんでしたので郵送で申し込みます。しばらくしてピンク色(単色印刷)の招待ハガキが届きました。後から知りましたが、競争率は約10倍だったそうです。
当日は早めに千代田公会堂に向かいました(当時は週休二日じゃありません)。1人ということもあり開場時刻を待つ身が長しです。総参加者数は約850名。最も早い人は前日の21時から並んでいたとのこと。映画でもコンサートでも完全自由席なら当時はそれが普通でした。
入場するときに料金500円を払い、ペーパーバッグ(黒または青)をもらいます。私は黒。当時350円で売られてるグッズだったかな。パンフ代わりに様々なチラシが入ってました。私は二階席最前列に。公演は「ラムのラブソング」からスタート。手拍子がホ−ルに鳴り響きます。
続いて声優陣が登場。コールが飛び交い百家争鳴となりました。最初に声優さん達を見たときには「地声はあまり似てないな」と思いましたが、アフレコ風景再現で納得。名セリフや迷セリフが出て来ます。島津冴子さんが来れなかったことは残念でしたが、声のメッセージが届きました。
高橋留美子先生&まきくにコンビの登場で場内はさらに盛り上がります。「まるで普通の人だな」と少々残念に思ったことは内緒。ファンに向けてのお言葉を賜りました。ファンから贈られたというプラモ人形や博多人形が披露されました。
続いて映画製作発表会。制作陣の挨拶が行われ、新キャラクター及び主題歌の発表に場内が沸きます。エルは薔薇をモチーフにしたファンタジックな美少女でした(だって、あの絵1枚だけしか資料なかったし)。どんな映画が完成するのか胸を躍らせました。
続いて有志によるコスチュームショーが行われました。当時のコスプレ技術はまだカツラと衣装だけがせいぜいで基本的に本人の造形が重要でした。だから80年代に有名だったコスプレイヤーさんは基本的に美人でスタイルも良い人が多いです。
そしてレコードジャケット原画紹介、ヴァージンVSの「星空サイクリング」の発表、「ニャオンの恐怖」先行試写と続きました。当時はビデオなど普及してませんでしたので上映会や試射会は十分い集客効果のあるコンテンツでした。
最後はミニコンサート。松谷祐子さんやヘレン笹野さんらの熱唱に場内は沸騰し、アンコールを経て大盛況のうちにイベントの幕は閉じました。予定終了時間を1時間以上もオーバーしてたそうです。帰宅したのは22時過ぎでした。レポートは以上です。
追伸。他のイベントレポートもローカルの日誌や個人サイトのHTMLソースに下書きを埋めてあるので私が生きているうちに発掘して内容を確認し公開したいです。検索可能な場所になにか残しておかないと歴史は消えてしまいますから。
歴史においては、数多くの植民地や特別自治区が戦争や住民投票(独立決議)を経て独立を宣言しました。諸外国の軍事的介入を借りたケースも少なくありません。それらが宗主国の憲法に違反してたとしても、日本人のほとんどはその独立を支持してます。
さて、深刻な民族問題を抱えたクリミア自治共和国は2014年にロシアによる軍事的介入を受け住民投票を経て併合条約に調印しました。移住政策によってロシア帰属支持が多数派になってると仮定しても、日本人のほとんどはウクライナによるクリミア奪還を支持するでしょう。
判断基準である「その時点での住民の総意」「軍事的手段か否か」「独立が憲法違反か否か」「主権が確立しているか否か」「相当の期間を経ているか否か」「国際的承認を得ているか否か」「我々にとって有益か否か」などの優先順序は立場によって異なります。
例えば「クリミア併合」「日韓併合」「チベット併合」「東南アジア解放」「北方領土(18000人)」「竹島(0人)」「アメリカ独立戦争」「パレスチナ問題」の当時と現在について、判断基準の優先順序を考えてみるのも面白いと思います。
例えば旧基準IQ140の5歳児の知能は7歳児相当(1.4倍≒2歳差)とされます。ところが他の子どもたちも小学生になると普通に勉強を始めるのでこの差はあまり広がりません。二十歳すぎれば22歳相当(2歳差≒1.1倍)になります。これが「神童も二十歳過ぎればただの人」の仕組みです。
親が愚かだと神童10歳に知能14歳を、15歳に知能21歳を期待して勉強を強いるのでやがて子供は勉強を嫌いになります。本当に才能がある子供は、親が勉強を強いなくても時間や学費や教師や友人など環境(勉強を強いられないことを含む)が整っていれば勝手に伸びます。
おおざっぱな構造としては、才能あり環境ありなら伸び、才能あり環境なしなら伸び悩み、才能なし環境ありならほどほどに、才能なし環境なしなら落ちこぼれます。よって、親がすべきことは期待することではなく環境を整えることとなります。
余談ですが、IQの算出方法は昔と違ってます。標準偏差を用いた新基準IQではIQ70〜130に95%が含まれます。IQ130以上だとだいたいクラスで一番ぐらいです、
今日はローソンで週刊少年サンデーを買うつもりでしたが、いつものようにセブンイレブンで買ってしまいました。欲しいのは雲母のティッシュケース(犬夜叉くじラストワン賞)なので特にあわてる必要ありませんが…
防衛においては進撃中の敵部隊を陣地で足止めしてアウトレンジから攻撃するのが自軍の犠牲を最小にする戦い方のひとつですが、この戦い方は侵攻や制圧には適しておりません。陣地に籠る敵部隊を削り続けても敵の補給が続いている限りなかなか0にすることはできないのです。
よって防衛側は敵の補給線が伸び切った状態で十分に敵部隊を削ってから反撃に転じるのが効果的です。今回のウクライナ戦争では、敵兵力を削りながら少しづつ後退したり敵の集積所や補給路(橋)を攻撃することでロシアの補給線を伸ばしました。
ウクライナにとっては東部よりも南部が重要だろうと考えていたので、9月上旬からの東部攻勢は予想外でした。クビャンスクは落せたと思いますが、そこから東は無理攻めのような気がします。補給の問題もありますが、国境線近くまで押し返したら国境の向こうで再編成するロシア軍を削れなくなりますし。
ウクライナ南部はウクライナ軍が徐々に押すと思いますが、地上部隊の損失も激しいかと。冬までにクリミア半島の手前までいけるかどうかと見ています。地面が凍結する東部と違って南部は冬も激しい戦闘が続くだろうと思います。
たとえクーデターや暗殺でプーチンが失脚しようともロシアが責任を負う形での講和に応じるとは思えません。ウクライナとしては欧米の支援が続いているこの機会がクリミア奪還の最後のチャンスでしょう。ウクライナがよほど困窮しない限り停戦はないだろうと思います。
従って食糧やエネルギーの問題もまだしばらく続くと思います。それらの問題に耐えられなくなったどこかに飛び火するかもしれません。核兵器使用を含めていろんなパターンが考えられますが、ぶっちゃけどうなるか分かりません。
戦況図を見ながらそんなことを考えてました。
セル画はトレス線の紫外線分解と塗料への溶けこみ、そしてトリアセチルセルロースの加水分解で経年劣化します。特別に描かれたものを除き1980年代のセル画はちゃんと保管してれば私の寿命ぐらいまでは品質を維持できますがその後は難しいでしょう。私が原画を重視してるのはそういうわけです。
ネットの無料サービスで原画を自動彩色させてみました。画風や色指定など特に何も設定してませんが、なかなか面白く仕上がってます。あまり詳しくありませんが、キーワード指定でネット上の画像から色指定を学習してくれるとありがたいかな。
良い意味で令和うる星やつらも二次創作も認めてるし「大事なのは過去の経歴ではなく現在の情熱」だと思っているけど、対等に話してくれるファンは少ないなあ。しばしば『君がいるだけで』状態になるので、他人の会話にはあまり割り込まず、自分のとこで勝手に呟くスタイルでやってます。
もっとも10と20は大違いだけど50と60はさほど違わないので、もうちょっとお邪魔していいのかも知れません。
日本では当事者双方が終戦に合意した日でなく一方が降伏した日を終戦記念日としていますが、これは「降伏勧告を受け入れたら即座に戦争が終結するはず」という甘えかも知れません。相手側が複数いる場合、戦勝国間での分け前(領土分割など)を有利にする為に継戦するかもしれないのに。
小田急デパート町田店の屋上ステージ。確か1983年にここで平野文ショーがありました。当時はネットもなく声優さんといえどもドサ回りしてた時代です。ファンのお兄さんたちが声援や紙テープ投げしてたので休憩時間にいろいろ教えてもらいました。
ステージまでの距離に応じて紙テープの長さを調節すること、色の選び方、芯を抜いて巻き直すこと、ステージの上方を狙うこと、半分ぐらいほどけあたりで手を離せばちょうどいい具合にほどけること、いつ投げたらいいかのタイミング、スタッフにひとことなどなど。
現代なら「他のお客さんの視界がー。ステージにゴミがー。後片づけする人の身にもー。昭和のオタクは非常識」となるかも知れませんが、当時は出演者の人気のバロメーターでもあったのでむしろ歓迎されてましたし、事実上のサクラもいました。
ちなみに、るーみっく界における紙テープ投げは1986年春のうる星やつらFCファイナルツアーから廃れました。芯を抜かないで投げた人がいてそれがクリティカルヒット。ちょうどペンライトやコール掛けが普及し始め、親衛隊のみなさんの位置取りも変わりました。
そんな思い出に浸りつつ、「恋にダンス!ダンス!ダンス!」をリピートしながら帰路につきました。
PV冒頭にブラウン管TVが見えることなどから、新しいアニメ『うる星やつら』の時代設定は1980年代であると考えられます。若い人にはピンと来ないかも知れませんが、1980年代はファミコンが発売されビデオデッキやパーソナルコンピューター(notパソコンさん)やCDが普及し始めた頃です。
ネットやケータイの普及はその後になりますので、当時は住所や電話番号を公開してないと社会が成立しませんでした。諸星あたるの「お嬢さん、名前と住所と電話番号を〜」も現代の感覚では非常識に感じるかも知れませんが、当時は現在とは異なる常識があったのです。
現代の常識や法令をもって過去や創作を評価するのは、ラムちゃんの超能力を科学的に説明しようとするような「知的遊戯」にすぎませんので、それを以て現実の他人に何かを強制することはできません。過去は過去として創作は創作として解釈するのが当然ですしそれが良いと思います。
当時はネットで同好の士を探すのが難しかったので、学校や職場での話題はいくつかのスポーツや芸能人や雑誌や作品に集中する傾向がありました(逆に言えば、ネットが普及した現在において国民的ブームはもはや成立しにくいと言えます)。『うる星やつら』は幸いにも国民的な作品の一つでした。
学校では「昨日のうる星みたー?」が普通に成立してました。また、機会は少ないもののイベントや文通コーナーで知り合った同好の士との交流も図られてました。やがて好景気が訪れ、ビデオデッキやパソコン通信が普及し、社会人になっても卒業しないでいい環境が整いつつありました。
当時のファンが今でも多く生き残っているのは作品そのものの人気もありますが、「当時の母集団の多さ」「通信環境の変化と経済力の獲得」「リアルで交流してた人たちとネットで再会」が大きいと考えてます。この世代のファンたちはリアルとネットの両方で繋がっているのです。
新しいアニメ『うる星やつら』でファンになる若い人たちの多くは、放映終了後に作品から離れていくかも知れませんし作品を通じて知り合ったアカウントさんたちとの交流も途絶えてしまうかも知れません。でもそれは必ずしも悪いことではありません。それは現在の風潮ですし、愉しければいいのです。
これまでもこれからもずっと私は『うる星やつら』ファンでいるつもりだし、きっと死ぬまでファンであり続けるでしょう。若い頃みたいな熱く激しい活動はできませんが、のんびり静かに作品を愉しみ続けようと思ってます。
ボードゲーマー的に考える。神奈川県900万人の新規感染者600人/日。実際はその5倍と仮定。感染期間14日なら感染者数42000人つまり感染者率0.46%。無症状率8割と仮定。すると例えば30人中に無症状感染者が1人以上いる確率は「1-(1-(600人*5倍*14日)/900万*0.8倍)^30人」で約10%。
被害者当人でないのに被害者意識を持つ人たちは他人を利用しようとし、加害者当人でないのに加害者意識を持つ人たちは他人に利用されます。前者も前者を育てる後者も社会的に迷惑な行為です。よって、前者との関係は社会からも後者からも絶たれるべきです。
太平洋戦争の開戦記念日です。しかるに、日清・日露・WW1・大東亜戦争などを記念している人はさほど多くありません。ただ、それも戦後の歴史ですので私たちはそこから何かを学ぶことができます。大事なのは戦争に反対することではなく戦争の惨禍から国民を守ることです。
新型コロナ重症者数が医療キャパを超えたとき「入院できない重症患者が自宅で死亡していく事態」を避けるには「仮設の建物にベッドを並べたような低サービス医療」しかありません。しかし、高サービス医療が当然とされている日本では“患者様は神様です”や訴訟リスクもあるのでどこの病院もやりたがらないでしょう。
自分が勝利できそうな状況ならキングメーカー(誰を勝たせるか自由に決めることができる敗北確定者)を作るべきではないし、自分が勝利に及ばなそうな状況ならキングメーカーを作って自分を勝たせてもらうのも有力な作戦です。その技術もない人が「勝ち目のなくなった人は口を出すな(ルールで認められた手を指すな)」と言うのはマナーに反する行為だと思います。
例年だとこの時期に「この冬はどのコートをメインにしようか?」と悩みますが、今年はまだそこまで寒くありません。今年はモノトーンベースなので黒のインバネスコートにしますかね。ちなみに昨冬はチェスターでした。
ラムと柿のカレー(限定15食)。柿よりも柔らかいラム肉が美味でした。スプーンで軽くほぐれます。予約制とはいえ店内に客は私1人。こんな偶然は今や滅多にありません。
基本的に趣味は極振り。ジャンルの中で自分が面白くて長持ちすると評価した少数の種目を究めるスタイルです。たぶん、それなりのレベルには達したと思ってます。継続は力なり。
空軍拡張を使わず仮想戦史拡張だけ使う場合は「増強と空軍力を除去」した上で「独53伊54日49ソ47英55米56枚(残り全部)。配10枚中7枚。再配分3枚。捨札1枚以上か失点1」か「独40伊30日33ソ34英39米40枚(デッキ構築)。配10枚中7枚。再配分4枚。捨札0枚以上」とする。
『主計将校』の拡張が届きました。仏軍コマ(青)と中国軍コマ(茶)は英米の追加コマで、各国の空軍コマは陸海軍の追加戦力で、追加カードは仮想戦史関連や増強カード(手札内から使える対応カードのようなもの)などです。
ざっと拡張ルールを読みましたが、空軍を用いた戦闘でいささかテクニカルになったこと以外はさほど難しさは変わってないように思います。追加カードは対日戦を重視しているように思いました。初めの数回は拡張なしプレイが良いでしょう。
ちょっと分かりにくい表記もあります。カード内の記述「フランスの陸軍」は地域名ではなく所属(青色)を表しているので、カードの記述「中国の陸軍」も地域名ではなく所属(茶色)を表してます。たぶん。
続編となるスピンオフで前作の主要キャラを出しゃばらせると新キャラが霞んでしまいますし、作中で殺すと大炎上確定です。だから、封印あるいは異世界での物語にせざるを得ないのでしょう。どこか予定調和を感じるのはそういう理由だと思ってます。
『主計将校』は第二次世界大戦をテーマにした陣地取りゲームです。序盤の作戦について考えます。
イタリアの支援を受けつつドイツが早々に手数が増える情勢カードを配してソ連に攻め込むとたいていモスクワが落ちます。だから英米はドイツを妨害し、その間にソ連は防衛体制を整えます。一方で日本は得点源に進出し英米に防衛を強要します。日独伊ソは方針が明確ですが英米は欧亜配分に悩みます。
ドイツは早急に情勢「電撃戦(戦闘&設立)」「行動志向(設立&戦闘)」「急降下爆撃(戦闘&戦闘)」「合成燃料(設立&設立)」の何枚かを互いに連鎖するように配します。余裕があれば「大西洋の壁」があると良いでしょう。準備が整ったらソ連へ侵攻します。厚い皮膚より速い足。
イタリアの序盤はシンプルに英米からドイツを守ることです。ドイツの手番を稼ぐために西ヨーロッパはイタリアが担当してもいいです。ドイツ軍に付随してソ連を攻めるなら対応「除去されたら置き換える」が有用です。得点系カードは急ぎません。本国が攻撃されやすいのでいつでも設立できるように。
ソ連は下手に陸軍を設立してもすぐに撃破されてしまうので、ロシアやウクライナなど必要最小限に設立した後は「焦土作戦」「正面攻撃」「砲兵軍団を組織」「疎開委員会」や対応カード「祖国防衛」「モスクワ」「スターリングラード」「レニングラード」「冬将軍」などで備えます。
日本はアジアの得点源を目指します。英米の動きに応じて対応カードを伏せていきます。アメリカが情勢カード「優れた造船所(設立&設立)」「航空母艦(戦闘&設立)」「上陸戦(戦闘&設立)」を早めに配したら日米開戦に注意すること。
イギリスは海軍を展開して西ヨーロッパやドイツ本国やイタリア本国など得点源を攻撃します。積極的にいくならスカンジナビアや北アフリカで港を確保し補給線を維持します。一方、インドやアジアでは情勢やイベントで陸軍を展開し、アメリカが西太平洋に来るまで日本の攻撃を引き受けます。
アメリカは最も強力な国家ですが、戦線に辿り着くまで時間がかかります。手数を稼ぐ情勢カードは必須。ヨーロッパでは深入りしすぎない程度に北海から攻め、太平洋では日本本土を目指すのが良いと思います。ゲームを長引かせることができれば経済攻撃によって連合側が勝利するでしょう。
日本語はもともと文字数当たりの情報量が多い言語ですが、絵文字やSNSの普及で圧縮が高まったせいか「読めるし書けるし解るけど話せない文章」が増えたように思います。
なにかの作品が社会的ブームとなるには大勢の人が自由に感想や考察を語り合える場が必要です。テキスト主体のパソコン通信(掲示板)が普及した1980年代後半は「単行本派のことも考えて」や「感想はネタバレになる」もなく本当に自由に語れてました。
なお、パソコン通信が普及する前は「学校での話題として事実上の必修科目であった週刊マンガ雑誌」が大きな役割を担ってたように思います。
私の考察テーマのひとつである #ボドゲは道具か作品か は、自分の力や技を駆使してプレイする「スポーツ」と、デザインされた脚本や舞台を利用してストーリーをプレイする「演劇」に例えると分かりやすいかと。力量差があると前者はあっけなく終わることもありますが、適切にデザインされてれば後者はたいてい盛り上がります。
例えば「巨乳キャラ好きは気持ち悪い」を「巨乳キャラ好きはセクハラです」と言い換えて“自分たちは被害者であり自分たちが正義である”と自他にアピールする人たちがいます。いずれに理があるかは、双方が「自分たちは被害者だ」と主張した構図を考えれば簡単に分かります。
うーむ。ボドゲ界で有名になるつもりはないので、ローカルなサークルやファミリーのレベルでのんびり楽しめれば十分かな。だから「自分たちの場」はちゃんと維持管理するけど、「ボドゲ界の為に」のような同調圧力にはさほど興味なし。
普通に飲むなら牛乳割か4倍希釈が好みですが、キンキンに冷えた氷水に風味を付けるだけの20倍希釈も好みです。重たいビンに入ったカルピスギフトが懐かしいです。
ふと、カルピスのマークを思い出しました。マークを黒人差別だと言い立てて廃止させ、黒人差別ではなかったと証明しようとするとそれも黒人差別だと言い立てて封じるのは彼らの常套手段です。彼らは差別を廃止しようとしたのではなく差別を利用して政治的利益を獲得してるのだろうと思ってます。
風営法第2条1項第四号では「まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」と定めているので、ボドゲカフェの営業が第四号にあたるか否かは「麻雀を置いてあるか否か」ではなく「ボドゲは射幸心をそそるおそれのある遊技か否か」で考えねばなりません。
もしかして普通の人は血圧を自在にコントロールできないのでは…と中二病っぽい発言はともかく、密な待合室で待つのを避けて「ふらつくので休ませて下さい(実は普通に動けたり)」と処置室のベッドでのんびり待つ裏技はけっこう便利。
マニュアル式の血圧計で測定してもエラーが出る低血圧っってのもいかがなものかと?
もしかして普通の人は血圧を自在にコントロールできないのでは…と中二病っぽい発言はともかく、密な待合室で待つのを避けて「ふらつくので休ませて下さい(実は普通に動けたり)」と処置室のベッドでのんびり待つ裏技はけっこう便利。
マニュアル式の血圧計で測定してもエラーが出る低血圧っってのもいかがなものかと?
給付金は景気対策の為の公共事業と同様であると考えるなら、みんなでさっさと国内で循環的に消費されるよう使うのが望ましい。預貯金など私腹を肥やしてはなりませぬ。
スヰートポーヅが閉店とのこと。若い頃はときどき食べてました。私にとっては餃子の歴史の1ページです。戦前の大連(当時は日本領)で開業し戦後に神保町に移ったと聞いてます。おつかれさまでした。
いわゆるトロッコ問題にて多数を見殺しにすると功利主義の人たちからやんわりと批判され、ポイントを切り替えて少数を殺すと義務論の人たちから激しく批判されます。同一人物がいずれも批判するならその人はディスるのが目的か社会経験に乏しいか単に無責任な人ですので信用すべきではありません。
オープン会が開催されなくなると個人宅や店舗など狭い場所でのクローズ会が増えます。ならば、マスクの徹底や飲食の制限や共用物の消毒などある程度に管理されたオープン会に隔離した方がまだマシかも知れません。もし開催した方がまだマシそうなら、汚れ役を引き受けるのも主催者の覚悟だと思ってます。
ん?、『ゲーマーじゃんけん』の必勝法かい。そうだなあ、「私はグーを出す」と言って最初からグーを出してれば、目を瞑っててもたぶん勝てるんじゃない?(耳を塞いでればなお宜し)。
「確か最初に買ったエッチなマンガはあの話が載ってた雑誌のはず。タイトルも雑誌名も出版社も他の掲載作品も分からない。絵柄はあの人のっぽいが著作リストにそれらしきものはない」と幾年月。無礼を承知で問い合わせました。タイトルは『覇道からの解脱』。なんとか入手できました。感謝してます。
数十年前の資料を調べていると「まるもじ」で書かれたものが見つかりました。ITの発達と普及によって、文字を手書きする文化は衰退しましたが、文字そのものはフォントとして残りました。なにか感慨深いです。
「パソコンで出来ることはスマホでも出来るのでパソコンは不要だ」と言っていいのは、パソコンで出来ることは何かを理解できてる人だけだと思うんだ。
感想や考察を書いた私のサイトのURIを張ると冒頭部が表示されるのはアプリの仕様かと。本誌を読まないと訳が分からない程度にぼかして感想や考察を発売日の午後以降にツィートしますが、それすら目にしたくないなら読みたくない側がミュートするのが筋かと。
ずっと昔にどこかで耳にした「枇杷の木刀で殴られると七年後に死ぬ」という話を思い出しました。検索すると枇杷の木が不吉だという話はすぐに見つかりますが、木刀のそれらしい話は見当たりません。きっと極々ローカルな都市伝説だったのでしょう。枇杷は九年で生りかねる。
因果関係的に「原作以外に価値を見いだせないないから原作至上主義となる」はおかしくありませんが、「原作至上主義だから原作以外は価値がないものとする」はもはや原理主義かなと。そんな風に気楽に考えてます。
ずっと昔、火竜果(pitahaya)を買いに中華街まで赴いたことがあります(いまでは近所のスーパーでも売られてます)。たいていのものは現在は希少でもいつかレア(not鮮度but希少性)は下がります。だから、いつかレアが上がるものこそ積極的に食すべし。経験値効率は大事。
「〜という意見が多い」はともかく「〜という意見もある」を根拠にする記事はあまり信用してません。その意見の存在を反証できないことは必ずしも、その意見が恣意的な極少数でないことを立証しません。むしろ、その意見が恣意的な極少数であることを示しているとさえ思えます。
「PCR偽陰性かも知れないので念の為に2週間は自宅待機すべし」ということで普通の人よりもずっと深く引きこもってます。積読書やルルブを読んだり、テレビやDVDを観たり、音楽を聴いたり、普段できない家事をしたり、倉庫を整理したりしています。こういう経験も糧とすべしと考えてます。
BGM代わりに流してた『めぞん一刻』がちょうど完結しました。ふと「おまえは今まで見たるーみっくの周回数をおぼえているのか?」と自問自答した今日この頃です(正確には「今までに聴いた」ですがもちろん分かりません)。次は『らんま』か『犬夜叉』を流します。おおざっぱに一周80時間ぐらいです。
流通では絶滅したと思ってた「ギザ10」を釣銭に見つけました。この硬貨は私よりも長く旅をしてきたのかも知れません。
政府の手足を縛ってきた人たちが政府の対応の遅さを批判する構図は、政府の対応の遅さを批判する為に政府の手足を縛ってきたのが原因ではないかと少し考える。ともあれ、緊急事態宣言が出る前に遠出する用事を片づけられたのでちょっと安堵。
「陰性か陽性か?」はある種の正体隠匿ゲームの構造を持ちます。自分が陽性か陰性かは検査しないと分からない。昼は限られた医療リソースで誰を検査または治療するか会議で決め、夜はその会議に参加した誰かあるいは陽性の人のいずれか隣に感染する。役職あり。陽性撲滅で村の勝ち、陽性過半数で村の負け。さて、どうやったら人類は勝てるやら…
毎年の4月と9月に食糧などの備蓄を更新してますが今年は3月中に済ませました。お役御免になったものは食べますので「いかにコンパクトかつバリエーションを揃えるか」は重要です。単一だと飽きます。
ディスプレイ使用時間制限が解除されたので、お勧めされてる作品のうち無料公開されてるものから観ています(というか、近所のTSUTAYAが先々月あたりに閉店してしまったので、ネットで配信されてるものから選択)。
『虚構推理』は私の趣味にあってます。契約時の代償はちょっとショッキングですが、今後の話に活かされるならそれも良いかと。鋼人編は冗長。ある可能性が4推理に含まれてないということは、つまりそれは虚構ではないと暗に示しているのかな。肉食系素直ヒートは珍しい。あの肉にあんな即効性があるのは意外。続編あれば見たい。
ご当地の友人から『ふらいんぐうぃっち』を。魔法が特別で強力なものとする作品が多い中でこのくらいのバランスを保ってるのは珍しい。喋り方が気になりましたが、こういうのんびりしたのも良いです。第1話はちょっとした旅番組。生活感がもっと描写されてればもっと高い評価。
面白いと聞いていた『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います』。主人公単騎の攻撃手段が強力になったあたりで少し飽きたかな(転スラも同様)。その防御力ゆえにぞんざいに扱われる主人公であって欲しかったです。12話まで観ましたが、普通のファンタジーRPGだなあ。
ドリフは東村山音頭やヒゲダンスの当時にときどき観てました。ホールで公録を観たこともあります。志村けんさん…私たちの世代にとっては「ケンちゃん」ではなく単に「志村」ですが…の冥福を祈ります。そして、その死が警鐘になって誰かが助かることを。
都市封鎖(ロックダウン)される前に不要不急の用事を済ませてきました。ついでに寄った帽子屋さんでハンティングジャケットと共布のハンチング帽を見つけたのが本日の良かった探し。もっとも、ロックダウンになったらどこかに着ていくことすらできませんが…
少なくとも今年の秋の分までは昨年の秋に収穫されてるのでマクロ的に米は足ります。しかしミクロ的には、普段は自炊してない人たちが米などを買い込み、その代わりに飲食店が仕入れる量を減らしてます。よって、流通が止まらない限り米は足ります。
自宅待機や移動制限が命令ではなく要請なのは憲法の制約ゆえだと思うけど、金銭的な補償がなければ貧困層は働きに出ざるを得ないでしょう。都市封鎖(ロックダウン)は主に老世代の生命を守る為の政策だから老世代かつ富裕層が補償金を負担すべきというのは一つの考え方だと思います。
…と言うか、マスクもせず遊び歩く老人をまず何とかすべき。
「一度でも中止になったらコミケは二度と開催できない」は運営者や企業(印刷会社)や参加者(サークル)の多くが自転車操業である場合などに成立します。最近のことは詳しくありませんが、恐らくそれが正しいと思ってます。
デジタルゲーム(電源ゲーム)のジャンル「ボードゲーム」は今や「アナログゲーム(非電源ゲーム)から移植したもの」から「アナログゲームに移植できるもの」に転化してます。デジタル開発のみのボドゲは増えるだろうし、デジタル専門または併用のボドゲサークルも増えるでしょう。
金持ちがニセモノ(Imitation)を身に着けていても無知な人々はそれがホンモノ(Genuine)であると誤解し、貧乏人がホンモノを身に着けていても無知な人々はそれがニセモノであると誤解します。後者は「自分だけ分かればいい」とか「分かる人だけ分かればいい」と考えてるならどうでもいいことです。
いつか未来に別の新種が現れたときの為に、中華人民共和国湖北省武漢市から広まった「SARS-CoV-2」のことはできるだけ「新型コロナウイルス」ではなく正式名称や地名混じりの慣用名で書いた方がいいと思います。これが会話など短期的に消滅する場なら別に構わないのですが、いまやネットでの書き込みは延々と残りますので。
東京オリンピックの予定通りの開催または中止に賛成だけど延期に反対。
サンデーの目次に目を通したら、なんと『のび太の恐竜(ドラえもん)』が掲載されてました。この話を初めて読んだのは月刊コロコロコミックだったと憶えてます(調べてみると、加筆修正された版だそうです)。趣味の多様化や少子化で読者数は激減してますが、子供向けのマンガ雑誌はいつまでも続いてほしいです。
ようやく保護メガネが外れて今日から普通の伊達メガネ。こないだまで使っていたフレームのひとつは青色光を反射吸収するPCメガネにしたけど、夜間の青色光軽減はPCやタブレットの側で設定できるからあまり意味ないような?(ちなみに強い青色光はメラトニン分泌を抑制するので睡眠障害の原因になります)。
お気に入りのテーラードを補修しながら二十二年ほど着続けてきましたが、そろそろ限界なので処分しようかと思案中。一生ずっと着続けるという英国紳士には及びませんが、自分なりのスタイルを貫けたと思ってます。感謝。
眼がよく見えるようになって変わったことのひとつが大根の皮むきです。「脳内でイメージしつつ表面を完全に塗りつぶす戦略的な剥き方」だったのが「大雑把に剥いてから細かいとこを処理する効率的な剥き方」もできるようになりました。このままいずれでもできるようありたいです。
「スター」「P」「ゴールド」「ハイ」の共通項はスタンドではなく『UNI』(三菱鉛筆)です。ユニPは「uni-Popular」の意味だと知りました。数十年間の疑問が解けました。ちょっとうれしい。
手術のおかげで日常生活では眼鏡不要になりました。しかし、人形は顔が命であるのと同様に眼鏡は顔の一部です。そこで今まで使ってたフレームを流用して外出用とPC用の伊達メガネを作りました。これで違和感ありません。
スターウォーズコラボのを買いかけたのは内緒。
新型コロナウイルスの感染が広がる前に全国一斉休校しても効果は薄いし、完全に蔓延してしまってからでは意味がありません。実際の感染者数を推定してるであろう政府が「この時期が最も効果的である」と判断したなら、その程度に広がっているということです。
個人の安心の為に全体の安全を損なう人はいざ全体の安全が脅かされてもなかなか責任をとろうとしないので、そういう人とはほどほどに距離を保つのが良いと思ってます。例えば、ご飯がちゃんと炊けてるかを確認する為に炊飯中の釜を開ける人とは同じ釜の飯を食う関係になりたくないです。
倉庫整理してたら昭和時代の硬貨やメダルを発掘しました。そういえばずっと昔に集めてました。ほとんど値が付きませんが、さまざまな500円玉やギザ十やフデ五などあります。
特に目を引いたのが東京オリンピック記念貨幣。当時の人たちが目指した未来はちゃんと実現したのかと思案します。
ここは趣味アカなのでこういうことは書かないようにしてましたが…。ちょっと特殊な症例の両眼(矯正視力0.2以下)をようやく手術しました。これで他人の顔も覚えられるし色もまともに識別できます。視覚に頼らない察知能力は維持するつもり。最初に見たものは大事な人たちの写真です。
細かい文字が読めることより驚いたのは、くすんだ淡色表示だった世界が鮮やかなフルカラー表示になったことです。特に食べ物のパッケージ。こんなに鮮やかだったのだなと実感しています。細かい文字だけでなく汚れやほつれも見えるようになったのでしばらく引きこもりつつ書類整理と大掃除です。
パソコンやタブレットのアクセシビリティを調整してます。背景は暗色のままですが文字は小さいサイズで落ち着いた色にしました。バカでかいディスプレイである必要はなくなりましたので、サブディスプレイは外してもいいかと検討中。なお、『BeatSaber』…というかオキュラスクエストはドクターストップ。
数日間とはいえ入院中はネットが使えなかったので、『MAO』だけの為にDLしてあった電子書籍版の週刊少年サンデーをまとめ読みしました。『絶チル』ってまだやってたのかとか、『銀の匙』が完結したとか、ちょっと感慨深かったです。読んだものの中では『ノケモノたちの夜』が特に面白いと感じました。
やりたいことは既にやったし思い出だけで生きていけると考えてたけど、できることが増えたのでやりたいことも増えました。落ち着いたら、高橋留美子作品を読み返します。ボドゲのルールブックも読みます。なにか技も修得します。そして、旅に出ようと思います。
医療機関のキャパには限界があるので現時点では「梅雨の候まで感染拡大を遅延させる。重症以上の感染者を優先する為に、そして医療崩壊を防ぐ為に、軽症以下は自宅で感染確率を下げつつ安静に」はトリアージとして正しいと思います。
マスクの話もこれに似ています。つまり、限りあるマスクを大勢の健康な人たちが使ってしまって少数のクシャミしてる人たちに行き渡らないような事態を避けねばならないということです。結果的な感染者数を最小にするであろう最善解は、クシャミしてる人たちに優先してマスクを割り当てることです。
歴史の「もし」のひとつが「あの負け戦でこうだったら」です。有名なのが「真珠湾奇襲で空母を撃沈できていたら」です。逆に「あの勝ち戦でこうだったらもっと犠牲者は少なかったはず」のようなものはほとんど見かけないです。黒字なら放漫経営してもいいわけではないのですが…
今日の月例セッションは流会。昼食はいつものタイ料理屋さんでカオソーイセット。ソムタムは青パパイヤのサラダで、ソム(酸味)+タム(叩く)という意味だとか。しっとりした大根サラダに近いです。せっかく会議室を借りてるので夕方以降は私の作業場に。
コラボを批判してるフェミニストさんはネットに溢れるエロ広告も批判して然るべきだと思うのですが、そういう話はほとんど聞いたことがありません。
中国で感染者が数十人だった頃からわずか数ヶ月であの有様です。日本で感染者数が数十人(ダイヤモンドプリンセス号を除く)である現在からどれだけであの有様になることやら。感染の拡大を梅雨あたりまでいかに遅延させるかが対策のポイントかと。
東京マラソン参加料(16200円)の払い戻し問題については、荒天中止の場合に準じれば良いと思うんだ。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者24人。『アクワイア』『宝石の煌き』『アンギャルド』『ベリシネベリシ』『ごいた』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさま、いつもありがとう。けっこう感謝しています。
日本人の予防意識だと、小流行になった時点で日本全国津々浦々の誰も彼もがマスクや消毒液を使い始めるだろうので、大流行になった時点では既に足りなくなってるような気がします。感染者数は等比級数的に増えるので、事前に想定しておかねばなりません。
総天然色映画やカラーテレビやカラー写真やカラーディスプレイやカラー印刷が普及する前のモノクロが主流だった時代は、いわゆる色覚異常の人や弱視の人にとって優しい時代だったと思うんだ。
検査結果が99.9%で正しいと仮定すると、日本人1億2千万人を検査すれば感染者12万人になります。未確認の感染者を含めてもせいぜい数百人であろう現状では、日本人すべてを検査するのは意味のないことです。そもそもリソースが足りませんさ。
いつのまにかタマネギを切っても涙を流さなくなってました。特に品種を選んで買ってるわけではないので、そういう体質に変化したのか、あるいは硫化アリルが少ない品種なかり市販されるようになったのだと思います。
メインPCでは左手用トラックボール『M-XT4DRBK』を併用してます。机上が広くなったのでサブPCにもなにか付けてみようと思い、倉庫からいろいろ引っ張り出してあれこれ試してます。ほぼ未使用だったとはいえ未だにボタンもホイールも機能する『SS-200』(2004年)にちょっとびっくり。
いろいろ試してみて結局はタッチパッド『M-TP01DS』(エレコム)にしました。酷評されて投げ売りされてた製品ですが、マウスを補助する役割に特化すると非常に優れてます(筐体の足もスイッチになってると初めて知りました)。処分しなくで良かったです。
『M-XT4DRBK(左手用トラックボール)』と『M-DT2URBK(右手用トラックボール)』をそれぞれ設定し同時に接続する。マウス切り替え機能で『M-XT4DRBK』に切り替えると、『M-DT2URBK』は設定が適用されずデフォールトで動作する。そして『M-DT2URBK』に切り替えると、『M-XT4DRBK』は設定が適用されず、『M-DT2URBK』の設定で動作する(ボタン4や5で確認。なおボタン6は無効となる)。この違いは設定した順番による問題だろうか?
それはそうと、『M-XT4DRBK』にも減速スイッチに相当する機能が欲しいです。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者24人。私は『アクワイア』『コリドール』『SET』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。アクワイアは5戦ぐらい。L・T・A・W・Cの株を一瞬で紙屑にしたインペリアル筆頭ですが何か?
もし湖北省武漢市からの帰国者の2%が発症してるなら、(衛生状態が良いであろう日本人でさえこの数字なのですから)武漢市(1000万人)では20万人をはるかに超える人が発症してる推定になります。致死率は発症者の3%程度。
日本でも超法規的措置を含む防疫が必要になるかも知れません。具体的には徹底した水際対策と帰国者の強制隔離です。日本の人口の0.7%が死亡したスペイン風邪のようなパンデミックが発生する可能性が有意にあります。経済的打撃は少なくありませんが、ここはオーストラリアやイギリスなどを見習うべきかと。
ハンセン病(癩病)の経験を持つ日本では「強制隔離は人権侵害!」という声が大きいです。ところでもしハンセン病が強力な感染力と高い致死率を有してたら果たしてあの強制隔離は違法とされてたかと考えます。おそらく、公共の福祉に反する自由はそもそも権利として認められないだろうと思います。
過去の事例と比べるに、新型コロナウィルスに対する各国政府の対応が早すぎるように感じてます。別に陰謀論者ではありませんが、あたかも新型コロナの感染力や死亡率が予め分かってたかのように。
1980年頃だと思いますが、なにかのマンガでバーのマスターが『ペントミノ』を客に紹介する話あるいは紹介される話がありました。その話で縦3横20に並べる解が2つしかないと知りました。なんという作品だったか分かりません。詳しい人、教えてください。
音声時計ピラミッドトーク(SEIKO)を最初に買ったのが三十数年前で、復刻版を買ったのが十年ぐらい前です。5年ぶりに電池交換をしました。私の部屋に来たことある人しか分からないでしょうがピラミッドさんは元気です。もうずっと…今日も「〇時です」と時報を告げてます。
相模総合補給廠の一部返還地に多機能複合型スタジアムを作りたいという意見には長期的観点で賛成です。個人的には、エレクトロニックスポーツ(eスポーツ)やマインドスポーツ(頭脳スポーツ、ボードゲームなど)の大会を催せる大規模な施設もあれば積極的に賛成です。
amazonで注文した『MAO』3巻が届きました。発売日に本屋さんで入手できなくもありませんが、電子書籍でいつでも週刊連載分を読めるので慌てる必要はありません。表紙と帯と布教の為に注文しているような気もします。収録は第19話「猫鬼」から第28話「朽縄」まで。
手番にダイス8個を振りランク1種を確定。残ってるダイスを振りなおし、まだ選ばれてないランク1種を確定し続けてよい。虫ランク(5と数える)は確定させること。
確定した数値の合計に等しいタイルが場または他プレイヤーの前に見えてればそれを、もし見えてなければ場から合計よりも少ないタイル1枚を取って自分の前に重ねる。
失敗した人が既にタイルを獲得していたら最上段タイルを場に戻して場の最大タイルを除去(ただし戻したのが最大タイルなら除去しない)。
場のタイルが全てなくなったらゲーム終了。タイルに描かれた虫が多い人の勝ち。
11と13のタイルはちょうどでのみ獲得(このタイルは奪われない)。
もし残っていれば、2個以上の1を確定させるとイモムシ1点をもらえます。
機能や性能が限定されてても動作が予測できるものは安全かつ安心して使い方を決めることができます。しかし機能や性能が十分であっても動作が予測できないものはそうもいきません。それどころか機能や性能が優れていればいるほどリスクは高くなります。機械や道具に限らない話です。
会場のホワイトボードに貼ったお知らせもサークルHPもTwitterもTwiplaも見ようとしないヘビーゲーマーさんから「ボードゲームカレンダーに載ってないけど19日(日)は開催するのですか?」と私の留守電にはいってたけど、さすがに折り返し電話してまで回答する義理はないと思うんだ。
基本的に「使わないものは買わない」な人ですが、ちょっと気になったものを見かけたので「見せてもらおうか、最近の100円ショップの実力とやらを」という建前でBluetoothスピーカーポータブルタイプとBluetoothワイヤレス片耳イヤホンを買ってみました。
まずは550円のBluetoothスピーカー『SR9910』(ダイソー)。microSDやUSBのスロットを用いてMP3も再生できます。ちゃんとした音楽をまじめに聴くのでないかぎり、音質も音量も十分に実用範囲。当面はサブスピーカーのひとつとして使ってみます。
そして330円のBluetoothワイヤレス片耳イヤホン『BT earphone』(ダイソー)。音質は許容範囲。マイクはノイズだらけ。仕様では連続再生1時間ですが、フル充電から「Low battery」ボイスが流れるまで実測216分(追記:2回目は実測204分)。散歩や通勤でラジオやサントラを流すには良いと思います。
で、さっそくイヤーフックが折れました。他のイヤホンのイヤーフックが流用できるけど、たぶん使わないのでこのままゴミ箱かな。100円ショップの実力の一端を知れたしいろいろ考えるネタにもなったので本当の意味で勉強代でした。
ダイソーの『300円ワイヤレスBluetoothイヤホン』。処分する前に「連続再生約1時間」を検証(試行9回)。フル充電してから再生開始し3時間半ほど放置して装着。結果は、216分・235分・227分・236分・227分・223分・210分・221分・231分でした。…なんで?
個人的にはSiriやAlexaより賢いと評価してるので、実売3000円になった旧世代『Google Home Mini』で自宅の環境を揃えることにしました(合計4台を予定)。もちろん最初にやったのは合唱。
思ったことを言えない人はときどき小さなトラブルを起こし、思ったことを言わずにいられない人はたまに大きなトラブルを起こします。言わなすぎてもいけないし言いすぎてもいけません。過不足なく適切に。でないとキズがつきます。
私のハンドルネームは、クロウ・リードのモデルとなった「アレイスター・クロウリー」に由来します。…と言ったら信じる人がいるかも知れません。もちろんウソです。
先日のイラン軍による民間機撃墜について何か引っかかっていたのですが、ようやく思い出しました。イラン航空655便撃墜事件(1988年)です。犠牲者290人。アメリカが事実上の責任を認めたのは何年も経ってからでした。たぶんイランの人たちはそのことを忘れてないのでしょう。
まさかとは思うが、一部の野党の人たちは「生存に必要な物資が需要の半分しか供給されなくなっても値段が倍になるだけだからどこかから買えばいい」と考えてるのではなかろうか…
理想論はともかく現実的には家族に疎まれ施設に捨てられ生かされてるだけの重度知的障害者もいるはずです(しかも現在もどこかにたくさん)。尊厳死の問題もそうなのですが、「死んだ方が幸せか?」という議論そのものを封じるバイアスが報道に掛かってるように感じます。
香りが気に入ったのでまとめて何本も買ったのですが、機会がほぼない上に軽くつけるだけなのでなかなか消費できません。それでも二十数年目にしてようやく最後の在庫に到達しました。今でも気に入ってる香りのひとつです。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者22人。私は『アクワイア』『テキサスホールデム』『カタン』『ザ・ビッグチーズ』『コリドールキッズ』『囲碁』『ごいた』『チキンフット』『ベリシネベリシ』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。愉しかったです。ありがとうございました。
さまざまな立方体を作る『賢人パズル』のパーツを流用し、さまざまなオブジェ(非立方体)を作る『ブロック・バイ・ブロック(=ソーマキューブ)』の問題集に挑んでます。ほぼ同じ構成(茶≠A=鏡紫)ですが、解の存在は保証されてません。解がないのか難しいだけなのか悩みます。
ちなみに『テトラキューブ』は4個の立方体が面同士で接続された8種で構成されており、『賢人パズル』は「テトラ』ーI−A+V」で、「ソーマキューブ』は『テトラ』ーI−O+V」で構成されてます。
甘い味付けの玉子焼きはそれほど好きではないのですが、どういうわけか伊達巻の尻尾だけはすごく好きです。人の味覚とは興味深いものです。
あけましておめでとうございます。
動植物の中には「年・月・日」を感知できる種もおりますが、さすがに「旬・週・時・分」まで感知できる種は知的生命体だけです。暦を考案した種の1個体として新たな1年間を有意義に使いたいと思います。
今年も宜しくお願い致します。
るーみっくグッズを1つだけあの世に持っていくなら単行本セットを選びます。究極のグッズとはそういうものです。ファン活動も似たようなものでして、自分の生活の中にるーみっくが共にあり、もはやツィートするような特別なことではない。そんな領域です。
人生の教訓のひとつに「反省しても後悔しない」というのがあります。前向きに「あーすれば良い」が反省で、後ろ向きに「あーすれば良かった」が後悔です。来年も後悔することなくありたいです。
遊びやすさや視認性や輸送や保管の為に、所有しているボドゲの内容物を他のボドゲと共用あるいは代用したりコピーしたり外箱を処分したりすることがあります。「作品はそのまま鑑賞するのがマナー」とは考えてません。ボドゲは道具で私はユーザーです。
冬の未明のある時刻にトイレに立つと、まれに列車や踏切の音が外から聴こえてきます。距離はともかく方角は正しいだろうので地図と時刻表で確認してみます。
これ相模線じゃなくて中央本線か?
毎年の年末に掃除しつつ思うことがあります。
毎月の月末に掃除しておくべきであると。
例えば、年始に客を集める人はちゃんと大掃除するので、月初めに客を集めればいいのです。問題は月始めが社会的な休日とは限らないことで…
議長「文明開化。自動車は左右いずれを走るべきや」。
A「我が国の事情にあわせ左側通行が現実的」。
B「欧米にあわせ右側通行とするのが理想的」。
C「自動車が事故の主因だから全面禁止で」。
D「互いに意見を尊重。みんな自由に走ればいい」。
他はともかくDは政治家になるべきじゃない。
ダイソーの仕切り付き小物ケース(幅17x奥6.5x高2cm)はドミノトレイとしても使えます。
エメラルドの色をじっくり見る機会はあまりありませんが、エメラルド色(#00A968)のものを見る機会はたくさんあります。だから、私が知ってるエメラルド色は本当にエメラルドの一般的な色なのだろうかと、ときどき考えます。
Bの主張だけ聞いたCが義憤でAを事実上特定して公然と批判するのはときとして私刑に加担する行為になります。そして自分が私刑に加担したと判明したときCは無責任にもBを扇動者として批判することがあります。第三者としての批判は限定条件を付与するか一般論に留めるべきだと思います。
もちろん利害関係者から意見を求められたときには見解を示せばいいし、双方から頼まれたときには介入してもいいでしょう。だから、口を塞いでいても目を塞いでいてはいけません。
買ってきてと頼まれたので、ボドゲ会のついでに大人買いしてみました。こし・つぶ・しろ・胡麻・玉露・みるく・かぼちゃ・くり・紫いも・安納芋・りんご・ゆず。すべてアンパンです。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者25人。私は『アクワイア』『OGRE:218高地』『アンギャルド』『チキンフット』『SET』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさま、ありがとうございました。
感想や考察を読む人は既にその作品を読んでいるので、あらすじの記述は「感想や考察を書く為の必要最小限」で十分だと思ってます。そうしておけば作品を読んだことのない人が感想や考察を読んでしまったとしてもネタバレになりにくいです。
殿Lv291になりました。サービス終了までにLv300までいければ上々だと思ってます。ざっと計算するに、信濃1716周か絶壱4391周か烈蔵5394周が必要です。たぶん自然回復と配布霊珠だけでいけるはず。
というか、しばらくサービス終了しそうにありません。Oculus Questのハンドトラッキング機能が面白い。近いうちにサイコロも振れるでしょう。なお、Oculusボタンを手動で操作するは「掌を顔に向けて親指先と人差指先を付け続ける」で良いみたい。
二十年ほど使ってなかったマグカップ(二重構造の銅製タルマグ)をまた使うことにしました。十円玉をきれいにする方法を応用し二十分ほど磨くと、ほどよい感じに光沢が戻りました。ちょっと愉しいです。
実は映画館で観たとき、うつらうつらしててところどころ憶えてなかったり…。ちゃんと覚醒したのは終盤になってから。
「四つ折り(観音折り)」とは知ってましたが、予想と違う向きでした。とても丈夫な厚紙です。収録内容は妥当。イラストは邪魔だと思います。
今朝も寒いです。それでもガラスに結露した水分が凍ることはなく、庭で霜柱を見かけることもなく、歩道の薄氷を踏むこともなくなりました。世の中が暖かくなっているのと同時に、人々は寒さに弱くなっているのだと思います。
「普及の為に全てのサークルがビギナーを積極的に受け入れるべき」とまでは思いません。愛好者数は「単位期間あたりの新参数」と「引退までの平均期間」の積で決まります。大人がガチになって子供と遊んではいけませんが、大人がガチになって遊べる場も必要だってことです。
ビギナー向けサークルの設立は易しいが維持は難しく、ベテラン向けサークルの設立は難しいが維持は易しい。前者が後者に変容していくのは自然の流れなので、それ以上に新たなビギナー向けサークルが設立され続けるのが望ましいでしょう。もちろん内部でエスカレーター式に隔離するのも一案です。
指摘されて気が付いたことですが、左側にボタンがあるエレベーターに乗るとき私は右回りしてるらしい。
太平洋戦争における歴史の可能性は「維持(開戦して早期講和)」「ジリ貧(開戦せず困窮)」「ドカ貧(開戦して占領/分断)」でした。講和を弱気であると非難し国民を煽動してた政治家やマスコミの責任は大きいです。このジレンマを正確に理解してたのは軍の上層部だけだったのかも知れません。
現代における日本の防衛は「やられるまえにやれ(予防)」ではなく「やられたらやりかえす(抑止)」であるべきだと考えてます。その為にも「やられてもやりかえせない」という偽りの平和工作に煽動されてはなりません。専守防衛とは自国領土を戦場にするということですので。
100円引きの商品の為に交通費400円を支払うのは散策や気分転換のコストとしては十分に安いと考えられます。ゲームで与えられたイベントはそれが割にあわないものであってもクリアしなければならないとする人はきっと似たような考えなのだろうと思います。ある種のコレクターもまた然り。
ボドゲ汎用ポーカーチップ100枚の構成は(合計1500=100*5枚+50*10枚+25*10枚+10*15枚+5*10枚+1*50枚)としています。110円プラケースを用いた128枚の構成なら(合計2040=100*8枚+50*8枚+25*16枚+10*32枚+5*14枚+1*50枚)です。600枚アルミトランクは持ち込むには重すぎるのです。
ボードゲームにおいて「双方がベストを尽くしたが圧倒的実力差で勝敗が決した。負けた人は愉しめたか?」は意外な難問です。なんせ勝った人にだって「勝ったので愉しかった」という人もいますし「ベストを尽くせたので愉しかった。勝敗はオマケ」という人もいますし「歯応えがなくて愉しくなかった」という人もいますし「みんなが愉しめてないので愉しくなかった」という人もいます。
「朝からミルクティをがぶ飲みしてるほど寒い」と書くより「寒いので朝からミルクティをがぶ飲みしてる」と書く方がちょっとポジティブ?
「大事に至らぬよう祈ります。どうぞお大事に」と書いてなんとなく矛盾を感じる今日この頃。
先日からモバイルバッテリー式の電熱ベストを試してます。付属のマニュアルの日本語を見ると微妙に信頼できないので、電源OFFのときは電源バッテリーも抜くようにしています。ヒーターが五か所に内臓されててなかなか暖かいです。
正式名称は「モバイル温暖化オートバイ加熱ベスト(Mobile Warming Motorcycle Heated Vest)」ということで、もともとバイク用らしいです。つくづく和訳センスが…(汗)
私たちは鉄道建設会社です。建設計画を完遂する(手牌を出し切る)のが目標です。
5〜6人なら12枚ずつぐらい。残りは山札です。各方面に路線が伸びていく中央駅エンジン(最初はダブル12→9→6→3→0)を持ってる人(いなければその下のダブル牌を持ってる人)からスタートです。あらかじめスタートプレイヤーを決めてエンジンを置いてから配るのでも良い。
手番には自分の路線または公共の路線「メキシカントレイン」に繋げていきます。ダブル牌を置くときは直角に置いてさらに自分の手番になります。もし手番に繋げられなければ山札からドローして繋ぎます。
もし手番にどこの路線にも繋げられないと、自分で繋ぐまで自分の路線は「オープン状態(臨時の公共路線。マーカーを置く)」になります。ダブル牌が路線の端にあるとロック状態(事故発生で緊急工事が必要!)になります。そこに誰か繋げるまで一時的なオープン状態になります。
誰かの手牌が無くなるか山札が尽きてパス1周でラウンド終了です。残り手牌が失点です。手牌が無くした人はみんなの失点合計を得点とします。
ここ数年ほど、ユニークテキストが多いものや文字が細かいものや色が判別しにくいものはちまちま手放してます。子供に向けたシンプルな軽ゲーと別の方向で高齢者や障害者に向けたシンプルな重ゲーの需要が高まっていくだろうと思ってます。
おおざっぱですが、ボードゲーマー数は「単位期間あたりの新規参入者数」と「引退までの平均寿命」の積で決まるので、この二つの方向性は基本的に正しいと考えてます。
「ミスが無ければうまくいく完璧。だからいっさい譲歩しない。うまくいかなければミスした人のせい。厳罰で予防する」という主義の人は、ミスがあったときのダメコンやリカバリーをほとんど考えてないことがあります。そんな人たちに社会の運営を任せてはならないと思うんだ。
幼い頃しばしば長津田駅で横浜線に乗り換えてました。暗いなか遠くにヘッドライトの灯りが見えるとどこか安心したものです。型番には詳しくありませんがチョコレート色の車両でした。いつのまにか世の中が明るくなり、都会でそんな風景を見る人はもうあまりいないと思います。
晩秋は好きな季節なのですが、どのタイミングでハジャケットやコートを換えるか悩みます。今日もがんば。
今日はハロウィンですが、今年はお菓子を配る機会がないのでセルフトリート。
ところで「Trick or Treat!」だとお菓子をもらっても悪戯しないとは限らないし「Trick xor Treat!」だとお菓子を貰えなければ悪戯しないとならなくなる。だから「Trick nand Treat!」が望ましいと思うんだ。
子供の頃に読んだ本によれば、恐竜の体重は骨格から再現した模型の体積を基に推定するとのことでした。つまり、服や髪をキャストオフできるフィギュアモデルの体積からキャラの体重を推定できるということです。今なら水没させずとも3Dスキャナあります。
ネットでクレカをできるだけ使わないという人には、ネットをよく知らないので怖くて使えないという人と、ネットをよく知りすぎてるので怖くて使えないという人とがいます。
さまざまな飲食店や新メニューを食べ歩く人たちがいます。良いものを探す人たちはいくつか良いものを見つけたらそこに定着し、新しいものを探す人たちはどんなに良いものを見つけても次なる新しいものを探し続けます。
多くのゲームが無課金プレイヤーを歓迎してる理由は「将来的な課金プレイヤーの増加に期待できること」だけでなく「プレイヤーのコミュニティを維持し、比較対象として課金プレイヤーの満足度を高めること」にあると思うんだ。
歴史的には「セクタの密度を倍にして180KB。両面に記録すれば180KB+180KBで360KB。いつもの2倍のトラックにして360KB×2の720KB。そして、密度を更に倍にすれば720KB×2の1.44MB」だったように憶えてるけど、これで合ってたっけ。
町田(神奈川県)に用があったついでにパイナップルラーメンを食べてきました。お店はJR町田駅ターミナル口改札のフロアにあります。基本は海老塩で美味しいです。パイナップル味の煮玉子は一回は試してみるのが良いと思います。二回目はともかく。
誤解を招くように言えば、チューブではなくペットボトルに入った「おろし生しょうが」です。個人的には好みです。
「夜目遠目笠の内」の本来の意味とは少し異なりますが、プロフ画像などを自撮りするときはできるだけカメラを遠くした方がいいです。さもないと、顔の中央が膨らんで写りますから。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者27人。私は『アクワイア』『テキサスホールデム』『ツーペン』『シャット・ザ・ボックス』などなど遊びました。
二十数年ぶりにニュータンタンメンを食べました。注文は具W普通で。記憶にある味と比べた感想は「唐辛子粉(1mmほど)が汁面に散ってない(辛口なら?)。ニンニクの欠片が大きすぎ。麺がすごくもちもちになってる。基本は変わってない。美味しい」ってとこでしょうか。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者20人。私は『カタン』『レジスタンス:アヴァロン』『ビジネス』『ペンテ』『ヤバラス』『ラスカ』『カッパドミノ』『ブラフ』『ペニーワイズ』『ベリシ・ネベリシ』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。さんくすあろっと。次回は15日(日)です。
ふとジャンクなものを食べたくなったので、昼食はお好み焼きとヤキソバのセット(モダン焼きではない)。
ところで、もう二十年ほど前だったか、PCパーツやジャンク品など漁った後に「お好み焼き(正方形)・タコヤキ(2個)・ヤキソバのセット」をときどき食べてたのを思い出しました。あの店の名前は何だったっけ。キジ丼屋の前。洋風の名前だったのは憶えてるが…
『ラトゥール→ダニエル』でした。情報感謝。
在韓邦人の保護や脱出の為の情報が得られにくくなります。かつて韓国による人質外交に屈したことがある日本としては、保護を名目にした有事の人質外交への対策を怠ってはなりません。憲法改正を含めた真剣な議論が必要だと思います。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者20人。私は『アクワイア』『カタン』『ザ・ビッグチーズ』『SET』『ミューラ』『テンガロン』『スカル』『カンビオ』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさまおつかれさま&ありがとうございました。
太平洋戦争は開戦の段階で既に「早期講和できるか否か」がポイントになってるので、戦争の惨禍を繰り返したくなければ「開戦に至る経緯」を学ぶべきです。少なくともハル・ノートの内容とそこに至る経緯だけでも理解してほしいです。現在の感覚だと「日本が軍事的に占領した琉球と蝦夷地を放棄しなければ経済封鎖を解除しない」ぐらいに相当するかな。
譲歩による先送りは手札を失うだけで更なる譲歩を要求されるだけなので、もしハルノートを受け入れてたら戦争になることなく最終的に欧米の植民地になってたかも知れません。
「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬようご注意願いたい」は米内光正海軍大将の台詞ですが、ドカ貧のリスクを避けると確実にジリ貧に嵌る当時の状況では「注意しつつジリ貧を避ける(早期講和を最優先にした開戦)」が最善解だったのだろうと思います。
後からなら「儲かる株だけ買えばいい」と言えるのですが…
「オタクはマナーが良い」というアピールを読むと「オタクは(自分たちの場では)マナーが良い」が多いです。家庭や学校でもマナーが良い人はわざわざアピールする必要などありません。ただし、承認欲求を利用したマナー向上は必ずしも悪いことではないのでアピールを批判すべきでもありません。
プロパガンダにおいては「6は偶数である。これは数学的事実」を「邪悪な6は偶数である。これは数学的事実」のように表現することがあるので、修飾語句を省略して読む癖をつけた方がいいと思うんだ。
何もしてないのに洗濯機が壊れた。なお「何もしてないのに」はたいてい何かしています。
るーみっく視聴用にHMDを買おうと思ってたところにパーカス会の友人やAD&Dの友人から『ビートセーバー』をオススメされたのでポチりました。ようやく届いたので練習室を借りて修行してきます。ダースモールMODもいれなきゃ。
週末の宿題で『五等分の花嫁』を読みました。
10巻までの感想。写真の子・零奈・キス相手・結婚相手などが5人のうちの誰か(同一人物とは限らない)を推理する叙述トリック作品だと零奈のあたりで気が付きました。前半を読み返すと細かいところに様々な伏線が描写されてます(あるいは描写されてないことが伏線)。写真の子は推測通り。
宿題は「あれは誰だと思う?」なので、自分なりの推測を答えるつもり。今後の予想としては、相手が主人公でなければならない理由が最も強い1人が花嫁になるだろうので、他の4人はなんらか納得できる形で主人公から自立していく早い展開になるでしょう。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者27人。『テキサスホールデム』『アクワイア』『メナラ』『サ・マインド』『ベリシ・ネベリシ』『おさんぽギャモン』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。交換会では『手本引きセット』『DーDAYダイス』など受け取りました。さんくす。
本日の『アクワイア』第2局。終盤のコンチ(C)がルクソール(L)かインペ(I)かセーフティになるかで洗面器。結局は5Bから1Eと置かれてインペに吸収されます(添付画像)。しかし、そのまま続けても誰も資金が増減しないので終了宣言なし108枚すべて置かれて終局。珍事。
戦前のヒトラー政権と現代の文在寅政権は、極端な民族主義(反ユダヤと反日)や煽動によるポピュリズム政治(演説とネット操作)や報復人事などの点で似ているように感じてます。過剰に騒ぎ立てることもありませんが、韓国が破綻する前に何が起こるか想定だけはしておくべきだと考えます。
日本の人口問題を真面目に論じるときに揚げ足を取られないようにするには、「産む機械」ではなく「メカニズム」と表現した方が良いし、「産まないと」ではなく「生まれないと」と表現した方が良いと思います。後段は「Born to be Free」を訳したときに学びました。
未だにテキストエディタで自分のサイトを編集してる理由は、作成当時にそうしてたからだけでなく、今でもそれが最も早く編集できるからです。基本的に文章と画像だけなので「XHTML Basic」で記述してます。たぶん、数十年後のブラウザでも読めるはず。
ちなみに、昔のサイトが高速でレンダリングされるのは、決してロストテクノロジーなのではなく、単に余計なことを一切していなかった…というか、できなかったからです。
ぜろいちにさん「し」ごろくななはちきゅうじゅう。
じゅうきゅうはちななろくご「よん」さんにいちぜろ。
政治・経済・軍事は分離して考えるべきではありません。現段階ではまだ第三国の銀行が引き受けるだろうので、信用状(L/C)の発行を停止するのは時期尚早かと。相手の信用度が落ちてから停止するのが目的(国民の財産を保護することなど)を達成する上で効果的だと思います。
もともと大した理由じゃないのですが、7月7日には「七夕デート」を読むことにしています。もう数十年ずっと。
非友好国への戦略物資の流出は、日本国民の生命や財産や自由を脅かすことにつながります。しかし信頼できる友好国への輸出を阻害するほど手続きが煩雑であってもいけません。よって、ホワイトリストの仕組みには意味があると考えます。非友好国へ横流ししないという約束を守る友好国はリストに加えるべきですし、そうでない国は速やかに外すべきだと思います。
安全保障以外でのメリットとデメリットも併せて考えますと、大韓民国をリストから外すのは妥当な対応だと思います。よって消極的支持とします。
非友好国への戦略物資の流出は、日本国民の生命や財産や自由を脅かすことにつながります。しかし信頼できる友好国への輸出を阻害するほど手続きが煩雑であってもいけません。よって、ホワイトリストの仕組みには意味があると考えます。非友好国へ横流ししないという約束を守る友好国はリストに加えるべきですし、そうでない国は速やかに外すべきだと思います。
安全保障以外でのメリットとデメリットも併せて考えますと、大韓民国をリストから外すのは妥当な対応だと思います。よって消極的支持とします。
立喰師が出てくるんでしょ、僕知ってる。令和時代の播堂銀子(ケツネコロッケのお銀)さんに期待。
わずか数回のプレイの為だけにそれぞれのルールを憶えたくないという人が多いので、いっかい憶えればインスト不要でいつまでもずっと遊べるド定番(囲碁とか将棋とか)が流行ってきたのだと考えてます。よって、モノポリーぐらいの定番にならなければ重ゲば一般層に流行らないのではないかと思ってます。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者28人。私は『アクワイア』『テキサスホールデム』『FABFIB』『クロキノール(闘球盤)』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさま、いつもありがとうございます。
ざっと思いつくのは、『すごろく』『ビンゴ』『黒ひげ危機一髪』『なかま集め』『はじめての果樹園』『虹色のへび』『坊主めくり(百人一首)』『LCR』『バカラ』など。なお、「参加するしない」や「マスを数える」や「ルールに従う」は「考える」に含めない。
文具でも工具でも武器でも楽器でもスポーツでもアプリでもおよそ「道具」は、初級者のうちは基本的な定番を、中級者になったら自分に適したものを探す為に様々なものを、上級者は自分に適してるものを使います。これが「作品」だと、上級者の行きつく先が異なります。なんせ世の中には鑑賞しきれないほどの作品が生まれつづけてますので。
「責任の追及より原因の追及」という主義ですので、もし社会的な問題が無差別殺人の原因になっているのならそれもちゃんと報道すべきだと考えてます。社会的主張や問題提起を目的とした犯行が増えるという意見もありますが、社会が原因に向き合わないことにはいつまでも悲劇が繰り返されます。
昨今の骨董市はあまり面白くないです。数十年前はときおり御禁制っぽいものとか出所の怪しげなものとか見かけたものですが…
地震雲の報告が増えるのは、季節外れの暑さで空を観察する人が増えるからではないかと思うんだ。
「戦争でなければ領土を取り戻せない」ではなく「会話だけでは領土を取り戻せない」と表現したほうが望ましいかと。「アイヌの人たちは会話だけで自分たちの領土を取り戻せるだろうか?」も説得力あるかも。
タレントのサイン色紙と同様に、御朱印も参拝者の名前を記入することで転売をある程度に予防できると思ってます。御朱印帳の各ページに専用の記入欄を設けるのがいいでしょう。いつか請負が横行するようになったら、なんらかの身分証明が必須になると考えてます。
「あまりに態度が不敬なる者には御朱印に軽い呪いの念を込めることにしました」と発表したら、オークションで入手する人を減らせるかも知れません。ネットオークションに出すような人が敬意を払ってたかどうか疑わしいですので。
若葉まつりの会場から徒歩数十秒の我が家は広い通りに面してることもあって、お祭りの期間中は路上に多くのゴミが散らばります。しかしそれをもって民度が低いとは思いません。お祭りが終わったら清掃すればいいのです。それが民度というものだと思います。
韓国は北朝鮮の短距離弾道ミサイルを迎撃する手段を持ってないと聞きますが、もしかして韓国は「核の人質」の意味を理解していないのではなかろうか。たとえ韓国が中立を宣言していようとも、北朝鮮は「アメリカが我が国の核施設を攻撃したらソウルに核を落とす」と言えるのです。
令和の時代になった今でも「PCで編集&推敲した下書きを専用紙に手書きで写す」というのがありますが、昭和の時代には「原稿用紙で編集&推敲した下書きをパーソナルコンピューターで清書&印刷する」というのが普通にありました。三太郎の前はユーカラを使ってそうしてたのを憶えてます。
かつては経済的に前世代が次世代の生活を支えてました。やがて前世代が次世代を支えなくなるとその前世代は得し次世代が損します(戦後・高度盛漁)。さらに次世代が前世代を支えるようになるとその前世代は得し次世代が損します(年金制度)。これを元に戻すにはよほどの経済成長か経済破綻が必要だと思ってます。
もちろん、かつての列強がやってたように植民地に負担させるという方法もありますが現代ではそうもいきません(中国は国内に植民地のような地域をもってるので例外かな)。年金をグローバル化するのも似たようなところがあります。
るーみっくファンになったばかりのガキの頃、『うる星』が掲載されてた少年サンデーは買ってましたが、『めぞん』が掲載されてたBCスピリッツまでは買えませんでした。医療機関の待合室にスピリッツを毎週のように置き忘れてくれた人に今でも感謝しています。
ところで、読み終わった少年サンデーは分解して高橋留美子作品だけ残すようにしてましたが、単行本を買った後はほとんど活用してません。『MAO』からは電子書籍版サンデーも購入し、読み終わった雑誌は医療機関の待合室などに置き忘れようかと思案しています。
なにかとなにかが混合した存在。あっちとこっちの選択」だろうと予想してましたが、それが少女側だったのはちょっと意外でした。瞬間的に現代に戻れる設定らしいので、両方の世界が舞台になるでしょう。いろいろ楽しみです。
とりあえず、スムージーが妖の力を封じてるのか否かが知りたいかな(魚住さんは人間?祖父は何を知っている?)。カラーページの「おばけ…?」が女妖っぽいですね。壺の中には何がいるのか。看板の電話番号が03からなので東京か。キーワード「魚住。黄葉菜花。3A。16.8秒。五行町。豆腐屋、加藤商店、黒川家、成文堂。結」など。
余談ですが、摩緒が着てるのはインバネスコート。コート部とケープ部の二重構造になってます。近代日本ではインバネスを和装用に改良したトンビコートが一般的でした。トンビは着物の袖を通すアームホールが非常に大きいのでコート外ケープ内に帯刀できます。…なぜトンビでない?
子供の教育という観点なら、いろいろ詰め込まれた工具のセットよりも高品質なナイフ&砥石の方が良いです。PCでいうなら低性能高機能よりも高性能低機能。インストールするアプリは保護者が厳選しろということです。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者33人。『アクワイア』『カタン』『コロレット』『コリドール・キッズ』『カッパドミノ』『ベリシ・ネベリシ』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさまありがとうございました。
昭和時代に知り合った友人らとは平成時代を最初から最後まで共にしたことになります。平成時代に知り合った友人らもあわせ、そして令和時代に知り合う友人らもあわせ、令和時代を最後まで共にできることを願います。
ベリーショートか…
最低気温4℃。
誰が調理するのかを考えると、市販のボドゲは専門店のカレーでなく市販のカレールウに相当します。アレンジ(ハウスルール)は自由だし、「プレイの感想」も自由です。ただし、レシピ通りに調理(インスト)した方がたいてい美味しいし、「商品の評価」ならまずレシピ通りに調理すべきかと。
誰がどのように調理してもそこそこ美味しくなるボドゲは良い「製品(道具)」になりえると思います。アレンジすると不味くなるが専門家がレシピ通りに作ればとても美味しくなるボドゲは良い「芸術品(作品)」だと思います。もしかしたら「ゲーマーズゲーム」というのはそういう芸術品を指すのかも知れません。
消費者が考案したハウスルールが公式に採用されたならその部分の権利は翻案者に属すのが妥当だと思ってます(せいぜい「○○氏によるヴァリアント」と付記される程度ですが…)。
しかるに、作者側に「ボドゲは作品である。作品は自分だけのもの。自分の名で改良する為にハウスルールは提案しないで」という意識が強いせいか「名前を出して非公式に紹介していい?」ですら難しいみたいです。
自分に正義があると自他に示したい人はしばしば煽動に乗って能動的に誰かを攻撃し、その攻撃が間違ってると判明したときには自分に責任がないと自他に示す為に能動的に煽動者を攻撃します。悲劇的なことに、これらの攻撃もまた煽動になりえます。
作品Aは100人が肯定的に50人が否定的に評価しました。作品Bは150人が肯定的に150人が否定的に評価しました。否定的な評価を投稿しない風潮においてはAよりもBの方が良い作品に見えるので、ますますAよりBの方がたくさん売れます。Aを淘汰させない為には否定的な評価の投稿も重要です。
最初にやることのひとつが辞書登録。
「自分は利己的だ」という人は、本当に利己的な人かもしれないし、智子的なふりをした利他的な人かもしれません。「自分は利他的だ」という人は、本当に利他的な人かもしれないし、利他的なふりをした利己的な人かもしれません。ただ、その比率は社会によって大きく異なるように思います。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者28人。『アクワイア』『宝石の煌き』『ザ・ゲーム』『ベリシ・ネベリシ』『ラブレター』『コリドール・キッズ』『ごいた』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。
これは自分を変えることのできないオッサンたちの話だ。堤は自分にあわせて仕事を変え、北川(父)は自分にあわせて堤を雇い続ける。映子は父との住み分けを選んだが、誰もが彼女の幸せを願ってる。
ゼロの父セブンの母の妹マリーの息子タロウの息子タイガということなので、ゼロとタイガは再従兄弟(はとこ)関係。
余談になりますが、ジャックがマリーの妹と結婚してるのは知ってたけどジャックにも息子(つまりセブンやタロウの従兄弟)がいることに衝撃。
プレイアビリティや可搬性や汚損予防などの為に、市販品のコンポーネントの一部を自作品や複製品や流用品に代えてプレイすることはよくあります。元の商品を所有していることが明らかであるならオープン会などでの代用も特に問題ないと思うんだ。
『うる星』『めぞん』は初見でも昭和の作品だと分かるだろうし、『らんま』『犬夜叉』『RINNE』も同様に平成の作品だと分かるでしょう。『MAO』が令和らしい作品となることを期待しています。
主人公らしき少年の装束から推測するに、江戸から明治あたりの日本がモデルとなる作品世界みたいです。コミカルな生物や不思議な能力が登場するコメディだと見受けました。もしかしたら『機動新選組 萌えよ剣』に近い世界観かもしれません。
才能と努力を真に備えた人は「努力は重要だが、他人と自分は必ずしも同じではない」と理解してるので、むやみに「努力すれば絶対に成功する」と言いません。つまり、むやみに「努力すれば絶対に成功する」と言う人のほとんどは、努力してたまたま成功した人なのだろうと思ってます。
アニメ『らんま1/2』放映開始からちょうど30年が経ちました。
平成の終わりをようやく実感しています。
諸星あたるの誕生日は4月13日です。しかし作中すべての異世界において4月13日であるとは限りません。たとえば4月20日という設定の世界もあります(例えばRMLの学生証の原画)。
令和の時代(2020年代)になっても1980年代の作品を愛好するというのは、昭和の終盤(1980年代)に1940年代の作品を愛好するようなものかもしれません。令和世代にとっては懐古ではなく古典になるでしょう。
今日はとても寒い日でした。内陸部では雪が積もってるとこもあるそうです。さて、自分の記憶にある最も美しい景色は、満開の桜に積もった雪を月が照らしているというものです。今夜は日本のどこかでそんな景色が見られるかも知れません。月齢5というのが惜しいですが。
季節限定のSAKURAジャムを仕入れにロミユニ@鎌倉まで。味はリンゴ系なので、ロシアンティのようにして食すのが良いと思います。
鎌倉の街はどこも外国からの観光客がたくさん来てました。日本を愉しんでもらえてるなら何よりです。
購入した製品に不良が発生したとき、企業Aは謝罪&交換してその製品の改良にリソースを投入しますが、企業Bは謝罪&再送するだけで次の世代の製品の開発にリソースを投入します。世代交代が早い安価な消費財においては企業Bの戦略の方がしばしば優れます。
企業B「その代わり評価5で宜しく」。
あらい「………」。
ざっと観てみましたが、キャラデザの作りこみが甘いことによる違和感がずっと残りました。それほど事情に詳しくありませんが、第1期の3Dモデルデータをヤオヨロズが製作委員会に提供しなかったこと(契約違反?)がヤオヨロズが切られた理由(監督降板は結果)だったのだろうと今でも思います。
ひこにゃん騒動のときも考えましたが、デザイナーやクリエイターを無条件に擁護する風潮には否定的です。スポンサー側は契約を明確にすべきだし、デザイナー側も風潮や慣習や弱者の立場を利用して故意に曖昧なままにすべきではありません。
相模原市内にありながら市民の9割以上が利用したことがないであろう中央本線藤野駅(2400人/日)で下車して何してたかというと、駅周辺を散策して二十数年ぶりに記憶を更新してました。地元の人たちにとってはどうということのない風景ですが、遠くの誰かにとってはここも観光地です。
令和(れいわ)の読みに思い浮かぶ言葉は「零和ゲーム」かな。零和ゲームとは、テラ銭のないギャンブルのように全員の損得の合計が常に0となるゲームをいいます。
「あたご」とは、昭和50年代に相模原市およびその周辺地域に限定された非常にローカルな遊びです。より正確にいうなら、なにして遊ぶかを決める為のメタ遊びです。
ルールは以下の通りです。一人が馬になり、その他が順に「あたご」「いちご」「えいご」「だんご」「さいご」のように言って馬を乗り越えます。先頭と馬がジャンケンし勝った人が「なにして遊ぶか」を決め、そのミニ遊びで負けた人が次の馬になります。
以下のミニ遊びの存在を確認しました。ケンケンパトロール・時計(いま何時?)・七五三・くさり(たけのこ)・はしご車・エイトマン・さしみ・ひよこ・豚の小間切れ・蜂・シルバー○○世紀・おじぞうさん・テレビ1週間・アヒルの1週間・お散歩・買い物・お水(お団子)・富士山・馬とび。
若い人は誰も覚えてない古い遊びです。
電磁気学を知らずば電子部品は作れません。しかし、電磁気学を知らずとも電子部品は使えますし、電子部品を知らずとも電気製品は使えます。同様に、機械語などの低水準言語を知らずとも高水準言語は使えますし、高水準言語を知らずともアプリは使えます。適切な多層化とはそういうことだと思います。
用事を早めに終えて武田神社に参拝してきました。
こないだから興味を抱いていた水琴をようやく生で聴けました。
個人的に「安」は望ましくないと考えます。「安物」という連想もありますが、それよりも「手書きだと安定感がない字形になりやすい」からです。
理性的な左派は感情的な左派を理性的に批判し、理性的な右派は感情的な右派を理性的に批判します。感情的な左派は理性的な右派を感情的に攻撃し、感情的な右派は理性的な左派を感情的に攻撃します。もっとも、理性的な人でもプロパガンダとしてわざとそうすることがありますが…
政治的な意見で「認められない」や「許されない」を使う人は少なくないけど、「誰が認めないのか?その理由は?」や「誰が許さないのか?その手段は?」までちゃんと考えて使ってる人は少ないと思うんだ。
古き友と会いました。だいたい二十年ぶりでしょうか。互いに齢は重ねてもまるで数日ぶりのように話せる関係はこれからも大事にしたいです。
再会した友人から別の友人の消息を得て更に再会する。リアルだけの人間関係では再会は難しいし、ネットだけの人間関係では相手の現アカウントが分からない。過渡期にあった私たちは、リアルとネットを併用できる幸せな世代なのかもしれません。
もともと21日(祝)に行く予定だったのですが、たまたま時間に余裕があったのでうる星やつらカフェ@池袋で食べてきました。予定になかったので、うちのコタツネコとの顔合わせはできませんでしたが、あと1回でメニューを全食できるはず。
関東で最も古い蕎麦屋さん(1782年〜)で黒切を頂いてきました。江戸時代から伝わる57種のレシピが書かれた巻物を特別に撮影させてもらいました。巻物に書かれてない口伝も解説して頂きました(この食材のこの部分だけを何センチとか)。面白い知識を得るのはとても愉しいです。感謝。
「子供を叱る」と「自分が怒る」を区別できない保護者も存在する以上、育児教育および虐待防止のシステムは必要です。単純な体罰禁止だけでは育児放棄という虐待(モンスター育成)を招きかねません。法改正は体罰防止ではなく虐待防止の観点でなされるべき。
もともと所有してますが、『ゴブレット・ゴブラーズ』が安かったので買ってみました。駒も枠もプラ製になってコストが抑えられてます。もともとは木製です。ゲーム会などへの持ち込みには軽い方が良いので、しばらく試してみるつもり。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者28人。私は『アクワイア』『ポイズン』『エスカレーション』『ロコ』『コリドール』『カッパドミノ』『41』『ごいた』『ブラフ』『LCR』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさま、おつかれさま&ありがとうございました。
日本で発明されたとされる袋入りインスタントラーメンも海外では日本と異なる進化を遂げます。『サリ麺(5袋パック)』というのを買ってみましたがスープが入ってません。調べてみると、あくまで鍋の具や替え玉という位置づけらしいです。うん、まぎらわしい。
「作品が好き」と「作品を愉しむのが好き」とは微妙に異なる概念だと思うんだ。
昔の『緑のたぬき』は確かに「たぬきそば」でしたが、今のは「てんぷらそば」だと思います。
「悪口や影口を叩かれてる(涙)」と子供が訴えたときに「そんなの聞き流せ。気にしなければいい」という大人は、もしかしたらその子供の訴えを聞き流して気にしてないのかも知れません。複数の大人に相談できる環境を用意しておくのが大人の責任だと思います。
もし『ガールズ&パンツァー(GIRLS und PANZER)』は英語とドイツ語を混用してるので望ましくないと批判するなら、日本語と英語を混用した数多のタイトルについても同様に批判すべきだと思うんだ。ともあれ、このタイトルでエロい妄想をするのはいかがなものかと。
うる星やつらカフェには「買い食い大戦争」ネタも採用してほしかったかな。タイヤキ(海老屋)とか、ラーメン(猫食堂)とか、おでん(コトブキ)とか、お好み焼き(じぱんぐ)とか…
路上に散乱した生ゴミを見るに、「イルカは頭が良いから保護すべきと主張する人たちは、カラスやゴブリンやヤプールについても同じように主張するのだろうか?」と考える。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者25人。私は『アクワイア』『マンハッタン』『ハゲタカの餌食』『マンマミーア』『テンガロン』『コリドール』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。みなさまありがとうございました。
勤務時間外の飲みニケーションが必要だというのは、勤務時間内の円滑なコミュニケーションを確立できてないことが原因だと思うんだ。ついでに言えば、飲食費補助と時給換算額を比べるのも忘れずに。
普天間飛行場の辺野古移転について「普天間周辺住民による住民投票」と「辺野古周辺住民による住民投票」と「沖縄県民による県民投票」と「日本国民による国民投票」は必ずしも一致しないと思うんだ。
首吊りパーカーとされたバーバリーが謝罪しましたが、そもそも世の中にはネクタイやループタイというものがあってですね…
土曜日にマボロシで食べるのは1年ぶりぐらい。整理券配布と聞いてたので9時20分に行ったら既に並んでました。10時過ぎに聞いたら「今日は整理券なし」とのことでそのまま11時まで並んでチキンカレー。なんとなく今日のはクローブが強かったけど美味しかったです。
昭和の時代には「趣味はレコード鑑賞。ほら、この黒い艶や溝の美しさときたら…」という冗談がありましたが、ピクチャーレコードは本当に壁掛けのインテリアになります。もう再生することもありませんし、いくつか試してみましょうか。
例えば幼児から老人まで居住する核シェルターや収容所や宇宙船の備品としてなら、囲碁・将棋・バックギャモン・麻雀・ドミノ牌・ポーカーセット・ストーリーキューブ・ジェンガ・クロキノール・D&Dあたりかな。
バンガードミッション定例会(第3日曜)の参加人数をまとめました。
今日はインバネスコートとウシャンカ帽と革トランクをあわせてました。秋葉原で3人から撮影していいですかと聞かれたけど、きっと何かのコスプレだと誤解してたに違いない。
夕方は純喫茶もぐら@秋葉原に顔出し。林原めぐみファンが二十数人ぐらい。旧友らと二十数年ぶりの邂逅。あいにく満席でドタバタしてたので旧友らとの積もった話は次の機会に。再会に感謝。
今日は、早乙女乱馬と天道あかねの結婚式をモチーフにしたイベント@東京文具共和会館に参列してきました。ざっと百人ぐらい。とても甘い雰囲気でしたが、フォロワーさんらとも会えたし、オッサンたちで雑談できたし、ファンの現状なども把握できて、楽しかったです。
ざっと見るに1人客の割合が高めでした。プレゼント抽選まで休憩コーナーで読書してる人が多かったように思います。同性だったら声をかけて作品やキャラを語りあってたのですが…。ほら、こういうイベントってナンパ禁止ですし(ナンパか?
雑談1。キャラ愛とカップル愛の相違について話したのでいつか文章にまとめます。雑談2。私が認定するところの現在の日本一の日のり子ファンに当時の日本一の日のり子ファンを紹介したけど、この人たち同じ色のオーラだよ(ぼそっ
天道あかねは自分の強さと優しさをストレートにぶつけられる人を好きになりたかったのだと思います(それを見極める為の乱暴者)。早乙女乱馬は自分の強さをぶつけても大丈夫だし、らんまは妹のように優しくできる対象です。乱馬より強いだけではダメなのですよ、きっと。
ボードゲーム『象棋(xiangqi,シャンチー,中国象棋)』はチェスや将棋の仲間です。プレイ人口は全世界で5億人ほどですが日本ではせいぜい20万人ほどです(しかも中国やベトナムの人が多い)。ルールは簡単ですが、定跡を覚えるのは大変です。ゆえに、ヘボ同士でなら楽しめると思ってます。
カツカレーで有名なアサノ@町田に並んできました。とても美味しい「普通のカツカレー」だと思います。スパイシーなルゥはやや酸味が感じられます。さらっとしたルゥと揚げたてトンカツと固めのご飯のバランスも良いです。トンカツ屋さんのカツカレーには及びませんが、カレー屋さんのカツカレーとしてはかなりクオリティが高いと思います。
愛の表現は必ずしも性的なものに限りませんが、非エロな原作を補完しあるいは発展させる二次創作においてはその比率が高いと言えます。「関係者以外の男性に自分が書いたエロを見られたくない」という女性も少なくないので、今でも自分からは手に取らないようにしています。
大丈夫という女性もいますが、こういうのは微妙に尋ねにくいのです。
今日は地元でボドゲ会を主催。参加者22人。『アクワイア』『テキサスホールデム』『宝石の煌き』『ファヴェーラ』『赤箱ニムト』『8ビットモックアップ』『ザ・ゲーム』『海底探検』『もっとホイップを』『$GREED』『カンビオ(クク)』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。最初からストフラは幸先が宜し。
るーみっくの二次創作において女性キャラが報われるカップリングが多いのは、二次創作者に女性が多いからだと思います。もっとも、るーみっくの男性キャラは概して押しに弱い(というか優柔不断)というのも大きな理由ですが…
他人を公然と侮辱し「事実を言って何が悪い?」と本気で主張する人が「それが事実であることとそれを言うこととを区別できないのは愚か」と公然と侮辱されたとして、その人はどのような反論をするものやら。そういうことだと思うんだ。
末っ子である天道あかねが意外なほどらんま(♀)の面倒をよく見るのは、彼女が姉(天道かすみ)のようになりたかったから…つまり彼女は妹(面倒を見る対象)が欲しかったからだと思ってます。
オススメされた『ゴブリンスレイヤー』を視聴。終盤は王道。彼らの繁殖について想像の範囲。DMのひとりとして言うなら「リセットできない世界においては、敗北して奪われた女性や装備や所持金が敵の戦力になることを忘れずに。世間の女性PC率は高すぎ」です。
あくまで仮説ですが、彼らの妊娠期間はせいぜい2〜3ヶ月ぐらいで、しかも数百gぐらいの多胎で生まれるのではなかろうか。さらに関係ない仮説ですが、ゴブリンのデザインはグレイ(宇宙人)が元なのではないだろうか。
ハンドメイドのチョウジゼリーを頂きました。丁子(クローブ)の甘い香りが特徴的です。聞くところによれば、かつて首里城(スイグスク)では王に謁見するときに丁子を口に含んでその香りを漂わせたそうです。今でいうアロマですね。
今日は特大コタツネコぬいぐるみを連れて「うる星やつらカフェ@池袋」にお邪魔してきました。食事や撮影や買い物など受動的な愉しみだけでなく、こういう能動的な愉しみも好きなのです。
食べたのは、パスタとパンケーキとスムージー。
帰り際に「かわいー」と言われましたが、袋に入れる前に声かけてくれれば抱っこするなり撮影するなり喜んで貸し出したのですが。
併設のショップでお買い物もしました。 前回は時間が無かったですが、今回はゆっくり物色できました。自分が把握しきれてないグッズがあるのは喜ばしいことだと思います。
今回はもうひとつ目的があって、この特大コタツネコぬいぐるみを電車内などで見た人たちの反応を観察してました。予想通りに、幼児世代だけでなくおっさん世代も反応してました。きっとかつての同志なのでしょう。
『らんま1/2』の同人二次創作における「ら乱」や「乱ら」はとても希少です。これが対戦格闘ゲームなら当たり前のようにありえます。同キャラ対決をタブーとするか否かは世界観についての宗教的な問題なのだろうと思います。
正式名とは別に架空の人名で呼ばれるようになったものはけっこうあります(特に隠語で多いです)。フェザーストールが「殺生丸」として定着したら面白いと思ってます。
『らんま1/2』カフェ@池袋の初日に並んできました。
実を言うと、最終日まで期間があるのでカフェそのものはいつでも行けますし、初日だからといって特にゲストが来るわけでもありませんし、旧世代の感覚でいえばメニューは面白いもののグッズは特に「これは!」というものもありません(うっちゃんのヘラやジュエルにちょっと興味が惹かれたぐらいかな)。
それでも、初日に並ぶ理由はあります。もちろんかつてのKACイベンターとしての性(さが)もありますが、それよりも「なんでこんなに人気があるのか?どんな人たちが並んでいるのか?」をこの目で確かめたかったのです。
そんなわけで、カフェやグッズのレポートは同好の有志らに任せ、参加者についてちょっとまとめてみました。
先頭は朝4時頃から並んでいたそうです。朝6時には20人ほど。8時には100人を超え、9時の段階で「カフェ整理券の列」と「グッズ購入のみの列」に整理されました。予想以上にグッズ列の比率が高かったのが印象的でした。整理券をもらった人たちもほとんどそのままグッズ列の最後尾に並んでます。開店時刻の段階でグッズ列はざっと500人ぐらいでしょうか(グッズ列が解消されたのは16時過ぎ)。
撮影した画像から計測するに、男女比は2対8ぐらいで、10代はほとんどおらず、20代は男女まじり、30代は女性が多いです(基本的にグッズイベントなので10代が少ないのは当然か…)。いずれにせよ、あきらかに『らんま』連載&本放送の世代ではありません。
何人かに聞いてみたところ、やはり「再放送でファンになった。その頃にはもうグッズもイベントもなかった。だからこういうのが楽しみ」という意見が主流でした。そして彼ら自身も意識していないようですが、彼らは「かつて作品が大流行した当時のもの」よりも「自分がファンである現在のもの」を強く望んでいます。旧世代のファンとしては、寂しくもあり嬉しくもあり。
第三者に「もっと良い解決方法があるはず」と言われる問題のほとんどは、当事者を含めて誰もその方法を提示できません。そもそも、そんな方法がずっと見つからなかったがゆえに第三者がそう言うのです。
うる星やつらカフェ@池袋の初日にお邪魔してきました。
今回は「11日(金)13時の打ち合わせまでに戻ってくる」から始まりました。初日に並ぶからにはショップだけではなくカフェにも入りたいです。計算上は10時に入店すれば、つまり最初の客になれば間に合います。イベンターの発想を舐めるな。
朝6時には誰もいなかったのでとりあえず飲食店に退避。列が形を為し始めたのは8時頃。まだ寒いので、本当に寒いので体を動かしつつ並んでました、先頭に。
最初のお客さんとしての特権で、次のお客さんが入るまでの1〜2分ほど店内をフリー撮影できます。
注文したのは「おぼろ月夜のキツネのつくし鍋」と「ラムのウメボシ・カクテル」です。つくし鍋はこの見た目でスープカレー。しかも辛いです。梅干カクテルはマルガリータではありません。でも、うる星ファンはアルコールなしで酔えます。
そろそろタイムリミット。ランチョンマットとコースター(テン)を隣のグループに差し上げました。「連載当時からファンやってます。若いファンがたくさんいて嬉し「あらいさんTwitter見てます」」。このときの私の気持ちを140文字以内で答えよ。
模範解答「分かってたならもっと早く声を掛けれ。私にうる星を語らせろ」。ですが、相手はきれいな女性と一緒だったので挨拶だけで切り上げました。後にして思えばその女性らも相互フォロワーさんだったのでは…
時間がないので、ショップで限定品っぽいものだけ漁ってたらマイミクさんに声を掛けられました。もっと早く来てくれれば一緒に食事できたのに…
買い込んだグッズの中ではこのキャンパスアートが特にお気に入りです。私のイメージカラーをバーニングダークオレンジと決めたきっかけの絵です。部屋に1枚だけセル画など飾ってますがローテーションに加えます。
ネオン管?、飾る場所あれば。
12時55分。メロスは間に合いました。走りませんでしたが。
うる星やつらカフェは3月末まで開催されてるので、あと数回ほどお邪魔するつもりです。
今日は地元でボードゲーム会を主催。参加者22人。私は『アクワイア(新・旧)』『もっとホイップを』『コヨーテ』『ブラフ』『ラスカ(ドラフツ)』『カンビオ(クク)』『ごいた』『ピッグ』『シャット・ザ・ボックス』など遊びました。今年も宜しくです。
慣用句「普通に美味しい」は「記憶に残るような特別なものはないけど、食品としては美味しい」ぐらいに解釈するのが適切だと思うんだ。
新たに販売される『うる星やつら』キャラグッズについて、往年のファンもターゲットにするなら、後期あるいは昨今の絵柄のものだけではなく初期や中期の絵柄のものも出すべきだと思ってます。私が望むのは、美しいものではなく熱いものなのです。
平成31年。新たな元号を迎える年になりました。
歴史を眺めるに、ホモ・サピエンスの数百万年の歴史の中で直近の数千年が最も変化の激しい数千年で、その数千年の中で直近の数百年が最も変化の激しい数百年でした。もっとも、その数百年の中で直近の数十年が必ずしも最も変化の激しい数十年だったかどうかは良くわかりませんが。
この日本文化圏におけるここ数百年の歴史は、明治維新と第二次世界大戦を区切りとした3期に区分するのが適切だと思ってます。ここでは便宜的に、江戸時代・東京時代前期(明治・大正・昭和前期)・東京時代後期(昭和後期・平成・それ以降)と呼びましょうか。
昭和から平成に変わったあたりでパラダイムシフトが発生したように思います。バブルが崩壊して経済感覚が変化し、ネットとケータイが普及してライフスタイルが一挙に多様化しました。昭和後期は「変化と成長」の時代であり、平成は「進化と成熟」の時代でした。喩えるなら、道路を敷設したのが昭和後期で、その道路を舗装したのが平成です。
パラダイムシフトにおいては多くの価値観や文化が断絶します。何を残し何を諦めるのか判断し次世代の為の道標を示すのが、私たち現世代の責任というものです。もちろん、どちらに向かうかを決めるのは次世代の自由ですが。
ともあれ現時点での東京時代後期は、国家の消滅や分割などのない幸せな時代でした。この社会をいくらかマシにして次の世代に渡したいと思ってます。
今年も宜しくお願いいたします。