2014年のログです。
コンパクトPC(ネット閲覧用)の冷却ファンが先月からときおり異音を奏でています。数日前になってふとモニターするにCPU周辺が75℃近くまで上がってました。ファンを停止させてみるとあっさり100℃を超えました。さて、どうしましょ?
修理に出すとけっこう費用が掛かります。自分でパーツ交換するのは簡単ですが専用パーツの入手が面倒です。筐体を開けてUSB扇風機で冷却すると45℃ぐらいで安定しますが、コンパクトPCの存在意義は損なわれます。そもそも「壊れるまで使い潰そう」という数万円の格安PCです。10000時間以上稼働したはずなのでもう十分でしょう。数十秒ほど悩んだ末に買い替えることにしました。
ぶっちゃけ、昨今のデスクトップなら最安機の性能でも十分です。ヘビーなネトゲはやらないので描画能力も低くて構いません。強いて言えば、筐体サイズが小さくて程々にメモリがあれば十分です。
…そんなわけで、デスクトップ『P30AD-JP004S』(幅92mm/奥326mm/16GB)が届きました。付属のキーボードやマウスは不要なので年明けにでも処分します。とりあえずリカバリーディスクを作成して不要ソフトをアンインストールしてネットに接続してアップデートを掛けてオフィスやエディターなどインストールして旧PCデータをインポートします。こうして忙しい年末が更に忙しくなります。
ついでに頼まれものの『VivoTab 8(M81C-WH32)』も一緒に届きました。正月に渡すので、こちらも数日以内に設定などしなければなりません。こうして忙しい年始が更に忙しくなります。
日誌で確認するに、私はメインPC(開発用)もサブPC(ネット用)もモバイルPCもサーバーもほぼ3〜4年毎に買い換えているみたいです。今までに食べたパンの枚数など憶えておりません。
なんだかんだと用事が立て込んだ師走でした。
それでもちゃんと遊べているから良しとすべきや?
ざっと数えてみたところ、プレイ済65と所有35でちょうど100になりました。リストを眺めるに、新作はあまり遊んでいないですね。
マンカラ(Mancala)は、アフリカや中近東や東南アジアで古くから遊ばれている伝統ゲームです。トランプのように様々な遊び方があります。ただし日本では基本ルールと『オワリ』『カラハ』ぐらいしか知られてません。いずれも幼稚園児から老人まで一緒に愉しめます。自作するのも非常に簡単です(そもそも数千年前に市販されてるわけないし)。どっちかと言うとゲーマーでない一般人に紹介したい遊びです。
1990年前後に高橋留美子系イベントや声優系イベントの徹夜組を仕切ってたことがあります。その頃の経験から言えば、徹夜並びを禁止したところで徹夜組の大多数は会場近隣で早朝まで待つだけです。そして、イベント存続の為に重要なことは「禁止したと主張して責任を免れること」ではなく「トラブルを予防すること」です。よって、単純に徹夜を禁止したり罰則を設けるのではなく主催者側でしっかり徹夜組を管理するのがより効果的だと思います。
コミケットの場合は「十分な収容能力のある行列専用館を用意」と「入場整理チケット(入場整理券)を事前販売」とすれば、徹夜組も手間も増えますがトラブルは減るはずです。…とコミケスタッフやってた二十数年前に提案した覚えがあります。
現在なら、チケット転売を抑制する為に入札額順に整理券を販売するなどの対策も必要でしょう。昼間の行列専用館はコスプレ広場として使えばいいと思います。もっとも、もはや他に会場選択肢のない現在ではなかなか難しいでしょうが(苦笑)
細切れ時間が増えたので、先月にサービス開始したばかりのブラウザゲーム『御城プロジェクト』を始めてみました。空いた時間にちょこちょこプレイしています(こういうのに課金するつもりはまったくないけどね)。もともと日本の城はそこそこ分かることもあってなかなか愉しめてます。
個人的な要望としては、ランダムに所領から選択される「防衛戦」やランダムに敵が選択される「遭遇戦」のようなものがあるともっと楽しいと思います。ロストのリスクがほとんどないゲームはあまりに「ぬるい」からです。 < そもそもゲームなんだからロストしたっていいじゃん? < 『Wizardly』世代を舐めるな(笑)
もっとも、いつまでも遊んではいられないのでとりあえず実装されている「5-10」までプレイするつもりです。もし流行るようなら続けるかも知れません。
『艦隊これくしょん』(DMM)も同様ですが、このような擬人化に私は概して肯定的です。少なくとも「敬意を払って遠ざける」よりも「名前と種類ぐらいは知っている」の方がずっと良いと思ってます。地元の城跡を訪ねる理由にもなります。
せっかくなので近いうちに小田原城に登ってこようと思います。なお、ゾウさん(not象鼻形兜)はもういません。
amazonで予約してた『トランプゲーム大全』が届きました。約250種類のトランプゲームが掲載されている書籍です。ゲームリストを眺めて私が分かるのは2割ぐらいでした。ヒマを作りながら少しずつ読んでいこうと思います(…と思った30分後に『みんなのインスト』2冊も届きました。こうして読むモノがスタックに積まれていきます)。
ところで、トランプゲームで気になってたのが『ベリシ・ネベリシ(Verish' Ne-Verish')』における「次の手番は、チャレンジに負けた次の人か?次の手番の人か?チャレンジに勝った人か?」です。同書ではやはり「次の手番の人」でした。このルールだと、嘘を見破っていても敢えて黙認してもいいのでパーティ向けになります。
いわゆる有事立法の議論においては「武力を用いることができる条件」だけでなく「武力を用いらねばならない条件」も考えるべきだと思います。
地域における投票(あるいはアンケート)では反対多数であっても全体における投票では賛成多数になることもしばしばです。例えば基地問題や処理施設問題などが典型でしょう。投票結果を評価するときはどのような母集団であるかもしっかり確認する必要があります。
身元不明の認知症老人は施設で保護されます。そして、とても悲劇的な話ですが、介護余力不足あるいは経済的理由で名乗りでない親族も相当にいるだろうと推測してます。もしボケる前に当人が望むのであれば生体情報登録やICチップ埋込などが可能となるように法を整備するのがいいと思ってます。
かつてHTMLがテキストエディタで直打ちされてた時代がありました。当時のWWWサイトの表示が激烈に速いのは、もともとデータ量が少ないだけでなく余計なことをやってないからです。決して、謎のテクノロジーがあったわけではありません。
少額ですがタンス預金は500円玉で貯めてます。紙幣と比べると確かに体積を食いますが、硬貨なので火災や水害に耐えますし、かなり重量があるので盗難や廃棄のリスクも低いです。そしてもちろん紙幣と同様にインフレに弱いです。
以前にも書いたと思いますが、人間は僅か1割の気温変動にも耐えられません。例えば気温26.5℃から1割減ればマイナス3.5℃になりますし1割増えれば56.5℃になります。はい、絶対温度で考えてます。
何かの予算が1割増減するというのも意外なほど影響を及ぼします。例えば予算1000万円(固定費800万円と非固定費200万円とする)が1割増減すると、非固定費は300万円あるいは100万円になります。なんと3倍の違いです。
高校生に説明するときは「毎月のお小遣いから定額のケータイ代を差し引いた金額でやりくりする」で説明すると分かりやすいみたいです。
寒くなってきました。そろそろ冬の到来です。この秋にショートトレンチを新調したばかりなのですが、早くもクローゼットに納めることになりそうです。大丈夫、きっと春はすぐ来ます。
3人以上のゲームにおいては上級者といえども複数の初級者たちを相手に必ず勝利できるとは限りません。なぜならば、いずれかの初級者が故意または過失で“当人も有利になるが他の初級者のいずれかがものすごく有利になるような選択”を採ってしまう可能性があるからです。
この現象は、運の要素が低くかつ他者に対する正の相互作用性が強いシステムでしばしば見られます。つまり、運の要素が大きいシステムではこの現象に気がつきにくく、負の相互作用性(要するに個人攻撃)が強いシステムでは現状で最も有利なプレイヤーが狙われやすいのでこの現象は発生しにくいということです。
この現象を「ゲームを壊す(自分が最善を尽くそうが尽くすまいが勝敗にあまり影響しなくなる)」として初級者とのプレイを忌避するゲーマーもいるようです。しかし、私は異なる考え方を持ってます。なぜならば、自分が最上級者でない場合は「自分よりも熟練した相手に勝つ為には、ゲームを壊れやすい状況にして誰かに自分を支援させる」が有効だし、自分が最上級者である場合は「ゲームを壊れにくい状況に持ち込む」が有効だからです。いずれも考え甲斐があって愉しいです。
大事なのはトラブルを予防し解決すること。トラブルをしっかり把握した上で、当人同士が解決できないなら担任や学校が適切に介入すべきだし、担任や学校が解決できなければ保護者や行政が適切に介入すべきです。
初心者と初級者と中級者と上級者の違いについてはおおよそ以下のように考えてます。
初心者とはルールを理解した状態です。「何をやっていいのか?」は理解できますが、必ずしも「(目標達成確率を上げる為に)何をすべきか?」までは理解できてません。明らかにマイナスになるような選択をしてしまうこともあります。
初級者とはプレイを理解した状態です。「何をすべきか?」は理解できますが、必ずしも「どれを選ぶか?」を適切に比較できません。明示的にマイナスになるような選択はしませんが、結果的にマイナスになるような選択をしてしまうこともしばしばです。
中級者とはプレイ方針を自分で決めることができる状態です。複数の選択肢の中から「どれを選ぶか?」は比較できますが、必ずしも最適解である「どれを選ぶべきか?」を算出できるとは限りません。例えばハイリスクハイリターンな選択肢とローリスクローリターンな選択肢とのジレンマにおいて最善を選択できるとは限りません。
上級者とは自分で定跡を編み出すことができる状態です。ジレンマ状態においても「(目標達成確率を最も上げる為に)どれを選ぶべきか?」を算出できます。
この考え方は別にボードゲームやスポーツの種目に限りません。
ある作品の観賞であれば、その作品名やジャンルを知っている状態が初心者であり、あらすじやテーマを理解した状態が初級者であり、主なシーンや見所を説明できる状態が中級者であり、説得力のあるレビューや解説を書ける状態が上級者だと言えましょう。
ある料理の調理であれば、その名称やジャンルを知っている状態が初心者であり、おおよその作り方を理解した状態が初級者であり、良質なアレンジができる状態が中級者であり、至高のアレンジができる状態が上級者だと言えましょう。
衣服の着こなしであれば、衣服を着ることができる状態が初心者であり、基本的なコーディネートができる状態が初級者であり、自分なりにアレンジして着こなせる状態が中級者であり、自他共に認めるスタイルを確立した状態が上級者だと言えましょう。
どんな趣味であれ、何かを始めるなら上級者の域を目指したいものです。そして何を始めるかを決める為には、あらゆるジャンルの初心者になるのがいいと思います。興味を持ってないジャンルにときどき目を向けるのがいいと思います。
相模原市に住んでます。ちょうと60年前の1954年11月20日に相模原町が相模原市になりました。そのときの人口は80374人だったそうです。それが今では72万人の政令指定都市。たまに郷土史を眺めるのも楽しいです。
原作は週刊誌連載中ですが、昨今のアニメ事情を考えるにアニメ化されるのは序盤だけだろうと思います。願わくば2年以上の長期放映を。
ゲームとは作為または無作為な選択によって勝敗を決する為のルールおよびその用具の総称です(この意味ではスポーツのほとんどもゲームに含まれます)。ゲームには数多くの種目があり、それらは競技や娯楽や暇潰や交流や勧誘や観賞や蒐集や占卜や賭博や商売や公演や催事や教育や研究など様々な目的に使用されます。
ルールや用具や面白さの説明はインストラクトあるいは略してインストと呼ばれます。インストにおいては「どのようなルールであるかを理解してもらうこと」だけではなく「どのようにしたら勝てそうかを自分で考えられるようになってもらうこと」が重要です。
ルールブックを読み上げることは必ずしも良いインストではありません。なぜならば、そのようなインストは参加者に過大な負荷(記憶力や理解力や集中力や時間や手間など)を要求してしまい、結果的に理解してもらえないからです。教科書を読み上げるだけの授業がどれほど非効率的であったかはみなさんもご存じのことでしょう。そんなのは教える側の自己満足あるいは責任逃れです。一般的に言えば、参加者に要求する負荷が少ないインストこそ良いインストだと思います。
もっとも、プレイ目的やプレイ環境に応じて重視するポイントは異なります。レアケースや個別処理を省いて短時間で簡潔にインストした方が良い場合もありますし、プレイ中のルール確認の手間を予防する為に冗長であってもルールを完全にインストした方が良い場合もあります。さらに、そのゲームの作者や歴史や入手先などのメタ情報まで説明した方が良い場合まであります。
プレイ目的によって望ましいインストの形は異なります。傾向としては、その目的を達成するのにゲームが必須であるか否かで大別できます。主なケースを列挙してみます。
プレイ環境によっても望ましいインストの形は変わります。特に大きな要素が「インストを受ける人がボードゲーマーであるか否か?」です。
参加者がゲーマーばかりなら、システムや用語の説明に時間を取られることもほとんどありません。もしプレイ経験者ばかりだったなら、エラッタを確認するぐらいでインスト完了です。インストされることにも慣れているので、下手なインストでもなんとかなります。
逆に参加者がゲーマーでないなら、ゲーマーにとって自明であることもちゃんと解説しなければなりません。従って、参加者の負荷は予想以上のものになります。下手すると「こんなに憶えたくない。カラオケ行くか前に遊んだゲームで遊ぼうよ」となります(きっと彼らは何十種類もの作品を観賞したいなんて思ってないでしょう)。参加者の状態に気を遣うこともインストの一部です。
交流や娯楽が目的なら必ずしもボードゲームを用いなければならないわけではありません。ときどき相手の趣味にも付き合うのが良い人間関係を維持する上で有効だと思います。良い人間関係を維持できていれば結果的にボードゲームを用いてもらえる機会も増えるでしょう。それに、相手の趣味をインストしてもらうのもきっと良い経験になります。
この文書が何かのヒントになれば幸いです。
今日はゲームマーケット2014秋には参加せず地元の市民会館でボードゲームサークル「バンガードミッション」の定例会を催してました。
ぶっちゃけて言うと、私は「私にとってのボードゲームは作品というよりもむしろ道具である」と考えている少数派なので、昨今の作品性重視のゲームマーケットにはあまり興味がないのです。それでも、いくつか興味を引かれる作品はあります。その一つが、さまざまな立場の19人が“インスト”について著した『みんなのインスト』(しろう編/ペンタメローネ)という小冊子です。
確か今年の6月頃でしたが、ハニーさんの紹介を頂いて私も拙文を寄稿することになりました。しろうさん(企画/編集)によれば、インストの技術論を書くと他のみなさまと内容が重複してしまうので、できるだけ独自のものを書いて欲しいとのこと。そこでゲーマーでない人たちにインストするケースを想定し「プレイ目的に応じたインスト」をテーマに書いてみました(というか昔に書いたものを焼き直してみました)。たぶん他のみなさまとは2歩ぐらい離れた立場の意見になっているだろうと思います。< なんせまだ本が届いてませんので(苦笑)
友人らのつぶやきを見るに、「仕事と家庭、どっちが大事なの?」が今日のトレンドらしいです。
この感情的な問い掛けに対してどのように答えるかあるいはどのように応えるかはとても難しい問題です。夫婦いずれも頭では理解できてるだけに、夫は論理的に説明するだけでなく妻を感情的に納得させなければなりません。
そのコツは「仕事」という単語を用いずに回答することだと思います。例えば「もちろん家庭を守る為に働いている。君も家事などで家庭の今日を守ってくれている。そのことに感謝している。だから僕は家庭の明日を守りたい。愛してるよ」のような回答がそこそこ効果的だと思います。
世の中には、論理的に正しいだけでは十分でないことも多いのです。
「弁当か給食か?」問題は「私服か制服か?」問題と同じ構造を持ちます。キャラ弁を制限するなら華美な私服や高級鞄やキャラ文具なども制限すべき。個人的には、社会生活を学ぶ場として給食&制服&指定鞄が望ましいと考えます。
キャラ弁を作っている保護者のどれだけが「自分の子供しか見る人がいない状況(家族旅行など)でもキャラ弁を作るか?」に興味あります。もしや保護者も子供も「キャラ弁を他人に見せつけること」が目的になっていないか…と少し心配です。
子供にとっては「幼稚園に指定された制服や給食」も「保護者に指定された私服や弁当」も五十歩百歩かと。保護者の自由と子供の自由は明確に区別して考えるのが適切だと思います。
もし保護者ではなく子供の自由を尊重するならば、適切に食事や服装を選択できるだけの知識と自制が子供に必要です(そして他者の相違を容認&受忍できるだけのメンタルも)。それらをまだ身につけてない子供の自由を教条的に尊重すべきでないと考えてます。
子供の自由と保護者の自由とを混同しないで考えるのが大事だと思います。
透明なビニール傘は見通しが良くて便利なのですが、値段相応にチープな造りです。値段は高くてもいいので丈夫で長く使える透明傘が欲しいです。さすがに16本骨でオーダーするつもりはないけど(笑)
「著作権法ではどうなっているか?」と「どのような著作権法にするか?」は別の話。社会が著作権を保護するのはそれが公益に適うからです。社会の変化に応じて適切に著作権法を改正していく必要があると思います。
空から女の子が落ちてくる話はよく聞きますが、今日は駐車場から車が落ちてきました。乗ってた人たちは軽傷。アクセルとブレーキを踏み間違えたそうです。みなさまも踏み間違いにはお気をつけください。
手早く勝者を決める「ゲーマーじゃんけん」を紹介します。グー2人とチョキ3人とパー2人なら、まず「少ないもの勝ち」でグーとパーが残り、更にグーとパーの通常勝負でパー2人が勝ちとします。
感謝や尊敬の為でも優しい自分に酔う為でもない。困っている人が助かるならそれでいい。拒絶されても構わない。異性であろうと同性であろうと自分のできることをやればいい。
このつぶやきだって、感謝や尊敬の為でも優しい自分に酔う為でもなく、これを読んでくれた誰かが困っている誰かを助けるきっかけになって欲しいからです。
初めて利用するパスタ屋ではたいていカルボナーラを注文します。別にカルボナーラでなくてもいいのですが、特定のメニューを食べ比べることでその店のパスタを評価できます。
連休も無事に終わり、明日からまた日常に戻ります。
前日の渋谷ハロウィンでけっこう疲れてたので、午前中はベッドでヌクヌクしてました。早朝の渋谷の街がゴミだらけだという記事を読みましたが、夜桜にせよ花火にせよ混雑した夜間イベントで清掃前ならいずれもあんなもんだと思います。別にコスプレイヤーであるか否かに関係ない話なんだけど、コミケ系のコスプレイヤーたちが「私たちと一緒にしないで」と表明してたのが興味深いです。そもそも同一人種だと見なしている人はほとんどいないと思います。< 私が渋谷ハロウィンに参加してるのは新しい「文化」を伝聞ではなく自分の目で見て判断したいからだよ?
昼は相模原駅前の補給廠で開催されている「潤水都市さがみはらフェスタ」にお邪魔してきました。昨年は台風で中止だったので2年振りです。内容は展示やステージや屋台などいつもの通り。雨のせいかちょっと寂しい風景でした。今年も足元が泥濘状態です。こんなとこは潤水都市でなくてもいいと思います。地元のラーメン屋さんが十数店舗ほど屋台で出ているので、比較しながら食べました。どこに投票したかは秘密ということで(たぶんここを読んでるはず?)。今月末にJAXAの「はやぶさ2」が打ち上げられますがその資料館がなかなか興味深かったです。地球に無事に戻ってくることを祈ってます。
帰宅してからプログラムをちまちまと。
日曜はボードゲームサークル「バンガードミッション」のゲーム会。いちおう主催者なので部屋の鍵開けなどしなければなりません。軽くカードゲームなどで遊びました。
昼前に相模原駅に戻って「さがみはらフェスタ」に再び参加。昨日と違ってなかなかの盛況です。つぶやきにも書きましたが、宇宙人がたくさん来てました。ライトセーバーがちょっと役立ちました。イワナの塩焼きが美味しかったです。自宅のガスグリルではこのように焼けません。地元ローカルヒーローたちを見て「私もなにかやろうかなー」とちょっと検討してしまいました。
そして再びボードゲーム会に戻ります。24日(祝)にアクワイア大会があるので稻妻ツモの練習など。今日の参加者は22人ほどでした。けっこう古くからあるサークルなので、ここ近隣の中ではもっとも平均年齢が高いみたいです。いつもありがとうございます。
ちょっと早めに撤収して地元の公園で汗を流してから帰宅。
文化の日です。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」という趣旨のはずですが、他の祝日とあまり差別化できてないように思います。
午前中は本棚の整理。もちろん『らんま1/2』を読みふけってました。メインキャラの中では天道あかねが好きです。
昼食はケンタッキーの「カーネルクラシックサンド」。そのまま友人家族らのとこに顔を出して、お土産を押しつけます。
夕方は部屋の整理など。服やゲームなどいくつか処分しました。できるだけ増やさないようにしているのですが、もともと多いこともあってこうしてときどき処分しています。
鳩サブレの在庫なくなったので、適当なお菓子を物色中。
超激辛料理を平気で食べる人たちがいます。これを「慣れ」という人も居ますが、生物的には辛みを感じる味蕾がほぼ再生不能になった状態らしいです。味覚の目的の一つが身体に有害な物質をできるだけ摂取しないようにすることですので、一般的な辛さが検知できなくなるような「慣れ」はあまり望ましいことではありません。< もっとも、市販されている激辛食品はそれなりに安全性が保証されてるので、辛みを感じなくても日常生活に悪影響はほぼありませんが。
いくつかの感覚はゴム紐のようなものだと思ってます。伸びきって鈍くなってしまったら、まったく引っ張ってない状態でもゆるゆるに弛んでしまいます。そして、それを復調させるにはとても時間が掛かります。
あくまで想像ですが、ある種のドラッグによる快楽もこのような弛みを発生させます。一時的な超快楽を得る代償としてやがて日常的な小さな快楽を感じることができなくなってしまいます。すると、日常的な小さな苦痛ばかりを感じることになり、その禁断症状から逃げる為にまたドラッグに手を出す悪循環を引き起こしかねません。逆に考えれば、一時的な超苦痛を得る代償としてやがて日常的な小さな苦痛を感じることができなくなってしまうかも知れません。きっと「足るを知る」や「良かった探し」や「脳内お花畑」や「洗脳状態」というのはその一例だろうと思います。
幸福感の調整は生きていく上でとても重要なことだと思います。理屈の上では快楽や苦痛を適切に認識できる状態を保つのが望ましいのでしょうが、日常生活では小さな苦痛をあまり感じない程度に調整しておくのがもっとも幸せを得られるだろうと思います。
日常生活において幸せになる為には、幸福感の調整だけでなく、実際に「小さな快楽」を得ることが必要です。経験則でいえば、小さな親切や感謝の言葉や家族の笑顔は小さいながらもノーリスクかつローコスト(低費用・短時間・片手間)で得られる「小さな快楽」だと思います。他人と関わりなく得られる快楽の中では「あ、これ美味しい♪(特に調味料)」が特にコスパに優れてるでしょう。だから、ときどき美味しいモノを選んでます。ええ、ときどきでいいのです。舌が肥えすぎてそこそこの高級品でさえ不味く感じるようになってはちょっと悲しいです。
すっかりコスプレイベントとして日本に定着しつつあるハロウィンです。由来を尊重した上で(そして周囲に大きな迷惑を掛けない範囲で)独自解釈を楽しむのは構わないと思います。
渋谷にて、ライトセーバー装備でトリック・オア・トリートしてたら、某テレビ局の取材を5分ほど受けました。明日が怖い(汗(
今日は学生時代の友人たち6人で遊んでました。月1回ですが定期的に集まってます(いつもは第4土曜)。こういう友人関係はずっと大切にしたいです。
騒音などの訴訟が増加した原因の一つは、ネット社会のプライバシー意識をリアル地域社会にもちこんだことによる「地域みんなでで子供たちを育てる意識」の喪失だと思います。プライバシー意識は過剰であってはならず現実的なレベルとするのが望ましいです。
傘が要らない程度の雨。豚骨醤油ラーメンを食べてから友人宅へ。『クーハンデル』に誘われたのでゲーマーの本気を見せて7640点。ごめんなさい&おつかれさまでした(笑)。そんな今日この頃です。
今日は橋本でボドゲ会。29人。『Acquire』『Die Siedler von Catan』『King of NewYork』『Pandemic』『Che Deng』『BackGammon』『Nabe-Bugyo』『En Garde』『RollerCoaster』『Shut the Box』など。(
子供の頃に好きだったお菓子はたいてい大人になっても好きなお菓子です。私を釣るには「ありあけ」「豊島屋」「精養軒」「手作り」が特に有効です。
夜中の雨風がすごかったです。 今はもう台風一過。よく晴れてます。 今日もよい一日を。(
1人で相模ねぶたカーニバルなう。東北から移住してきた人たちが20年ぐらい前に始めたイベントです。こういうローカライズには肯定的です。ヤキソバ美味♪
ふと思い立って、新大久保駅で降りて散策してきました。駅近くの商業施設は賑わっていましたが、全体的に3年前に比べてずいぶん人が減ってます。路地裏もほとんど人がいません。ネットでの風評通りもはや韓流が廃れていることを自分の目で確かめることができました。そんなことを考えながら新宿駅まで歩きました。
月を観察するときはいつも「月は出ているか?」と呟いてみたり。
この冬の防寒着は黒色系でまとめるつもりなので、黒インバネスにあわせる為の黒いウシャンカ(羊皮製)を入手しました。実はロシア海軍将校用のものです。メーテルの帽子に似てますが耳当てがついてます。< ちなみにメーテル帽はパパーハといいます。
今日は橋本でボードゲーム会(月2回ほど主催してます)。遊んだのは『東京男爵』『ロード・トゥ・ザ・シンデレラ』『クー』『ロボトリー』『$グリード』『41』『スリートリックス』『コリドール』『鍋奉行』『アクワイア』『バッファロー』『シャット・ザ・ボックス』など。みなさん、ありがとうでした。
名前だけはよく耳にする地名の一つが南大東島です。一度でいいので現地で台風の強風を体験してみたいのですが、どう考えても1週間以上の旅になりそう? < そもそも台風接近中にどうやって南大東島に行けと?そして台風通過後どれだけ待てば船舶や飛行機が運行すると?
新幹線営業50周年ということで静岡まで。駅で記念品を頂きました。静岡ではキツネとお昼を一緒したり、買い物したり、撮影したり、お土産を買ったりしてきました。で、17時半頃に帰宅。復刻鯛飯が美味。
アニメやゲームのキャラ設定には身長や体重の他にしばしば血液型の項目が見られます。個人的に思うに、血液型設定より家族設定などの方がずっと重要だと思うのですが…
さて、生物学的に考えると血液型と性格との間に関連性はないと言って良いと思います。しかし経験則で言えば僅かながら関連性があるように思います。説明を試みるに、例えば「AB型だからこういう性格でもいいよね」という価値観によってその血液型らしい性格でいる人が僅かながらも存在するということでしょう。
私は「血液型と性格」の話題が必ずしも無意味だとは思ってません。少なくとも子供や女性の社会では互いの性格を知る為のきっかけの話題として有用です。親族や友人の血液型を把握することで緊急時に救かる命があるかもしれません。そして、その話題の存在がいわゆる託卵を抑止しているかも知れません。
だから、お節介に「科学的には関係ない」と指摘することもないと思ってます。それは、せっかく萌え上がっているところに「二次元の嫁は現実には存在しない」と指摘することが余計なお世話であるのと同様です。
居合刀&練習刀に尻鞘を履かせてみた(本来は防滴の為に太刀の鞘に履かせるものです)。もふもふは良い。
熟睡した隣の高校生が私の肩にずっと寄りかかってたので、終点で降りるときに缶コーヒーをひそかに鞄に乗せておいた。まあ、頑張れ。
夫「…嫁の作った飯が美味しくない」
嫁「そこまで言うなら自分で作ってよ」
夫「作った。美味しいぞ、食べてみろ」
嫁「食べたけど私が作るのと大差ない」
夫「(高級店に連れてきた)どうだ?」
嫁「高いし味も薄いし美味しくない」
夫「なぜこの美味しさが分からない?」
嫁「分からないわよ!これいじめ?」
最終的に、夫は「嫁の味覚がどの程度に鈍いか」を理解することができますが、嫁は「夫の味覚がどの程度に鋭いか」を理解することはできないでしょう。この構図は味覚に限りません。目が視える人は目が視えない人がどのように見えてないかを理解できますが、その逆はけっこう難しいです。理屈の上では、絶対音感を持つ人は持たない人がどのように聴こえているかを想像できますが、持たない人は持つ人がどのように聴こえているかを想像できません。そしてこの構図は更にスキルや倫理についても言えます。『将棋』などのゲームにおいて、熟練者は初心者がどの程度に下手なのかを判定できますが、初心者は熟練者がどの程度に上手なのかを判定できません。教師は生徒の学力を判定できますが、生徒は教師の学力を判定できません。
味覚の違いによる感情的トラブルを予防&解決する為に夫は「嫁の味覚がどの程度に鈍いか」だけでなく「嫁は夫の味覚がどの程度に鋭いかを理解できない」も理解せねばなりません。そして、味覚以外の要素で仲を保つことが重要だと思います。
そういうことです。まあ頑張れ。 > 諸星あたる、早乙女乱馬
「スコットランド」と聞いてざっと思い浮かぶものは、ハイランダー、タータン柄、エジンバラ、ハリスツィード(生地)、ケルト、インバネス(コート)、スコッチ(ウィスキー)、ハギス(伝統料理)、スコッチエッグ、クレイモア(両手剣)、ゴルフ、カーリング、スコットランドヤード(ロンドンを舞台にしたボドゲ)などなどです。うん、かなり偏ってます(苦笑)
さて、スコットランド独立の住民投票が行われました。住民投票が行われるに至ったのは、連合王国に所属しているよりも独立した方がマシだと考える住民が増えたということなのでしょう。それほど詳しいわけではありませんが、「2000年頃まで地方議会が認められなかった政治的不平等」と「イングランドやウェールズを重視した経済政策への反発」が大きな理由です。
もっとも、独立を主導した人のいくらかは本当に独立するつもりはなく英国政府に対して「もっと地方を重視して欲しい」と伝えたかったのだろうと思います。
この住民投票が僅差(支持44.7%:反対55.3%)で否決されたのはニュースの通りです。今回の件で英国(6400万人)はスコットランド(530万人)を軽視できなくなったと思います。
ふと、地方が独立することができるなら地方を切り捨てることもできるのではないかと考えてみました。まずありえませんが、イングランドとウェールズと北アイルランドが共同してイギリスから独立したらスコットランドが切り捨てられることになります(笑)。条約の処理や債務処理などありますので思考実験のようになるとは限りませんが、不平等条約を押しつけられている国家や修正不能な憲法を持つ国家や経済的に破綻した国家がそれらの問題を解決する方法の一つとして成立するかもしれません。もちろん、その後に戦争になるかも知れませんが…
ニュースを聞きながらそんなくだらないことを考えてました。
12日(金)…てごねカツ美味。給食管理が経営工学的に面白そう。エクスカリバールのようなもの。二の腕と肉球が気持ちいい。ラッシュは苦手。
13日(土)…バナナがたくさん。パイナップルを乗せれば何でもハワイアン。旅のお方、すぐにこの村を出ていきなされ。今日も稲荷キツネ1匹。ルーズリーフは理工罫が使いやすかった。
14日(日)…そういえばピーチの謎機能。無慈悲な圧勝を反省し、ひそかに制約プレイ。稽古の後は30分ほど大の字。キリンレモン1500ml。寝過ごし注意。酸味が強すぎる酸辣湯麺。
15日(祝)…昭和時代の花柄家電。おこわ。老人に敬意を払うのはそれに値する社会的貢献による。『犬夜叉』流し読みで約5時間。金属製ドミノ牌が6セットあったり。
紅茶党だけどたまにはコーヒーも飲みます。個人経営の珈琲館に寄ってアイスコーヒー1リットルを作ってもらいました。冷凍庫でキンキンに冷やした銅マグで愉しむつもり。
「キティちゃんはネコじゃない。キティちゃんはキティちゃん」と「二郎はラーメンではない。二郎という食べ物である」の類似性について小一時間ほど…
雨上がりの空が好きです。今日は熊谷まで。
4月と9月に防災セット内の衣服(夏服⇔冬服)と飲食物を更新してます。そんなわけで1週間ほど缶詰や乾パンやミネラルウォーターなどを織り交ぜた食生活になります(苦笑)
もともと餃子は主菜(おかず)ではなく主食。異論は認める。
毎年のことながら、最初に蝉の聲を聞いた日は簡単に意識できるのですが、最後に蝉の聲を聞いた日はなかなか意識できません。いつの間にかシーズンが終わってます。
今年こそはと考え、日誌に「今日は蝉の聲を聞いたか?」を記録しています。ちなみに、今日は午前中にミンミンゼミの聲を聞きました。明日からずっと聞けなければ、今日が最後の日だったことになります。
人々が意識していないだけでいつの間にか終わっていたことというのは、ものすごくたくさんあるはずです。ときどきそういうことに思いを巡らすことで、バランスのとれた認識ができるのだと思ってます。
今日も頑張りました(掃除→セッション→キーマ→ボドゲ→花火→回鍋肉)。風呂って寝ます。明日こそ休息に充てる所存。
法定刑であれ私刑であれ、重い罪には重い罰を、軽い罪には軽い罰を。素顔まで報道される軽罪犯もいれば、事件の存在すら報道されない重罪犯もいます。エサに釣られて何かを見逃してないか、改めて考えてみるべきかと。
終戦記念日なので、今年も戦争について何か書いてみます。
戦争の歴史を見聞する度に、爆撃や占領やテロや略奪や物資不足や経済封鎖や不平等条約や属国化などから国民生活を護ることの重要性を再確認できます。重要なのは国民生活を護ることであって、戦争することも戦争しないこともその手段でしかありません。
戦争をすることで国民生活がドカ貧になることは避けるべきだし、戦争しないことで国民生活がジリ貧になることも避けるべきです。もしジレンマに陥ったならよりマシな方を選ばねばなりません。だから、ジレンマに陥ることも陥らされることも避けねばなりません。
国民生活を護る為には、戦争を仕掛けないで済む経済力と、戦争を仕掛けさせないだけの軍事力と、それらを律する政治力が重要です。戦争になった場合に備えて、国土やシーレーンを戦場にさせない程度の軍事力と、停戦ではなく終戦の為の条件交渉ができるだけの外交力も必要でしょう。予防戦争を避ける為に、周辺国を占領あるいは殲滅できるほどの軍事力は持たない方が良いと思います。
そして主権者は洗脳や煽動や偏向に惑わされず政治や情勢を監視していなければなりません。マスコミの偏向報道にもネットの偏向試聴にも注意しなければなりません。
私は社会契約論に近い考え方を持っているので以下のように考えてます。
自分たちの生命や自由や財産を護る為に人々は社会を構成して治安や防衛にあたることにした。だから、国民を護ること(より多くの国民の生命や自由や財産を護ること)は法を守ること(法の規定を遵守すること)よりも優先される。
民主主義においては、法を守ることが国民を護ることの手段となっているので、国民を護る為に法を守ることが結果的に優先される。一般の法令を守ることが国民を護ることに反する場合は国民を護る為に憲法を以て整合性を保つ。そして、憲法を守ることが国民を護ることに反する場合は憲法を守ることよりも国民を護ることが優先される(このあたりは統治行為論に近いかな)。
例え話になりますが…。パソコンにおいてアプリケーションにエラーがあればOSによる制御が優先されます。そして、OSにエラーがあれば人間による制御が優先されます。あたかもOSが人間よりも優先されるように見えるのは、エラーがほぼ皆無であるだけでなく人間が「エラーがなければアプリやOSに従う」と決めて制御しているからに過ぎません。
司法制度の目的は犯罪を減らすことです。
そして、ある程度に司法制度が有効に機能している社会においては、抑止や制裁や教育の為に「犯罪を用いた私刑」を無条件に容認するとむしろ犯罪が増える可能性があります。私刑は過剰になりやすいだけでなく冤罪や連鎖を招きやすいのです。
個人的意見ですが、犯罪を減らすような「犯罪を用いた私刑」はある程度まで容認していいと思うし、犯罪を増やすような「犯罪を用いた私刑」は絶対に容認すべきでないと思ってます。いつもの喩えですが、万引き少女を店員がレイプしていいわけではありません。故意の過剰制裁や誣告についてはもっと刑罰を重くすべきだと思ってます。
「まんだらけ」の件について言えば、万引き犯の顔写真を店内に貼ったり「期限までに返却しなければネットで公開する」と脅迫するのは、ある程度まで容認すべきレベル(起訴猶予ぐらいが相当)だと思います。しかし、実際にネットで顔写真を公開するのは明らかに過剰であるので絶対に容認すべきではないレベルだと思います。店舗の利益を社会の利益よりも優先させる行為に対しては社会はちゃんと批判すべきでしょう。
ちなみに、もし店内の顔写真を勝手にネットに転載した人がいたとしたらその人は罪に問われるべきと考えます。
現実的に捜査にも防犯にも優先順序というものがあります。薬が有効でないなら毒Bを以て毒Aを制すのもやむを得ないでしょう。しかし毒Bが毒Aよりも猛毒であってはなりません。
夏という現象は夏という言葉よりも遙か昔から存在してました。人にできることは小さいけど、人にとっては大きいです。そんなことを考えながら空を見上げてます。今日も暑くなりそうです。
植民地になれば宗主国から攻められることはなくなるけど、兵役の義務を課せられて他国に攻め込まねばならなくなったり、個人の自由や財産が侵害されて独立戦争せざるを得なくなったりします。それは歴史が証明しています。貢物で買えるのは一時的な平和と将来の戦争だと思う。
果物のライチはすごく好きですが、ライチ味のドリンクで美味しいと思えるものは滅多にありません。今回のファンタは芳醇ライチ味。よく冷やして飲みました。うん、確かに無果汁。これは別物として飲むべきかな。
『Hi-C』(果汁あり)の復活を切に希望する今日この頃です。
夜中に「ぽんっ」という音と同時に天井の蛍光灯(2005年〜)が消えました。他の電気器具は正常に稼働しています。蛍光灯の壁スイッチをオフにし、懐中電灯を片手に脚立を持ってきます。カバーを外すと電解コンデンサが焦げたような匂い。撮影した画像では蛍光灯も黒ずんでます。
最大出力で使い続けるとLEDの寿命が短くなるので、実質6畳の作業部屋ですが10畳用のLED蛍光灯を買ってきました。
日曜にキーボード4台を分解掃除しました。ようやく乾いたので組み立てます。うん、新品同様♪
今日は1ヶ月ぶりに秋葉原まで。ジャンク屋や楽器屋などすっかり巡回コースが固定していたので、今日はいつもと違う道を歩いてみました。パソコンがパーソナルコンピューターと呼ばれてた時代の面影がわずかに路地裏に残ってました。ちょっと嬉しかった。
柱文「仕事であり義務である。果たさねばならない、あること」
この話は「悪意を見かけたときに勇気を出しても出さなくてもその悪意はいずれ自分に向けられる。勇気を出したなら周囲の大人が助けてくれることもある」と少年少女に伝えたいのだろうと思います。< でも、スペリオールの主たる読者層は少年少女じゃないような?(笑)
ところで、「赤江菜々(15)」と「泉田瑛人(15)」の名前が数字の「7(なな)」「8(エイト)」であることに何か意味が込められているのだろうか?
9日(水)夜に新規登録して『艦これ』を始めました。時間に縛られたくないので、お気に入りの榛名が出るまでプレイするつもり(ちょっと縁があるのでな)。
初期艦は電。まずは資源を貯めて戦艦レシピで建造(400,30,600,30)です。待ち時間で駆逐艦を作ろうと建造(30,30,30,30)したら、なぜか軽巡ばかり連続で4隻が、そしていきなり榛名も登場。第1艦隊(榛名,那珂,多摩,木曾,由良,電)を編成したら白雪も獲得。実戦に出したら圧倒的でした。
目標達成したのでとりあえず私の『艦これ』はこれで終了。
私が住んでいるのはこういう街だそうです(笑)
…歌詞は間違ってないと思います(遠い目
「大変!あかねが入院した」(らんま1/2熱闘編113話)はアニメオリジナルの中でも特に好きな話です。主人公2人のバカップルぶりも良いですが、あの世界観の中でちゃんと空気を読む女生徒B(ゆか)がいい味を出してます。雑魚寝シーンもどこか懐かしさを覚えます。
暑くなってきたので風鈴を吊しました。3年前に買ったものですが今でも良い音色です。
モデルのすみれがラムを演じてます。
しかし長身でスレンダーで色黒なすみれがグラマーなラムを演じるのは無理があると思います。個人の趣味ならともかく企業のCMでこれはちょっと残念です。もしすみれを売る為であれば他のキャラを選ぶべきだし、ラムを演じさせるなら他のモデルを選ぶべきだと思います。
推察するに、CM製作者としては「すみれが演じてるラム」ではなく「ラムのコスプレをしたすみれ」なのでしょう。すみれファンは喜んでいるかもしれません。
「響子が愛し惣一郎が応える」と「五代が愛し響子が応える」のいずれが響子にとってより幸せであったかはとても難しい問題です。「違う幸せ」であるがゆえにいつまでも結論を出せないのは、読者である私たちだけでなく響子本人もそうだったのではないかと思います。
ゲームとは作為または無作為な選択によって勝敗を決する為のルールおよびその用具の総称です(この意味ではボードゲームに限らずスポーツのほとんども含まれます)。ゲームには数多くの種目があり、それらは競技や遊戯や暇潰や交流や勧誘や観賞や蒐集や占卜や賭博や商売や公演や催事や教育や研究など様々な目的で使用されます。
ルールや用具や面白さの説明はインストラクトあるいは略してインストと呼ばれます。その目的は「どのようなゲームであるか?」を理解してもらうことだけでなく「どうしたら勝てそうか?」を思考できるようになってもらうことにあります。
インストの具体的内容はゲームの使用目的やプレイする環境によって“プレイに十分なルール”あるいは“プレイに必要なルール”のいずれかになることが多いです。
一般にボードゲームは、どのようなインストが望ましいかが頻繁に論じられるほどルールが多大かつ煩雑です(しかもルールブックの構成は参照には便利ですが説明には不便です)。そして、ボードゲーマーと呼ばれる人たちのゲーム使用目的はたいてい競技や観賞にあります。結果的ではありますが、いかに正確に理解してもらうかの研究が進み、近年ではその知識の共有が進んでます。その一方で、いかに効率的に理解してもらうかの研究はボードゲーマーらの間ではあまり進んでいないように思います。
ボードゲームを「もっぱらルールやデザインを鑑賞する為の作品。マンガや小説に類するもの」と捉えるか「もっぱら競技や交流や賭博の為の道具。スポーツに類するもの」と捉えるかで、その文化的発展の方向は大きく異なります。
現実的には、新たな文化を育てるためには新作が考案されることが必要ですが、新作が定着せず消費され続けるようになると文化は育ちません。よって、ほどよいバランスを保つのが最も望ましい文化的発展の方向だと思います。
ゲーム史を眺めるに、もともと「道具」であったものを著作権で保護される「作品」にしたことで独占的なビジネスモデルが成立しました。「ゲームは作品である」と喧伝され、作品性の高いゲームばかり供給されるようになりました。そして現状は、業界を維持する為にゲーマーが毎年大量の新作を買い続けなければならないスパイラルに陥ってます。残念ながら、ほどよいバランスを保っているとはとても思えません。
ときどき「著作権意識が過剰になっていないか。この30年で考案されたゲームのうち権利期間が切れるまで絶版にならずに残っているものはどれだけあるか。最新ゲームの氾濫の反対効果で定番ゲームや伝統ゲームが途絶えないか」と憂慮しています。
どちらかというと私は「ゲームは道具である」と考えています。もちろんルールの文章や意匠は著作権で保護すべきだし誰がルールを考案したかも著作人格権で保護すべきです。でも、ルールそのものの保護までは必要ないと考えてます(このあたりは『オセロ』や『天空盤』でしばしば話題になるテーマです。余談ですが、著作人格権の侵害を伴わない著作権侵害まで「パクり」と呼ぶのは間違ってると思います)。
個人の活動として、伝統ゲームや定番ゲームを非ゲーマーに教えています(小学生にはインストや交流のコツも教えてます)。でも、「伝統を継承してもらわねばならない」とまでは思ってません。そんなことは次世代が選べばいいことです。次世代に選択肢をちゃんと遺せればそれで十分だと思ってます。
このロジックは、道具でもあり作品でもあるジャンル一般に適用できると思います。例えば、スポーツのルール、小説やマンガのプロット、料理レシピ、ファッションデザイン、音楽、自動車デザイン、歌謡曲、テレビゲーム、演劇、観光資源、テーマパークなどなどです。それぞれを比較することで、“文化の発展の為の業界”と“業界の発展の為の文化”の構図が見えてくると思います。
ゲームサークル「盤ガードミッション」は、能開大ボードゲームサークルを母体とし、長時間ゲームの会場確保の為に2000年1月に正式に設立されました。実質的に20年弱の歴史があります。団体登録に必要な名簿はありますが、実態は非会員制サークルです。
スタッフは入れ替わりつつ現在は7人ほどいます。それぞれ単独で例会を開催するスキルを持ってます。代表は盤長を襲名します。この他に名誉職のオーナー役がいます。運営は参加費100円と寄付金で賄ってます。OBが多いので寄付金には困りませんが、できるだけ参加費だけで賄えるようにしたいです。例会ごとに会計報告を出してます。
月2回程度のオープン会を催しています。昨今の参加者は平均して二十数人ぐらいです。ほとんど男性です。概して年齢層は高く、古参やヘビーゲーマーやコレクターやサークル代表クラスが多いです。既にボードゲームから引退した人たちも年に1回ぐらい顔を出してくれてます(感謝しています)。良い意味でも悪い意味でもバンガードは梁山泊のような集団とみなされてるみたいです。
プレイされているボードゲームは、古典ゲームや定番といえるものから最近の流行のものまで幅広いです。参加者の傾向もあってヘビーな長時間ゲームも多いです。
あくまでゲームプレイを目的としているので、サークルとしてそれ以外の活動(アフターや新年会など)は特に行っておりません。もともとそれなりの人脈がある人たちなので「それぞれ勝手にやるが良い」ということになってます。
私がボードゲームをまともに始めたのは1988年頃です。主に学友らと遊んでました。彼らとは今でも付き合いがあります。横浜のゲーム会社ではゲーム部にお邪魔してました。独立してからはしばらくボドゲから離れていました。地元の相模原に戻って来てから「盤ガードミッション」というボードゲームサークルがあることを知り、2004年春からお邪魔しています(あんな濃いとこだとは知りませんでしたが…)。その頃に知り合ったのが娯楽堂さんで「袋小路」の立ち上げをしばらくお手伝いしました。また、伝統ゲームにも興味を持ち、関連する学会などにもお邪魔しています。2009年春に盤ガードミッション五代目盤長を襲名しました。たまたま別ジャンルでサークル運営のノウハウをいろいろ持っていたので、何とか任を果たせてます(いまでも「サークル運営」でググると20年前の私の文章が1ページ目にヒットします)。
他の趣味の付き合いもあってボドゲ関連は月あたり2〜3日ぐらいしか費やせませんが、この趣味を通じてたくさんの人と知り合いたくさんの経験を得ることができました。全ての人に感謝しています。
相手が共存可能な文化圏の人なら共存困難であろう人を除いて交友を深めたいです。そして、相手が共存困難な文化圏の人なら共存可能であろう人を選んで交友を深めたいです。< 私が特に共存したくない人は、自分の利益の為に妄想や捏造や歪曲を根拠にして他人を攻撃する人です。
私の人生の中で最も美味しかったリンゴジュースは1989年(らんま1/2のイベント追掛旅行中)に青森駅で飲んだものでした。JRの「まるごと搾った王林」はそれに近い味だったので、生産終了はすごく残念です。
十数年以上も聴いてない数十枚のCDを少しずつ処分中。もちろん作業が進まないのは予想通り。クラシックやポップすだけでなく『電撃ナース2サントラ』や『超兄貴サントラ』のようなものも。ふと思うに、昨今の綺麗なグラフィックじゃあの頃のような不条理展開はやりづらかろう。
『犬夜叉』フロアーマット(幅60cm)が届いてました。桔梗好きなので絵柄は気に入ってます。しかし、蒐集品としては嵩張って収納しづらく、実用品としては踏み絵になってしまいます(苦笑)
花札で雨の光札(20点札)は「柳に小野道風」といいます(昔は「柳に番傘」)。彼は平安時代の能書家です。『らんま1/2』の小乃東風の名前のモデルだといわれてます。
自分の趣味を友人や知人に布教する人は、ときどき相手の趣味にも付き合った方がいいと思うんだ。
「抹茶コーヒーやオレンジコーヒーのシリーズか。マンゴーコーヒーとは珍しいな。どれ…」と思って飲んでみたら、ただのマンゴーラテだった(orz
誘発効果よりも代償効果が大きいと考えているので、ポルノ(成年または非実在)の過度な規制には反対です。しかし、児童保護はより優先すべきなのでポルノ(未成年かつ実在)の規制には賛成です。ただし非猥褻目的かつ非公開のものはポルノでないとすべき。
今日は定期検査の為に大学病院へ。
この大学病院ですが、先月に西側の新館が開業したので東側の旧館は閉鎖されてます。ただ、旧館の最も東南側の地下でまだ営業しているコンビニには、北側の長い地下通路を経由して辿り着くことができるようになってます。で、コンビニで飲み物など買いました。
コンビニから新館に戻るにはいったん地下通路を東側に入らねばなりません。しかし、その入り口が非常に分かりにくく、そこを通り過ぎたらもう案内図がありません(そもそも案内図が微妙に間違ってます)。それでいて西側に向かう幾つかの通路が罠のように続いてます。更に旧館からは地上に出られないというオマケ付きです。
時間に余裕があったので、セキュリティにツッコミつつも無人の廃病院を散策してみました。こういう雰囲気はけっこう好きです。LEDライトは持ち歩いてますし、採光窓から太陽光も入ってきます。TRPGで鍛えた方向感覚&距離感覚はこういうときに役に立ちます。けっこう奥まで来たなと思いつつ角を曲がると、迷子になってたらしき老人と出会いました。久しぶりに心拍数が上がったのを実感しました(汗
その老人を新館まで連れて戻ったので、いくらか経験値が稼げたはず。
必ずしも正確ではありませんが、おおざっぱに説明してみます。
一般に共産主義は「みんなで働いてみんなで分け合おう」という経済的な仕組みです。これは経済的弱者の為の救済制度であると同時に社会的強者の為の寄生制度にもなります。誰かが働かねばなりませんので、大多数の社会的弱者を強制的あるいはまたは合法的に働かせて収奪するシステムが構築されがちです。十分な生産力が維持できていれば問題ないのですが、たいていはそうもいきません(なんせ腐敗しやすいですから)。結果的に、極貧層は減りますが貧困層が増えていき経済格差が両極化していきます。全体としては生産力が疲弊していくので、やがてその貧困層が極貧層になり、ついには極貧層を支えきれなくなって破綻します。破綻するときには一部の国民を保護する為にいわゆる徳政令やクーデターや合併や独立や政府機能停止などが発生します。
資本主義では、必ずしも極貧層が救済されるとは限りませんが、社会的強者も容易に寄生することができません。生産の指導的地位にいる人がサボることができないので、生産力の疲弊はある程度に予防できます。おおざっぱに言えば、腐敗や寄生の少ない共産主義は資本主義より優れ、腐敗や寄生の増えた共産主義は資本主義に劣ります。
私の理想を言えば、資本主義をベースに生産力を維持し、腐敗や寄生を実効的に防ぎ、その上で極貧層を救済するのが最善です。生産力維持の為の少子化対策&教育は最優先すべきで、社会保障は予算の範囲内でやるべきと考えます。
誤解している人も多いのですが。主権の所在と経済の仕組みは別です。つまり、君主国家や民主国家であっても共産主義は成立します。だから、「日本は世界で最も成功した共産主義」と揶揄されるのも、あながち間違いではないかも知れません(苦笑)
世界で最も美味しい食べ物とも云われるマッサマンカレー。ゲーン(タイ風カレー)の一種です。ジャガイモが口の中で融けます。でも、近所のカレー屋さんのカレーの方が好き。
友人や知人を自分の趣味に付き合わせる人は、ときどき相手の趣味にも付き合った方がいいと思います。意外な知識を得られるのはけっこう愉しいです。
いちおうミリタリーマニアの端くれですが、軍装や兵器の側からではなく兵法学や地政学の側から入った少数派らしいです。学生時代に古書店で見かけた『海軍戦略』(A.T.Mahan)が本格的に軍事に興味を持つきっかけだったと覚えてます。全編カタカナ表記なので読み解くのは苦労しましたが、陸軍の存在意義とは異なる海軍の存在意義を早い段階で理解できたのは良い収穫だったと思ってます。
さて、『艦これ(艦隊これくしょん)』ブームのおかげで角川文庫から『海上護衛戦』(大井篤)が復刊されました。戦史を研究している人たちの間では非常に評価が高い本です。古参のミリタリーマニアの中には宣伝文句に不満を抱いている人もいるそうですが、私は肯定的に捉えてます。できるだけ多くの人に兵器や作戦だけでなく兵站(輸送や補給など)のことも知ってもらいたいと考えているからです。
近現代の日本は海外から資源(特にエネルギー)を輸入しなければやっていけません。もし禁輸あるいは封鎖によって資源が輸入できなくなれば、艦隊の燃料どころか国民の生活も産業もままなりません(東日本在住の人は毎日が計画停電の状況を想像すれば分かりやすいかと思います)。この意味で、太平洋戦争は資源を確保する為の戦争でもありました。戦前の日本は石油のほとんどを米国から輸入してたのですが、米国の禁輸措置で一挙に国家的危機になったのです。
この『海上護衛戦』では当時の資源輸送のありかたについて書かれてます。艦隊決戦と通商保護との優先順序はとても重要な問題であると主張しています。そして、あらかじめ予想できていても、船や艦の絶対数が不足していた現実の中で少しでも資源を輸送しようとした人たちの記録でもあります。それほど難しい本ではないので、『艦これ』で軍艦名や資源名などに慣れ親しんだ提督たちなら、きっと読み解くことができるでしょう。
海上護衛についての適切な動画を見つけたので紹介します。35分と長い動画ですが、見るだけの価値はあると思います。
A「鼻水や咳は出ないのでマスクはしてないけど、喉が痛いし寒気もする」
B「それは風邪に違いない。風邪なら鼻水も咳も出てるはずだ。周囲に迷惑かけてるのだから謝罪すべき」
A「……?」
全ての保守派が必ずしも軍国主義者やネトウヨなわけでもなく、全ての革新派が必ずしも反政府主義者や売国奴なわけでもありません。でも、故意に脳内認定してプロパガンダの材料にしている人が多すぎると思います。意見は異なれど理性的に考えることができる人と議論したいものです。
キャラ好きだけどカップリング好きではないという人の一部は、作品を外から見守るのではなく作品内の誰か(それはメインかもしれないしモブかも知れない)に感情移入しているのだろうと思います。『うる星』や『めぞん』の時代はそういうファンが多かったです。
武力クーデターによる暫定政権はその国の主権者の同意が得られるまで外国政府は承認すべきでないと考えてます。いずれの勢力が勝利するにせよ、これでようやく承認すべき状態になったと思います。
< タイの軍事政権についても同様。
アリオ橋本で「スターウォーズアート2014」を見学してきました。同時開催の「ディズニーアートコレクション2014」に、ルーカスがいまやディズニーの傘下であることを実感できます。
日誌には行動を記し日記には思考を記してます。だから、たまに昔の日記を読みかえしてます。もしかしたら過去の自分から未来の自分へのメッセージがあるかもしれませんから。
第4土曜は「まーぶるまっどねす」の定例セッション。ここ2年ほど昼食はいつもマボロシのカレー。
『らんま1/2』週刊誌連載分(1987年36号〜1996年12号)です。雑誌から切り抜いて束ねると、厚さ40cmぐらいにまで圧縮できます。
乳製品比較の余談。発酵バター(生乳から分離したクリームを発酵させて作るバター)は高価だけどとても美味しいです。市販品の中では『カルピスバター』が有名です。この『興部バター』が最もお気に入り。
一般論だけど、昔の従業員が過酷な環境や待遇に耐えられてたのは経営者も同じ境遇にいたからでもあり、今の従業員が過酷な環境や待遇に耐えられないのは経営者が同じ境遇にいないからでもあると思うんだ。終身雇用が期待できないので、いつか会社が傾いたときに切り捨てられるという認識があるのだと思う。「最近の若者は」という経営者はその認識が足りないんじゃないかな。だから、そのあたりを改善すればいい。改善できれば…だけどね。
大衆は「何があったか」に興味を示しても「何がなかったか」に興味を示すことはあまりありません。だから、例えば司法や公娼や軍事や人柱などの制度によって多くの犯罪や脅威が予防あるいは抑止できていたとしても、それらのメリットが意識されることは滅多にありません。それどころか必要悪あるいは表面化したデメリットだけが注目されて禁止や廃止や削減の主張まで出てきます。だから、禁止や廃止や削減を論じるときは「何があったか」だけでなく「何がなかったか」も正当に評価した上で総合的に考えるべきだと思います。
さもないと“抑止力を維持する為にあえて危機感を煽らねばならない状況”や“削減や廃止によってかえって犯罪や脅威が増える状況”を招いてしまいます。もし誰かが危機感を訴えてあるいは煽っていたならば、その件について正当に評価しているか否かを改めて考えてみるのが良いと思います。
「〜は許されない!」という主張に対しては「具体的に誰が許さないの?」と確認するのが良いです。そうすることで問題の構造が明らかになることがあります。
専門家による長年の研究によれば、ラムちゃんは三白眼である。異論は認める。
毎月集まって遊んでるグループの中に軍事や戦史に詳しいのが2人いて、その2人以外の全員が『艦これ(艦隊これくしょん)』やってます。私はやってない側ですが、概して肯定的に捉えてます。
いつか『海上護衛戦』(角川文庫から復刊)などを読み解けるレベルになって欲しいです。
たまに外出先のテーブルやカウンターでプレイすることがあります。持ち運べる折りたたみボードもありますがそれでもまだ大きいので、厚手の布盤を知り合いの針娘さんに作って貰いました。けっこう便利です。
うどんに油揚げを乗せた料理は日本語で「狐(きつね)」と呼ばれてます。トッピングの説明として「Fox」は明らかに間違ってますが、トッピングの呼称として「Fox」は必ずしも間違ってなかったと思います。
算盤(そろばん)の歴史は長いです。wikiによれば15世紀には日本に伝来してたらしいです。そろそろエルゴノミクスな形状の算盤が開発されてもいいと思います。
ところで、江戸時代の通貨単位の一部は4進法(1両=4分=16朱=4貫)でした。通貨の枚数(発行枚数あるいは財布の中の小銭の枚数)を減らすには通貨の種類を増やさねばなりませんし、通貨の種類を減らすには通貨の枚数を増やさねばなりません。4進法というのはけっこう実用的であったと思います。
殺風景な部屋ですがそれなりにアクセントも付けてます。そろそろ梅雨なので、レインコート姿のの天道あかねのセル画(熱闘編75話;縦72cm)を額縁で飾ろうと思います。「侘び(Wabi)・寂び(Sabi)・萌え(Moe)」は日本の伝統的な美意識です。
先日のつぶやきのおかげが、ボードゲーム『太平洋の覇者(Victory in the Pacific)』(Richard Hamblen/AH/1977年)を対戦してくれる“提督”が見つかりました。遠隔対戦用に2セット目の『太平洋の覇者(Victory in the Pacific)』(AH)を落札したら、私が10年ぐらい前に出品したものが戻ってきました。
現代日本において、言論や出版の自由(ただし公共の福祉に反したり濫用に当たるものを除く)は国民の権利として定められており、その行使は容認されるべきものです。そして、その行使を批判する言論や出版の自由も同様に容認されるべきものです。
この立場において、今回の『美味しんぼ』問題(現在の福島県の放射線量は健康被害を生じさせるレベルであるとする主張。およびその主張によって風評被害が発生しているという主張)について考えてみます。
主要な論点は「いまなお健康被害が有意に発生していることが事実であるか否か」と「それを描写することが公共の福祉に反するか否か」にあると思います。大別すると以下の4パターンになります。
さて、この『美味しんぼ』問題のケースは(B)あるいは(D)にあたります。いずれにせよ風評被害を招くリスクは増えてます。そして、もし「いまなお健康被害が有意に発生していること」が事実であるのであれば作中の解説のように健康被害を招くリスクが増えます(ただし、強い放射線を浴びれば健康被害を生じるという仕組みを解説しただけでは、それが強い放射線を浴びたという証拠にはなりません)。従って、作中での描写について権利を主張するのであれば、作者は「いまなお健康被害が有意に発生していること」と「それは風評被害より大きな問題であること」を立証(説得力のある傍証を含む)しなければなりません。
作中では実在の人物の証言をもって立証(傍証)を試みています。その証言に説得力があると思うか否かは、原作者の過去の言動や登場人物の経歴などを参考にして読者それぞれが判断すべきことです(『美味しんぼ』の初期に「悪いのは我々自身なんだぜ、宣伝に乗せられて、本物の味がわからないんだから」という台詞がありました)。
そして、(B)であれ(D)であれ、その描写を批判する言論や出版の自由は同様に権利として容認されています。
なお、私は「自分が知る情報を総じて判断するに、(D)でないとまでは言い切れないが、いずれにせよ現時点では風評被害の方が大きいだろう」と考えてます。従って、この原作者の意見は支持してません。
初期の『美味しんぼ』は面白かったです。「とんかつ慕情」(11巻)はあざとくもありきたりですが良い話だと思います。「トンカツをいつでも食えるくらい」という価値観は高く評価しています。
ゲーム会におけるボードゲームの使用目的はもっぱら交流か観賞か競技にあります。交流目的の場合は、みんなで愉しい時間を共有しようとする人と遊びたいです。観賞目的の場合はその作品をよく理解している人とプレイしたいです。そして競技目的の場合は、勝利確率を1%でも上げる為に全力を尽くせる人と戦いたいです。
競技目的においては、例えば勝利確率0%で4位のプレイヤーが勝利確率70%の1位のプレイヤーに対して「私に勝利確率を5%ほど下さい。さもなければキングメーカーとなって2位のプレイヤーを即座に勝利させます」と脅迫するようなプレイができる人と戦いたいです。
ところが、そういう戦い方は交流目的の人や観賞目的の人の目には非常に不快に写ります。だから、交流や観賞を目的にプレイする人と競技を目的にプレイする人とは卓を分けた方がいいと思ってます。
国連海洋法条約(1994年発効)では「沿岸から12海里を領海とする」「沿岸から200海里を排他的経済水域(EEZ)とし、その外側を公海とする」「隣国とのEEZの境界設定には、国際法に基づき、両国の合意が必要」と定められました。つまり、EEZの境界設定は(大陸棚理論や中間線理論のいずれが主流であるかに関わらず)当事者らの合意が最優先されます。
まずは日本人にも馴染み深い尖閣諸島問題から書きましょうか。
中国が東シナ海の海洋資源のほとんどを永続的に得る為には「尖閣諸島が中国領であるとした上で中間線理論を受け入れる(あるいはそれでも大陸棚理論を主張する)」か「沖縄トラフまでが中国の大陸棚であるとして大陸棚理論を主張する(しかし科学的には沖縄トラフは大陸棚の境界にならないので、中国は沖縄も自国領土であると主張する)」か「あえて境界を定めさせないように時間稼ぎしながら海洋資源を実効支配する。50年後に境界交渉を開始」の3パターンがあります。
現在のところ中国は境界を確定させるつもりなど毛頭無く「時間稼ぎで実効支配」を目論んでいるようです。なぜならば、中国は相手国に応じて大陸棚理論と中間線理論を使い分けているからです。例えば、ベトナムに対しては、ベトナムが大陸棚理論で主張しているのに対し、中国は西沙諸島を自国領とした上での中間線理論で主張しています。< 余談ですが、韓国も中国に対しては中間線理論で主張し、日本に対しては大陸棚理論で主張してます(だから韓国も境界不確定のままの実効支配戦略を採っているのだろうと思います。蘇岩礁についての交渉が予定調和的に進まないのも双方が同じように考えているからでしょう)。
さて、南シナ海で中国とベトナムとが衝突しています。もし中国の海洋戦略が先述の通りであるとしたら、中国は必ずしも軍事的な対立を望んではおらず、「二国間の平和的な話し合い」を提案しつつ石油掘削施設を完成させて長期の実効支配に乗り出そうとするはずです。海上戦力に劣るベトナムとしては、中国の先制攻撃による軍事的対立にエスカレートさせることで国際社会の支援を得るしかないでしょう(ちなみに中国とベトナムは過去に何度も戦争しています)。とするならば、ベトナム側が海上から手を引くことはあり得ません。
フィリピンがアメリカと再び軍事協定を締結したのもこの動きを見据えてのものだと思います。アメリカが尖閣諸島が安保対象であると明言したのもこの流れでしょうし、アメリカ第7艦隊旗艦ブルーリッジを単艦で南シナ海に展開させたのもその意思の表れだろうと思います。なお、歴史的事情があるのでベトナムがアメリカと軍事協定を締結することはないでしょう。
関係諸国の利害を考えるに、比較的近い時期に限定的な軍事衝突が発生するか、あるいは中期的に(恐らくは中国が正規空母を実用化した後に)再び衝突の危機が訪れるだろうと思います。いずれにせよ全面戦争には至らないだろうと思います。
ふと思いついたことがあって、ボードゲーム『バランス・オブ・パワー』を入手してきました。
『バランス・オブ・パワー(Balance of Power)』(B.Knudson/Catalyst/2012年)は、列強6国が19世紀ヨーロッパの覇権を争うボードゲームです。システム的には、パワー(政治と軍事と経済)の三竦みを用いた多人数用の完全情報ゲームです。軍事コマは政治コマに勝ち、経済コマは軍事コマに勝ち、政治コマは経済コマに勝ちます。自分の手番にできることは各パワーごとに「移動and/or攻撃」「増強」「パス」のいずれかです。規定された数の地域を支配することでゲームに勝利します。ぶっちゃけて言えば、多人数が後出しジャンケンで陣取りするゲームです。
完全情報ゲームですので、プレイ人数が少ないほどパズル的なプレイ感になります。また、ソロプレイにも適しています。
ざっとソロプレイしてみての個人的意見ですが、予想以上にテーマから乖離したパズルゲームになっているように思います。特に「軍事2コマと政治コマ1が存在する敵エリアに軍事コマ1で侵入して政治コマ1を除去でき、しかも敵は侵入したコマを撃退できない」というのはとても違和感を覚えます。いくらかプレイ時間が長引きますが、ヴァリアントとして「敵の引き分けコマが存在する地域には移動できない。ただし、より多くの同種コマが移動元にある場合は、移動先の引き分けコマを全て除去して1コマを移動させることができる。そして移動先に自分が勝てるコマがいればそれらのうち1コマを除去する」とするのが良いと思います。
また、このボードと駒を用いて『ディプロマシー』のようなゲームもできると思います(と言うか、その思いつきがあって買ってきたわけだし)。例えば「各ターンにプレイヤーは規定数のアクションをプロット(行動計画)し、その後に手番(処理順)をランダムで決定する。手番には各プロットを実行するかキャンセルするかを選択できる。もし全てのプロットをキャンセルしたならフリーアクション1回を実行できる」ようなヴァリアントを導入するだけで簡易な外交ゲームになるでしょう。
こういうヴァリアントを考えるだけで既に十分に元が取れたような…そんな錯覚を覚えます(苦笑)
市販されてる牛乳(全11種)の官能検査。前回のサンプルが左の4種で、今回のサンプルが右の4種です。季節による変動があまり出てこないうちに残りの3種類も評価したいと思ってます。もし可能なら生乳(notなまちち)も。
本日の盤ガードミッション。参加者22人。私がプレイしたゲームは『ベガス』『サムライ・カードゲーム』『カタンの開拓者たち』『アクワイア』『バックギャモン』『タントリックスゲーム』『ラブレター』『チェーテン』『カッパドミノ』『ローラーコースター』『シャット・ザ・ボックス』などです。『カタン』で珍事がありました。8の目が出ると小麦4枚を得られる状況で6回連続で8が出ました。圧勝♪
史実テーマの戦略級ボードゲームは概して好きです。久しぶりに『ディプロマシー』や『トワイライト・ストラグル』などやりたいのですが、なかなかまとまった時間が取れません。その最大の原因が休日にボードゲーム会を主催しているからだというのは実にパラドキシカルな話です。
雨や風が強いです。
そういえば、今夜は「ワルプルギスの夜」のはず。
最大最悪の魔女の夜ともいわれます(混ぜるな危険)
二十年ほど前に『サバイバルゲーム』やってました。道具のほとんどは処分してしまいましたが、『HK51カービン』(東京マルイ/1998年)とそのオプションだけは未使用のまま保管してあります。「いつか使うかも」とか「未使用だから売れるかも」とか思いつつ死蔵されてる典型例となってます(苦笑)
さて、そのサバイバルゲームの話ですが、当時においてはさまざまな問題があって肩身が狭いマイナーな趣味でした。ざっとあげてみても、「装備による不公平」「レギュレーション違反」「不明確な判定によるゾンビ」「個人プレイに走りやすい」「銃や迷彩服が周囲に与える印象」「私有地の無断利用」「BB弾などのゴミ」などの問題がありました。さすがに当事者たちもいろいろ対策するようになりましたが限界もありました。さらに、子供が『戦争ごっこ』で遊ぶこともなくなり、都市化でフィールドも減っていきました。当時のプレイヤー層を考えるに、ミリタリー色を排してのスポーツ化も難しいだろうので、この趣味はやがて衰退していくだろうと思ってました。
だから、サバイバルゲームがリバイバルされてるというニュースを読んでちょっと驚いてます。タイトルを見たときには「FPSゲームをリアルで体験するという先祖帰りの話かな?ミリタリーコスプレの延長かな?」と思ったほどです。
ニュースを見るに、専用フィールドを用いた屋内ハンドガン戦に限定されたもののようです。ミリタリー色を排して『フラッグハント』という新たな名称を用いることで、ミリタリー趣味の延長であった『サバイバルゲーム』とは全く別のスポーツとして確立させようとしているのでしょう。とても面白い試みだと思います。
甘みを抑えたタイプの漉餡(こしあん)には緑茶より牛乳があうと思います。
伊香保に来ています。朝9時、露天風呂に一番乗り。
9月にコトブキヤからフィギュアモデル『(ARTFX J)ラムちゃん』が発売されます。
サイズは1/7です。キバなど細部まで凝った造形であり全体的に高いクオリティだと思います。顔の雰囲気(特に瞳のデザイン)は作監違いのレベルなので許容範囲ですが、現代風のスレンダーなボディと輪郭はもはやキャラデザ違いのレベルです。あたかも他の作品のキャラクターが頑張ってラムのコスプレをしているかのような印象を抱きます。 < その頑張りは認めます(笑)
過去に市販されたラムちゃんフィギュアの中では『ラム3(1/4)』(ムサシヤ)が良いと思います。おおよそ40cmぐらいありますが、寝ポーズなのでかなり安定しています。腕の良い塗り師に塗装を依頼しようと当時から思ってるのですが、いまだにコレクションとして保管したままです。
自室に飾るのは基本的に「良いものを数点だけ」としています。この『ラム3』はいつか飾るつもりです。
あなたの街も遠くの誰かにとっては旅行先です。きっと何かが見つかります。
昨年4月の日記で書いたように、私は基本的にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に反対してます。食糧安保という理由もありますが、それよりも不平等条約によって将来的に搾取され続けるリスクを重く見ているからです。いわゆる毒素条項(ISDS条項(投資家保護条項)・ラチェット条項・MVC条項(非違反提訴条項)・スナップバック条項など)がどのようなものかほとんど報道されてないので、国民の多くは締結後に「知らなかった」と言い出すだろうと思ってます。
週刊少年サンデー(小学館)は『境界のRINNE』以外も読んでます。本日発売の第21号では『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜)がエンディングを迎えました。個人的に、ディアナ・かのん・ハクアが気に入ってたので、その後あるいは平行世界の彼女ら幸せになることを望みます。ラスボスたるエルシーならきっと平行世界方式で全ルートを実現できるに違いありません。
文化の違いのほとんどは善悪の問題でも優劣の問題でもないので、異文化の共存は原理的に解決不能な問題を引き起こすことがあります。私が「文化の相互理解は問題の解決ではなく問題の予防に有用です」と常に主張しているのはそういう理由です。
さて、「恥」の定義は文化によって異なります。経験的に言えば、日本における「恥」とは“社会に迷惑を掛けざるを得ない状況”であり、韓国における「恥」とは“言い逃れできなくなった状況”であるようです。このような違いを双方が事前に理解していれば、問題のいくつかは予防できたと思います。
信頼が維持されてる社会では防犯コストを節約できます。節約されたコストを再分配することで、生きる為に罪を犯さねばならない人を減らせます。完全ではないものの過去の日本社会はそのようなシステムが成立していました。しかし、余裕があるのに罪を犯す人が増えると、今まで節約できていた反動で防犯コストが一挙に掛かります。再分配の余裕が減ることで、生きるために罪を犯さねばならない人が増えます。現在の日本社会はそのようなシステムになりつつあります。
一般に“コピペ(Copy&Paste)”とは「もっぱら文章の著作物を著作権者の許諾を得ずして複写する」というニュアンスで用いられてます。そして著作物における“パクリ”とは「他人のアイデアを自己の考案であるかのように見せかける」という意味です。だから、剽窃を伴わない複製までもパクリと評するのは不適切でしょう。
コピペを窃盗と同列に扱うべきではありません。そのように言ってる人たちは「窃盗と同じぐらい重い罪である」と喩えたいのでしょうが、逆に窃盗はコピペ程度の罪でしかないとも解釈されかねません。そもそも著作権侵害の刑罰と窃盗罪の刑罰がどの程度に違うかも知らずに喩えているようです。
刑罰や賠償を伴う事項については軽重を無視せずできるだけ正確に表現すべきだと思います。
生まれた子供にとって良い名前を命ずのは、保護者の権利ではなく保護者の義務だと思います。この意見を正論として支持してくれる人がほとんどだろうと思いますが、「自分の子供にどんな名前を付けるのは親の勝手だろ」と信じている人たちも現実に存在します。残念なことですが、正論を述べて自己満足するだけでは必ずしもトラブルを解決あるいは予防することができません。だから、子供の将来を想定するようアドバイスしたり、本名から派生した愛称を用いることを提案したり、子供は愛玩動物ではないとさりげなく釘を刺したりしています。
あまりたくさんは食べませんが、チョコレートの中ではオレンジビターチョコが好きです。
年金導入と長寿化の影響について、おおざっぱな数値モデルで考えてみます。
単純なモデルですが、年金制度の導入(B→C)によって老人世代は二重の利益を享受すること、高齢化の進行(C→D)によって成年世代は子供を生み育てる余裕がなくなること、その直後の少子化(D→E)によって社会は致命的に衰退することが分かります。
考えられる対策はいくつかありますが、どれも実効性に欠けるように思います。
残念な話ですが、この問題は詰んでるように思います。
ドミノ牌(W6)を用いる4人ペア戦マストフォローのトリックテイキングゲーム。天九牌ゲーム『鹿狩り(河童ヴァリアント)』のドミノ牌バージョンです。
ペアは向かい合って座る。手番は反時計回り。
牌を出すときは縦向きに置き、奥側の“数字”をスート、手前側の“数値”をランクとみなす。リード牌のランクはそのトリックのトランプスートともなる。
牌の奇数の目(1と3と5)が得点。ただし、トリック4枚の全てに得点が含まれていたらキャンセルされて0点になる。
親は反時計まわり。4ディールまたは8ディールでの合計得点がより多いペアが勝ち。
ドミノ牌(W6)を用いる4人用ゲーム。天九牌ゲーム『チェーテン』のドミノ牌バージョンです。
300点持ちで開始。手番は反時計回り。
牌を出すときは横向きに置く。右側の数字がマッチされる数字になる。
手番にはマッチされる数字が左側になるように自分の前に置く。右側の数字が新たにマッチされる数字になる。もし持ってなければ任意の手牌を裏返しにして自分の前に置く。
ディール終了時に全プレイヤーが互いに「裏返しに置いた牌の目の合計」の差を授受する。全表か全裏か親なら授受額が累積で倍増。
親は反時計まわり。4ディールまたは8ディールでの得点がより多いプレイヤーが勝ち。
今日は相模原市橋本でボードゲームサークル「盤ガードミッション」の定例会でした。参加者は30人ぐらいかな。私がプレイしたゲームは『アクワイア』『宝石の煌き』『ストライク』『犯人は踊る』『アンギャルド』『ポジット』『ゴブレット』『ガイスター』『ロータリースター』『ベガス』『シャット・ザ・ボックス』『$グリード』など。
愉しい時間を過ごすことができました。みなさまに感謝。
A「ニンニク好きっていうのはかなりの確率で半島系で育ったんだと思う」
B「バカすぎて話にならないぞ。イタリア人もニンニク好きだが半島出身なのか?」
C「イタリアも半島だぞ?長靴のような形をしてるが」
救助船団あるいは捜索ヘリにケータイ移動基地局を搭載しておけば転覆時の船内の情報が得られるかも。
船内通路の天井に沿って脱出用梯子を固定しておけば転覆時に脱出&救出しやすいのでは。
乗客477人(乗務員30人と生徒324人と教員14人とその他109人)なんだけど、フェリーに搭載されてた自動車150台の運転手はどこへ? < ふと、久里浜フェリーで乗船者数と下船者数が合致せず捜索が行われたという話を思い出しました(乗船券で乗船し家族の車で下船したので犠牲者はいませんでした)。
この修学旅行でも日本に対し謝罪と賠償を求める予定だったそうです。それでも多くが救助されることを祈ります。
実は4桁の暗証番号はまともに憶えてません。IDから演算(例えば口座番号にAを掛けBを足し下4桁など。素数の剰余算もあり)で求めてます。いくつかの数字だけ憶えておけばいいのでけっこう便利です。
義務の不履行をもって権利の行使を批判すべきではないし、権利の行使をもって義務の不履行への批判を免れるわけでもありません。現実的には、公共の福祉に反しない範囲においてそれらの影響を勘案し適切に利害調整しなければなりません。例えば「有給は権利」と「仕事は義務」のコンフリクト(競合)においては、仕事を優先すべき重大な理由ないときや有給を優先すべき重大な理由があるときは仕事の不履行を容認すべきだし、仕事を優先すべき重大な理由があるときや有給を優先すべき重大な理由がないときは有給の取得を控えるべきでしょう(原理主義的にいずれかを優先しているとたいてい悲劇的な結果になります)。
そして、このようなコンフリクトを予防することはもっと重要です。悲劇的な話ですが、止むを得ない状況でデスマーチ前提の予定を組んだ管理者が批判されるのはやはり止むを得ないことでしょう。
自分の子供の入学式に参加する為に有給を取得し自分が担当する新一年生の入学式を欠席した県立高校教師は、欠席について批判されるべきであって有給について批判されるべきではないと思います(ちなみにこの問題は小学校でのケースでもありえます)。
そして、そのようなコンフリクトを事前に回避できなかったことについて関係者が批判されるのも止むを得ないことだと思います。個人的意見ですが、このようなケースにおける一般的な落としどころは「子供の入学式に出席してくれる親しい人(伴侶や親戚などを含む)を確保しておく。確保しておかないとコンフリクトのリスクが高まる」あたりだと思います。
教師だからと言って勝手に神聖視することなく総合的にバランス良く判断することが大事だと思います。
午後は西門夜桜祭りにお邪魔してます。でもすっかり葉桜祭りです(苦笑)。タコヤキ美味美味♪(ちなみにサクラはタコを食べるらしいです?)
午前は墓参で昼は武器屋。午後は池袋で「つあーすたっふ」の集まり。あるイベントのスタッフ集団ですが、そろそろ30年になります。長続きする関係に感謝。
コタツネコ特大ぬいぐるみが届きました。
コタツネコとは『うる星やつら』(高橋留美子/小学館)に登場するキャラクターです(単行本11巻/文庫版6巻/アニメ74話)。江戸時代に炬燵に入れてもらえなかった野良猫が現代に化けて出てきたものとされています(余談ですが、江戸時代の炬燵は掘り炬燵なので猫を入れると一酸化中毒になります)。白地に黒のブチがあります。原作登場時の体長は1mちょっとでしたが、次第に大きくなっていきます。キセルを喫います。好物はタイヤキです。おユキの次に強いと評されています。
30年ほど前にも「コタツネコぬいぐるみ(こたつ付き)」が限定販売されましたが、手が出せる値段ではありませんでした。そんなことを思い出しながらダンボール箱を開けます。イメージしてたのよりも大きなコタツネコと目が合いました(笑)。触り心地もなかなか良いです。
小型テーブルとあわせて階段に置いてみました。
リアルに「階段に猫がおんねん!」ができました!!
理性的というのは論理的かつ道理的であることだと思う。だから真に理性的でありたいなら他人の感情的な言動を単に批判するのではなく他人の感情的な言動を想定した上で行動するのが良いと思います。
「無実であるか否か」は実体法の問題であり「手続きが正しいか否か」は手続法の問題です。ぶっちゃけて言えば、訴訟手続に違反して無罪となったからと言って必ずしも無実であるとまでは言えないということです(もちろんその逆も然り)。
例のSTAP論文の問題についても同様な構図になっていると思ってます。「STAP細胞が存在するか否か」は科学の問題であり「捏造が存在するか否か」は学界の問題です。
もしSTAP細胞が存在するのであればそれは非常に有用なものとなりえますので、私としては「捏造が存在するか否か」よりも「STAP細胞が存在するか否か」に興味があります(ちなみに韓国の黄禹錫教授のES幹細胞のときも同様のスタンスでした)。もしSTAP細胞が存在するならその研究をさっさと進めるべきだし、もし存在しないならさっさと他の治療方法の研究を進めるべきです。手段(学界の問題の解決)の為に目的(科学の問題の解決)を停滞させるべきではありません。研究員の態度や涙の有無などさして興味ありませんし、それが小保方さんらによる解明でなくても構いません。
確かに論文捏造は批判されるべきですが、その理由は学界のルールに違反したことと研究の妨げとなることと分けて考えるべきものだと思います。
『地元で仕様書に目を通していたと思ったらいつの間にか巣鴨で塩大福を食べ比べていた』。な…何を言ってるか分からねーと思うが(以下略)< そんなわけで今日は池袋と巣鴨と鶯谷まで。
今日は用事を詰め込みました。原当麻駅前で荷物(鉄舌鼓)を預け、橋本駅前で8月使用料(杜のホールはしもと)を支払い、八王子駅で塩鶏ソバを食べ、池袋でマドレーヌ3箱を買い、喫茶店で打ち合わせ、袋小路に10周年のお祝い(ピット)を届け、藤沢のスタジオで音撃し、鶴間の杏談亭で小動物たちに遊んでもらい(眠月/階段/奇譚/河童)、最後は地元の桜祭りの打ち上げに顔だけ出してきました。< 袋小路への義理にあわせて用事を詰め込んだ結果ですが、なんとか周り切れました(笑)
晴れたり降ったりで目まぐるしい日曜日でしたが、とても愉しかったです。みなさまどうもありがとうございました。
今日は相模原市民桜まつり。約40万人規模のイベントです。午前は打ち合わせと搬入手伝いとデニーズで、午後は挨拶回りとフリマとツブドルと植木市と餡餅(シャーピン)です。シャーピン熱々美味♪
日暮かごめと犬夜叉とで“何匹かの妖怪を相手に、誰がより多くの四魂のかけらを集められるか”を競うゲームです(私のセットには神無や殺生丸や鋼牙が含まれてました)。自分の手番に選んだダイスの目に応じてダメージチップを妖怪に割り当てていき、妖怪が倒されたときに貢献度に応じて四魂のかけらを獲得できます。ボドゲ的に一言で説明するなら『サムライ・ダイスゲーム』です(アクションダイスゲームと銘打ってますがプレイヤーの敏捷性は不要です)。遊ぶならアドバンスルール「妖怪の嵐」を採用することをオススメします。
ボードゲームとしては良くできていると思いますが、一般的な犬夜叉ファンが遊ぶには難しいと思います。「なぜ『犬夜叉』にしたのか?」と小一時間ほど問い詰めたいです。
『ごいた』は石川県の能登町に伝わる4人ペア戦ゲームです。将棋駒に似た駒を用います。ゲームの流れはドミノ牌『ブロックゲーム』に似ていますが、最後に上がった駒で得点が決まるのが特徴的です。
なお、このゲームを『ラブレター』2セットで代用してプレイすると「将軍受け・大臣攻め」のような台詞が飛び出ますので注意のこと(腐女子的な意味で)。
『マンカラ』(AfricanTrad/AC3000年以前)はいわゆるアブストラクトゲーム(二人零和有限確定完全情報ゲーム)の一種です。
マンカラ(Mancala)とはアラビア語で「移動」という意味で、最も古いボードゲームの一つと云われます。恐らくは西アフリカを発祥とし、現在ではアフリカ大陸やカリビア諸島や中東や南アジアなど世界の各地でプレイされてます。しかし日本ではほとんど知られていません。一般に6個の窪みが2列に並んだボードが用いられますが、エチオピアやソマリアでは3列のものが、アフリカ南部や東アフリカでは4列のものが用いられることがあります。伝統的にコマは植物の種が用いられます。ルールも名称も様々であり、ヴァリアントは100種以上あると云われます。
『オワリ(Oware)』は西アフリカ(特にガーナ共和国)でプレイされているヴァリアントです。一般的な6マス2列のボードを用い、それぞれの窪みに4コマずつ初期配置します。手番には「自陣マスのいずれかを選び反時計回りに撒きます(sowing)。12個以上を撒くときには元のマスに撒かずに通過します。最後が敵陣マスで2または3個になるならそれらを収穫(Capture)し、更にその手前の敵陣マスが2または3個になってたならそれらも収穫し、以下連鎖します(自陣からは収穫できません)。グランドスラム(敵陣の全コマを収穫すること)は禁止です」。指し手がなくなるか過半数確定でゲーム終了です。
『キッレ(Kille)』(SwedishTrad/1833年以前)をひとことで説明するなら「スウェーデンに伝わるKilleカードを用いた1スートのトリテ。反時計マストウィンelse手札内最弱。最終トリック最弱者が得点。最多または規定の得点でゲームに勝ち。ヴァリアント多数あり。『5本のキュウリ』(フリーゼ)の元ゲーム」です。
ところでスェーデン語のサイトを検索&翻訳してみるに、メイウィンの方が主流かも?
30日(日)雨は橋本公民館にて「誰でも自由にボードゲームで遊んでいいよ。スタッフは会場管理しかやりません。ゲームやメンバは自分で用意して下さい」という建前のゲーム会を催してました。参加者は21人ぐらいでした。
要望があったので『キッレ(ククカード)』『オワリ(マンカラ)』『ごいた』『犬夜叉アクションダイスゲーム』など持参しました。
私がプレイしたのは『キャッシュ&ガンズ』『鹿狩(トリテ版)』『スティヒェルン』『6ニムト』『十七歩』『アン・ギャルド』『ごいた』『UNOダイス』『グリード』『シャット・ザ・ボックス』『マンカラ(オワリ)』など。
みなさま、ありがとうございました。
リサイクルショップにてトトロのぬいぐるみ(体長1m、中古28000円)と目が合った。都市伝説によれば「トトロは死期が近い人間もしくは死んだ人間にしか見ることができない」らしい。すまぬが、おまえを飼う余裕も予定もない。ちなみに新品だと9万円ほど。
たぶん声優イベントに初めてサイリウムを導入したのは私たちだと思います(1986年頃)。昨今のオタ芸を見聞きするに時代の流れを感じますが、熱い魂には共感を覚えます。愉しいことは良いことです。
「自分が好きなのはどのメーカーのものか?」を確認する為に、たまに異なるメーカーのものを食べ比べています。現在のところヤキトリ缶(塩味)はホテイのが好きです。
小学生(4級)相手に「二枚落でも余裕」と思って指してたら負けそうになりました。彼の成長を嬉しくもあり(笑)
10人。十数年ぶりにリアルで再会というのも珍しいことではありません。年季が違います(笑)
今日の高橋留美子ファンのお茶会(@東日本橋)で議論されたこと(展示会開催の件)については、以下のように認識しています(意見を求められたので…)。
著作権法に明示されていない著作物利用は、著作権の侵害にあたることもあるし著作権の侵害にあたらないこともあります。どういうことかと言うと、著作権法は権利者の経済的利益を保護することで文化の発展を図る為のものですので、権利者には第三者による勝手な利用を黙認する権利もその判断を留保する権利もあります。例えば営業や宣伝の観点で利用を黙認した方がいい場合には著作権者はその利用を黙認することができます。
その一方で、別の第三者が勝手に「許諾を得ていない利用は著作権侵害にあたる」と決めつけることは、著作権者固有の黙認権を明らかに侵害しています。それどころか著作権者があえて黙認しているのにそれを阻害するのは営業妨害にあたるかも知れません。その別の第三者ができることは、著作権者に通知することまでだと思います(その場合でも著作権者は判断を留保することが多いです。なんせ前例を作ると後が面倒ですから)。
もっとも、名目の如何を問わず著作物提供の対価を徴収しなければそもそも問題にならないので、展示会についてはこの方向で進めるのが良いと思います。
ちなみに、この「黙認」というのはあまりにも曖昧であるだけでなく、現実的に利用の把握(特に海賊版)が困難であるので、著作権法の非親告罪化(つまり海賊版を取り締まるために第三者が侵害か否かを判断できるようにすること)が図られてます。ただ、この非親告罪化はフェアユース規定(許諾を要しない利用の条件を広く明示的に定めること)を伴う必要があると思います。マンガやアニメの二次創作においてはグレーゾーンがなくなるので(つまり二次利用の範囲や条件が広く明示されるので)、フェアユース規定が伴われるのであれば著作権法の非親告罪化はむしろプラスになるだろうと思います。
盤ガードミッションの経済力なら、もっと収容人数が多い会場(50人部屋)を確保することも可能でしょう(なんせ参加費100円を200円に値上げするだけでいいのですから)。しかし、コンスタントに広い会場を確保できるわけではありませんので、無計画に規模を大きくしたら狭い会場(これまでのセミナールーム2や中会議室など)しか確保できなかったときに確実にオーバーフローしてしまいます。「広い会場が確保できなかったら開催しない」という選択肢は避けたいです。昨今のサークルのように参加申込制ならオーバーフローを予防できますが、バンガードミッションの常連さんの多くは「そんな面倒なことやらずに現地直行」な人が多いです。そんなわけで、現在のところ積極的な規模拡大はやってません。
コンスタントに広くて便利な会場を確保できるなら、もうちょっと攻めの運営をやりたいですね(参加者があぶれるリスクも減りますし)。
桜っぽい香りと云われる『ひとひら』(カリス成城)を買ってきました。主配合はベルガモットとクラリセージとゼラニウムですが、確かに桜っぽく感じます。そろそろ関東でも春一番が吹く頃です。
本日の盤ガードミッション定例会(@杜のホールはしもと)の参加者は27人でした。私がインストまたはプレイしたのは『アクワイア』『ブラッドバウンド』『地獄の釜』『ロストレガシー』『イモムシイモムシ』『シャット・ザ・ボックス』『ボグル』『キッレ』『キツネとガチョウ』『パス・ザ・ピッグ』『コリドール』など。みなさまおつかれさまでした。
コタツネコの特大ぬいぐるみ(座高72cm)が限定70体で発売されるので、さっそく予約しました。主な問題は保管場所です(冬場はコタツにセット)。追記。16日(日)には既に売り切れ。
5000年以上前のエジプトで遊ばれた『セネト』というゲームが、5世紀頃のローマで『バックギャモン』として確立し、7世紀頃に日本に伝来し『盤双六』と呼ばれるようになりました。正倉院にバックギャモンの用具が補完されているのはそういうわけです。また、江戸時代にヨーロッパ経由で再び伝来し『西洋双六』と呼ばれ、そして更に近代になって現在のバックギャモンが伝来しました(…と蘊蓄を述べながらインスト準備なう)。
それでは、バックギャモンのルール説明です。
このゲームは双六の一種で2人用です。三角形のマスが24個あります。初期配置された自分の駒15個を相手より先に全てゴールさせることが目標です。(バックマンの後ろを指し示し)自分のスタート地点が相手のゴール地点で、相手のスタート地点が自分のゴール地点です。(移動方向を示しつつ)お互いに反対方向に駒を進めます。
自分の手番にはサイコロ2個を振ります。それぞれの目で異なる2駒を進めてもいいし1駒2回でも構いません(実際にやってみる)。サイコロの目は可能な限り使わなければなりません。なお、相手が2駒以上いるマスには入れませんが、相手が1駒だけいるマスには入れます(実際にやってみる)。その場合、相手のその駒は「ふりだしに戻る」となります。ふりだし地点の代わりにバーに置くのが一般的です(実際にやってみる)。
自分の駒を全てゴールさせればゲーム終了で勝利となります。
特別なルールがいくつかあります
スタート地点に自分の駒がいる場合はその駒を進めない限り他の駒を進めることはできません。そして、ゴール地点の手前6マス以内に自分の全ての駒がいなければどの駒もゴールさせることはできません。ちょうどの目でゴールできない場合に限り、目を余らせてゴールしても構いません。・ぞろ目が出た場合はその目が4つ出たものとみなします。その目で4駒を動かしてもいいし1駒4回でも構いません。
ゲームの最初だけ、それぞれのプレイヤーがサイコロ1個ずつ振ります。目の大きい方が先手となり、その2つの目を用いて駒を進めます。
勝利点について説明します。
先に全ての駒をゴールさせたプレイヤーは勝利点1を得ます。もし相手が1駒もゴールしていなければ勝利点2を得ます。勝利点3での勝ち方もありますがめったにないので今は憶えなくていいです。
自分の手番でサイコロを振る前に降伏勧告することができます。勧告された側が拒絶したならこのゲームの勝利点は倍になります(ダブリングキューブを2倍表示に)。この降伏勧告は同じプレイヤーが連続して行うことはできませんが、相手は降伏勧告しかえすことができます(ダブリングキューブを4倍表示に)。相手が降伏勧告を受け入れたらゲーム終了で勝利となります。
それじゃ、練習プレイしてみましょうか。
さて、東日本大震災の当時に「電源不要なアナログゲーム(テーブルゲームあるいは広義のボードゲーム)」が避難所や停電時の娯楽として注目されてました。しかし、それらの遊びの道具は、震災に備えた用具の中でも特におざなりにされているモノの一つだと思います(…とは言え、一般の避難所や非常持出袋に用意できるのはせいぜいトランプぐらいです。他には、自宅にある将棋やサイコロ(算数セットや麻雀セットに含まれる)あるいはコンビニ在庫の『UNO』ぐらいでしょう)。
ゲームは道具だけあっても意味がありません。遊ぶ為のルールがあって初めてプレイできます。だから、それらの基本的な道具を使って遊ぶゲームや容易に自作できるゲーム…しかもある程度に知名度があって、初心者がすぐに愉しめ、そこそこ時間を潰すことができ、しばらく飽きが来ないゲーム…の知識が必要になります。
いろいろ考えてみましたが、トランプを用いたゲームは『ナポレオン』『大貧民』『ドボン』『ハーツ』あたりを憶えていれば十分だと思います(幼児向けのトランプゲームは既に誰かが知っているでしょう)。サイコロを用いたゲームは『バックギャモン』を憶えるのがいいと思います(盤も駒も簡単に自作できます。サイコロだって5000年前のエジプトでは手作りでしたし)。
兵法学の格言に「囲む師は必ず欠く」というものがあります。勝利が確定しない段階で敵軍を追い詰めてしまうと敵軍は「背水の陣」や「窮鼠、猫を噛む」をやりかねません。だから、優れた軍師は勝利が確定する直前までわざと相手の逃げ場所を残しておくことがあります(そして優れた軍師はわざと自軍の退路を断つことがあります)。
3人以上のボードゲームにおいてはしばしばキングメーカーという現象が発生します。例えばプレイヤーAの勝利可能性が8割でBが2割でCが0割となった状況において、Cが故意にAまたはBを勝者に確定させることがあります(つまりAまたはBを敗者に確定させることがあります)。
もしAが敗者とされたならきっとAは面白くないでしょうが、Aがより確実に勝利する為にはCの勝利可能性を有意に残しておくべきでした(CをキングメーカーにしたのはAの作戦ミスです。むしろBへの攻撃を優先した方が勝利可能性を増やせます)。一方で、Bの立場ではCの勝利可能性を無くすように誘導することで自分の勝利可能性を増やすことができます(特にCが「自分に勝ち目なくなったからAが勝とうがBが勝とうがどうでもいい。さっさと終わらせる」とするタイプならなおさらこの作戦は有効でしょう)。そして、Cの立場では「もし私の勝ち目をなくしたら早期終了の為にキングメーカーになります」という脅迫や「だから少しだけ勝ち目を残して下さい」というゴネ(Negotiation)も有効です。AもBも自分の勝利可能性を上げねばなりませんのでしばしばこのゴネを認めるのが最善手になります。
競技(not交流)を目的にしたプレイにおいては、キングメーカー行為や生かさず殺さずはルール違反でもマナー違反でもありません。いずれも戦術の一つとして扱うべきものです。< もちろん暴言や悪態はマナー違反です。
社会におけるキングメーカー問題の一つが、絶望を理由とした自殺や犯罪です。社会の経済的損失を抑える為には、自殺や犯罪を批判し抑止する「北風的政策」だけでなく、大多数が絶望しないで済ませる「太陽的政策」を併用するのが効率的です。社会が非常に裕福なら社会保障などの太陽的政策を重視する方が効率よいでしょうし、あまりに寄生(ネゴシエーションを含む)が多かったり社会に余力がなければ北風的政策を重視する方が効率よいでしょう。
人道的観点を別にすれば、新たな政策として「社会貢献が期待できなくなった人たちの尊厳死を認めること(貢献が期待できる人の自殺は社会の経済的損失です)」や「社会の構成員を優先した雇用の創出(ワーキングシェアなど)」や「最低賃金と生活保護の逆転現象を解消(労働可能な生活保護者に対しては保護を打ち切った上で同額での社会奉仕活動の提供が有効だと思います)」や「日常会話に不自由な移民あるいは経済的基盤を持たない移民を制限すること(この意味で日本語教育や就職斡旋は良い政策です)」や「養育困難な出産を制限すること(大家族制の復古やプライバシー過剰保護の抑制は養育余力の向上に繋がると思います)」や「深刻なイジメやDVに対する実効的な防止策」などが考えられます。もちろん、それぞれデメリットもありますので総合的に考えることが大事です。
ところで、プレイヤーBを社会問題にあてはめると、キングメーカーを増やすことで自分たちが利益を得る立場になります。具体的には、絶望しないで済む人を絶望させ、差別を作り差別を煽り、そして「差別だ」とC(貧困層や在日外国人など)を焚き付け、A(富裕層や日本国民など)に対してCをゴネさせたり利用したりします。キングメーカーメーカーとでも云いましょうか。
ボードゲーム的な定跡では、AはCに対してよりもむしろBに対して強く攻撃すべきです。
ビッグコミックオリジナル6号に掲載の高橋留美子劇場『魔女とディナー』を読みました。「妻に先立たれ食事に楽しみを見いだせなくなっていた糸川が、真条美乃に見初められて何度か食事を共にします。不思議なことに真条美乃はいくら食べてもまったく太らず若さを維持しています。その代わり…。そして家政婦の田部井さんは…」というお話です。
ネタバレにならない範囲での個人的な感想ですが、小粒ながら面白かったです。ただ、もうちょっとコンパクトにまとめるか、空回りの恋愛要素を付加しても良かったんじゃないかとも思います。
余談ながら、この話から考えるべきことの一つが「サクラさんの胃袋」です。そうかそういうことだったのか…(笑)
最近のあらすじ。ウクライナ国民の多くは経済的理由でEU側に付きたいが、ロシア系が多い南東部(クリミア半島を含む)の住民は言語やエネルギーなど様々な理由でロシア側に付きたい。チェルノブイリを抱えてるウクライナとしては、資源豊富な南東部の割譲や独立は認められない。先月に、反政府勢力(欧米が支援)が政権(親ロシア)を武力で追い出して暫定政権(親EU)を樹立。ウクライナ各地で武力衝突が継続。ロシアは自国民を保護する為にクリミア半島に軍事介入。ロシア軍はクリミア半島の住民に歓迎されてるが、暫定政権と欧米諸国はロシアを非難。
さて、多くの国家にとって同胞保護の為に軍事介入することは必要かつ当然のことですが、それを「保護を名目に軍事介入した」と批難することもあるいは本当に保護を名目に軍事介入することも世界ではしばしば発生します。そして、たいていそれらは同時に成立します。
日本人にとって例えば「同胞を救出する為には軍事介入や内政干渉しなければならないが、現地政府はそれを拒否」というのは想定しづらい難問だろうと思います(アメリカなら必要かつ当然として介入するでしょう。そしてロシアから「保護を名目に介入した」と批難されるでしょう)。そして、日本人がもっと想定しづらいであろうのが「同胞保護を名目にした外国による日本への軍事派遣や内政干渉」です。< 私が異文化混在を望まない理由の一つです。
いろいろな考え方がありますが、政治哲学として誰もが自分なりの結論を持っておくべきことだと思います。
一般の出版物の価値は「どれだけ読まれるか?」にあると思います。将来に自分または他人が読むかもしれないが為に出版物を大切に扱うことに意味はありますが、そのせいで現在に読みずらくなるのではあまり意味がありません。だから、常用したい出版物のケースはさっさと処分しています。
本を贈る前にブックケースを処分することがあります。私が贈るのは本棚に飾ってもらう為の本ではなく実際に使ってもらう為の本だからです。
人間が生活を営む上で基本かつ有用な知識は、初等教育における国語(意思伝達の為)・社会(社会を運営する為)・算数(結果を算出する為)・理科(生活や生産の為)などに分類され無駄なく学習できるようになってます。ただ、あまりに無駄のない積み重ねであるがゆえに、どこかでいったん躓くと途端にその後の学習が停滞してしまうことがあります。
そんな場合でも、学校で習わない知識が十分にあれば、あるいは将来に習う筈の知識が既にあれば、その躓いた部分を補完したり後回しにすることもできましょう。そのような“無駄知識”を効率よく身につけるには、学校の勉強とは別のものとして“無駄知識”に興味を抱くことが重要だと思います。興味を抱いたことについては小学生でさえ高校レベルの知識を理解できてしまうことがあるのです(特に理科や社会)。< 結果的ではありますが、その“無駄知識”は高校生になったときにも役に立つでしょう。
さて、小動物らが今春に中学へ進学するので何か贈ることにしました。個人的な趣味もあって理科の“無駄知識”が得られそうな図鑑にしようと思ったのですが、なかなか望ましい本がありません(学研の「ひみつシリーズ」は既にあります)。いろいろレビューを読んだ末に『スーパー理科事典(4訂版)』に決めました。願わくば、学校では習わない更なる“無駄知識”に興味を抱いてもらえることを。
十代の頃から物理が得意でした。塾にも予備校にも通っていませんでしたので基本的に独学です。あれもこれもと手を出す余裕はなかったので、最も難しいとされてた『物理(難問題の系統とその解き方)』を完全にマスターすることにしました。確かに難しったですが、“無駄知識”の蓄積があったのでなんとかなりました(最終的に4周ぐらい解きました)。Amazonで検索してみると当時の版がプレミア価格4000円〜7000円でした。思い出の為だけに買うにはちょっと高いです(苦笑)
その価値が何に基づくのか理解した上でそれを信用するか否かを判断するのが重要です。例えば不換紙幣や債権証書という“紙”の価値が何に基づいてるのか、たまに考えてみてはいかがでしょうか? < 資産の一部を貴金属や住居の形で物理的に保持しておくのは良い選択だと思います。
ついでに書いておくと…。インターネットを通じて価値をやりとりする便利さは理解してますが、そのセキュリティは信用してません。だから、ネットバンキングすら手続きしてませんし、ヤフオクや通販などでも振込や代引に限定してます。不便ではありますが、いつか発生するであろう大規模経済テロに備えてるつもりです。「表を知らぬ者はそれを使えず、裏を知る者はそれを使わず」です。
食欲を満たす為には日本向けにアレンジされたレシピが良いし、知識欲を満たす為には御当地そのままのレシピが良いです。
一般に現実の甲冑戦では「組討や非防護部位への刺突や斬撃が有効(殺傷)。防護部位への刺突や斬撃は無効」ですが、LARPやチャンバラなどの多くでは「組討や非防護部位への刺突や斬撃は禁止。防護部位への刺突や斬撃は有効(得点)」です。それらは基本的に甲冑戦(介者剣術)ではなく甲冑を模した安全具を付けての非甲冑戦(素肌剣術)だと解釈してます。しかるに、現代スポーツ『アーマードバトル』は刺突や非防護部位への攻撃こそ禁止されてますが組討が認められています。なかなか興味深いです。
コンビニなどでパンが売り切れてます。しかし時間は掛かってもいつか補充が来ます。そう信じられる社会を大切にしたいです。だから今は「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」で耐えられます。
2月23日(日)昼に渋谷WOMBにて「甲冑バトルSTEEL!」が催されます。おおざっぱに言えば、剣闘士による闘技会のようなイベントです。こういうのに興味ある人いますか?
自閉症の対語として自開症という語句をずいぶん前に思いついたのですが、もしこれを定義するのであれば「常に自分を開示し誰かと関わっていなければならないという強迫観念を抱いている状態」あたりになるだろうと思います。「自分のプライベートな行動(場所や食事など)まで逐一つぶやき続けなければならない」と思い込んでいる人がそれに該当するのかも知れません。
高身長の女性が自分より高身長の男性のみを恋愛対象にするとけっこう苦労します。なぜならば、高身長の男性の多くは「自分よりずっと低い身長の女性でもいい」と考えてるのでとっくに“売却済み”になってるからです。稀に「自分以上の高身長女性がいい」と考える高身長男性もいますが、そういう男性にとってそんじょそこらの高身長女性は恋愛対象外です。
協力ゲームに「共有地の悲劇」型ジレンマのテイストを加えてみました。
まず、それぞれのプレイヤーはウィルス初期配置9都市のいずれかを出身都市としてランダムに選択し密かに記録しておきます。ゲーム終了時に人類が勝利していたのであれば、出身都市にウィルス数がより少ないプレイヤーが、同じウィルス数だったなら初期ウイルスがより多かったプレイヤーがより上位での勝利となります。そして、人類が敗北した場合は全てのプレイヤーが等しく敗北となります。
普段は『こしひかり』や『あきたこまち』を食べてます。ときどき安売りされている新品種も食べますが、それほど大差ないように感じてました。ところが、先週から食べている『ななつぼし』が明らかに美味しいです。「ごはんが美味しい」という幸せを感じてます。
オリンピックについて、それぞれの政府の本音は「メダル数をもって自国のスポーツ文化レベルを内外に誇示することに意義がある」あたりだと思いますが、国際社会における建前は「参加することに意義がある」です。だから、体調管理が原因で棄権した選手ならともかく、健闘したもののメダルを獲得できなかった選手を公然と批判すべきではありません。
道路の脇に雪がたくさん残ってます。サングラス掛けないと雪眼になりそうです。歩道と車道との間もよく分かりません。ふと、歩道と車道との段差についての議論を思い出しました。車椅子使用者が「車道に降りる際に、段差に引っかかって倒れると命にかかわる」と言えば、視覚障害者が「一部でも段差をなくせば、歩道と車道との区別がつかなくなるので命にかかわる」と言います。中途半端にすると双方にリスクが及ぶので、こういうのはちゃんと決めておくべきだと思います。私は視覚障害者側の意見を支持してます(ただし交差点などでは点字ブロック併用でも良い)。
この豪雪の影響で横浜線も相模線も神奈中バスも運休しています。もしかしたら明日になっても神奈中バスの復旧は困難かも知れません。
ところで、毎月第3日曜日にボードゲームサークル「盤ガードミッション」の定例会を催してます。「盤ガードミッション」の例会は基本的に誰でも参加できるオープン会であり、常連の中にはインターネットやってないと言うだけでなく個人情報を盾にして連絡先を教えてくれない人もいます。< もともとネット外のサークルなので当然といえば当然なのですが…(苦笑) < この点に限っては、参加申請型のセミクローズ会がちょっとうらやまし。
誰かが来場する可能性が有意にある以上、主催者としては会場を用意しておく責任があります。最悪の場合、この残雪の中を私は大荷物を担いで会場(サンエールさがみはら@橋本)までの約3kmを徒歩で往復せねばなりません。更に悲劇的なことに、誰も来ないという可能性すらあります。
それでも開催する以上は、できるだけのことをやりたいと思ってます。
NHKでカーリング予選(日韓戦)を観てました。『カーリング』はストーンの制御だけでなく、どのストーンをどのように狙うかどのように置くかの選択が重要な氷上スポーツです。この意味で『カーリング』は氷上のボードゲームでもあると思ってます。ちなみに、ヤー(yeah)は「掃け」で、ウォー(whoa)は「掃くな」です。
結果は韓国の勝ちでした。日本に勝ったことが理由で韓国にて『カーリング』ブームが興るかも知れません。動機はともあれ、2018年の平昌冬季オリンピックを開催する韓国にとっては良いことだろうと思います。
JR横浜線矢部駅東側に歩行者と自転車だけが通れる小さな踏切がありました。住民にとっては便利な踏切でしたが、事故のリスク(ベビーカーや車椅子や老人が渡りきれない、降りずに通行する自転車との衝突、通行禁止のはずのバイク、遮断直前の踏切侵入など)も高く地域住民から改善の要望が出されてました。また、この踏切の存在によって快速は減速せねばならず、JR及び横浜線利用者にとっても改善が望まれてました。そんなわけで、この2月9日に矢部踏切が廃止され駅構内地下道の一部が開通となりました(残りは9月開通の予定)。
踏切廃止によって、踏切での事故のリスクがなくなり快速が減速しないで済むようになりました。ただ、地下道は自転車は降りて通行するように設計されてるので混雑時には渋滞が予想されます。また、車椅子やベビーカーなどは駅のエレベーターを使うことになります。総合的に考えますと、快速利用者が被っていたデメリットはなくなり、住民側には新たなメリットとデメリットが生じました(住民の中にも「不便になった」という人もいれば「便利になった」という人もいます)。< さすがに「自転車に乗ったまま通れない」や「バイクが通れない」は無視していいと思います。
デメリットが生じた主な原因は土地や予算の不足にあると思います。
土地について言えば、矢部駅は1950年に米軍補給廠への人員輸送用に再開されたもので隣の淵野辺駅との駅間は僅か800mです。当初は住民の利用が考慮されておらず、住宅街がある南側は広場すらなく最寄りのバス停まで500mあります。< JRの本音としては「補給廠が休止した以上は矢部駅も閉鎖したい」というのがあるんじゃないかな?
予算について言えば、どこが建設費を負担するか揉めたと聞いてます。地元としては「JRにもメリットがあるので負担して欲しい」ということらしいし、JRとしては「要望を出した地元側に負担して欲しい。旅客は今までずっとデメリットを負担してた」ということらしいです。
ともあれ新たなデメリットを解決するには、地下道の拡張ないし改修しか選択肢がありません。個人的意見ですが、地下道の利用者である住民が負担するのが筋だと思います。
私の地元の住宅地でも30cm以上は積もってました。それでも午前中にはほとんどの建物の前で雪掻きがなされ、なんとか転ばずに歩くことができるようになります(ただ、企業(休日)や空き地やアパートの前はそれなりに残ってました)。そんなわけで、私も近隣の道路や老人宅前などを勝手に雪掻きしてきました(若い人が住むアパート前は放置したけどさ)。それぞれが自分たちにできることをしているだけですが、このような公共心は誇って良いことだと思います。
善を為すことを気恥ずかしいと思う人は、自分を納得させる理由があればできるようになると思います。例えば「ジェダイなら当然のこと」「これもトレーニングの一種」のようなものでもいいのです。
政策A支持者9人と政策B支持者1人が立候補したら、有権者の7割が政策A支持で3割が政策B支持であっても政策B支持者が当選することがありえます。これは単純多数決制の欠点の一つです。有権者の意思をより適切に反映する為には「各選択肢(各候補者)に対して承認するかしないか」を投じる認定投票制を導入するのが望ましいと考えてます。
今日は都知事選の投票日です。投票率が下がると固定票を持つ候補者が有利になります。しかし、大雪が原因で下がるのは主に老齢層の投票率です。さらに言えば、今やネット住民もある種の固定票です。果たしてどうなることやら。
自分の戦闘能力に自信がある人は、いざというときに余裕を持って理性的かつ効率的に対応することができます。無用な戦闘を自制する為にも必要な戦闘を躊躇わない為にもこの自信はとても重要だと思います。いざ現場で自信喪失しない為には「あれだけ頑張ったのだから大丈夫」という根拠を持っていた方がいいです。
戦闘能力の習得にあたっては、はじめは「想定外にもある程度に対応できるようにすること」が有効で、やがて「完全に対応できるパターンを増やすこと」が有効だと思います。
「カレーライス」が730円で「カツカレー」が940円なので、カツカレー用カツ1枚は200円ぐらいです。私はいつもヒレカツ2個でカツカレーを作って貰って940円ですので、ヒレカツ1個は約100円になります。ここで、「ヒレカツ(4個)定食」が1450円で、「特選ロースカツ(1枚)定食」が1450円で、「標準のロースカツ(1枚)定食」が1240円で、「薄カツ(2枚)定食」が1350円ですので、特選ロースカツ1枚は約400円で、ロースカツ1枚は約200円で、うすカツ1枚は約150円になります。
理屈の上では、200円追加で「特選ロースカツ(1枚)カレー」を作ってもらえるはず?(もちろん私には食べきれませんが…)
『図解 戦国史』(SEIBIDO)を贈ったときに「久しぶりに私も『信長の野望』やりたいな」と思ったものの、じっくり腰を据えてプレイできるほどの時間的余裕はありません。あっさり割り切って、歴史ボードゲーム『国盗り頭脳バトル 信長の野望』(2008年)にチャレンジすることにしました。『信長の野望』を極限まで簡略化したようなゲームです。これなら空いた時間をうまく利用できます。レビューを読むにずいぶん評価が高いので、ちょっと期待しています。
ちなみに、信長シリーズの中で最も好きな作品は『天翔記』です。
一般に数式をプレーンテキスト形式で表記する為には…例えばプログラミング言語で表記したりする為には…様々な工夫を要します。「a/bc」のような単純な数式でさえちょっと注意しなければなりません。ここ数日では「9―3÷1/3+1=?」が有名です。この問題のオリジナルでは「1/3」は分子分母が明示された分数として表記されてました。
プレーンテキスト形式の数式における乗除算の優先順序についてちょっと考えてみました。
さて、数学的に除算「a÷b」は“括線の代用であるスラッシュ”および“分数の範囲を示す記号(分子は上付きで分母は下付き、または、分数の前後に空白もしくは括弧など。範囲が自明である場合は省略できる)”とを用いて例えば「(a/b)」のように書き換えることができます。英文タイプライターにおいては歴史的に、除算や分数をスラッシュおよび範囲明示で表記していました。要するに、英文タイプライターでは無条件に「÷」を「/」で書き換えてはいけなかったのです。
タイプライターの継承であるプレーンテキストにおいても、特に定義されていない限り無条件に「÷」を「/」で書き換えてはいけません。そして、プレーンテキストでは上付き下付きは使えませんし空白記号で範囲明示するのも難しいので、(範囲が自明である場合は省略できますが)括弧を用いて除算や分数の範囲を明示しなければなりません。
しかるに、プレーンテキストにおける明示ルールを知らない人が多いのか、しばしばこの記事のような笑い話が出てきます。この記事の数式「9ー3÷1/3+1」では、範囲を明確にする必要があったにもかかわらず括弧が表記されていません。その結果として、分子の範囲は「1」「3÷1」「9ー3÷1」のいずれにも解釈できてしまい、分母の範囲は「3」「3+1」のいずれとも解釈できてしまいます(旧いHTMLタグを用いて例示するなら「9ー3÷1/3+1」のようなケースまでありえます)。単純に「/」を「÷」の代用と解釈してる大多数の人たち(代用が定義されているプログラム言語に親しんだ人たちに多い)は「9ー3÷1÷3+1」のように解釈するでしょうし、一方で「/」を括線の代用と解釈している人たちは「9ー3÷(1/3)+1」のように解釈するでしょう。
例えば「a÷bc」も有名な問題です。この類の問題については、数式「bc」は「b×c」の別表記ではなく「(c×b)」の別表記であると考えれば分かりやすいと思います(ちなみにプレーンテキストにおいては演算子「×」は「x」「・」などで代用できます。プログラミング言語においては「*」で代用することが定義されてます)。< そんなわけで、この日記の冒頭の「a/bc」は「(a÷(b×c))」と解釈するのが正しいとされます。
余談になりますが、数式「bc」においてbとcとのいずれもが数字の場合に限り桁上がりが更に優先されます。例えば「a÷12」は「a÷(1×2)」ではありません(そりゃそーだ)。また、「a÷(1)2」は一般に「a÷((1)×2)」と解釈されることが多いです。
たとえ正しい表記方法が定義されていたとしても、書く人や読む人の誰もがそれを理解しているわけではありません。だから、プログラムにとって正しく記述するだけでなく人間にとって理解しやすいように適切に括弧を用いることが大事だと思います。
『ガールズ&パンツァー』のボードゲームが発売されます。それぞれ(アニメファン、ミリタリーファン、モデラー、ゲーマーなど)がお互いに「自分たちの趣味に興味を持ってくれる人が増えるかも?」と考えてるみたいですが、いずれも「自分たちが他の趣味に興味を持つようになるかも?」とは考えてないみたいです。別に悪いことではないのですが、ちょっと興味深い構図だと思います。
基本は『軍人将棋』です(要・審判)。コマは7種類。手番にできることは「任意の自駒1コマの表裏をひっくり返すことができる。さらに「“移動&攻撃”(裏向きのコマは縦横斜1マスまで。表向きのコマは移動力まで。攻撃は相手コマがいるマスに侵入。攻撃しなくても良い。戦闘結果表は後述。引き分けなら元いたマスに戻る)」、「“間接攻撃”(表向きのコマのみ可)」、「“再編成”(隣接する裏向きの2コマを選び、密かに入れ替えるまたは入れ替えない)」のいずれか」です。相手の司令部マスに輸送艦を入れるか相手の輸送艦を全滅させれば勝ち。
戦闘結果表 | 移動 | 移動&直接攻撃 | 射程 | 間接攻撃 |
---|---|---|---|---|
攻撃\防御 | 戦攻巡駆潜輸ダ | 戦攻巡駆潜輸ダ | ||
戦闘機 | 3 | ○○××△△△ | 2 | ○○△△△△△ |
攻撃機 | 3 | ×△××○○△ | 2 | △△○○△○△ |
巡洋艦 | 2 | ○○○○×○△ | 3 | △△○○△○△ |
駆逐艦 | 2 | ○○×○○○△ | 2 | ○○△△△△△ |
潜水艦 | 2 | △×○○×○△ | 0 | △△△△△△△ |
輸送艦 | 2 | △××××△○ | 2 | △△△△△△○ |
ダミー | 3 | △△△△△△○ | 0 | △△△△△△△ |
私にとっての最初の『軍人将棋(Stratego)』は、小学5年生の頃に貰った『作戦将棋』(トミー/1976年発売)でした。自動判定装置によって2人で遊ぶことができました。青軍と赤軍との編成が非対称だったことを憶えてます。確か、青はタンク2駒あるが工兵がなく、赤はタンク1駒だけだけど工兵4駒がありました。まれにネットオークションで見かけますがけっこう高騰します。でも、こういうゲームはPC(特にタブレット端末)を利用する方が良いと思ってます。< 別に「ボードゲームは電源を利用しちゃいけない」なんて全く思ってませんし。
ミサイル駒を対空ミサイル車両と解釈することで新しい遊び方ができます
十分にバランス調整がなされたボードゲームでは、どのような作戦を選ぼうともほぼ同じ程度の勝率になります。言い過ぎかも知れませんが、それぞれの作戦を評価せずに作戦を選ぶことすら可能です。そして「自分が選んだ作戦をいかに無駄なく効率的に進めることができるか?」が勝敗の鍵になりがちです(必然的に長時間ゲームになります)。< 数回しかプレイされない作品ならこういうバランス調整も商業的にやむを得ないのだろうと思います。しかし、そんなゲームばかりだと、どのゲームを選んでも同じようなプレイ感を抱くことになります。
私の好みは逆でして、効率的な運用で勝負する長時間ゲームよりも作戦の選択で勝負する短時間ゲームの方が好きです。
ボードゲーム『バックギャモン』は『セネト』(紀元前3000年頃@エジプト)を起源にしていると考えられてます。日本への伝搬は大きく分けて3回ありました。
正倉院にバックギャモンの道具が納められているのはそういうわけです。
ボードゲーム会の主催者をやっています。原則として競技あるいは遊戯を目的にしてボードゲームを用いる場をときどき提供するだけの簡単なお仕事です(会場確保の都合で賭博や営利を目的とするのはお断りしています。交流はアフターやランチでご自由に)。
他所のサークルの主催者さんと違って私は最近の作品をほとんど持ち込んでません。そういうのは参加者さんにお任せしています。どちらかというと待ち時間を調整する為のものがメインです。また、ボードゲームサークルを名乗っている以上は、ボードゲームについてよく知らない人が「○○というボードゲームについて教えて欲しい」と訪ねて来てくれたときに即応できねばならないと思ってます。だから、実際にはほとんど使われることはなくても、メジャーな伝統ゲームやボードゲームの資料も常備しています。もちろん自己満足だと自覚しています(笑)
この週末にプレイしたテーブルゲーム(広義のボードゲーム)は『$GREED』『AD&D2(アドバンスドダンジョンズ&ドラゴンズ第2版)』『クク(カンビオ)』『インディアンクク』『シャット・ザ・ボックス』『アクワイア』『カタンの開拓者たち』『ブラフ』『ハゲタカの餌食』『ドラフツ』『ゴブレット・ゴブラーズ』『スリートリックス(トランプ)』『テキサスホールデム(トランプ)』『チェーテン(ドミノ牌)』『ドメモ』『街コロ』『シャット・ザ・ボックス』『エイセス(LCR)』などです。みなさまありがとうございました。
政治思想的には右斜め上ぐらいを自称してます。異なる政治思想に対する基本スタンスは「思想は理解するが賛同しない。言動は批判するが人格は尊重する」です。このスタンスを実践する為には「思想を理解し判断する能力」が非常に重要です。そして私はこのスタンスを実践できる人を増やしたいと思ってます。
小中学生に“歴史”を教えるにあたって最初に与える図書は、とにかく構造をイメージしやすい簡単なものであるべきです。思想的に左右いずれかに偏っていても構いません。ある程度にイメージできたようなら、異なる思想のものを与えて「数学や理科と違って歴史ではいつまでも正解を確定できないことがあります」と“歴史の定義”を教えます。歴史を学ぶ目的は知識よりも知恵にあるのでバランス感覚は非常に重要です。左右いずれかの偏向教育では将来の反動で極右か極左になりかねません。
そんなわけで、町田の大型書店で実物をチェックし『図解 日本史』『図解 近代史』などを買い込んできました。これらのうち『図解 日本史』だけは自虐史観的に書かれてるように思います。そこで、まずは『図解 日本史』などを、しばらくしたら『図解 近代史』を与えて“歴史の定義”を教えようと思います。< ここまでが昨年末の話。
こんにちは。元気にしてますか。『図解 日本の歴史』はおおよそ理解できたでしょうか。今回は『図解 近代史』を贈ります。
さて、「過去はこうであった」という歴史的真実はいつも一つですが「過去はこうだったに違いない」という歴史的事実は様々な主張が存在しています。
日本の近代史においては「歴史問題は日本が全て悪かったに違いない」という主張と「歴史問題の多くは捏造や誇張だ。日本は自分たちの国土と国民を守ろうとしてた」という主張とが対立しています。
『図解 日本史』は前者の立場で書かれたもので、『図解 近代史』は後者よりの立場で書かれたものです。どっちかが間違っているかも知れませんし、どっちも間違っているかも知れません。大人になったら資料に基づいて自分で判断して下さい。今は「いろんな意見があるんだな」ぐらいでいいと思います。
歴史を学ぶにあたっては、年号や名称を憶えることよりも「どうしてそうなった?」を考えることが大事です。なにか分からないことがあったらいつでも大人に尋ねて下さい。
実効性のある政策の為には、正社員求人倍率と非正規求人倍率を分けて考えるのが良いと思います。なぜならば、後者だけが上昇したところで、経営者は非正規の賃金を上げずに安価な外国人労働者を求めるだろうからです。
鴛鴦茶(ユンヨンチャー)を飲みました。珈琲や紅茶に対する固定観念あるいは宗教的崇拝があると、冒涜的な味に感じるんじゃないかな? < これは「Not For Me」だけど、いろんな飲み方があっていいと思ってます。
たまに匿名掲示板に目を通してます。建設的な意見のやりとりもあれば不毛な中傷の応酬も見られます(苦笑)
さて、他者を中傷する手段の一つに「レッテル貼り」があります。例えばAさんには倦怠感や微熱の症状がありましたが咳は全く出ないのでマスクをしていませんでした。その話を聞いた敵対者Bが「その症状は風邪に違いない。だから咳も出ているはずだ。マスクをしてないことで周囲に迷惑を掛けた事実をAは反省しなければならない。咳は出てなかったなんてウソを付くのは反省していない証拠だ」とAが不在の場でAを中傷しました。必要ならばBが被害者を自称して周囲の同情を買うこともあります。後になってAが反論しても水掛け論になってしまいます。
世の中にはこれと同じ構造の中傷がけっこうあります。例えば「犯人」「ネトウヨ」「ブサヨ」「在日」「戦犯国」「〜派(〜を無条件に支持あるいは反対しているに違いない)」「〜法案(○○も処罰されるに違いない)」「ニート」などもレッテルとしてしばしば用いられます。匿名の場あるいは批判対象が不在の場ではレッテル張りによる印象操作はとても効果的です。だからこそ、誰かが他者を批判しているときにはレッテルという捏造根拠による可能性に留意しておくことが必要だと思います。
不幸にもレッテルを貼られてしまった場合には、事実関係を水掛け論で争ってもなかなか埒があきません(悪魔の証明であればなおさらです)。不本意ながらも効果的な反撃は、レッテルを貼った側の信頼度を落とすことです。< たいていこの反撃があるので、レッテル貼りをするのは「相手にダメージを与えられるなら自分がより多くのダメージを喰らってもいい」という病的な人かあるいは匿名掲示板など反撃を受けない場所にいる人ぐらいです。いずれにせよ、そういう人たちとは(改心させるほどの実力があるならともかく)できるだけ関わりにならないようにするのが賢明だと思います。関わらざるを得ないなら、うまく制御していかねばなりません。
ここ最近、町田に来るたびに「商品名:『たいやき(柚子あん)』。商品分類:和菓子(焼き菓子)。原材料:小麦、小豆、砂糖、その他(鯛(スズキ目タイ科マダイ)は入ってません)」を食べてます。美味♪ < 政治的に正しい食品表記を常用するのは実用的ではないと思ふ。
樹木にはそれぞれ固有の香りがあります。それらの中でも、私は特にヒノキの香り(材も葉も)が好きです。でも、日本や台湾にしか自生していないこともあって多くの外国人にとってはあまり良い香りではないそうです。もしかしたら日本人であってもヒノキ風呂やヒノキ建築に馴染みが薄ければこれを悪臭と感じる人がいるかも知れません。
樹木から抽出した精油の多くには抗菌効果や防虫効果がある成分が含まれています。昨今では各種の精油がアロマショップや通信販売で容易に入手できます(アロマショップで買うと高価なので製材所で抽出されたものを買うのが良いです)。抗菌にはヒノキや青森ヒバやユーカリやティーツリーなどの精油が適してます。私はヒノキ精油スプレーを防虫剤(衣装箪笥)や入浴剤に使ってます。ほんの2〜3滴ぐらいの量で浴室いっぱいに香りが広がります。
ちなみに、強烈な抗菌性で知られている不飽和七員環化合物ヒノキチオール(C10H12O2)は日本のヒノキ(ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ)にはほとんど含まれてません。ヒノキチオールを多く含むのは青森ヒバ(ヒノキ科アスナロ属ヒノキアスナロ)です。
いちいち樹木の分類を書いているのは、樹木の呼称は概して方言による混乱が著しいからです。ある樹木の呼称が地方や業種によって異なるだけでなく、同じ呼称でも地方や業種によって異なる種であることもあります。さらに面倒なことに、それらの呼称は必ずしも学術的な分類体系に則ったものではありません。生化学的な利用を論じるときには学術的分類を併記するのが良いと思います。< このあたりは食材表示問題と似てます。
そんなわけで、今日も「ヒノキ風呂っぽい何か」で温まります。
商品名は一般名詞「サーモントラウト弁当」でなく固有名詞『シャケ弁当』とし、原材料名に「サーモントラウト」と表記するのが現実的な最善解だと思います。ただし、一般名詞と固有名詞とを区別する為のルールも必要になります。< 私の場合は、区別が必要な場合に固有名詞を二重鉤括弧で記述しています。
声優の永井一郎さん(82歳)が亡くなったそうです。
磯野波平(『サザエさん』)やヨーダ(『スターウォーズ』)の声の人であることも承知してますが、私にとっては錯乱坊(『うる星やつら』)や八宝斉(『らんま1/2熱闘編』)など“るーみっくアニメ”の声の人です。ほんの数分でしたが直接お話したこともあります。
これも「さだめじゃ!」なのでしょう。ご冥福を祈ります。
声優さんが亡くなるたびに「音声データベースを残しておいて欲しかったな」と痛感します。十分なデータがあればいつかボーカロイド声優が実現できるだろうからです(ただし、新人声優の仕事を減らすことにもなるのでメリットばかりでもありません)。また、『うる星』や『らんま』でアニメ化されてない話の台詞だけでもあれば、その音声にあわせて動画を作れたかもしれません。< 余談ですが、仮面ライダーやスーパー戦隊の俳優さんたちも数十年後の再登場のときの為にあらかじめ「おまえがこの時代のライダーか。がんばれよ!」のような音声を残しておいて欲しいです。
さて、今夜は『うる星』を観ながら追悼するとしましょう。
共感できる台詞が4つありました。戦極「僕の趣味だ」、貴虎「保護対象だ」、シド「汚れ仕事」、サガラ「輝き」。いずれも私が自分で言いかねない台詞そのまま(笑)
経験則によれば、日本の大手のマスコミは隠蔽や誘導や編集はしばしばやるけど捏造やウソはあまりやりません。< いつか後世に「当時の責任」を追求されないようにしているのだと思います。
私が学んだことの一つが、「失望"も"」と書かれているときは少数意見側であることです。反語的に「失望は少数派であった」と解釈しています。
欧米ではよく遊ばれているが日本では全く遊ばれてないボードゲームの一つが『チェッカー(ドラフツ)』です。そもそも日本ではチェッカーボード(チェス盤)が普及してないのでやむを得ないことでもありましょう。そもそも日本におけるチェスのプレイ人口は将棋のプレイ人口の1割以下です。
ゲームのルールは1分ちょっとで説明できるほど簡単です。「チェス盤と駒を使います。初期配置が画像(略)の通り。2人用ゲームです。自分の手番に駒を一つだけ動かします。動かせる駒がなくなったら負けです。駒はいずれも斜めにのみ動かせます。自分の斜め前に相手の駒があってその向こうのマスが空いていれば、その相手の駒を飛び越えて取らなくてはなりません(更に飛び越えることができれば同様に繰り返さなければなりません)。もし飛び越える駒がなければ斜め前に1マス進めます。飛び越せる駒や動かせる駒が複数ある場合はいずれを選んでも構いません。相手の陣地(最も奥の列)に到達したら、その駒は昇格して「キング」になり斜め後ろにも動かせるになります。以上です」。
道具は簡単に自作できるので、親子で遊んでみるのも面白いだろうと思います。
現在ではコンピューターによる完全な解析で双方が最善を選べば必ず引き分けになることが証明されてます。しかし、人間が双方とも最善を選べるわけもありませんので、先手が勝ったり後手が勝ったりします。また縦10横10マスのボードを用いることで考えどころを大幅に増やすことができます。
いろいろ思うことあって駒を並べてみました。私はどれだけ文化を次世代に伝えることができるのやら。
馬形進(小俣光夫)さんの冥福を祈ります。
もう使ってない旧PC3台(WindowsXPやVista)をメンテするついでに「使えなくなったPCがあれば連休にメンテしておくよ?」と言ったら合計7台をメンテすることになりました。そんなわけで、パーツ換装したりリカバリーしたりアンインストールしたりインストールしたりアップデート掛けたり軽量化したりリカバリーディスク作成したりしています。技術的には朝飯前なのですがとにかく手間と時間が掛かります(特に『EeePC701SD-X(WinXP;RAM=512MB;SDD=8GB)』(ASUS/2008)の自動更新は6時間も掛かったし…)。HDDが壊れてた『G570-43347GJ(Win7;RAM=8GB;HDD=750GB)』(Lenovo)も無事に換装&復旧できました。
たとえ動作検証用でも旧PCを稼働させることはもうないだろうと分かってます。でも、たくさんお世話になったPCへの手向けのつもりでやってます。こういう自己満足は嫌いじゃないです。
なお、XP機もインターネットやらなきゃ特に問題なく使えます。カスタマイズしたXP機は下手な最新PCよりずっと軽快です。
地元の神社に参拝したり、おせち料理(雑煮(すまし汁・焼いた四角い餅・鶏肉・大根・京人参・小松菜・椎茸・鳴門巻き))、伊達巻き、小鰭粟漬、栗金団、昆布巻き、煮豆)を食べたり、コタツでテレビ見てたり、サーバトラブルに巻き込まれたり、年始回りしたりされたり、箱根駅伝を観てたり、親戚オフでお年玉あげたり、ゲーム(百人一首・バックギャモン・将棋・キャプテンズミストレス・ドラフツ・マリオカート・ボンバーマン)で遊んだり、四枚落ち将棋で負けて喜んだり、京王れーるランドで小学生たちを引率したり、中華龍門の閉店が残念だったり、武具をメンテしたり、樹木系精油の勉強したり、仮面ライダーフォーゼ映画3作(ナデシコ編・キョーダイン編・イナズマン編)を観てポワトリンの正体に全てを持って行かれたり、シャツを新著したり、精油を買ったり、スキャナを買ってきてアルバム取り込んだり、盤ガードミッション@橋本公民館でボードゲーム(ハゲタカの餌食(4点4位/5人)・アクワイア(43800ドル1位/4人;最後まで袋の中に2Aと2Bと1Cが…)・世界の七不思議(アレクサンドリア70点2位/7人)・テキサスホールデム(2400ドル1位/8人)・怪獣征服(49点1位/4人)・その他)したり。そんな正月休みでした。
あけましておめでとうございます。
昨年中はたくさんお世話になりました。みなさまに感謝しています。
今年も愉しむ為に生きるつもりです。どうぞ宜しくお願いいたします。