2013年のログです。
一般論ですが、他人の名前&写真を騙って下品な書き込みを繰り返す粘着的愉快犯に対していくら注意や説得したところでその効果は期待できないのですから、さっさとアクセス制限かけるなり強制退会させる方がマシだと思います。また、本人が周囲からちゃんと信頼されてれば誤解する人は少ないだろうと思います。
裁判記録を見るに、ABCの分類は戦争犯罪の重さではなく戦争犯罪の種類(A項(平和ニ対スル罪)、B項(通例ノ戦争犯罪)、C項(人道ニ対スル罪))です。いわゆるA級戦犯を「平和に対する罪」で批判するのは適切ですが「人道に対する罪」で批判するのは不適切だと思います。
米国政府が失望したというのは「首相が靖国神社に参拝したこと」に対してではなく「近隣諸国との緊張を悪化させる行動」に対してです。これらを故意に混同すべきではありません。故意の混同を根拠にしての批判はプロパガンダに過ぎないと思います。
私の宗教観においては、キリストも八百万の神々の一柱です(かなり高位の存在だろうと想像しています)。そして、この考え方をクリスチャンらに強要する必要もないし、キリストを唯一神だと信じる必要もないと考えてます。本来の宗教的イベントを否定することもないし、日本風にアレンジされた民俗的&商業的なイベントも特に抵抗なく楽しんでます。
…とはいえ、いつも通りの平日でした。クリスマスイブらしいことと言えば、鶏の唐揚げとチェリーコークとイルミネーションを愉しんだことぐらいです。 < ちなみに、サンタクロースのカラーリングがコカコーラ社に由来するというのは俗説らしいです。ついでに言えば、唐揚げよりも竜田揚げが好きです。
今年もメリー・クリスマス♪
もしサンタクロースが実在するなら、「世界中の子供たちに十分な食糧を」と願いましょう。ただし、「ポロン・カリストゥス(トナカイ肉の煮込み)」や「レインディアジャーキー(トナカイの干し肉)」はゴメンナサイです。
生活保護受給者に高い維持費を要する高級品を贈っても死蔵ないし売却されるだけだと思うんだ。
カボチャ煮とユズ湯。生化学的には冬至である必然性はありませんが、伝統文化的にはいろんな意味があります。江戸の民衆が楽しんだ洒落に私たちも肖りたいものです。
ラムちゃん曰く「なにもかも忘れてばか騒ぎすること」。忘れたいことはほとんどないけどバカ騒ぎは愉しいです。
ボードゲーマー度97(=プレイ65+所有32)。以前は120ぐらいだったからずいぶん真人間に戻れまし…あれ?(笑)
私が所有しているボードゲーム(テーブルゲーム)を大別すると「まーぶるまっどねすで遊ぶ『AD&D2』関連(積み上げ1mぐらい)」と「バンガードミッションに持ち込む定番あるいは時間調整用」と「親戚や地域の集まりで遊ぶもの」と「遊戯史研究用の伝統ゲームやパブゲーム」の4系統になります。以前は各種入賞作なども揃えていたのですが、今では周囲の友人が完璧に揃えてくれてるので自分で所有する必要がなくなりました。
そんなわけで、使わないであろう大量のゲームや重複したゲームは少しずつ処分したり周囲に押しつけて、コレクションを“圧縮”しています。最近では、なにかゲームを買うとしたら自宅用のものをより高品質なものにアップグレードするぐらいです。
バンガードミッションのオープン例会に持ち込んでいる基本セットは以下の通りです。その時々でオプションを追加したりしています。
注文してたソリティア盤(直径36cm)が届きました。紫檀製と書かれてますが、原産地表記と木肌を見るに恐らくマダガスカルローズウッドだと思います。日本で普通に入手できるのはこのサイズが最大みたいです。このサイズのボードは十数年前にも所有していたのですが、引っ越しの際に処分してしまいました。今にして思えば惜しいことをしました。
『ソリティア(Solitaire)』とは1人遊びの意味です。「ボードに球を並べて互いに飛び越して除去しながら最後に1個だけ残す」というパズルが有名です。このボードは『キツネとガチョウ(Fox and Geese)』などの2人遊びに用いることもできます。『キツネとガチョウ』は二人零和有限確定完全情報ゲームであり標準的なルールではガチョウ側の必勝らしいですが、ちょっとミスするとキツネ側が容易に勝てる状況になります。もしハンデをつけるなら、例えば「ガチョウはキツネから遠ざかる方向に“敵前逃亡”してはならない」が適切だろうと思います。
「日本版The One Hundred」には『アクワイア(Acquire)』『D&D(Dungeons and Dragons)』『ライアーズダイス(Liar's Dice)』『バックギャモン(Backgammon)』『ピット(PIT)』『将棋(Japanese Chess)』『チェーテン(zhang-tian)』『カタンの開拓者たち(Die Siedler von Catan)』『コリドール(Quoridor)』『アンギャルド(En Garde)』『パンデミック(Pandemic)』『シャット・ザ・ボックス(Shut the Box)』『オーガ(OGRE)』『ベリシ・ネベリシ(Verish' Ne Verish')』『ディプロマシー(Diplomacy)』を提示しました。
今日は地元でボードゲーム会(12時間)を催してました。参加者は35人ぐらい。私がプレイしたのは『アクワイア』『チェーテン』『バックギャモン』『シャット・ザ・ボックス』『天空盤』『ローラーコースター』などなど。みなさまありがとうございました。来年も宜しくです。(
おおよそ十年振りでしょうか、今日の午後は二十数年来の友人と会ってきました。互いに高橋留美子ファンとしては達人級ということで会話のテーマはあいかわらず「るーみっくファン論」です。「るーみっく文化祭」や「るーみっく同窓会」や「文化財としてのグッズ」や「パソコン通信時代の文章の再利用」や「2020年に外国人向けの企画」などについて徒然と話してきました。特に「今の私たちには出来ないこと。今の私たちなら出来ること」は興味深いテーマでした。
連載当時に私たちが読んでいた高橋留美子作品も今の人たちが読んでいる高橋留美子作品も基本的には同一のものです。だから、当時の考察は今でもきっと有用だろうと思います。少なくとも連載当時はこのように考えられていたという記録は私たちの世代が残さなければ誰も残すことができません。
次に会えるのはまた数年後になるでしょう。熱い魂は健在だと信じてます。
法案の条文に眼を通さずに賛成あるいは反対している人たちは誰かに煽られている可能性を自覚すべきと思います。ところで、もしこの法案が「スパイ防止法」という名称だったら、どのようなロジックで賛否を展開してたことやら?
Amazonで“Horemheb, The New Pharaoh”や“Prelude”を試聴することができます。
「ボドゲは健全な遊びだよ。賭博に用いられる『麻雀』や勧誘に用いられる『キャッシュフローゲーム』はボドゲじゃないよ」というスタンスだと、たいして説得力は無いと思います。「ボードゲームは競技にも交流にも賭博にも勧誘にも使われる道具である」と認めた上でその有用な使い方を広めるのが良いと思ってます。
ファミマの「ラーメンまん(担々味)」。崩さない為か皮は厚め。キャメルクラッチは好きな技の一つなのですが、実戦でこの技を掛けることができる状態は既に勝負がついている状態だと思う。第3作は「テリーまん」と予想。
何かの犯罪で○○○が使われると、そのマニアから「犯罪に○○○を使わないでほしい。○○○が悪いわけではないので、社会や家族は○○○を規制しないで欲しい。私たちを犯人と同一視しないで欲しい」という意見が出てきます。興味深いのは、犯行そのものへの批判がほとんど含まれていない自己防衛的なスタンスであることです。その趣味が社会や家族から容認されにくい原因の一つは、マニアのそういう非社会的スタンスにあるのかも知れません。
ならば、マニアたちが適切に自己防衛する為には、趣味的な視点だけでなく社会的な視点も忘れないことが必要になります。その趣味を社会や家族から信頼して貰うには、そのマニア自身が社会や家族から信頼されることが重要だと思います。
さて、○○○に入るのは?
特定秘密保護法案に賛成または反対している人たちが2010年の尖閣ビデオ流出事件でどのように主張してたか読み返してみるといろいろなことが見えてきます。
もしも国民の知る権利が本当に最重視されるなら、マスコミに「報道しない自由」は認めるべきでないし、むしろ「(国民にとっての重要度や緊急度に応じて)報道する責任」を課すべきだと思います。
防空識別圏の設定そのものは各国の自由です。領土や領海が相互承認されている国家間ではたいてい重複しないように設定されます。
しかるに、航空兵力の増強が著しい中国が尖閣諸島を含む東シナ海の上空に防空識別圏を後出しで設定しました。日本が「撤回を求める」と抗議したところで撤回するわけありませんし、領域の交渉も決裂するのが目に見えてます(中国が日本に対して日本の防空識別圏の撤回を要求しても同様でしょう)。残念なことですが、このままでは数年ないし数十年以内に軍事的な衝突が発生すると思います。
領土や領海を相互承認できてない状態で重複する防空識別圏を後出しで設定させないようにする為には、中国の軍事力増強に対抗できるだけの十分な軍事力増強が日本側にも必要だったと思います。< この構図はゲーム理論でいう「指導者ゲーム」に似ています。日本でも中国でもいずれ1国が領域を支配している状態は平和なのですが、2国以上が重複して領域を支配しようとすると衝突が発生します。
私の思想に賛成でも反対でもそれぞれ自由だと思いますが、たまには平和ボケしている人たちにも真面目に考えてもらいたいです。
優勝しました。運も実力のうちだしキングメーカーコントロールも同様だと思ってますが、今回は作為的に勝たされたような気がします。
ともあれ楽しい一日でした。みなさまに感謝します。
ローカル線から眺める景色は風情があります。今日は高崎周辺まで小さな旅。でも明日は予定があるので夜には戻ります。
自分の考え方をまとめてみた。
児ポ法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律)の主たる目的は、実在する児童(18歳未満の青少年)を性的搾取や性的虐待から保護することです。性的搾取や性的虐待の実行だけでなくその教唆も処罰対象とすることに異存はありません。
だから、もし創作物における架空の犯罪行為が明確な因果関係をもって特定または不特定の現実の犯罪行為を教唆あるいは誘発するのであればこの法律で公開規制すべきだし、もしそうでなければこの法律で公開規制すべきではありません。< なお、ここで創作物にはマンガやゲームだけでなく小説や演劇や映画なども含まれます。
ところで、社会にとっては風紀維持も重要な課題です。実在する児童を性の対象とする社会的風潮は確かに望ましいことではありません。したがって、その風潮の助長を規制すべきという意見も筋が通ってると思います。ところが、実在しない児童を性の対象にすることまで一律に規制すると、代償による犯罪予防まで抑制されてしまいます。それでは「角を矯めて牛を殺す」になってしまいます。だから、一律に規制するのではなく実効性を考慮した分別が必要です。< この問題は性風俗規制の問題に似ています。性風俗規制が緩ければ社会風紀は乱れるものの強制猥褻や地下売春が減るでしょうし、性風俗規制が厳しければ社会風紀は維持されるものの強制猥褻や地下売春が増えるでしょう。区域を適切に分けて規制するのが実効的だと思います。
児童保護は風紀維持よりもずっと重要な問題です。規制も処罰もより重くなるのは当然と言えましょう。しかるに、これらを同じ法律でまとめて規制しようとすると論点が混同されてしまいます。風紀維持の観点では実在児童についても非実在児童についても適切な規制が同様に望まれますが、その同様が児童保護の観点にまで望まれるのは明らかに不適切です。具体的には「架空の犯罪行為が現実の犯罪行為(教唆ではなく搾取や虐待)と同程度の量刑となる」という理解または誤解が発生します。当然のことながら、報道や出版やクリエーターらによる大規模な反対運動が展開されてます。
ここで「なぜわざわざ同じ法律でまとめて規制する?」と考えてみました。あくまで推測にすぎませんが…、実在児童ポルノなどによって利益を得ている人たちが(「規制させれば私たちの子供を保護できる」と盲信している女性団体や「規制したという実績」を重視する一部の政治家や「報道や出版や表現の自由」を重視する人々を誘導することで)児童保護を骨抜きにするためにまとめさせたのではないでしょうか。そしていったんまとめたものはもう別々の法律に分けるのは難しいです。考えすぎというには符号が一致しているように思います。
面倒ではありますが、やはりこれらは別々の法律で規制すべきものだと考えます。児童保護の観点では、架空の犯罪行為の規制はあくまで明確な因果関係がある教唆の場合のみを想定すべきです。そして、風紀維持の観点では、架空の犯罪行為の規制は適切な区分をもってなされるのが社会にとって最も有益だろうと思います(書籍なら年齢制限など)。
もし規制に反対するのであれば、何について反対しているのかを明確にした方がいいと思います。さもないと、児童保護や風紀維持にまで反対しているかのように利用されてしまいますから。< この意味で140文字は少なすぎです。
そもそも架空の犯罪によって現実の犯罪が誘発されてしまう未熟な人にも相当な責任があります。長期的には、そのような人を減らす為の教育が重要だと考えます(刃物の使い方の教育と同様です)。学校だけでなく家庭や地域においてもちゃんと道徳教育がなされることを望みます。ちゃんと子供を躾けない保護者には罰則&教育を適用すべきとすら思ってます。地域が子供を見守る為には、ネット用プライバシー意識をリアルにまで適用すべきではありませんし、善意の手助けが訴えられにくい仕組みも有用だと思ってます。
喫茶店での待ち時間などにいくつかの木片を「あーでもない、こーでもない」といろいろ組み合わせながら遊んでます。< さすがに大人が携帯ゲームで時間調整してる姿を見られるのはアレなので、こういうアナログなアイテムを鞄に常備しています。
自宅に木製シルエットパズルがたくさんあります。ざっと数えたところ、『TheT』(5),『TheF』(5),『十字架U』(3),『十字架V』(2),『Euclid』(3),『Gem』(2),『Sphinx』(2),『Devil』(3),『Longram』(2),『Round』(2),『Insight』(1),『IVYパズル』(2),『クロスパズル』(5),『ネコと十二支』(3),『SHE』(1),『タングラム』(3),『ラッキーパズル』(2),その他(11)といったところです。もともと旅先(主に伊香保)でちまちま買ってたものですが、小学生たちに教える為に数を揃えたらこんなに増えてました(特に『TheT』とその上位互換である『クロスパズル』)。これだけの種類をローテーションしているとほどほどに解答を忘れられるので、何度も楽しむことができます(笑)
白木材のものよりも銘木材のものの方がずっと手触り&響きが良いです。値段の差の分はあると思います。ただ、同じメーカーのものでもロットによって異なる銘木が使われているみたいです。私が見たところ、カリン・タガヤサン・ローズウッド・パドウクなどが使われてます。芦ヶ原伸之の著書によれば、ミャンマーにて仏壇製造の端材を有効利用していたからだとか。
シルエットパズルの中で最も有名なのは『タングラム』と『TheT』だろうと思います。『タングラム』は4000年以上前の中国で考案されたものと言われますが、もちろんウソです(文句はサム・ロイドに言うべし)。『TheT』の原型は、1905年にアメリカの紅茶メーカーが広告に用いたものらしいです。
遊んでみたい人は遠慮無くどうぞ。喜んで貸し付けます。
本日の盤ガードの参加者は30人でした。駅から少し歩く割に人が多かったように思います。私がプレイしたのは『アクワイア』『キャントストップ』『エミネントドメイン』『シャット・ザ・ボックス』『ラブレター』『ポジット』『バックギャモン』『ゴブレット・ゴブラーズ』など。昼食は璃宮でヤキソバ大盛り。実は微妙に風邪っぽかったのですが何とか乗り切りました。みなさま、おつかれさまでした。
テーブルゲーム(広義のボードゲーム)は競技を楽しむ為に用いられるだけでなく飲食を楽しむ為にも用いられます(ただし一般のゲーム会では汚損予防の為にプレイ中の飲食は制限されてることが多いです)。パブリックバーなどで遊べるゲームは「負けた人が飲食物を購入するなど店舗に売り上げが期待できること」「参加者が増えるので目立つものでも構わないこと」「ルールが簡単であり酔客でもプレイできること」「短時間で決着して何度でもプレイできること」「汚損しても大丈夫であるか安価に買い換えできること」などが特徴的だと思います。
『人狼』は伝統的なパーティ用ゲームですので、もし早々に負け抜けたならテーブルから離れて歓談ないし飲食してればいいと思います。他の短時間ゲームやっててもいいし異性を口説いててもいいし新しい知り合いを作っててもいいと思います。ゲームそのものが劣っているわけではなく、ただ単に“ルールやデザインやバランスを鑑賞する為の専門的なゲーム会”に適してないだけです。そのあたりを踏まえずにパーティ用ゲームを批判するのはいささか的外れだと思います。
今日のメインイベントは『神田精養軒のマドレーヌ』を入手したことです。以前の日記で書いたように、私には『ありあけハーバー』『鳩サブレー』『白い恋人』など“思い出の洋菓子”がいくつかあります。それらの中で入手が難しかったのがこの『神田精養軒のマドレーヌ』です。
製造元である「神田精養軒」は2006年にマドレーヌの製造を終了し、しばらく経ってから川口市のパン屋「ルーブル」がそれを引き継いだのですが、訪ねてみると既にやってないとのこと。高島平の菓子屋が更に引き継いだとの情報を頂き、問いあわせてみると浅草と池袋に卸しているとのこと。すっかりRPGな展開ですが、“思い出の洋菓子”を入手する為には手間暇を惜しみません。
そして、今日になってようやく現物を入手することができました。帰りのロマンスカーの中でつまみ食いしましたが、十数年ぶりのマドレーヌはカップの素材こそ違えども昔ながらの味でした。味覚や嗅覚の記憶はなかなか薄れないものだと改めて実感できました。
スケジュールの都合で隔週水曜日はたいてい空いてます。
そんなわけで、今日は高尾山で紅葉狩りしてきました。今日の装備はトレッキングブーツやハンティングジャケットやディアストーカーなど。そして大きな革鞄にいろいろ詰め込んでいきました。
麓の駅に着くと、中高年の登山客がたくさんいましたが予想の範囲内です。ケーブルカーで途中まで登って更にのんびり登っていきます。開放的な風景が気持ちいいです。閉鎖している建物があったので、その横で紅葉を愛でながらちょっとしたティータイムを楽しみました(さすがに野点というわけにはいきません)。
紅葉といえば、『百人一首』の「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」を思い浮かべます。シカの雄は繁殖期に独特の声で雌を誘います。その意味を考えるとぜんぜん悲しいと思えません(笑)。また、『花札』の十月種札「紅葉に鹿」(10点)も思い浮かびます。この札が「しかと(鹿十)」の語源になったことは有名です。ついでに言えば、紅葉は鹿肉のことでもあり、錠前の隠語でもあります。
どうせ狩るなら紅葉だけでなく鹿も狩りたかったところですが、高尾山に鹿は生息しません(最近になってシカの痕跡が見つかったらしいです)。そんなことを考えながら下山していると、フィールドに「鹿の角」(50cmほど)を持った人がいたので数秒ほど思案してから声を掛けてみました。なんでも他の山で拾ったものだそうです。トレードで譲って貰いました。握りやすい部分は刀剣類の「柄(ハンドル)」にしようかと思ってます。ちなみに、鹿の角は水につけておくと柔らかくなって加工しやすくなります。
下山してからの遅い昼食は、山菜トロロ玉子そばを頂きました。美味しいけど値段も高かったです。さすが観光地価格(苦笑)。美味しかったので、そこで現地産ヤマトイモ1個を買ってきました。
高尾山口駅前のトリックアート美術館を見学してから帰路につきました。
『ポッキー』は欧州で『Mikado』と呼ばれてます。その『Mikado』の一連のCMが面白いです。最初にコピー編を見たときに大笑いしました(笑)
余談ですが、テーブルゲーム『Mikado』は将棋崩しに似たゲームです。『ポッキー』を用いてプレイすることもできます。
ほどほどに混雑した電車内で小学生集団が空席を前に「誰か座ってくれないかな?」と気まずい様子で立ってます。誰も座らないと善意を無駄に感じてしまうだろうので、別に座りたくもありませんでしたが「ありがとう」と言って座りました。たぶん良いことしたと思う。
戦争においては、少数の高コスト高スペック兵器は多数の低コスト低スペック兵器に負けることがあります。例えば10発の対艦ミサイル(命中率10%)に対してさえ少なくとも10発の迎撃ミサイル(命中率90%)を使用しなければなりません。もし攻撃側に1発でも中スペックな対艦ミサイル(命中率30%)が混ざってたら…つまり低スペック9発は囮であるなら…なおさら手抜けません。このように、防衛側が数で足りないと陽動作戦や飽和攻撃に弱くなります。
ソロモン防衛にあたり、ティアンム艦隊からの攻撃をビグザム1機で完全かつ余裕で守りきれたとしても、ソーラ・システムを発見する為のドムが足りなければ結局は負けてしまうのです。
ソビエト時代に比べロシア連邦の軍事的脅威は激減しています。ロシアの太平洋艦隊の現状と日本の防衛体制を考えるに、北海道侵攻のリスクはもはや非現実的であると評価していいと思います(仮に日中紛争が勃発したとしても、どさくさ紛れの侵攻は難しいでしょう)。政治的な対立も沈静化しており、北方領土や漁業協定の問題が決着できれば平和条約の締結も十分に可能でしょう。個人的意見ですが、大規模な高レベル放射性廃棄物貯蔵施設を建設される前に妥協した方がまだマシだと思ってます。
双方が妥協できそうな選択肢としては「2島返還」や「4島租借」あたりが現実的だと思います。
「信任する」は訓読みではなく音読みですが、「信じる」「任じる」はいずれやら?
知的障害者とのセックスが批判される理由は「もっぱら自分の性欲処理を目的として判断能力が未熟な相手を利用すること」が卑劣な行為であるからです。判断能力が未熟な未成年とのセックスや、薬物によって判断能力が鈍った相手とのセックスと同じように考えれば良いと思います。
どっちかと言うと、表示が不適切だったのではなく、食材が不適切だったと解釈すべき問題だと思います。「羊頭狗肉(牛頭馬肉)」において不適切なのは「羊」であるか「狗」であるかを考えれば分かりやすいかと。
ただ、「詐欺罪」よりも「景品表示法違反」の方が軽いイメージであるので、「不適切だったのは表示である」という軽い方の罪を能動的に認めているのだろうと思います。
私が子供の頃によく食べていたお菓子の一つが神田精養軒のマドレーヌです。独特の円錐形でちょっと堅めのマドレーヌでした。残念なことに、神田精養軒は2006年頃に閉店し、そのレシピを引き継いで製造していたパン屋さんも既に閉店したらしいです。ちょっと残念です。
政府が持つ全ての情報を主権者に公開すべきとは思いません。少なくともいくつかの軍事情報や外交カードや経済政策などは民衆に対して非公開とすべきものだし、どのような情報を機密としているのかも同様です。主権者は濫用されるリスク込みで政府に委ねていると解釈しています。
社会が個人の創意工夫を知的財産として認める理由は、その創意工夫が社会の発展に直接的あるいは間接的に有用だからです。だから、その創意工夫あるいはその保護が社会の発展に反するのであれば、知的財産として認めるべきではありません。
著作人格権や商標権や起源など「誰が創意工夫したか?」は社会の発展に反しない性質のものなので基本的に尊重すべきです。それらを故意に侵害することは「パクリ」と呼ばれる卑劣な行為だと思います。< だから、著作人格権侵害しない著作権侵害まで「パクり」と呼ぶのは不適切だと思います。
今日は文化の日ですので、私の趣味の一つであるテーブルゲーム(ボードゲームやカードゲームやダイスゲームなど)の文化的発展の在り方について思うことを書いてみます。
さて、業界の保護&発展は文化の保護&発展の為の手段です。しかし、ボドゲを「もっぱらルールやデザインを鑑賞する為の作品。マンガや小説に類するもの」と捉えるか「もっぱら競技や交流や賭博の為の道具。スポーツに類するもの」と捉えるかで、その方向性は大きく異なります。
ゲームを「作品」であると捉える人たちにとっては、たとえ玉石混合であってもプロアマ問わず毎年たくさんの新作が供給され続ける状況こそが望ましい文化的発展です。少数を深くプレイすることよりも多数を広くプレイすることが重視されます。また、アイデアが尊重されるので内容物に比べて高価であることも許容されます。
逆にゲームを「道具」であると捉える人たちにとっては、面白くて容易に入手または自作できる定番を誰もが知っている状況こそが望ましい文化的発展です。創意工夫は新たな定番の可能性であるべきだし、定番となりえる作品が歴史に埋もれて消えてしまうのは文化的損失であると考えられます。また、内容物の物理的品質に応じた値段が望まれます。
歴史を眺めるに、もともと「道具」であったものを著作権で保護される「作品」としたことでビジネスモデルが成立しました。そして業界が発展したがゆえに業界を維持する為の大量の新作が必要になりました。プレイヤーの人口も総購入資金も総プレイ時間も総倉庫容量も確かに増えてますが、いまや新作の供給量はそれ以上だと思います。
一度もあるいは二度とプレイされない多種多様な作品が創作され続ける現状は良いことでもあり悪いことでもあります。新たな文化を育てるためには新作が考案されることが必要ですが、新作が定着せず消費され続けるようになると文化は育ちません。それは「角を矯めて牛を殺す」と同じ構図のジレンマです。どちらが望ましい在り方かではなく、両者がほどよいバランスを保つのが望ましい在り方だと思います。
# 余談ですが、このロジックは「道具」でありながら「作品」でもありえるジャンル一般に適用することができます。例えばスポーツや料理や音楽やファッションなどの新作が文化としてどのように定着していくかを考える上でこのロジックは有用だろうと思います。
上記のように考えているので、私は新作だけでなく伝統あるいは定番になりえるものも重視しています。そして、ゲーマー社会に非ゲーマーを招待することだけでなく非ゲーマー社会にゲームを紹介することも重視しています。< この意味で、伝統パーティゲーム『人狼』の流行についてはかなり肯定的です(ちなみに、『人狼』はもともとトランプゲームです)。
ときどき「この30年で考案されたゲームのうち100年後も一般にプレイされてるものはどれだけあるだろうか。最新ゲームの普及の反対効果で伝統ゲームが途絶えないだろうか」と考えます。でも、「伝統を継承してもらわねばならない」とまでは思ってません。そんなことは次世代が選べばいいことです。私たちの世代は次世代に選択肢を遺せばそれで十分だと思ってます。それが私の望む文化的発展の在り方です。
若い頃に「誰かに食べさせてもらった以上の鳩サブレ(豊島屋)を誰かに食べさせよう」と志したのですが、とっくに達成できてました。次はハーバー(有明)かマドレーヌ(精養軒)です。そんなわけで、悪戯されたくなければボクの菓子を食べれっ♪
ふと思い立って「サイコロで日帰りの旅」をしてきました。
最初のサイコロで相模大野駅に向かいます(たまたま相模大野に向かうバス路線があるので選択肢に入れておいたのですが、おかげで40分近くバスに揺られました)。相模大野からは新宿方面と小田原方面と江ノ島方面の3択です。どのルートも楽しそうでしたが、今回は江ノ島方面に決まりました。ちょうど来た特急ロマンスカーがあったので乗ります(どうせ300円ですし)。そして藤沢でのサイコロで江ノ電に乗り換えることになりました。今回のサイコロの旅は鎌倉観光に決定です(久里浜方面も考えたのですがさすがにフェリーで金谷港まで行くと泊まりになりかねん)。
江ノ電に乗ります。平日なので空いているかなと思ったのですが、予想よりも観光客が多かったです。車窓から街を眺めるに、このあたりに住むのは大変だろうなあと思いました。海が見える駅で途中下車してのんびり考え事などしてました。ひなたぼっこにも飽きたのでまた江ノ電に乗ります。
今度は長谷駅で降ります。駅前の100円ショップで飲み物など補充し、長谷寺へ向かいます。どうやらどこかの小学校の遠足だったらしく黄色い帽子の小学生がわらわらと歩いてました。なんか微笑ましいです。
鎌倉大仏はあいかわらず混雑してました。外国からの観光客が多いです。せっかく来たので私も記念写真を撮ろうとしたのですが、なかなか人の波が引く瞬間がありません。なんとか撮影できましたが、かなり奇跡的なタイミングでした。
大仏前の山海堂に寄ります。ネットでは珍武器が揃っていることで有名ですが、実際の店舗は観光客を対象にした品揃えです。少しでしたがお店の人と業界のことについていろいろお話できました。ついでに買い物しましたが、どうか帰りに職務質問に遭いませんように。
大仏前からバスに乗って鎌倉駅に出ます。レンタサイクル店で自転車を借り、まずは鎌倉駅周辺を一周してみました。こうやって街の顔を見るのが好きです。観光客に見せる顔とは別の顔が見れるのでこういうのはすごく楽しいです。
昼食は、十数年前に美味しいカレーを食べた店にしようと思ったのですが、あいにく店名も住所も憶えてません。ただ「もし営業してるなら小町通りから匂いで分かるはず」という妙な自信があったので、自転車を押しながら小町通りを歩きます。紫イモ&抹茶ソフトを食べつつ小町通りを観光していると、どこからか仄かにスパイスの香りが漂ってきます。小町通りからは少し離れてましたが、探していた店でした。すっかり忘れてましたが、キャラウェイという店でした。あいにく20人以上が並んでたので諦めました。匂いで辿りつけただけで満足です。
小町通りに戻り、途中で見つけた漬物屋で漬物定食A(680円)を頂きました。寝崑崙(ネコンロン)の民衆は、きっとこういう食生活をしているのでしょう。< 解説すると映画版『らんま1/2』ね。
自転車に乗って鶴岡八幡宮に向かいます。昔話になりますが、確か私が17歳の頃に相模原市から鶴岡八幡宮まで自転車で往復したことがあります。もちろん、今じゃとても無理です(苦笑)
参拝した後はサイクリングコースを辿って鎌倉駅に戻ります。豊島屋で鳩サブレ20羽を買いました。
今回の「サイコロで日帰りの旅」はこれで終了です。横須賀線で家路につきました。万歩計は9036歩。
「資源をどんどん掘ればいい」「原油をどんどん掘ればいい」「お札をどんどん刷ればいい」「ゴマをどんどん擂ればいい」。さて、節制すべきなのはいずれやら?
どうやら私は棒状のモノを持ち替えるときに無意識に攻防の軌道を描いてるらしいです。
被災者らの為に直接的に役立つことはできなくても間接的に役立つことはできます。やらない善よりやる偽善です。もしかしたら誰かの背中を押すことが出来るかもしれないから、ここに書いてます。
「事実を指摘すること」と「周囲を不快にさせてないこと」とは論理的に従属関係ではなく独立関係です。これらを「だから」で接続する正義感にあふれた確信犯は、しばしば緊急避難的に排除しなければなりません。
OPに「鍵は開けられてしまった」とありますが、きっと「鍵は掛けられてしまった」という展開になると思う。
肉体的な余裕がないと精神的な余裕がなくなりやすいのか、精神的な余裕がないと肉体的な余裕がなくなりやすいのか…。「失礼である」とされる話題の一つですが、忌憚なく考えたいテーマだと思ってます。
交通機関の時刻表を気にしないで生活できる街はきっと都会だと思います。
私がプレイしたボードゲームは『シャット・ザ・ボックス』『$GREED』『アクワイア』『カンビオ』『6ニムト』『チェーテン』『スリートリックス』『ベリシ・ネベリシ』『ローラーコースター』『ヤニム』など。
パチンコで連チャンしてるからという理由で遅刻するなら、待たせてる人たちに食事ぐらい奢るのがいいと思います。さもないと、もう二度と誘ってもらえなくなるでしょうから。
フィジカル的に一人でいてもメンタル的に独りになるわけじゃありません。互いに依存することなく互いに信頼できる関係を築く為には、自分が相手から信頼されることだけでなく、自分が相手を信頼することが必要だと思います。
朝の公園を歩いてもゲートボールに興じる老人たちの姿を見かけません。当時の老人たちが次世代を育成しなかった結果だと思います。
いつか誰かがキミを籠の外に連れ出してくれるかも知れません。しかしそれが白馬の王子さまであるとは限りません。例えばキミを食べようとする獣かも知れません。だから、自力で籠から飛び立てるように準備して下さい。そして自分がいるべき場所を自分で決めて下さい。
恋愛も同じだと思います。待ってばかりだとお金や体を目当てにした獣ばかり寄ってきます。そんなのに引っかかって大切な時間を浪費すべきではありません。自分が望む相手や協力してくれる仲間は自分で探した方がいいと思います。
私が中高生の頃に使っていた缶ペンケースと同じものがヤフオクに出てたので、数秒ほど思案してから入札しました。昨今に競合者がいるはずもなく初期価格のままあっさり落札できました。
さすがに実生活でこれを使う機会はまずないでしょう。ただ、「これが私が中高生の頃に使っていた缶ペンケースです」と記録に残す為だけに買ったようなもんです(笑)
懐かしい絵柄を眺めながら当時のことをいろいろ思い出してました。
いじめに繋がるという理由だけで『鬼ごっこ』や『ドッヂボール』を禁止するのは間違っています。なぜならば、それらはあくまでいじめの手段であって原因ではないからです。禁止したところで他の手段が用いられるだけでしょう。これらの遊びが持つ教育効果まで放棄するのはマイナスの方が大きいと思います。
「私たちはちゃんと対処したから私たちに責任ありません」なロジックは教育者のあるべき態度ではありません。思うに、このような態度を採らざるを得ないのは、いわゆるモンスターペアレントが増えてきたからではないでしょうか。“根拠のない言いがかり”に対してゴネ得を許したり刑罰を課さない風潮は、社会にとって望ましいことではありません。< これは私がリアルでもネットでも“根拠のない言いがかり”を強く批判している理由の一つです。
私もアルコールは薬物であるとの認識です。しかし、禁酒法を制定すると密造酒が出回って(ついでにいくつかの伝統文化も失われて)社会的損失がもっと大きくなるので、国家の管理下におく方がまだマシだと思ってます。密造するメリットが発生しない程度に税金を掛けるのは、アルコールの購入量を抑える意味があると思います。
アルコールによる事故や事件を抑止する為には、飲酒そのものの規制ではなく「アルコールについての教育」「飲酒強要文化の改善」「さらなる厳罰化」がよりマシな選択肢だと思います。
コレクションを整理していたら、二十年ぐらい前の男性用化粧水が紛れ込んでました。なぜ紛れ込んでいたのかは分かりませんが、確かに買った覚えはあります。密閉されてたのでまだ使えるとは思います(うーむ?
「私は正しい」と自他に誇示したがる人は、しばしば重箱の隅を突いたり過去の出来事を蒸し返したり思い込みに基づいて執拗かつ公然と他人を批判します。他人の瑕疵を改めさせる為ではなく他人の評価を貶める為の批判なので、ちゃんと観察していればすぐに分かります。
このようなモンスターへの対策はとても面倒くさいです。批判された側が弁解したところですぐに次のネタを持ち出したり元のネタを蒸し返します。第三者が注意すると逆恨みされて粘着されてしまいます。延々と付き合わされると、結果的にモンスターと同類であるかのように思われてしまいます。
だから、対策としては個々の批判に反論するのではなく、批判の為の批判にすぎないことが露呈するよう誘導するのが良いと思います。できることなら、さっさと住み分けるべきでしょう。
アニメ作品の動画ファイルを各話ごとにサイズでソートすると、どの話にどれだけの動画が用いられてたかの比がおおよそ推定できます。例えば『めぞん一刻』だと6話〜11話あたりが上位に来ます。実際にこの時期の話は特にたくさんのセル画が用いられてました。
世の中には「周囲の人たちが何を言ってるか?」を理解&処理する能力が高いにも関わらず「周囲の人たちが何を言いたいのか?」を補完&変換する能力が低い人たちがいます。しばしば、彼らは「言われたことは完全に理解できるが、言われてないことはぜんぜん理解できない(周囲からは理解しようとしないように見られます)。そして、正確に言えない周囲を批判する」というトラブルをしばしば引き起こしてしまいます。
解決力に優れた人たちは洞察力も併せて備えることで、現実社会での応用範囲がとたんに広がります。また、この変換ができる人は逆変換もできます。自分が言いたいことを簡潔に要約して言うことができますし、オブラートに包んで言うこともできます。
恋愛において相手の体を抱きしめるのは相手の心を抱きしめる為の手段だと思ってます。これが逆だと、きっと寂しいだろうとと思います。
立場を明らかにしておくと、根拠に基づかないヘイトスピーチには批判的ですが、ヘイトスピーチ規制にはもっと批判的です。
なぜならば、いったん規制が成立したら根拠に基づく正当な批判でさえも「それはヘイトスピーチだ。差別だ。人権問題だ。謝罪と賠償を」と言い立てられるからです。根拠に基づくか否かを検証する前に緊急避難的に削除させられるので、更に「根拠がないから削除した」と仕立て上げられます。そして、いったん成立した規制を廃止するのはほぼ不可能です(実際に本当のヘイトスピーチが存在する以上は被害者が存在するのですから)。
日本ではあまりなじみのない誣告や偽証について、日本人はもっと良く知っておくべきだと思います。
隣国である韓国との共存を考える上で特に重要だと思うことは、韓民族の文化に特有な「重い身内意識と軽い所属意識」だと思います。
さて、韓国語から機械的に翻訳された文章を眺めていると、ときどき「韓国語には『私』という単語が存在しないのか?」と思うことがあります。もちろん本当に存在しないわけではありませんが、彼らの典型的な意見においては常に『我々(ウリ)』が用いられていると言っても過言ではありません。まれに例外的な意見において『私』を見かけるぐらいです。
この『我々(ウリ)』は家族や仲間や民族など様々なレベルで用いられてます。この身内意識はしばしば「身内の知識や栄誉や財産は自分のものでもあり、自分の知識や栄誉や財産は身内のものでもある」という形で現れます。
これは必ずしも悪いことばかりではなく、良い意味で効率的な社会を構築することができます。グループのメンバが持っている知識や財産をグループの為に供出するので、グループの生産力は非常に高いものになります(ただし、その知識は他人の知識を勝手に共有してるものなので、グループの創造力はそれほど高くはなりませんが…)。最年長者が惜しみなくメンバ全員の飲み代を負担するのもそういう心理によるものだと思います。
しかし、身内意識が非常に重い割に所属意識は非常に軽いみたいです。自分が持つ選択肢の中で自分にとって最も有利になるグループに所属している…と主張する…傾向があります。この重い身内意識と軽い所属意識の組み合わせはしばしば大きなトラブルを引き起こします。
例えば、金持ちの友人を勝手に身内認定して、その友人の財産(冷蔵庫の食材など)をあたかも共有の財産のように扱います。
また、身内が成功すると勝手に栄誉を共有するのに、身内が失態をおかすと「身内だと思われたくない。我々は騙されてた」と勝手に逃げるか切り捨て、うまく逃げるか切り捨てることができないとパニックを起こします。
そして、いわゆる慰安婦問題や竹島問題などについても、根拠ではなく利害に基づいた立場で主張します。彼らが有利になるのであれば韓国政府の根拠が正しくても正しくなくても「我々(ウリ)は被害者だ。日本が悪い」と主張し反日を叫びます。だから、いつか彼らが不利になるようであれば、日本政府の根拠が正しくても正しくなくても「我々(ウリ)は騙されていた。本当は日本が大好き」と主張し日本側に擦り寄るって来るでしょう。
実はこの重い身内意識は韓民族だけに特有のものではありません。おそらく欧米から見た日本人もやや重い身内意識を持っていることでしょう。しかし概して日本人は、自分が所属するグループを自分の利害だけで切り替えるような軽いことはしません。他文化から見れば愚かなことなのでしょうが、身内が失敗しても逃げずに心中しがちです(私たちはそれを「忠」と呼んでます)。おかげで、味方からだけでなく敵方からも信頼だけはされてるみたいです。
この所属意識の軽重は「恥」の形にも表れてると思います。日本の文化では一蓮托生なので比較的あっさりと「恥」を認めがちです。しかし、韓国の文化では、逃げるだけ逃げて最後に言い逃れできない状態になったときに初めて「恥」と言うらしいです。日本から見れば韓国は汚い格下だし、韓国から見れば日本は愚かな格下らしいです(苦笑)
このように所属意識の軽重が大きく異なる人たちが平和に共存共栄していくのはとても難しいと思います。お互いに敬意を抱く為には、しっかりと住み分けることが必要です。< ついでに言っておくと、私は彼らのゴネ気質や寄生戦略が嫌いですが、食文化や芸能文化やIT技術などは相応に評価してるつもりです(キムチは匂いが苦手だけどね)。
『リベンジドール 復讐人形』は、本日発売のビッグコミック(第20号)に掲載された高橋留美子の新作です。毎年恒例の高橋留美子劇場シリーズとは別物ですが、ファンの間ではほとんど同一視されてます。
ネタバレにならない範囲であらすじを書けば、呪いの人形を入手した落ち目のマンガ家が編集やアシたちを呪っていく話です。いったんは改心したものの…。と言うわけで、マンガ家ならではのオチになってます。事前にはホラー作品だと言われてましたが、どっちかと言えばダークコメディだと思います。面白かったです。近年の作品の中では佳作に入ると思います。
作業部屋や小道具は高橋留美子先生の仕事場がモデルになっていると推察されます。今でも『MONO消し』を愛用しているみたいです(SSG1巻を参照)。
こういうテーマの作品は、実績を持つベテランにしか描けません。新人がこのようなテーマを描いたら確実に編集部に干されるでしょう(笑)
主人公の油田仙太郎が十年前に描いたという『復讐ドール』も読んでみたいですね。キャラは高橋留美子先生によるキャラですから。また、アシスタントの風見俊介が描いた『レッド★スター』は留美子先生のアシスタントさんによるキャラだと思います。
完璧超人がたまにミスすると「わざとだろ?」と誤解されがちなので、真の完璧超人は普段から小さなドジをアピールします。だから、もしかしたらあなたのまわりのドジっ娘も実は完璧超人かも知れません(笑)
別に好かれるためにコメントしてる訳じゃないから、「上から目線だ」と反発されても構いません。結果的に相手が前に進めればそれでいいです。
昨春まで使っていた冬用シーツがボロくなってたので、新しく買いました。昨今ではエアコン完備が前提とされているらしく、売り場には薄くてソリッドなものが多いです。でも、私は昔ながらのタオル地っぽいのが好きです。
2007年春にある友人と約束したことがあります。私が管理してたアニメ系チャットサイト(ちなみに『犬夜叉』ファンサイトね)での会話です。
S君「もし、俺が倒れてあの娘がおかしくなってたら宜しくお願いしてもいいですか??」
新井「ええ、いいですよ。できるだけのことはします。いちおう、あの人に信頼されている唯一の成人男性らしいので…」
なお「あの娘」とは娘さんではなくS君の彼女Yさんのことです。彼女は看護師志望のバイセクでちょっと変わった人でした(私のマイミクです。ずっとログインしてませんが)。二人はチャットで知りあい、ネットを通じて交際してました。距離もあったので、リアルで会える機会はほとんどなかったそうです。それに、S君は先天性の病気があってしばしば入院してるとのこと(S君の写真を見せてもらいましたが、すごく色白で女の子っぽい華奢な体格でした)。
さて、古い諺に「遺児を託す」というものがあります。余命が少ない男が自分の子供を信頼できる友人に託すという意味です。きっと、S君はちょうどそんな心境だったのでしょう。保護者的な意味とはいえ、男が男にこれだけのことを頼むのは相当な信頼あってのものだと思います。
だから、引き受けましたし、その後も機会を見てときどきYさんの様子をそれとなく見守ってました。いつしかS君とは連絡が取れなくなりましたが、Yさんの話によればときどきケンカしたり仲直りしながら交際は続いていたそうです。そして、半年ぐらい前にYさんと会話したときにちょっとした報告を受けました。
Yさん「あ、そうだ。あらいさんに報告することがあります。S君はS君でなくSさんでした。来週はディズニーでデートしてきます♪」
あらい「…もういいよね?」
高橋留美子作品のファンでありながらその可能性に気がつかなかったのは不覚でした。 < まあ、約束なくてもときどき様子は見てるけどさ(苦笑)
このゲーム世界が川背さんの心象風景であるならば、登場人物が必ずしも実際の存在であるとは限りません。
江美子ちゃんは川背ちゃんが食中毒で殺してしまった雑種ネコかも知れないし、埜鼓さんは川背さん(20歳)が堕ろした子供のイメージかも知れません。カニはいつまでも前に進めない自分かも知れないし、フグは素直になれないふくれっ面の自分かも知れないし、オタマジャクシは父親との確執かも知れません。銭湯や団地や学校は楽しくも悲しくもあった思い出であり、居酒屋は横山という男性と知り合った場所かも知れません。
川背さんは心象風景の中で自分のトラウマと戦ってます。そして長い戦いの末、ようやくトラウマを克服した暁に彼女は自分の足で走り出すことができるようになります。
…と、妄想した。反省はしていない。
昨春まで使っていた冬用シーツがボロくなってたので、新しく買いました。昨今ではエアコン完備が前提とされているらしく、売り場には薄くてソリッドなものが多いです。でも、私は昔ながらのタオル地っぽいのが好きです。
書店のITコーナーを眺めると、FacebookやTwitterやLINEの入門書は並んでいますが、そこにmixiの入門書は見当たりません。mixiの登録者そのものは増えているものの、アクティブ率がどんどん下がっていることは私も強く実感しています。9月22日(日)に呟いたように、私のマイミクリストを観測するに「最終ログイン3日以上」が3割ぐらいで、週1以上で日記を書いてる人は1割ちょっとで、日記を書いたときのマイミク訪問率は2割〜3割ぐらいです。
招待制廃止によって無責任なユーザーが増加したことが大きな要因だと思ってます。招待制廃止は、当時においてユーザーを増やすことができましたが、そういう人は新たなマイミクを作ることができなければ長続きしません。しかしながら、未成年参加の容認にともなう過剰な出会い予防措置と、マイミク以外の訪問が分かる足跡システムの廃止によって、新たなマイミクを獲得するチャンスは激減しました。チャンスが減ったことで情報発信のモチベーションが失われ、たまに情報を収集しにくるだけという非アクテクイブなユーザーの比率が高まった。
mixi運営事務局がどのように分析してるかは知りませんが、私はそのように考えてます。
それでも、新たなマイミクを獲得する為の情報発信ができないわけではありません。mixiにおいて自分の意見を見知らぬ他人に読んでもらう方法は、大別して「ニュース日記」「ニュースつぶやき」「コミュニティ」の3種類があります。
ニュースに紐つけた日記(全体公開)は、マイミク数とは別にそのニュースのアクセス数や話題度に応じて閲覧者が増えます。そのニュースの中で最新であればあるほど閲覧数が増えます。だから、他の人が日記を付けないようなちょっと古い記事に紐つけるのも一つの方法です。
ニュースに紐つけたつぶやき(全体公開)は、イイネ数が多ければ多いほど閲覧数が増えます。トップなら数百人が訪問してくれることもあります(ここ2週間ほどイイネ狙いのつぶやきで試してみましたが、ニュース経由の訪問者の4%がイイネを押してくれたみたいです)。マイミク数が多い人はベースとなるイイネ数が期待できるので、日記よりもつぶやきの方が効率的でしょう。< いつも思うことながら、以前のつぶやきと同じ趣旨をつぶやくことがあるので「マイミク以外に公開」が欲しいです。
コミュへのコメントは、メンバ数に応じて閲覧数が増えます。そのテーマに興味がある人の集団なので、思っているより多くの人が閲覧してくれます。ただし、マイミクを増やすにはコミュ常連となった上で募集するかオフ会に参加してきっかけを作らねばなりません。かつての足跡のように訪問&伝言しまくるのも一案です。いったんマイミクになれば、趣味があうので関係は持続しやすいでしょう。
「友達の友達はみな友達だ。世界に広げよう友達の輪、輪っ!」とも言われるように、マイミクを経由した新たなマイミクの獲得は、昔も今も有用な手段です。現実社会と違って、必ずしもマイミクによる紹介を要しないのが特徴的だと思います。マイミク日記へのコメントにコメントしたり、マイミクが主催するオフ会を参加することで新たなマイミクを増やすことができましょう。< 私のマイミクさん同士でいつのまにかマイミク関係になってる人たちはたぶんこのパターンかと?
本来のSNSの役割は、SNS外における人間関係をSNS内にマッピングするものです。SNS内で知り合うことができるのも、いつかSNS外で交流することが前提とされてたからでしょう。しかし現実にはSNS限定での関係も十分に成立し、そこに一定の価値が生み出されてます。それは否定できるものじゃないし、否定すべきことでもありません。
決して無差別な数増やしではなく、何かの縁があってマイミク関係になれたのです。自分にできる範囲で、この縁を大事にしていきたいと思ってます。
性風俗や風俗街というのは民俗学的にとても興味深い研究テーマです。若い頃には駅前探索の一環であちこちの風俗街も探索しました。どんな歴史を持っているのか、どんな人たちがどのように働いているのか、経済はどのように回っているのか、この街の住民はどのような暮らしをしているのか、翌朝に化粧がはげた街はどんな顔か、そういうことを考えるのはとても面白かったです。
ヨドバシカメラ町田店で買い物したついでに「田んぼ」跡地を散策してきました。
「田んぼ」は、JR町田駅のすぐ南側にあった赤線地帯です。分類としては“ちょんの間”になります。かつて全盛期には、小さく区分けされたバラック造りの飲み屋街に80店舗ほどが営業しており、店で働く人たちだけでなくたくさんの立ちんぼや援交少女がいたそうです。
このあたりは東京都と神奈川県の境になります。県境はもともと境川に沿ったものでしたが、河川改修によって実際の県境は流路とずれたものになってます(ヨドバシカメラの敷地も一部が東京都であり一部が神奈川県です)。この県境は、警視庁と神奈川県警の管轄エリアの境にもなってます。当時の違法就労者たちは、警視庁の手入れがあれば神奈川県側に、神奈川県警の手入れがあれば東京都側に逃げてたそうです。
過去形で書いてるように、「田んぼ」はもうありません。手入れの度に縮小しては復活してを繰り返してましたが、2005年の一斉捜査をきっかけに完全に消滅しました。その後もしばらくは飲み屋街の雰囲気が残ってましたが、再開発の波が押し寄せいまや跡形もありません。飲み屋街があった場所には大きなマンションが建ってます。このマンションの住人はきっとここが風俗街だったことを知らないでしょう。いくつかのラブホテルは今も営業しています。昔とは異なる客層にあわせていろいろ改修されてるみたいです。
中央改札口側のヨドバシカメラから境川に沿ってターミナル改札口まで歩くと、すっかり普通の住宅街でした(撮影したけど個人宅ばかりなので日記画像は無し)。もうこの地域が風俗街に戻ることはないでしょう。でも、ここはここで地味ながらも新たな歴史を紡いでいくと思います。
クッキー屋の前を通るといつも甘い匂いに誘われます。甘い味が苦手なくせに甘い匂いが好きです。
手持ちのスキャナもプリンタもA4サイズまでしか対応していないので、大きなものをコピーするときはコンビニまで歩きます。
公衆用のコピー機ですのでたまに行列になります。社会全体から見れば、利用時間が少ない人を優先するのがみんなの待ち時間の合計を最小にできます(3品以下優先レジを同じ理屈です)。だから、枚数が多くて時間が掛かりそうなときには、すぐ後ろに並んでいる人に「私は枚数が多いので、もし枚数が少なければお先にどうぞ」と声を掛けるようにしています。もちろん、私の前で“後ろの行列に気がついてない人”にも聞こえるように(笑)
もっとも、後ろの行列に気がついてもおかまいなくページを選びながらコピーしてる人がたまにいます。操作が分からないわけでも急いでいるわけでもなさそうなので、この人はきっと権利意識が強い人なのでしょう。別に怒る気にもなりませんが、ちょっとかわいそうだと思いました。
ところで、A3サイズ対応のスキャナも欲しいのですが、設置場所の問題だけでなく「手持ちの原画&セル画の全スキャン」が待ち受けているので、微妙に躊躇しています。
中学の頃から(文字を書くのが面倒だったので)文章ではなく図表でノーティングしてました。カラーペンゆえに書き直せないので、事前に「今日の授業内容は?」を予測してました。結果的に良い脳トレになったと思います。
大学に入ってからは、試験やレポートもペンで挑んでました。書き直しできないので、頭の中でロジックを完結させてから一挙に書きあげてました。できるだけ筆記量を少なくする為にいろいろ苦労したものです。
PCで文章を編集するようになっても、図表で思考してそれをテキスト出力するようにしています。ネタ帳という形でフリーノーティング法を併用しています。
街の商業施設がオレンジ色に飾られる時期になりました。いつの間にか日本でもアメリカ的ハロウィンが商業的行事として定着しつつあります。私は今年もカボチャ仮装したりカボチャ料理したり菓子代寄付したりしてくる予定です。
ところで、どの文化圏でも収穫が終わった時期に重要な民俗的イベントがあります。日本にも古来から秋祭りなど様々なイベントがあります。必ずしも華やかなものとは限りませんが、そのような伝統的文化も忘れずにありたいものです。
太陽を闇に閉じ込めることはできません。閉じ込めたところでその内側は太陽によって照らされてしまいます。自分自身をポジティブに保ててる人は他人のネガティブな感情に感染しにくいです。
種の保存という本能が備わってる動物にとって、繁殖可能な条件下における妊娠や産卵や出産は望ましいことです。そして、動物の多くは生存&繁殖の為に社会集団を構成しています。むしろ、社会の存在意義は第一に生存&繁殖の支援にあると言えましょう。
動物の一種であるヒトの繁殖システムは、少数を産んでその少数を確実に養育するものです。そしてヒトは生存&繁殖を支援するために、生産と消費の効率化の為の経済や役割分担や利害調整の為の政治を構築しました。その代表的なものが「家族制度」です。現代日本では一夫一妻制が採用されています。
繁殖支援の原則に従うのであれば、社会が支援すべき対象は夫婦そのものではなく妊婦や子供やその養育者であるべきです。だから、まずは妊婦や未成年や養育者へ十分に支援してなお余裕があれば、未成年の子供がいない夫婦(事実婚や同性婚なども含む)や独身者へ支援してもいいと思います。もし社会が様々な婚姻の形を認めるのであればなおさらこの原則はもっと厳密に適用すべきでしょう。
オリオン座の右腕に位置するベデルギウスが642年前に超新星爆発してた可能性があるそうです。地球からはどのように見えるのかかなり興味があります(満月ぐらいの明るさなら実害はほとんどないと思います)。
ここ数週間以内に観測できなかったとしても、やはり既に爆発していることだろうと思います。ベデルギウス星系に知的生命体はいないだろうと思いますが…いたとしても脱出できるとは思えませんが…ご冥福を祈ります。
こないだの休日に『境界のRINNE』(1〜18巻)まとめて読み直しました。『うる星』や『らんま』のようなパワフルな作品と違って、まったりのほほんと読める作品だと思います。キャラクターのカップリングにはさほど興味ありませんが、恋愛的にはぜんぜん成長してないですね(笑)
私が子供の頃にはまったく見られませんでしたが、いまは子供が自転車に乗るときに必ずヘルメットを着用しているようです。確か、5年ぐらい前に子供のヘルメット着用が保護者の努力義務となったと憶えてます(保護者の義務であって子供の義務でないのは教育義務と同様)。現在の技術では軽量で実用的なヘルメットが安価に作れるので、ヘルメット着用のルール化は基本的に良いことだと思います(ついでに言えば簡易な防災頭巾にもなりますし)。
私の子供の頃の話になりますが、黒い車体にドロップハンドルとかカウンタックライトとかシフトレバーとかスピードメーターとかが付いていた自転車が男の子のステータスでした。ヘルメットは誰も着用してませんでしたが、当時はまだ自動車も今ほど多くありませんでした。
「やられたらやりかえす。恩返しだ!」
特殊な性癖を愉しんでいたカップルが別れるときに、ある程度にその性癖を解除しておかないと悲劇的なことになります。例えばSM調教済み女性は、新しいノーマルなパートナーに対して自分の性癖をなかなか告白できません。結果的に、表向きは円満な夫婦関係であっても性の悩みを密かに抱えることになります。それはしばしば浮気や不倫の原因になります。
人間を調教するのは(タイプに応じたコツが要るものの)それほど難しくありません。けっこういい加減にやっても「これはプレイだから」と徐々に受け入れさせてしまうことができます。しかし、調教がいい加減であればあるほどその解除はとても難しくなります。
SMとは「サービスと満足」でもあります。サービスする側はしっかりアフターサービスまで責任を持つべきだと思います。
恋も愛もどちらも「好き」であることに違いありませんが、その対象は少し異なっています。恋は【相手をモチーフにした幻想】に対する好意で、愛は【良い部分も悪い部分も含めた相手】に対する好意です。「恋は盲目」という諺もこのことを意味しているのでしょう。恋は醒めやすく愛は醒めにくいのは、きっとそういうわけだと思います。
でも、恋に価値がないとは思いません。花がいつか枯れるとしても花には価値があります。
若い人たちには「浅く広く短い交際」をオススメします。これは浮気しろと言う意味ではありません。さまざまな異性と付き合って異性を評価する眼を養って欲しいという意味です。そして大人になったときに「深く狭く長い交際」ができるような相手を見つけて欲しいです。
理想的な恋愛の形は,互いに束縛することなく互いに選び続ける関係だと思います。恋人関係だから好き合わねばならないのではありません。好き合い続けられるから恋人関係でいられるのです。
他の同性と比べられてなお自分を選んでもらうのは互いにとても大変だけど,それはとても長続きします。
人間は自分の経験値を他人に分け与えることができます。成功の母とも呼ばれる失敗は、その知識を共有することで自分たちだけでなく後から来る人たちの役に立ちます。こうして人類は毒キノコを見分ける知識を得て美味しいキノコを食べられるのです。
相手の内面を適切に評価できない若い頃の恋愛は、相手の外見を重視する傾向があります。でも、いろんな経験を経た中高年の恋愛は、相手の内面もしっかり重視する傾向があります。
そして、最初にリアルで出会った恋愛だとまず外見が評価されるけど、最初にネットで出会った恋愛だとまず内面が評価されます。だから、ネット恋愛というのは…すぐ逢おうとするのでなければ…中高年に向いた恋愛の形かも知れません。
ネットでの出会いに否定的な人は多いですが、必ずしも全否定することもないです。そりゃ、あからさまなヤリ目はダメですが、仲良くなった結果としてならそれはそれで良いことだと思います。
外見(見た目や能力などハードウェア)が良い人は、他人の内面(性格などのソフトウェア)を評価できない異性にばかり好かれるのでちょっと気の毒です。子供の頃ならともかく大人になる頃には、そんな異性に辟易していることでしょう(実際に私の友人にもそう言う人がけっこういます)。
おおざっぱな話になりますが、「外見の良し悪し」と「他人の内面を重視するか否か」の2点で恋愛の構図を考えてみると、成立しやすい関係は以下の5パターンになります。
いわゆる萌え豚や面喰いが異性から好かれにくいのは、「外見ばかり見ている人」だと認識されてるからかも知れません。もっとも、外見は簡単にアピールできますが、内面はなかなか見てもらえません。内面を見てもらいたいのであれば、いろいろとフラグを立てる努力が必要です。
海外投資家の立場で見れば、投資対象国の民衆が豊かになることで自分が結果的に儲かるのでもいいし、自分が儲かることで結果的に民衆が貧しくなるのでも構いません。しかし、世界全体が不景気である中、短期間で収益を上げるには後者を採用する方がローリスクハイリターンです。だから、昨今の海外投資家にとっては、投資対象国の消費税が上がり法人税が下がるのは良いことらしいです。
消費税アップによって民衆には確実に直接的な負担が増えます。法人税ダウンによって民衆には不確実に間接的な利益が増えます。十分な経済成長があればこの政策は民衆にとって最も望ましい結果になります。昨今の財政事情の中では唯一の望ましい結果であるかも知れません。
国家としては内外から投資を呼び込んで経済成長させなければなりません。国内から資金を調達すれば企業の収益は国内に還元されますが、国外から資金を調達すれば企業の収益は海外に流出します。だから、海外から資金を調達する場合は、流出分を織り込んでなお民衆に負担増を超える利益増をもたらすだけの十分な経済成長が必要となります。もしそこまで成長できなければ吸血され続けることになります(だから積極的な財政においても吸血予防措置だけはちゃんと施さねばなりません)。
どのみち経済成長できなければ確実にジリ貧となって将来の国民負担はますます増大するので、ドカ貧のリスクはあっても積極的な成長戦略を採用するしかないと思います。要するに、ローリスクノーリターンではダメなのでハイリスクローリターンを選ぶしかないというわけです。
こういう選択肢がまだあるのは、日本の基礎体力がまだ残っているからだと思います。ジリ貧になってからではサイコロを振ることすらできなくなります。
涼しくなりました。でも、気温30℃が15℃になっても気温が半減したとは考えません。地球にとっては303ケルビンと288ケルビンとでは僅か5%の変動でしかありません。
感謝の気持ちを伝えることを誰も禁じてません。もし禁じている人がいるとしたらそれは本人だけです。
経験値の観点で言えば、ランチは1000円3回よりも500円2回と2000円1回の方が効率的です。しかし問題は近くに2000円の選択肢がほとんどないことで…(苦笑)
一般に人間は感じたことや考えたことのほとんどを忘れてしまいます。それらをオートで記録し続けるシンキングレコーダーがあるとありがたいのですが、現在の技術ではまだ実現不可能です。
現在の技術では、ボイスレコーダー(常時録音タイプ)がそれに近いです。音声ファイルを高速かつ自動的にテキスト化する「テープ起こしソフト」と組み合わせることでおおよそ目的を達成することができます。できることなら、自動でテキスト化までやってくれるともっとありがたいです(別に秘密録音を要する状況じゃないので、音声ファイルは残らなくても構いません)。
そんなわけで、コンパクトな装着型ボイスレコーダー(常時録音タイプ)が欲しいです。できればリストバンド型でなくネクタイクリップ型だとありがたいです。
根拠が正しいか否かではなく自分に有利か否かで判断する人たちがいます。彼らの中には自分たちの根拠が正しくない可能性を承知した上でゴネる人たちもいます。そのような人たちに対しては、客観的な根拠を示すだけでは検証の為の対話すら始まりません。だから、正しくない根拠でゴネ続けると不利になることを明確に示すことも必要になります。< もっとも、それを示したところで対話は始まらずさっさと寝返って今まで味方だった人たちを批判し始めますが…。例えば「ウリは騙されてたニダ」とか。
橋本駅がリニア中央新幹線の中間駅に決まりました。橋本駅前にある県立相原高等学校は職業能力開発総合大学校跡地に移転するそうです。< しかし、橋本高校と相原高校の名称問題はこれでますますややこしくなるわけで…(笑)
地元では賛否両論ありますが、私は多くの利用者が見込めると思ってます。確かに地元の人が利用する機会は少ないでしょう。しかし、理屈の上では橋本駅と品川駅の間のエリアの大半が品川駅でなく橋本駅を利用するはずです(実際は新横浜駅があるのでもうちょっと狭いですが)。もっとも、乗換駅としての利用者なので、地元への経済効果は新横浜駅と同程度になると思います。
「日本のように治安が良い国に死刑制度があるのはおかしい」という意見を見掛けましたが、日本に死刑制度があるからここまで治安が良いのだと思ってます。確かに、十分に治安が保たれている社会では死刑制度は不要です。しかし、死刑制度が無い社会が必ずしも治安が良いわけでもないし、死刑制度を無くせば治安が良くなるわけでもありません。
あくまで推定ですが、ユーザーによる全ての「削除(not変更)」は単純に「事務局以外に非公開」なんじゃないかな。そしてもちろん、mixi事務局はそのような状態の存在を公に認めることはないでしょう(苦笑)
コミュ管理人としては「削除(非表示化)されたコメントを見る」という機能をひそかに実装して欲しい今日この頃です。
前著『中世ヨーロッパの武術』(新紀元社/671p)が良い資料だったので、迷わず即買いしました。このシリーズは、当時の資料から戦闘技術を再現し図説したものです。
ご存じの通り、日本では心身の修養や文化の伝統を目的としていくつかの武術が継承されてます。しかし、ヨーロッパではスポーツ化されたものを除いてほとんどの武術が継承されず途絶えてしまいました。残ったのは大事に秘蔵されていた“奥義”を記したものぐらいです。喜劇的な話ではありますが、それらから再現した戦闘技術の理合はとても参考になります(もちろんよく分からないものも多いです)。
「日本の武器でこの技を仕掛けたり応じたりするには…」と考えるのはとても面白いです。スタイルを自在にチェンジできるほど習得できれば理想なのですが、そこまでのヒマはありません。いくつかを隠し技として憶えるのがせいぜいです(苦笑)
先日、用事の帰りに母校の近くを通りました。フェンス沿いに歩いていると、植物が茂る中に錆び付いた小さな通用門が見えました。そこにあることを知っていないと見つけるのも難しいでしょう。通用門はもうずっと使われてないみたいです。
昔話になりますが、当時のこの通用門もワイヤーで封鎖されてました。しかし、正門や裏門を経由すると教室まで2分ほど余計にかかってしまいます。だから、密かにワイヤーを切断して一見すると封鎖されてるように偽装してこのマイ通用門を利用していました。< 前にも書いたことありますが、高校時代はイタズラ好きな白衣の委員長キャラでした。所属は物理化学部と生徒会など。
今では校舎のセキュリティも強化され、マイ通用門を利用する生徒はいないみたいです。ちょっと寂しいけど、今の子供たちは今の子供たちなりにいろいろやっているのだろうと想像することにしました。
古くからmixiやってるから結果的にmixi離れしたマイミクさんも多いです。マイミクさん383人がいますが、「最終ログイン3日以上」が3割ぐらいで、週1以上で日記を書いてる人は1割ちょっとで、日記を書いたときのマイミク訪問率は2割〜3割ぐらいです。つぶやきはTwitter連携してる人がほとんどです。
「頑張れば出来る」ばかりだと、出来なかったときに当人の責任になりがちです。教育においては出来たことを褒めるのではなく頑張ったことを褒めるのがいいと思います。
真偽はともかく報道によれば「(恋愛的な意味で)交際相手を持たない若者、男性6割・女性5割」とのこと。もし「いずれの男性も三股以上掛けない」「いずれの女性も二股以上掛けない」「異性愛のみを母集団とする」と仮定すれば、交際相手を持つ男性の25%が浮気しており、交際相手を持つ女性の40%が浮気されていることになります。おそらく、女性にとっては意外に高い数字だろうと思います。もし仮定を「男性は3股以上掛け得る」としたならば、浮気されている女性の比率はもっと増えます。逆に、「女性も2股以上掛け得る」としたならば、浮気していない女性のうち浮気されている女性の比率は減ります。
もしどこかで出会った交際相手がその友人関係をいつまでも教えてくれないならちょっと疑った方がいいです。特に彼氏の同性の友人は、彼氏を評価するバロメータになります。
「どの選択肢を望むか?」は希望であり、「どの選択肢になると思うか?」は予想であり、「どの選択肢にするか?」は予定です。言霊の文化圏ではしばしばこれらが混同されて批難の対象になります。悪い予想であってもちゃんと公表して欲しいのであれば、これらをちゃんと区別することが大事だと思います。少なくとも、willとshallの区別ぐらいは弁えるべきでしょう。
mixi事務局に「コミュの管理人が死亡して、誰も管理人あるいは副管理人になれません。遺族によれば、メアドは分かるがパスは分からないとのこと。そしてコミュは管理を必要としている状態です。どのようにして管理権を譲渡したらよいでしょうか?」と問い合わせてみたら、回答がありました。予想通りですが「遺族に判断をお任せ。ご本人様確認ができない場合は手続き代行できない。詳細は遺族からの直接連絡に対して案内」とのことでした。事務局の責任回避という点では理解できなくもないのですが、現実に即した対応とは思えません。代案として例えば一定期間ずっとログインしていない場合は自動的に解任するなどの処理を導入すべきと思います。
天気予報で「一時間あたり○○mmの雨」という数値的表現をしばしば耳にしますが、体感的表現だと「10mm/時…やや強い雨」「20mm/時…強い雨」「30mm/時…激しい雨」「50mm/時…非常に激しい雨」「80mm/時…猛烈な雨」のようになります。どんな雨にも一律に「チョー強い雨」と表現してばかりだと、程度を適切に描写できなくなりますよ?
ある種の制服は、男性から性的な視線が向けれらるので女性からは敬遠されつつあるそうです。しかし現実的には、どのような制服であれ(露出が極端に少ない制服であれ)性的な視線が向けられるのは避けられません。なんでも敬遠し続けると、制服の選択肢がなくなってしまいます。制服そのものは必要なのだから機能的なものを選ぶべきだし、その為にも男性側はこっそり楽しむのが良いと思います。
言葉遊び。「女は時間と金がかかる(Girls require time and money)」に「時は金なり(Time is Money)」と「金は諸悪の根源(Money is the root of all evil)」を代入する。つまり、「Girl = Time × Money」に「Time = Money」と「Money = √(Evil)」を代入する。このときGirlの値はどうなるだろう?
攻撃線(軌道)上からの視点で3D動画を撮影したいので、中古デジカメ2台を買ってきました。価格は定価の1割以下でした。確率的には、直撃して使い物にならなくなる前に目的の動画を撮影できると思います。
そういえば、レンズ付きフィルムをほとんど見かけなくなりました。専門的な撮影を要しない大衆にデジカメが普及したので、当然といえば当然でしょう。誰もがどこでも気軽に撮影しその画像を簡単に共有できるのはとても良いことだと思います。
私が『麻雀』を憶えたのは中学生の頃でした。今ではめったに機会がありませんが、学生時代はアパートが雀荘状態でした。実際に牌を用いて私が和了したことある役満(四倍役満貫)は、国士無双・四暗刻・大三元・緑一色・大車輪・小四喜・九蓮宝燈(準)・八連荘です。
昨年冬から『めぞん一刻』モチーフのUSBカイロを用いてます。結果として、もう使わないであろう「使い捨てカイロ」がたくさん余ってます。ただ捨てるのはもったいないです。
使い捨てカイロ(鉄粉+保水剤&水+食塩+活性炭)の原理は、鉄が錆びるときの発生です。化学的に書けば「4鉄+3酸素+6水→4水酸化第二鉄+4熱」あるいは「4{Fe}+3{O2}+6{H2O}→4{Fe(OH)3}+4{96kcal/mol}」です(食塩と活性炭は触媒として働きます)。つまり、鉄粉55gが完全に反応すると96kcalの熱が発生するわけです。
使い捨てカイロ1個(60g)に含まれる鉄粉を30gとすると発熱量は最大で52kcalになります。これは水52kgを1℃だけ上げる熱量(あるいは水1kgの温度を52℃だけ上げる熱量)に相当します。カイロを手でよく揉むと反応が激しくなるのは、空気中の酸素が活性炭を通じてより速く取り込まれるからです。発生した熱は、不織布を介した熱伝導だけでなく、加熱された活性炭から出る遠赤外線によって外部に伝わります。ほどほどの温度で長持ちするように触媒が調整されているので、衣服が燃えるほど熱くなることはありません(そもそも空気中への放熱がとても大きいです)。メーカーのカタログ値では最大68℃になるとのこと。内容物を袋から出して触媒を調整し、撹拌して酸素を送り続ければもうちょっと高くまで上がるはずです。
ところで薩摩芋は、デンプンがマルトース(麦芽糖)に糖化することで甘みが増します。そして、糖化酵素βアミラーゼは糊化した状態のデンプンにしか作用しません。これはとてもタイトな条件です。なぜならば、デンプンは65℃以上で糊化し、βアミラーゼは70℃以上で壊れるからです。ゆえに、「ゆっくり加熱することで薩摩芋内外がこの温度帯にあり続ける時間を長くする」がヤキイモ道の奥義とされています。
理屈の上では、使い捨てカイロで焼き芋は作れそうです。幸いにも、竈になりそうな火鉢(銅製)や料理用温度計などもあります。もうちょっと寒くなったら調理実験しようと思います。
私が住んでいる地域も都市化が進み「野菜の無人販売所」を見かけることが少なくなりました。「野菜の無人販売所」は、販売や防犯に要するコストをほとんど掛けずに済むので、生産者と消費者の両方に利益がもたらされます。
この例のように、社会の大多数がフリーライド(お金を支払わずに持ち帰る行為)する必要なく生活していけるだけの豊かな社会においては、相互の信頼によって社会が更に豊かになるフィードバックが発生し得ます。これは、ゲーム理論で云うところの「共有地の悲劇」における理想型(みんなが協力すればみんなが少しずつ利益を得る構図)に相当します。
しかるに、「共有地の悲劇」という名称が示すようにこの理想型はフリーライドを内外から誘発しやすいです。フリーライドが一定以上になるとこの理想型はやがて破綻してしまい、いったん破綻したら元に戻すのは非常に困難となります。
破綻を予防する為には、フリーライドに対する実効的な社会的制裁が必要になります(この意味もあって、ネット並の過剰な匿名性をリアル社会にまで適用するのは望ましくないと思ってます)。また、内部からのフリーライドは次世代に対する道徳教育や貧困層に対する利益分配によっていくらか予防できます。しかしながら、外部からの寄生目的の流入は徹底的にシャットアウトしなければなりません。< 念のために書いておきますが、「流入者は寄生するから予防」ではなく「寄生する流入者を予防」です。いつも私が「文化の相互理解が重要だ」と主張してるのは、問題を解決する為というよりもむしろ問題を予防する為です。
13日(土)午前中は関内で葉魂オフにお邪魔してきました。異なるクラスタの人たちでも属性は似ていたように思います。お昼は中華街と横浜駅西口。東急ハンズ跡地は何になるんだろ。革小物など。道具は必ずしも高品質である必要はありませんがいくら高品質であっても構いません。夕方は代々木公園でジェダイアーツ。あいかわらずこの公園はいろんな人がいます。ライトセーバーの軌跡撮影はとてもきれいです。
14日(日)は橋本駅前でバンガードミッション。午前中は豪雨だったので人出を心配してたのですが、昼過ぎにはいつも通りの参加者数でした。私がプレイしたのは『アクワイア』『ブラフ』『ベガス』『ダイアモンド』『シャドウハンターズ』『勝利への道』『シャット・ザ・ボックス』『セレンゲティ』『ベリシ・ネベリシ』『スリートリックス』などなどです。『シャドハン』ではアンノウン役でした。昼食は松茸天丼。
15日(祝)午前は台風18号で自宅に引き籠もり。備えあれば憂しいな(誤字?)。溜まっていた手紙やメールの返事を書いたり。「老人だから」ではなく「社会に尽くしてきたから」です。昼食は函館塩ラーメン。台風一過の割に雲は残ってますが、空気はきれいです。風のある景色は好きです。
「恋人が友人を紹介してくれるか否か」というのは重要な判断材料です。「友人の友人まで」を把握できるSNS(mixiやfacebook)での繋がりがあるなら(そして相手にちゃんとした友人がいるのなら)ある程度は信頼できると思います。でも、LINEのように「友人の友人」を見ることができないツールだけの付き合いだと、そういうトラブルが発生しやすいです(だから、出会いやヤリ目のツールとして多用されるわけで…)。
問題「スミス氏には2人の子どもがいる。そのうち少なくとも1人は男の子である。2人とも男の子である確率は?」に対して異なる複数の回答があげられる仕組みを、「前提条件および観測結果」を用いてロジカルに解説してみようと頑張ってみます。
回答者たちに箱の中は見えないようにして出題者は箱の中にコイン2枚を無作為に投げ入れます(少なくとも1枚が表になるまで密かにやりなおす。この前提条件を回答者Aは知らないが回答者Bは知っている)。そして、出題者は箱の中からコイン1枚を任意に選んで取り出して「少なくとも1枚がこの向きでした」と回答者たちに観測結果を示します。さて、回答者それぞれの立場において「表表」「表裏」「裏裏」それぞれの確率(的中率)は?
回答者Aによる回答
回答者Bによる回答
「少なくとも1枚が」という観測結果はいずれの回答者も知りえますが、「少なくとも1枚が」という前提条件はそうではないからです。回答者Aから見れば「少なくとも1枚が表であることを出題者は事前に知らない」であり、回答者Bから見れば「少なくとも1枚が表であることを出題者は事前に知っている」です。
だから、問題文中に「少なくとも1枚が」という語句が現れたときには、それが観測結果であるか前提条件であるかしっかり区別しなければなりません。
それでは、問題「スミス氏には2人の子どもがいる。そのうち少なくとも1人は男の子である。2人とも男の子である確率は?」における「そのうち少なくとも1人は男の子である」は観測結果でしょうか、それとも前提条件でしょうか?
この問題を文理的に解析するに、私は「少なくとも1人は男の子である」を観測結果ではなく前提条件であると解釈します。もし観測結果とするならばせめて「少なくとも1人は男の子であった」と表記すべきです。よって、私は「この問題の正答は1/3になる」と言います。
おそらく、この問題のオリジナルを作成した論理学者は「少なくとも1人は」を前提条件として設計したのでしょう。しかし、不適切な翻訳や引用や例示を重ねるうちに「少なくとも1人は」が前提条件でなく観測結果であるとも解釈できるように改変されてしまい、結果的にマルチミーニングな問題として有名になったのだと思います。
高橋留美子作品は別にして自分の価値観に大きな影響を与えたキャラクターをあげるとすれば、銀天狗と太公望をあげます。
1990年頃の日記を読み返してみると、私は「私は大悪人です。普段の私はあたかも善人であるかのように振る舞ってます。この二つの文章を“しかし”ではなく“だから”で接続します」とか「邪悪だが非道ではない」とか「それが本当に最後のカードかどうか分からない。最後のカードなんて概念があるのかどうかも分からない」とか書いてます。
基本的には自分が愉しむ為に他人に優しくしているということですが、「相手が幸せになることで自分も愉しみたい」のか「相手に感謝されることで自分も愉しみたい」のか当時はうまく自覚できていませんでした。なぜならば、ほぼすべてのケースにおいてこの両者を同時に成立させる選択肢を簡単に導けたからです(匿名の寄付は私の名前が知られなくても感謝されてると解釈してます)。意識的に「相手は感謝してくれないが幸せになれる」と「相手は幸せになれないが感謝してくれる」を避けてました。
銀天狗はアニメ『飛べ!イサミ』(NHK教育テレビ)に登場する悪役の一人です。「邪道な悪を許さない正しき悪を進む人」を自称している彼がやってることは、善や正義の側と大差ありません。「極悪だが非道でない人」を自称する私は大いに共感できました。全話を視聴したわけではないので今でも彼が“悪を気取った善人”なのか“偽善を貫く悪人”なのかよく分かりません。でも、その最後のカードは知らないままでもいいと思ってます。
太公望はマンガ『封神演義』(藤崎竜/集英社)の主人公です。序盤のエピソードの一つに、楊ゼンが太公望にテストを課す話があります。「敵も味方も誰一人として傷つけることなく全ての避難民を臨潼関から脱出させること」いう状況において、太公望がみんなから恨まれることでみんなを無事に脱出させたエピソードです。
このエピソードは、私の価値観に正面から問いかけるものでした。そこでようやく、自分が「相手が幸せになることで自分も愉しみたい」のか「相手に感謝されることで自分も愉しみたい」のかを決めることができました。自分自身の最後のカードをようやく見ることができました。
私は太公望のようにありたかったのです。
いったん納得できたら後は楽です。恥も外聞も躊躇もなく他人に優しくできるのは本当に愉しいです。さすがに全員に幸せになってもらわねばならないとまでは思ってません。その場その時に自分にできる範囲で十分だと思ってます。いわゆる冷たい方程式に対してはあっさりと最小の犠牲を割り当てます。私が何もしないことでみんなが幸せになれるなら遠慮なくサボらせてもらいます。
そんな価値観で今まで生きてきました。たぶん、このままずっとそんな価値観で生きていくのだと思います。
ロジカルな問題は、それに回答するだけなら易しいのですが、それを納得できるように解説するのはけっこう難しいです。「2人の子供の問題」を使って簡単な説明を試みてみます。
【問題1】スミス氏には2人の子供がいる。そのうち少なくとも1人は男の子である。2人とも男の子である確率は?
【回答1】第1子と第2子の組み合わせは以下の4パターンが同様に現れます。
スミス氏の場合はパターンDではないということが分かっているので、パターンABCのいずれかです。二人とも男の子であるのはこれら3パターンのうちの1パターンだけですので、その確率は1/3になります。
この回答が1/3であることに納得しづらい理由を考察してみます。比較の為に【問題2】を設定してみます。
【問題2】スミス氏には2人の子供がいる。たまたま見掛けた1人は男の子だった。2人とも男の子である確率は?
【回答2】第1子と第2子の組み合わせは以下の4パターンが同様に現れます。
たま見掛けた子供は「パターンAの第1子」「パターンBの第1子」「パターンAの第2子」「パターンCの第2子」のいずれかです。二人とも男の子であるのはこれら4パターンのうちの2パターンだけですので、その確率は1/2になります。
【考察】出題者が「二人の子供を持つスミス氏」を母集団にして出題したのであれば、(パターンAに該当する確率は)1/3になります。出題者が「兄弟姉妹1人を持つスミス君」を母集団にして出題したのであれば、(パターンAに該当する確率は)1/2になります。【問題1】は、その文章表現から前者であると推定できます。
これだけシンプルな「二人の子供の問題」でさえその解説にはこれだけの文字数を要します。一般的な難易度の論理問題を誰もに納得できるよう説明するのはけっこう大変です。
武術とは個人レベルの戦闘技能であり、武道とは武術を修得した人がわきまえるべき行動規範であり、スポーツとはルールに従ってプレイされる競技であると思ってます。武術の稽古の一種をスポーツ(格闘競技)として確立させたものが『剣道(Kendo)』や『柔道(Judo)』です。それらを通じて武道を学ぶこともできますし、武道を学ばずにいることもできます。
だから、スポーツとしての『剣道』や『柔道』の試合はルールとマナーの範囲内で勝敗を競うコンテストであり、武道としての『剣道』や『柔道』の試合は自己の習熟度を測る為のテストであると考えます。
「ラムの髪の色はLDの色彩に非常に近い」の出典が見当たらないという話を見掛けましたが、少年サンデーグラフィックうる星やつら14巻89頁にしっかり書かれてます。
中国の練習空母「遼寧(55000t)」はスクラップにせず維持コストを抑えながら威信の為の空母として安全な南シナ海でヘリ空母として運用するのではないかと思います。警戒すべきはこれから製造される強襲揚陸艦や正規空母です。
周辺諸国と比べて日本の軍事力(特に海空)は現状で相対的に優れているので、作戦における選択肢は多いはずです。しかし機密保持の不安や先制攻撃不可という制約だけでなく「ローリスク・ハイリターンよりもノーリスク・ローリターンを選択すべき」という風潮があるので、その選択肢は一挙に限定されてしまいます。手の内を晒しながら勝負するには、手の内に強力なカードがなければなりません。
ステルス戦闘機や潜水艦などが作戦的(not戦術的)に有効である理由の一つは「そこにいない」と「そこにいるが検知できない」の区別が付かないことです。空中給油機がのんびり飛んでいるだけで相手は「そこにステルス戦闘機がいるかもしれない」と疑心暗鬼になります。いないかもしれないステルスや潜水艦に対抗するための兵力をわざわざ付随させるのはけっこうコストが掛かります。
この意味で日本が開発するステルスや潜水艦は、戦闘能力よりも隠蔽性能と航続距離を重視するのが良いと思います。
海洋国家である日本に戦車が有用な理由の一つが「日本に攻め込むときに対戦車部隊を輸送し上陸させる為のコストを相手に強いるから」です。必ずしも超高性能である必要はありませんが、どこにでも即座に展開できるだけの数と機動力は重要だと思います。
第二次世界大戦当時の連合国側から見れば朝鮮半島は大日本帝國の一部として連合国と戦った側になるわけだけど、そのあたりはどのように教えられているのだろう?
もし本当に抗日していたのであれば、どのような部隊がどのような装備で日本軍と戦ったのか歴史資料で示して欲しいです。
ミサイル艇やP1哨戒機のような対艦ミサイルキャリアーとしての小型潜水艦がたくさん日本にあれば選択肢はどれだけ増えるだろう。そんなことを考えます。
『ファミコンウォーズ』や『大戦略』などのウォーSLGには「高級ユニットの生産には数ターンを要する」と「部隊の維持費が掛かる」を導入して欲しいです。いまでも『ヨーロッパ大戦』(ASCII)の生産ターンは優れたシステムだと思ってます。
ボカロファンとAKBファンとの対立。愛好と起源とを分けて考えないと「私たちが千本桜を好きだから千本桜は私たちのもの。それ以外は感情的に受け入れられない」になってしまいます。愛好を共有するのは良いことですが、起源を共有するのは良いことではありません。
一般論で言えば、大なり小なりイベントを運営する人はイベント開催前にイベント終了後のこともあらかじめ準備しておくべきです。せめて翌日には終了報告だけでも出すべきかと。< ぶっちゃけ、これは「この話」と「その話」と「あの話」のことだったり(苦笑)
今朝の『みのもんたの朝ズバッ!!』(TBS系)にて、一昨日お邪魔したイベントでのダイスゲーム『Shut the Box』解説(録画)が放送されました。私は「頭脳スポーツ協会」のメンバじゃないはずですが、そのあたりは演出ということらしいです(苦笑) < ワードゲームの『スクランブル』という誤表記よりはずっとマシですし。
あのイベントも色々あるみたいだけど、次世代に伝統ゲームを教える機会はありがたく利用させて頂きます。
先日の「ヘリ空母」日記でも書いたように、人間は平和を願うだけでなくどのような平和をどのように維持するのかを考えることができます。
「爆撃や占領や物資不足や経済封鎖や不平等条約などから自分達の生活を守りたい」という意見は必ずしも「軍事力そのものを放棄すべき」という意見ではないはずですが、しばしばこれらは故意に混同されます。
論理的には「爆撃される以前の戦争ではどうだったか?」や「軍事力がないが故に侵略を招いたケース」を出せばその混同を指摘できましょう。しかし、故意に混同している人達は無自覚に混同している人達を前面に出して彼らに感情的に反対させるので、必要十分な軍事力についての建設的議論はなかなか進みません。建設的議論を進める為には、無自覚に混同している人達を感情的に責めるのではなく理性的に諭していくのが有効だと思ってます。
アメリカとの間に軍事的な問題はほとんどありません。アメリカは韓国から撤退する可能性はありますが、日本との軍事同盟は堅持するでしょう。また、いわゆる基地問題や軍事費負担は軍事的な問題というよりもむしろ政治的な問題だと認識しています。
ロシアとの間には北方領土問題がありますが、双方ともに軍事的なコストを掛けてまで得られるメリットはありません。定例的な領空侵犯は、極東ロシア軍がロシア国内に向けた生存証明だと認識しています。現状の防衛体制で十分だと思います。
なお、流出した核兵器がテロに用いられる可能性はあります。
北朝鮮との間には核開発問題や弾道ミサイル問題などがありますが、日本は計画通りに防空体制を増強していけば良いと思います。新たな拉致問題が発生する可能性はもう無いでしょう。なお、韓国から米軍が撤退した後に第二次朝鮮戦争が勃発するかも知れません。
大韓民国との間には竹島問題があります。政治的衝突は恒常的であるものの軍事的衝突に至る可能性は低いです。長年にわたる反日政策の副作用でやむをえず対日戦に備えた軍拡(強襲揚陸艦・イージス艦・空中給油機・長距離巡航ミサイルなど)を強いられている状況だと認識しています。
将来的に引っ込みがつかなくなれば対馬侵攻もありえるでしょう(侵攻後は即座に島民を人質にした調停に持ち込み、そのまま竹島同様に実効支配を維持しようとするだろうと思います)。現状の防衛力でも十分に奪還できると思いますが、島民の多くが犠牲になります。
中国との間には事実上の尖閣諸島問題があります。中国としては領有権を主張しているという実績を作っている段階のようです。もし大規模な軍事衝突が発生するとしても、それは中国が正規空母(予算的理由で2隻ぐらい?)や攻撃型原潜を配備する2020年以降になると思います。中国の空母を護衛するのは大量建造中の「052Dミサイル駆逐艦(7000t)」でしょう。西側のイージス艦ほどではありませんが僚艦防空艦として十分な能力があります。地上発射型の対艦弾道ミサイル(射程約1500km)はコスト的に大量配備できるとは思えません。
台湾海峡やスプラトリー諸島に中国海軍が本格的に台頭してきたら、日本のシーレーンが脅かされます。食糧や燃料や資源を大きく輸入に頼っている日本としては長期的観点でしっかり備えておかねばなりません。フィリピンへの巡視船供与は有効な選択肢だと思います。
沖ノ鳥島の爆破については、現状の警戒態勢を維持するしかないでしょう。
いずれの展開であれ、よほど紛争がエスカレートしない限り…それこそ中国海軍が壊滅してメンツが潰れない限り…長距離爆撃機や弾道ミサイルによる本土空襲の可能性は低いと思います。
『国際頭脳スポーツフェスティバル2013』が8月14日(水)から18日(日)に掛けて開催されます。
既に報道されているように、当初の予定ではパシフィコ横浜での開催でしたが、諸般の事情で横浜駅西口カンファレンスセンターその他での開催に変更となりました(現実の世界はゲームの世界と違って、イレギュラーなケースも普通に想定せねばなりません)。
しかし、どう転んでもうちは大したダメージを受けないしそもそも趣旨に賛同してるので、「バンガードミッション」は従前通りのスタンスでイベントに協力しています。
本日の参加者はざっと300人〜400人ぐらいでしょうか(パシフィコ横浜に向かった人がどれだけいたのか、すごく気になりますが…)。数年ぶりないし十数年ぶりの懐かしい人たちにも会えました。
イベントでは体験会コーナーを預かりました。主催者が各種ボードゲームを用意しておりましたが、私たちも「容易に入手または自作が可能でありルールが普遍的である伝統ゲーム」を中心にいろいろ持ち込んでみました。私が持ち込んだのは『シャット・ザ・ボックス(3種)』『ピッチカー・ミニ』『コリドール』『キツネ&ガチョウ』『ピット』『クク』『トランプ』『花札』『天九牌』『ドミノ牌』など十数種、そのほか遊戯史資料などです。また、無料配布用にダイス300個とダイスゲームルール100部を用意しました。
体験会コーナーでは、たくさんの親子連れさんに様々なボードゲームを紹介いたしました。やはり『ブロックス』の人気が高かったです。私は『シャット・ザ・ボックス』の説明&講習がメインでした。
ともあれ、来訪して下さった方々に愉しんで頂けたようで何よりです。
予想されてたことですが、来場者数に対して体験コーナーが狭すぎます。結果的に、こちらが展示&紹介したいゲームを引っ込めて、主催者が用意した玉石混合な各種ゲームのプレイスペースになりました。あまりオススメしたくないゲームや時間的にインスト困難なゲームまで置かれるのはいささか困ります(それどころかチェスやバックギャモンのような基本ゲームがありませんでした)。ゲームを厳選せず種類を揃えて誇示するのは、主催者の自己満足だと思います。
また、主催者のゲーム管理が甘いように見えましたが、盗難や紛失は折り込み済みのようです。ただ次回以降の為に、イベント終了後にちゃんと内容チェックすべきでしょう。今回はルールブックが入ってないゲームなどありましたが、おそらく前回にチェックし忘れていたのではないかと思います。
ゲーム業界の保護の為には「“作品”を買い続けなければ愉しめない趣味であること」が有用ですが、ゲーム文化の保護の為には「“商品”を買い続けなくても愉しめる趣味であること」が必要です(金銭的余裕がない小学生らにレクチャーするのであればなおさらのことです)。十年後も普通に遊べるゲームを次世代にレクチャーする機会を提供してくれるのであれば、頭脳スポーツ協会であろうがなかろうが原則的に支持します。
朝の横浜線はほどほどに混んでました。制汗剤や消臭スプレーはけっこう便利です。階段から落ちて搬送された人が軽傷でありますように。Tシャツ貰ったけど着ません。あくまで外部の協力者です。撮影はゲームそのものやプレイ方法を中心に撮ってたようです。私の『シャット・ザ・ボックス』を貸し出しています。『Shut the Box』のダイス1個振りはオプションルールです。お弁当?何それ?聞いてない。チェスもギャモンもiPadアプリで用意できるけどさ。どうしてもならヨドバシで買ってくればいい。どらふつしょうぎ(混ぜるな危険)。責任追及の為ではなく原因追及の為に報告書を(特に主催者)。木曜の読売新聞、金曜の朝ズバ。「鉄のルール、鋼のプレイ。それが漢の盤我道」。帰りに特製シウマイ3箱を買いました。夕食は回鍋肉定食。私は17日(土)にまたお邪魔する予定です。
自分の趣味や活動に他人を付き合わせる者は、その他人の趣味や活動に自分も付き合うべき。> 特にボードゲーマー
事実上のヘリ空母であるヘリコプター搭載型護衛艦「いずも(22DDH)」を敢えて8月6日に進水させた理由があるとしたら、それはオストリッチ・コンプレックスに陥っている日本国民に対し軍事と外交について正面から問いかける意味合いではないかと思います。
たまたま平和が続いていた時代はもう過ぎ去りました。いまや平和を願うだけでなくどのような平和をどのように維持するか、主権者もしっかり考えねばなりません。
国家にとって最も重要なことは、国民の生命や自由や財産を保護することだと思います。だから、不平等条約強要や経済封鎖や通商破壊や拉致や抑留や爆撃や占領や破壊工作などを抑止ないし防衛する為のパワー(政治力・経済力・軍事力など)は絶対に必要だと主張します。周辺諸国との関係については、互いに国民生活が保護されている状態が継続することを望みます。
ちょうど良い機会なので、ヘリ空母についてちょっと考えてみました。
海上自衛隊のヘリ空母の運用思想は「敵方の航空優勢が及ばない海域において、護衛艦隊の各艦に搭載されている対潜哨戒ヘリを効率的に運用(補給や整備など)する為のプラットフォームであること」だと思います。よって、最大積載機数までヘリを調達する必要はありません。隻数については、ローテーションを考えるに4〜6隻ぐらいが妥当でしょう。
効率的なヘリ運用という観点では「ひゅうが級(13950t,197m)」の規模で十分だと思います。しかし、「いずも級(19500t,248m)」は個艦武装を省いた上で輸送スペースを拡充し相当な大型化が図られています。これは「島嶼奪還を想定した強襲揚陸艦としての役割を兼ねた」と言うよりもむしろ少ない予算の中で「国際協力や災害派遣や邦人輸送や洋上給油を想定した輸送艦としての役割を兼ねた」と言うべきものだと思います。
いずれのヘリ空母も飛行甲板は耐熱処理されてますが、MV-22オスプレイはともかくF-35Bの搭載は(技術的理由ではなく組織的理由や予算的理由で)あまり現実的ではありません。仮に「いずも級(スキージャンプ改装型)」にF-35Bを搭載できたとしてもせいぜい10機です。直掩(艦隊防空)としても艦攻(対艦ミサイル装備)としても力不足だし、かえって母艦が更なる優先目標とされるだけでしょう。なお、小型無人機の運用は将来的に検討して良いと思います。
いずれのDDHもヘリ空母としては非常に廉価(1000億〜1200億円ぐらい。ちなみに、一般の護衛艦は500億〜750億円ぐらい。イージス艦は1200億〜1500億円ぐらい。潜水艦が500億円ぐらい。年間維持費は建造費の5%〜10%ぐらい)です。よって、これらのDDHを護衛する為の艦をわざわざ追加する必要性は薄いと思います。
隻数制限と輸出制限によって、ヘリ空母4隻(ひゅうが・いせ・いずも・24DDH)を調達する代わりに、まだ十分に使える駆逐艦をその分だけスクラップにせねばなりません。また、ハイローミックスの観点においては、高価で少数の大型艦ばかり揃えるよりも安価で多数の小型艦も合わせて揃えた方が良いと思います(その役割の一部は海上保安庁が担ってますが打撃力不足は否めません)。よって、護衛艦の隻数制限は早急に廃止すべきと考えます。隻数制限がなくとも文民統制と予算制限によって過剰な軍拡は抑制されますし、そもそも予算状況が厳しい現在なら尚更に効率が求められます。
ヘリ空母という選択は、既存兵器の効率的運用という意味で良い選択だったと思います。
人間は願うだけでなく考えることができます。私は若い頃にいろいろ考えた末に、軍事力を行使しないで国民生活を保護する為には軍事力を保持することが必要だという結論に至りました。その結論は今でも変わっておりません。どのような軍事力をどのように保持していくべきか、これからも考えていきたいです。さもなければ、政府や自衛隊の選択が妥当であるか否かを評価することができません。
競技としてのゲームあるいはスポーツにおいては、いずれのプレイヤーもルールとマナーの範囲内で自分の勝利可能性を最大にするように行動すべきとされています。だから、現状で勝利可能性がほぼ皆無であるならば、勝利可能性を少しでも高めるために瀬戸際戦術や脅迫的戦術を採用することもありえます(脅迫的戦術と言っても言動や物腰はあくまで丁寧であることが求められます)。
例えば「現状では私の勝利可能性は皆無です。現状1位(勝利可能性が最大)のプレイヤーに提案します。私に逆転勝利の可能性を10%ほど下さい。さもなければ現状2位の人の勝利を支援します」という“連衡策”の提案です。この提案の具体的内容を感情的でなく理性的に算出できるのであれば、マルチゲームの中級者を名乗って良いと思います。そして、このように提案させるあるいは提案させないように他のプレイヤーを事前に制御できるのであれば、マルチゲームの上級者を名乗って良いと思います。
このように振る舞う下位プレイヤーのことを「キングメーカーだ」とか「ゲームを壊すな」と本気で批判する人は、マルチゲームというものの本質を理解していないと思います。例えば2位プレイヤーが他の下位プレイヤーに対して「みんなで協力して1位を攻撃しよう」という“合従策”を提案するときは、下位プレイヤーたちの勝利可能性をわずかでも上げるようにしなければ下位プレイヤーたちは提案に乗るわけないのです。
子供にとって必要なのはゲームよりも友だちです。ゲームはあくまで友だちと交流する為の道具の一つとして用いるのが望ましいです。現代の都会では、交流する為の道具である「空き地」や「秘密基地」や「放課後」や「ボール遊びができる公園」や「近所のお兄さんやお姉さん」や「友だちを招ける家」がどんどん失われているので、ゲームの有用性はそれなりに高いと思います。もしゲームを禁じるなら、実際に友だちが一緒に遊んでくれる別の道具を示す必要があるでしょう。
一人用ゲームもそれを話題に友だちと交流できるなら、交流する為の道具として認めていいと思います。私たちの世代だって、ファミコンのゲームの話題でときどき盛り上がってます。
本日は橋本公民館の工作室で「バンガードミッション」のゲーム会がありました。参加者は20人ほど。私がプレイしたゲームは『アクワイア』『カタンの開拓者たち』『パンデミック』『八八』『シャット・ザ・ボックス』『ラブレター』『バックギャモン』『ベリシネベリシ』『クー』などでした。
状況の変化が急激すぎることから推測するに、会場費や旅費などの現金は確保できてたが想定外のトラブルで支払い不能になったんじゃないかな。そもそも資金を工面できなかったとも思えませんし。< もし資金を確保できてなかったのだとしたらもっと早い段階で情報が入るはずだろうし。
ともあれ、協力できることがあれば協力するつもりです。< いちおうバンガードミッションは名前を連ねてますし。
もともとは伝統的なトランプゲームなんだから、『マフィア』も『人狼』もある種の二次創作なわけで…
ローソク、マッチ、火薬ビン、スパナ、ゲージ、ドライバー、ペンチ、モンキースパナ、糸ノコ、ヤスリ、ナイフ、ワイヤー、釘、ピン。(パン+目玉焼き)×2、りんご1個、あめ玉2つ、ランプ。
土曜は、立川のビサイドで打ち合わせ。トロやクロがたくさんいました。
日曜は、都産貿台東館4階でミリコス&エアガンの即売会「トルピードフェスタ」、そして戦車資料展示会「パンツァーロード」にお邪魔して来ました。 < と言うか、いちおう雇われの本部スタッフらしい?(苦笑)
興味の対象は戦略や作戦や兵站なので、ミリコスもエアガンもさして興味はありません。それでも、戦車資料はなかなか興味深かったです。アニメ『ガールズ&パンツァー』で予習してきた甲斐があったというものです(少し違います
個人的に思うに、こういうのは単独のミリタリーイベントとしてではなく『ヘタリア』や『ガルパン』のイベントとタイアップあるいは隣接で開催するのが良いと思います。店舗だって不良在庫のSサイズを放出できるでしょう。
諸般の事情で28日(日)までに『ガールズ&パンツァー』を見ないとならなくなったので、4日ほど掛けて全12話+αを視聴しました。
簡潔に感想を述べますと…
廃校が掛かった大会を通し、友人とその家族との関係を交えつつ主人公が自分の戦車道と向き合う展開は、実に王道的だと思います。また、『戦車道』という架空のモータースポーツは、3Dモデルをベースにした戦闘シーンとあいまってなかなか迫力ありました。もともと戦車の知識はいくらかあったので戦車の説明も分かりやすかったです。
個人的には、西住まほ(黒森峰女学園・隊長)というキャラクターに親近感を覚えます。特に「これも戦車道よ」の台詞が気に入りました。決勝戦での「ここで決着をつけるしかないな」は、援軍を待って黒森峰女学園として確実に勝利することよりも、前に進んで西住流として勝利することを優先した彼女の戦車道なのだと思います。
姉妹いずれも…というか指揮官の多くが…チームの勝利より自分の戦車道を優先しているという点がとても興味深いです。
トランプで「強いカード(AKQJの16枚)が既に使われたか否か?」は僅か16ビットの情報です。だから、16進数に慣れていれば簡単に記憶できます。手元のチップの置き方や手札の上下&並順で記憶補完するのもあり。
私にとって最初のファミコンは、近所の電器屋さんの正月の懸賞で当てた「ツインファミコン」(シャープ)でした。好きなソフトが選べるということで、『ドラクエ2』も頂きました。当時は攻略本なんてありませんでしたから、あのロンダルキアへの洞窟で…(中略)…なんとかハーゴンを倒したと思ったら…(以下略
もともとゲームはパソコンでやるのがメインだったので、所有していたファミコンソフトはそれほど多くありません。せいぜい十本ぐらいで、確か『ヴォルガードII』『テトリス』『水晶の龍』『ドラクエ2』『ドラクエ3』『ドラクエ4』『DAIVA』『SDガンダム』『スターフォース』でした。また、友人宅で『グラディウス2』をよく遊んでました。
子供の遊びの形を大きく変えた文化としてファミコンは歴史に記しておくべきものだと思います。
余談になりますが、「スーパーファミコン」は『ドラクエ5』と一緒に買いました(ちなみにフローラ派)。『ドラクエ6』と『タクティクスオウガ』と『海腹川背』が特に印象に残ってます。
きつね神社→ファミレス→ねこちゃんぽん屋→カラオケ屋→相模原駅。ねこちゃんぽん屋と相模原駅でマイミクさんらに遭遇。おそるべし地元(笑)。ありがとう&おつかれさまでした。> 参加者8人&遭遇者4人。
各党が公約として掲げているポジティブな政策の裏には必然的にその代償となるネガティブな政策が隠されています。釣餌には必ず釣針が隠されているのです。日本の主権者は選挙において、この隠された政策を含めた政策セットをその実現性を考慮した上で選択しなければなりません。
完全に満足できる政策セットはまず存在しないので、いまある選択肢の中でよりマシなものを選ぶことになります(これを判断する為には、自分の中で完全に満足できる政策セットをイメージできなければなりません)。
例えばX党の政策Aに賛成で政策Bに反対である場合に、政策Aのウェイトが十分に重ければ結果的にX党を支持することもありましょう。政策Bに反対することとX党を支持することとは必ずしも矛盾しません。< たまにそれを矛盾だと言い立てる人がいるのでちょっと面倒です(苦笑)
自分の判断力に自信がなければ「ボートマッチ」サービスを利用するのが良いと思います。参考までに、私と各党との一致率は「自民52%、みんな49%、維新48%、幸福42%、大地34%、生活30%、緑25%、みどり21%、共産20%、社民19%、民主10%、公明7%」となりました。民主や公明との一致率は低いと思ってたけど、ここまで低いとは思いませんでした。< ちなみに、私が「重視」とする項目は、憲法改正(憲法96条)、財政再建、TPP(毒素条項)、日米関係、教育問題などです。その上で、憲法9条や歴史認識や景気対策や死刑制度や体罰などを「やや重視」としています(日記でしばしば言及していることであっても重要度はそれほど高くありません)。
「投票者の多数に従う」という意思表示でない限り棄権や白票はなすべきでないと思ってます。投票率が低いことが候補者や政党に対する警鐘になるとは思えません。投票率が低いことで有利になる政党は(特に固定支持層を持つ政党は)低い投票率をむしろ喜ぶことでしょう。
著作物利用について「ホワイトリスト方式(どのような利用が合法であるかを具体的に定める方式)。そして黙認されてる場合は合法とみなされる」よりも「ブラックリスト方式(どのような利用が違法であるかを具体的に定める方式)。それ以外はフェアユースによって合法とみなされる」と定めた方がずっと分かりやすいです。
ホワイトリスト方式では、著作権者がその利用を監視しなければなりません。しかし現実的には、監視しきれない違法利用に対応できないこともしばしばです。利用者側から見れば、ダークグレーであろうとライトグレーであろうとグレーゾーンの違法性は権利者の胸先一つで左右されるという不安があります。一方で、ブラックリスト方式ではグレーゾーンはほとんど存在しません(ダークグレーとされていた部分が明確に黒となり、ライトグレーとされていた部分が明確に白となります)。利用者側から見れば、監視者による恣意的な運用が危惧されます。いずれの制度が望ましいのかはそれぞれの社会によって異なるでしょう。
現代日本で一般人が相手を殺傷してでも何かを守らねばならないケースの一つが、近距離にいる凶悪犯が人質を殺傷しようとしている状況です。現代の武術家はそういう状況を想定した「型」をもうちょっと重視すべき。
人々が幸福であるならば君主制であろうと貴族制であろうと民主制であろうと構わないと思ってます。
おそらく民衆にとって、良い君主制は良い民主制よりも良く、悪い君主制は悪い民主制よりも悪いでしょう(話を簡略化する為にその他の制度は割愛)。< 企業の例で言えば、悪い経営者は従業員にとって最悪であり、良い経営者は従業員にとって最良になりえます。もしも企業が「従業員のみなさまの意見に従って民主的に経営します」なんてやったら、ほどなくして倒産します。
民衆の幸福度を点数で喩えれば、君主制なら10点〜90点の間でぶれるのに対し民主制では30点〜70点の間でぶれましょう。民衆が20点以上を要求してた時代には君主制で何も問題がありませんでした。やがて民衆が40点以上を要求する時代になって民主制が求められました。更に時代が進み民衆が60点以上を求めるようになったら、ハイリスクハイリターンながらもまた君主制が求められるようになります。
いつか民衆が80点以上を求めるようになったら「人工知能という君主に社会を制御させればいいんじゃね?」になるかも知れません。< そして、それがうまく機能している間はいいのですが…
下記以外はもう遊ばないだろうので処分するつもり。
伝言板機能は嫌がらせに適した機能だと思います。なんせ、攻撃対象のマイミクさんたちにメッセージするよりもずっと気軽に「あることないこと」を書き込めるのですから。実際に読まれることは少ないですが、当人に対する嫌がらせとしては効果的です。< もしかしてこの機能は「頻繁にログインして伝言板を自己チェックしてね?」というmixi事務局からのメッセージだろうか?
ニュースを眺めていると相変わらず従軍慰安婦問題が目に尽きます。
いわゆる従軍慰安婦問題については、強制の有無や是非を論ずる前にその主語を論じる必要があります。さまざまな情報から総合的に考えると、実際の出来事は「いわゆる従軍慰安婦は存在した。自主的に応募した女性も存在したし、強制的に従事させられた女性も存在した。ただし強制は、日本軍や役人によるものではなく、その多くは現地の民間業者によるものであった」あたりであろうと思います。
なお、現地の民間業者の大多数は朝鮮民族でありますが当時は日本人であったので、「日本人による強制連行」という表現は必ずしも間違っていません。
子供向け番組を見て「子供だましだ!大人向けに作ってない!」と怒る人はその番組を見ない方がいいです。そして、そういう人にはその番組を見せない方がいいと思います。経験から言えば、そういう人の「怒らないから見せて」はたいてい反故にされてしまいます。
「みんなが望めば戦争は避けられる」という人は、「誰かが望めば戦争は避けられない」も考慮すべきだと思います。
悲劇的ではありますが、世の中には「戦争の方がマシ」という状況がありえるのです。「みんなが望めば戦争は避けられる」を実現するには、「戦争の方がマシ」という状況にまで誰かを追い込むべきではありません。交渉断絶は次の交渉を始める為のカードとしてのみ用いるべきです。
バニラアイスにヨーグルトとオレンジジュースを掛けて。
この組み合わせはけっこう好きです。
喩えるなら、素人が途中まで作った料理をプロが引き継いで完成させるような一ヶ月でした(苦笑)
一般的には、最初から作り直した方がずっと美味しいモノができるのですが、素人の観点では「引き継ぎ」の方が「作り直し」よりも簡単そうに見えるみたいです。< 引き継いで不味いモノができた場合に、素人を責めるのは簡単ですがそれは責任逃れでしかありません。だから調理の途中であろうと、どんなものを作りたいのか明確にさせるだけでなく、最初から作り直した方がマシであることを納得させねばなりません。これは料理を作ることそのものよりもずっとずっと大変なことです。
顧客が要望を正しく注文できているとは限りません。面倒なことではありますが、顧客の注文に応えるだけでなく顧客の要望にも応えねばなりません。
3DS用ソフト『さよなら海腹川背』は、伸縮自在なロープ付きルアーとジャンプを駆使してゴールを目指すラバーリングアクションゲームです。さっそく遊んでます。ルアーの挙動が今までのと微妙に異なりますがすぐに慣れました。
このシリーズは『海腹川背(SFC)』『海腹川背・旬(PS)』『海腹川背・旬SE完全版(NDS)』『さよなら海腹川背(3DS)』と買ってきました。こういうゲームではSFCのような軽いコントローラーが良いです。< DSiLL(314g)も3DSLL(336g)も物理的に重いのです(汗
五代裕作(『めぞん一刻』)がいつ禁煙したかについては、このあたりが参考になると思います。
Wikipediaには「物語当初は喫煙する描写があるが、途中から無くなる。アニメ版では響子のために禁煙したと発言している」と書かれてます。
二十数年前のものすごく曖昧な記憶で何ですが…。年齢制限あるいはポイ捨てについてのポスターに五代くん(原作絵の流用)が用いられたという記事をどこかで見た覚えがあります。そのポスターに出演したから禁煙設定になったのか、禁煙した後にそのポスターが作られたのか、あるいはぜんぜん関係ないのか、さすがに分かりません。
いったん侵略されてしまったら、侵略者を排除できたとしても荒廃した国土を復興させるのは非常に困難です。関東地方は昨日に梅雨入りしました。カビは除去よりも予防が大事です。
ときどき思うのですが…。日本の旭日旗の性質はナチスのハーケンクロイツよりもドイツの鉄十字旗に近いです。それを知った上で故意に「旭日旗は戦犯旗だ」と言い掛かりを付ける人たちとまともに議論するのはとても難しいと思います。< さすがに「桜や菊は戦犯花だ」とは言い出さないでしょうけど
言葉に対して厳密な相手に何かを説明するのはとても難しいです。厳密に説明しようとすると、必要以上の長文となってどこが重要なのかピントがボケてしまいます。相手に悪気はないのでしょうが、どうしても定義や重箱や揚げ足を招きがちです。
分かってたことではありますが、そんなことを改めて感じました。
チャンバラ系スポーツのほとんどは、甲冑戦ではなく素肌戦が想定されています。武器は安全性の範囲でリアル武器を模す必要がありますが、防具は必ずしもリアル防具を模す必要はありません。得点ターゲットである部位や大ケガしやすい部位を保護できれば十分だと思います。
個人的意見ですが、安全具としてリアル防具またはそれを模したものを用いた場合に、その防具への軽打撃が得点になることに微妙な違和感を覚えます。当然に、リアル防具を模したLARP用具で素肌戦を想定したチャンバラ系スポーツをすることも同様です。
一方で、LARP用具で甲冑戦を想定したチャンバラ系スポーツをするのであれば、LARP用具といえどそれなりの防御力が必要となる上に、その防具の内側に安全具を着込む必要があります。それだけの重装備になると、さすがに気軽にプレイできるものではなくなってしまいます。< もしやるならば、最近の話題の『Battle of Nations』ぐらいしっかりやる必要があるでしょう。
一般のLARP用具はスポーツではなく撮影や殺陣や演劇に用いるものだと割り切るのが良いと思います。
最近のサンデーは夕方に売り切れてることがあります。表紙やポスカの為に少年サンデーもう1冊を買っておくべきか。
『らんま』連載当時には既に「ラムちゃんの絵柄が変化した」と言われてましたし、『犬夜叉』連載当時も同様に言われてました。それらの頃と比べても、更に変化しているように思います。
朝の概念が言語化された当時は「太陽が昇ったときから」であっただろうと思います。江戸(東経139°)の時制で言えば「明け六ツ(卯の刻)から」です(余談ですが、この「六」は「十六の下1桁」であるらしい)。
でも、私(東経139°在住)が時間の意味で「朝」と言う場合は「社会がスリープモードから復帰する4時頃から」をイメージしています。
サイコロでどんな目が出ても良い結果になるように備えておけば、自動的に「良い目が出た」になります。そんなことを思う今日この頃です。
ゲーマーは分析能力や判断能力が高いと思われてます。しかし、あらかじめバランスがとれたデザインのゲームばかり…つまりどんな戦術でもそれなりに勝ち目があるように作られているゲームばかり…プレイしているのではその能力はなかなか育ちません。もしそのスキルを実社会で役立てたいのであれば、バランスのとれてない状況にも慣れておくのが良いと思います。
特定のスポーツを専門としていてもスポーツマンの範疇に含まれるように、特定のゲーム(囲碁や将棋や麻雀など)を専門としていてもゲーマーの範疇に含まれます。逆に言えば、ゲーマーだからと言って必ずしもあらゆるゲームをプレイしていなければならないわけではありません。ただし、その特定のゲームについて十分に習熟していることは必要条件でありましょうが。
『Shove HD』『Pub Games:Shut the Box』『柿木将棋』『Blokus』『Scotland Yard』『ザ・チェス』『BGNJ HD(バックギャモン)』『Disc Driven' HD(おはじきレース)』『Jenga HD』『High Kings』『Liar's Dice』『Take it Easy』『Tikal』『Le Havre』『Medici』『Ra』『Tigris & Euphrates』『En Garde』『Catan HD』などをインストールしてあります。
ときどき「ゲームとは何だろう?」と考えます。いろんな人がいろんな定義をしていますが、いまだに共通認識はなされていないように思います。
私の場合ですと、ゲームとは「明確なルールが存在し、それぞれのプレイヤーが“明確な目標”と“複数の選択肢”を持ち、それぞれのプレイヤーの選択によって他のプレイヤーの最善手が変動するという構造」です。いわゆる一人用ゲームはゲームのデザイナーがあらかじめ選択をプロットしている状態であるとみなします。
ゲームとよばれるものは賭博や競技や遊戯や占卜や教育や研究などに用いられてます。全身運動を主要なリソースとし、もっぱら選択がリアルタイムになされるものはスポーツとも呼ばれます。ボードやカードやダイスやチップなどのトークンを用いてプレイされるものは、テーブルゲーム(あるいは広義のボードゲーム)と呼ばれます。
いちおう盤長なので、ゲスト来訪に備えて短時間ゲームばかりやってます。私がプレイしたゲームはおおよそ以下の通りです。
「ボードゲームのルールの考案と用具の製造販売」と「スポーツのルールの考案と用具の製造販売」と比較することで、新しい観点が得られるだろうと思います。
17日(土)は、三軒茶屋で遊戯史学会がありました。
いわゆるボードゲームのうち盤外要素を用いないものは、一部の発達障害者にとって親和性の高い娯楽ツールです(障害者の教育にも有用なツールだと思います)。結果的にゲーマーには対人交流に難のある人の比率がやや高くなる傾向がありますが、あらかじめ分かっていれば盤外におけるトラブルは予防できます。
たくさんの新たなボードゲームが出版され続けています。これはゲームの業界および文化を発展させる為に有益だと考えられてます。しかし、あまりにたくさん出版されてるが故に、遊ぶ為の「道具」として定着することなくルールやデザインを観賞する為の「作品」として消費され続けてるようにも思います(もちろんビジネス的に業界は消費者に新作を買い続けて貰わねばなりません)。私たちは、かつてのアタリショックからもっと多くのことを学ぶことができるはずです。
カードゲーム『ザ・ビッグチーズ』は、限られた人数の部下をうまく運用して様々なプロジェクトを競り落とし利益を上げるシンプルなマネジメントゲームです。私のお気に入りのゲームの一つです。
で、『ザ・ビッグチーズ(豪華復刻版)』(3000円)を買いました。旧版とあわせて自宅に5セットあります。初版のは535円と735円の値札が付いてます。1995年頃のグレー色の版は確か740円だったはず。5〜6セットほど布教に用いたから、私は10セット以上を買ってる計算になります。< ちなみに、カードデータはチーパスのサイトで無料公開されてます。
一般の飲食店における「食後の一服を愉しむ権利」と「美味しい食事を愉しむ権利」の話の続き。
「飲食店が『喫煙者は喫煙の際に周囲の人に許可を求めなくてはいけない』というルールを客に示したならば、飲食店はそのルールを他の客に対してもちゃんと示すべき(店員が代行するのでも可)」との主張に対し、「『喫煙者は喫煙の際に周囲の人に許可を求めなくてはいけない』と主張する正当性は?」あるいは「飲食店が『喫煙者は喫煙の際に周囲の人に許可を求めなくてはいけない』と定めなければならない理由は何か?(飲食店の自由だろ?)」と質問されても、「その飲食店に聞いて下さい。一般的には、周囲に迷惑を掛けるべきでない(権利と義務の相対性は認める)。一般の飲食店では、客(喫煙者)が喫煙することよりも客(喫煙者も非喫煙者も含む)が飲食することが優先されている」としか回答しようがないです。
「一般の飲食店では〜が優先されている」という事実認定に対して「優先すべきと主張する正当性は?」と尋ねられても回答しようがありませんし、「飲食よりも喫煙が優先されている店もたくさんある」という異なる事実認定に対して私はそれを確認できてないので肯定も否定もできません。
せっかくなので、十年以上前に通っていたお店がどうなってるか見てきました。いくつかは昔のまま、いくつかは跡形もありません。時の流れを感じました。
「どのような正当性をもって飲食店がその店での喫煙条件(近くの人の許可を得ることなど)を決めるのか?」を嫌煙者側にどれだけ尋ね続けても、愛煙者側が納得できる回答など得られるわけないのは当然です。納得できる回答が得られないことに文句を言うのはそもそも筋違いです。< そういうのはその飲食店に尋ねれ(苦笑)
「このコミュを荒らさないで下さい」と定めるだけで、荒らす人を予防できるわけではありません。荒らしたい人に対してそんなルールは効果ないし、荒らしたくない人に対してそんな注意は不要です。メンバは「荒らす人が悪い」と愚痴ることぐらいしかできませんが、管理人には対処する責任があります。
「荒らしに構わないで下さい」と定めるだけで、構う人を予防できるわけではありません。構いたい人に対してそんなルールは効果ないし、構いたくない人に対してそんな注意は不要です。メンバは「構う人が悪い」と愚痴ることぐらいしかできませんが、管理人には対処する責任があります。
もし「構う人も荒らしと同じ」と言うのであれば、ちゃんと注意したり削除したりメンバ解除したり参加ブロックしなければなりません。< そして悲劇的なことに、自分が正しいと確信して荒らしに構っている人は、これはこれで逆恨みも強かったりします(苦笑)
小規模コミュならともかく大規模コミュにおいて「荒らしに構うな」はサイコロ20個を振って1個も1の目がでないような成功率です。だから管理人は、注意したりスルー推奨するヒマがあったらどんどん削除し解除し制限するのがいいと思うんだ。管理人の仕事は、誰が正しいかを判断することではなく、コミュの機能を維持することだからね。
日本では既に宝くじ(控除率50%)や競馬など(控除率25%)やパチンコ(控除率13%ほど)が定着しており、国や地方や業者はそこから莫大な利益を得ています。しかるに控除率5%ほどのカジノで同じ程度の利益を出すのはとても大変です。
お昼はひとりでラーメン屋さんに(店名も画像も伏せるよ)。
すぐ隣に座ったお客さんが店員さんに「灰皿ちょーだい」と。で、店員さんから灰皿を受け取ってタバコを吸い始めました。空調の関係で私の方に直撃コースで流れてきます。外国産のタバコらしく臭いがきついタイプでした。はじめは我慢してたのですが、予想以上に煙がきつかったので(そして席を移動しても喉の調子がおかしかったので)ラーメン(小)もネギ丼もほとんど残して店を出ました。調理して下さった方々には申し訳なく思います。
営業上の理由で禁煙や分煙にできなくともせめて店員は灰皿を出す前に近くの客に確認して欲しかったです。他の客の前でどうこう言いたくもなかったので、帰宅してからお店にお詫びと要望を出しました。
一般の飲食店における喫煙許容条件は、(そこが喫煙席である)または((そこが禁煙席でない)かつ(近くに嫌煙者がいない))あたりが妥当だと思ってます。列車のように完全分煙できているわけでもないのですから、灰皿があってもそこは禁煙席でないだけで喫煙席であるとも限りません。< もちろん、そこが明確な喫煙席ならその席を利用した嫌煙者側が筋違いになります。
この問題の論点は、「灰皿があることは禁煙席でないことを示すのかそれとも喫煙席であることを示すのか」だと思ってます。
理由も示さずに「ハングル表記を廃止せよ」と要求するのでは説得力に欠けます。少なくとも、例えば「ハングルしか読めない人は非常に少数であるので、アルファベット表記があれば十分である」や「ハングルよりも他に優先すべき文字がある」などの理由を明記すべきだと思います。
韓国語による案内があるのは、「日本語も英語も分からないが韓国語なら分かるという利用者(主に旅行客)がコストに見合う程度に存在する」と会社が認識しているからと思われます。韓国語での案内に必要なので、結果的にハングル文字が用いられているにすぎません。もしこれに反論するならば、そのような利用者は非常に少ないことを会社に対して示さねばならないでしょう。
トータルで考えれば、韓国語表記するだけの十分なメリットがあると思います。
なお、私は韓国文化に特徴的な「根拠ある理由を示さずに要求すること」が嫌いです。できることなら、そのような人とは住み分けたいです。
現代日本における少子化の最大の原因は、繁殖適齢世代の経済的余裕が減ったことだと思います。特に「将来の収入に対する不安の増大」と「前世代(じじばば世代)による子育て支援の減少」の影響が大きいです。
もし独身税を導入するのであれば、子供を産んでいない夫婦にも同様に課税すべき。更にマシな代案として、彼らに税金を掛けるよりも、広く全体に税金を掛けた上で子供を養育している保護者に対する支援を増やすのが良いと思います。
疲労している自覚はほとんどないのですが、ロジックもバイタルも疲労を示しているので今日はずっと休んでました。よく眠れましたが、今夜が眠れなさぞう?(苦笑) < 余談ですが、私は掛け布団がないと大の字になって眠るらしいです。
“ただちに”侵略される可能性は非常に低いと思います。ただ、軍事は物量も技術も積み重ねですので、いつか侵略の間際になってから整備しようとしても間に合いません。
「憲法の存在意義は、主権者が為政者に認めた権利と課した義務である。為政者はその制約に則って立法し行政し司法する」と考えばいろいろと整合性がとれそうです。
軍拡であるか否かではなく、侵略を抑止できるか否かが要点だと思います。現行憲法であっても改正憲法であっても周辺諸国の軍拡を阻止できない以上は、それに応じて日本も軍拡しなければなりません。下手な拡大解釈や超法規的措置による暴走を防ぐ為にも、改憲による明文化は必須だと思います。
双方が協調して軍縮できればいいのですが、その為には双方が軍拡していないとならないというのは、実にパラドキシカルです。
憲法記念日ということで、関連項目について徒然と考えてみました。
現行の一般的な憲法解釈とは必ずしも一致しませんが、私は自分の法哲学において以下のように考えてます。
権利とは「それを実現しても社会的に制裁されないこと」であり、義務とは「それを実現しなければ社会的に制裁されること」です。権利や義務の定義は、憲法だけでなく法令によってなされることもあります。
「公共の福祉に反しない限り」は「権利を制限する」というよりも「もともと権利でない」と解釈すべきと考えます。例えば「言論の自由を権利として認める。ただし、他人を誹謗中傷することを除く」と定義されていれば、それは権利の制限ではなく、もともと権利ではないのです。
権利の実現は当人の普段努力によるのが原則であり(法令で別に定められているのでない限り)社会がその実現を保証するものではありません。
例えば「健康で文化的な最低限度の生活」の実現を国に要求する場合は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法第25条)が根拠になるのではなく、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(第25条2)が根拠になります。
日本におけるいわゆる「教育の義務」は、子供や学校や国家に課せられた義務ではなく保護者に課せられた義務です。そして、教育とは必ずしも学問だけに限らず、もっと広い概念です。教育のうち学問は学校に任せたにしても、それ以外の部分は保護者がちゃんと子供に教えていかねばなりません。
憲法9条問題は「日本が他国を侵略する為の軍事力を憲法で認めるべきか否か」ではなく「日本が自国を防衛する為の軍事力を憲法で認めるべきか否か」です。「防衛できる=侵略できる」を前提にして改正に反対する人達は、例えば「軍事力を持つことを認める。侵略することを認めない」をセットにした改正に対しても反対なのでしょうか。この意味でも、草案の条文を実際に読んだ上で賛否を考えるべきだと思います。
憲法96条を改正すべきと考えていながら憲法9条を改正させないが為に憲法96条の改正に反対する人たちは、自分らがゴネていることに気がついていないのかも知れません。彼らがあるべき姿は、憲法96条を改正した上で憲法9条を改正しないように主張することだと思います。< もちろん、もともと憲法96条の改正に反対であるならそれはそれで筋は通ります。
もし憲法で「この憲法は国民全員の賛成によってのみ改正できる」とか「この憲法を改正することはできない」とか定義されてたら、国民の過半数の賛成をもってこの憲法を改正できるでしょうか?
イリーガルな状況を故意に想定しないでいる人は、そのイリーガルによって生じた損害に対する責任を完全に免れることはできません。例えば、戸締まりしなかった人が窃盗犯に全責任を負わせようとしても、その家屋の住人たちはその人の責任も追及するでしょう。しばしば縦割り行政における公務員や協調性のない従業員が批判の対象になりますが、これらもその一例です。
会社の例の場合、批判する側は「私たちは会社と運命を共にする家族のようなものだ。会社が儲かってこそ給料も支払われる」と考えますが、批判される側は「私は契約で働く従業員である。自分はちゃんと仕事しているのになぜ批判されるのか?」と考えます。これを戸締まりの例にあてはめれば、勝手口の戸締まりをしなかった人はその家屋の住人ではなく客であった場合に該当します。「勝手口を使ってない私がなぜ戸締まりしなければならないのか?」と。イリーガルな状況を想定しないのが当然ですので、これは批判する側が間違ってます。
経営者が従業員に会社全体の利益を考えてもらいたいのであれば、会社が儲かったなら十分に分け前を支払うべきだし、会社が赤字ならその分だけ給料も減らすべきです。しかしながら、法令や契約の制約によって会社が赤字であろうとも給料は手厚く保証されるし、会社が大儲けしようともその分け前の一部がボーナスとして支払われるだけです。結果的に、たいていの従業員は「会社の損得による間接的な自分の損得」よりも「直接的な自分の損得」を優先しがちになります。
全体を犠牲にしてでも自分の責任を免れようとする人は経営者になるべきではありません。そして、経営者はそういう人たちがそうすることを想定した上でうまく彼らを運用しなければなりません。
さらに言えば、その想定をしない人もやはり経営者になるべきではありません。「従業員はみんな愛社精神を持って献身的に働くものだ」を前提にする経営者はきっとどこかで失敗します。
29日(祝)は橋本でボードゲーム例会です。
GW前半は箱根&湯河原に旅行してました
初期手札をドラフトするフェアリールールです。
コミュ管理人の事故やmixi放棄などによって管理放棄状態のコミュが増えており、それらの中には荒らされ放題になっているとこもあります。まじめに反論を書き込んでもあっさり流されてしまいますので、真面目なメンバはどんどん疲弊してしまいます。mixi事務局に通報したとしても、事務局の公式な立場は「コミュ管理人の判断に委ねている」「個人間のトラブルには介入しない」なので、ほとんど対応してくれません。
私の所属しているコミュの一つがちょうどそんな状態です。メンバの1人が連日のように100コメント以上を書き込むので(そして新規トピックを作成するので)数千人規模のコミュがすっかり機能不全に陥ってます。
個人的な意見ですが、管理業務を委任したmixi事務局には任命責任があるので、コミュ管理人に対して管理業務の履行を命じる責任があると思います。しかるに、寡聞にもそういう話はまったく耳にしたことありません。
そして、一部の荒らしは、穏やかな言葉で間接的に誹謗中傷したり、挑発行為を用いて個人間トラブルの構図に持ち込んだりして、mixi事務局に介入の口実を与えないようにしています。コミュメンバみんながスルーできれば「これは個人間トラブルではない」との名目でmixi事務局も介入できるのですが、それは「サイコロ20個を振って1の目が1個も出ないようなレベル」の成功率です。荒らしが複アカウントを用いて容易に個人間トラブルの構図を描けることも考慮すれば、必ずしも現実的な対抗策ではないように思います。実際に、先述したコミュの荒らしは「id=2860***」を保持したまま強制退会を免れ続けてます。
管理人にメッセージしてもmixi事務局に通報しても無駄であるならば、他の方法を考えなければなりません。しかも、感情的に荒らしを批判したり理性的に荒らしを論破したがるメンバの存在を前提にして、実効的な対策を練らなければなりません。
さて、SNSの存在意義のひとつが、人間関係や所属クラスタを互いに公開することです。リアル社会と関連づけることで、匿名性による無責任な言動をいくらか抑止できるとされてます。だから、管理人が管理放棄しているならそのマイミクさんたちに仲介をお願いすることもできますし、誰かが周囲に迷惑を掛けているならそのマイミクさんたちに説得をお願いすることもできます。
なお、もしその荒らしのマイミクさんたち(ログイン頻度の高い人たちや、紹介文を書いている人たちや、リア友らしい人たち)にメッセージするならば、「彼はどのような人物か」と“お知らせ”するのではなくあくまで「どこどこのコミュでみんなが困ってます。あなたが彼の真の友人なら彼を諫めて頂けませんか」と“お願い”するのが良いと思います。< もしかしたら被害者の方々が“お願い”をばらまくかも知れませんが、どうなろうと私の知ったコトじゃないです。私にとって重要なのは、荒らしに対して制裁することでも教育することでもなく、自分が所属しているコミュが正常に機能することですから。
労働力として最も活かし切れてないのは「女性」ではなく「若年失業者」だと思います。保育施設の拡充については、育児支援としてなら積極的賛成で、労働力確保としてなら消極的反対です。
ある酒場で「サイコロ2個を振って、ゾロ目なら無料、偶数なら半額。奇数なら通常価格でもう一杯を注文すること」というギャンブルがあったとします。果たしてこのギャンブルはどちらにどれだけ有利なのでしょうか?
大雑把ではありますが、店の儲けは通常価格aと利益率pを用いて「(-a*(1-p)) * 6/36 + (a/2-a*(1-p)) * 12/36 + (a*p*2) * 18/36」で表せます。ざっと損益分岐点を計算すると、p=0.222ぐらいです。つまり利益率がこれ以上であれば、このギャンブルは店側に有利になります。
客の立場で考えれば、もともと2杯以上を呑むつもりでなければこのギャンブルに手を出さない方が良いです。言い換えれば、何杯を呑むにしても最後の1杯だけはサイコロを振らずに注文すべきでしょう。
盛り上がりのネタとして遊ぶなら、それは別計算になりますが(笑)
議論を拒絶している人たちが「議論が足りてない」と批判するのはゴネでしかありません。でも、そうやってゴネる人たちが存在することを前提に議論を進めなきゃならないこともしばしばです。ゴネが効果的に機能してしまう仕組みは早急に改善すべきと思ってます。
マスコミでは農業や保険や知的財産といった個別の分野がクロースアップされてますが、日本にとってTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の最大の問題点はいわゆる毒素条項だと思います。
TPPは実質的な日米FTAですので、アメリカとの関係に注目してみます。
毒素条項の詳細は、後から交渉参加した国がその交渉過程で知ることはできず、締結した後に初めて知ることができます。当然のことながら、後から交渉参加した国はとてつもない不平等条約を内容を知らずして押し付けられる可能性があります(そして、多国間条約であるTPPの改正はかつての日米和親条約や日米修好通商条約の改正よりもずっと困難です)。
毒素条項は、早く交渉参加した国が有利となることで参加国を早く募る為の仕組みですが、意思決定の遅い日本のような国にとっては圧倒的に不利な仕組みでもあります。おそらくは、実質的な日米FTAを望んでいたアメリカはそれを見越してTPPを提唱したのだと思います。
確かに、現在の日本がTPPに参加することで得られる利益(主に輸出企業や経団連などにとっての利益)はありますが、将来を踏まえると毒素条項のリスクはあまりに大きすます。
「交渉参加しても最終的に締結しなければいい」という意見もありますが、その過程で外堀や内堀を埋められてしまって締結せざるをえない状態まで詰められてしまう可能性があります。農業をクロースアップして報道することで「聖域(農業や保険など)さえ守られればいい」と世論を誘導するのは外堀を埋める最たるものです。< いつも言ってるように、何が報道されているかだけでなく何が報道されていないのかを観ることが重要だと思います。
私は日本が現状のTPPに参加することに反対です。代案として、日米FTAを0から交渉する方がまだマシだと提案します。
どこと限った話じゃないですが…
他人の文章を引用するときには、引用部分が明確になるように適切な引用符を用いるのが文法的に正しいです(さもないと引用者の発言として責任が生じます)。著作権法的には少なくとも、引用部がメインではないことと引用元(URIなど)を明示することが必要です。
西門商店街では道路を挟んで「さがみはら朝市まつり」(11時〜15時)と「西門夜ざくらまつり」(12時〜21時)が開催されてます。それぞれ屋台が60店舗ほど出ています。概して「朝市まつり」の方が変わったメニューが多いです。こんぶ飴など買ってきました。
スレッド作成者がスレッドのローカルルールを書き込んだとしても、それが有効であるか否かの判断およびその管理はコミュ管理人に委ねられています。
もし管理人がそれを承認(黙認を含む)したのであれば、それはコミュのルールの一部として有効となります。管理人は、そのルールに従わない投稿者に対して放置・注意・解除・制限などの管理業務を行わなければなりません。
経験的に言えば、コミュニティ運営に有益なものであればたいていそのまま黙認されることが多いです。典型例としては、会話の流れの発散を予防する為にテーマを限定することがあげられます。
逆にもし管理人がそれを承認してないのであれば、それはルールとして有効となりません。当たり前のことですが、メンバはそのルールもどきに従わなくても構いませんし、ルールもどきに従わないことをスレッド作成者が批判する筋合いはありません。そして、管理人はそのルールもどきの投稿者に対して管理業務を行わなければなりません。
例えば、メンバが「スレッド主とそのマイミクだけが書き込めるスレ」のようなものを作成したとしても、そのスレッドルールはより上位の権利による裏付けが無い限り有効になりえません。したがって、メンバであれば誰でもそのスレッドに書き込むことができますし、もちろん自主的に書き込まないこともできます。
すき家の「やきそば牛丼」(ごはん少なめで)を食べてきました。予想通り、牛丼の汁の味とヤキソバのソースの味とがケンカしてるように感じました。食べるなら、つゆ抜きで「肉入りそばめし」風にするのが良いと思います。
某「アイマスポスターきぼんぬ。はうまっち?」
私「ファンからお金はとりたくない。着払で宜し?」
某「感謝。自分が店長やってる店へ送ってたもれ」
私「明日の帰りに町田のヨドバシやイエサブや大判焼き屋に寄る。東急ハンズでポスター用の筒を買ってくる。発送は明後日になる見込み」
某「うちの店、その大判焼き屋の並び。徒歩数十秒」
私「めし奢れ」
某「おk」
以前から要望していたこともあり、「あなたと共通のコミュニティ」は良い機能だと思います。
夜中の大雨洪水警報はどこへやら。天気晴朗なれど風強し。朝からしっかり晴れています。花粉もほとんど飛んでません。
10時になったので出発。お祭りの会場まで徒歩1分です。とりあえず昨日に会えなかった人のとこをまわりました。あとは自由行動です。今日は「まだ食べたことがないもの」を中心に攻略します。
買い食いモードで歩いていると、目の前のテントが強風で大変なことに。まるでマンガの1シーンのようでした。けが人は出なかったみたいで何より。あらためて観察してみると、テントの屋根をキャストオフした屋台が多かったです。
けやき会館のフリーマーケットでいくつか掘り出しました。どう考えても500円は使っていないはず。
屋台エリアに移動し、外国のヤキソバやクリームうどんなど食べました。おなかいっぱいです。地域貢献するなら市民会館裏や体育館前のブースで食べるのが良いと思います。税務署前交差点から上溝側はほとんど業者さんです(農協駐車場のあたりはまた別です)。
お昼過ぎた頃に、件のアイマスポスターの「つぶレボ」のステージがあるので市役所前に行きました。予想してたよりも多くのアイマスファンの人たちが応援してました。こういうのは微笑ましいです。その後にポスター配布ブースの前を通るとだいたい90人ぐらいが並んでました。アイドルマスター目当ての人は8割ぐらいかな。出演してた女の子らにステージの感想を述べると喜んでくれました。
鼓笛隊や起震車や和太鼓やJAXAの展示など見学しました。そういえば、さがみさん(JAXA相模原管制センター)は音無小鳥さん(765プロ事務員)が演じていると公式化されたとか(笑)
気温は22℃ぐらい。ちょっと汗ばんでます。お土産に地方特産物など買い込んでいったん帰宅しました。
夕方に再参加。夕食はお好み焼きにする所存。
例年と比べて屋台はやや少なめでしたが、日曜日の人出は多かったように思います。悪天候だったはずの日曜日に予定を入れなかった人達が、こぞって桜祭りに来たみたいです。子供の比率も高かったです。子供向けの木材加工や地元産業の体験コーナーが賑わってました。きっと良い経験になっただろうと思います。
さっそく毎年恒例のシャーピンとモダン焼きを食べてきました。シャーピンとは「機械を保護するために異常トルクで切断されるピン」ではなく「中華風お焼き(餡餅)」です。豚挽肉と野菜を中華スープで調理した餡を小麦粉をこねた皮で包み、鉄板で平べったく焼きます。熱々のうちに食べるととても美味しいです。また、モダン焼きとは「焼きそば入り関西風お好み焼き」です。『うる星やつら』(高橋留美子)で知りました。それ以来、お好み焼き屋で見掛けたときに食べるようにしています。あとは軽くデザート的なものを食しました。お行儀が悪い立ち食いですが、お祭りを愉しむことを優先したいと思ってます。
早めの昼食の後は、パンフを眺めながら知り合いのとこにお邪魔したり、お祭りの風景写真など撮影してきました。今年は1人なので自由にあちこち自由に動けました。
そういえば、『アイドルマスター』ポスター(A1サイズ)を配布するとのこと。このポスターは、ご当地アイドル『つぶつぶ☆REVOLUTION』とのコラボだそうです。相模原市民コミュ管理人としてこういうのの趣旨に賛同します。たまたま関係者の一人が知り合いだったのでポスターやチラシなど頂きました。13時半に再び通りかかるとしっかり行列ができてました。ざっと見て百六十人ぐらい(行列カウントは得意)。地元民と遠征組とは7対3ぐらいでしょうか。
個人的な心証ですが、遠方からいらしたと思われるアイマスマニアさんの中には態度が悪い人が少なからず見受けられました。『つぶレボ』の女の子らが一生懸命にポスター巻き(つぶレボのチラシなど同封)しているのに「どうせ足りなくなるんだから早く配り始めなさいよ」と大声で文句を言う姿は、マニアの印象をさらに悪くするものだと思います。二十数年前ならファンの自治組織がひそかに釘を刺したりしたものですが、今はそういう時代ではないみたいです(サイリウム真祖ですが何か?)。また、一人で4〜6本も貰っていく人もおりました。願わくば、転売でも構わないのでポスターが死蔵されずに多くの人の目に留まることを。
『つぶレボ』は7日(日)12時30分から市役所前ステージで歌うそうです。ポスター目当ての人もちょこっと見ていってあげて下さい。
環境戦隊エコレンジャーやポケモンが歩いてました。私も昼間に扮装して参加したいのですが、それでは挨拶回りができなくなります。 < 私の趣味を知らない偉いさんも多いんだってば(苦笑) < そもそも買い食いできなくなるじゃん?
天気予報では曇のち雨。15時になるとしっかり降ってきました。予報は替えられなくても、雨具を用意しておいたり仕入れを調整したりロープを多めに準備したりいろいろ備えておくことはできます。夕食のおかずを買ってから帰宅しました。
明日の雨が早めにあがりますように。
混雑している電車の中。若者が「よかったらどうぞ」と老人に席を譲りましたが、老人は「いえ私は結構です」と遠慮しています。座席はぽっかり空いてしまい、双方とも座るに座れない状況です。きっと何らかの名分が欲しいのでしょう。そこで私が「申し訳ありませんが、混雑しているので座って頂けませんか?」と老人にお願いしたら、「それでは」と座ってくれました。しばらくして、若者は軽く会釈して降りていきました。
きっかけを待っている人にはきっかけを与えればいいし、背中を押してもらいたがっている人の背中は軽く押してあげればいいです。ちゃんと洞察できれば、たいてい最善あるいは効率的な解を見いだせます。ドミノ牌の並びをちゃんと読めればどのように連鎖するか見いだせますし、石の目(鉱物の配列)をちゃんと読めれば最も割れやすい面を見いだせます。あとはトリガーを引くだけです。
片付け下手な人はたいていモノを溜め込みすぎです。作業領域が十分にないので、片付けそのものが指数的に難しくなります。私の場合は基本的に床の高度に物を置かないようにしているので、テーブルや椅子やベッドや棚やゴミ箱を除けば床のほとんどが見えてます。そのかわり、棚やテーブルの上は詰まってますが(苦笑)
なんとなく予想できてたことですが、mixiで「20イイネで『iPad』ポチります」とつぶやいたら19イイネで停滞しました。最後の一個がお皿に残るようなものです。昨夜になってようやく20個目の「いいじゃん!(四月バカ神奈川仕様)」が押されました。
そんなわけで、さっそく『iPad mini(黒)』を買いました。普通サイズの『iPad4』やこれから発表される『iPad mini 2』でも良かったのですが、当面は操作に慣れるのが目標なのでこれで十分です。ボードゲームアプリとルールPDFの専用機として用いるつもりです(アプリ開発には手を出さないからな)。それに、もともと欲しいのは20インチ以上の『iBoard』みたいなやつですし。
ゲーム例会でよく使っている会場の近くにフリースポットがあるので、『SoftBank Wi-Fiスポット(2年間)』も一緒に申しこみました。数日間だけとはいえ、通話専用のSoftbank携帯にメアド設定するとは思わなかったです。
シンプルな革カバーも買いました。もっと高機能なカバーやケースもいろいろ並んでましたが、ボドゲ専用なのでこれで十分です。それに、デザインや触り心地はけっこう気に入りました。いつも言うことですが、価格より価値が重要です。
まずは、ゲーム会への持ち込み用トランクにある「ほとんど遊ばれないけど、ボードゲーム会の主催者としてレクチャー用に常備してあるもの(各種の伝統ゲームなど)」をiPadアプリで置き換えました。次に、いわゆるドイツゲームをいくつか入れました。思っていたよりもずっと安かったです。
こういうデバイスで『シャブ・ハイペニー』みたいなアクションゲームがどのように実装されてるか興味あったので、『SHOVE HD』をインストールして遊んでみました。振動センサーを用いたユーザーインターフェイスを期待してたのですが、さすがにそれは無理みたいです(笑)
音声操作機能は面白いです。速度と精度がもっと実用的になれば、いわゆるテープ起こしみたいなこともできそうです。
愉しす♪
毎年の4月1日と9月1日は防災用品の更新日です。必然的に、この時期の食生活は、ミネラルウォーターを使った通常食と賞味期限間近の保存食との混合編成になります。栄養的にはそれほど悪く無いはずなのですが、味の方は…(orz
私の地元にはラーメン屋が密集しているエリアがあります。日本各地のラーメンを食べることができ、世間的には「ラーメン激戦区」の一つとされてます。しかし、この地域ならではのメニューが確立しているわけでもありません。残念ながら、あくまで消費地であって発信地たりえてないのが実情です。
長期的に考えれば、なにかこの地域にユニークなメニューを創作していくべきだと思ってます(いっそのこと相模原特産のダチョウでスープをとってみるとか?)。
近所のスーパーが本日で閉店します。刺身盛り合わせがいつもよりずっと豪華でした。大トロ♪中トロ♪初鰹のタタキ♪などなど♪
下りエレベーターでの話。途中階でベビーカー持ちの親子連れが待ってましたが、既に定員いっぱいです。おそらくはずっと下の連絡階まで誰も降りないでしょう。大型ベビーカーなのでエスカレーターでは危なげだし、自分一人が降りたところで乗せてあげられれそうにありません。エレベーター内を見渡すと、みんな同じように考えてるみたいです。ゲーマーの性ゆえ、こういうジレンマ構造は一目で把握できます。
誰もが言い出せないでいるみたいなので、「急いでない人は譲ってあげようよ」と皆に聞こえるように言って降りました。こんな台詞は誰が言ったって構わないと示したくもありましたし。誰かが言えば、たいてい何人かが協力してくれます。親子連れは無事に乗り込めました。
優しさを実現する為には、こういう知恵と勇気も必要です。
些細なことではありましたが、誰かの役に立てて嬉しいです。
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)を初めて読んだのは6〜8歳の頃だったように覚えてます。15〜17歳の頃に「童話は大人になってから再び読むと別の感想を抱く」という新聞記事を見掛け、それら再び読みました。たしかにその記事の意見は正しかったです。いつか自分が親になった頃にまた読もうと思い、『クマのプーさん』などと一緒に書庫に保管しておきました。
そして時は流れ、自分もアラフォー世代になりました。たまたまボードゲーム『星の王子さま』を見掛けて、昔のことを思い出しました。書庫からとりだすと、「未来の自分へ」というメモが挟まってました。メモの内容はその新聞記事についてでしたが、ちゃんと憶えています。奥付を見ると、本そのものは1967年に印刷されたものです。たぶん私の前には誰かの所有物だったのでしょう。
わずかにカビ臭いページをめくり、二十数年ぶりに『星の王子さま』を読みました。バオバブや点灯夫や望遠鏡やキツネなど懐かしい挿絵です。内容はおおよそ記憶通りでした。しかし、大人になった私はその3本のバオバブが日独伊枢軸国を比喩しているという説を知っていますし、「大切なものは目に見えない(Le plus important est invisible)」の意味も明確に理解できてます。王子さまにとって“大切なもの”は、どこにでもあるバラの一本である故郷のバラではなく、自分が特別に思う故郷のバラであることを。そして、ものの価値は自分が決めるということを。
そこまで理解できれば、それぞれの星の住人たちのエピソードに風刺以外の意味も見いだせます。みんなにとってはバカバカしいものであろうとも、それは当人にとっては“大切なもの”だということです。他の星に迷惑かけなきゃいいのです。
ページを閉じて少し考えました。
大丈夫、自分はちゃんと自分で決めてます。
数ある趣味のなかでコミュ能力をあまり要しないものに一般的に言えることですが、「その趣味をやってるからコミュ障になりやすい」ではなく「コミュ障だからその趣味を選びやすい」です。論理的には「長身の人はバスケを選びやすい」と同様です。< でも「数学が得意な人が理系を選びやすい」とは異なります(数学の能力は理系に進むことで成長するのですから)。
そして、いわゆるゲーマーにアスペルガー症候群の人の比率がやや高いのも事実だと思います。明確なルールに則ってプレイされるボードゲームやPCゲームは、アスペルガー症候群の人にとって親和性の高い趣味だからです(ただしコミュニケーションゲームやパーティゲームは例外です)。< 結果的に、盤外におけるトラブル発生率がやや高いのも事実(苦笑)
社会問題で何か分からないことがあれば、自然状態(無法状態)から社会状態に変化したときに人々がどのようにルールを定めたかを考えるようにしています。
私の考え方では、権利とは「様々な自由のうちルールによって認められたもの」であり、義務とは「様々な責任のうちルールによって負わされたもの」です。何かを必ず実現してもらう為には「それを実現してもらえる権利」でなく「それを実現する義務」の設定が必要になります。
完全かつ継続的なセーフティネット(年金や健康保険や生活保護やベーシックインカムなど)で全ての個体に快適な生命活動(衣食住や教育や医療など)を保障するのは素晴らしい理想だと思います。
しかし、その実現の為には再配分の為の莫大なリソースが必要です。リソースの総量が足りなければ、誰かに犠牲を割り当てるしかありません。以前にも書きましたが、例えば最貧国が憲法で「全ての国民は快適な衣食住と普通教育と無料医療を受ける権利を持つ」と定めても、それはどうやっても実装できないのです。
そんな場合に最小の犠牲で済ませるように利害調整するのが政治の役割だと思います。しかるに、トリアージが理性的に議論されているとは思えません。議論を許されるのは「1人も犠牲にしない為にどうやって無理をするか?」ばかりです。確かに、過剰な人権意識が蔓延した現代の民主主義においては、どんな形であれ「ただちに発生する犠牲」を出すことは政治家にとって致命的になります。結果的に、将来により多くの犠牲を割り当てざるをえなくなりましょう。いうなれば、未来の日本を現代の日本の植民地にする政策です。
このままではいつか国家によるセーフティネットが破綻したときに数多くの悲劇が発生します。昔ながらの間引きや姥捨ては形を変え、堕胎や晩婚化や少子化や社会的入院や老人ホームや孤独死などの形で増えるでしょう。また、経済的理由による犯罪や自殺や饑餓も一挙に増えるでしょう。現在の法律および道徳観ではそれらは避けるべきことです。だから、なんとしても余裕を作り続けなければなりません(勤労の義務にはそのような意味も込められているのだと思います)。
もともと貧困者に対する生存支援は親族や地域が担ってました。そして近代になって国家が生存支援を新たに担ったときには二重のセーフティネットが存在してました。やがて、親族や地域は貧困者への生存支援を国家に任せるようになりました。国家からの支援を新たに得た世代と親族や地域による負担を免れた世代には確かに利得がありました。しかし、こうなるともう簡単には元には戻せません。なぜならば、国家による生存支援が限界に達しても、貧困者だけでなく再び負担者になるであろう親族や地域までもが「生存支援は“国家に固有の義務”だ」と主張するからです。
個人的意見ですが、国家による補完的なセーフティネットが破綻する前にどんなに困難であろうとも親族や地域による本来のセーフティネットを復活させ多重化を図るべきだと思います。< ときどき私が「大家族制への回帰」や「地域社会の復活」を唱えるのはこういう意味も含まれてます(このあたりはまた別稿で)。
「自国民が犠牲にならなければいい」というのであれば、海外との経済的な結びつきを強くしてババ(Joker)を押し付ければいいです(生存支援の枠組みの拡大)。しかし、この結びつきには海外からババを押し付けられるリスクもあります。いろいろ考えるべきことが多いです。
余裕があるときに絡めばいいんじゃないかな。大事なのは、全てに絡むことじゃなくて、いつでも絡んでくれるという信頼関係だと思います。
少年の未来を守りたいのであれば、加害者が少年である場合に刑罰を軽減する少年法ではなく、被害者が少年である場合に刑罰を加重する新たな仕組みの方がいい。< ただしこれは人間の価値は残り寿命などと相関するという考え方だけどね。
とぶとり会の小動物の1人(小4)が真面目に『将棋』を勉強しています。いつの間にか6枚落ちの私に勝てるまで成長してくれたのはとても嬉しいです。メジャーな伝統ゲームの技能は一生ずっと使えるものなので教え甲斐があります。
そんなわけで、「私に勝てるようになったらあげるよ」としてた将棋盤(脚付)を持ち去られてしまいました(笑)
本格的な将棋盤はいずれ買うにしても、とりあえず使う盤が必要です。いくつかの候補の中から「布製将棋盤/英字」(LPSA)を買いました。布盤は収納性と可搬性に優れており、ゲーム会に持ち込むこともできます。静音性にも優れていますが、それはあまり気にしません。実際に使ってみると、見た目よりもずっと丈夫に作られており、予想してたよりも使いやすいです。なにより、英字新聞っぽいデザインにちょっとした「粋」を覚えます。
ちなみに将棋駒は、シンボリックな黒彫駒を常用しています。私はこういうシンボリックなフォントの方が“ボードゲーム”っぽくて好きです。一般的な黄楊特上彫駒(銘入)も持ってますが、25年以上ずっと未使用状態です。小動物が平手で私に勝てるようになったらプレゼントするつもりです。
思い返すに、私が『将棋』を覚えたのは小学校3年生の頃でした。安いプリント駒と折畳盤でしたが、私にとっては大切な道具でした。入門書を読みながらクラスメートと遊んだり、星ヶ丘にあった将棋センター(プレハブ造り)にお邪魔してました。縁あって頂いた『将棋は歩から(全3巻)』が私のバイブルです。中学では熱が冷めてましたが、高校の頃に再び興味を抱いていろいろ勉強しました。その後はたまにプレイする程度だったかな。社会人になったばかりの頃は「だいたい初段ぐらい」のランクでしたが、そこからたいして成長してないように思います(むしろ弱くなってるかも?)。今は『将棋』そのものだけでなく、その文化史にも興味を抱いてます。
好きな順に並べると、ホワイトロリータ・レーズンサンド・バウムロール・ルーベラ・エリーゼ・ルマンド・チョコリエールになります。
武器(ライトセーバーや居合刀など)を構えて呼吸を整えると、目を閉じて周囲の気配を探っているかのような感覚を抱きます。頭の中では全周レーダーに視覚情報を付加した3Dイメージが表示されてます。「禅」と似た状態だろうと勝手に思ってます。
日本語で1音節の名前は意外に少ないです。私が知ってる範囲では「茶(ちゃ)」「理(り)」「美(み)」「菜(な)」が存在するらしいです。
ボードゲーム関連のメモをいくつか。
昼と夜に別件があったので、夕方に1時間だけお邪魔しました。遊んだのは『ピッチカー・ミニ(Picth Car, mini)』(拡張あり)です。自宅にもう1セットあるので、この画像の倍ぐらいのコースも組み立てることができます。
今日は大坂で「ゲームマーケット2013大坂」が催されてました。初期のゲームマーケットの趣旨からずいぶん変化してますが、こういうイベントが開催され続けるのはボードゲーム業界にとってもボードゲーム文化にとっても良いことだと思います。
円安によって輸入品の価格が上昇します。ボードゲームの多くは海外からの輸入品ですので、じわじわと値段が上がっていくと思います。< もっとも、最近は「欲しいモノではなく使うモノを買う」でやってるのであまり影響ないですが。
親戚や近隣で集う「とぶとり会」(伝統ゲームや子供向けゲーム)と、学生時代からの友人からなる「まーぶるまっどねす」(AD&D2とメジャーボードゲーム)と、地元のボードゲームサークル「バンガードミッション」(メジャーからマイナーまで広くボードゲーム)にお邪魔しています。それぞれ性格が違うので遊ぶゲームの選択も大きく異なります。
『ブラフ(ライアーズダイス)』はワイルド宣言ルールを削除するだけで途端にインストが楽になるしボードも不要になると思います。また、ダメージを減らすという趣旨でワイルド宣言するというデメリットも帳消しにできます。< というか、『Dudo』そのものに戻るじゃん?
「ギャンブルを考えた奴は頭が良い。チップを考えた奴はもっと頭が良い」と言われます。
ポーカーチップはCartaMundi社製のもの(14g)を用いてます。いろいろ試してみて、これが最も使いやすいです。
絵画の蒐集は基本的に限定生産品が対象ですが、ボードゲームの蒐集は基本的に大量生産品が対象です。その意味では、切手やコインの蒐集に近いです。ただ、定価で購入した切手やコインはその価格がある程度に保証されますが、ボードゲームの場合はまったく保証されません。さらに考えますと、書籍の蒐集に近いように思いました。読まれることなく大切に保管されている本とプレイされることなく大切に保管されているボードゲームとはなんとなく似ているように思います。
ゲーム会や公民館でのゲーム中に飲食すべきじゃないですが、自宅やバーでの飲食中にゲームしてもいいと思ってます。< 今日はおやつ食べながら『Pylos』やってました。
高度に粋な人は無粋な人をいちいち揶揄したりしません。「他人が粋であろうが無粋であろうが眼中にない」というのが正確な表現だと思います。他人が自分ほど拘らなくたって別にいいじゃん?
差別問題を考える前に。
統計的に言えば、必ずしも全ての喫煙者がポイ捨てするわけではありませんが、ほぼ全てのポイ捨ては喫煙者によります。
当たり前のことですが、批判される対象は日本語表記で「ポイ捨てする喫煙者」です。しかるに、批判する側が「喫煙者のうちポイ捨てする人」を批判しているにもかかわらず、喫煙者のうちポイ捨てしない人達は「全ての喫煙者がポイ捨てするわけではない」と反論し、喫煙者のうちポイ捨てする人達は黙秘を続けます。こうして結果的に議論が進まなくなりがちです。日本語文法の欠点の一つだと思います。
多数派(標準,コモン)と少数派(非標準,レア)を比較するにあたり、必ずしも少数派が劣っているとは限らないし、優れているとも限らないし、等価であるとも限りません。
どんなレアな車種に乗っていようとも、交通ルール(あるいはプロトコルやデータ形式など)を守って走行できるならそれでいいのです。しかし、左側通行(標準)の社会で右側通行(非標準)で走行するのはとても迷惑です。
「少数派だから」ではなく「迷惑になってるか否か」でケース・バイ・ケースで判断すべきと思います。
少数派であることそのものは必ずしも批判されるべきことではありません。しかし、もし周囲に過大な迷惑を及ぼすのであれば、その行為そのものは批判されるべきです。
このとき批判されてるのは「異常があること」ではなく「周囲に迷惑を掛けていること」なのですが、しばしば「異常であること」を批判していると受け取られてしまいます。そうなると感情論に発展し、対策や改善はなかなか見込めなくなります。
だから、感情的な人にでも理解できるように批判することが必要になります(さもなければ批判する側の自己満足「私は正しいことを言っているのに」で終わってしまいます)。相手がどうしても理解しないあるいは理解できないのであれば他の手段を併用することも必要でしょう。重要なのは、正しい批判をすることよりも迷惑を解決あるいは予防することです。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」は「フランスパン(小麦と塩と水とイーストだけのパン)がなければブリオッシュ(バターや玉子も入ったパン)を食え」の意味。マリー・アントワネットの台詞とされているが原典は別。
「貧乏人は麦を食え」は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたい」を歪曲したマスコミによる見出し。
日本の宅配ピザが原価の割りにあれほどまでに高価な理由は、配達の人件費もあるけど、「メニューと電話番号が掲載された半額チケット」を冷蔵庫に貼付してもらう為だと思うんだ。
ビッグコミックオリジナル第6号(3月5日発売)に、高橋留美子劇場『私のスカイ』が掲載されました。予告を見たときには「『俺の空』のファミリー版みたいなもんかな?」と思ったのですが、もちろん予想は外れます(笑)
ネタバレにならない範囲で導入部を書きますと「愛犬が老衰で亡くなったら、老人の幽霊が犬飼さんのところにやってきました。ゴミ分別問題でアパート向かいの夏川さんに注意することになった犬飼さんですが、凶悪そうな男が出て来て…(以下略)」という話です。この話のテーマは、ペット問題やゴミ分別問題というよりもシングルマザー問題です。昔の彼氏との関係や子供への接し方などについて描かれてます。もちろんゴミ分別問題は解決しません。
老人の特殊能力によってテンポ良く話が進みます。高橋留美子劇場シリーズの中でも佳作以上に分類できる作品だと思います。
「だらしないぞ、夏川さん!!」には私も大いに同感です。
直球勝負する為には、まず相手をバッターボックスに立たせないとなりません。立とうとしない相手には投擲による直接攻撃が有効です。でも、バットの方が破壊力がありますので反撃に注意。
旧いパソコン(98SEとXPとVistaの3台)を倉庫からひっぱりだしてメンテしてました。仮想機ではテストできないケースが稀にあったので保管してあったのです。いずれもOSに対してオーバースペックである上に職人技でガチガチにチューンナップしてあるので、起動も動作もものすごく快適です。ぶっちゃけ、筐体サイズが小さければ用途限定で前線復帰させてもいいかと思えるほどです。
たとえPCのスペックが1000倍になろうとも人間がキーボードで打ち込めるテキスト量はそれほど増えません。MS-DOSで『一太郎(ver3)』を使っていた1990年頃と比べて一桁も増えてないように思います。< さすがに1984年頃の単漢字変換方式のワープロ(たしか『ユーカラ』でした)は文章編集用ではなく印刷の為の清書用でしたが…
ついでに言えば、PCがパーソナルコンピューターと呼ばれていた頃も私たちはゲームを愉しんでました。それこそ夜も眠れないほどに。< 最初に徹夜したのは『信長の野望』か『ロードランナー』だったように憶えてます。
このボードゲームは『三目並べ(Tic-Tac-toe)』の一種です。縦か横か斜めに自駒3個を並べたプレイヤーが勝ちます。駒は全て木製です。
ゲームの最初にそれぞれのプレイヤーは大中小2駒ずつ合計6駒を持ちます。手番にできることは「手元の自駒をマスに配置」か「盤上の自駒を別のマスに移動」のいずれかです(より小さな駒に被せることができます)。なお、盤上の自駒に手を付けたらその駒を必ず移動させなければなりません。移動できなければ負けです。自駒を持ち上げた瞬間に相手が勝つこともあります。
もっと複雑かつ長手数の『Gobblet』もプレイしたことありますが、このジュニア版の方がスピーディーで愉しいです。真面目にやれば9マス3ランクぐらい憶えきれるのでブラインドでプレイできます。でも、ほどほどに脳加減しながらプレイすることをおすすめします。
ちなみに、「Gobbler」の意味は「雄七面鳥」や「貪る人」だそうです。
孤独とは物理的に1人で居ることではなく「ずっと独りだ」という確信のこと。別離とは物理的に交友がなくなることでなく「もう交友がないだろう」という確信のこと。もしマイミク整理で悩んでるなら、「ちゃんと自分から絡んでいたか?」を胸に手を当てて考えてみるのがいいと思うよ。
「売ります・買います」トピに掲示された物品の受け渡しの為に異性メンバに連絡先や待ち合わせ場所を通知しようとすると、mixi事務局から警告メッセージ「見知らぬ異性と〜」が送られてきます。たび重なるとアカウント停止となります。< だから、送信前チェック出来るようにして欲しい。
その一方で、見知らぬ人との物品のやりとりについては「見知らぬ人との物品のやりとりについて(http://mixi.jp/guide.pl?id=manner&page=5)」のように書かれてます。なんとなく合理性に欠く表現に思えてなりません。
実態を見るに、待ち合わせ場所を暗喩的に通知して取引が行われています。しかし、それでは相手の正しい連絡先を知り得るとは限りません。それは詐欺師にとって有利なことです。こうして考えてみますと、連絡先交換を中途半端に制限することは結果的に詐欺を助長している面もあります。出会いを防止することの副作用の一つだと思います。
余談になりますが…。取引連絡用あるいは出会い用の異性アカウントを別に作っている人たちが存在してるみたいです。
たぶん明日には報道されると思いますが、警視庁に「3月1日に猟銃とナイフを持って相模原市内の高校を襲撃する」との予告がありまして、市内の高校のいくつかでは明日は臨時休校になります。卒業式を愉しみにしていた生徒さんたちには気の毒なことです。
昨今の高校について私が知る範囲で推察するに、この脅迫は愉快犯であり実際に襲撃される可能性は非常に低いです。「卒業式を開催したことで低い確率で被る損害」よりも「卒業式を開催しないことで(あるいは延期したことで)確実に被る損害」の方が大きいです。だから、総合的に考えるのであればここはリスクテイクすべきだと思います。
しかるに、教育機関がすぐに「開催しない」を選ぶのは、開催したことで発生した損害についての責任追求は教育機関に向かいますが、開催しないことで発生した損害についての責任追求は教育機関に向けられないからではないでしょうか(教育機関は「万が一を考えて開催をとりやめた。責任は全て犯人にある」と言い逃れできます)。
損害の期待値を最小にするには、リスクを適切に見積もることと、損害に応じて責任を適切に追及することが必要だと思います。
TPP交渉について実際に発生しえるであろうパターンを大別すると、A「聖域ありで締結する」、B「締結しない」、C「聖域なしで締結する」の3つです。
中長期的な観点で見れば、日本の国益にとってはA>B>Cの順に望ましいと考えられます(短期的な観点あるいは産業界の一部にとってはA>C>Bの順に望ましいかも知れません)。そして、アメリカにとってはC>A>Bの順に望ましいであろうと考えられます。
日本がTPP交渉に参加しなければ、確実にBとなります。そして、TPP交渉に参加すれば、交渉の過程で外掘りが埋められてしまうのでBとすることはできず、日本の政治力の低さゆえに高い確率でCとなるでしょう。
もし賛成派が「Aになる可能性が十分に高い」「交渉参加してもBは可能だ」「A>C>Bの順に望ましい」のように考えているのであれば、それは夢を見すぎだと思います。アメリカ側が聖域の可能性をまだ拒絶しないでいるのは“釣り針”であると警戒すべきです。
TPPは、日本にとって良いことばかりでも悪いことばかりでもありません。ただ、ユーロ圏の失敗から学ぶコトはたくさんあります。目の前の利益の為に将来の大きなリスクを負うのはやめたほうがいいと思ってます。目の前の利益を獲得しなければならないほど経済が追い詰められているのであれば話は別ですが…
初めて手にした自分のゲームソフトは『DQ2』でした。オイデデンキの懸賞で当てたツインファミコンに付属していたものです。シドーが登場したときの絶望感は半端じゃ無かったです。あれは勝てる気がしませんでした。
ゲームと呼ばれているものはしょせん道具なのですから、それを遊戯に用いようが競技に用いようが研究に用いようが教育に用いようが蒐集に用いようが朴占に用いようが賭博に用いようが商売に用いようが勧誘に用いようが交流に用いようが(公序良俗に反しない範囲で)それぞれの自由であっていいと個人的には思ってます。
ボードゲーム『Pylos(パイロス,ピロス)』(1994年/Gigamic)は、正方ピラミッド状(4x4,3x3,2x2,1)に駒を積み上げていく2人用ゲームです。駒はそれぞれ15個ずつ持ちます。手番には、空きマスに手元の自駒を配置するか、既に配置されている自駒をより上の段のマスに移動させます。同色で正方形(または1段目あるいは2段目で直列)ができたなら即座に0〜2個を盤上から手元に回収できます。なお、土台になっている駒は移動も回収もできません。頂上に自分の駒を置ければ勝ち、配置も移動もできなければ負けです。ルールは簡単ですが、なかなか考えどころがあります。
私が所有しているのは、一般に販売されているクラシック版よりも大きなデラックス版(盤は37×37cm。球はタコヤキサイズ)です。見た目はなかなかお洒落なのですが、その大きさゆえに自宅専用ゲームです(苦笑)
「手番に駒を積み上げていき、規定の形を作ったり頂上に置いたりできたら勝ちあるいは置けなくなったら負け」というゲームは昔からたくさんあります(「崩したら負け」もありますがそれは別に扱います)。例えば「ピラミッド様に駒を積み上げていって頂上に置いたら勝ち」というゲームもその一つです。この二人零和有限確定完全情報ゲームは駒を置くことのできる残りスペースの偶奇で勝敗が確定しますので、たいていはプレイの途中でその偶数が入れ替わりえる複雑化ルール(例えば規定の形に並べたら駒を追加で配置あるいは除去できる)が設定されてます。
コンピューターで解析すれば先手必勝あるいは後手必勝を証明できるはずですが、そういうのは数学者や技術者に任せてます(もちろん私もその一人ですし、そういう解析は愉しいです)。しかし、ゲーマーとしての私は「こういうのは人間の頭脳で挑戦するのが愉しい」とも考えます(それは、機械の助けを借りずに自分の身体だけでプレイするスポーツのようなものです)。これら相反する愉しさを最大に味わう為に「まずは飽きるまで遊ぶ」としています。遊び飽きた頃にまだ知的興味を抱いていたら、PCに向かってアルゴリズムを組めばいいと思ってます。
正方ピラミッド状に駒を積み上げていくゲームです。手番には、空きマスに自分の色の駒を配置します。2x2の正方形ができたなら過半数を占める色の駒を即座にその上に追加で配置します(この配置は連鎖しえます)。自分の駒を使い切るか頂上に置かれた色のプレイヤーが勝ち。
穏やかな日曜日の午後。風をまとって散歩するのが好きです。
ところで、ラウンドアバウト方式は低コストの割りに効率的な仕組みだと思います。榎町交差点(矢渕陸橋の南西側)や氷川神社前交差点(中央区清新)は、かつてラウンドアバウト式でした。今ではその面影しか残っていませんが。
話題になっている『聲の形』(大今良時/講談社)を読みました。この作品の主人公は、聾唖者イジメにおけるイジメ側の少年です。(多くの人にこのテーマに向き合って欲しいと考えているので、現時点ではあらすじやネタバレは省略します)。数ある傷害のなかでも聾唖が選ばれたのはマンガという表現方法に適しているからだろうと思います。
さて、障害者問題やイジメ問題について真面目に向き合ったことがある人にとっては、このテーマはそれほど目新しいものでもありません。しかし、このテーマはしばしばタブーとされており、真面目に向き合いずらい風潮があるのも事実です。特に主要な読者層でありイジメの現場にいるであろうティーンエージャーならなおさらでしょう。「載せていいのか?」と記した編集部も、なんらかのクレームを覚悟した上で掲載したのでしょう(積極的な宣伝は、この作品が社会全体に認知されることでクレームを予防する意味合いもあるのだろうと思います)。ともあれ、「このテーマに真面目に向き合ってもいい」というメッセージは高く評価したいと思います。
私のスタンスは「責任回避の為の対策ではなく問題解決の為の対策を」です。だから、ポーズやアリバイや自己満足の為の非効率的な対策を批判します。イジメを楽しいと感じている子供の存在を無視した対策は実効性が低いと思います。会話だけでは解決できないトラブルが存在するにもかかわらず、会話だけで必ず解決できると信じている人が唱える対策も概して私は批判します。特殊学級に通えないケースがあるにも関わらず「特殊学級に通えばいい」と言うだけの人にも批判的です。
現実的には、イジメを禁止しただけではイジメはなくなりません。だから、もっと踏み込んだ対策(特に当事者である子供らに対する躾けや教育や抑止力など)が必要だと思ってます。すべてのイジメをなくせるなんて期待していませんが、イジメを減らすことや損害を軽く済ませることはできます。
私にできることがそれほど多くありませんが、できることをやってます。例えば小学生らに遊びを教えることを通じて、友人付き合いのコツやら理性的な考え方などを教えています。それらはトラブルを予防あるいは解決する有用な術の一つであると信じています。
2月22日は「竹島の日」とか「猫の日」だそうですが、「家鴨(アヒル)の日」でも良いと思います。< 1は煙突♪2はアヒルで♪3は何だったっけ?
ドラッグストアで化粧水『ユリアージュ(Uriage)』のPOP広告を見る度に「売り上げ」と読んでしまいます。やはり自分は日本語ユーザーなのだと改めて思います。
神の最大の過ちは、その存在を人に気付かれたこと。善良なる神々も邪悪なる神々も八百万の神々も旧支配者たちも。
1は煙突♪2はアヒルで♪
そういえば、煙突を見掛けません。
横浜線と八高線のホーム共用に賛成。
ルールそのものは保護対象ではないが、ルールブックのテキストやコンポーネントのデザインなどは著作権法の保護対象。権利を侵害しない場合や権利者が承認した場合は、著作物を自作あるいは改変して構わない。
自作や改変を承認するか否かは(つまり違法か否かを決めるのは)著作権者に固有の権利なので、第三者が勝手に行使してはならない。
いわゆる「パクり(このルールやデザインはウリが考案したニダ)」は著作権の侵害ではなく著作人格権の侵害にあたる。著作人格権の侵害は親告罪ではないので、著作権者でない第三者が侵害を指摘することができる。
業界の維持や発展の為に、商品を購入することが求められている。その理由として「自作や改編はパクりで違法だ」や「購入するのがマナーだ」や「デザイナーへのリスペクト」がしばしば持ち出される。
「ボードがないゲームはボードゲーム(狭義)ではない」には同意だけど、慣習的にボードゲーム(広義)という語句が慣習的に成立しているのも現実。後者はテーブルゲームとほぼ同義なので、厳密な区別が必要なときはテーブルゲームという用語を用いるのが適切だと思ってます。
そういえば、ナイフ素材用に隕鉄(1.46kg)を持ってました(さすがにもう作るつもりないけどさ)。こんなものが直撃したら、8d6ダメージ程度じゃ済まないと思います(参考:ダンジョンズ&ドラゴンズ)。
この週末にプレイしたゲームは『シャット・ザ・ボックス』『ラトルスネーク』『スヌーピーヤッツィー』『エイセス(LCR)』『エルフィンランド』『アルハンブラ』『6ニムト』『ハゲタカの餌食』『珍獣動物園』、『ウサギとハリネズミ』『アクワイア』『シャット・ザ・ボックス』『SET』『コリドール』『POSIT』『牌九』『タンチェン・ユッチェン(ドミノ)』『マジック13』『ラトルスネーク』『500(トランプ)』などです。
やりたいこと無いなら、やらなくたっていいじゃん? < やらなきゃならないことだけは、やらなきゃだけどさ。
「やりたいことを持っていなきゃならない」なんて誰もキミに強要してないよ。もし強要している人がいるとすれば、それはキミ自身だ。
世界はもっと広いよ。
他人が協調してないにも関わらず自分だけが協調するとたいてい「正直者がバカを見る」になります。勘違いしている人も多いと思いますが、望ましいのは「正直(順法行動や協調行動など)であること」ではなく「正直者がバカを見ない構図」です。状況を改善せずに独善的に協調し続けるのは愚かなことだと思います。
このテーマを考える度に、闇米のエピソードを思い浮かべます。自分の経済力では家族が飢えると分かっていながら闇米を買わせなかった裁判官や教員は、巻き添えになる家族のことをどのように思っていたのだろうと。< もっとも現代の感覚なら、配給だけで生きていけないのであれば、緊急避難的な違法性阻却が認められるだろうし、裁判官や教員を辞めて闇米を買うという選択肢もあるでしょう。
この観点では、諸外国が自国に有利な競技を残すためにレスリングを落とすような工作をしていると知っていながらレスリングを残すための工作をしなかった人達も同様だと思います。< こっちは緊急避難は認められないだろうけどさ。
正直にありたいのであれば、まずは正直者がバカを見ない構図を作らなければなりません。しかし、それは旨味を吸っている闇米業者や五輪委員を相手にするだけでなく、米の生産量や輸入量を増やす現実的な方法や五輪の収益を改善する現実的な方法を提示しなければならないので、とても大変な仕事になります。でも、もし可能性があるのであれば、改革するだけの価値がある仕事だと思います。
若い頃に学んだことのひとつが「感情を持つことと表情を制することは両立できる」です。感情を無理に抑えればストレスが溜まりますし、表情をみだらに出すのは美意識に反します。
そして、人間には喜怒哀楽愛憎その他さまざまな感情があるそうですが、私は「怒り」の感情だけはほとんど抱きません。たいていのことは理性的に解釈できるので「哀しみ」の感情をより強く抱いてしまうのです。快楽の為に周囲に迷惑を及ぼす行為に対してさえ、怒りよりもずっと多くの哀しみを覚えます。
経験則で言えば、質問者との交流や当人の成長に役立つ趣味は概して良い印象を与えます。逆に、個人で消費するだけの趣味はあまり良い印象を与えません。だから、アニメやゲームが趣味であることを公言するときは、それがどのように役立つかをさりげなく添えておくのが良いと思います。
携帯電話『G'zOne TYPE-X au CAY01』を充電したのが「1月4日,10日,16日,21日,27日,2月2日,9日」であることから推察するに、どうやら普通に使っていても5〜6日は保つらしい。
だいたい週1ぐらいで、近隣の店で食べてます。今月は「庵々」の小ラーメン&ネギ丼、「元祖一国堂」の塩ラーメン、「まんぷく」の赤鬼ワンタン麺など食べました。新しいお店を開拓したり遠くのお店まで行くヒマがないのが残念です。< 最近はカレー部も兼部してますし。
10日(日)昼は盤ガードのフリープレイスペース@麻溝公民館にお邪魔してました。持ち込みは5〜6個だけ(圧縮していないボードゲームのなんと軽いことよ!)。遊んだのは『UNOスタッコ』『サムライ』『タントリックス・ストラテジー』『コリドール』『アクワイア』『ピッグテン』です。でも、夕方から用事があるので14時過ぎにお暇しました。
ちなみに、麻溝公民館は原当麻駅入口停留所のすぐ近くです。近隣にキリン食堂(not有名店but元祖)があります。
「虐めるよりは虐められた方がマシ」と自分自身を納得させて耐えるのは、虐める側をますますダメ人間に育てて、負の連鎖を招きます。本当に優しくありたいなら、虐めさせないだけの強さを伴わなければなりません。もちろん、それはとても大変なことです。
「新井さとし」を使っている人はときどきいますよ。役者さんとかギタリストさんとか。< ある研究のは私と同一人物だけど。ちなみに、もっとも検索でヒットするのは「もしかして“荒井さとし”(民主党)」ですが(苦笑)
自己矛盾だらけの人と交流しないとならないのであれば、できるだけ文書(メール)を通じた関係がいいと思います。反論や指摘は、“部分引用”ではなく、「何月何日何時のメールによれば」のような“全文参照”が望ましいと思います。
核兵器を運用したこともない国に核管理のイニシアチブを任せる核保有国はないです。だから、核廃絶を主導できるのは核兵器を運用する側だけです。パラドキシカルな構図ですが、核戦争や放射能汚染を未然に防ぎつつ核兵器を廃絶するには、それを主張する国がいったん核兵器を持つ必要があると考えます。
以前はNHK総合TVの音声をラジオで流しっぱなしにしてましたので、結果的に朝の連続ドラマも聴いてました。だから、名前は覚えていても顔は見たことない登場人物がたくさんいます。たまたまその話になったので、いろいろと画像検索してみました。
「ふーん、こういう顔だったんだ」という珍しい体験しました。みなさん、けっこう美人じゃん(笑)
今週の少年サンデーに『犬夜叉』特別編(高橋留美子)が掲載されました。最終回の後日談です。主なキャラクター勢揃いの典型的なサービス回(34p)です。でも、キャラクターたちは良い意味であまり変わってないと思いました。マンガというメディアは真の意味でイモータルであると実感します。
一方で、モータルたるファンの側はどんどん成長し変化していきます。やがて作品の内容などすっかり忘れてしまうのでしょうが、作品を好きだったという思い出だけは忘れないで欲しいです。
おはようございます。予定が流れたので、今日はイヌのように雪と戯れるべきか、ネコのように炬燵に引きこもるべきか。< そんなことを考えながら窓の外を眺めると、ぜんぜん雪が降ってなかったり。
〜以下引用(■記事削除依頼スレッド その6)〜.
700 名前: 新井さとし :2013/01/05(土) 23:45:58 HOST:180-042-019-244.jp.fiberbit.net【リビジョン番号】ページ番号: 685923 リビジョン番号: 1710942
【記事タイトルまたは動画ID】単語記事: 上杉隆
【記事URL】http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E9%9A%86
【削除理由】上杉隆の名誉、社会的信用を侵害する行為
〜引用ここまで〜.
いつもは副菜に『野菜のオーブン焼』(セットで410円)を選んでますが、今日は『四元豚と野菜のオーブン焼』(690円)にしました。価格ほどの差があるか気になっていたからです。実際に提供されたものを比べると、小さな豚肉6枚の差だけでした。スッキリしたけど、次回からは普通の野菜焼にします。
勧誘する側は、自分達が何をしているのかを示すのではなく、自分達が何を提供できるのか(つまり、ここに参加すれば何を愉しめるか?)を示すのが宜しいかと。
今日は相模原市橋本でボードゲーム会を催してました(参加者は23人ほど)。昼間に別件で数時間ほど席を外してましたが、愉しかったです。みなさま、おつかれさまでした。
私がプレイしたゲームは『ブラフ』『シャット・ザ・ボックス』『ラトルスネーク』『ポジット』『ピロス』『メイクンブレイク』『どれとるダイス』『ザ・ビッグチーズ』『アクワイア』などなど。さすがに今回は少ないです。< 例会ではたくさんのゲームが遊ばれてます。それこそヘビーなものからヘビーなものまで(ん?
基本的に「欲しいモノではなく使うモノを買う」でやってます。自宅や近所やセッションやサークルで遊ぶセレクションはほぼ固定したので、その後は主に所有ゲームを上質あるいは小型のものに買い替えてます。例えば、先日に購入した『All Leather BackGammon(巻物型)』(Mulholland)と『Quoridor(mini版)』(1997年/Gigamic)などです。
世界で最もメジャーとされるテーブルゲームは『BackGammon(盤雙六)』『Chess(チェス)』『Domino(ドミノ牌)』『Playing Card(トランプ)』とされています。また、近代ボードゲーマーの間では『Acquire(アクワイア)』『Monopoly(モノポリー)』『Diplomacy(ディプロマシー)』『Risk(リスク)』が四大聖典とされています。日本では更に『囲碁』『将棋』『花札』『麻雀』『UNO』『オセロ』『百人一首』『人生ゲーム』あたりが続くでしょう。
いわゆるボードゲーマーでない人でも、『バックギャモン』『ドミノ』『トランプ』『花札』あたりは憶えておいても損はないと思います。これらのゲームは簡単に憶えられるだけでなく、数十年後でも普通にプレイされているだろうからです。
第3日曜日の定例会は優先してますが、他の用事もあるので日曜日をボードゲーム会に費やすのは月に2回が限界です(いまのとこ3月は第3日曜しか空けられそうにありません)。それ以上の開催は基本的にスタッフさんに任せることになります。あしからず。
「自由な子供に育てる」とは、幅広い選択肢を持てるように子供を育てることです。この優しい目的を達成させる為には、ある程度の厳しさも必要です。厳しさを忌避して甘やかしてばかりでは、幅広い選択肢を持てるように育てるのは難しいでしょう。だから、子供が反社会的な行動をとったときにはちゃんと叱ること(not怒ること)が必要です。状況によっては体罰もやむをえないと考えています。その場合は特に「なぜ罰せられたのか?」を理解させることが必要です。
体罰には、正座させたり廊下に立たせたりトイレ掃除を課したりする間接的な体罰と、手で叩いたり鞭で打ったりする直接的な体罰とがあります。直接的な体罰は、口頭で注意しても間接的な体罰を用いても教育効果が期待できず、かつ、停学や退学や勘当にすべきほど重大な問題でない場合に限って用いられべき手段だと思います。理性的で適切な体罰は相応の教育効果を期待できますが、感情的で不適切な体罰はしばしば教育効果を期待できないばかりか傷害や不信や訴訟のリスクを生じさせます。< ついでに言えば、叱る側が手加減に慣れてないと過剰になりやすいです。
もし体罰を許容するのであれば、理性的で適切なものに限るべきであり、感情的または過剰な体罰は許容すべきではありません。特に直接的な体罰で感情的または過剰なものは暴行として扱うのが適切だと思います。
そして、もし直接的な体罰を一律に禁止するのであれば、その代わりの教育手段を示さねばなりません。それを示せないのであれば、適切な教育手段がなくなるケースも当然に発生しえます。とても悲劇的なことですが、ある程度の体罰が許容されていた時代なら体罰で済んでいた程度のことでも、一切の体罰が禁止された時代ではより重い停学処分や退学処分を採らざるを得なくなります(教育効果が見込めない軽い処分ではトラブルが繰り返されてしまいます!)。
教育の義務とは「国や地方や学校が子供に普通教育を受けさせる義務」ではなく「保護者が子供に普通教育を受けさせる義務」です。だから、子供が停学処分や退学処分となったなら保護者が責任をもって他の学校を探すなり家庭教師を雇うなり自分らで子供を教育しなければなりません。その義務を怠った保護者にはなんらかのペナルティを課すべきです。具体的には、教育関係の労務(間接的な体罰)あたりが適正だと思います。
要するに、「もし体罰を一律に禁止するなら、現実的で実効性のある代替手段を提示すべき」と主張したいわけです。
体罰禁止の是非はそれぞれ意見があっていいと思ってます。ただ、この日記の主題は「禁止するなら代替処分を示すべき」です。だから、現実的で実効的な禁止方法(例えば通報システムの整備や監視カメラの導入やハズレ教師への罰則など)や、モンスタースチューデント対策についても意見を頂戴したいと思ってます。同時に、肯定するなら不当な体罰の防止方法についての意見も頂戴したいです(私は叱り方(not怒り方)の教育が有効だと思ってます。正しい「体罰の基準や方法」を教えないが故に、不当あるいは過剰な体罰が多発しているだろうので)。
その上で「不当な体罰による社会的損失」と「教育の放棄による社会的損失」などを環境別に比較したいわけです。< 育ちの良い坊ちゃん嬢ちゃんばかりの学校と、そうでない学校とでは、おそらく結論も異なるでしょう。日本だけでなく諸外国(富裕層や貧困層の格差あり)の家庭や学校のケースも考えたいです。
今までにいろいろな味噌汁を食べてきましたが、「カニ・豆腐・みつば」の味噌汁は特に美味しいと思います。
私は「法律を守ること」や「法システムを護ること」は重視してますが「法律(条文そのもの)を護ること」は必ずしも重視してません。法律(条文)は、社会の実情にあわせて適切に修正していかねば詭弁的に運用しなければならなくなります。これは憲法も例外ではありません。
現在の憲法にはいくつか修正すべき点があります。その中でもシステムに関する改憲条項は優先して修正すべきものです。日本国憲法を修正するには「両議院において、それぞれ総議員の3分の2以上による賛成」と「国民投票による過半数の賛成」と「天皇による公布」が必要とされてますが、その中でも「総議員の3分の2以上」という加重要件は民主主義の理念に反するほど過剰な制約だと思います(それでも「この憲法を改正することはできない」と規定されてないだけまだマシですが…)。よって、改憲条項の改正を他の条項の改正よりも優先することについて積極的に支持します。
個人的意見ですが、国民投票は認定投票方式(複数の憲法案に対してそれぞれ認否を投じる方式)が望ましいと思います。よって、「日本国憲法の改正手続に関する法律」の改正をより優先してもいいと思ってます。
フィリップス製品は、1996年頃にデザインで選んだCDクロックラジオ『AJ3920』を使い続けてます。累計30000時間は鳴らした筈ですが、どこも壊れてません。よい買い物をしたと思ってます。
自宅にいるときの普段着は作務衣を用いてます。徒歩圏ならそのまま外出することもあります。しばらく使って程々に草臥れたら寝間着に転用します。非常時にそのまま外出できるので、防災&防犯の観点で一般のパジャマよりも良いと思ってます。
いままで使ってた茶色の作務衣もまだ十分に使えますが、今日は墨黒色(柿渋染)1着と灰黒色(極細番)2着を新しく買ってきました。私はいつも同じような格好をしていたいので、気に入った服は同じモノを複数まとめて購入するのです。大きな違いは染料だけなのですが、定価ベースだと前者1着で後者3着が買えます。後者(灰黒色)はもともと柔らかい生地なので、そのままでも寝間着に使えそうです。
意外かも知れませんが、現在の形式の作務衣(作業用外衣)は昭和40年代に確立したと云われます。歴史が浅いこともあって、着こなしの自由度はとても高いです(ただし寺社に参拝するときは留意すべし)。一般人が冬場の普段着として用いるなら、タートルネックやブーツやハンチングなどとあわせた和洋折衷なモダンスタイルが面白いでしょう(いくつかのサイトでは立襟シャツもオススメされてますが、私はあまり好みません)。このあたりはトンビコートに通じるものがあります。< ちなみに、モノトーンに買い替えた理由のひとつが黒トンビとあわせる為です。
革トランクなど和装用グッズはけっこう持っているので、効率的に活用したいと考えてます。
本屋や図書館では自分が全く興味を抱いていないジャンルの本棚をときどき眺めます。こうすることで自分の知識の偏向をいくらかでも補正したいわけです。
さて、一般にマスコミは偏向報道になりがちです。そして、ネットは偏向視聴になりがちです。だから、マスコミとネットをバランス良く利用している人たちが「マスコミは偏向している」あるいは「ネットは偏向している」と言うのは説得力があります。しかし、ネットしか利用していない人たちが「マスコミは偏向している」と言うのもマスコミしか利用していない人たちが「ネットは偏向している」と言うのもあまり説得力がありません。思想の異なる複数のマスコミと、どの思想にもアクセスできるネットの併用が望ましいと思います。
どのマスコミがどれだけ偏向しどれだけ信頼できるかについては、「自分がローカルで知っていることについてそのマスコミがどのように報道しているのか」をもって判断するのが良いでしょう。他人が経験した事実を根拠にして意見を言うのは理性的だと思いますが、他人が主張した意見を根拠にして意見を言うのはあまり理性的であるとは思えません。
卒業してからずっと月に1回ぐらいで学生時代の友人らと会ってます。必ずしも全員が揃うわけでもありませんが、それぞれ予定を調整して何とか集まり続けてます。話してる内容は当時と大して変わりませんが、とても愉しい時間です。たぶんこの集まりは一生ずっと続くだろうと思ってます。
瑣末なことに囚われてるから「精進しないとならない」と思うんじゃないかな。「精進してもいい」と思えるようになれば、きっと瑣末なことに囚われなくなるよ。人間関係なんてものは世界にとって一部&一瞬でしかないのです(言葉通りに些細なことです)。面倒であろうと順調であろうと地球は回り続けます。もっと真面目に生きても構わないし、もっと不真面目に生きても構いません。ただ、真面目に生きた方が愉しいだろうけどね。
風呂からあがったらすぐにベッドに入り、しばらくしてからベッドから出てPCに向かいます。そうやって布団を暖めておくと、後で就寝するときにちょっとだけ楽です。
日本の文化圏に所属している私たちが言う「私は無宗教です」は、必ずしも真に無宗教というわけではなく、たいてい「固有名詞を持つ特定の宗教を積極的に信じてるわけではない」という意味で用いられます。私たちの多くは、いわゆる八百万の神々を消極的に信仰している状態でありましょう。
私もいわゆる無宗教ですが、文化や風俗としての宗教は尊重していますし、社会生活に有益な宗教行為にはたいてい従います(各種の冠婚葬祭もその由来を知った上で参加しています)。また、他人が何を信じようが何を信じまいがその内心は自由であるべきだと思ってます。周囲に迷惑を掛ける行為についてはその行為について批判しますが、信仰そのものについては尊重します。言葉通りに敬遠(敬して遠ざける)するわけです。
宗教行為のうち迷惑なものの一つが強引な布教です。信者以外に対して彼らの宗教の正しさを説得したり転向を迫ったり迫害を加えたりする行為は迷惑この上ありません。一方で、無宗教の人達が信者さんたちに対して無宗教の正しさを説得したり転向を迫ったり迫害を加えたりする行為もやはり強引な布教と同様のものです。そんな人たちはきっとムシュウキョウ教という宗教の信者さんなのだろうと思います。
ゆえに、もしも私に対して無宗教を強要するならそのムシュウキョウ教徒さんも敬遠します。
あくまで推測ですが…。mixi事務局は、削除されたデータを「事務局以外に非公開」状態で保持しているんじゃないかな。ただ、「削除されてるはずのデータを根拠に処理した」とは口が裂けても言えないだろうけどね。
天気予報が外れたことで被った損失を気象庁に請求する人は、天気予報が当たったことで得た利益を気象庁に納付すべきだと思うんだ。
ひとりのゲーマーとして、バーやパーティやファミレスや車内や旅館や教室や職場や病室など、いつでもどこでも誰とでも遊べるようにゲームをカバンに常備しています。
選択基準は「ルールが簡単で、非ゲーマーでも愉しくプレイできること。用具の入手または自作が容易であり、非ゲーマーが自分でインストできること。私が持ち歩くものは、小型で軽量で丈夫であるだけでなくプレイしやすくお洒落であること」です。具体的には、ダイスやトランプやドミノ牌(小)やチップ類です。
新作の各種ボードゲームは初心者や非ゲーマーにとって入手が面倒ですし、『チェス』『将棋』『囲碁』などはそもそも初心者に難しいでしょう。『バックギャモン』は非ゲーマーにも適したゲームですが、トランク型はSサイズでさえ嵩張りますし、金属製は遊ぶのに小さすぎますし、紙製やプラ製はあまりお洒落ではありません。
そんなわけで、いつも持ち歩かずともカバンに余裕があるときに持ち歩けるような布製バックギャモンボードを探してました。
WWWで見かけたものの中では、ドロッセルマイヤーズの巻物ボードやPhilosの巻物ボードあたりが良さそうです。いずれにしようか悩んでいたところに、本革製の巻物型ボード『Mulholland All Leather Backgammon』が目に入りました。将棋盤やチェス盤なら布製でも十分にお洒落ですが、ギャモンボードに限っては布製よりも革製の方がずっとお洒落だと思ってます。こうなるともう布製はどうでもよくなります。いくつか他の革製ボードも検索しましたが、さきほどのものが良い色合いです。
そのサイトでは既に売り切れでしたので、他のところでもっと安く入手しました。ボードのサイズは28cm×35cmぐらいです。見た目よりもずっとしなやかで丈夫です。ポイント(三角形のマス)は単純な印刷ではなくちゃんと沈み彫りされてます。ダイスや革駒とそれらを入れる革ポーチも付属してます。もっとも付属の革駒はいささか使いにくいので、別のセットから抽出したものを用います。
実用頻度は少ないでしょうが、ちょっと気分がいいです。
用具…盤1枚、駒2個、床たくさん。
準備…盤の中央に対角に駒を初期配置します。手番順を決めます。
プレイ…自分の手番に、縦横斜に隣接するマスに自分の駒を動かし、更に任意のマスに床1段を積みあげます。ただし、「他の駒がいるマス」「現在いるマスよりも下の階」「2段以上を登るマス」「4階以上のマス」には動かせません(つまり、ゲーム中に2回まで登ることができます)。また、「駒がいるマス」「既に3段が積まれているマス」には積めません。
終局…自分の駒を動かすことができなければ負けです。
本日は「杜のホールはしもと」でボードゲーム会議を催してました(参加者は24人ほど)。とても楽しかったです。みんな、いつもありがとう。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
ボードゲーム持ち込み用のキャリートランクを買い替えることにしました。想定している荷物はモジュール化されたファイルケースばかりなので、キャリーカートとコンテナの組み合わせにしました。カートは階段を登れる複3輪タイプです。カタログスペックでは耐荷重40kgとのことですので、ボードゲームを運ぶだけなら十分だろうと思います。
試験の目的は実力を測ることです。実力に満たない評価を望むべきでないのと同様に、実力を超える評価も望むべきでないと思ってます(今の学校でトップでも進学先ではビリになるかも知れないのです)。だから、「実力を発揮できるように頑張って」と応援します。
理性的な人であれ感性的な人であれ、相手が言ってることを解する能力と相手が思っていることを察する能力とを兼ね備えていた方がいいです。ただ、その優先順序が微妙に異なるに過ぎません。
次回のトルピードフェスタの日程が「8月3日&4日」から「7月28日(日)」に変更になったそうです。
この変更について私には全く通知なかったけど、手伝いは不要なのかな?
「さて、まだ雪が残る歩道なら滑倒リスクと時間ロス、雪が残っていない車道なら事故リスクと社会的迷惑」と数秒ほど考え、歩道の雪を踏みしめました。今日は定期検診の日なのです(たまたま知人が昨日に複雑骨折で入院したので、そのお見舞いも兼ねてます)。
アイスバーン状になった道を踏みしめながら「進路を考える人は雨雪での通学や通勤も想定しておくべき」とか「先日に頂いた雪上迷彩服を着るチャンスでは?」とか「首都圏における積雪の期待値と雪対策のコストを考えれば、ある程度の不便は受忍すべき」とか「雪の夜のFXライトセーバーは映えるよね」とか「陽の当たらない側にある古書店の前の雪は残りやすい」とか「雪で反射する紫外線の量は?」とか「どの信号で渡れば雪が少ないか」とか考えてました。< 他にもいろいろ考えてたけど、とりあえず雪に関連するものだけ例示。
雪が降ってます。成人式は大変だろうけど、かえって良い思い出になるんじゃないかな?
三連休の2日目は相模原市緑区橋本でゲーム会やってました。参加者は18人ほど。みなさま、おつかれさまでした。
要求が低い人にとって満足できるものであっても、要求が高い人にとってはしばしば不満足なものとなります。そして、後者が満足できるものはたいてい前者も満足できます。だから、そのもので自分が幸福を感じたいならあまり高い要求を持つべきでないし、他人に幸福を与えることで幸福を感じたいなら高い要求を持つべきです。
もちろん、満足できてない人達の為の改良や改善を実現する為には、高い要求だけでなく鋭敏な感覚も必要です。
一般に、もっとも満足できるのは「鋭い感覚と低い要求」であり、次いで「鈍い感覚と低い要求」あるいは「鋭い感覚と高い要求」であり、もっとも満足できないのは「鈍い感覚と高い要求」でありましょう。こうして考えますと、文句を言うだけで改善を提案できない人というのは、もっとも不幸な人であろうと思います。
この週末は、浅草の都立産業貿易センター台東館4階にてミリコスイベント「トルピードフェスタ」が開催されました。私は本部スタッフとして参加してました。
イベントの趣旨は「業界の閉塞状況の打破」と「ミリタリーとコスプレイヤーとの融合」ですが、第1回目ということでミリタリーが偏重されてました。出店ディーラー数は25店で、一般参加者数は推定500人ほどでした。諸条件を考えると、最初はこんなもんでしょう。
全ての参加者に感謝します。
今回は採算度外視で、雪上迷彩服やセーラー服やポロシャツやNASAつなぎや雑貨などを参加者のみなさまに無料配布しました。雪上迷彩服はフランス軍山岳部隊が用いるもので真っ白な迷彩服です。手袋つけたまま着脱できるようにベルクロ式になってます。ズボンは膝までの短いもので、これはスキー靴を履いてることを想定しています。セーラー服はイタリア軍のものです。内着と外着とズボンで構成されてます。「無料配布です。ただし着れる人のみ。本人か嫁か娘か脳内嫁が着れること」という建前で配布しました。フランス警察の水色シャツとポロシャツは日曜日だけの配布です。
本部のPCでときどきつぶやいてました。実は魚雷まつりの中の人でもあったり(笑)
風呂敷を広げすぎると、弱小国が軍事費で自滅するような状態になります。集客密度を考えると、小規模なうちは無理して二日開催しない方がいいです。もし敢えて黒穴に合わせたいなら、初日あわせで1日だけ開催するのが良いと思います。大事なのは自分達のイベントです。
他人に手伝ってもらうなら事前に顔合わせや打ち合わせした方がいいです(次回以降を考えているならちゃんと反省会もやるべき)。スタッフ間の連携がとれないと、すべて代表者を通さないとならなくなるので非効率的です。スタッフに自分で仕事してもらいたいなら、なおさら適切に方針を示しておくことが大事だと思います。
無料配布品(雪上迷彩服やセーラー服やNASAつなぎや警察シャツなど)は好評でした。でも、貰って困る雑貨は配布せず処分した方がマシだと思います。
ミリタリー業界の閉塞状況を打破する為に、ミリタリーマニアでないコスプレイヤーに目を向けるのは有効だと思います。ただし、ミリ多リーイベントにコスプレイヤーを招くと一部のマニアによる相互拒絶が発生するので、どっちかというとコスプレイベントにミリタリー業者が出店する方向性が望ましいと思います。黒穴との競合イベントは正しい手段ではないと思います。
会場がそれなりに遠いので、6時半のバスに乗ります。カーゴパンツは太腿にカイロが入るので、この季節には便利です。
早朝の電車では『うる星』ソングを聴いてます。すっかり習慣です。相模原駅から浅草駅に行くルートは馬喰横山駅経由か中延駅経由かの二択です。往路はゲソ天そばの為に中延駅乗換で、復路はずっと座っている為に馬喰横山駅経由で。
六文そば中延店のゲソ天そば(370円)が好きです。思い出補正MAxですが、揚げたてはすごく柔らかいでゲソ。
すっかり顔パス(苦笑)
私も西洋甲冑を着て参加したいのですが、スタッフゆえにそれは無理というものらしいです。
こういうイベントの割りにケータリングが美味しいです。やはり生パスタは良いです。イベント終了後はミートソース掛けピラフがみんなのノルマに(苦笑)
仲見世通りで人形焼きを買って帰ります。
車窓を眺めながら線路沿いの道を眺めているのは、いつか災害時に歩く為に。でも、そんな必要がないことを願ってます。
今朝は、六文そば中延店の紅ショウガ天&アキアミ天そばを食べました。オキアミ天はここでしか食べたことありません。
日露戦争展示コーナーがあります。実は、私の尉官刀(明治後期)はかなりの上物です。うちの家紋が入ってます。もちろん十万円でも譲りません。
特上の明太子パスタを頂きました。通常の倍以上の明太子が入ってます。お土産に生パスタが割り当てられるはずだったのですが、後片付けのどさくさで貰えませんでした(涙
都産貿の貨物エレベーターのオペレーションは慣れてます。ええ、昔にいろいろと(笑)
仲見世通り常磐堂で雷おこしを買って帰ります。東日本橋で乗り換えます。あとは橋本まで1時間の旅です。
電車の中でブラックホール帰りらしいマニアさんらが、荷物を広げてました。よく買い込んだというか、よくここで広げるというか。
次回の開催は8月3〜4日あたり。代表者へのネガキャンは想定した上で、もうちょっとちゃんと根回ししておいた方がいいと思います。中期的には採算も考えなければならないのですから。
正月三ヶ日はのんびり過ごしてました。今日はたまったタスクをいくつか処理してました。昼食はマボロシでチキンカレー辛口。明日以降の予定は、5日(土)と6日(日)は浅草に、9日(水)は秋葉原に、11日(金)は渋谷に、13日(日)は橋本にいるはずです。
お正月に『独楽回し』や『百人一首』で遊びました。『凧あげ』や『羽子板』ができなかったのは、ちょっと残念です。昔は…ゲイラカイトが流行してた頃は…どこの学校も校庭を開放しており近隣住民たちが凧をあげてたものです。寂しいことですが、現在ではセキュリティ上の理由で近隣住民が校庭を使うことはできません。
『百人一首』は視力と記憶力と反射神経を競う伝統的アクションゲームです。残り少なくなったらダミー読札を混入するなどのオプションルールがありますが、基本的にはシンプルなゲームです。せっかくなので、ちょっとしたヴァリアントルールを加えてプレイしました。それは「2枚連続で獲得したら、自分より獲得数の多いプレイヤー1人から1枚を奪えます。3枚連続で獲得できたら同様に2枚を奪えます。以下同様」というものです。
あけましておめでとうございます。
あいかわらず忙閑の差が激しい生活をしてますが、物事を考える時間があることに感謝しています。
今年も良い年にするつもりです。どうぞ宜しくお願いいたします。
お年玉とは別にナイフかランプを小動物らにプレゼントする予定です(12月14日のナイフ日記も参照)。
そんなわけで、『ミニマグライト』をまとめて買ってきました。単三電池2本を使用するLEDタイプ第2版(168mm/118g/69Lm/18h/4000円ぐらい)です。性能的にはもっと良いものがいくらでもありますが、初めて持つ本格的なハンディライトはこの『ミニマグライト』が最適だと思ってます。定番ゆえに彼らが大人になっても憶えていられるでしょうし、性能を追い求めたところで数年でもっと良いものがいくらでも出てきます。
思い返すに、私も旧型(クリプトン球)の『ミニマグライト(2AA)』(14Lm)を何本か使って来ました。最初に買ったのは1988年頃と憶えてます。最後まで使ってたのはUSアーミー限定モデルでした。
旧型にも「電池残量が分かる」「電球は切れるが回路は故障しない」「自力で修理できる」「幼児がイタズラしても失明に至りにくい」という信頼性があります。でも、新型(LED)と比べて一桁落ちる明るさではやはり用途が限定されてしまいます。寂しいことではありますが、ロウソク十数本相当のフィラメントの灯りにノスタルジーやロマンを感じるのはきっと私たちが最後の世代でしょう。
今となっては時代遅れの代物なのでいずれも処分してしまいましたが、たくさん良い経験を積むことができました。
正月に会ったときにライトの使い方を教えるのが楽しみです。基本的な操作方法や分解方法だけでなく、壊れても修理できること、目に向けて照らしちゃいけないこと、武器にしちゃいけないこと(≒武器にすることができるということ)、懐中電灯は紛失しやすいこと、電池は液漏れを起こすこと、そして、私の経験談のいくつかも。
『ミニマグライト・ソリテール(1AAA)』2本がまだあります。< 正確に言えば、キーホルダーサイズなので保管箱に入れっぱなしになっていました。
ちょっとした日曜工作として、100円ライトから部品(DCコンとORDと白色LED)を取り出して転用するのも面白そうです。ボタン電池を直列に詰め込んだり、昇電圧1.4VぐらいのLEDを探すのもいいかも知れません。