今日の一言 過去ログ

2012年のログです。

MAG-LITE gains make a heavy purse (2012年12月31日)

お年玉とは別にナイフかランプを小動物らにプレゼントする予定です(12月14日のナイフ日記も参照)。

そんなわけで、『ミニマグライト』をまとめて買ってきました。単三電池2本を使用するLEDタイプ第2版(168mm/118g/69Lm/18h/4000円ぐらい)です。性能的にはもっと良いものがいくらでもありますが、初めて持つ本格的なハンディライトはこの『ミニマグライト』が最適だと思ってます。定番ゆえに彼らが大人になっても憶えていられるでしょうし、性能を追い求めたところで数年でもっと良いものがいくらでも出てきます。

思い返すに、私も旧型(クリプトン球)の『ミニマグライト(2AA)』(14Lm)を何本か使って来ました。最初に買ったのは1988年頃と憶えてます。最後まで使ってたのはUSアーミー限定モデルでした。

旧型にも「電池残量が分かる」「電球は切れるが回路は故障しない」「自力で修理できる」「幼児がイタズラしても失明に至りにくい」という信頼性があります。でも、新型(LED)と比べて一桁落ちる明るさではやはり用途が限定されてしまいます。寂しいことではありますが、ロウソク十数本相当のフィラメントの灯りにノスタルジーやロマンを感じるのはきっと私たちが最後の世代でしょう。

今となっては時代遅れの代物なのでいずれも処分してしまいましたが、たくさん良い経験を積むことができました。

正月に会ったときにライトの使い方を教えるのが楽しみです。基本的な操作方法や分解方法だけでなく、壊れても修理できること、目に向けて照らしちゃいけないこと、武器にしちゃいけないこと(≒武器にすることができるということ)、懐中電灯は紛失しやすいこと、電池は液漏れを起こすこと、そして、私の経験談のいくつかも。

そりてーる

『ミニマグライト・ソリテール(1AAA)』2本がまだあります。< 正確に言えば、キーホルダーサイズなので保管箱に入れっぱなしになっていました。

ちょっとした日曜工作として、100円ライトから部品(DCコンとORDと白色LED)を取り出して転用するのも面白そうです。ボタン電池を直列に詰め込んだり、昇電圧1.4VぐらいのLEDを探すのもいいかも知れません。

原子力のジレンマ (2012年12月31日)

もしも現世代だけがコストやリスクを負うのであれば、私は原子力発電という選択に反対しません。しかしながら、高レベル放射性廃棄物の半減期は人間の寿命に比べてとてつもなく長期です。だから私は核分裂による原子力発電について反対の立場です。ところで、核分裂発電と異なり核融合発電は高レベル放射性廃棄物がほとんど出ません。核融合発電は、未来の世代にデメリットよりも多くのメリットをもたらすだろうと考えてます(太陽光発電だって原理は核融合だし)。だから、私は核融合による原子力発電について暫定的に賛成します。< ただ、ここでジレンマになるのは、核融合炉を開発する為には核分裂炉の技術が必要だということです。

総合的に判断するのであれば、現在の原子力発電を必要悪として存続させた上で、核融合炉や太陽光や地熱など代替エネルギーの研究を進めるのが現実的だと思います。

なお、核武装の為の核物質を保有する為に原子力発電を続けることについては条件付きかつ消極的に賛成です。

私は核兵器廃絶を願ってますが、核兵器を装備していない国がいくら核兵器廃絶を唱えても無駄です。もしも核兵器廃絶があるとしたら、いったん核戦争が発生するかあるいは双方が核兵器を装備した上で同時に軍縮する形でしかありえません。「みんなが努力すれば…」がどれだけ空論であるかはゲーム理論を持ち出すまでもなく実証できます。実効性のない自己満足的な空論がどれだけ問題解決を引き延ばすものであるかは、みなさんも経験したことあるだろうと思います。

ついでに言えば、限定核戦争で核ミサイルのターゲットになりやすい国は、通常兵力に優れた非核保有国であることも忘れてはなりません。

余談いくつか

地震リスクと津波リスクとを混同すべきじゃないと思います。

原発0%と原発依存0%とはずいぶん違うと思います。

ドラえもんの動力源は原子炉と記したままでいいと思います。

本日の誤訳 (2012年12月29日)

「有明に遠方より来たる。また愉しからずや」。

ボードゲームは健全な遊びか? (2012年12月27日)

ボードゲームなんてものはただの道具に過ぎないのだから、賭博に用いようが遊戯に用いようが競技に用いようが蒐集に用いようが研究に用いようが教育に用いようが商売に用いようが(公序良俗に反しない範囲で)それぞれの自由であるべきです。

「ぼくたちがやってるのはけんぜんなあそびです。かねをかけてるひとたちといっしょにしないでください。かねをかけてるひとたちがもちいてるものはぼーどげーむではありません」とアピールするのは自由ですが、あまり説得力はないと思ってます。自分達の活動を周囲に容認して貰いたいのであれば、ボードゲームが健全であることではなく自分達が健全であることを示すべきでしょう。

ちぇすきんちゃく (2012年12月22日)

チェス&チェッカーの布盤として使うことができるチェスピース専用巾着袋を、裁縫が得意なマイミクさんに作って貰いました。けっこう便利♪

生活保護の現物給付券に賛成する理由 (2012年12月22日)

もともと貧困者に対する生存支援は親族や地域が担ってました。そして近代になって国家が生存支援を新たに担うようになったときには二重のセーフティネットが存在してました。やがて、親族や地域は貧困者への生存支援を国家に任せるようになりました。こうなると、もう元には戻せません。国家による生存支援が限界に達しても、家族や地域が「生活保護は国家の義務」と主張するからです。< しかし、そのような主張に根拠はありません。貧困者に対する生存支援は国家だけが担うべきものではないのです。

この観点で考えてみると「生活保護を受けていることを地域に知られたくない」という意見は明らかに筋違いだと思います。「生活保護を要する状態であること」が地域に知られることは地域による生存支援の実現の為に必要なことです。よって、そのような理由で現物給付チケット制に反対すべきではないと思います。

ゆとりゲーマー (2012年12月22日)

ゲーマーの特殊能力のひとつが「状況を分析して最善手を見いだす程度の能力」です。しかるに、どんな作戦でもそこそこ勝利できるとデザイナーに保証されているゲームばかりだと、(初心者やノンリプレイ派や時間的にはメリットありますが)まじめに期待値計算しないでプレイするゲーマーが増えてしまうというデメリットもあります。たまにはアンバランスなゲームで勝算をまじめに見積もるのも宜しいかと。

小同大異 (2012年12月22日)

「すっぴんの女性が好き」と「すっぴんでも綺麗な女性が好き」とはかなり違うと思います。貧乳が希少価値であることと、貧入の価値が希少であることもかなり違うと思います。

削除依頼の手続き (2012年12月22日)

「削除依頼は当方が定めた正規の手続きに従ったもののみ」という主張は、例えば「伝書鳩によるもののみを正規の手続きとする」とされえるので、必ずしも社会的に認められるとは限らない。社会通念的に適切な方法であるならば、削除依頼として有効であるとみなすべき。

二次電池のチェック (2012年12月22日)

自宅にある二次電池(充電池)をちまちまとチェックしてました。ニッカド充電池は既に処分したので、ニッケル水素充電池(Ni-MH)とリチウムイオン充電池(LIB)ばかりです。

充電池は使用していくうちに少しずつ特性が変化していきます。1本だけで使ってる分にはあまり気にしなくても大丈夫ですが、特性が均一でない複数の充電池を一緒に使っていると全体の性能&寿命が低下してしまいます。< ちなみに、昨今の充電池はメモリ効果をほとんど気にしないで大丈夫です。リフレッシュは電池を劣化させるので十数回に一回で十分です。

保管してある充電池も勝手に自己放電&劣化していきますので、ときどき充電しなくてはなりません。『エネループ(Ni-MH)』は1年で15%ほど放電されるだけですが、一般的なニッケル水素充電池はそうもいきません。そして、リチウムイオン充電池だと室温21℃で1ヶ月で8%ほど放電してしまいます(長期放置で過放電してしまうと保護回路でロックされて再充電できなくなってしまうこともあります)。

ニッケル水素充電池(Ni-MH)はそのまま満充電してまた保管すればいいです(最近のはメモリ効果がほとんどありません)。そして、リチウムイオン二次電池(LIB)は満充電した後に半分ほど緩やかに放電してから保管しなければなりません。

なんだかんだで、けっこう面倒でした。

魔法瓶 (2012年12月21日)

2年ほど使用してた魔法瓶の保温性が急激に落ちました。見た目だけでは分かりませんが、どうやら真空層に空気が入り込んだみたいです。しょうがないので、ホームセンターで新しい魔法瓶を買ってきました。夜明けの紅茶が美味しいです。

女性の元首 (2012年12月21日)

日本でも女性の元首はいましたよ。例えば、ずっと昔に卑弥呼という女性がおってな…(以下略

「黒子のバスケ」脅迫事件 (2012年12月19日)

リスク(脅迫の期待値と中止しないことによる風評)を適切に見積もれないから、過剰に自粛するのだろうと思います。あるいは、もともとやりたくなかったことを脅迫を名目に中止しようとしているのか(会場を貸したくないはこのパターンかも?)。

Re: 相模原市 中3いじめ (2012年12月18日)

どこの中学だか知ってます。学校に問題を解決する責任を負わせるなら解決の為の権限(強い懲罰の権限など)も持たせるべき。無理難題を押し付けてそれを実行できないことを責めるのは卑怯だと思います。< 解決できないことで責められるよりも、「認識してなかった」で責められる方がマシになるのが問題だと思います。

Re: 好きな王道のコンビニ中華まん (2012年12月18日)

必ずしも王道ではありませんが、十年以上前にセブンイレブンで売られていた「チーズ&ベーコン」(notトマト味but塩味)が好きでした。現商品である「たっぷりチーズのベーコンまん」とはまったく別物です。\

衆院選の結果に一言 (2012年12月17日)

ドボン返しというか革命返しと言うか。日本人の反動は極端です。

柔道のルール改訂 (2012年12月17日)

私の価値観で言えば、『柔道』とは柔術の稽古の一部をスポーツ化したものです。当身技や危険技などを分けたことで、比較的安全かつ効率的に柔術を学ぶことができます。あくまで稽古にすぎないので、「延長旗」であろうと「サドンデス」であろうとどうでもいいです。しかし、「脚取り禁止」は、必ずしも安全性が高まるわけでもないし稽古そのものも非効率的になるので基本的に反対です。

青少年健全育成基本法で被害妄想を抱くな (2012年12月15日)

マンガやアニメのファンが反対活動に利用されてるように思います。それは、児童ポルノで利益を得ている人たちが「二次元も一緒としちゃって極例を示せば、オタクたちが盾になって三次元規制に反対してくれるんじゃね?」と工作しているようなものかと。

The life with knives (2012年12月14日)

ラピュタ伝説によれば、男の子がカバンに詰め込むべきものは「一切れのパン、ナイフ、ランプ」だそうです。そんなわけで、先日のハンディライトに続いて今日はナイフの整理です。それほどたくさん所有しているわけでもありませんが、一般人の平均所有数よりはずっと多いです。今回は思い切って、安物や不要品のほとんどを処分しました。

実用品はそれなりに数がありましたが、実際に使っているものだけ残しました。いずれも丈夫で信頼できるものばかりです。

持ち歩き用は銃刀法に抵触しないものを選んでます。以前は『レザーマンPST』をカバンに常備してたのですが、今ではそれも職質的にリスキーです(苦笑) < そんなわけで、『PST』2本が非常持ち出し用セットに入ってます。

頂き物のうち自分で使いそうにないナイフも処分です。それなりに良いものではあるので、小動物たちが欲しがったならタダで差し上げようと思ってます(心構えやメンテ方法も一緒にね)。

さすがに思い出の品は処分しません。かつて小学生の私が研ぎを習ったときの『電工ナイフ』(日立武蔵)は、すっかりブレードがすり減ってます。変な研ぎ具合もいい思い出です。

意外かも知れませんが、コレクションとして所有しているのは1本だけです(自分の理想に近いものを十数年前に入手できてしまったので、新たな物欲がほとんどわかないのです)。その1本とは『Benchmade 970ST』です。形状は「Emerson CQC7」と呼ばれるタイプで、コンパクトでありながら私の手によく馴染みます。短刀型ブレードとライナーロックの材質はチタンで、エッジ部には炭化タングステンが溶着されてます。ハンドルの材質はカーボンファイバー(黒G10)で、エンボス模様が美しいです。製造数750本だそうです。もちろん未使用です。このナイフを見ているとワクワクします(日本刀とは別の意味で)。

カバンに詰め込むべきものはパンやナイフやランプだけではありません。「熱い想い」と「あのまなざし」も忘れずに。そんなことも教えていきたいです。

マルチツールの所持規制について

刃物を用いた犯罪を計画している人が、銃刀法や軽犯罪法などの法令を守るわけありません。だから、いくら所持規制したところで包丁などが入手可能である限り計画的犯行は減りません(ただ、凶器の比率が変わるだけです)。また、刃物を所持規制したところで衝動的犯行そのものが減るわけでもありません(ただ、凶器が所持した刃物ではなく手近な物体になるので、いくらか被害は軽減され得ます)。以上より、即座に使える状態で刃物を所持することを禁じれば十分だと思います。それ以上の規制はほとんど意味がないし、むしろマルチツールを所持できないことによるデメリットの方が大きいと思います。法令の改正を望みます。

もしも警察官に何らかの別目的(点数稼ぎや別件逮捕など)があるなら、法令に抵触しないでマルチツールを所持していてもあるいは何も所持していなくても、何とでも言い掛かりを付けられてしまいます。同じような結果になるのであれば、法令に抵触しないようにマルチツールを所持するのが最善だと思います。それに、災害は避けられませんが、職質は避けられます。職質を避けることも護身術の一種です。

非金属ナイフ

非金属製ナイフの素材は、ポリマー樹脂(ABSやZytelやGrivoryなど)・炭素繊維(Carbon Fiber)・焼結体(Ceramic)などです。いずれも軽量かつ不錆ですが、切れ味は金属製に及びません。災害時のツールとしてはほとんど役に立たないと思います。護身用としては有用ですが、職務質問や過剰防衛のリスクを総合的に考えると非ナイフの方がより有用だと思います。ぶっちゃけて言えば、いわゆる中二病患者を満足させるアイテムだと思います。

私も何本か所有しています。

キンブレMAX (2012年12月12日)

LEDライトと言えば…。『KingBladeMax(SuperBlue)』(2100円)も魅力的でした。でも、『境界のRINNE』がアニメ化でもしない限り使うことはなさそうだし、夜遊び用には既にFXライトセーバーがあるので、とりあえず不要っぽいです。

サイリウム真祖として言えば、最近の光り物は明るすぎっ(笑)

LEDライト『UltraFire C309 XM-L U2』 (2012年12月12日)

今日は秋葉原で新型のLEDハンディライト『C309 XM-L U2』を買ってきました。公称1300ルーメンなので、実際は1000ルーメンぐらいだろうと予想してたのですが…。実験してみると、ちょっとした車載ヘッドライト並の明るさでした。愉しす(笑)

ちなみに、LEDフラッシュライトの明るさのおおよその目安は、「CREE X-ML Q5」が最大210ルーメン、「CREE X-ML T6」が最大1000ルーメン、「CREE X-ML U2」が最大1300ルーメンぐらいだそうです。(FlashLightWiki)。

Cycle of Life (2012年12月11日)

人間以外にとって「年・月(太陰暦)・日」には意味がありますが「月(太陽暦)・週・時・分・秒」には意味はありません。だから、季候や繁殖のサイクルはたいてい「年」を単位としてますし、気象や生活のサイクルはたいてい「日」を単位としています。潮汐や月明かりに影響を受ける生物は「月(太陰暦)」を単位とすることもあるでしょう。

サンタクロースの贈り物 (2012年12月10日)

どんな最貧国にもサンタクロースはやってきます。お腹いっぱいのお肉を願った少女の枕元には、トナカイの干し肉が置かれます。

根拠なきプライド (2012年12月10日)

ライフゲーム的に言えば「優れた民族が生き残るのではなく、生き残った民族が優れている」です。ゆえに、「我が民族は優れているから〜のはずだ」は根拠なきプライドだと思います。私たちも慢心せず、末永く生き残る為に最善を尽くすべきと考えてます。

地域が結ぶ縁 (2012年12月10日)

かつて縁を結ぶ役割は神様だけでなく地域や社会に課せられてました。お見合いや仲介というマッチングは、良くも悪くも機能していたと思います。しかし社会構造の変化に伴い、昔ながらのマッチングは機能しなくなってきました。その代わりにネットや趣味を通じた出会いが機能するようになりました。

地域コミュなど知り合った人とリアルに会うことについては特に推奨も禁止もすべきでないと考えてます。なぜならば、「最初に知り合った場がネットだからという理由だけで人間関係の発展を制限すべきではない」と考えているからです。互いに信頼できるようになったなら、友人関係や恋愛関係などに発展するのはむしろ喜ばしいことだと思ってます。同時に、「公序良俗に反する目的で発展させるべきではない」とも考えてます。それは、最初に知り合った場がリアルであろうとネットであろうと同様です。だから、互いに共通点や信頼関係もないうちに異性が「すぐ会おう」と言うのは、あまり信用しない方がいいと思います。

粋(いき・すい)のありかた (2012年12月10日)

「見えない部分に金を掛けること」そのものではなく「見えない部分にまで金を掛けられる余裕があること」が大事だと思う。無理してまで裏地で見栄をはることないと思うよ?

とんかつ赤城@相模原市 (2012年12月10日)

多くの人が誤解しているみたいだけど、「とんかつ赤城」(相模原市)の標準的なカツカレーに乗っているのは「ロースカツ(推定450円)」ではなく「うすカツ1枚(推定300円)」だと思うんだ。

ちなみに、うすカツ定食はロースカツよりもやや薄めのカツ2枚が乗ってます。< いっそのこと3段重ねのカツを希望(飛行甲板的な意味で)。

創作者にとってのネタバレ (2012年12月10日)

知的財産権の趣旨は、創作者の利益を保護することで文化活動の発展を促すというものです。そのロジックで言うなら、著作者の許諾なく結末をばらすことは文化活動の発展を阻害する行為にあたります。

しかし、詰まらない作品を視聴して時間を無駄に費やすことは、別の意味で文化活動の発展を阻害します。何度でも視聴する価値がある作品とは、すなわち結末を知っていても視聴する価値がある作品です。そのロジックで言うなら、ネタバレは文化活動の発展を阻害しないということになります。

テープレコーダー (2012年12月10日)

私が最初に使ったテープレコーダーはソニーのカセットコーダー『TC-1100(黒)』(発売は1975年頃?)でした。ラジカセに買い換えた後もしばらくは屋外や寝床で使ってました。新書版よりやや大きいサイズで、当時としてはかなり小さい機械でした。アナログな針メーターもついていてとても良いデザインだったと今でも思ってます。その後もいくつかの機種を買い換えながら使ってました。< ちなみに、最初に使ったCDウォークマンは同じくソニーの『ディスクマン(D-50mk2)』でした。これで『うる星』サントラを聴いてました。

報道によれば「ソニーはテープレコーダーの国内出荷を2013年1月までに終了する」とのことです。過去の膨大な資産も物理的な寿命をとっくに迎えてるだろうので、むしろ今まで再生機器を供給してくれてたことに感謝したいです。

北朝鮮の弾道ミサイル (2012年12月10日)

公表されてる飛行ルートを見るに…。中国からの支援があれば、十年もしないうちに北朝鮮は「たまたま尖閣諸島エリアに落ちてしまった」を実現できるレベルになれます。想定だけはしておくべきかと。

問題を分析するに… (2012年12月10日)

Bさんが「いちいち言わなくても察してください」とAさんに頼んでもAさんがそれを実行できないのと同様に、Aさんが「その度に言ってください」とBさんに頼んでもBさんはそれを実行できません。なぜならば、同じような事を何度も言うのはとても負荷が掛かることだからです。

あらゆる場合を想定したマニュアルがあればいいのですが、そんなマニュアルを作成するのはBさんに負荷がもっと掛かります。双方の事情を考慮するなら、言うべきことが少ないシンプルな役目をBさんにお願いするのが効率的だと思います。

ネスプレッソ (2012年12月10日)

うちにネスプレッソマシンがあるのですが、カプセルが1個80円もするので(しかもうちの近所では高島屋か通販でしか入手できない)マシンが死蔵状態になってます。詰め替えカプセルも1個27円で更に豆の値段が掛かります。もともとコーヒーはあまり飲まないこともあり、このままお蔵入りする見込みです。

開戦した理由を忘れない為に (2012年12月08日)

歴史から学ぶにあたっては、結果よりもその原因から学ぶべきだと思ってます。だから、毎年の12月8日頃に戦争について思うことを書いてます。< もっとも、基本的な考え方は固まっているので、たいてい似たような内容になってますが(苦笑)

どんな時代であろうと、国民を護る為に領土を守るのは当然のことです。だから当時の人達が満州などを守ろうとしたことは理解できます。願わくば、いつか未来に「当時の沖縄や北海道は日本の領土でした。領土を守るのは当然のことでした」と私たちが抗弁しなくて済むように。

相模原市は震度3でした (2012年12月07日)

余震を心配するだけでなく、さっきのが予震である可能性もしばらく考慮しなければなりません。人間は備えることができるのです。

LEDライト『LED-Y109K』 (2012年12月05日)

今日は横浜に寄ったついでにヨドバシカメラで新しいLEDライトを買ってきました。今まで使っていた『ZEXTシリーズ:DOP-XRC113』(3AAA/LED(XR-C,Q2,55Lm/4hours/74g+電池/朝日電機社ELPA)に不満はありませんが、そちらはとにかく頑丈で昇圧回路つきなので非常持ち出しセットに配転します。

下調べしてなかったので店頭でスペックを見比べてましたが、これはこれで愉しいです。それほど高級品である必要はないので、照度の割りに安価で頑丈な『SparkLED:LED-Y109K』(3AAA/160Lumens/2hours/オーム電機/1980円)にしました。SOSモールス機能はたぶん使うこと無いでしょう。

帰宅してから調べてみると、評判はそれほど悪くないみたいです(と言うか、マニアさんたち凄すぎです)。最高照度モードだと40分程度(エネループ使用)で暗くなりはじめますが、電圧低下警告機能がついてるのでそれほど困ることはないと思います。暗くなってから照射実験しましたが、夜道を照らすには文字通りに明らかなオーバースペックでした(笑)

こうして考えると、コンサート用の『キングブレードMAX』(140Lumens)ってあまりに明るすぎるんじゃ?(笑)

ネットを用いた選挙活動は憲法違反か? (2012年12月05日)

憲法では「公共の福祉」に反しない範囲で権利を認めてます。そして私は公平性の観点で、選挙における文書頒布(チラシやビラなど)の制限は公共の福祉にあたると考えてます。よって、公職選挙法に定める文書頒布制限そのものは憲法違反にあたらないと考えます。< もし解禁されてたらどうなってたかを想像してみればいいです。

さて、選挙活動におけるWWWサイトやツィッターやSNSの利用は公職選挙法によって制限されています。これが憲法違反にあたるか否かが問題となっているようです。

論点は「ツィッターやWWWサイトやSNSは文書にあたるか否か?」と「それらは制限すべき不公平であるか否か?」です。私は「公職選挙法に定める文書にあたる」と「不公平ではない状態となりつつあるが、まだ完全に公平だとはいえない」と考えてます。

私たちヘビーなネットユーザーはあたかも既に全国民がネットを自由自在に利用できる技能を持っていると考えがちですが、それは井の中の蛙の考え方でしょう。ここ数年で爆発的に普及しつつあるとはいえ、経済的にはともかく技能的にはネットを自由自在に利用できない国民はまだまだ多いです。「ネットユーザーに非ずんば人にあらず」とは言えません。

よって、選挙においてネット利用を制限することは、現時点では憲法違反とまではいえないと思います。しかし近いうちに十分に公平性をもつ状態になるだろうので、その頃には公職選挙法を改正すべきだと考えます(余談ですが、政見放送と同様な位置付けで公的な政見サイトを用いるのは一案だと思います)。

法律は社会を運営する為の道具です。法律の規定はいつでも守るべきものですが、その条文はいつまでも護るべきものではありません。条文は社会の実態にあわせて変化させていくべきものです。

中華料理屋「龍門」(相模原2) (2012年12月05日)

カウンターとテーブル3卓と座敷があります。中華料理はたいてい短時間で調理されますが、この店は超火力タイプのコンロがあるので特に速いです(本当に3分で出てくるんだよっ)。この店も大盛りにするとなかなか愉しいことになります。看板に偽りがあって、普通盛りですら店頭に飾られたサンプルよりもずっと多いです。

駅前にあるのでときどき利用しています。たいてい1人で利用するので、普通盛りか少なめで頼んでます。一通りのメニューを試した結果、私の注文は「肉そば」と「五目ヤキソバ」の2択に落ち着きました。初心者には「五目ソバ(普通盛り)」か「チャーハン(大盛り)」か「肉野菜定食(普通盛り)」をオススメします。ランチタイムは600円ぐらいの定食があります。

肉球 (2012年12月05日)

人間は、靴底が肉球になっている靴で快適に歩けるだろうか?商品化したら売れるだろうか?

私はイスカンダルのマレーシア。 (2012年12月04日)

珍しく書き込んだら、かなり受けたみたい(笑)

中間管理職さんも大変だなぁ (2012年12月04日)

傍から見ててしばしば思うのですが…。上司の出した指示を実行できない部下よりも、部下が実行できない指示を出す上司の方が問題だと思います。そして、そのような指示を出さねばならない状況を放置している経営者はなおさらかと。

比較…どん兵衛とサッポロ一番 (2012年12月04日)

記事には「食べるときにまっすぐに」とあるので、カップ麺の「編み方」に関する問題かな。推察するに、「どん兵衛(そば)」と「サッポロ一番どんぶり」の話だろうと思います。画像で比較してみると、確かに「編み方」はよく似ています。箸で持ちあげればいずれもきれいにほどけます。

この「編み方」が同じ製法によるものか否かですが、原理的に異なる製法があるとも思えません。日清側の提訴には十分な蓋然性がありましょう。しかし、(私の想像を大きく超えた製法でもない限り)そもそもこんなものを特許として認めるべきでないとも思います。

総合的に考えれば、形ばかりの和解金でうまく収まるだろうと予想できます。「どん兵衛」も「サッポロ一番どんぶり」も今まで通りに供給され続けるでしょう。

マニフェスト(選挙公約)の評価 (2012年12月03日)

修飾語句が「慎重に」であろうが「前向きに」であろうが「よく話し合って」であろうが「断固として」であろうが、主述を要約するに「政府が検討する。政府が決定する」という公約はたいして意味を持たないと思ってます。

どんな問題もそれなりに理想的な状態があります(TPPなら食料などを例外とした参加あたりでしょうか)。しかし、そのような理想はどの政党も同じように描けることです。だからこそ、「その理想が実現できない場合にどうするか?」という基本方針を根拠をもって示して欲しいです。

ぶっちゃけて言えば、賛否ある論点について「政権をとったら、慎重に検討して決定します」ではなく「既に慎重に検討したので、政権をとったらこうします」と示して欲しいです。

もしできるなら、「〜します」だけでなく「〜しません」も示して欲しいです。「〜します」はしばしば実現されませんが「〜しません」はたいてい実現(つまり不作為)されるだろうからです。公約の確度としては十分に高いと考えます。

また、「何を言ったか?」だけでなく「何を言わなかったか?」も参考に判断するつもりです。

公開討論会〜自分たちの未来は自分たちで決めよう〜

今日の19時から地元の市民会館(大ホール)で、神奈川14区の立候補予定者らによる公開討論会(先着順・無料)が催されるとのことなので、それぞれの意見を聴いてこようと思います。

『アクワイア』雑記 (2012年12月02日)

未開封2008年版を放出しました。中古3M版を頂きました。プラスティックボードとタイル立ての予備が欲しかったので。

私の戦術は、表向きには「ゴッドハンド級のツモのみ」と称してますが、実際には「手番効率とキングメーカー制御」にあります。私にプレゼント(私にボーナスが入らない吸収合併)されて、やむをえず泥沼を購入しなければならなくなった人は多いはず。

『アクワイア』は1位を決めるゲームなので「100%で2位になれる手」は「10%で1位になれて90%で4位になる手」よりも劣ると考えるべきです。

11月25日(日)@豊洲の第11回アクワイア大会。この日はフェスティバルに縁がある日でした。午前に参加したのが「潤水都市さがみはらフェスタ2012」で、午後のアクワイア大会では全戦ともフェスティバル卓でした。昨年の優勝者ということでマークがきつかったです。

今後の課題としては、3対1で戦うことを前提にした新しい戦術を考案しなければなりません。基本的には、最初からコンチやインペを中央に建てて、その周囲に建材を撒いていくハイリスクハイリターンな作戦になるでしょう。でも、この戦術は明白な弱点もあります。

『アクワイア』は囲碁に似ています。7ヶ所の戦域で他者よりもちょっとだけ有利になればよく、その戦域をいかに連結させるかが重要です。この意味では「手札なし。任意の場所に置ける」というルールにしたら、もしかしたら別のゲームとして成立するかも知れません。

3軒以下のルクソール株主(例えば13枚と8枚)は条件次第で積極的に他社を吸収してもいいです。例えば2軒フェスティバルを吸収したところで、相手には3000ドルと1500ドルを渡しますが、自分と次席は2300ドルと800ドルの儲けになります。5軒になればたいてい自働でセーフティまで拡げてもらえます(つまり自分の手番を使わずに儲けられます)。そもそも2軒ルクソールを自分の手番1回を使って潰してもたいした儲けになりません。

2筋と11筋とB段とH段のホテルは潰れにくいが拡大しやすく、3筋と10筋とC段とG段のホテルは塩漬けにされにくいです。

洗面器戦の場合は、次席でいいので運転資金を早く入れ、他社の次席を踏みに行くのが宜しいかと。だから洗面器戦では、踏まれにくい次席であることが重要です。

ヘビーゲーマーたちの日曜日 (2012年12月02日)

今日は橋本公民館でボードゲーム会を催してました。今回の参加者は17人ぐらいでした。みなさまおつかれさまでした。

私がプレイしたゲーム

相模原市民会館の地下食堂 (2012年11月30日)

打ち合わせやゲーム会などでしばしば市民会館の会議室を借りてます。昼食は周辺の店(最近はマボロシが多い)で食べてますが、ときどき地下食堂も利用しています。値段や味はいかにも公共施設のレストランのものです。面白いことに、大盛り(追加100円)にしたら炭水化物が倍になります。カレーやミートソースに至っては追加ソースまで付きます。原価は想像できますが、なんとなく嬉しいです。< ちなみに、値段はカレーライス(480円+100円)、チャーハン(500円+100円)、ミートソース(550円+100円)です。

もっとも、昔ほどたくさんは食べられないので、たいてい半分ほど同行者に押し付けてますが…(笑)

Re:退役自衛艦を海上保安庁に移籍する (2012年11月29日)

領海警備においては防衛と警察とを明確に役割分担させる必然性は低いので、退役した自衛艦を海上保安庁に移籍するアイデアには賛成です。しかしその実現にはいくつかの問題があります。

ます、この任務に最適な艦種である哨戒艇(PG)はとっくに全艇除籍されてます。そして、ミサイル艇(PG)はこの任務に適しているとは思えません。となると、選択肢としては護衛艦(DD)といくつかの補助艦艇ぐらいしかありません。しかし、海上自衛隊の護衛艦には隻数制限が課せられているので、いずれもハイコストハイスペック艦ばかりです。当然のことながら運用コストも洒落になりません。護衛艦(はつゆき級あたり)を移籍したところで、その運用コストを海上保安庁の予算で賄うのは無理があるように思います。

ないものねだりになりますが、適切にハイローミックスを実現できていれば、このアイデアは当然として実現されてただろうにと思います。当面のことだけでなく十数年後のことを考えながら整備することが大事です。

誤訳 (2012年11月28日)

ヨーダ「Try not. Do. Or do not. (やってみるではない。やるかやられるかだ)」。

『ファミコンウォーズDS』 (2012年11月27日)

ヒマな時間を利用して『ファミコンウォーズDS』やってます。久しぶりなのでほどよく攻略方法を忘れてます。これでもトライアル全面を自力でSランククリアーできたはずなのですが(苦笑)

連休中 (2012年11月25日)

橋本でバンガードミッション、学生時代の友人らの集まり、潤水都市さがみはらフェスタ、アクワイア大会。そんな連休でした。

コート (2012年11月19日)

コートは6着あります(インバネス、トレンチ、ダッフル、ガーズ、二重回し、角袖。マントは除く)。一流品を使い続けるか三流品を使い潰すスタイルです。ちなみに、お気に入りのインバネスは厳冬期仕様なので時期尚早です。でも、防寒する為に寒くなって欲しいとは言えないわけで…(苦笑)

ボクの考える「政治」とは (2012年11月17日)

政治や選挙について思うことを改めて記しておきます。

政治の役割

個人や社会によって価値観は様々です。だから、適切な調整手段がなければより多くの悲劇が発生します。政治の役割は利害調整であると考えてます。

利害調整においては原理的に、最悪の悲劇を避けることができるだけであって、誰もが完全に満足できるとは限りません。悲劇を発生させるよりは妥協した方がマシであることなどしばしばです。

主権者の義務

憲法で明確に定められているわけではありませんが、主権者である私たちは参政の権利を認められているだけでなく参政の義務も負わされていると考えてます。

選挙制度

個人的には「範囲投票制(Range voting)」や「認定投票制(Approval voting)」を望んでおります。

しかしそれが実現できてない以上は、現在の制度の中で最善を尽くさねばなりません。白票も棄権も「多数派に任せる」という選択肢ですが、現実的には「組織票をより有利にする」という選択肢でもあります。マイナスの選択肢しかなくとも、その中でよりマシな選択肢に投票すべきと考えます。

政策の評価

どのような選挙であれ、政治家や政党ではなく政策で選択すべきです。政策は個々に評価するのではなく、政策パックで総合的に評価しなければなりません。メリットだらけの公約を実現する為にはどのようなデメリットが発生するのか推察した上で総合的に評価することが大切です。

もちろん、政治家や政党の信頼度は係数になります。信頼度は、過去の公約違反や離党や移籍などの実績で判断するのがいいと思ってます。

私の評価基準

社会を持続させることは、私たちの生活および文化を持続させる為の手段であると考えてます。だから、経済や企業の為に生活や文化を犠牲にする政策には反対です。

しかしながら、私は「前の世代から受け継いだこの文化圏をいくらかマシにして後の世代に引き渡したい」とも考えてます。だから、私たちの世代の生活や文化をいくらか犠牲にする政策であっても、将来の世代の生活や文化にとってよりマシな政策であれば賛成することがあります。

個別の論については過去日記(2011年09月13日)を参照のこと。

『エヴァ新劇版:破』 (2012年11月16日)

『エヴァンゲリヲン新劇場版:破』を初めて観ました。真希波と同じような言動タイプの知り合いがいるのですが、その人も心に壁を持っているみたいなんだよなぁ(うーむ)。『Q』は数年後に観ればいいや。

キューピー3分間フッキング (2012年11月16日)

本日の誤字「キューピー3分間フッキング」。ダイエットは食事だけでなく運動も大事です。でも、腹筋が割れたキューピーさんはいかがなものかと?

「将棋vs囲碁」 (2012年11月15日)

「将棋vs囲碁」です。このルールで真面目にプレイすると、おそらく囲碁側が勝つと思います。将棋側は合駒以外で持ち石を打つ理由がほぼありません(動画参照)。囲碁側は持ち駒をあえて使わないで戦うことができると思います。序盤は、三段目の石を取られたらその取った駒を囲んで取れるように二段目を埋めていけばいいと思います(将棋側が7六歩で角道を空けたなら、囲碁側は3二に打てば3三を守れます。2三歩成には2四に打って取り返します)。

売られた○○○は買わねばならぬ (2012年11月14日)

グッズでもゲームでもDVDでもいいですが、そんなことやってたら破産しますよ?(笑)

半首(はっぷり) (2012年11月14日)

小具足の一種である「半首(はっぷり)」を頂きました。史実と異なり、忍者の防具のイメージで知られてます。さて、何に使おうか?

昨日の耳鳴りは再発の心配なし (2012年11月13日)

大学病院の耳鼻咽喉科にて検査&診察。年齢の割に聴覚はかなり良いらしいです。外耳道もきれいとのこと。で、耳鳴りは再発の心配なし。とりあえず安心。

パッシブソナーの不調 (2012年11月12日)

ちょいと仮眠を取ろうとソファーに横になっていたら、突然に「シャー」とした耳鳴りを感じました。冷菓を食べたときのような「キーン」としたものではありません。どことなく冷蔵庫の低周波に似ています。問題は、それがずっと続いているということです。

生唾を飲み込む音は普通に聞こえますし、ラジオから流れる音声も聞こえます。耳閉感はありません。また、眩暈は感じないので三半規管は異状ないみたいです。しかし、耳鳴りはずっと続いてますし、電子体温計のピコという音はほとんど聞こえず、指先や肌をこする音も聞き取りずらいです。どうも小さな音が聞こえないみたいです。

症状から突発性難聴を疑い、ネットで調べてチェック項目を一通り試しました。ついでにチューナーを用いて周波数や音量の変化による感じ方のチェックもしました(やはり、いつもなら聞こえるはずの小音や低音が聞こえにくいみたい)。とりあえず血流確保の為に水分を補充し、症状メモをまとめ、近隣の病院を検索してました。

やがて1時間ほどで症状が徐々に軽くなり、2時間もしたらすっかり症状は収まりました。今では耳鳴りを感じませんし、小さな音も普通に聞こえます。念の為に、明日にでも検査してこようと思います。

メニエール病のようにあの耳鳴りに加えて回転性眩暈と耳閉感と難聴まで同時に発症したら、潜水艦でなくとも行動不能になりそうです。

『小さな木の実』を口ずさむ (2012年11月09日)

よく晴れた午後にバスを途中下車し、幼稚園の近くの街区公園に足を踏み入れました。すっかり整備されてましたが、雰囲気は当時の面影が残ってました。足元を見ると、たくさんのドングリが落ちてます。たぶんマテバシイだろうと思います。「小さな〜手のひらにひとつ〜♪」と口ずさみながら木々の間を散策します。

思い返すに、ドングリに関する基本的な知識はこの公園で身に付けました。ドングリだけじゃありません。このちっぽけな森林の中で、いろんな人からたくさんのことを学びました。大人になった今では広く深い知識を身に付けてます。広いこの世界に自分が存在する意味を理解できるほど、強く生きてるつもりです。全ての師父に感謝します。

揚げ芋 (2012年11月08日)

サツマイモの天麩羅やジャガイモのフライは美味しいです。でも、ジャガイモの天麩羅やサツマイモのフライはそれほどでもありません。これは衣ではなく調味料との相性の問題だと思います。私の味覚では、ジャガイモには天つゆよりもソースが合うし、サツマイモにはソースよりも天つゆが合います。

芸術の価格のありかた (2012年11月07日)

初めて自分のおこづかいで買ったCDは『シンフォニー うる星やつら ー回想ー』(1986年)です。ディスクマン(CDウォークマン)と一緒に買いました。ジャケット画の現物がうちにあります。

それまでは、LPレコードをカセットテープに録音し、それをオートリバースで聴いてました。それほど良い再生機器を持っていなかったこともあり、初めてCDの音を聴いたときには感動を覚えました。また、半永久的に劣化することなく再生できると云われたCDは、十分にマニア心をくすぐるものでした。当時の私にとって定価3300円は安くありませんでしたが、十分に満足できる買い物でした。

ちょうどいい機会なので、“芸術の価格”について思うことを書いてみます。

本来の“芸術の価格”は、おそらく「誰かが自己表現として創作した芸術(創作には演奏など無形のものも含みます)で感動した人が、その感動の対価を創作者に提供した」という形だったと考えられます。当たり前のことですが、感動できない場合にまで“芸術の価格”を提供する必要はありませんでした。なぜならば、「感動の対価」は必ずしも「創作の報酬」ではないからです。

この観点で現代の音楽著作物商品を考えてみます。ビジネスとしては「いつでも何度でも聴けるメディア」を定価で販売する形です。これは供給側が価格を決める「創作の報酬」にあたります。

当たり前のことですが、何度でも再生できるメディアで音楽を流通させれば、いつか音楽は市場に飽和します(そこに残る需給は、世代交代による新規顧客や新規作品によるものばかりになります)。必然的に、消費者側が決める「感動の対価」はどんどん低くなります。無料サービス(動画配信サイトなど)があればそれを利用する人が増えるのは当然ですし、もし無料サービスがなくなったとしても既に所有している旧作を再び利用する人が増えるだけです。満足や感動を得る為には必ずしも新作である必要はないのですから。

完璧超人 (2012年11月06日)

いわゆる完璧超人が備えるべき能力は「外見・性格・学問・運動・芸術・仕事・家事・趣味・その他」あたりだと思う。必ずしも全てを得意としなくても構わないが、いずれも苦手であってはならない。それでも、やはり難しいです。

盤ガード (2012年11月04日)

昼は盤ガード@橋本。『i9n』、『アクワイア』3回、『ザ・ビッグチーズ』、『シャット・ザ・ボックス』など。アフターはジョナサン。みなさま、おつかれさまでした。

秋が終わったみたい? (2012年11月03日)

「秋が終わったようだな…」「フフフ…奴は四天王の中でも最弱…」「11月いっぱい保てぬとは四季の面汚しよ…」。

月を四季に分類するなら、9〜11月は秋にあたります。でも、季節の変わり目は温度差を強く感じやすく、特に寒さは早く感じがちです。体感温度でいうなら、四季のうち秋は最も短い季節のように思います。

「えびツリーバーガー(5段)」 (2012年11月02日)

海老カツは好物です。でも、ずっと昔からこの会社のエビバーガーだけはお腹が痛くなるので、めったに食べることはありませんでした(他の商品や他の会社のなら大丈夫なのですが)。

ちょうどいい機会なので、現在でも自分のお腹に合わないのか確かめてみることにしました。注文してみると、宣伝写真とほとんど同じものが出てきました。5段を解体し、1枚をエビバーガーとしてイートインし残りの4枚をテイクアウェイです。実際に食べてみると、海老はぷりぷりしていて美味しいです。海老そのものに問題があるとは思えません。おそらくは揚げ油か海老パテとの相性が悪いのだろうと思います。もしかしたらメンタル的なものかも知れません(最初にお腹を壊したときの思い出の影響か?)。

夕食に海老パテを加工して食べようと思います。まずは、湯通しして油を落として試す予定です。

…でも既に、おなかが微妙に痛いです。悪い油を摂ったときの痛みとは少し違うように思います。

スクランブル (2012年10月31日)

今日の移動コースは「相模原→大田区→渋谷(東)→台東区→秋葉原→渋谷(西)→町田→相模原」でした。トリック・オア・トリートのはずが、お菓子を配り歩いたハロウィンでした。

渋谷駅東口から徒歩数分のビルの地下に「かつ吉」というトンカツ屋さんがあります。十数年前に隣のビルで勤務していた頃とそれとは別の近所のビルで勤務していた頃によく利用していました。ランチは抜群のコスパを誇ってます。今日はちょっと贅沢して、300g豚テキ定食(限定10食)にしました。焼き上がるまで20分以上が掛かるので、当時の昼休みにこのシリーズを注文するのは非常にリスキーだったことをよく覚えてます。ご飯と赤出汁のお代わりサービスがあったのですが、話を聞くとそれも今日で終了とのこと。ちょっと残念です。

夕方は東急ハンズ渋谷店でお買い物。そのついでにJR渋谷駅前のスクランブル交差点でハロウィンしてきました。装備は「パンプキンマスク、サーコート(黒)、革ベルト、マント(黒)、FXライトセーバー(赤)、大鎌」で、ジャック・オー・ランターンを洒落てみました。かぼちゃマスクとライトセイバーとがマッチしていたせいか、少なくとも50人以上に「写真を撮らせて下さい」と声を掛けられました。いまごろどっかのブログに掲載されてることでしょう(笑)

評価しやすいラーメン (2012年10月29日)

最も好きなラーメンの味は「あっさりした鶏塩」で、最も嫌いなラーメンの味も「あっさりした鶏塩」です。シンプルな味のラーメンは、麺やスープの特性が際立ちやすいので、自分の好みに合うか否かの評価が明確になります。複雑なスープは確かに美味しいのですが、微妙に評価しずらいです。

地震予報の比較対象 (2012年10月26日)

地震予報は天気予報ではなく落雷予報と比較するのが適切だと思います。「特定の地域で1日以内に地震が発生する確率」を求めるのは「特定のビルに1時間以内に落雷する確率」を求めるぐらい難しいことです。それでも、大震災の被害は甚大なので今後も調査研究をすすめていくべきだと思います。

検問の禁止と運輸の秘密 (2012年10月25日)

自動車が開発された当初に免許制度があるはずもありません。wikipediaによれば、日本やヨーロッパではほぼ完全に制度化されたのは1910年頃です。しかし、同時期のアメリカでは東部12州と特別区で制度化されてただけでした。自動車が発売されてから免許が完全に制度化されるまでには相当な期間を要したわけです。

想像するに、当時の自動車会社や道路建設会社や燃料会社は免許制度の導入に反対してたのではないでしょうか。誰でも自由に自動車を買って乗ることができればそれだけ需要が見込めるからです。恐らくは「事故や犯罪は個人の責任である」と主張していたことでしょう。もしかしたら、「検問は、これをしてはならない。運輸の秘密は、これを侵してはならない」と憲法で定めるよう工作していたかも知れません(笑)

せっかくなので、そんな国家を「もしもボックス」で想像してみました。ある架空の国家は、憲法21条2項で「検問は、これをしてはならない。運輸の秘密は、これを侵してはならない」と定めているとします。

その国では、道路が繋がっている限り誰がいつどこへ行くのも自由です。車内は完全なプライベート空間であり、不倫相手を助手席に乗せていても誰にも知られることはありません。運転者が誰であるか秘匿されるので、ちょっと運転を覚えたばかりの小中学生でも公道を自由に利用できます。運転を禁止することができないので、ほとんどの学校で基本的な運転マナーだけは教えています。陸路を使った密輸で誰もが簡単に利益を得られるでしょう。車を使った誘拐や猥褻は頻発するでしょう。交通産業は莫大な利権を貪り更に発展し続けます。ナンバープレートの隠蔽や偽装に対する罰則もなく、犯罪捜査は困難を極め、交通犯罪における誤認逮捕や誣告や冤罪も発生しています。陸続きの隣国には税関があるので、軍事的経済的に不利益を被っています。

それでも、誰もが「検問の禁止と運輸の秘密は憲法で定められた絶対不可侵のものだ。自由は素晴らしい」と盲信しています。犯罪捜査の為の検問の導入には「運輸の自由の侵害だ。不倫相手を助手席に乗せていただけで…」と大反対の声があがるでしょう。所有や運転の実名制度にすら「犯罪を完全に防げるわけではない。やろうと思えばいくらでも偽装できる」として反対するでしょう。

かなり極端な例を想像してみましたが、とても愚かしい社会です。その国の主権者たちは「なぜ検問が禁止されているのか?」「運輸の秘密は本当に絶対不可侵とすべきものだったのか?」「免許制や実名制にしたらどれだけ事故や犯罪を予防できるのか?」など改めて考えなおすべきでしょう。同時に私たちは「免許制や実名制によってどれだけ事故や犯罪を予防できてるのか?」を考えるのが良いと思います。

ちなみに、日本国憲法21条2項では「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定められています。いろいろ対比させて考えてみると、けっこう興味深いです。「どの程度の規制が望ましいかをどのように考えるべきか?」のヒントになると思います。

「事務局への要望」に書いてきた (2012年10月16日)

mixiトップページ(PC版)が全て表示されるまでのタイムラグが微妙なストレスになってます。マイミク少ない初心者にとって使いやすいことは認めるので、データ量が軽い「ヘビーユーザー用トップページ」を併設して欲しいです。テキスト版だとすごくありがたいです。

カタンコトン♪カタンコトン♪ (2012年10月15日)

ときどき高崎(八高線経由)や岩本町(京王線+新宿線)や小田原まで往復します。往路はそうでもないのですが帰路はとにかく眠いです。この眠さを何かに利用できないものか。

そこで、振動機能とジョイント音(カタンコトン)がついた「居眠り専用ボックスシート」の商品化です。車窓ディスプレイと車窓DVD(車内放送音声あり)があればなおいいです。シリーズで「ブルトレA寝台」も商品化して欲しいです。廉価版として「ジョイント音&振動機能付きベッド脚」もあり。

スポチャンとボドゲな日曜日 (2012年10月14日)

今日は橋本駅前の公民館で遊んでました。午前中は大会議室で『スポーツチャンバラ』(主催・SYAC)にお邪魔し、午後は中会議室でボードゲーム(主催・盤ガード)に興じてました。

スポーツチャンバラ@大会議室

『スポーツチャンバラ』は、チャンバラごっこをベースにしたスポーツ種目です。自分の得物を相手の身体や衣服に“当てる”ことで得点します。得物はエアチューブと緩衝材を用いた安全性の高いもので、形状としては小太刀や長剣や短刀や棒や槍や盾などがあります。短時間で勝敗が決まることが多く、プレイ感は『剣道』や『なぎなた』よりも『フェンシング』に似ています。

基本となるエアーソフト小太刀(全長60cm/重量210g)は非常に軽いので、重量や重心をあまり気にせず自由な軌道で素早く攻撃できます。いわゆる手打ちで構いません。得物を使った攻防はあまり重視されず、間合いをとりながら互いの隙を狙いあう戦い方が主流です。いつかライトセーバーが実用化されたらこんな戦い方になるでしょう(なお、ジェダイやシスが殺陣のように戦うのはフォースで互いに先読みしてるから…だそうです)。

基本はチャンバラなのでけっこう面白いです。自作した武具を用いた本来のチャンバラごっこを『スポチャン』のルールで遊ぶのも面白いだろうと思います(安全の為にゴーグルの着用を推奨します)。

スポチャンの参加者は10人ぐらい(スタッフ含む)でした。

『スポチャン』はずっと昔に1回だけプレイしたことがあります。今日はエアソフト長剣(赤)2本を持参しましたが、講師の方が各種あわせて二十本ほど用意なされてたので持ち込む必要はなかったみたいです。でも、いずれも酷使されているせいか、どことなく鞭のようにふにゃっとしてました。剛体の感覚で振ると違和感を覚えます。

多少は剣術に心得があるので、ガチでやればそう簡単に負けることはありません。でも今日は競技会ではなく体験会です。みんなが愉しめるように気軽にプレイしてました。講師の方から一本を取れましたが幼児(兄)に一本を取られたので「仕事は果たした」な気分です(笑)

競技規則を読んで思いついた「デコピンで抜き打ち」なども試してみましたが、早さと速さの点でなかなか効果的だったように思います(ちなみに、真剣を用いた抜き打ちの技術とは別物です)。回避の為にはスピードスケートや新体操に用いる全身タイツが望ましいのでしょうが、さすがにそこまでやるつもりはありません。

エアーソフト長剣やスポチャン本は自宅に保管していてもほとんど使う機会がないだろうので、SYACのみなさまに押し付け…差し上げてきました。スポチャンだけでなくいろんなアクションで使えると思います。

マイミクさんとリアルで初対面することもできました。有意義な午前中だったと思います。本当にありがとうございました。

SYACでは他にもいろいろ企画しているそうです。10月28日(日)に「ハロウィンパーティ」を、11月11日(日)に「逃走中」を催すとのこと。スケジュールの都合が合えば、またお邪魔したいと思ってます。

ボードゲーム@中会議室

最近は月3回のペースでボードゲーム会を主催してますが、さすがに週末をボードゲームばかりに費やすわけにもいかないので、スタッフや常連のみなさんに少しずつ運営業務を押し付け…お願いしています。理想は「私がいなくても大丈夫な状態」なのですが、もともとベテランさんが多いのであっさり実現できそうです。

今日の参加者は10人ぐらいでした。開催時間がいつもよりずっと短いとはいえ、いつもの半分ぐらいです。今日は何かあったっけ?

私がプレイしたゲームは以下の通りです。

夕方は17時に解散しました。アフターはガスト橋本駅店でのんびりおしゃべり。昼食を食べ忘れてたこともあり、きのこ雑炊とバニラカフェがいつもより美味しかったです。

次回のボードゲーム会は21日(日)@相模原市民会館です。会員制じゃないので誰でも参加できます。初心者にはレクチャーなどいたします。

人は神からジャッジを委ねられてます (2012年10月08日)

ある出来事について異常の発生確率が0.1%であるとします。新しく開発された検査方法は、異常を確率99%で発見できますが、正常なものを異常だと確率1%で誤判定してしまうとします。

一見すると、99%は非常に高い確率であるように見えます。しかし実際には99%は非常に低い確率であると見なされることもあります。例えばサンプル10万件を検査したとすると、異常100件のうち99件を発見できますが、正常99900件のうち999件を異常と判定してしまいます。つまり異常を判定された1098件のうち本当に異常なのは99件ということです。

この検査が有益か否かは「異常99件を発見できるメリット」と「正常999件を誤判定してしまうデメリット」と合わせて総合的に考えなければなりません。

この構図を持つ事例としては「冤罪問題」があります。例えば被告人の1割が無実であったとして、誤審率が1割だったとしましょう。サンプル100件があれば「犯行者90人のうち81人が有罪とされ9人が見逃され、無実10人のうち9人の無実が認められ1人が冤罪となる」となります。裁判制度そのものの是非を党ならば「犯行者90人のうち90人が見逃され、無実10人のうち10人の無実が認められる」と比較して考えなければなりません。

私の価値観では、「犯行者90人のうち81人が有罪となる」の社会的メリットは「1人が冤罪となる」に比べてあまりに多大であるので、社会全体としては裁判制度は「是」と考えます。

他の事例としては「深刻な先天性異常の検査」があります。諸々の確率が序文の通りだとすると「正常な胎児999人と異常を持つ胎児99人を堕ろすこと」と「正常な胎児999人と異常を持つ胎児99人を産むこと」とを比較しなければなりません。

私の価値観では、この検査の導入は「是」と考えます。「当人や家族の負担」も理由の一つですが、最も大きな理由は「もしその1098人(異常99人+正常999人)が生まれたら、いつか生まれてたかも知れない1098人が存在しえないかもしれないから」です。< そうだなぁ、こう考えれば分かりやすいかな。もし貴方に兄か姉が生まれてたら貴方は生まれていなかったかも知れませんし、貴方が生まれたから貴方の弟か妹は生まれていないのかも知れません。

この日記の主題からは外れますが…。願わくば、生まれてきた全ての人が自分が生きる意味を自分で決められることを。

萌えるゴミとしてのフィギュア (2012年10月02日)

人形の制作は、人類の普遍的かつ伝統的な文化活動の一つです。日本においても「人形には魂が宿る」とされており、人形を無碍に扱うことはタブーとされてます。

さて、オタク向けなフィギュアモデルもまた人形の一種であり、ゴミとして処分することに文化的な抵抗を抱く人が多いです。オタクグッズとしては値段がやや高めであることもあり、押し入れに保管されるか転売されることが多いように思います。

そのような状況の中で新作が生産され続けているので、世の中の在庫はどんどん増えていく計算になります。

先日に何軒かのオタク向けリサイクルショップに寄りました。欲しいのは高橋留美子作品関連の上物だけです。しかし残念なことに、いくら予算があろうとも在庫が1体もなければどうしょうもありません(苦笑)

でも、世の中のあちこちの押し入れにたくさんのラムちゃんフィギュアが保管されているはずだと思ってます。

人形と云えば…

エロティックホラーな球体関節人形は好きですが、アレは所有したくないなぁ。写真集や展覧会だけで十分です(苦笑)

台風の右側 (2012年09月30日)

台風の右側が強風になるのは、台風本体の移動速度がベースになるからです。台風の移動速度が36km/hだと、風速は右側が10m/s増になり左側が10m/s減になります。けっこう違うでしょ?

家電リサイクル法 (2012年09月29日)

テレビを買い換えました。旧テレビ処分費は6000円ほど掛かります。不法投棄が絶えないのも当然でしょう。社会全体の効率化の為に預託金制が望ましいと思ってます。

質が量に対抗し得る為には (2012年09月28日)

かつて東郷元帥は「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」(『連合艦隊解散の辞』より)と言いました。有名な台詞なのですが、この台詞の前後を知らない人たちはしばしば「兵器の質(技術や練度や整備などを含む)で量に対抗できる」かのように誤解しています。

例えば、A軍が「命中率100%の砲が1門」で、B軍が「命中率1%の砲が100門」としましょう。命中率以外の性能は互角であり、双方とも十分に補給を受けられると仮定します。

これらの確率を見ればすぐに分かるように、戦略や戦術や情報戦によって各個撃破できる状況に持ち込むことができなければ、兵器の質だけで量に対抗するのはまず不可能です。

もともとの文章は「而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」です。「之を活用する無形の実力にあり」は兵器の質だけを意味するのではありません。そして、「形而上に求めざるべからず」は精神論を戒めるものです。

自衛隊の兵器の質が周辺諸国に勝るからと言って、決して侮ってはなりません。質の比は縮まりつつあります。情報戦で優位にあるようにも思えません。そして致命的なことに、専守防衛の制約の中では有利な状況で戦端を開くことなど無理というものです。我々は「モビルスーツの性能の差が戦力の決定的差でないことを教えてやる」と言われる側にあるのです。

世界は興味深いことでいっぱいです (2012年09月27日)

諸外国を見聞する主な目的は、諸外国の多様な文化や価値観を知ることです。ネットの普及した今日では、たとえ一見はできなくとも百聞はできるようになりました。私たちが十分に賢明であるならば一を聞いて十を知ることもできましょう。世界は興味深いことでいっぱいです。

自民党の総裁選 (2012年09月26日)

当選の見込みは皆無だったけど、林芳正さんが“面白そう”でした。リスキーな状況(not戦時but平時)においてはバランス感覚に優れた人物が望ましいと考えてます。まあ、若いからいつか機会もあるでしょう。

無限連鎖請に勧誘すべからず (2012年09月25日)

ネズミ請やマルチ商法などの無限連鎖請は原理的にいつか必ず破綻するので、将来に必ず被害者が発生します。小額あるいは適価であり続けるならば社会的に許容されるかも知れませんが、その保証はどこにもありません。配当を得られない状態や勧誘によるトラブルや魔女化は予防すべきものと考えます。特に、友人を失うリスクはあまりに多大でしょう。< もっとも、勧誘において親切であっても請に参加する意思や資金がないと分かればすぐに去っていくような振る舞いは、そもそも友人と呼べないだろうけどさ。< まあ、末端の被害者たちは無限連鎖請の仕組みをよく知らずに契約して切羽詰まっているんだろうとは想像できるけどね。

私の行動原理の一つが「前世代から受け継いだこの社会をよりマシにして次世代に引き渡す」ですので、未来に被害を及ぼす無限連鎖請を私は強く批判します。たとえ違法とされてないものであってもいつか破綻して被害者が発生する仕組みであれば、それは私の批判の対象です。

帯に短し、待つ身に長し (2012年09月24日)

ときどき時間の流れが狂ったような感覚を抱くことがあります。愉快な時間はあっという間に過ぎますが、退屈な時間はなかなか過ぎてくれません。その逆に、数十秒ほど思考し-ていたつもりが、実際には数秒しか経っていないこともあります。

30周年 (2012年09月18日)

今日は何の日かと問われたら「最初のイベント(うる星やつらファンの集い)から30周年の日」と答えます。私の人生の分岐点の一つです。記憶&記録を参照するに、昨今のアニメイベントとはずいぶん違うものでした。

尖閣問題と反日デモ (2012年09月18日)

思ったこといくつか徒然と。

尖閣の国有化

事態の推移の速さと地権者が手を返す早さから推察するに、東京都が購入する話は壮大な陽動だった可能性も否定できません。結果を見れば、個人所有よりはマシな状態になるので(少なくとも国有化問題はもう発生しなくなるので)それほど悪くないと思います。

反日デモの構図

中国の人民の立場で考えれば、日本政府に対する不満よりも中国政府に対する不満の方がずっと大きいと推定できます。しかしながら、反日デモは許容されているにもかかわらず、反政府デモは禁止されております。

中国政府としては、日本に対するカードとして国内の反日デモを利用したいが、その矛先がいつ政府に向けられるか分からないのでできるだけ整然としたデモにしたいでしょう。暴動に発展すれば政府の面子も潰れます。一方で反政府勢力(上海閥など)としては、自分達の勢力を有利にする為に反日デモを反政府デモに転化させたいでしょう。つまり、政府側も反政府側も反日デモを望んでおりますが、前者はエスカレートを望まず、後者はエスカレートを望んでいるという構図になります。

この構図を踏まえれば、いろいろなことが説明できると思います。

エスカレートを望まない政府たち

中国政府としては、日本に対して強い態度を示さねばなりませんが、まだ十分な海軍力が整備されていないこの時期に制御不能な衝突は避けたいでしょう。

18日の時点で尖閣周辺の接続海域に中国の漁業監視船10隻ほどが来てるみたいですが、領有権のアピールの為に領海侵犯しつつ、上海から出発したとされる1000隻の漁船(実際にはずっと少ないでしょうが)を護衛すると同時に漁船を尖閣諸島に上陸させないよう制御するような行動を採るだろうと見ています。

日本政府としてもエスカレートは避けたいところでしょう。

しかしながら、1997年の小渕書簡(この海域では中国の漁業行為を取り締まれない)があるので、相手の抗議活動が漁船を用いてる限り海上保安庁による海上での取り締まりには制約があります。< だから中国は漁船を用いているわけで…

もちろん上陸の試みは漁業行為ではないので、漁船が上陸しようとしたらようやく取り締まることができます。しかしながら、海上保安庁の巡視船だけでは十数隻程度の飽和上陸にさえ対処しきれません。やむをえずではありますが、一時的に警察力を尖閣諸島に配備するのが良いと思います(もちろん中国側は「一時的」だなんて信用も報道もしないでしょうが)。上陸阻止失敗によるエスカレートより警察力配備によるエスカレートの方が日本にとってよりマシだと考えます。

また、エスカレートを防ぐ為に、尖閣周辺に海上自衛隊の哨戒機を飛ばしておくのが良いと思います。しかし、尖閣海域に護衛艦を配備するのは時期尚早と思います。相手が非武装船で挑発しているのはこちらに軍事的手段を先に取らせる策略であろうからです。ついでに言えば、漁船の体当たりで高価な護衛艦が損傷するのはあまりに効率が悪すぎます。

日中平和友好条約

中国はサンフランシスコ平和条約に調印していないので、これに縛られないという主張は正しいです。でも、日中平和友好条約には縛られます。日中平和友好条約では、主権や領土の相互尊重が記述されてます。

尖閣に港を建設する是非

尖閣諸島に港を建設するのは条件付きで反対です。簡単に言えば、悪天候からの避難を名目にされたら中国漁船の強行上陸を阻止できないからです。港に十分な管理要員を配置するのでなければデメリットの方が大きいと思います。

尖閣問題の将来に備えて

中国海警の漁業監視船のいくつかは、軍艦仕様で建造されてるか、海軍からの払い下げが用いられてます(ただし、今のところ尖閣周辺に来てるのは中国海監や中国海政の非武装漁業監視船です)。

日本でも海上自衛隊からの払い下げをストックしておけばいいのですが、海上自衛隊は護衛艦の隻数上限が定まっているが故にハイコストハイスペック艦ばかりで払い下げできるようなローコストロースペック艦がありません(維持コストだけでも海上保安庁の予算を食いつぶします)。護衛艦より下のクラスである警備艇は、はやぶさ級のような特殊なものしかありません。

現実的な計画としては、海上保安庁の船を強化するのが良いと思います。しきしま級の「あきつしま」のような船を急いで増やしていくべきだと思います。もちろん補給など兵站の拡充も必要です。

日本では海上自衛隊と海上保安庁とは明らかに分かれてますが、多くの国では沿岸警備隊は軍の一部であることを忘れないで下さい。

中国人について

中国は巨大な国家です。反日の人達もいれば親日の人達もいます(そして中国人の多くは日中間の問題に無関心です)。全てを混同して反日ばかりだと思い込んではいけません。親日の人達にまで迷惑を及ぼすのは、日本人として恥ずべきことだと考えます。何が良くて何が悪いのかしっかり見極めることが大事だと思います。

そのあたりについては、月初めの日記「ゴキブリと人間との違い」も参照のこと。

そして同時に、相手がしっかり見極めずに日本人を攻撃してくる可能性も失念しないで欲しいです。反日の人ばかりでないということはつまり反日の人もいるということです。日本人に対する差別的な無差別攻撃は相手にとっては恥ずべきことではなく愛国者として誇り高いことかも知れません。

ボードゲームで遊んで来ました (2012年09月17日)

この連休は橋本でボードゲームを遊んで来ました。

今回は「主催者の仕事」という制約がなかったので、存分に遊べました。スタッフのみなさんありがとう。

私がプレイしたゲームは以下の通りです。

頭を使うのは愉しいです。うん、充実♪充実♪

ジャンケン法第9条 (2012年09月14日)

ジャンケンにおいて一方だけがルールで「チョキを出してはいけない」と制約されてるとします(現実的には、相手方も「グーを出さない」という制約を自己に課すことになります)。1回勝負でなければ、当面は双方がパーを出し続ける展開になりやすいです。

このルールのもとで、前者が勝利するのは非常に難しいです。前者が勝利するためには、双方がパーを出し続ける中で、いざ後者がチョキを出した瞬間にグーを合わせなければなりません。これを実現するためには、相手がチョキを出すように仕向ける工作か、相手の情報を事前に入手する諜報が必要です。

また、この条件のもとでずっと負けないようにするのも難しいです。後者にはいつでもチョキを出すという誘因があるのです。引き分けを継続させる為には、こちらが事前に情報を入手できてることを相手に認識させ続けなければなりません。

このように、「チョキを出してはいけない」という一方的な制約は、一時的にパー同士の引き分けになりやすいですが、十分な工作力か情報力がなければいつか確実に負けます。

心の防疫…鬱や毒に感化されない人 (2012年09月13日)

「なぜ相手は鬱や毒を吐くのか」や「人はなぜ鬱や毒に感化を受けるのか」を理解(not共感)できれば、鬱や毒による感化は受けにくくなります(これは感情を捨てるという意味ではありません)。高度な思考力は、どのように共存したらいいかもどのように敬遠したらいいかも考えることができます。

経験や思い出の値段 (2012年09月13日)

先日に横浜で「スープがけ海鮮チャーハン」を食べました。値段もそれなりでしたが、とても美味しかったです。過去に食べたチャーハンのベスト5に入れていいと思いました。

そこでふと考えました。もし今までに食べたどのチャーハンよりも美味しいチャーハンが食べられるとしたら、人はいったいいくらまで出すだろうかと。言い換えれば、チャーハンの値段ではなく経験や思い出の値段はいったいいくらなのだろうかと。

現実的にはその人の収入や資産によるでしょうが、もし一生の記憶に残るようなチャーハンであれば、おそらく一般的なチャーハンの数倍ないし十倍ぐらいまで出すんじゃないかと思います。

そんなわけで、海原さんでも山岡さんでもいいので「来週またここに来て下さい。本物のチャーハンがどんなものか教えてあげましょう」な展開を希望♪

キミの友人より (2012年09月12日)

本当に困ってるとき悩んでるとき辛いときにはちゃんと「助けて」と言え。バカもの。一言だけでもいい。「助けて」「ごめん」「ありがと」だけでもキミの友人は分かってくれるよ。そして、誰もそのひとことを禁じてなんかいない。

事情は推察できるしもっと酷い状況も想像できてる。 はっきり言うけど、私は責任追及には興味ない。大事なのはこれからどうすべきかです。どんな最悪な現状からでも最善を尽くすことができます。

返信は5年間ぐらいまで待ちます。そのくらいは信じてくれ。

今月の横浜買い出し紀行 (2012年09月09日)

元町中華街→聘珍樓→トリックアート→青龍堂→おみやげ→赤レンガ倉庫→chanoma→シーバス→横浜駅

衰退する社会に備えて (2012年09月09日)

一般に人間のメンタリティは、貧困に耐えるのは易しいが貧困化に耐えるのは難しいです。

経済は発展もすれば衰退もします。過去の歴史では、衰退による貧困化はまだ民衆が耐えきれる範囲にありました(徳政令ですらたいした範囲ではありませんでした)。しかし現代では、経済を衰退させない為にあちこちにツケを回し続けています。だから、このゲームが破綻するときの貧困化は民衆が耐えきれないほどのものになるでしょう。

ハードランディングな政策は現世代の圧倒的な反対にあいます。そして、ソフトランディングを目指すべく緩やかな衰退を目指す政策はツケを回す余裕ができてしまうので、すぐに失敗してしまいます。

どんなに経済が衰退あるいは破綻しようとも、第一次産業とそれに密接した産業は食べていけるはずです。なぜならば、食糧や資源の価格がどうなろうとも食糧や資源の価値はあまり変わらないからです。< 余談ながら、私はTPP反対派です。

また、その食べていける人々を対象とした医療や宗教や風俗や政治や軍事や流通や教育や犯罪も食べていけるだろうと思います。

幸いにも日本はまだ個人資産が膨大ですので、生活に必要な産業に従事できた人達の多くも食べていけると思います。

もともと資産がある人は、衰退した時代の間ずっと食いつなげるかも知れません。

最初の一葉(The first Leaf) (2012年09月07日)

市役所通りの桜並木を歩いてたら、目の前を一枚の葉が舞い降りてきました。側道を見ると枯葉が数えられるほど落ちてます。もうすぐ秋です。

自分を人質にした脅迫 (2012年09月06日)

「迷惑ならマイミク切って下さい」も「迷惑を掛けてごめん。mixi辞めるね」も自分を人質にして相手からの「迷惑なんてことないよ」を引き出そうとしている点で同様です。「そんなことないよ」って言わないと良心の呵責を覚えることになります(前者の場合なら逆恨みも面倒です)。経験則で言えば、この善意の脅迫はmixiだけで繋がっている関係においてしばしば見られます。前者はマイミク切られるまで同じように繰り返しますし、後者はmixi辞めるまで同じように繰り返します。

問題は、「そんなことないよ」と流せないほど迷惑が掛かってる場合です。

前者は「自分が正しいから」と思っているので、「これについては迷惑ではないが、これについては迷惑だと思う」とだけ返信して、マイミク切るかどうかを相手に判断させればいいです。そうすれば逆恨みを買うことも避けられます。

後者は「自分が悪いから」と思っているので、「これについては迷惑だけど、これについては迷惑でないと思う」と返信するだけでなく「mixi辞めることないよ」と説得し、mixi辞めるかどうかを相手に判断させないようにしないとなりません。いっそのこと自分を人質にして「あなたがmixi辞めることの方がずっと迷惑だよ。私たちを悲しませないでね?」と脅迫しかえすのも一案です。

些細なことで自分を人質にとらないで欲しいです。人間関係はそんな安っぽいものじゃありません。自分を人質にとらなくても、(少なくとも私は)ちゃんと是々非々で判断しています。

ゴキブリと人間との違い (2012年09月04日)

現代人は「人間関係において許容範囲を超えるトラブルの予防あるいは解決の為にまずは交渉で利害を調整する」と暗黙の了解であるいは明示的に合意しています。その利害調整の前提として、物事は是々非々で判断しなければなりません。頭ごなしに相手の存在意義を全否定すべきではありません(なお、乳幼児や障碍者など社会的弱者の大多数は十分に共存可能な許容範囲内にあると考えられてます)。

一方で、生まれたばかりのゴキブリはまだ人間に迷惑を掛けてないにもかかわらず駆除対象となります。なぜならば、「ゴキブリとは共存も住み分けも交渉もできない」と人間は考えているからです。

このロジックで言えば、人間関係において許容範囲を超えるトラブルが現に存在し、その利害調整の為の交渉を拒絶したならば、ゴキブリのように排除ないし駆除されることにもなりえます。力関係によっては互いに駆除しあうことになりましょう。頭ごなしに相手の存在意義を全否定して現に相手に迷惑をかけている人は、自分が駆除される側になることを覚悟しておいたほうがいいと思います。

ドラえもん完成まであと100年 (2012年09月03日)

ドラえもんのスペックには1293という数字が多用されてます。そして、ドラえもんの製造年月日もやはり2112年9月3日とされてます。ちょうど100年後の今日にあたります。

私が初めて『ドラえもん』を読んだのは小学2年生の頃だと記憶しています。蓄電スーツや味の素の元や転ばし屋やガラス玉のエピソードを憶えてます。その頃と比べて科学技術はずいぶんと進歩しました。これから100年が経てばもっともっと進歩しているだろうと思います。

残念ですが、私が生存している間にドラえもん相当品が完成するとは思えません。でも、私たちの子孫がいつかきっと完成させるだろうと思ってます。だから、未来の礎となるべく私たちは科学技術や文化を発展させ、それらを次世代に引き渡すことが必要だと思ってます。

「生かさず殺さず一緒に遊ぶ」の是非 (2012年09月02日)

ボードゲーム『モノポリー』で「生かさず殺さずな状態」を強いられた経験を持つ人は少なくないだろうと想像します。もしもそれが「仲間はずれ(ゲームから早々に抜ける人)を作らない」という意図のもとで行われたのであれば実にパラドキシカルです。

さて、ボードゲームを競技の為ではなく遊戯や交流の為に用いるにおいて「勝ち目がない状態で延延と作業的なプレイを強いられる状態」はあまり望ましくありません。これが技量不足で勝ち目が無くなったのであればまだ諦めも付くでしょうが、不適切なハンディや序盤の不運だけで勝ち目がなくなったのであれば目も当てられません。もう二度とそのゲームをやりたいと思わないでしょう。

かと言って、シミュレーション性の高い長時間ゲームでさっさと降伏してしまうと(コンピューターゲームでさっさとリセット掛けるようなもんです)、勝った側があまり楽しめてないことがあります。また、3人以上用のゲームではたいてい勝者が確定するまで抜けることが許されません。そして、キングメーカーとなってさっさと誰かを勝たせてしまうと、勝利できなかったプレイヤーたちから恨まれます。

このように考えると、遊戯や交流の為に適したゲームとは「短時間で何度も楽しめる」か「ハンディが適切に設定でき、序盤は運の要素が少ない」か「終盤に逆転のチャンスを感じられる」のいずれかであるべきと思います。

防災の日 (2012年09月01日)

毎年の4月1日と9月1日は防災用品(緊急持出用と避難生活用)の更新日としています。近所のドラッグストアでいろいろ補充し、保存食や乾電池や衣類などを入れ替えました。

実際のところ、これらの防災用品が必要になるシチュエーションは限られてます。私が住んでいるエリアは、予想される大震災であろうとも震度7以上になりそうにないし、ましてや津波や洪水で被害にあうとも思えません。いろいろ想定するに、緊急避難が必要な場合(火災や強盗や空襲など)、緊急ではないが避難が必要な場合(放射能汚染や富士山噴火など)、そして、避難は不要だか生活に支障が出る場合(物資不足や停電や断水など)に分けて備えておくのがいいと思ってます。

一日一日を大切にする (2012年08月30日)

駅前で1時間ほど時間調整しなければならなくなったので、久しぶりに氷川神社に参拝してきました。地元では有名な神社で、お祭りの時期や年末年始にはけっこう混雑します。しかし、平日昼に参拝客がいるはずもなく、のんびりできました。

小さな稲荷神社が併設されており、赤い鳥居のトンネルがあります。このトンネルにどのような意味があるのか知らなかったので詳しい人達に聞いてみると、「願いが叶った人が鳥居を奉納する習慣があった」とのことらしいです。

稲荷神社にはたいてい左右にキツネが鎮座してます。彼らが持っているのは宝珠と巻物とばかり思ってましたが、ここの神社では子狐を撫でてます。ちょっと珍しいように思いました。

何かを考えることは愉しいです。たとえ「2012年8月30日に何があったか?」は憶えていられなくとも、「子狐を抱く稲荷狐がいることを知った夏の日」はずっと憶えていられるだろうからね。「一日一日を大切にする」というのはそういうことだと思ってます。

セーフティネットのランディング (2012年08月23日)

社会問題を適切に考える為には、現代社会の感覚では倫理に反するような状態についても考えないとなりません。

状態Aから状態Bに遷移する場合は、状態Aで救済されなかった人々だけがセーフティネットによってフォローされます。だから、セーフティネットの負担が軽いだけでなく、社会全体での犠牲者の数は非常に少ないものとなります(制度を導入した世代は二重の利益を受けます)。だから、状態Aにある人々は状態Bへの変化を望みます。

しかし、状態Bから状態Aに遷移する場合は悲劇的です(制度を廃止する世代が二重に負担を強いられます)。だから、どの世代も状態Bから状態Aに戻そうとはしません。

つまり、いったん状態Aから状態Bにしたらもはやセーフティネットが破綻しない限りハードランディングは不可能です。そして、ある世代がソフトランディングを目指して積み立てを初めても、その積み立ての分が利益になるので次の世代は安易に状態Bに戻したがります。ハードランディングもソフトランディングもできないので、社会が非常に豊かであり続けない限りいつか破綻して墜落します。

構図としては「年金」も同様です。もしかしたら中近代に社会が導入した「人権」も同じ問題を抱えているかも知れません。< 奴隷解放問題で例えれば、解放されるのは奴隷たちだけでなく、支配者たちも扶養責務から即座に解放されます(この点は親族の相互扶養と大きく異なります)。解放された奴隷たちはその日から自力で生きていかねばなりません。社会が非常に豊かであるならば(つまり十分な雇用というセーフティネットが機能しているのであれば)それでいいのですが…

日記にするまでもない徒然など (2012年08月22日)

相変わらずバカバカしいことも考えてます。ここ数日では「冷蔵庫の冷却効率が最大になるような定位置の算定」とか「鳩に奪われぬよう雀にだけエサを与える方法」とか「ラジオ体操を憶えてますか」とか「マーマレードを最も早く消費するメニュー」とか「片手でトイレットペーパーを切る方法」とか「私を師匠と呼ぶ人はどれだけいるんだろう」とか「伐採すべき公有林のありかた」とか「白衣の悪魔」とか「お風呂で髪や体を洗うときに用いるお湯の量が最小になるようなアルゴリズム」とか「カレーパウダーの配合比率」とか「男尊女卑と女性を庇護する責務」とか「トイレを言葉通りの個室として使うこと」とか「泣き虫はヒマワリに笑われる」とか「中国は共産党は嫌いだが人は好き」とか「抹茶アイスばんざい」とか「橋本駅周辺で50人を収納できる会議室はないか」とか「特保コーラが販売中止になるみたい」とか「サンダルの底の減り方と歩き方」とか「正妻と妾がレズ関係の場合の安定性」とか「流しソーメン食べたい」とか「硬くなった革籠手の調整方法」とか「発掘された10年前の男性用香水の有効利用」とか「どこにどれだけ核を落とせば世界が平和になるのか」とか「意味はなくてもたまには完璧な耳掃除」とか「ドラえもん100の中で最も好きなエピソード」とか「1日にビートル3台を見ると幸せになれた時代」とか「最終日までやらない夏休みの宿題の意義」とか「アックスは近接武器に向かない」とか「18切符で山梨の温泉にでも行きたいな」とか「小学生向けの少年マンガ雑誌のありかた」とか「調布のマルタカ食堂ってまだあるかな」とか「性産業が密集する仕組み」とか「甚平や作務衣を通勤する為のカバン」とか「無料期間が終了した後のドラクエXがどうなるか」とか「パンク修理の必修化で自転車ドロは減るか」とか「現代日本で対人戦限定なら剣術より柔術」とか「性的魅力はやはり下乳が最高か」とか「あまり辛くなくてたくさん汗をかく食べものは」とか「ギザ10を見掛けなくなってどれだけ経ったっけ」とか「C++の癖が抜けてない件」とか「ガリ版印刷のコストは1枚あたり何円?」とか。

ここ最近の竹島問題 (2012年08月15日)

竹島問題について私の認識は「サンフランシスコ条約で日本が放棄すべき領域に含まれない」「自衛隊が発足する前に、猟師ら人質にされ竹島は占拠された」「韓国側が主張する根拠は証拠能力に乏しい」「国際法は感情よりも優先する」「韓国は国際法よりも民族感情を優先すべきと考えている」などです。

国際法的に竹島は日本の領土だと言えましょう。しかし、実効支配が長期にわたって継続すると領有権が移転することがあります。そして、毎年ずっと抗議していることが実効支配の否定の要件であり続ける保証はありません(おそらく実効支配100年ぐらいで国際裁判に応じるんじゃないかな?)。

ここ数週間の韓国の暴走っぷりが酷いです。国内向けパフォーマンスの為に外交リスクを踏まねばならない状態と推察されます。具体的には、大統領の竹島上陸、五輪での韓国選手の言動を擁護、「日王は跪いて謝罪しろ」発言、海兵隊の上陸訓練(予定)などです。カルト化した民衆に政治家が迎合せざるを得ない悲劇的状態でありましょう。

特に問題となるのは、韓国が来月に予定している演習名目での海兵隊の上陸(10分程度を予定。延長の可能性あり)です。これまでは非軍事的な占拠でしたが、韓国の海兵隊が竹島に上陸するとなるとこれが軍事占領になります。未然にあるいは即座に防がないとそのまま10分が10年に延長されかねません(未然または即座に防衛しないと国際的に「黙認した」とみなされてしまうからです)。それは、後世に更なる火種を遺すことになります。

だから、今回ばかりは外交的ではなく軍事的に防衛する必要があります。現実的に言えば、可能性は低いものの限定的な局地戦を想定してでも阻止しなければなりません。更なる巨大な火種を未来に押し付けたいなら話は別ですが…

終戦を記念し歴史に学ぶ (2012年08月15日)

国の軍事を語る上で最も重要なことは「国民の生命や自由や経済や文化や尊厳などが、侵略や饑餓や戦火や略奪や搾取などから守られること」です。戦争も非戦もその手段でしかありません。それらの選択肢の維持に必要な物が軍事力です。

さすがに現在では常識でしょうが、非戦を現実的に選択する場合でも軍事力は必要です。

私は「軍備がなければ攻められない」などという意見には否定的です。なぜならば、予防戦争を防ぐ効果よりも侵略戦争を誘発する効果の方がずっと多大だからです。歴史的には、自衛隊が発足する前に竹島が占拠された実例があります(この問題がどれだけ双方を悩ませてきたかは歴史が示す通りです)。

十分に軍備を整えて侵略や言い掛かりのきっかけを完全に排除すべきと考えます。予防戦争については、それこそ十分な軍事力や外交交渉で予防できます。

私たちは主権者として国家に軍事を委ねてます。どの政治家を選択するかを適切に判断する為にも、主権者は十分に歴史や外交や軍事に精通してなければならないと思います。

偏向した情報(偏向報道や偏向教育だけでなく偏向視聴による場合もあり)で戦争や不戦を主張するのではなく、現実的かつ総合的に考えて軍事を運用しなければなりません。その為にも、条約や周辺諸国についてよく知り「何が良くて、何が悪いのか」を適切に評価できるようになるべきです。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではいけません。

私は自分達の世代の不甲斐なさのせいで次世代に苦労を掛けたくありません。

コミケ82の企業出展者用入場券(3日分) (2012年08月08日)

コミケ82の企業出展者用入場券(3日分)が手元にあるので、気が向いたら行こうと思ってます(西4階の企業931「秋葉原:武器屋」あたり)。久しぶりと言うことで、高橋留美子系サークルがどれだけあるか興味あります。

それにしても、コミケ82かあ。最初にスタッフやったのが29(@晴海)だから、あれから二十数年が経ったことになります。イベントの性格もすっかり別物になったような気がしますが、基本的に良い方向に発展していると思ってます。

昔の週刊少年サンデー (2012年08月07日)

書庫と倉庫を整理してたら、大きな封筒に入った少年サンデー(1980年31号)を見つけました。私が『うる星やつら』ファンになったきっかけの「七夕デート」の話が掲載されてるサンデーです。もちろん現物ではなく、社会人になったときに神保町の専門店で買い直したものです。厚みは23mmほどで定価は170円です。

読み返してみると、今のサンデーとは明らかに方向性が違います。垢抜けてない作品ばかりですが、勢いがあって面白いです(懐かしさ補正あり)。次にマンガ喫茶に行ったときにでも、それらの作品を改めて読み返してみようと思います。

橋本七夕祭り (2012年08月04日)

8月3日から5日にかけて橋本駅前の商店街で「橋本七夕祭り(第61回)」が催されてます。所用を済ませた足で、ぐるっと見学してきました。けっこう賑わってました。

タコヤキとかタイヤキとか立ち食いしてたり(笑) < 知り合いに見つからなかったのでセーフ。

手首に蛍光ピンクのカラーテープを巻いている女の子たちがたくさん見掛けました。どうやら「祭コン」の参加者らしいです。願わくば、みんなに良い出会いがあることを。

お互い様

壱萬円札でタコヤキ代を支払ったら、お釣りは千円札と百円玉でした。店「細かくてごめんなさい」。私「いえいえ、こちらこそ大きくてごめんなさい」。

管理人さんしています (2012年08月04日)

mixiの地域コミュの管理人として、ルール違反の投稿を削除したり、違反を繰り返すメンバを解除したり制限したりしています。

あいかわらず多いのが、新規IDによる「SMのパートナー探しを目的としている投稿」です(なぜか一般的な出会い目的の方が少なかったり?)。投稿文は隠語や暗喩でそれとなくボカされてますが、プロフや参加コミュがあからさまなのですぐに分かります。アカウント停止されてもすぐ新しくアカウント作成してきます。

募集を繰り返しているってことは、それなりに応募が期待できるってことでもあり、それが長続きできてないってことでもありましょう。

そういう趣味や嗜好は理解できますが、私が管理する地域コミュであからさまに募集しないで欲しいです(以前にmixi事務局にトピごと削除されたことがあるのでな)。ついでに言えば、募集する男性は「ちゃんと飼い続ける」という責任を負うべきだし、応募する女性も「こいつはダメな飼い主だ」と察するべきかと。

「合理的な豚」モデル (2012年08月04日)

動物のブタは必ずしも強欲とは限りませんが、ゲームにおいてブタはしばしば「強欲(Greed)」の代名詞として用いられることがあります。

ゲーム理論における「合理的な豚」は、強者と弱者とが共存した場合に必ずしも強者が得するとは限らないことを示します。具体的には、強くて大きなブタと弱くて小さなブタが同じ農場にいるとして、いずれかあるいは両方のブタが作業場で仕事すれば作業量に応じてエサ場にエサが補充される仕組みになっています。ところが、弱いブタが作業場で仕事しても強いブタがエサ場で全てのエサを食べてしまいます。強いブタが作業場で仕事すれば、強いブタはエサ場に戻ってきたときにエサの半分を食べることができます。このような状況においては、弱いブタは「どんなに批難されようとも、ワーキングプアで死ぬよりセーフティネットに寄生する」という戦略を選ばざるを得ませんので、強いブタは自分が生きていく為に不本意ながら弱いブタを扶養しなければなりません。

この「合理的な豚」状態が継続されると、全体の生産力が漸減していきます。

クラスタ (2012年08月04日)

学生の頃によく考えていたことの一つが「趣味を共通する人たちによる仮想的な局所社会」でした。今でこそ「クラスタ」という社会学用語がありますが、当時は別の大学に通う社会学専攻の友人らと一緒に「機能集団ともゲゼルシャフトとも特性が異なるこの集団をどのように解釈したらいいか?」を一生懸命に考えてました。「もしかしたら新しい社会学になるんじゃないか」と冗談で言ってたものですが、後から考えるとやはり新しい概念だったみたいです(当時はそんなこと素人に分かる由もありません)。

歴史(社会科学)と歴史(布教)との違い (2012年08月03日)

例えば「神仏が存在するという物的証拠はたくさんあるはずニダ。科学的に神仏が存在しないと証明されたとしても、そのような結論は民族感情的に受け入れられないニダ」を論破し納得させるのは非常に困難です。

試合で勝つ為、競技会で勝つ為 (2012年08月02日)

高校野球における敬遠の是非については「観客を愉しませる為にではなくチームが勝利する為にルールの範囲内で最善を尽くすのがスポーツマンシップである」との立場から、私は肯定的に捉えてます。

さて、この立場からロンドンオリンピックのバドミントン競技における「勝つ為の最善の努力を怠った」について考えてみます。ここで重要なことは「試合で勝つ為の最善の努力」と「競技会で勝つ為の最善の努力」との違いです。

推定するに、失格となった国の選手たちは後者として認識していたかその規定そのものを知らされてなかったのだろうと思います(さもなければ、あたかも試合で勝つ為の最善の努力をしているかのように偽装するはずです)。更に言えば、個よりも公を優先させる自己犠牲精神や「負けるが勝ち」という意識があったかも知れません。彼らの国家においてはメダル(生活保障や給料や報道や評価などを含む)なき勝利など一時的な賞賛でしかないという現実もあるのでしょう。この意味では日本も同様だと思ってます。

この問題は、たとえ目的が異なろうとも参加者全員に同じ目標(試合で勝つ為の最善の努力)を持たせることで解決するのが望ましいです。バドミントン競技や女子サッカー競技においても、特定の試合におうて敗北することで競技会において有利になるような仕組みにしなければいいのです(もちろん「試合で勝つ為の最善の努力を怠ったなら失格」はその一例ですが、まだ完全ではありません)。冒頭の高校野球の例で言えば、例えば「甲子園本戦においてストライクを1球も含まない四球は二塁打として扱う」のような特別ルールを設ければいいでしょう。

なお、常に全力を強要するルールは休むべき状態の選手まで消耗させますので(運営委員会や国家やマスコミや大衆にとって選手は消耗品かも知れませんが…)必ずしも肯定的な面ばかりでもありません。

有限回数の試合の中でこの問題を完全に解決するのはけっこう難しいことだと思ってます。キングメーカー問題(競技会で敗北することが確定したプレイヤーが、どのように負けるかを選ぶことで競技会の勝者を決めることができる問題)も絡むと更に厄介です。

飲む打つ買うのアンバランス (2012年07月24日)

ここ最近の私がよく遊ぶ相手は、学友関係、地元関係、そしてボードゲーム関係が多いです。たまに高橋留美子関係や武術関係や仕事関係や親戚関係が入ります。いずれもアルコールが入ることはほとんど無いです。そして、いずれもほとんど色気がありません(苦笑)

振り返るに、趣味の一つとしてボードゲームを選んでなかったら、その代わりに社会学か民俗学を選んでたと思います。社会科学を理系的なアプローチでいろいろ解析してみたいと考えてました。もしそっちを選んでいたとしても、きっとたくさんの友人に出会えただろうと思ってます。そんなわけで、それらは引退後あるいは老後の愉しみにしてます。

1人でいるときは何かを考えてるのが好きです。自分が消滅するまでずっと「思考の領域」を旅したいです。ある種の冥府魔道の旅でもあるのでパートナーは必ずしも必要じゃないけど、きつねポケモン1匹ぐらいなら連れてってもいいかな。

オスプレイ導入問題 (2012年07月22日)

オスプレイは垂直離着陸ができる輸送機として、従来の輸送ヘリと比べて速度も輸送力も航続距離も圧倒的に優れてます。報道によれば、その導入に反対する人々がいるとのこと。

主な反対理由を眺めるに…

特殊作戦に用いる空軍型オスプレイ(CV-22B)の事故率(10万飛行時間あたり13.47)をもって輸送作戦に用いる海兵隊型オスプレイ(MV-22B)の事故率(1.93)まで高いと主張するのは筋違いだと思います。事故率1.93は軍用機としては十分に低いです。少なくとも、抑止力減少というリスクを冒してまで導入に反対するほどではないと考えます。仮に代案を示すならば中型ヘリの大量配備(老朽化したCH46(事故率4.15)の継続運用など)になりますが、その場合でも事故は発生しますし運用コストもばかになりません。

また、事故のほとんどは開発段階あるいは飛行モード変更時(変身変形合体時が弱点なのは世の常です)のものなので、基地周辺はともかく飛行経路の市町村にまで危険性を過剰に煽るのもおかしな話です(航続距離や中継点の制約がなくなるので都市上空を避けた訓練もできるはずだが?)。

反対運動を主導している人達がこの程度のことも知らないとは思えません。彼らには別の目的があるのだろうと推察しています。< そもそも完全なる安全性なんてもんは存在しないし、操縦ミスを予防できるわけでもありません(この意味ではトヨタリコール問題にも似てます)。

個人的意見ですが、オスプレイの能力(速度と輸送力と航続距離)は災害時などにおける大規模ドクターヘリ(機動病院)としての運用に適していると思います。自衛隊にも導入を!

バスの中でマホトーン掛けた (2012年07月21日)

数日前。炎天下の平日昼、鶴川駅から町田駅に向かう神奈中バス(片道30分ほど)での出来事です。

いつものことながらバスの中は高齢者で満席でした。私は降車口の近くで立ってました。

後部座席の方から高齢者♂の怒鳴り声が聞こえます。「おい運転手さん。冷房がついてねーぞ」と。たしかに、旧型車両である上に各停留所で乗り降りがあるので、車内の冷房はあまり効いてません。ケータイの温度計は28度を示してます。その高齢者の座席は直射日光に照らされているので確かに暑いだろうと推察します。

運転手が車内放送で「申し訳ありません」と謝るのですが、その高齢者は「こんなとこで節電するな」「運転席のとこだけ冷房つけやがって」と明らかに言いがかりです。残念なことに、他の高齢者らも文句を言い始めました。奇妙な連帯感が発生しています。このままではエスカレートするのは必定。なんとか炎上を阻止したいものです。

脳内でロジックを確認してから、送風口に手をあてつつ近くの席の高齢者に穏やかに話しかけました(もちろんみんなに聞こえるように!)。「冷房はついてるみたいですね。外はもっと暑いみたいです。車両が古いのでこれが限界なのでしょう」と。軽くグチを誘導した後にさらに続けます。「しょうがないですよ。神奈中もお金がないのでしょう。往復500円以上の路線にこんなにたくさん乗っていても、みなさん老人パスを利用してますし…」と。

そして、「どうしてもなら、夏場だけでも家族や友人に頼んで車に乗せてもらうがいいと思います」と続けました。さすがに「僕は友達は少ない」とは返しづらいでしょうしね。< ここで「タクシーを使えば」と言わなかったのは「年金生活者にうんたら」を予防するためです(年金に対する私の反撃は強力すぎますから…)。

最後に「もう少しで町田に着きますから、どうかご辛抱ください」と低姿勢で高齢者らの面子を立ててこの事案は終了。

終点の町田駅では、運転手さんにねぎらいの言葉を掛ける為に最後に降りました。さもないと、会社への不満が鬱積し続けるだろうしね。

危険運転致死傷罪 (2012年07月20日)

道交法で規定されている罪のいくつかは免許保有者にのみ適用すべきと考えます。その上で、危険運転致死傷罪は道交法ではなく刑法で規定されている罪なので、免許の有無にかかわらず適用すべきと考えます。

米国下院121号決議廃止請願署名に思う (2012年07月16日)

「アメリカの下院121号決議(慰安婦問題捏造決議)廃止請願署名」については必ずしも賛同しかねます。趣旨には賛意を示しますが、請願の文面が不適切なので否定的な回答(つまり「現時点では有効である」という無難な回答)になると予想しています。その意味では、署名数不足または否定的回答を予想した何者かの作戦であるかのようにも感じてます。

もし将来の良好な日韓関係の為にホワイトハウスを利用するのであれば、「1952年4月28日に発効となったサンフランシスコ平和条約において、竹島または独島ないしリアンクール岩として知られる島は日本国が韓国に返還する領土に含まれるか否か?」という確認請求署名が有効だと思います(要するにラスク書簡の確認請求です)。なぜならば、私たちが知っている事実が正しいのであれば「含まれない」と回答せざるを得ないからです。日韓双方とも、自分達が教えられてきた歴史がどのように正しいのかを知ることができるでしょう。

サンフランシスコ平和条約発効後の領有権の変化(李承晩ライン問題)については回答を求めないでいいと思います。アメリカは「それに回答する立場にない」と言うだろうし、解決の為には日韓双方で根拠と事実を確認することが必要だからです。

もしも人間の最長寿命が70歳なら (2012年07月16日)

はるか昔、口減らしが必要なほど貧しい社会において「間引き」や「姥捨て」はやむを得ないこととされており(それをせずに全員が死に絶えた無数の村落もあったはずです)、やがて社会が豊かになってそれらは倫理や法令で禁止されるようになりました。

だからこの倫理や法令を守り続ける為には、口減らししなくてもすむほど豊かな社会を維持することが必要になります。具体的には誰もが「親を扶養する必要があり子供を育てる余裕がない。だから子供を作らないし妊娠したとしても堕胎する」と悩まないで済むほど豊かな社会です(余談ですが、「目の前の特定少数を助ける為に目の前にいない不特定多数を犠牲にする」は生物学的に適切な選択肢でないと思います)。

もしそれだけの豊かな社会を維持できなければ、過去の無数の村落のように多くの家系が根絶やしになるでしょう。社会的に言えば、高齢化ゆえに少子化が進むという悪循環になります。

もう手遅れかも知れませんが、倫理の成立過程を踏まえたうえで「尊厳死を認めないことは本当に倫理に反することなのか?」を社会的に論じることが必要だと考えてます。

「もしもボックス」で社会実験したいことの一つが「どんなに医療技術を尽くそうとも、人間の寿命が例えば最長70歳であったなら?」です。医療や年金の問題だけでなく家庭や社会のありかたがどのようになっていたかを様々な観測結果から考察したいと思ってます。

本能と学習 (2012年07月10日)

ほとんどの人は、子供の作り方を本能で知り、繁殖相手を得る方法を経験で学びます。前者については学校の保健体育などでも教えますが、後者についても何らかの形で教えてあげるべきだと思ふ。

少子化問題 (2012年07月09日)

繁殖適齢世代に経済的余裕がないのは昔も今も同様ですが、雇用形態や経済情勢の変化で将来的な安定した収入はますます見込めなくなりました。また、昔は前世代が子育てを支援してたのに、昨今では前世代を扶養しなければなりません。これらの経済的事情が主な理由で、結婚や出産を諦めるを得ないケースが増えたのだと思います。

個人的には、尊属扶養は必ずしも義務とすべきでなく卑属扶養だけを義務とすることでこの問題を解決したいです。姥捨て山と子殺しの二択なら私は前者を選びます。もっとも、このジレンマが発生しないほど社会が豊かなら問題ないのですが、現実はそうではありません。

前述の「前世代の支援が望めないケースが増えた」だけでなく、地域の支援も望めないケースが増えました。ネット並に過剰なプライバシー意識の副作用でもあります。必然的に育児負担は母親1人に集中しがちになります。この集中こそが育児ノイローゼや育児放棄やモンペ化に繋がる大きな原因だと思ってます(そして、プライバシー意識が更に高まる結果になると)。

繰り返し「共有地の悲劇」 (2012年07月09日)

パイが十分に大きいときは誰も利己的行動を採らなくてもみんなの分け前がありました。しかし利己的な行動を採る人が増えると生産力が落ちるので、次のパイから徐々に小さくなっていきます。そして一定以上にパイが小さくなると、パイの分け前を確保する為に利己的行動を採る人が急増し、ますますパイが小さくなります。

このスパイラルから抜け出す為には「利他的行動では分け前を確保できない」としなければなりませんし、「利他的行動を採ってない人に配分されないこともある」を受忍しなければなりません。しかるに、昨今の過剰な人権意識は「パイの大きさに関係なくパイの分け前を全員に保証せよ」と要求しています。

悲劇的なことに、日本の財政は翌年度以降のパイを少しずつ前借りして分け前を確保できてしまいました(この意味では「1975年に赤字国債を発行せざる得なくなった原因」を作った世代に大きな責任があると思ってます)。しかし、この方法は「のび太の宿題」のようにいつか確実に破綻します。

翌年のパイを大きくする為には税率を抑えるだけでなく景気対策費を増やし、その分も合わせた上で社会保障費の大幅カットが必要になります。弱者が犠牲になることもありますが、このまま対策せねばより多くの弱者が犠牲になりましょう。

情報開示の手続き (2012年07月09日)

民主主義においては、国民は政府に対し「法令で定める機密情報(軍事情報や外交カードや経済政策など)を国民に対して非公開とすること」を委ねていると解釈されます。一方で、私企業は(法令で定められた場合や政府や裁判所による命令があった場合などを除き)もともと情報を秘匿する権利を持っています。例えばKFCはスパイスのレシピを秘匿する権利があるのです。だから、国民が情報開示を求めることは出来ますが企業はそれに応じる義務を持ちません。

手続きとしては、政府に対して「企業から得た情報の開示」を請求するか、裁判所に提訴して企業に情報を開示させるのが適正です(国民生活に利害関係が発生している場合は高い確率で認められるでしょう)。

扶養義務の範囲 (2012年07月09日)

生活保護法第4条2「民法に定める扶養義務者の扶養は、この法律による保護に優先して行われるものとする」を現実に即したものとする為に、民法第877条1「直系血族及び兄弟姉妹は,互いに扶養をする義務がある」は「相続関係のある親族は互いに扶養をする義務がある」とするのがいいと思う。理想を言えば「尊属は卑属を扶養する義務を負う」なのですが、残念なことに今の日本はそれを実現できるほど豊かな社会ではありません。

頑張れば何でも出来るはず? (2012年07月09日)

「出来るようになりたいから」という理由で頑張っているのであれば、その努力が実る可能性は高いし、実ったときに自信に繋がると思います。

しかし、「周囲に強制されてるから」という理由で頑張っているのであれば、その努力が実る可能性は低いですし、実ったとしても自信に繋がることはないでしょう。しかも実らなかったときの自信喪失は重度のものになります。このような状況での「頑張れば出来るはずだ。出来れば自信に繋がるはずだ」は、強制している側の自己正当化にすぎません。勉強などを強制するときは「本当に出来るようになるのか?」を予測することが大事ですし、出来るようになれる範囲でやるのが望ましいと思います。

なお、「頑張れば人は生身で空を飛べるはず」は当人の自信に繋がりません。「跳び箱の新しい段を跳び越えることができるはず」は自信に繋がるかも知れません。

ボクはお酒が苦手だ (2012年07月09日)

酒の力なぞ借りなくとも本音を語ることができる。でも、酒を必要とする人たちが存在することは理解してる。だから、酒の場には付き合うさ。

共存ではなく住み分けの為に (2012年07月09日)

ボードゲームのプレイヤーに喩えれば、「勝敗に拘って楽しみたい」と言う人がいてもいいし「勝敗に拘らずに楽しみたい」と言う人がいてもいいと思います。

ただ、ボードゲームの場合はこれらの価値観のプレイヤーが混在するとしばしば双方が愉しめなくなります。だから、双方とも「勝敗に拘ってプレイして欲しい」あるいは「勝敗に拘らずにプレイして欲しい」と要望するわけです。しかしながら、この要望は互いに相手の価値観を全否定するものですのでトラブルの火種になりやすいです。

それぞれの人達はそれぞれ共有できる価値観の人達と一緒にプレイするべきだと考えます。適切に住み分けたり共存したりする為に、価値観の相互理解と相互尊重が重要だと思います。サークルならば、そこがどういう場であるか明示するのが良いでしょう。

ぶっちゃけて言えば、ボードゲームなんてもんは道具にすぎません。だから、交流に用いようが勝負に用いようが研究に用いようが商売に用いようが賭博に用いようが占朴に用いようが蒐集に用いようが、(社会のルールに反しない限り)それぞれの自由でいいと思います。ただ、共存しなければならない理由が双方にあるなら、利害調整しなければなりません。

繋がりの数 (2012年07月09日)

最初は単一の共通項しかなくてもやがて複数の共通項を持つようになれば、最初の共通項が失われても人間関係は維持されます。さもなければ、最初の共通項から一方あるいは双方が引退したらそこで関係は途切れてしまいます(例えば学校という共通項だけの級友とは卒業後に交流が途絶えがちでしょ?)。

そしてネット(その延長たるオフ会を含む)を通じた付き合いは、なかなか他の共通項を作りにくいです。SNSの長所の一つは「自分の意外な一面を友人に見せつけることができる」だと思います。「一部の友人まで公開」ばかりではもったいないと思います。

「袋小路」第100回例会 (2012年07月08日)

非電源ボードゲームサークル「袋小路」も設立から100ヶ月が経ちました。縁あって設立時からお手伝いなどさせて頂きました。

2004年4月の第1回では『6ニムト』『アップル・トゥ・アップル』『マンマミーア!』『ザ・ビッグチーズ』『カタンの開拓者たち』などプレイしました。まだ憶えています。そして第3回で『ピット!』や『カンビオ』がプレイされ、それがそのまま「袋小路SPコンボ(多人数向け簡単バカ騒ぎゲームのセレクション)」として袋小路の方向性が定まったように覚えてます。「ピットを五月蠅いと感じる人は袋小路に来なくていいです」は名言だと思います。

今日は第100回記念ということで、袋小路の象徴ともいえる牛をモチーフにした「牛ダイス(CowDice)」100個を贈呈しました。そんでもってプレイしたのは『ふぃぶふぁぶ』『6ニムト』『ワイルドラッシュAA』『ピット!』『ピーキーズジェンガ』などです。主催者がちゃんと「手伝って」と言えばいくらでも手伝ってくれる人たちがいるので、昼過ぎにおいとましました。3年ぐらい前から考えてたことですが、そろそろ袋小路スタッフを辞めようと思ってます(盤ガードだけで手一杯だし)。

『歴史群像』8月号 (2012年07月07日)

今月の『歴史群像』の附録は「30分でプレイできるミッドウェー海戦ボードゲーム」だと聞いたので、TSUTAYAで買ってきました。ミッドウェー海戦における日本側プレイヤーのジレンマは「敵空母を発見して雷撃する」と「陸上基地を爆撃する」の二択です。索敵は必ずしも成功するとは限りませんし、爆弾と魚雷との換装にも時間が掛かりますし、準備中に攻撃を受けたら大損害です。附録のゲームを眺めるに、そのレベルまで単純化しているみたいです。ちなみに、もう一つの附録はソロプレイ用「日本海海戦(Battle of Tsushima)」です。ちなみに、対馬海峡(西水道)は国際的には「朝鮮海峡」と呼ばれてます。それぞれの国がそれぞれの言語でどう呼ぶかは自由であるべきです。

町に石油の雨が降る (2012年07月03日)

日記タイトルはアニメ『うる星やつら』第2話(原作「悲しき雨音」)からです。この話では、星間タクシー代がちょうど地球の石油含有量となって強制的に取り立てられます。このバカバカしい値段にはおそらく石油を本星に持ち帰る莫大な輸送コストが含まれているのでしょう。だから、電気でならラムちゃん個人でも支払えるわけです(そして取り立てられた石油が地球に返却されることになり、町に石油の…)。

そんなわけで、燃料の輸送コストは案外に無視できません。

現実世界に目を向ければ、タンカーの燃料代や維持費だけでなくシーレーンを保持する為のコストも考えなければなりません。シーレーンが脅かされれば日本の経済はいとも簡単に詰んでしまいます。歴史を眺めてみても、太平洋戦争の引き金の一つが日本に対する石油禁輸措置でした。さらに中高年の世代はオイルショックを憶えていることでしょう。それらの反省もあり化石燃料依存からの脱却が図られ、そして様々な選択肢の中で原子力発電が実用化されました。

ところが悲劇的なことに、福島第一原発事故をきっかけに今度は原子力依存から脱却しようという意見が国民的な世論となりました。現在の科学技術レベルにおいて原子力依存から脱却することはすなわち化石燃料依存へ戻ることになります。日本国内で非在来型天然ガスが十分に採れるとも思えませんし、周辺海域の海底油田も採算がとれないので、単純に輸入量を増やさねばなりません。日本国籍のタンカーも激減してますし、今の円高もいつまで続くか分からず、中国の海軍は台頭してきてます。原子力発電廃止を主張するのであれば、それらのリスクも踏まえなければなりません。

数十年のスパンで見れば、多少の非効率は承知の上でエネルギーはいずれか1種に依存するのではなく幅広い手段を留保しておいた方がいいと思います。計画停電程度で済むなら「御」の字かも知れないのですから。

頑張れば空も飛べるはず? (2012年07月02日)

「出来るようになりたいから」という理由で頑張っているのであれば、その努力が実る可能性は高いし、実ったときに自信に繋がると思います。しかし、「周囲に強制されてるから」という理由で頑張っているのであれば、その努力が実る可能性は低いですし、実ったとしても自信に繋がることはないでしょう。しかも実らなかったときの自信喪失は重度のものになります。このような状況での「頑張れば出来るはずだ。出来れば自信に繋がるはずだ」は、強制している側の自己正当化にすぎません。勉強などを強制するときは「本当に出来るようになるのか?」を予測することが大事です。

報道する権利と報道する義務 (2012年06月27日)

民主主義の理念においては、主権者たる国民に「知る権利」が認められてます。そしてその理念を実現する為には、どこかに「知らせる義務」を課さねばなりません。理想を言えば、司法が行政から独立しているのと同様に報道も行政から独立しているのが望ましいでしょう。

しかるに、民間のマスコミには「報道する権利」は認められてますが、必ずしも「報道する義務」は課せられてません。その義務を課せられているのが公共放送たるNHKのはずなのですが、報道内容は民間とほぼ同じであるように見えます。公共放送は民間と報道協定を結んではいけないのです。それは、裁判所が思想団体と協定を結んじゃいけないのと同様です。

mixi表示の不満 (2012年06月27日)

大きな不満は無いのですが、小さいけど微妙に気に障る不満が2点あります。

まず、mixiホームは頻繁にアクセスするページです。しかるに、つぶやきなど一挙に読み込んでスクリプトで表示しているせいか、表示が開始されるまでの数秒のみならず、表示が完了するまでの数秒が微妙なストレスになります。リンクをクリックする直前に表示位置が変更されると、意図しないリンクをクリックしてしまうことがあります。

また、他人のプロフページもしばしばアクセスするページですが、いくつかのアプリはページを再表示しているので「戻る」が効かなくなることがあります(そんなわけで、他人のプロフを表示するときは別タブで開くようにしています)。

反論のコスト (2012年06月27日)

根拠のない主張は気軽になされますが、根拠を以て反論するのは非常に手間が掛かる上に無視される可能性や水掛け論に持ち込まれる可能性も高いです。基本的には、根拠のない主張は批判すべき価値もないのですが、批判しないと第三者が相手の主張を真に受ける可能性もあります。面倒くさいです。

どっちも正しいが故に (2012年06月27日)

もしも裁判所から飛び出てきた人が「正当判決」と書かれた紙を広げてたら、どっちと解釈すべきだろう。世の中にはただ無数正義があるだけです。

理想を持つことは重要だ (2012年06月27日)

理想だけを語るだけでは理想は実現できない。そんな人はいつまでも理想が実現されないことに不平不満を言い続けるだけだ。理想は実現されるものとは限らず自分で実現することもできます。

伝説の聖刀「満願丸(Last One)」 (2012年06月27日)

一番くじのラストワン賞は「満願丸」のようなものだと思います(ちなみに、岩に刺さっている聖刀「満貫丸」を抜けるのは100万人目の挑戦者です)。アイデアを考えた人はたくさんいたかも知れませんが、商品化した人はすごいと思います。もしかしたらエクスカリバーも一定人数のチャレンジで抜けたのかも知れません。

ヘソで茶を沸かす話 (2012年06月27日)

効果を得るには一定以上の量が必要なこともあるのです。それを理解できないと、リソースを逐次投入することになって失敗を招きます。「ロウソクでヤカン1杯の水を沸かすには何分かかりますか?」を考えれば分かりやすいかと。

宗教と戦争 (2012年06月27日)

宗教は国際社会にとって有益でもあり有害でもあります。戦争や紛争の原因のいくつかは宗教によるものです。

日本周辺で言えば、北方領土や尖閣諸島は政治や経済が主な原因ですが、現在の竹島問題は宗教問題のような気もします。ほら、独島教とか慰安婦教とか起源教とか?。このように見なせば、彼らの行動原理をけっこううまく説明できます。その意味では、あっちの民衆の何割かは政府に洗脳された被害者です。でも、いまや加害者でもあるので、同情すべき余地はあまりありません。

将来的に仲良くやっていくには、そのあたりから解決しなければならないように思います。でも、それは非常に難しそうです。

将棋王 (2012年06月27日)

対局中に「歩のリバース効果発動!この歩兵はこれより金将となる」とか「桂馬を守備表示で召喚しターンエンド!」とか叫んでたら面白そうです。『中将棋』なら麒麟駒や鳳凰駒のような幻獣もたくさんいます。

読点のエセエフ (2012年06月27日)

意外に知らない人が多いのですが、「綺羅星の如く」を「綺羅、星の如く」と読むのと同様に「有終の美」は「有、終の美」と読みます。もともと「終(つい)の美が有る」が語源です。もちろんウソです。

本日の空耳夢とキーボードと予測変換 (2012年06月27日)

思考の速度で文字を打ち込めるのが理想ですが、現実はCPUの演算スピードに記録メディアの読み書きが追いつきません。思考の波に乗っているときには、マウスに手を伸ばしたりファンクションキーやカーソルキーに指を伸ばすのでさえ遅延を感じることがあります。私の書きたいことを確実に予測変換してくれる辞書はまだまだ夢の領域です。

本日の空耳 (2012年06月27日)

小学生の衝突で地球が滅びる。

無人島に何か一つだけ持って行くなら? (2012年06月27日)

その人の価値観を知る為の設問に対しては、できるだけ合理的に答えるようにしています。

1人で無人島に行くというシチュエーションのうち可能性が最も高いのが観光ですので「帰りの船の切符」を持って行きます。船が難破した設定なら「救助要請の為の無線機(バッテリー込み)」を持って行きます。現地でサバイバルするのであれば「大型かつ頑丈な刃物」を持って行きます。

個の時代 (2012年06月27日)

「一家に一台の時代」が「一人に一台の時代」になったとき、何が失われたのだろうか。便利な世の中になって、たまにふとそんなことを考えます。夜風が気持ちいいです。

水不足は心配しないでよさそう (2012年06月22日)

窓の外は大雨です。天気予報によれば昼過ぎには豪雨になる見込みです。今年の夏は水不足を心配しないでよさそうです。

昨年夏に非常用飲料水としてミネラルウォーター(賞味期限2年)を備蓄した人は、この夏に半分程度を更新しておくべし。

著作権法をデザインする (2012年06月21日)

一般に、社会が著作権を認める理由は「創作の対価を間接的に保証することで、社会全体の利益(技術や文化の発展など)とする為」です。だから、技術や文化の発展を阻害するような主張は、公共の福祉に反する濫用にあたるとすべきでしょう(これには、経済的な損失もないのに違法性を主張することや、著作者の死後にいつまでも著作権が消滅しないことが含まれます)。< 実際に各国の著作権法では、どのような利用が合法であるかが明示されてます。

著作物が利用(複製や出版や送信可能化や受信などを含む)されることによる金銭的な問題について、著作権者は「販売数減少による直接的な損失」と「宣伝効果による間接的な利益」を考えなければなりません。だから、著作権法は原則として親告罪(権利者が主張しない限りその利用は違法にはならない)とすべきであり、権利者には「いつでも黙認する権利」も認められるべきでしょう。< よって、合法であると明示されていない利用について、著作権者の意向を無視して第三者が勝手に違法であると決めつけてはなりません(もちろん著作権者に通知することはできますし、著作者にはそのときに意思を明示する義務を課すべきでしょう)。

おおよそ上記のコンセプトで著作権法をデザインするのが良いと思ってます。この観点で現行の著作権法を眺めてみると、実に歪んだものに見えます(苦笑)

違法ダウンロードの罰則化について

「贈収賄や売買春は双方が罰せられるべき」と考えているので、違法DL(ダウンロード)の罰則化については消極的賛成の立場です。ただし、違法の範囲をもっと厳密に定義する必要があります。少なくとも能動的なDLであることと違法性の認識が必要です。また、他人の著作物が偶然にDLされた場合などは、違法性を明確に阻却すべきでしょう。

そして、違法か否かの判断対象は「所持」ではなく「行為」に限定すべきです。さもないと、違法でなかった時期に利用したものについて遡及して違法とすることができてしまいます。

「違法ダウンロードが罰則化されると誰が利益を得るのか?」については主に著作権管理団体だと認識しています。おそらく彼らは、違法利用がなくなったからと言って必ずしも利用者みんなが購入してくれるわけではないこと(消費税率を上げたら税収が減ることもありえるのと同様です)もちゃんと認識しているでしょう。著作権者の利益よりも管理団体の利益の方が優先されるとしばしばパラドキシカルなことが発生するのです。

一方、「違法なダウンロードが罰則化されないと誰が利益を得るのか?」についてはわざわざ書くまでもないでしょう。

賛成でも反対でも

法律改正について極論を持ち出して「こんなことで逮捕されます」という意見をときおり見掛けます。しかし、明らかに合法であることや明らかに違法性が阻却されることについてまで「違法になった。逮捕される!」と騒ぎ立てていては説得力に欠けましょう。反対するのであれば、どのような理由で何について反対しているのかを明示した方がいいと思います。

賛成するにせよ反対するにせよ、他人の受け売りではなく自分で考えて主張するのが大事だと思います。危機感の煽り立ては連鎖しやすいので、ときどき立ち止まって「改正されたら誰が利益を得るか。改正されなければ誰が利益を得るか。自分は誰かに煽られて誰かを煽っているのではないか?」と考えて欲しいです。

宇宙の膨張と情報量の増大 (2012年06月20日)

高橋留美子アニメのバックアップ用に、特売品のHDD(1テラバイト)を買ってきました。所有している映像を全てファイルに変換してもおよそ200ギガバイトですので、余裕で保存できます。

厳密な検証はしておりませんが、高橋留美子作品に限らず現在までに製作された全てのアニメ作品を標準的な品質でデータファイルに変換したとしても、数百テラバイトのオーダーで全て保存できるはずです。オーダー的にはアダルトビデオやドラマや音楽などもおそらく似たようなものでしょう。要するに、いまや映像製作速度よりも記録容量増加の方がずっと大きいわけです。大宇宙の果てに追いつくのはもはや無理なのかも知れません。

けっこう苦労して変換したのですが、今では動画配信サイトでほぼ全話を視聴できます。例えばフィルターを20分以上にして「Urusei Episode」や「Inuyasha vietdub」でYoutube検索するとすぐに見つかるでしょう。是非はともかく、このような動画配信は作品の普及に大いに役立ってます。

Re:原発再稼働について (2012年06月16日)

福島第一の状態を見る限り、建屋はともかく格納容器や電源系の耐震は十分だと思います。ただ、耐津波や耐ミサイルが想定不足なだけで。< それに、どんなに頑丈に作っても制御不能な再臨界になれば内側から融けますさ。

「再稼働させなくても電力は足りるはず」も「再稼働させても事故は起こらないはず」も確率と損害をちゃんと見積もった上で論じるべきと考えてます。現実的な選択肢としては、高い確率の原油リスクや停電リスクを避ける為に低確率の災害リスクを踏まえて原発を再稼働させ、十数年程度をかけて原発依存からの脱却を図るのが最善じゃないかな。

リスクのまったくない選択肢がどこにも存在しない以上は、総合的に最善を目指すべきと思ってます。

ただいま取り込み中 (2012年06月15日)

先日から暇な時間を利用して、アニメ『うる星やつら』原画をスキャナーでちまちまと取り込んでます。収集品は数百枚ほどありますが、とても愉しいのでバイトに頼みたくもありません(笑)

残念ながら、私が所有しているスキャナーでは大判サイズのものは取り込みできません。「この為だけにA3サイズの大型スキャナーが欲しいなぁ」と考えてます。< 以前にも検討したことがあるのですが、当時のA3スキャナーの値段はあまりに高く…(涙)

で、現在の相場を調べてみるとほとんど6桁のものばかりです(10万円以下はわずか3機種)。そんな中で、なぜか『CFBS-A3』(センチュリー)というのだけが3万円以下でありました(この用途に限定するので性能は十分かも?)。高い機種でも中古で数万円のものがいくつかヤフオクに出品されてます。レビューなど見てから改めて検討しようと思います。

高橋留美子作品関連のグッズは山のようにあるので、次の虫干しのときにでも開封して撮影しておこうと思ってます(但し、呪われたアイテムを除く)。

残念なことにカセットテーブやビデオテーブはもうデータがダメになってるはずです。さらに古いCDやLDは一部が剥離しています。もっとも、既にデジタル化されてるのであまり問題ないのですが(苦笑)。< いつでもどの話でも手軽に視聴できるとは実に便利な世の中になったものです。

愉し♪

ポケットの中には小銭が一つ♪叩けば倍々! (2012年06月12日)

小銭入れを持たないときは、チェンジポケット(ジャケット右の小さな重ねポケットあるいは忍びポケット)やウォッチポケット(スラックス右前の小ポケット)に入れます。切符はテケツ(左ラペル内側の小ポケット)に入れます。

二十年ぐらいまえから言ってますが、現代のスーツにはケータイ用ポケットがあっていいと思う。

社会問題の不確定性原理と有効桁 (2012年06月12日)

生活保護不正受給問題の重要度は、「制度そのものの是非」とは別に少なくとも「不正受給率や総支出額」と「制度に対する信頼性」とで分けて考えるべきだと思ってます。前者の重要度はそれほど高くありませんが、後者の重要度は高いです。なぜならば、不正受給による直接的な社会的損失(現状で不正を完全に撲滅できてもたいして支出は減らせません)よりも、信頼性が失われることによる間接的な社会的損失の方が大きいだろうからです。

このあたりは「防災や防衛においては安心よりも安全が重要だ」のロジックと少しだけ異なります。この類の社会問題では、安心が失われると安全が失われるというフィードバック(ある種の不確定性原理)が強いので「比率や金額の問題ではなく、制度への信頼の問題だ」を無視できないのです。

もちろん、生活保護制度そのものが抱える問題(最低賃金問題や扶養義務問題など)は不正受給問題よりも重要度がずっと高いです。言葉通りに「桁違い」です。だから、不正受給問題が論じられるとたいてい制度そのものの是非に飛び火しがちです。そして桁違いの問題を同じ桁で論じるので収集がつかなくなります。

ええ、不正受給を完全になくしても年金制度そのものが抱える問題は解決できません。だからと言って、不正受給対策が無意味なわけでもありません。

社会に最も有益な自殺方法は? (2012年06月11日)

「自殺するなら他人を巻き込まないで欲しい」には同意見です。だから、もし「ならばどうやって死ねばいい?」と問われたら、それに答えなければなりません。

回答するだけならそれほど難しくないのですが、できることなら「全く迷惑を掛けない自殺方法」を示したいものです。ところが、捜索コストや処理コストや報道コストや事務コストなども考慮すると、そんな方法などありえません。

強いて言えば、尊厳死を法律で認めるのが比較的マシだろうと思います。ただし、自殺によって勤労の義務と納税の義務を負った国民が減るので、国家にとってはやはり迷惑になりますが…(自殺は犯罪たりえると考える根拠の一つです)。

また、「無害では無いにせよ、社会にとって最も有益な自殺方法」も検討する価値があると思います。いろいろ考えたのですが、よく学びよく働き社会に貢献し、家族や友人らと仲良く交流し、子孫に教育と財産を遺し、社会貢献できなくなったら法事の日程を考慮した上で寿命か病気で急死するのがいいと思います(もはや自殺じゃないじゃん?)。あるいは、若い命を庇って死ぬのもいいでしょう(臓器提供も有益です)。原子力発電所事故で英雄になるのも悪くありません。警察や司法が手を出せない闇を削るのも選択肢です。ただし、これらは他人を巻き込む選択肢でもあります。

異世界(異文化)の物語 (2012年06月10日)

異世界の吟遊詩人が奏でる物語はとても興味深いです。仮想体験による経験値稼ぎは非常に効率的です。たまに「自分が何を知らなかったのか?」を思い知ることもできます。

自分も誰かにとっては異世界人です。自分にとっては当たり前の物語でも、どこかの誰かにとっては不思議な物語かも知れません。だから、私もたくさんの物語をあちこちに記してます。

ドドメ色のマルベリー(Mulberry) (2012年06月08日)

かつて横浜港が開港した頃(1859年)、相模原地方では輸出の為の養蚕&製糸が一大産業に発展しました。高度成長期になると急激に衰退していきましたが、1980年代まであちこちに桑畑が残ってました。小学校の社会科で地図記号「桑畑」をわざわざ教えてたほどです。

私が子供だった頃は初夏になると、近所の養蚕農家から桑の実を頂いて食べてました。独特の甘酸っぱい味をよく覚えてます。やがてその桑畑もつぶされてビルが建ち、ついには桑畑そのものも珍しくなりました。

今日はたまたま立ち寄った店に「マルベリー(桑の実)」があったので、懐かしさを覚えつつ買ってきました。二十数年ぶりの味は、当時ほど酸味は強くありませんでしたが、とても懐かしい味でした。

余談ですが、ドドメ色とは桑の実の色のことです。桑の実は熟成するにつれ赤色から黒紫色へと変化していきます。

母校の校歌 (2012年06月07日)

印象深いのが一曲あります。リズミカルなポップス調で、混声3部合唱で、3番まであって合計6分ちょっとで、3番の後半は壮大な別のメロディで、何よりもデンパな歌詞で、シャウトを含む校歌でした。音源があれば歌えますし叫べます。

急患を受け入れない理由の一つ (2012年06月07日)

日本は「善きサマリア人の法」がないので、急患を受け入れたけど手遅れだった場合や後遺症が残った場合に訴えられると病院側が無過失であることを証明しないとなりません。小さい病院だと損害賠償の負担で閉院することもありえます。将来の大勢の患者を救ける為に、急患の受け入れには慎重にならざるを得ません。

日本語を改めて学ぶこと (2012年06月07日)

樹木を正しくデッサンするときは、まず幹や枝などの基幹を描いてから小枝や葉などの詳細を描くのが効率的です。デッサンの初心者(幼児や児童など)は、試行錯誤しながらこのスキルを獲得していきます。

この話を言語の習得に当てはめて考えてみると、「文法」が幹や枝に相当し、「語句」が小枝や葉に相当します。誰でも母国語はまず「語句」から憶えますし、修得を目的としていない外国語も「語句」から憶えます。そして、修得を目的としている外国語は、学習に必要な最低限の「語句」を憶えた上で「文法」から学ぶのが効率的です。

最初に描いた樹木が正しく描けていることを確認する為に、あるいは樹木をより正確に描く為に、あらためてもう一枚をデッサンするのは良い方法です。

ならば、母国語をあらためて「文法」から再学習するのは、母国語をより正確に修得する為の良い方法ということになります。

個人的かつ長年の経験から言えば、文法の基幹は「文型(特に主語と述語の対応)」であり、それに「修飾と省略(日本語は主語省略が非常に多いです)」「態変化と助動詞と疑問形など」「接続詞や複文」などの概念が続くと思ってます。こうした視点で日本語を改めて学べば、主述が対応していない文章や意図しないマルチミーニングなどを防ぐことができましょう。

関連する日記

文理解釈におけるかっこ付け(2005年12月02日)

音波信号としてのクラクション (2012年06月07日)

どこかでクラクションが一定間隔で鳴らされてます。推定するに、違法駐車の運転手を呼びたいのでしょう。

道交法第54条の規定はともかく、この鳴らし方について一定間隔ではなく相手の車のナンバーをクラクションで知らせるようにすれば分かりやすいだろうと思ってます。例えば「2146」なら「プー・プー。休符。プー。休符。プー・プー・プー・プー。休符。プー・プー・プー・プー・プー・プー。しばらく休符」のように。ナンバープレートに英数字を使う文化圏ならモールス信号がいいでしょう(だから、卑猥な文字列は却下すべき)。

意味のある信号は騒音ではなく確認対象と解釈されやすいので、呼び出しクラクションによる二次的なトラブルもいくらか予防できると思います。

:「瓦礫受け入れ問題」の問題 (2012年06月05日)

科学的な測定値やロジックを無視して感情的に危険を煽るのは良くないことだと思ってます(逆に、測定値が安全ではないレベルであるなら理性的に受け入れ反対すべきでしょう)。

受け入れの対象となる瓦礫の放射性セシウムの線量は、ラジウム温泉の放射性ラジウムや一般的な食物に含まれる放射性カリウムなどの線量(要するにもともと自然界に存在する放射線)よりも低いのです。

また、放射能にほとんど汚染されていない宮城や岩手の瓦礫まで受け入れ拒否すると被災地の復興がその分だけ滞り、いまなお苦しんでいる被災者らへの二次的な被害が広がります。

そして、あまりきれいな話ではありませんが…。瓦礫処理が生む莫大な利権を譲りたくない処理業者が他府県で感情的な反対運動を煽っているかも知れないし、裏で「反対運動を控えてほしければ…政治的な取引をしませんか?」と持ちかける政治団体がどこかで住民を煽っているかも知れません。

安全と考えられる測定値を示しても「健康への影響が不明」とか「測定器は信用できても測定者や科学者を信用できない」とか主張する人は何らかの理由があるのだろうと思ってます。

秋葉原 (2012年06月01日)

いにしえの契約で召喚されて秋葉原に。いろいろ打ち合わせなど。

「くさりかたびら」を買ってきました。これを装備すれば、中央通りも安全に歩けましょう(笑)

地震の直前に最寄り駅にたどり着きました。けっこう運が良いのです。

クロックアップした世界 (2012年05月31日)

余っているVista機を初期状態へリカバリーするときに、ふと「このPCで昔のOSを動かせないものかな?」と思い立ちました。幸いにも、windows98SEのCDがまだ手元にあります。ついでに、セキュリティアップデートCD(2004年)やオフィス2000や基本的なツール類も残してあります。調べてみると、ちょっと細工すれば(IDEモードにしたりメモリ制限したりパーツを外したり)、いろいろ制限が予想されるもののインストールできないわけでもないみたいです。

思い立ったら即実行。ちょっと面倒でしたが、なんとか動作するまで辿り着きました。測定値だけを見れば、仮想OSソフトで動かすよりずっとずっと速いです。スタンドアローン機として用途を限定すれば十分に使えます。

でも、例えば0.01秒ほど待たされるのと0.001秒ほど待たされるのとでは体感速度に違いありません。一通り遊んだ後にリカバリーしました。

指摘しないで配慮すること (2012年05月28日)

頭の悪い人が「頭が良い人は頭が悪い人の苦労を理解できない」と非難することについて考えたことがあります。

頭の良い人は相手の頭が悪いことに気づきますが、それを指摘したり前提にするのは失礼であるとも気づきます。だから、頭の良い人は相手が頭の悪いことに気がつかない振りをしがちです。一方で頭の悪い人は、指摘や前提に不快感を抱くことがあり、気づかない振りについてその無理解を責めることがあります。よって、指摘せずに配慮するのが最善解だと思ってます。

これを筋力などの場合に当てはめて考えると、不快感はそれほどでもないでしょうが、やはり指摘せずに配慮するのが最善解になると思います。

かつおぶし (2012年05月28日)

鰹1匹を渡されたとして、何も参考にせず鰹節を作るのは非常に難しいです。まだ知らないことがたくさんあるのは、きっと愉しいことなのだろうと思います。

甘さは優しさじゃない (2012年05月27日)

逆恨みさせるのも逆恨みされるのも嫌ならば、ツェねずみ(宮沢賢治)に対して目先の自己満足的なヒューマニズムで親切にしちゃいけない。双方の不幸を最小限にするのが真の優しさだ。

★自由と平等との優先順位 (2012年05月25日)

今は昔。α村では村人が食糧を自由に売買できるとしたので、多くの食糧が生産されました。一方のβ村では飢饉に備えて食糧を平等に分け合う仕組みなのでサボる村民も多く、α村ほど豊かではありませんでした。それでもこの二つの村は餓死者を出さずになんとか繁栄してきました。

ところが、ある年にこれらの村は飢饉に見舞われました。α村では村人の幾人かが冬に餓死してしまいました。しかし、β村は食糧を平等に分け合ったので村人は1人も餓死しませんでした。

そして次の年は更に酷い大飢饉に見舞われました。α村では村人の大半が冬に餓死しました。そして、β村は絶対的に足りない食糧を平等に分け合ったので村人はほとんど春に餓死しました。

さて、「困窮者は多いが全体として豊かな自由社会A(機会平等な社会)」と「困窮者は少ないが全体として貧しい平等社会B(結果平等な社会)」のいずれがマシであるかは、昔から幾度となく繰り返されてきた議論です。私は「困窮しない程度の豊かさは幸せの必要条件である」(5月15日の日記を参照)と考えているので、この二つであれば平等社会Bの方がいくらかマシだと思ってます。

しかしながら、これをもって一般に自由社会よりも平等社会が優れていると主張している訳ではありません。なぜならば、例えば「困窮者が少なく全体として豊かな自由社会C」と「困窮者が多く全体として貧しい平等社会D」では前者の方がずっとずっとマシだからです。

自由と平等とのいずれを優先すべきかはそのときの社会全体の豊かさによって変化します。恐らくは、非常に貧しい社会では自由社会が望ましく、それほど豊かでない社会では平等社会が望ましく、十分に豊かである社会では自由社会が望ましいだろうと思います。ただ、平等社会は不正や怠慢が蔓延りやすいので、概して自由社会の方が社会全体をより豊かにできます。

社会体制は簡単には変化させられないので、どっちかと言えば経済状況の変動に対応できる自由社会を選び続けるのが望ましいです。恐らくは、自由社会であることを原則とした上で、社会の余裕の範囲内で困窮者救済を施すのが最善解だろうと思います(ただし困窮者をすべて救済できるわけではないし、不正には特に特に厳しく対処しなければなりません)。

護身用武器の選択(Re:渋谷駅刺傷事件) (2012年05月24日)

渋谷駅の事件の容疑者が逮捕されたそうです。報道によれば凶器は刃渡り30cmのサバイバルナイフとのこと。武器を扱う者としてはあまり愉快な話ではありませんが、「自分たちは犯罪に用いてないから同一視しないで」と主張するだけでなく「武器の威力や目的に応じた武器の選択」を啓蒙していくことが重要だと思ってます。

推察するに、この犯人は大型サバイバルナイフにどれだけ威力があるのかを実感できなかったが故に、護身用として持ち歩くことができ、カっとなった程度で安易に使用できてしまったのだろうと思います。もしどれだけ威力があるものかを知っていれば、治安の良い現代日本でこんなもんを護身用に持ち歩くことなんてとても怖くてできません。

刃物は生活に必要なものですので、感情的に敬遠したり禁止したりするのではなく理性的に適切な使い方を修得させなければなりません(自動車なども同様です)。学習の過程においてケガすることもありましょうが、正しい使い方や危険性を憶えることの方がずっと大事です。その為にも、子供には工作や調理など積極的にやらせるのがいいと思ってます。

治安の良い現代日本社会において「実際に用いたら確実に過剰防衛とされてしまうもの」を護身用に持たねばならない状況はほとんどありませんし、威嚇の為に見せつけるだけでも犯罪とされかねません。だから、護身の為に何かを身に付けるなら「常持していてもおかしくないもので、十分に練習して使いこなせるもので、実際に護身や威嚇に用いても犯罪にならないもの(拳や蹴や技などを含む)」にすべきでしょう。余談ですが、「護身の為に身に付けている」なんて言ってはいけません(苦笑)

意外に実用的な護身術は、「囲まれた状態からバッグを抱えて逃走する」という一点において『ラグビー』だろうと思ってます。もちろん、「治安の悪い場所や暴力的な人を避け、他人からの恨みや妬みを買わない」がより重要なのは言うまでもありません。

もし社会の治安が劇的に悪化して犯罪に巻き込まれるリスクが銃刀法違反や過剰防衛のリスクよりもずっと大きいものとなったなら、自衛の為の武器を身に付けた方がいいです。だから、平時にあっても準備と心構えだけは怠るべきではないと考えてます。

Re: 女子の言う「生理的にムリ」とはなにか? (2012年05月24日)

私は男性だから、「この相手と繁殖できるか?」を理由とする女性の感情はおそらく共感できてません。ただ、男性にも別の理由での「生理的にムリ」はあるので、例えば蓮画像や腐肉に対する嫌悪感に似た感情を女性は抱くのだろうと勝手に想像してます。もしその想像がおおよそ正しいのであれば、女性の言う「生理的にムリ」は対処しようがありません。

女性と比較して男性は「この相手と繁殖できるか?」を社会的あるいは倫理的な要素を重視して考えがちなので、それらの要素を考慮しないでいい状況ならば誰とでもセックスできるでしょう。< あくまでそういう傾向があるという意味です。

そこまで痩せなくてもいいと思うよ (2012年05月24日)

痩せている女性が綺麗とされる理由の一つは、スタイリッシュな服を崩さずに着れることです。だから、恋愛目的でダイエットするならば、脱がされた後のことも考慮すべきでしょう。

ランバ・ラルも「見事だな!しかし、小娘。自分の魅力でモテたのではないぞ。その服装の魅力のおかげだということを忘れるな!」と言ってます。

Re: 社会人になって買った一番高価なモノ (2012年05月23日)

振込ではなく「現金一括で購入」という条件なら、日高のり子(声優)の実家で最初に仕立てたスーツかな。生地はダブルフェイス。内側や細部は着道楽仕様。うる星LD50ぐらいの値段でした。

上溝 (2012年05月23日)

時間に余裕があったので、上溝経由で帰宅することにしました。

上溝駅は単式ホーム1面1線の高架駅で、十年ほど前までは、築堤上に平屋の駅舎がありました。なんでそんな築堤があったかというと、「戦前の相武電鉄(not総武電鉄)が上溝駅の下で交差する計画だったから」だそうです。

相武電鉄は淵野辺駅から上溝駅を通り上田名のあたりまで走る予定でしたが、残念なことに世界恐慌の影響で未完成のまま終わりました。ちなみに、相模原市の地図を見ると線路跡らしい区画がありますが、この区画は線路跡ではなく防風林の跡です(子供の頃はずっと線路跡だと信じてました!)。資料によれば、総武電鉄は高校入口(TSUTAYA前)のあたりを通る予定だったそうです。

もし開通してたら相模原も別の形で発展してただろうと思います(『A列車で行こう』的なイメージで)。現在の相模原市は「ヘソ(中心地区)の無い町」として有名ですが、1941年に相模原町が誕生する前は上溝村がこのあたりのヘソだったそうです。今ではすっかり鄙びてますけどね。

上溝駅から田名方向を眺めながらそんなことを考えてました。

上溝駅を降りると、ちょうどバスが出たばかりでした。せっかくなので相武電鉄の痕跡を(と言ってもダイエー裏の「ババ池」跡地周辺ぐらいですが…)訪ねました。

十数年前までは残っていたはずの遺構物はもうほとんどありませんでした。いつ埋め立てられたものやらババ池もすっかり駐車場です。右手の土手にあった洞穴も「目印だった木」だけが残ってました。駐車場から見上げる横山台地はあまり変化ないように思えました。ババ池から台地を見あげると、台地の土手際を相模線が走り、その向こうに上溝中学校があります(ちなみに上溝中学校正門を入ってすぐ左に横山公園への抜け道があります)。

寂しさを抱くと同時に「なんだかんだ言っても、ちゃんと開発が進み発展してきたじゃん」という妙な安堵を覚えました。小田急多摩線の延伸でもない限り急激な発展は望めませんが、この街が過疎化することはなさそうだし着実に歴史を刻んでいくと思います。

相模原市は地形的にこれからも中心地区は存在しないでしょうが、一極集中の弊害も少ないし大都市からも近いので全体的に発展していくと思ってます。

ダイエーで、駄菓子(イカ)などを買って帰りました。

夕食 (2012年05月22日)

「シーフー・ド・カーレ」と書くと人名みたい?

マヨ&フルーツ (2012年05月22日)

マヨネーズと果物との組み合わせはあまり美味しくないと感じます。

バンガードミッション例会でプレイされたゲーム (2012年05月21日)

2009年3月〜2012年5月にボードゲームサークル「バンガードミッション」でプレイされたゲームをまとめました。ゲーム名の前の数字はプレイされた例会数です(1回の例会で何度も遊ばれていても1回と数えてます。プレイ時間やプレイ人数も考慮していません)。拡張やシリーズは代表作にまとめてます。

味噌ラーメン(鶏ガラ)に思う (2012年05月21日)

…確かに優れた組み合わせだし確かに美味しいのですが、この組み合わせばかりじゃ飽きられますし他店との差別化も難しいです。モヤシが乗っていない味噌ラーメン(鶏ガラ)を出す店はもっと増えていいと思います。

『境界のRINNE』12巻(高橋留美子/小学館) (2012年05月18日)

呪いのワラ人形の話が良い。

節電者がバカを見る社会? (2012年05月18日)

もしもみんなが平等に一定比率で節電するとなれば、もともと節電してて節電余力の少ない人が被る損失は、もともと節電してなかった人が被る損失よりもずっと大きいものとなります。結果的に、有事になったらみんなが平等に一定比率で負担という仕組みは、「宣伝者がバカを見る仕組み」でもあり、平時の節電を阻害する誘因になってます。また、節電余力のない人を盾にして、電力会社は発電所の建設や稼働を正当化できます。いずれも、電力会社にとって営業的に望ましい仕組みです。

より現実的かつ公平な代案として「1人当たりの基礎的な使用量(あるいは電気使用契約に応じた基準値)を超えた分について節電対象にする」を提示します。基準値を超える超えないの閾値を境にして明確に支払い料金に差異をつければ(例えば超えなかったら2割引きで超えたら2割増しなど)節電の誘因になると思います。

ただし、このようにしてもなお電力が不足する可能性は高いです。火力発電所だっていつまでもフル稼働させるわけにはいきませんし、予備の発電力がなければ予告なしのブラックアウトで莫大な損失が発生しかねません(予告ありのブラックアウトなら事前に対策することで損失を抑えられます)。

感情ではなく理性を持って総合的に考えるコトが大事だと思います。

余談ですが…。この程度のことは当然に検討されているはずなのですが、あまり議論されてるように見えません。やはり、それを望まない人達がいるってことなのでしょう。

インスタントコーヒールンバ (2012年05月16日)

かつて『うる星やつら』本放送時のコマーシャルで『コーヒールンバ』を何度も聞きました。「琥珀色した〜」のあたりが印象的でした。

紅茶党の私が紅茶専門店で紅茶を飲まないのは自宅で十分に美味しい紅茶が飲めるからです。そして、私が珈琲専門店でコーヒーを飲むのは自宅で美味しい珈琲を飲めないからです。< たまに自宅で飲む珈琲はインスタント(ソリュブル)で十分だと考えてます。ミルやサイフォンはメンテが面倒だし、ドリップするヒマがあるなら紅茶にするし、そもそも牛乳5割で飲んでますし。

先月のことですが…。ふと「私の好みのインスタントコーヒーは何だろう?」と思い立ちまして、入手しやすいものをいくつか買い込んできました。まずそれぞれの商品について、標準と薄めと濃いめで比べて最適な濃度を求めます。一次予選で『ブレジデント』『ゴールドブレンド』『ゴールドブレンド(カフェインレス)』『香味焙煎(深煎り)』に絞りました(残りは他人に押し付けました)。4種類中2種類(つまり6組)を同時に煎れて飲み比べました。

ブラックで飲むなら『ブレジデント』がコクがあって最も美味しいと思います。苦みの強い『香味焙煎(深煎り)』がそれに続きます(気のせいか粒子が溶け残ります)。『ゴールドブレンド』はやや酸味がありますが、煎れたときの香りが非常に良いです。『ゴールドブレンド(カフェインレス)』はノーマルと比べてやや香りが弱いかな。

実際にはカフェオレ(濃い目。ミルク・イン・アフター。ノンシュガー)で飲むので、どの銘柄も似たような味になります。カフェオレでの試飲では、区別つかなかったこともしばしばです。

いろいろ10秒ほど考えましたが、熱湯を注いだ瞬間の香りをより愉しめるということで『ゴールドブレンド』系を正式採用しました。

★相対的な豊かさ・絶対的な幸せ (2012年05月14日)

幸せと豊かさとは必ずしも同一じゃないよ。例えば「困窮だが幸福」と「不幸だが裕福」とは明らかに違うでしょ。経験的に言えば、衣食住を満たせる程度の豊かさは幸せの必要条件だけど、それ以上の豊かさは必ずしも十分条件じゃない。

豊かさはあくまで手段だから、他人と比較するんじゃなくて自分の目的達成に必要な分が足りてるかどうかで考えるべきだと思う(そりゃ、将来の保険や予備としてある程度の余裕はあった方がいいけどね)。だから、経済面だけを見て「勝ち組・負け組」というのはあまり意味がない。相対的に勝利することそのものが自分の幸せだと信じてるならそれでもいいけど、たいていの人の幸せはそんなところには無いさ。

相対評価と絶対評価の相違は「コンテストとテスト」で説明するのが分かりやすいと思う。

狭い社会における相対評価で勝利できても、より広い社会における相対評価で勝利できるとは限らないし、絶対評価で合格できるとも限らないさ。例えば「目くそ、鼻くそを笑う」や「試合に勝って勝負(内容)に負けた」の意味を考えれば分かるでしょ。逆に、名門大学で落ちこぼれた人の学力は、同年齢の地球人の中ではトップクラスだと思うよ(自分の周囲しか見ないでもいいという自由ゆえに、人は「トーナメントの呪い」に悩まされ続けるのさ)。

コンテストでのチートには意味があるけど、テストでつじつま合わせてもあまり意味はないよ。無理して見栄を張って「勝ち組」であり続ける必要はないし、実際に「勝ち組」であったとしてもそれを鼻に掛ける必要もないさ。

受動態における「能動態主語の省略」 (2012年05月14日)

「〜は許されない」という表現を見る度に「実際に誰が『許さない』と言ってるのだろう?」と考えます。主語の省略でミスリードを誘うのは初歩的なテクニックですが、あまり美しくありません。そういうのはちゃんと書いて欲しいなあ。

日本が日本の植民地になる話 (2012年05月11日)

もともと「植民地」とは、宗主国から国民が移住し宗主国とは異なる法的地位にあって宗主国に従属する領土のことです(近現代においては必ずしも移住は必要とされません)。宗主国の負担で開発がなされ発展することもありますが、たいてい宗主国の国力維持の為に植民地は多大な負担を強いられます。

植民地の運営においては、法律や条約などのシステムで雁字搦めにした上で、現地人の不満が現地政府に向くようにするのが定跡です。いったん植民地となった地域が自力でそのシステムから逃れるのは非常に困難です。

未来の日本は植民地になってると思います。もちろん宗主国は過去ないし現代の日本です。< ほら、現在の生活レベル維持の為に、将来の国民負担増を現代の政府が法令で決定してるじゃないですか。しかも、未来に発生するであろう不満はその時点での政府に向けられるのです(現在の民主党がいくら「ジミンガー!」と叫んでも、将来の政権がいくら「ミンシュガー!」と叫んでも、批判が向くのはその時点での政権です)。余力を搾り取られた植民地はちょっとした災害や失政でも破綻してしまいます。本来はボディブローで余力を搾り取った宗主国に文句を言うべきなのですが、たいていその手段は消されてます。そして、未来の日本がそのシステムから逃れるのは非常に困難です。

未来の日本を植民地にしないようにするには、多大な資産を未来に残すだけではダメだと思います。なんせ、資産が残っていればいるだけ現代が使い込みますから(苦笑)

チキンカツの美味し食べ方 (2012年05月09日)

フライとソースとの相性は良いが、チキンとソースの相性は悪いと思う。だから、チキンカツは「衣はソースで食べ、肉は例えば塩で食べる」が美味しい食べ方になるのではなかろうか?

りおぐらんでぱりさんだー? (2012年05月09日)

ちょっとした特殊裏工作の為に東急ハンズでいろいろ材料や部品を仕入れてきました。

たまたま木材コーナーで様々な材木を見掛け、「そういえば、子供の頃はシーズン毎に泊まりがけで伐採を手伝ってたなぁ。おかげで基本的な樹木や材木だけなら識別できるようになったけど…」と懐かしみつつ、ラベルを見ずに色合いや重さや手触りや臭いなどで識別を試みました。

ところが、半分ぐらいは分かるのですが、残りが分かりません。諦めてラベルを見ると「りおぐらんでぱりさんだー」と書いてあります。

なんとなく悔しかったので、在庫のあった全種類を買い込みました。コクタン、カリン、パドック、チーク、カシ、ホオ、ブナ、ケヤキ、ウェンジュ、シタン、カツラ、サクラ、ヒノキ、パオロッサ、リオグランデパリサンダーです(15種1151円)。

明日からアイデンティファイの特訓です。

アクワイア本 (2012年05月09日)

いつかボードゲーム『アクワイア』における「手番効率」や「キングメーカー制御」について書いてみたいです。

サークル参加の目的 (2012年05月09日)

二十数年前にも云ってたことですが…。即売会のサークル参加の目的は以下の4パターンに大別できると思う。「私の表現をみんなに見てもらいたい」「お金を稼ぐ為に作りました」「ブース確保する為に作りました」「早く入場する為にダミーサークルを作りました」。1番目を名目にした3番目はけっこう多かったり。(

これで『ギャプラス』やりたい (2012年05月07日)

ゴールデンウィークが明けると、メインマシンのディスプレイが力尽きてました(長年の御役目に感謝)。で、サブマシンのディスプレイをメイン用に割り当て、サブマシン用に安いディスプレイ『LCD-MF221XGBR』(IO-DATA)を買ってきました。

しかし、実際に組んでみると「…あれ?ディスプレイの幅が1cmほど大きい?」という状態に(苦笑)。ディスプレイに合わせてデスクを改装するのは簡単なのですが、そこでふと「あるもの」を思い出しました。それは数日前に見掛けた「1980年代のパソコン雑誌の画像」です。

ずっと昔に、我が家でもパーソナルコンピューターというものを導入することになり、その候補の一つに『PC-100』(NEC/1983年)がありました。しかし、あまりに高価だったので早々に選択肢から消えました(そして早々に市場からも消えてしまいました)。マウスを用いたGUIは、当時としては非常に先進的だったと思います。

『PC-100』の魅力の一つが、縦長ディスプレイ(全角64文字×45行)でした。人間の眼の構造を考えるに、横書き文書を表示するディスプレイは、縦長の方が使いやすいはずです。昨今にワイドなディスプレイが多いのはテレビや映画やゲーム画面を表示することが前提になっているからでしょう。

サブマシンはもっぱらブラウズや文書作成にしか使ってません。新しく買ったばかりのディスプレイを「うりゃ」と横に倒してみました(そして画面プロパティで縦に設定します)。

まだ使い始めたばかりですが、予想以上に使いやすいです(偶然ですが、HHKの幅ともほぼ合います)。ディスプレイ固定器具と左右スピーカー(現在は上下スピーカー状態なのです)は明日にでも考えます。

ごめんなさい (2012年05月01日)

大の為に小を犠牲にした者は、自分を正当化して呪縛から逃れるのではなく、贄たちの十字架を背負って生きなきゃなりません。さもないと、いつか死の鎌を振り下せなくなります。雨はいつも冷たいです。

今月も宜しくです (2012年05月01日)

トラブルが発生したときに自分に責任が及ばぬように備えるよりも、そもそもトラブルが発生しないように備えたい。そんなことを思った朝です。おはようございます。今月も宜しくです。

Re:非電源ゲームサークル「袋小路」の例の件 (2012年05月01日)

運営者は能動的かつ理性的に責任を果たさなければなりません。

過去に何度か注意してなお周囲に迷惑を掛け続けたなら、出入り禁止などの措置は妥当かと(それでも「俺はお前が嫌いだ」は主催者の仕事とは別だと思います)。

執行方法について言えば…、衆人環視の場でわざわざスタンドプレーしなくとも、通告書を手渡した上でその旨を公式サイト等で報告する方がスマートだと思います。別にみんなから賞賛を受ける為にやってるわけじゃないでしょ? < これは友人としての忠告です。

いわゆる「人間の尊厳」問題については(当人が自分の日記でも書いてるように)主催者の方がずっと酷いので、あまり触れないのが宜しいかと。

食べられる幸せ (2012年04月29日)

たまに思うのです。もしも「捕食されることで繁殖する一部の動植物」に意識があったなら、艶やかな果実は「私を食べて」というアピールであり、共食いされる雄蜘蛛は子孫の栄養となることを本能的に知っており、彼らは捕食される瞬間に性的な快感を得るのかも知れない…と。

揚げ物の好み (2012年04月26日)

鶏は唐揚げ、魚は竜田、野菜は天麩羅、豚はカツ、牛は…揚げないで煮るか焼くかして欲しい。

ドラゴンクエスト25周記念ふくびき所スペシャル『1/1サイズ ラーの鏡』 (2012年04月25日)

ムーンブルク城の東にある毒の沼地で「(1/1サイズ)ラーの鏡」を拾ってきました♪

「少年法を改正すべき」という理由 (2012年04月24日)

私の刑法観で言えば、人間が社会を作るときに刑事法を定めたのは「因果応報による抑止を用いて相互に平穏な生活を保証する為」ですし、公的機関が刑罰を執行するのは「権力や武力をもって制裁を実現する為であり、私刑や復讐による因果過報を防ぐ為」です。

だから、捜査や量刑や執行が適切になされなければ、抑止効果が不十分になるのは当然だと考えます(少年法の存在が少年事件を誘発しているのは明らかです)。抑止が不十分な状態では、しばしば私刑や復讐による制裁が抑止の為に必要とされますし、適切な私的制裁は社会から支持されてしまうでしょう。

しかしながら、私的制裁はしばしば過剰な制裁となってしまいがちです(万引き少女を店員がレイプしていいわけではないのです)。それに、このネット社会においては‘無関係な正義の第三者たち’が寄って集って「ボクが考える適切な制裁」をしてしまうので、結果的に過剰制裁になりやすいです。

また、因果応報を理解できない者への刑罰にはあまり意味がないと考えてます。例えば火遊びで地域一帯を全焼させた幼児を死刑にしたところで、他の幼児に対する抑止にはなりません(監督不行届への刑罰は意味があります。それによって他の監督者に対する抑止になります)。また、懲役十年と懲役三年の違いを想像できない者に対して量刑の差異をもって抑止するのも難しいでしょう。だから、義務教育において社会の仕組みをしっかり教育すべきだし、義務教育修了後は刑罰を減免すべきでないと考えます。

上記2点を主な理由として現行の少年法は廃止あるいは改正すべきと主張します(ただし、改正した上で遡及して適用することには反対です)。

余談いくつか

故意か過失については、「殺意はなかった。未必の故意があれば無免許運転しなかった」となるので過失が相当だと思います。だから「過失による事故の罰則はもっと重くすべき」と主張します。

いくらガードレールを作ってもガードレールが作られてない道路は日本中にたくさん残ってます(今回の事故現場のそのひとつです)。地域共同体の予算と効率の範囲で通学路の安全を確保すればいいと思います。

少年法とマスコミによって加害者が過剰に保護されているので、「適切に捜査し適切に情報公開し適切に制裁すべき」と考えている人々たちが義憤にかられて暴走し、加害者&監督責任者だけでなくその周辺や無関係な人々まで攻撃しているのでしょう。明らかに過剰制裁なのですが、それだけ少年法やマスコミに対する鬱憤が溜まっているのだろうと思います。少年法は改正すべきだしマスコミの体質も改善すべき。

『バトル&ゲット!ポケモンタイピングDS』 (2012年04月24日)

小型のBlueToothキーボードが必要になったのでamazonで『ポケモンタイピングDS』の白と黒とで2個を注文しました。カバー無しで鞄に放り込める堅牢性は良いです。それぞれ新品1720円(http://www.amazon.co.jp/dp/B004QL7LY2/)は安かったのですが、余ったソフトはどうしよう?(笑)

焼きモノの好み (2012年04月23日)

玉子は醤油味で、鶏は塩味で、豚は味噌味か生姜醤油で、牛はステーキソースか焼き肉のタレで。

少年老い易く学なり難し (2012年04月22日)

期待値で言えば、若い頃に身につけた技能は永く役立ちますし、最終的に到達できるレベルも高いです。逆に言えば、老いてから身につけた技能は残りの短い寿命の間しか役立ちませんし、到達できるレベルにもある程度の限界があります(だから、多額の社会補助がありかつ長期の社会還元が期待される医学や法学においてしばしば年齢制限がなされるわけです)。

寿命ゆえの到達限界や使用可能期間や習熟機会を考えるに、老後に新たに学ぶ技能は実用的なものではなく趣味的なものがいいと思ってます。個人的には、遊戯史や統計考古学やりたいです。

「少年老い易く学なり難し。一寸の光陰軽んずべからず」には、このような意味も隠されていると勝手に想像しています。

スティールタンドラム『Cycle of Fifths』 (2012年04月20日)

たまにはスティールタンドラム『Cycle of Fifths』(プロパンガスボンベとも言う)を鳴らしたいのですが、ちょうど良い練習場が少ないのが悩みどころ。けっこういい音色です。

(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー! (2012年04月20日)

アニメ『這いよれ!ニャル子さん』をオススメされたので夜中に2話まで視聴しました。もともと作品名は耳にしてましたし、ラヴクラフトの作品は一通り読んだことあるし、クトゥルフTRPGも何度かプレイしたことあるし、呪文ぐらいなら唱えられるので、敷居は低かったです。パロディの元ネタもおおよそ分かりました。何度も見るほどではありませんが、普通に面白かったです(SANチェック失敗?)。

ネットで感想など検索してみると、意外にも否定的な意見が多く目につきました。二番煎じだとかパロディについての批評が多かったです。それらの中には『うる星やつら』との比較までありました(笑)

さて、新作が「どこかで見たことあるような過去のテンプレート通りのもの」(過去の作品の再利用やリメイクを含む)であることは、それほど否定すべきことでもありません。今年の教科書は昨年とほぼ同じ内容であるべきだし、今年の新茶は昨年とほぼ同じ味であるべきです。いわゆる二番煎じや劣化コピーとならない範囲で、その時代にあわせた調整がなされているのが望ましいと思います。

ただ、新作が過去のテンプレート通りのものばかりであってもいけません。たとえ今は採算が取れなくても、将来にあわせた新たなテンプレートを開発しなければ、やがて文化は停滞してしまいます。未来への投資を続ける為にも、過去のテンプレートを利用した採算性の高い作品の存在は有用です。

そして当然のことですが、過去のテンプレートから外れたものばかりになってもいけません。新しいものが良いものであるとは限らないのです。ある程度に蓄積された文化の伝統を失うのは文化の停滞よりも悲劇的なことです。

このロジックは、コミックやアニメやノベルやゲームに限らずもっと広く適用できるものだと思ってます。

交差点の風景 (2012年04月19日)

午後2時過ぎの交差点に人集り。ほどなくして目立つ黄色い帽子の小学生らの姿も見える。どうやらこの人集りは、新入生の帰宅を迎えに来た保護者たちのようだ。なんか和んだ。

発射2分後から海上自衛隊が追跡してたが (2012年04月19日)

これが「我が国が損害を被る可能性もその程度も十分に小さいので、我が国の探知能力を第三国に知られない為に敢えて情報を遅延した」のであればどれだけ安心できることか(苦笑)

小学校の給食 (2012年04月19日)

主食はコッペパン(食パン2枚が週1回、きなこ揚げパンと揚げパンとソフト麺がそれぞれ月1回)。袋ジャムはリンゴかイチゴ。飲み物はいつも三角牛乳。主菜はカレーシチューや掻卵汁など。副菜は鯨竜田揚げや肉団子やヨーグルトポンチやバナナなど。

人間に限らず全ての動物は、本能的に食べ物についての記憶に優れてるのです。

領有と領有権と領有権主張と (2012年04月18日)

社会や国家の成立まで時代を遡って考えるに、もともと領地とは「徴税や行政や司法などの国内法が実際に適用できている地域」に相当します。また、「領有」を実現できたとしても「領有権」を確立する為には、それを主張するだけでなくその地域の周辺国家すべてによる承認も必要でした。歴史を眺めるに、周辺諸国による承認を得る為にしばしば外交力や軍事力が用いられました。

現代では領有権について国際法が整備されてきており、多くの国家が「相手の領有権を国際法に従って承認する義務」を負ってます。しかしながら、その解釈が必ずしも当事者間で共通しているわけではないので、領有権が成立しているか否かはしばしば争われ続けます。

その国際法では、歴史的正当性よりも実効支配が重要であると考えられてるようです。例えば「50年間の実効支配で領有権が成立する(つまり、周辺諸国は承認しなければならない)」という判例もその一つでしょう(実効支配の定義はともかく)。領土問題を解決する為のこの判例の存在が皮肉にも、領土問題を外交ではなくこの判例で解決しようという誘因になって「領土問題は存在しない。よって交渉テーブルにもつかない」という主張に結びついてるように思います(もっとも、外交したところで解決しないのでこれが最善手なのかも知れません)。

アクアスキュータムの破綻 (2012年04月17日)

若い頃に着てました。今ではバーバリーの方が好きだけど、アクアスキュータムの破綻は残念です

Re:内定でないのは「学生時代を漫然と過ごしたツケ」 (2012年04月17日)

受け皿(なお、ワーキングプアや奴隷契約書が受け皿か否かは別問題)があるのに就職しようとしない人に対する批判や、受け皿を作れる環境なのに受け皿を作ろうとしない人に対する批判は、それなりに筋が通ってます。

しかし、受け皿が足りず、そして受け皿を作るのも難しい環境においては、そんな環境を維持してる側に対する批判の方がより筋が通ってます。もしも最貧国の指導者が自国民に対して「貴方が貧しいのは貴方の努力が足りないからです」と責任転嫁ばかりしていたら、その国はいつまでたっても最貧国のままでしょう。

愚劣な司令官は「勝ち目のない戦いに送り込まれようと、兵士みんながランボーやコマンドーや私のように戦ってれば勝てたはずだ」と原因追及せずに部下の兵士に責任追求することがあります。その司令官がもともと優秀な兵士であったならなおさらです。そんな司令官にはさっさと失脚して頂くなり最前線に戻って頂くなりした方がいいと思います。

枯れ枯れ詐欺? (2012年04月17日)

数十年以内に石油が枯渇するか否かやシーレーンが維持できるか否かはともかくも、原子力発電を廃止するなら「数十年後の日本で石油が不足する可能性」を想定しておかねばなりません。もし代替エネルギーのコストが石油や原子力の数倍に及ぶなら、電気料金の値上げも十数%どころか数百%に及ぶでしょう。そして発電プラントの建設が間に合わなければ、長期にわたる計画停電もありえます。

「太陽光だ」「地熱だ」「潮汐だ」「風力だ」と言うだけなら簡単ですが、膨大な電力需要を賄えるだけの発電量をそれらで実現するのはとてつもなく困難なのです。でも、脱原発を本気で目指すなら、そのコストとリスクを今から負わなければなりません。

タマネギの皮 (2012年04月17日)

「タマネギの皮」という瓶詰めを見掛けました。その名の通り、タマネギの皮を粉末状にしたものです。宣伝文句によれば「ケルチニンが豊富」とのことです。知らない人にとっては新種の薬効成分に見えるかも知れません。

でも、クェルセチンはいわゆるビタミンPの一種です。昔から存在する栄養素で、お茶やソバなどに豊富に含まれてます。もちろんタマネギ本体にも十分に含まれてます。

知られていようが知られていまいが、今も昔も玉葱の効能に違いはありません。

風の流れを読むこと (2012年04月17日)

空気の流れゆえか、建物の中にワタボコリが妙に溜まる隅があります。果たして、ホコリが溜まらないように流れを変えるべきか、もっと溜まるようにして掃除効率を上げるべきか?

負け方の美学 (2012年04月17日)

負け方の美学は人それぞれですが、「最後まで全力で粘る」か「次のゲームに期待して降参する」かが典型だと思います。

娯楽や交流を目的としてゲームを用いているなら、さりげなくスマートに降参するのがエレガントだと思います。例外はキングメーカーとなった場合ぐらいかな(笑)

西門夜桜祭り (2012年04月17日)

15日(日)夜の帰りに西門夜桜祭りに寄りました。ちょうどい機会なので、持ち込みセットから『シャット・ザ・ボックス』を紹介してみました(通行人の含め7人ほど)。個人的にはこういう雰囲気がすごく好きです。

ちなみに、もともとこのゲームは酒などを賭けたパブゲームですので、こういうプレイスタイルが本来の遊び方です。

小学生の頃によくやった遊び … 『あたご』のメモ (2012年04月17日)

小学校では昼休みや放課後に『メンコ』『消しゴムレース』『鉛筆タンク』『あたご』などで遊んでました。ときどきパズル類も流行ってました。公園では『三角ベース』『にくばく』『どろけい』『5カン』などで遊んでました。自宅や友達の家では初期のテレビゲームの他にトランプとか将棋とか軍人将棋とかで遊んでました。『ポンジャン』『ペトロポリス』『作戦将棋』『コカコーラヨーヨー』も記憶にあります。他にも季節の遊びとか銀玉鉄砲とか各種工作とか『ババ池のザリガニ釣り』とか(笑) < 遊びではないが、駄菓子はよく食べた。

相模原ローカルな遊びである『あたご』は、「何をして遊ぶか?」を決める為のメタ遊びです。

ルールを簡単に説明すると、「一人が馬になり、その他の人が順にその馬を片足でまたいで乗り越えます。乗り越えるときにそれぞれが「あたご」「いちご」「えいご」「だんご」「さいご」のように言います。先頭の人と馬役の人とがジャンケンして、勝った人が「何をして遊ぶか?」を選びます。そして、その遊びで負けた人が次の馬になります」です。

選ばれる遊びは「七五三」「くさり(たけのこ)」「ケンパ(ケンケンパトロール)」「リンリンリン♪いま何時?」「チクタクチクタクボーンボーン」「大砲」「タバコ屋さん(魚屋さん、八百屋さん)」「豚のこま切れ」「蜂」「シルバー○○世紀」「ゴールデン○○世紀」 「おじぞうさん」「テレビ1週間」「アヒルの1週間」「お散歩」「買い物」「お水(お団子)」「富士山」「馬とび」など短時間で遊べるのものばかりでした。

遊びを選ぶチャンスがオニにもあることで弱者救済システムが成立しており、イジメが発生しにくい仕組みだったと思います。

お茶のお菓子 (2012年04月17日)

ほとんどのお菓子は紅茶に合いますが、紅茶ケーキばかりは紅茶以外の飲み物と合わせたいです。飲食の質をより愉しむにはコントラストが大事だと思います。

【mixi】郷に入らば郷に従え (2012年04月14日)

現状を鑑みるに、mixiの月間利用者数は確かに減ってないでしょうが、日記やコミュをメインに利用しているユーザーの利用頻度は確実に減少しました。

現状について私の認識は以下の通りです。

数日前(2012年04月12日)の日記「碁石密度の問題」に喩えれば、白石がコンテンツを投稿する集客ユーザーに相当し、黒石はアプリを利揺する収益ユーザーに相当します。白石の密度が高ければ白石も黒石も増やすことができますが、白石は収益に貢献しません。

mixiのビジネスモデルチェンジから私たちが学べることの一つが『郷に入らば郷に従え』の重要性です。社会が新規メンバを受け入れるときは「その社会のルールを強制できるか否か」が重要です。強制力もないのに無闇に受け入れていては、その社会はやがて衰退してしまいます。国家レベルで喩えるなら「民度や文化を維持する集客ユーザー」と「税収や労働力の為の収益ユーザー」に相当します。サークルに喩えるなら、不純な目的の新規メンバを放置していれば元々のメンバが離れていくでしょう。

新規メンバを受け入れるときは、事前チェックや指導やフォローを確実にできることが必要条件だと思います。

普段着のマナー (2012年04月13日)

「TPOを弁える」には「公式な場ではそこに応じた厳しいルールに合わせて振る舞う」だけでなく「非公式な場ではそこに応じた緩いルールに合わせて振る舞う」も含まれます。周囲に迷惑を掛けない私的な場なら、ちゃんとした服装でなくてもいいしゴシップや下ネタも遠慮しないでいいと思ってます(そもそも、そんな場所で杓子定規に振る舞うことこそ周囲に迷惑じゃ?)。

毎日24時間いつでもどこでも完璧超人でいたら自分も周囲も疲れちゃいますよ。

『涼宮ハルヒの立体』 (2012年04月13日)

近所のファミマで『ワンダ モーニングショット 涼宮ハルヒの立体』(980円)が特価250円だったで試してみました。いろいろ考えたけど、佐々木さんが良いです。

偏った普通教育を受けた世代が保護者になると (2012年04月13日)

義務教育とは「保護者が子供に普通教育を受けさせる義務」だから当然に子供の食育費用を負担する義務も含まれます。権利を重視し義務をないがしろにする偏った教育を受けてきた世代の中には、そのような無知ゆえの暴論がしばしば見られます。

現在の世代が保護者になる未来に、モンスターペアレントがどれだけ蔓延るか今から心配しています。つくづく教育は大事だと思います。

Re:猫ひろし (2012年04月13日)

芸の為であろうが無かろうが、発展途上国の為に設けられた特別枠の趣旨をないがしろにするのは良いことではありません。国際陸上競技連盟が疑問視するのは当然でしょう。また、対象国における国民感情への影響を考えると、明らかに日本の国益に反します。芸の為にすることとそれが許容されることとは別問題です。

もし芸として発展途上国に帰化したのであれば、いつか帰国しなければならないこともやはり芸の続きであろうと思います。気の毒ですが、その芸で喜ぶ人は非常に少ないと思います。

本当に辛いカップヤキソバ (2012年04月13日)

若いカップル向けであるはずの『ペヤング激辛』を試しました。うん、本当に辛いです。そんじょそこらの激辛よりも辛いです。「もう一杯いく〜?」と聞かれたら「いやです」と答えますっ(苦笑)

ルールは事故を予防する為にあり (2012年04月13日)

大事なのは安全に運転できる状態か否かだから、「持病の薬を飲み忘れての運転」や「メガネを付け忘れての運転」や「眠気が酷い状態での運転」や「急性脳卒中のリスクが有意に高い状態での運転」や「交通ルールを適切に判断できない状態での運転」や「アルコールを摂取しての運転」などはその程度や確率を考慮した上で同様に扱うべきと考えます。

もし「いきなり安全運転できなくなる可能性がある人の免許は剥奪すべき」と主張するならば「急性脳梗塞になったりアクセルとブレーキを踏み間違える可能性が有意にある人達の免許も剥奪すべき」と主張しなければなりません。

余談になりますが…。病気で仕事を辞めても何とか生きて行けるだけの相互扶助システムが機能していた時代はもう過去のものです。現在のように余裕がなくなった社会では、特に若年層は病気であろうと生活費を稼ぐために働かなければなりません。

桜色の思考疾走 (2012年04月13日)

無音の闇の中でぬるま湯に浸かっていると、五感がマヒしたかのような感覚を愉しむことができます。条件(特に温度)さえ揃えば風呂あがりに柔らかな羽毛布団に潜り込んでその感覚を味わうこともできます。いわゆる「精神と時の部屋」や「山河社稷図」は、人によっては狂気への誘いになりますが、短時間ならちょっとしたトリップを愉しめます。

そんな機会を得たら、私は思考をオーバードライブさせてます。わずか数分でたくさんのことを考えることができます。私にとってはすごく愉しい状態です。きっと、将棋盤に向かう棋士たちは自己暗示でそのような状態になれるのでしょう。

桜散る頃 (2012年04月13日)

桜の花が散っても桜の樹が枯れる訳じゃありません。だから、花の散りざまを人の死にざまに喩える人は、桜の樹を人の社会に喩えているのだと思います。来年の花やサクランボに未来を託して今年の花は散りゆくのです。

はっぴいバースデーマイダーリン (2012年04月13日)

4月13日(金)は「はっぴいバースデーマイダーリン」(1983年)の日です。『うる星やつら』の中でも名作と呼ばれる話の一つですが、単体で観てもたいして面白くないでしょう。喩えるなら、日の丸弁当における梅干しのような作品です。#1,#2,#3

神奈川県の地図をテーブルで (2012年04月12日)


相模原
川崎
 山北
清川愛川厚木座間大和横浜
松田秦野伊勢原海老名綾瀬
南足柄開成大井中井
平塚寒川藤沢
小田原二宮大磯茅ヶ崎鎌倉逗子横須賀
箱根
葉山
湯河原真鶴
三浦

『碁石密度の問題』 (2012年04月12日)

いくつかのボードゲームにおいては自分の手番に「点数を得る手段を増やす」か「点数を得る」かを選択しなければならないことがしばしば起こります。そのジレンマをできるだけ単純化してみました。

皮袋と十分な数の碁石を用意します。袋に白黒1個ずつ入ってる状態から、試行「袋からランダムに1個を取り出して袋に戻す。それが白でありかつ白の総数がm個以上であったなら黒1個を袋に追加し、それが白でありかつ白の総数がm個未満であったなら白1個を袋に追加する」を繰り返して、できるだけ少ない試行回数で黒の総数をn個にしたい。このとき、mをnで表して下さい(なお、mもnも自然数とします)。

いちおう解答らしきもんは出来ましたが、せっかくなのでみなさんに出題してみます。ヒントとしては、「初期状態から白m個になるまでの試行回数の期待値x」と「白m個と黒1個という状態から黒n個になるまでの試行回数の期待値y」とを定義して、mが増減したときにxとyの和がどうなるかを考えるのが分かりやすいと思います。暇つぶしにどうぞ。

青島ラーメン (2012年04月11日)

「秋葉原でイチ押し」ということで青島食堂で食べてきました。12時過ぎということで20人ほどが行列をなしてました。注文は叉焼麺大(850円)です。

いわゆる支那そばで、縮れ麺はほどよい堅さとコシがあり、スープは醤油が濃厚で、叉焼は薄いけど旨味がよく染みたものでした。総合的には十分に美味しいラーメンであり、体が塩分を欲しているときにはすごく美味しいラーメンであろうと思います。

でも、私の地元の方がレベル高いんじゃ?

光明星3号の打ち上げに思う (2012年04月11日)

北朝鮮は国連に加入しているので、各国の平和利用を認めた宇宙条約だけでなく、「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動」を禁じた国連安保理決議にも従う義務があります。北朝鮮の主張としては「国連安保理決議より各国の平和利用を認めた宇宙条約が優先される」とのことですが、この場合は「宇宙条約と安保理決議のいずれにも違反してはならない」と論理的に判断すべきでしょう。

事実上は「ミサイル転用を前提にした衛星打ち上げ」も「衛星打ち上げを名目にしたミサイル実験」も同じものです。

北朝鮮にとっては、実験の公開や国連の査察に備えて本当に「ミサイル転用を前提にした衛星打ち上げ」を行うのが最善手であろうと思います(将来に内部文書がリークされる可能性もあります)。衛星そのもの技術はそれほどたいした物ではないように見えます。もしかしたらペナントや記念碑のようなコンセプトの物体かも知れません。

一方、日米韓など周辺諸国は敢えて見学や査察せずに「事実上のミサイル実験である」と主張し、それぞれに有利な状況に誘導するのが最善手であろうと思います。日本にとっては沖縄周辺地域における防衛力のPRの効果が大きいです。将来に別方向から飛来する弾道ミサイルなどに備える演習にもなります。この状況を奇貨として利用することは日本にとって良い選択だと思います。

私の予想は「北朝鮮はロケット発射を行なうが、周辺諸国は迎撃する必要に至らない。ロケットが撃墜されなかったので準備中の核実験は不要となる(周辺諸国は、核実験されると更に批判しなければならなくなるので、撃墜は避けたいところでしょう)。北朝鮮は衛星ロケットの成功を国内にアピールし、周辺諸国はミサイル発射を批難するが追加的な制裁は行わない」です。中国はさして面白くないでしょうが、その他の国々はわずかずつポイントを得られるでしょう。

北朝鮮が核兵器カードを手放すのは「大阪城の外堀を埋めるようなもの」だし、周辺諸国も追加制裁カードはほとんど持ってません。だから、今回のような「衛星か?ミサイルか?」はこれからも繰り返されるだろうと思います。

備忘…Windowsにおける初代HHK(PD-KB01)設定 (2012年04月09日)

とりあえず使うには、標準の英語キーボード「PC/ATエンハンスPS/2キーボード(101/102キー)」で動きます(アダプタ使用でUSB接続する場合は、別の「PS/2接続キーボード」を挿した状態で繋ぐと選択できるようになるらしい?)。英語キーボードでは、IME設定で「Ctrl+Space」をIME起動に割り当てておくと便利です。

標準のUSキーボード用ドライバーでは、左右「◇キー(メタキー)」に何も定義されてません。そこでドライバーをAXキーボード用に変更して「無変換」「変換」を割り当てます。レジストリ(HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\i8042prt\Parameters)をいじって、「LayerDfiver JPN … 文字列 kbdlk41a.dll」「OverrideKeyboardIdentifire … 文字列 DEC_LK411_ANSI」「OverrideKeyboardSubtype … DWORD値 0x81」として再起動。

初代HHKは右端にしか「Fnキー」がないので、Fnキーを用いるカーソル移動がちょっとやりにくいです。そこで、ほとんど使用されない無変換キー(左メタキー)をFnキー相当に割り当てます。フリーソフト「AutoHotKey」が便利です。カーソル操作をesdxやhjklに割り当てるのも宜し。

『裸の王様』のキーボードカバー (2012年04月06日)

自宅PCのキーボードは『Happy Hacking Keyboard』シリーズ(PFU)を使ってます。

新年度ということでキーボードを替えることにしました。幸いなことに、ずっと以前に知人から頂いて保管したままだった『HHK(PD-KB01)』があります(…と言うか、いまここで投入しなければいつまでも死蔵されたままになりそうなので)。

キーボードカバーも新調しなければなりません。ラバーやビニールの触感はあまり好きではないので、薄い布で作ることにしました。でも、レースだと目が粗いし、不織布だと耐久性に難があります。触り心地の良い布はいずれも不透明です。

ふと、『ハダカの王様』に出てくる透明な布があればいいなと思いました。あの布ならタッチタイピングできない人にはキーの刻印が見えますし、キーボードを見ないでタイプできる人には不透明でも構いません。

…ここまで考えて、ようやく思い出しました。私が使おうとしているキーボードは無刻印タイプだということに。

独り言ぶつぶつ (2012年04月06日)

独り言とツイッターとの相違点を考察した今日この頃。

アニメ特集番組 (2012年04月05日)

テレビ観てます。こういう番組ではしばしばベストヒロインとして浅倉南(『タッチ』)が選ばれるのですが、本当にそこまで人気あるのか疑問を抱くことがあります。私の方が世間からずれているからなのか、単に世間がこういう番組でアニメを知ってるからなのか。どうなんだろ?

市販のインスタントコーヒー (2012年04月05日)

市販のインスタントコーヒーの中では、ゴールドブレンドが好みに近いです。ブレジデントが美味しいと聞くので、次に試してみるつもり。

お洒落なボードゲーム (2012年04月04日)

ダンディズムの世界では「お洒落な服」だけではなく「お洒落な人」であることが重視されます。この考え方をボードゲームに適用すると「お洒落なゲーム」だけではなく「お洒落なゲーマー」であることが重要になります。「お洒落なゲーム」については高級感のあるゲーム用具に限らずプレイヤーのファッションなども含むし、「お洒落なゲーマー」についてはプレイスタイルだけでなく生活スタイルまで含みます。ボードゲームをプレイするときだけお洒落であっても、そんな付け焼き刃では他者への影響などたかが知れてるのです。

ただ、普段のファッションや生活スタイルにまで口を出すのはあまりにお節介かつ困難なことです(ゲーム会にドレスコードを定めるぐらいまでは問題ないでしょう)。だから、もしもボードゲームのステータスを向上させたいのであれば、ゲーマーをお洒落な人に啓蒙していくよりもお洒落な人にボードゲームを紹介していく方が効率的だと思ってます。

個人的には、ボードゲームそのもののステータスを向上させることにはあまり興味ないです(それはあたかもスーツそのもののステータスを向上させるようなものです)。所詮は道具なので、競技や遊戯に使おうが研究や学習に使おうが神事や賭博に使おうが営利や交流に使おうが、使う人の自由でいいと思ってます。もちろん、お洒落な人たちの交流(男女間に限らず友人間や家族間や世代間や階級間などを含む)に用いてもいいと思ってますし、そういう愉しみ方は好きです。

観光客に土足で踏まれる明日香村の酒船石 (2012年04月03日)

観光客のマナーに期待するだけでは損壊や摩耗を防止できないので、酒船石を保護する為のケースと柵と建物を周囲に建設するのがいいと思います。

春が来た♪春が来た♪(脳天気日記につき注意) (2012年04月01日)

春一番らしい春一番は吹きませんでしたが、すっかり春だと実感しています。昨日の雨風に余裕で耐えた桜のつぼみも一挙に膨らみました。いよいよ開花です。

エイプリルフールということでいろいろウソを付きました。来年に再利用するのでネタバレは無しっ♪ < ちなみに、「エイプリルフール廃止のお知らせ」はエイプリルフ−ルにのみ告知されます。

毎年4月1日と9月1日に非常持ち出し用品を更新してます。衣類の夏冬の入れ替えや飲食物の消費期限をチェックなどです。しばらくおやつはお役御免となった保存食ばかりになります。1年前にみなさんも保存食や飲料水など買い込んだことと思いますが、そろそろ更新しておくのがいいと思います。

あまりテレビは観ませんが、この時期にはたくさんの新番組が放映されます。もし原作ありアニメの二期が一期よりも面白くないならば、それは一期で最も面白い部分を使ってしまったからかも知れません。

ベランダのプランターにトマトを植えました。以前にも作ったことがあるので、今度もちゃんと育てられるはず。はなかっぱの鉢の方も順調です。

夕食は京風ちらし弁当@醍醐。夜桜を愉しむにはまだ早いので(市役所通りのライトアップは明日の夜からです)自宅で頂きました。花より団子な気分です。来週末は市民さくら祭り。

わははははは♪(笑)

エイプリルフール廃止のお知らせ (2012年04月01日)

第2法則「エイプリルフール廃止のお知らせ」はエイプリルフールにのみ発令されます。

朝3時のつぶやき (2012年04月01日)

おはようございます。エイプリルフールでは「実害のないウソ」をついても許容してもらえます。でも、できることならみんなを幸せにする「実益のあるウソ」をつきたいです。そんなウソは今日に限らずいつも許容してもらいたいです。おやすみなさい。

プライベートゲーム会@市民会館 (2012年03月31日)

今日は「プライベートゲーム会@市民会館」でした。天気は雨模様。参加者は4人

持ち込みは『あくわいあ』『まんはたん』『ら』『いんとりげ』およびゲーム用具類ならびにお茶菓子および飲料5リットルなど。

『らんま(烏龍と緑茶1/2ずつ)』『めぞん(一刻館の緑茶)』を頂きました。昼食は「マボロシ」のキーマビーンズカレー。もしここのカレーが「キミが今までに食べたカレーの上位10%」に入らなければ私がおごります。夕食は「ロイヤルホスト」にて。東京電力が強い仕組み。合計6775円。

みなさま、おつかれさまでした。また宜しくです。

国民感情 (2012年03月31日)

感情で物事を言う人は相当数に存在します。だから、公務員や東京電力の給与平均が自分たちの給与より高いうちは(中間値ではなく平均値なので大多数の給与所得者が該当します)、負担増について理解と協力を得るのは難しいと思います。

1年8ヶ月ぶりに死刑が執行されました (2012年03月29日)

死刑執行官が個人的思想で職責を果たさないことは許されません。同様に、法務大臣が個人的思想で職責を果たさないことも許されません。今回の死刑執行についてはわざわざ賞賛することでもなく単に当然のことだと思ってます。

遺族感情

殺人罪の裁判において遺族感情は量刑理由にすべきじゃないと思う(さもなければ、遺族不在の場合に減刑されることになります)。刑罰による償いは、被害者や遺族の為ではなく社会の為です。遺族に対する償いはあくまで民事ですべきことだと思います(たいてい泣き寝入りですが…)。

赤い龍王「ボクと契約して仮面ライダーになってよ?」 (2012年03月29日)

もう二十数年前のことですが、ビリヤードを習うときに最初から左右両手でキューを使えるように練習しました。左右を意識することなく自然に切り替えられればさまざまな状況に対応できるはずだと考えたからです。

いまでもそのように考えているので、ある武器技はその鏡像も同様に練習しています。< ゲーマーなので手札(手の内)は滅多に見せませんが…(笑)

左右非対称の身体操作は、芸能や料理や工芸や武術やスポーツなどさまざまなジャンルに見られます。たいていは左右いずれかに集中して練習した方が最大錬度をより高くできますので(あるいは伝統文化的な理由で)ほとんどの人は利き手や利き腕を決めて練習しています。

もし左右いずれかに特化しているなら、たまに左右反転した鏡像で形稽古してみることをおすすめします。素人だった頃の感覚を思い知ることができますし、素人に教えるときに相手の立場にたって考えることもできましょう。< さすがに、『将棋』ばかりはいきなり鏡像で指してもなんとか対応できてしまうでしょうが(笑)

撮影専門の次元的嗜好 (2012年03月29日)

ふと思うに、一部のカメラマン(撮影対象は鉄道やアイドルやレイヤーなど)は二次元に萌えてるのだろうか?

子供に自信を持たせたいなら (2012年03月27日)

「自信」ってのは誰かから与えられるモノでもどこかで見つけるモノでもないさ。自分自身が信じられる根拠「自分はこれだけ頑張ったのだから…」がなければ、いくら他人が「自信を持ちなさい。大丈夫」と言ったところで自分を信じるのは難しいと思う。

だから、子供に「なんでもいいから何か頑張れる機会」を与えることが必要なわけ。押しつけではなく、自ら興味を持てるテーマか、誰かと一緒に頑張れるテーマがいいよ(本人が愉しんでるなら勉強でもいいけどさ)。個人的な意見だけど、自信を持つ練習には「遊び(ゲームやスポーツなど)」が最適だと思う。家族でも友達でも誰かと一緒に遊ぶならなおいいね。

ゲームでもスポーツでも目標に自力で達成できた経験は貴重だし、その達成を「よく頑張ったね」と評価してあげるのも重要。そうやっていけば、やがて自分がどれだけ頑張ったのかを自分で評価できるようになるよ。

勉強を頑張らせたいなら、まずは他のことで自信を持つ練習から始めさせるといいよ。「どれだけ勉強を頑張ったらどれだけ学力が上がるのか」を自分で評価できるようになれば、能動的に学習するようになれる。< ついでに言えば、能動的学習1時間は受動的学習4時間よりもずっと効果的です。

もしダメダメに育てたいなら、理性的に叱らずに感情的に怒り続ければいい(「子供を叱る」は他動詞で、「自分が怒る」は自動詞です)。しかも「自分で考えろ!」と投げれば更に効果的だ。きっと何事にも自信を持てずただ怒られることを避ける為に親の言うことを聞き続ける子供に育つよ。

「ああ言えば、こう言う」雑記 (2012年03月26日)

いくつかの根拠をもって論証が成立しているときに、それら論拠の一部分について冗長な水掛け論で対抗しあたかも論証全体が成立していないかのような印象を観衆に与えるテクニックがあります。最終的に論破されるのは明白なのですが、著しく手間が掛かるように粘ります。古い例えになりますが「ああ言えば上佑」が典型です。

水掛け論を繰り返して観衆をその論点に注目させる方法は、コメントが流れやすい掲示板や制限時間がある番組などで特に有効です。水掛け論が続けば観衆はだんだん飽きてくるし、やがて「両方とも正しい。互いに認め合うべき」とか「どっちでもいいから終わらせれ」とか「喧嘩両成敗」とか「論証はどうでもいいからさっさと罰しろ」とか言いだしかねません。こうなれば水掛け論に持ち込んだ人が完全敗北することはなくなります。

個人的な意見ですが、遊び以外でこのようにゴネるテクニックは私の美学に反します。

ちょうど数日前にある大規模コミュニティ(3800人ほど。しかし管理人は数ヶ月ずっと不在)にて困ったちゃんが再降臨し、テーマにも運営にも交流にも寄与しない「独り言トピ(絡んだ人は荒らしと認定して晒す)」4本を作成しました。もちろん炎上しました(さらに続きもあるのですが割愛)。で、別のトピックで私が「コミュニティルールはトピックルールよりも優先されます」と説得したときに、困ったちゃんが開き直って「トピック作成者が定めたルールは有効である。そして、特別法は一般法に優先する」と反論してきました。

最終的に論破することそのものは面倒ながらも可能なのですが、怒ったコミュメンバたちが困ったちゃんを叩きまくって、論破する機会をすっかり逸してしまいました。仕舞いには、どっちが荒らしであるか白黒を付けるために「******さんは荒らしか?」というアンケートが作成されたほどです。

このままだと、困ったちゃんが更に逆恨みを抱くだけでしょう。こういうケースでは、「荒らした責任を追及して再発を予防すること」だけでなく「荒らした原因を追及して再発を予防すること」も重要だと思ってます。

類題

「公共の福祉は個人の権利よりも優先される」に対し「個人の権利を否定することはできない」と抗弁するケース。

トランプゲーム『ツーペン(tuppen)』のメモ (2012年03月23日)

トリックテイクのシステムを用いたブラフゲームです。オランダやドイツのバーで遊ばれています。

基本ルール

各25チップ。4スート8ランクの32枚。ノートランプ・マストフォロー。

4枚ずつ配る。ディーラーの左隣がリード。時計回り。

ラストトリックを取った人が得点。ラストトリックを取れなかった人が失点。

ディーラーは時計回り(本来はトリックテイクした人)。

特別ルール

最高位3枚で口笛を拭く。最低位3枚でも口笛を吹ける。

配られた後に望むなら山札と交換できる(山札があれば)。ダウトあり。

ゲーム中いつでもノックして出下りを要請(同じ人が連続ノック不可)。降りた人は失点。ノック後にレートが上がる。チップが足りなくてもノック可能(オールイン)。

DVDで『めぞん一刻』を観てます (2012年03月22日)

ネットやケータイの普及は、容易に連絡とれることを可能にしたと同時に、「誤解や擦れ違いを予防する努力をおざなりにする人」を増やしたような気もします。社会が便利になると人間が怠惰になるのかもしれません。

ギンギラギンにさりげなく (2012年03月20日)

趣味としてのボードゲームやスポーツの対戦目的はもっぱら娯楽であり、その手段は「ルールに則って勝利を目指す」ではなく「ルールに則って勝敗を争う」です。従って、参加プレイヤーのいずれかに勝利可能性がなくなったら速やかにゲームを決着させてしまってもいいと思います(その状況を愉しめているようなら話は別ですが…)。そして、それは「あからさま」ではなく「さりげなく」が望ましいと思います。

また、習熟者と初心者ほど実力差がある場合には、前者が手加減プレイするのではなく後者に適切なハンデを設定するのが望ましいです(実力不足ゆえの下手なプレイを批難すべきではありません)。これもまた「さりげなく」が望ましいと思います。

小動物らにテーブルゲームをレクチャーしてます (2012年03月20日)

小動物らにテーブルゲームをレクチャーしてます。『コリドール』は予想通りに「もう1回!」となりました。『ブロックス3D』1セットはソーマキューブ4セットあるいはテトラキューブ4セットとして流用できるので便利。

「バンガードミッション」3月定例会 (2012年03月18日)

18日(日)は橋本公民館工作室にてボードゲームサークル「バンガードミッション」月例会がありました(と言うか、催しました)。本日の参加者は26人ぐらい。私がプレイしたゲームは『LCR(ピッグドライブ)』『ピラニアペドロ』『フォーセール』『23』『ヒベルニア』『ツーペン』『アクワイア』『将棋』『バッファロー』『ベリシネベリシ』『コリドール』などなど。みなさま、おつかれさま&ありがとうございました。

卓ゲ茶会@相模原市民会館 (2012年03月16日)

今日の午後は「卓ゲ茶会@相模原市民会館」でした。参加者6人。参加費100円。飲み物5リットル。クッキー4箱。

アフターはカレー屋「マボロシ」のカツカレー。

「ノーテレビ・ノーゲームデー」は必要か? (2012年03月15日)

「ノーテレビ・ノーゲームデー」は昔の言葉です。かつてはテレビやゲームに夢中となって家族とのコミュニケーションなどがおろそかになることが問題とされてました。

しかるに、昨今のゲームは共同プレイできるものが多く、共同プレイの中で「そろそろ終わろうか。宿題もあるでしょ?」と教えていくのが効果的であろうと思います。< 昔みたいに頭ごなしに注意してると反感を抱かれやすです。

テレビについても「自室で一人で視聴させることを禁止」を試す意味がありますが、リビングで一緒に視聴することまでは禁止しないでいいと思います。

そして何より、現在においてこの問題の本質を捉えるには「ノーネットデー」を考えなければなりません。子供だけでなく大人も禁止ないし制限する必要があります。さもないと、家族間のコミュニケーションは図れませんから。

備えあれば嬉しいな (2012年03月13日)

雲を眺めていると立体感覚が養われます。ところで、今日の雲からはザワメキも感じます。もしかしたら春一番の前触れなのかも知れません。でも念の為に天変地異にも備えておきます。そんなわけで物資を補充してさっさと帰宅。(

『コリドール(Quoridor)』 (2012年03月12日)

オススメボードゲームの一つが『コリドール(Quoridor)』(Mirko Marchesi/Gigamic社/1997年)です。移動妨害という単純かつ伝統的なルールのアレンジですが、初心者でも最初から最後まで「勝つ為にはどうしたらいいか?」を愉しめます。

ルール

ルールを簡単に説明すると、「縦9横9の盤上で相手の移動を障壁で妨害しながら自分の駒を手前中央のスタートマスから向かい端のゴールラインまでより早く到達させれば勝ち」です。自分の手番には「縦か横の隣接マスに移動(他の駒は1個まで跳び越えられます。跳び越えるときに向かいに壁があれば左か右に曲がれます)」か「長さ2の障壁を任意の境界に配置(ルートを完全に遮断する配置は禁止)」します。パスはできません。

2人でプレイする場合は、それぞれ10枚の障壁をストックに持ちます。

用具

Gigamic社の製品は、盤も駒も障壁も木製であり、黒茶を基調とした単純かつ上品なデザインです。標準的なクラシック版のサイズは一辺26cmほどです。日本での定価は6300円ほどですが、ネットオークションでもっと安価に入手できます。ミニ版(18cm)もあります(定価3500円ぐらい)。

遊ぶだけなら将棋セットや筆記用具やアプリなどで代用できます。WWW上でプレイすることもできます。

また、縦7横7のボードを用いた幼児向けの『コリドール・キッズ』も市販されてます。ネズミとチーズというテーマは好きなのですが、個人的に惜しむらくは円形ボード(直径26cm)の色があまり好みじゃないことです(旧版は紫で、2010年版は黄色です)。

プレイ

ルールがシンプルな割に様々な作戦や小技があります。

例えば、盤の左右に抜け道を用意しておいて、相手が向かった側を塞ぐは、相手に大きく手損させる有効な作戦です。「リード博士の定跡」(相手の2歩前の段に障壁2枚を横向きに並べます。まず3列&4列を塞ぎ、次いで中央の5列&6列を塞ぎます。後手の対抗策は同様に先手と点対称に配置する)はこの考え方に基づきます。しかし、確実に塞ぐことができなければなりませんし、自分自身も塞がれる可能性があります。

また、自分が通らず相手が通るエリアに障壁を配置するのも効率的な作戦です。「シラー氏の定跡」(互いに3歩進んでから3〜6筋の手前側に障壁を縦向きに配置します)はこの考え方に基づきます。縦向きに配置する理由は、もし横向きに配置したら自分自身がその手前端を通るハメに陥る可能性があるからです。ちなみに、互いに3歩前進した後に先手が更に移動する手は、後手の前進や跳躍を許すことになって先手不利になります。

細かい戦術としては「自分の前方を塞がせない為に敢えて自分の後方を塞ぐべきか」「いかにして相手の障壁を非効率的に配置させるか」「相手を跳び越えさせる方向をどう支配するか」などがあります。

所感

終盤は全員が障壁を置けなくなった時点で勝敗がほぼ確定するので収束性は高いです(但し中盤で稀に千日手になる可能性があります)。1プレイあたり15分ぐらいですので、何度も繰り返して遊ぶのに適してます。

なお、キングメーカー問題(勝ち目の無くなった人が「誰を勝たせるか?」を恣意的に決めてしまう問題)が発生しやすいので、2人またはペア戦を推奨します。ペア戦では完全遮断禁止ルールや跳び越えルールを利用してパートナーをサポートすることができるでしょう。

クラシック版(一辺26cm)はゲーム会に持ち込むには大きすぎるので、ミニ版(18cm)に買い換えようかと検討中です。

参考

ブログ (2012年03月12日)

日記がないのは良い日記

公表と隠蔽の方程式 (2012年03月11日)

医療は例え患者に嫌われてでも結果的に患者を治すことが役割です。同様に政府は例え国民から嫌われてでも結果的に国民を守らねばなりません。だから、国民に対して真実を隠蔽してでも国民の利益を保護しなければなりません(外交カードや防衛機密や一部の経済政策などはその典型です)。

この観点で「もし炉心融解(メルトダウン)の可能性を当時に公表していたとしたら、避難パニックによる損失はどの程度だっただろうか?」と今でも考えます。放射能アレルギーと情報不足の状況において「メルトダウン」という言葉は確実に過剰反応を招くでしょう。しかも首都圏の膨大な人口に避難先などありません。

もし原発事故の影響が現状程度であったとして当時に炉心融解可能性を公表していたら、その公表は人災として扱われていただろうと思います。そして、もし原発事故の影響が現状よりもずっと甚大なものであったとして当時に炉心融解可能性を隠蔽していたら、その隠蔽は人災として扱われていただろうと思います。どちらが正解だったかは立場や価値観によって異なるでしょう。

いつまでも人類は「最悪になる可能性を含む選択肢を避けること」と「期待値が最大になる選択肢を目指すこと」とのジレンマを抱えてます。それでも選び続けなければなりません(余談ながら、原発廃止と原発再稼働もこの構図です)。

大震災に限らずあらゆる犠牲者に哀悼の意を表します。いまなお傷の癒えない全ての人々に、私にできる範囲で支援たく思います。そして、より良い未来を作る為に思考し続けることを改めて誓います。

人口減少と移民政策 (2012年03月09日)

社会の核家族化や高齢化に伴い若世代の負担比率が増え、経済的理由で恋愛や結婚や出産や育児ができない人の比率が増え続けてます。皮肉なことに、経済的余裕ができた頃には既に出産適齢期を過ぎていることも珍しくないでしょう。日本の人口は確実かつ急激に減少していきます。

人口減少は単純に国力の低下を招きます。また、都市圏はまだしも地方は過疎が更に深刻な問題となり、過去に構築された膨大なインフラも自力で維持するのが困難になりましょう。

ここで日本には大きく二つの現実的な選択肢があります。「移住者を積極的に受け入れる」と「人口減少に応じたシステムを早急に構築する」です。基本的に私はいくつかの理由(後述)をもって、移民を積極的に受け入れることに反対しています。

確かに日本国は外国人を受け入れなければ経済的に衰退していくでしょう。でも私が次世代に伝えたいのは日本経済ではなく日本文化です。だから、文化の衰退よりも経済の衰退を選びます。そして、人口減少に応じたシステムを早急に構築すべきだと考えてます。

もちろん指をくわえて人口減少を眺めているつもりもありません。若世代が結婚して育児できる余裕を持つための安定した雇用環境や教育環境を望みます。バラマキであろうとも子供手当にも賛成しますし、育児支援に有効な3世代同居は税制などで優遇していいと思ってます。地域ぐるみで育児を支援する為に、「ネット社会における個人情報保護」と「リアル社会における個人情報保護」の相違を理解すべきと主張し続けます。

文化対立の予防

世界史を眺めるに、異文化(宗教や民族など)が同一地域に共存することはしばしば深刻かつ解決不能な対立の原因になります。異文化の相互理解は大事なことですが、それは共存する為ではなく、共存によるトラブルを予防する為です。したがって、共存してから相互理解を図るのではなく、共存する前に相互理解を図ることが必要です。

ユニークな現地語

相互理解で特にネックになるのが言語の問題です。欧米と異なり日本は日本語というユニークな言語を持つがゆえに、異文化対立リスクは更に高いものとなってます。だから、日本語を修得していない移住者を受け入れることに反対します(日本人も海外移住するときには現地語を習得してから行くべし)。

この問題を軽減させる為には、海外に日本文化を積極的に紹介するだけでなく日本語学校を計画的に開設していくことが必要だと思います。

招聘する理由は国民の為に

教育レベルの高い外国人(労働者や留学生)を日本に招くことは産業界や教育界にとって確かに有益でしょう。しかし、その分だけ日本国民の就職率や就学率が下がります。国家戦略として考えるのであれば、日本国民の教育レベルをより向上させることで産業界や教育界に応えるべきです。少子化問題とも関連しますが、育児支援や学校教育の充実はもっと優先すべきと考えます。

次世代以降の為に

大量の移住者を受け入れることは、次世代以降においてより多くの問題を発生させます。だから、既に日本に住んでいる外国人に対して永住許可や選挙権や生活保護を付与することに反対してます。ただし、彼らやその次世代に日本文化(言語など)を教育することは大いに賛成します。

非軍事的侵略の予防

侵略の目的は併合や植民地化に限らず不平等条約(貿易や関税や裁判や査証や市場や金融など)も目的になりえます。そして、軍事は侵略の手段の一つでしかありません。言い換えれば、軍事的でない侵略もありえます。書籍『民間防衛』(スイス政府)によれば、戦争なき侵略の典型的なプロセスは以下の通りです。

ヒステリックに危機感を煽るべきではありませんが、世の中の流れの裏側にどのような意図が含まれているのか常に観察し続けるべきだと思ってます。

『ポジット(POSIT)』 (2012年03月09日)

『ポジット(POSIT)』(やのまん)は、縦6横6の盤上で移動&妨害しつつ互いに詰め合うボードゲームです。手番には、ます自分のコマを縦横斜めいずれかに1マスだけ動かし(段差1までは登れます。相手のコマがいるマスや下の階や段差2以上や4階以上に移動することはできません)、そしてコマのいない任意のマスにキューブ1個を積み足します(最大3段目まで)。相手を移動できなくしたら勝ちです。

たったこれだけのルールなのですがなかなか面白いです。

たいてい下の階層で地形を作り上の階層で詰め合う展開になります。終盤には最上階の同一フロアに双方のコマが登ってることが多いので、フロア面積1の違いで勝敗がすぐに変化します。終盤は「フロアの接続もしくは拡張」「フロアの分断もしくは埋め立て」または「配置しないこと(遠くの無関係なマスに配置)」などでフロア面積を調整して相手を詰めます。自コマで塞ぐことでフロアを分断するテクニックは詰めの局面でしばしば見られます。

テーマについても、天から巨大キューブが降り注ぎ続ける迷宮で相手を追い詰め相手に追い詰められるシチュエーションは、とてもシュールで興味深いです。PSソフト『I.Q Intelligent Qube』の雰囲気が近いです。個人的に『らんま1/2 寝崑崙大決戦』における巨大な囲碁盤上での戦闘を思い浮かべます。

もし欠点をあげるなら、序盤は判断材料に乏しいのでランダム要素の強いプレイになりがちです(結果的に敗着が特定しにくくなる)。また、既に絶版となっており製品の入手が非常に困難です(でも自作は容易です)。1996年にPS用ソフト『ぽじっと』がプレイアベニュー社から発売されたので、中古ショップなどで見つかるかも知れません(見つかればタダ同然の値段で出てたりします)。

「もい」と「もいもい」 (2012年03月08日)

「もい×2」は倍(Bye)になるが如し。

橋本〜町田〜鶴川〜秋葉原〜相模大野 (2012年03月07日)

初心者に改良は熟練者に改悪? (2012年03月06日)

「マイミク数も参加コミュ数も投稿数も少ない数多くのライトユーザー(新参が多い。PC比率が低い。アプリがメイン)」にとって親切な改良はしばしば「マイミク数や参加コミュ数や投稿数の多い数少ないヘビーユーザー(古参が多い。PC比率が高い。投稿がメイン)」にとっての不親切な改悪となります。

そして、mixiが使いにくければ前者はmixiを退会し後者はmixiを批判しがちです。だから、現在の収益モデルにおいては前者を優遇するのが正しい経営判断なのでしょう。

もし後者ほど収益に貢献する仕組みなら後者も相応に優遇してもらえるはずです。このロジックで考えれば、昔ながらのテキスト一覧表示を有料で提供すれば古参の多くが文句を言いつつも利用するだろうと思います。

高橋留美子劇場『やましい出来事』 (2012年03月05日)

今年の高橋留美子劇場は『やましい出来事』です。本日発売のビッグコミックオリジナル第6号に掲載されてます。

小堺氏の息子(正樹)が連れてきた浦野カオル子は、1年前まで小堺氏が入れ揚げていたキャバ嬢(彩花)でした。彩花とは一緒に高級料亭「風雲亭」で食事したまでの関係ですが、小堺氏はその関係を妻や息子に知られまいとします。でもカオル子はあまり気にしていない様子。最終的には、「カオル子がキャバ嬢だったこと」は息子も既に知ってたことであり、「誰かと一緒に風雲亭に行ったこと」は妻にバレることとなります。でも、肝心の部分は微妙にずれて秘密のまま収まります。

ネタバレになるのでここで詳細は書きませんが、収束するまでの過程が面白いです。偶然の再会に右往左往する小堺氏の姿を見るに、「そもそも結婚してるなら他の女に入れ揚げるべきではない。偶然かつ善意ですらこんなパニックになるんだからさ…(笑)」と思いました。小堺夫妻も正樹&カオル子もどうかお幸せに。

TVドラマ版『高橋留美子劇場』

同誌の広告によれば、高橋留美子劇場が7月に「NHK-BSプレミアム」でTVドラマ化されるとのことです。日時もキャストもまだ公表されていませんが愉しみにしています。

フライかテンプラか? (2012年03月02日)

赤城山のワカサギ釣りが解禁されたが釣果は回収とのこと。なぜ「釣るの禁止」ではなく「食べるの禁止」なのかを推察するに、いくら禁止しても勝手に釣って食べる人が多いことと遊漁料で組合を維持しなければならないことが理由だろうなぁ。

「習ってない漢字使うな」指導 (2012年03月01日)

なぜ学校で「習ってない漢字を使うな」指導がなされるかを推定するに、悪しき平等意識があるのだろうと思います。それは、練習して速く走れるようになった子供に対して「徒競走ではみんな一列に一緒にゴールしなさい。ビリになった子供が可哀想だからね」と指導するようなものです。しかし、少なくとも固有名詞においては「その漢字を読み書きできない子が可哀想だからね」は筋が通らないと思います。

「習っていない文字は使わなくても構わない」と「他の児童が読む文書においてはルビを振る」で統一するのが適切だと思います。

社会による許容と社会による保証 (2012年03月01日)

ニュースや新聞によれば、世の中には様々なモンスターが存在しています。モンスターの多くは、自分の権利だけを主張し、その実現を相手に強要しています。いつものことながら権利や義務の定義がずいぶん違うと感じました。

私の認識においては、義務とは「様々な責任のうち社会によって負わされたもの」を云い、権利とは「様々な自由のうち社会によって認められたもの」を云います。だから、幸せになる権利とは「個人が幸せになることを社会が許容している」であって「個人が幸せになることを社会が保証している」ではありません。

もし社会による保証を実現するのであれば「社会は個人を幸せにする義務を負う」のように別に定めなければなりません。< しかし社会にその余裕があるとは限りません。例えば、どこかの最貧国の憲法が「全ての国民は快適な衣食住を得る権利を持つ」と定めていたとして、国家はその実現を保証することなどできないのです(もちろん、国民が快適な衣食住を得る権利を持たないわけでもありません)。国家はその余裕の範囲内で国民の権利の実現を支援すべきであり、余裕を超えての支援は公共の福祉に反するものだと思ってます。

権利を実現するには権利者による不断の努力が必要です。しかし努力してなお実現できない場合もたくさんあります。そして残念なことに、社会の側が支援できない場合もたくさんあります。願わくば、豊かで余裕のある社会を実現することを。

余談

報道や出版の自由を権利として持っているからと言って、その費用まで社会が負担するわけではありません。

もしも生存権が「国民が生存することを国家が保証する」であるならば、国家は国民が自殺することを刑法で禁じなければならないでしょう。もっとも、このあたりは宗教観や尊厳死なども絡む非常に難しい問題ですが…

鶏郎@潮中華KAZE (2012年02月28日)

今日の昼過ぎはジモティが集まってラーメンオフ(参加5回目)。ときどきお世話になってるので(主に車など)、お礼にFXライトセーバー(ダース・モール)をハリーさんに差し上げました。で、使用方法の説明を兼ねて淵野辺公園でチャンバラ&撮影など。左足を庇ってるせいか、わずかに体の軸がずれてるように感じました。リハビリしなきゃ。その後はJAXAに寄って解散です。展示を見学したり宇宙食など買い込んだり。宇宙、キター!

二・二六事件の当時を想像するに (2012年02月26日)

昭和11年の二・二六事件。当時の政治腐敗や農村困窮を想像するに、「青年将校等が望んだ未来はどの程度に実現しているか?」と自問自答します。願わくば、私たちの子孫がより幸福であることを。

「コレジャナイ」な塩ラーメン (2012年02月25日)

昨年末に閉店した「ラーメン特一番」の跡に「ラーメン館」が開店してました。一般的な醤油・塩・味噌の他にタンメンや北京ラーメンや酸辣湯麺などがあります。ちょっと思うことあって塩ラーメン(420円)を注文しました。

実は「特一番」の塩ラーメン(400円)は、「美味しいラーメン」というよりも「私が好きなラーメン」というべきで、子供の頃に食べてた塩ラーメンによく似た味が好きでした(醤油や味噌の味は別にどうってことないですが…)。麺を固めに茹でてもらえばほぼ完璧でした。経営してた老夫婦に感謝します。

そんなことを考えながら待っているとやがて塩ラーメンが出てきました。普通に美味しい味でしたが、「コレジャナイ」感を禁じ得ませんでした。この店は今後も利用するでしょうが、しばらく塩ラーメンだけはパスします。

辛いものと甘いもの (2012年02月22日)

昼食は『世界一辛い担々麺』(レッドドラゴン相模大野店)を試してきました。こういう激辛はめったに食べないのですが今日は特別です。

赤唐辛子と青唐辛子がどっさり乗ってます。なんとなくグリーンカレーっぽい香りです。青唐辛子の風味はけっこう好きなので問題ありません。お肉も麺も少なめですが、スープと具にはかなりの威圧感があります。市内でこれに匹敵するのは『センレックトムヤムクンラーメン』(タイ料理EVAN)ぐらいかな。

美味しいですが辛いです。唐辛子を潰してスープに溶かしながら食べてると、じっとり汗ばんできます。なんとか食べ終えましたが、十分にトラウマとなる辛さでした。他人にはオススメするけど私はもう十分です(笑)

麻溝台の「(コトブキ園)農場の家」でシュークリームとブリュレを戴きました。こういう甘い物はめったに食べないのですが今日は特別です。

シューは、ビスケ・パリパリ・こんがりの3タイプがあります。まずはこんがりタイプを食べましたが、濃厚なカスタードクリームが美味しいです。さすが養鶏場の直営店です。クレームブリュレ(焦がしプディング)は卵殻に入ったお洒落なもの。シュークリームよりももっと濃厚なカスタードは、カラメルやバニラに負けない存在感がありました。

たまに食べる甘味だからこそ美味しいものを食べたいです(逆に言えば、たまに美味しいものを食べてるからこそ普段はそんじょそこらの甘味を食べないでいられるのかも知れません)。今日は十分に満足しました。ニワトリと従業員さんたちに感謝します。

これもまた武の道なり (2012年02月21日)

心理学に長けたカウンセラーや兵法学に長けたボードゲーマーや経営学に長けたマネージャーは、その技術によって他者にダメージを与えること(あるいはダメージを増大させること)ができます。だから、一般の武術家と同様に「必要もなく他者を傷つける為にその能力を使用してはならない」という社会規範が課せられます。< と言うか、少なくとも兵法学は武術の一種だと思ってます。

デモとテロとは紙一重 (2012年02月21日)

世界各地で様々な暴動が発生しています。もともとはデモであったのが、なかなか要望が実現しないことで暴動に発展したのであろうと思われます。

しかし、相手に要望を伝える為のデモが相手に損害を与える為のテロになってはいけません。「角を矯めて牛を殺す」は本末転倒です。もし牛を殺すのであれば、その後のこともしっかり考えた上で殺すのが良いと思います。

言い訳のススメ (2012年02月21日)

「言い訳はいいから謝罪しなさい」という台詞は私の美学に反します。なぜならば、責任追及よりも原因追及が重要だと考えているからです。また、台詞を言われた側が明らかに正当な場合もあります。もしも無理矢理に謝らせて「謝った以上は事実として認めたことになる」とされてしまったら大変です。台詞を言った人が謝るだけで済む話ではありません。

感情的なしこりを最初に収める必要があるならば、少なくとも「どの部分について謝罪しているのか」を明確にすべきでしょう。もっとも、明確にする台詞そのものが感情的な相手を更に怒らせることもあるので総合的に判断せねばなりませんが…。願わくば、みんなが理性的に振る舞える社会であることを。

鉞かついで金太郎♪ (2012年02月21日)

童謡『金太郎』の正しい歌詞によれば、金太郎がクマと一緒に稽古していたのは、相撲ではなく馬術(馬上戦闘)です。でも、鉞(BattleAxe)を馬上で扱うのは非常に難しいです。どうしても鉞を用いるなら、クマをパートナーとして地上で戦った方がいいと思います。

mixi新着お知らせ枠の仕様変更 (2012年02月21日)

WWWページを「黒地に白字(リンク色はアクアとライム)」で表示させる為に、ユーザー補助設定で「WEBページで指定した色を使用しない」としています。副作用として、いくつかの画像が正しく表示されません。mixiページでは「コメントあり」アイコンが表示されませんでした(マウスを当てたときの表示でコメント数は確認できます)。だから、今回の「新着お知らせ枠」仕様変更でコメント数がテキスト表示されるようになったのは、私にとって良い変更だと考えます。

『境界のRINNE』11巻 (2012年02月21日)

先週17日(金)に『境界のRINNE』11巻(高橋留美子)が発売されました。第4話「雨の中の子犬」と第10話「さまようスイカ」が特に良いです。いずれも高橋留美子劇場テイストを愉しめます。

光市母子殺害事件の判決確定に思う (2012年02月21日)

私は刑法の犯罪抑止効果を重視しています。確かに、全ての犯罪を予防することまではできませんが、その多くを予防することはできてます。具体的にどこの誰かまでは分かりませんが、刑法があることでたくさんの母子の命が救われてると考えてます。

少年法がなければどれだけの犯罪が未然に防げたかを推定するに、「少年法を恣意的に利用する者に対してまで保護更正処分を下せるべきではない」と考えます。しかし適用可否の具体的な定義は必要です。個人的意見ですが、刑法の存在意義と概略を義務教育で教えた上で、義務教育未終了者にのみ保護更正処分を下すことができるように改正するのがいいと思ってます。

死刑執行者は命令を実行する義務を負っており、個人的な思想でその義務を履行しないことは許されません。同様に、法務大臣は死刑を命令する義務(刑事訴訟法475条)を負っており、個人的な思想でその義務を履行しないことは許されません。不履行に対するペナルティを法律でちゃんと定義すべきだと考えます。

戦闘力の表示について (2012年02月21日)

マグニチュードのように常用対数で表示した方が分かりやすいと思います。例えば戦闘力100なら2と表示し、戦闘力100万なら6と表示します。これなら戦闘力1000万の戦士1人に対し戦闘力100万の戦士2人で勝てるのも説明できます。

「わたしは学長です」 (2012年02月20日)

これが「メラなのにメラゾーマ級の威力」というやつか(笑) < 放送大学は大学でない?

ハンバーグ硬度 (2012年02月20日)

箸で切れないハードなハンバーグがあってもいい。

「バンガードミッション」2月例会 (2012年02月19日)

19日(日)は橋本公民館工作室にてボードゲームサークル「バンガードミッション」月例会がありました。参加者は25人。みなさま、おつかれさまでした。

私がプレイしたゲームは以下の通りです。

詰めアクワイア

理論値は32万ドルぐらいか?

本日のダークサイド (2012年02月18日)

くっくっく。もしキミが「自分にはもう生きる価値が無い」と言うなら、キミは「そこの虫ケラにも生きる価値が無い」と言えるかな。もしキミが「子孫を残せるかもしれないから生きる価値がある」と言うなら、私は「私に捕獲されたこいつらはもう子孫を残すことはできない」と答えるよ。キミの現状はこの虫ケラよりも絶望的で、キミにできることはこの虫ケラよりも少ないのかい?

外に敵を作っているのは誰なんだろう? (2012年02月18日)

時間を掛けてのんびりとニュースやブログなどサーフィンしてました。私が偏って閲覧しているせいなのか、「なんかここ数ヶ月ほどで反韓がますます増えてるなぁ」と感じました。

さて、内政の失策を国民の目から逸らすために、国外に敵を仕立てあげる手法は非常に有効です。だから、周辺諸国が反日政策を利用している可能性も、それらの周辺諸国への反感が誰かによって誘導されてる可能性も容易に想像できます。だから、誰が油を注いでいるのかをときどき推察し、是々非々で評価することが大事だと思ってます。< 個人的に私は、ゴリやゴネや捏造文化や極端な民族主義や高い犯罪率などとは共存したくないと思ってますが、それ以外は特に嫌ってないです。

お金の価値が高くなるなら (2012年02月18日)

詳細は憶えていませんが、「資産500万円で現金10万円を持っていた老世代」と「資産100万円で現金30万円を持っている若世代」とを比べて「後者の方が金持ちだ。なぜならば、過去よりも現在の方がずっと良いモノやサービスが入手できるから」のような主張していた記事を見掛けた覚えがありますが、いくらなんでも私の読み間違いだよなぁ…(それが証拠にその記事が見つかりませぬ)。

因果関係 (2012年02月18日)

いわゆるキラキラネーム(DQNネーム)の子供が出世しにくいのか、キラキラネームを付けるような親に育てられた子供が出世しにくいのか、原因と結果は論理的に考えるべき。「病気になったから症状が出る」と「症状が出てる状態を病気と呼ぶ」との関係もまた然り。

文字の書き順 (2012年02月18日)

記号である文字に書き順が定められた理由は、その書き順を守ることで「誤読性の低い記号」を描けるからです。だから、情報伝達を目的とした文章を草書体や楷書体で書く場合においては書き順を守るのが望ましいですが、それ以外の場合(ポスターアートや看板製作やPOP体など)においては必ずしも書き順を守る必要はないと思ってます。

なお、「書道文化として書き順を守るべきだ」と主張する人は、その前に「手で文字を書く文化を維持すべき」と主張すべきだと思います。手書きなくして何の為の書き順か。

そういえば (2012年02月18日)

ここ数年ほどオケラやミノムシを見ていないな。

mixiコミュの乗っ取りを予防する (2012年02月17日)

コミュの乗っ取りを予防するには、管理者不在状態を作らないことが重要です。委譲なしに管理人を辞めることはできないので、この状態は管理人がmixiを辞めた場合にのみ発生します。およそ以下の3パターンが典型だろうと思います。

まず開店休業状態のコミュなどにおいて、そのコミュ放置したままmixiを辞めるパターンです。たいてい小規模なので乗っ取りのターゲットにはなりにくいです。それでも、コミュで新管理人募集を通知してからmixiを辞めるか、そのコミュを閉鎖してからmixiを辞めるのがいいと思います。

次に、新管理人を募っても立候補者が現れず、やむをえずそのままmixiを辞めるパターンです。この場合は、副管理人か常連の誰かに「新管理人選定の作業」を頼んだ上で管理権を委譲してしまうのがいいと思います。緊急避難的ですが、コミュニティを乗っ取りされるよりはずっとマシでしょう。

そして、管理人が何らかの理由でmixiを強制退会となるパターンです。コミュ以外でも言動に留意することが大切です。乗っ取り目的で管理人を通報する輩もいるでしょうが、幸いにもmixi事務局は、よほど明確な規約違反でも無い限り強制退会には消極的です(逆に言えば、乗っ取り側を強制退会させることにも消極的です)。

強制退会と言えば、いまはイタチゴッコを避けている状態でしょうが、いつか乗っ取り側を個人特定できるようになったら一挙に処理するんじゃないかな(証拠は全て保存しているはずですし…と言うか、管理人削除は単にそのトピやそのコメントを非表示にしてるだけだろうし)。

丸くて小さくて三角だ? (2012年02月16日)

私が子供の頃に市販されていたイチゴは、現在のものよりもずっと酸っぱかったように覚えてます。練乳や牛乳を掛けて食べるのが好きでした。

先日のテレビ番組『ためしてガッテン!』によれば、イチゴの糖度は先端側が高く蔕側が低いそうです。また、現在のイチゴで昔ながらのイチゴミルクを作るなら、先端部の甘い部分は使わない方がいいそうです。

RE:お金と自由について考える (2012年02月16日)

現在の日本社会を十数年前と比べれば、初期状態(生まれながらの財産)の平均値は減少しているし初期状態の偏差(統計学用語)は増加しています。日本国内を母集団としてみれば確かに、ラッキーな人は一握りです。

でも、世界全体を母集団としてみれば、現代日本人のほぼすべては一握りの側に含まれると思う。

「トーナメントの呪い」(命名 by私)は厄介です。中学で成績トップの生徒が進学高でビリになったり、高校で成績トップの生徒がエリート大学でビリになるのは当然に発生しえます。恵まれた人たちは、その恵まれた人たちで構成される部分集合の中で自分を他人とを「相対的に評価」するから、自分がどの程度に恵まれてるかを「絶対的に評価」しなくなりがちなのだろうと思います。

貧困は確かに自由を制限するけど、それでも私たちは多くの自由を享受している側であろうと思います。< だからと言って、より良い社会を次世代に引き渡す為の努力は怠りたくないけどね。

個人的見解 (2012年02月16日)

「子供は好きな相手を縛る鎖と枷だ」と言うような女には、自分の大事な子供を産ませたくないな。鎖と枷どころか、相手を嫌いになる最大の理由になります。

個人識別番号(マイナンバー)に賛成 (2012年02月15日)

公平な負担&給付や効率的な事務の為には「各省庁統一個人コード法案」や「納税者番号制度法案」などいわゆる国民葬背番号制度が必要だと考えてるので、14日に政府が提出した「個人識別番号(マイナンバー)法案」に賛成します。

個人情報漏洩リスクについては、既に各省庁がバラバラに管理している現状を大きく超えるものではないと考えます。また諸外国の実例を見てもメリットの方がずっと大きいであろうと判断できます(既に戸籍制度がある日本なら尚更です)。

いつか生体情報なども任意で登録できるようになれば、なりすまし問題や偽造身分証問題や相続問題のいくつかを予防できるでしょう。もっともその実現は数十年先になるだろうとも思ってます。今はまだ公平と効率を優先するのが適切だと思います。

本当に個人情報漏洩リスクを理由として反対している人は既存の制度にも反対しているはずなのですが、mixi日記を検索する限りそういう人はほとんどいないようです。民主党による法案だから反対だという人は、かつて納税者番号制度に反対していた人達を思い出してください(笑)

ホットケーキ (2012年02月15日)

ヨーグルトで作るのが好きです。オレンジマーマレイドで食べるのが至福。

シューティングゲーム (2012年02月15日)

いかなる弾幕といえど、我が機体に届かぬ弾は背景画像でしかないっ!

(V)o¥o(V) フォ♪フォ♪フォ♪ (2012年02月14日)

今日はバレンタインデーということで、下校中の女学生らがチョコレートの話題で盛り上がってました。本来の聖バレンタインとはすっかり異なりましたが、現代日本のユニークな商業イベントとして興味深いです。

下校中のチョコレートと云えば、小学生の頃の『グリコ・チョコレート・パイナップル』を思い出します。グーで勝ったら3歩を進み、チョキかパーで勝ったら6歩を進む遊びです。

子供の頃に最適混合戦略を一生懸命に考えてました。もちろん当時の数的能力では厳密に解くことなんてできません。それでも「ずっとチョキを出してれば6歩で負けることない。グーに負けても3歩で済む。何も考えないで3つとも同じように出す相手もいるから、やはりチョキは重視すべき。でも同じように考える相手もいるから、ときどきグーも出さなきゃ。お互いにパーは出しづらいな」と、おぼろげながらチョキやグーを重視すればいいと考えてました。その十年後にブルーバックスで厳密な解法を見つけたときはすごく嬉しかったです。

現在なら例えば「グーは得点0・チョキは得点2・パーは得点5」「アイコなら累計得点が少ないプレイヤーが得点1」「ジャンケンに負けたときは次に同じものを出してはいけない」「累計6点を先取したプレイヤーがゲームに勝ちます」「あるいは、累計3回のアイコで得点が最も少ないプレイヤーがゲームに勝ちます」などのオプションルールを組み合わせて、よりゲーム性を高めてプレイしたいです。

この最適混合戦略の考え方は、先月末の「三竦(Power,Speed,Technique)」に応用できます。例えば、相手の思惑が分からない状態において「相手の攻めを誘って小攻撃」「相手の誘いを待って中攻撃」「相手の待ちを攻めて大攻撃」のどれをどのくらいの比率で選択すべきかの問題です。ちょっと考えるだけでも、相手の大攻撃を食らわない為にはずっと待ち続けていちゃダメだと分かります。それは経験則とも一致します。

個人的にはビターなオレンジチョコが好きです。みなさん、ありがとう。

インスタントな幸せ (2012年02月14日)

「チャーシューメン」で画像検索すると、インスタントに幸せを得られます(笑)

ギリシャ支援 (2012年02月14日)

ギリシャ問題を見ていると、「財政危機を先送りにせず周辺諸国に余力のあるうちに救済や支援を受けてしまう」は非常にしたたかな選択だと感じます。確かに国民は緊縮による生活レベル低下を避けられませんが、それでも破綻による混乱よりはずっとマシです。周辺諸国に余力がなくなってから破綻する国家はどうなることやら。

ちなみに、富裕層には「緊縮や混乱が発生する前に、今までに蓄えた財産を持って国外に逃げる」という更にしたたかな選択肢もあります。

プラトンの立体 (2012年02月12日)

正12面体ダイスを1回だけ振って、20個の中から1個を公平に選ぶことは簡単です。12面体は20頂点あるのですから、傾いた箱の中に振ってどの頂点が上になったを見ればいいのです(正4面体ダイスの原理と同様)。正6面体を用いて8個の中から1個を選ぶのも同様です。< この方法を当たり前のものだと思ってたのですが、実はTRPGプレイヤーだけの常識だったみたい?

ファンタジー (2012年02月12日)

西洋ファンタジーとヨーロッパとは別世界ですが、敢えて混同して夢やロマンを抱くのはとても愉しいです。日本を含む東洋もいろいろドロドロしてましたが、欧米人や現代人は侍や忍者や仙人やカンフーが混在した世界を愉しんでます。分かってて愉しむ分には問題ないです。

時代や地域を越えた武具や種族や制度の混在は、スパロボ大戦やディケイドやゴーカイジャーのように華やかです(笑)

覚悟のススメ (2012年02月12日)

明らかに違反している事案を指して「違反の疑いがある」と言うだけで終わるのは、制裁する覚悟あるいは能力がないが故に「疑わしきは罰せず」で責任回避しているにすぎません(調査すれば制裁せざるを得ないので調査しないことすらありえます)。制裁する覚悟や能力がないとエスカレートを招きます。平和主義が戦争を招くケースがあり、少年法が少年犯罪を招くケースがあります。

雪かき (2012年02月12日)

豪雪地帯の人手不足と高い失業率とは需給関係が成立していいと思う。なんかいい方法がありそうだ。

Re:下山の時代 (2012年02月12日)

未来に生きる人達は、下山した後の時代も考えないとなりません。「収穫は減り続けてるけど、来年度の種籾に手を付ければ大丈夫だよね」には反対です。

県立防衛軍はともかく (2012年02月12日)

国防は県の問題ではなく国の問題ですので「沖縄県民の自由や財産」ではなく「沖縄に住む日本国民の自由や財産」をどのように守るかの議論が第一です。その議論の枠組みの中で、どの程度に負担を分担するのかを話し合うべきだと思います。適切な分担方法がなかったとしても、優先順序は国防にあるべきと思ってます。< 火葬場やゴミ処理施設の問題と同様です。

「ぱくり」の定義 (2012年02月12日)

ぱくりとは「大きく口を開けて食べる様態」を云い、それが転じて「商品や手形などをだましとる」となり、さらに「盗む」として用いられ、昨今ではもっぱら「既存の作品のアイデアとほぼ同じアイデアを用いた作品を発表すること」の意味で用いられてます。

しかし、この言葉が使われてるさまざまな意見を読むに、著作人格権の侵害(「そのアイデアは自分のモノである」と主張するか否か?)が混同されていることが多いです。論点をぼやかさない為にも、これらはしっかり分けて考えた方がいいと思います。

人類愛 (2012年02月12日)

人類愛とは実在の人類ではなく脳内の人類を愛するものです。でも、「人類を愛している自分でありたい」という意思は人類にとって良いことだと思います。

すごもり (2012年02月12日)

左足裏を形成中ということで、ちっとも眠くないのに俯せている週末でした。でも、せっかくある時間は有効活用したいです。横になりつつ本を読んだりパズルを解いたり思考に耽ってました。これはこれで充実した週末です。

乳と麺 (2012年02月07日)

蕎麦屋やうどん屋に「チーズうどん」や「チーズそば」があっていいと思います。きっと。レギュラーメニューになれるだけのポテンシャルがあります。さすがに「バターうどん」や「ミルクうどん」や「ヨーグルトうどん(冷)」は無理っぽいですが…。

障害者の帰宅困難問題 (2012年02月07日)

災害時には出来る範囲で互いに助け合うべきですが、災害の規模によってはその余裕がないこともありえます。だから、誰であろうと助け合いだけをアテにしてはいけません。あらゆる災害に備えることまではできませんが、いくつかの災害に備えることはできましょう。例えば帰宅困難を想定して「自力で移動する為の装備」や「職場に宿泊する為の備品」などは用意しておくべきだと思います。

ニュースで視覚障害者の帰宅困難問題について取り上げられてました。記事の中で「迷惑かけたくないので白杖をつかずに手に抱え持ってた」という意味のことが書かれてました。

しかし、白杖を突かずに手に抱え持っていたのでは視覚障害者であると周囲が認識しづらいので、周囲に迷惑を掛けたくないのであれば視覚障害者であることを明示した方が良いと思います(さもないと助けようがありません。そもそも余裕がない状況において、明示せずに「察しろ」と言うのはワガママです)。明示方法については改良の余地があると思うので、備えの意味で障害者自身もいろいろ考えておくべきでしょう。

本来の用途 (2012年02月07日)

治療中の左足裏のガーゼ下はスプラッタ状態です(苦笑)。屋内でも杖があった方がいいということで、ウレタンキャップ(椅子脚用)を両端に付けた白樫杖(4.21尺)を本来の正しい用途で使ってます。使ったことのない人は意外に思うかも知れませんが、左足が痛い場合は杖を右側に持ちます。

バンガードミッション@橋本公民館 (2012年02月04日)

今日は「バンガードミッション」の特例会@橋本公民館。土曜日の上にいつもより短時間なせいか参加者は15人でした。私がプレイしたのは『アクワイア』『アクワイア』『ベリシネベリシ』『すぃりーカード』『水道管ゲーム』などなどです。ランチ(5人)は中華バイキングで水餃子をたらふく食べました。アフター(6人)はジョナサンで延々2時間ほど雑談してました。愉しかったです。

『カタンの開拓者たち』

標準的なルールにおいて「1番手の勝率が3割以上になる」あるいは「4番手の勝率が2割以下になる」ような偏ったマップを恣意的に生成しえるか?

詰めアクワイア

「ゲーム終了できるときは終了しなければならない」というルールで1人プレイします(まずタイル1枚を置き、タイル6枚と現金6000ドルでスタートです)。恣意的な設立や合併や独占ボーナスを駆使し「資産20万ドル以上」を目標とします。

お暇なときにどうぞ。初めてだと、だいたい17万ドルぐらいになると思います。

豆撒き (2012年02月03日)

私が子供の頃は毎朝のようにスズメの大集団が庭に来てましたが、最近では裏の駐車場に常連7羽が来るぐらいです。いつぞやの「スズメ半減」記事を実感できます。雀の寿命は1年半ぐらいだそうですが、半減期を繰り返しいつか限界集落のように一挙に滅亡するだろうと思ってます。「せめてエサのない季節には…」ということで、スズメが来る時間帯に(そして他の鳥類が来ない時間帯に)ときどき駐車場の砂利の上に米粒を撒いてます。

節分には豆を撒くので、そのときはハト(notアレ)もウェルカムです。< アレが来たら豆鉄砲(大豆由来バイオBB弾)で撃退します。別に特定個人を示しているわけじゃありませんが、愚鈍は邪気よりも性質が悪いです。

もともと豆まきなど節分の行事は、季節の変わり目に発生する邪気を追い払う為のものだそうです。当時を想像するに、季節の変わり目には体調を崩しやすいのでそれが邪気によるものだとされてたのでしょう。近現代の季候を考えるに2月3日頃に邪気は発生しそうにありませんが、どうぞみなさんもご自愛ください。

Re: セックスでしか分かり合えないこと (2012年02月01日)

相手についての情報のほとんどは会話で理解できますが、性的関係でしか理解できない情報も確かにあります。ただ、後者は非常に偏った部分的な情報です。だから、性的な交わりで相手をより深く理解できるのは、もともと互いをある程度に理解しあえてる場合に限ると思います。

影踏みのパズル (2012年02月01日)

シルエットパズルとは、輪郭だけが示された影絵集にそれを構成する全てのピースを当てはめる平面パズルです。日本では『タングラム』や『ラッキーパズル』が有名です。ディスプレイ上で遊べるソフトもありますが、実際に手で触りながら考える方がずっと愉しいです。

旅の思い出

今ではすっかりご無沙汰ですが、20代の頃にはあちこち一人旅してました。旅館やホテルに泊まると、シルエットパズルが置いてあり「ご自由にお遊びください」と書かれてます。鉄刀木や花梨や硬唐木などの銘木で作られたそれらのパズルは、宿の雰囲気によくマッチしてました(同じパズルであっても素材違いで何種類かあります)。芦ヶ原伸之の著書によれば、仏壇制作時に余った端材を有効利用しているとか…(笑)

子供の頃から図形パズルが好きだったこともあり、「あーでもない。こーでもない。あれはいかん。これはこーしろ」と悩みつつ解いてました。たいてい同じ宿に泊まるので、ほどなく全問クリアーしてしまいます。やがて、売店で様々な種類を買い込み部屋で遊ぶようになりました。廃業する旅館に掛け合って、部屋に置いてあったものを譲り受けたこともあります。

リバイバル

それでも、全種類全問をクリアーしたら興味を失います。買い込んだパズルは十数年ずっとお蔵入りしてました。近年になって各種新作の存在を知り、再びそれらを買い集めては解くようになりました。手元にあるものを数えてみると二十種類ぐらいあります。最近のものは手触りが昔の銘木に及ばないのが残念ですが、安価になったのはありがたいです(同じ大きさでも質量が倍近く違います)。

昔に買ったものもほどほどに解答を忘れているので再び愉しむことができます。自分で遊ぶだけでなく、ボードゲーム会に持ち込んだり、遊びに来た小動物たちに出題してます。

オススメ

旅館に置かれているのはたいてい『theT(4片/20問)』か『クロスパズル(5片/40問)』です。慣れてないと1問あたり10分近くかかるでしょう。親子で愉しむにはほどよい難易度だと思います。どちらかと言うと『クロスパズル』の方をオススメします。図面が公開されているので自作も容易です(デザイナーが「親や教師が自作して子供たちに遊ばせて欲しい」と言ってるので問題ないかと…)。

難易度ごとのオススメは以下の通りです。ネットで画像検索すれば代表的な例題がすぐ見つかるので、暇つぶしに試してみるのがいいと思います。たぶん初心者は30分かけても『Gem』第1問目を解けないでしょう(笑)

所有品(木製のみ)の覚え書き

Cross(3),Cat12(2),IVY(2),T(5),F(6),Crs2(3),Crs3(1),Longram(2),Devil(4),Euclid(4),Gem(2),Sphinx(1),Round(2),DIDI(1),Tangram(2),Lucky(1),Kumon(2),Pentomino(1).Tetra(1),Soma(1),Pentacube(1).

うる星コスメ「ラムちゃんパウダー」サイトにおみくじ登場 (2012年02月01日)

毎年のようにこういうコラポが企画されるということは…そして若い世代にも作品が周知されているということは…『うる星』はもはや日本文化の一部になっているということだ。うん。

三竦(Power,Speed,Technique) (2012年01月31日)

「作戦におけるパワー(強)とスピード(速)とテクニック(当)の相性」について徒然と考えてみました。

相手に主導権を渡して待ち受ける「当」は破壊力を溜め込んだパワフルな「強」に構えを突破され、準備動作に隙が生まれやすい「強」は隙を誘ってくるスピーディな「速」に出鼻を付けいられ、貫通力に欠ける「速」は陣地や罠で待ち受けるテクニカルな「当」からカウンターを当てられます。

この構図を、いろいろな「3すくみ」に適用してみました。

大衆向けの安い店が「高級志向」ではなく「新作/新サービス」で常連確保するのも、数多の新作を売りにする店がやがて「値下げ」ではなく「定番」を提供して常連確保するのも、定番を扱う伝統的な店が「新作」ではなく「値下げ」で常連確保するのも、この3すくみの構図ゆえだろうと思います。

マンガでも小説でもボードゲームでもファッションでも新作ラッシュが続くとそれらを消化しきれない消費者はやがて定番モノに回帰しようとし、定番モノはやがて大衆に普及し、やがてまた新作が発表されるようになります。言い換えれば、新作ラッシュを続けて特定作品を定着させようとしないのであれば、それらの作品が大衆に普及するのはとても難しいでしょう。< 先日の日記と同じ結論になるのが非常に興味深いです。

これらのロジックは必ずしも全ての「3すくみ」に適用できるわけではありませんが、さまざまな閉塞状況を打ちやぶるヒントになると思ってます。

日本がテクニック偏重する理由

格言「柔よく剛を制す。剛よく柔を断つ」では「柔」がスピードとテクニックのダブルミーニングになってます。この格言は、日本ではスピードとテクニックとが同一視される傾向があることを示します。

資源に乏しい日本では量よりも質を重視する文化が育ちましたので、何事にも「剛よく柔を断つ」「質より量」などは軽視されがちです(例えば武術における「先の先、対の先、後の先」の考え方はパワーをほとんど考慮してません)。さらに、「柔」同士ではテクニックの高い側が有利なので、結果的に過剰なテクニック偏重になりがちです。

作戦の途中変更 … 虚実の応酬

3すくみの基本構造は「兵力に劣っていても相手より先に攻撃できれば有利だが、相手が待ち受けてる場合に限り兵力を十分に集中してから攻撃すべき」です。相手についての情報がない最初は待ち受けをメインにすべきであり、もしも相手も待ち受けているなら兵力を再編成&集中させて攻撃すべきです(もしも相手も兵力を再編成し始めたならすぐに奇襲できるようにしておくこと)。

だから、作戦変更においては「相手の作戦を推察する諜報力」や「相手に作戦を誤認させる情報力」がすごく重要です。作戦変更は速やかに為すべきであり(この意味で迅速な意思決定システムが必要です)、最初から待ち受けることを確信させてもいけません。

震源は山梨県東部 (2012年01月28日)

震度4ぐらいです。週末は土日とも市民会館にいるので、帰宅難民にならないですみそう。

あと何周できるだろう? (2012年01月27日)

アニメ『うる星』『めぞん』『らんま』『犬夜叉』がフルセットで手元にあります。これらを毎日1時間ずつ視聴したとしても、全てを観るには1年以上を要します(実際にはもっと掛かるでしょう)。私の残り寿命で全話視聴できる回数には限界があると改めて認識しました。

為替レート (2012年01月27日)

円が上がったのかユーロが下がったのかよく分からないときがあります。円ドルや円ユーロだけでなくドルユーロも表示してくれるとイメージが掴みやすいです。

トイレスリッパ (2012年01月27日)

トイレスリッパの底面の汚れは一般のスリッパの汚れとはずいぶん異なります。安価なスリッパを買い換えながら使うのも趣味じゃないので、底面に吹き付ける防汚スプレーみたいなものがあればいいなと思いました。

最強の武器を挙げるとしたら (2012年01月27日)

実在する近接戦用武器の中ではおそらく薙刀が最強だろうと思います。ただし、携帯性は刀剣に劣るし集団戦では槍に劣るし現行法令においては棒に劣ります。

銅製二重マグの生化学 (2012年01月27日)

二十年ほど前に東急ハンズで購入した銅製二重マグ(250cc)があります。アイスコーヒー専用(ミュールは飲まないし)なのですが、使用頻度は低いです。手入れを怠るとすぐに表面が曇ります。

化学反応式は「2Cu + O2 + CO2 + H2O → CuCO3・Cu(OH)2」です。緑青は長いこと有毒であるとされてましたが、現在では無害だとされてます。こういう事例を見るたびに、「科学とは何であるか」を哲学的に考えます。

絵に描いたモチ (2012年01月27日)

例えば最貧国の憲法で「すべての国民は快適な衣食住と普通教育と無料医療を受ける権利を持つ」と規定されていたとしても、その実現は財政的に困難です。先進国で財政にかなりの余裕があったとしてもこれらの実現は困難でしょう。

この当たり前のことを無視して権利の実現だけを要求していると、最終的には経費や利子で膨れあがった莫大な借金を国民が負うことになります。もしモチを食べたのだとしたら、それは絵に描いたモチではなくどこかで誰かが作ったモチです。だから、代金を支払わなければなりません。

正月に更新しておくこと (2012年01月27日)

コピーライト表記「(C)1999-2012 ARAI Satoshi. All Rights Reserved.」の更新はしばしば忘れがちです。スクリプトにするのは簡単なのですが、それでは権利主張の事実が作れませぬ。

Re:姉妹死亡 生活苦しいと3回相談(障害者の生活保護) (2012年01月25日)

「知的障害者が生活保護を受けられずに餓死した」という悲しいニュースがありました。

自分に戒めてることですが…。日記やブログなどで正論を述べることは(抑止効果に欠けるので)しばしば自己満足に終わってしまいます。だから、新たな悲劇を少しでも予防する為に、現状をチェックすることも忘れてはなりません。正当な理由なく法の庇護を受けられてない人達がきっと今もどこかにたくさんいるでしょうから。< 私がチェックしてみたのは地元だけですが…

なお、「生活保護制度は生活の為ではなく生存の為のものであるべき。最低賃金による収入よりも高額であってはならない」と考えているので、給付金額の上限はもっと下げるべきだとも考えてます。確かにデメリットもありますが、クーポン券の制度を併用した方がトータルでメリットが大きいと考えてます。

いつか私が障害者あるいは生活困窮者となって障害者年金や生活保護が必要になったとしても「事情を知られたくない」なんてことはありませんし、申請書類の受け取りを遠慮することもありません。< この文言は更新されるまでずっと有効とします。

宇宙刑事アイスバン「凍結!」 (2012年01月24日)

雪かきしました。やはり、昨日のうちにシートを敷いておくべきでした(シートを剥がすだけで幅60cmの歩道ができるのです)。

雪やコンコン♪雪やコンコン♪雪やコンコン♪ (2012年01月23日)

相模原も雪が降り積もりつつあります。明朝には降り止むだろうので、夜明け前にライトセーバー撮影しようかな♪ < いずれにせよ家の前の歩道を雪かきしなきゃだろうし。

フィールドゲームとテーブルゲーム (2012年01月23日)

スポーツには『野球』や『サッカ−』など数多くの種目があります。いずれもルール使用料は掛かりません。新たに考案された種目も原則として誰でも無料でプレイできます。レギュレーションが合致していれば、用具を自作しても構わないし、他のスポーツの用具を流用してもいいし、用具を製造し販売することもできます。スポーツ文化が発展すればするほどスポーツ業界も発展します。スポーツのプレイヤーの大多数は(学校で習う種目を別にすれば)専門の種目を持つスペシャリストであり、あらゆる種目を試すゼネラリストはほとんどいません。

前段の文章をボードゲーム(広義)に当てはめてみると、ビジネスモデルの相違がよく見えてきます。十分なプレイヤー数が存在する『将棋』などはスポーツに近いビジネスモデルです。その一方で、それらを除くボードゲーム(「作品」として販売されるのが特徴)のビジネスはゼネラリストに支えられてます。

文化の発展の為には特定の旧作を遊び続けてくれるスペシャリストが必要だし、業界の発展の為には十分な数のスペシャリストか数多の新作を買い続けてくれるゼネラリストが必要です。

だから、もしスポーツ文化のような方向でのボードゲーム文化の発展を願うのであれば(業界にとって一時的にマイナスになろうとも)スペシャリストを育成しなければなりません。特定ゲーム専門のサークルやコンペなどがもっと増えるか、非ゲーマーの社会で特定のゲームが流行するのが望ましいと考えてます。

一杯の水にも「いただきます」と「ごちそうさま」を (2012年01月22日)

諸説あるそうですが、食材となった動植物に対する「いただきます」は八百万の神の概念がある日本文化ならではのものだと考えてます。現在では、提供者に対する台詞という意味合いもありますが、その拡張は良い文化だと思います。

あまり意識されることはありませんが、私たちは動植物だけでなく鉱物も食べてます。例えば水(H2O)とか塩(NaCl)とか…(笑)

「ごちそうさま」はもともと食材調達者への感謝の言葉です。だから、その場に調理人や給仕者しかいなくても…あるいは誰もいなくても、そして自分が調理したのだとしても…「ごちそうさま」と言っていいのです。

ただ、自分で全ての食材を生産地から調達し調理し給仕した場合に限っては「ごちそうさま」と言わなくていいと思います。その場合は自分に「おつかれさま」とでも言えばいいでしょう。もし宗教心が強いならば、その日の食事にありつけたことを何かに感謝するのでもいいです。

紳士のワードローブ (2012年01月21日)

紳士学においては「紳士は冠婚葬祭用のフォーマルスーツと上京用のビジネススーツの2着だけを持つ」と言われます。言葉通りに2着だけを持つことが重要なのではなく、この2着で済ませられるだけの余裕を持つことが重要です。

残念ながら、まだそこまでの余裕はないのでスーツは何着か持ってます。ただ、ジャケットについては一生ずっと使えそうな数着を補修しながら使い続けてます。それぞれの状況においていつも同じような格好をしていられるのが理想です。

なぜそれが最善なのか? (2012年01月21日)

経験則で言えば…。左翼であろうと右翼であろうと現状からの変化(改革や復古を含む)を望む人達の多くは「なぜそれが最善なのか?」を示すことができます。でも、現状の維持を望む人達の多くは「なぜそれが最善なのか?」を示すことができません(ただし「なぜ現状を許容できるのか?」は簡単に示せるでしょう)。

生産数と廃棄数 (2012年01月21日)

原理的に、自動車の生産数と廃棄数とはタイムラグがあるものの最終的に均衡します。だから、廃車業はすごく安定したビジネスになるはずです。

でも、現場の話を見聞きする限りあまりそうも思えません。私が想像しているよりもずっと多くの中古車が輸出されてるのか、あるいはあまりに多くの中小企業が食い合っているのか…?

収入格差 (2012年01月21日)

時給であれ年俸であれ最低賃金と同様に最高賃金を法律で例えば「最低賃金のn倍以下」と定めたら、世の中はどのようになるだろう?

いろいろ脳内でシミュレーションしてますが、案外にややこしい問題です。まだ結論が出せてません。

保護者の責任のありかた (2012年01月21日)

ニュースを見聞きしていると、しばしば保護者責任について考えたくなるものがあります。

個人的な価値観ですが…。保護者の責任とは「子供を養育すること」だけでなく「無理なく養育できるよう自己を律すること」や「そんな保護者になれるように子供を教育すること」も含まれます。そして、社会が保護者を支援するのは優先度の高い政策だと考えます。

『赤いきつね』と『和庵 きつねうどん』 (2012年01月21日)

『和庵』(マルちゃん)とは、『赤いきつね』『緑のたぬき』(マルちゃん)が小麦価格高騰で値上げした際に、従来の価格帯で販売する為のブランドらしいです。

リメンバー・マイ・ラブ (2012年01月21日)

冬の雨ということで、一年ぶりに『うる星やつら3 RML』(1985年)を観ました。27年前の作品ですが今でも十分に愉しめます。以前よりは、より強くルウの視点で物語を眺めるようになりました。ルウはこの出来事でたくさんのことを学べたであろうと思います。

『RML』のBGMは秀逸です。当時はLPレコードからメタルテープにダビングして何度も何度も聞いてました。しばらくしてCDに買い換えたけどね(もちろん現在はMP3に変換して聞いてます)。

中学校の体育で『柔道』を教えるなら (2012年01月21日)

まず柔道史とルールを、それから受け身とその練習に必要な投げ技を、あとは護身に有効な技を、余裕があれば寝技や固め技を。1年間で合計20時間ぐらいの練習時間だと、そのあたりが限界かな。

製品を作品として供給すること (2012年01月20日)

デザインやアイデアは面白いけど、買い足すほどでも買い換えるほどでもないしなあ…うーむ

さて、世の中には技術がほぼ完成された製品(例えば文房具や食器や家具や玩具や衣服や実用書など)が数多くあります。それらの所有者に新たな需要を喚起させるには、それらを製品ではなく作品として提供するのが効果的です。

でも、毎年のように新たな作品を出し続けると、定番あるいは伝統的文化となりえる優れた製品までも市場から流し去ってしまいかねないだけでなく、消費者の手元には使われなくなった同工異曲な作品が積まれていくことになります。

余談ですが、同工異曲の語源は音楽にあります。例えばクラシック音楽のCDは、演奏者の違いに興味ないと考える人にとっては製品であり、演奏者ごとの違いを愉しみたいと考える人にとっては作品です。前者から後者を見ると、きっと「同じようなモノを何枚も…」となるでしょう(笑)

みなさんの家にも使われずに積まれてるモノはありませんか?

同工異曲の最たるもの

同工異曲の最たるものはおそらくAVだと思います。無料動画ならともかく市販品の結果的なコレクターさんたちはどのように考えているのだろう?

明日も霙模様 (2012年01月20日)

いつか大雪で予定がいきなりキャンセルされたら、銭湯の近くの公民館の和室(小)を夜まで借りて、旅館風情に浸りたい。

パズラーはマゾでゲーマーはサド? (2012年01月19日)

パズルを解く能力は遊べば遊ぶほど向上してしまうので、パズルを愉しみ続ける為にはより複雑で難解なものに挑み続けることが必須となります。そのことに喜びを見いだしているように周囲からは見えるので、しばしばパズラーはマゾヒストであるかのように見なされます。でも、当人達はそんな意識なんてちっとも抱いてないみたいです(笑)

余談ですが、パズラーに比べてゲーマーはより複雑で難解なものを自分だけでなく他人にもオススメする点である種のサディストでもあります。ゲーマー同士なら特に問題になりませんが、交流目的で非ゲーマーと遊ぶときにゲーマー側に著しく有利なボードゲームを持ち出すとイジメになりかねないのでゲーマーはゆめゆめ留意すべし。

遊具の効率 (2012年01月19日)

頂き物の『ハナヤマパズル文庫』(ハナヤマ/2009年)全6冊に挑んでみました。しかし、私がパズル慣れしているせいか1時間ちょっとで全て解いてしまいました(と言うか、いくつかの問題は既に知ってたし)。残念なことに、これらはいずれも問題数が少ない上にランダム要素のない唯一解であるので、いったん解いてしまったら二度と愉しめません。

遊具の効率を考えるに、コスト(購入費や占有体積など)が低くて多人数で長時間あるいは何度も愉しめる遊具はとても優れてます。この観点において、遊ばなくなった遊具を他人に譲渡するのは非常に優れた方法です。

そんなわけで上記のパズル文庫は、解答を忘れるまで保管せずにさっさと誰かに譲ってしまおうと思います(…というか、それが理由で私の手元に来たわけだし)。できれば、これらを愉しめるレベルの人の手元に最終的に届けばいいと思ってます。

座礁確率 (2012年01月18日)

SLG『太平洋の嵐DX』(PC-9801版)では、艦砲射撃における座礁確率が一律5%でした(戦艦でも!)。陸上からの砲撃や機雷なども踏まえた数字とはいえ高すぎだと今でも思ふ。

おはようございますっ? (2012年01月18日)

最近の睡眠は、22時に就寝し0時頃にいったん起きてネットして二度寝して4時過ぎに起床するパターンが多いです。この季節の二度寝はいつも以上に深く眠れます♪(

節約家になる第一歩 (2012年01月18日)

節約家になる第一歩は、欲しい物を買うのではなく使う物だけ買うこと。いきなりは難しいだろうから、まずは「100円未満の買い物でレジに並ぶ」「かけそばだけを注文する」「ドリンク頼まない」あたりで練習するが宜し。(

バンガードミッション例会 (2012年01月16日)

15日(日)のバンガード例会では、『アンギャルド』『シャット・ザ・ボックス』『アクワイア』『髑髏と薔薇』『ザ・ビッグチーズ』『ミドルキングダム』『ゲシェンク』などを遊びました。パズルをいくつか持参しましたが、これも愉しんで頂けたようです。みなさん、いつもありがとう。

デモの目的 (2012年01月16日)

原則として、デモは強要の手段であって、攻撃の手段ではありません。たいていは、要求が通らないことよりも相手を滅ぼしてしまうことの方がマイナスが大きいです。だから、デモに参加する人は、対象を滅ぼそうとする何者かに煽らぬよう自分自身でちゃんと判断しなければなりません。

名前。それは燃える生命 (2012年01月16日)

一つのモノに複数の名前が付けられていることはしばしばです。人間だって、本名の他にハンドルネームやニックネームなど複数の名前を持つことは珍しくありません。「真の名前を他者に知られるのは良くないことだ」とする家では、戸籍上の本名とは別に親族だけが知っている真名を持つことすらありえます。

消費税増税 (2012年01月16日)

「消費増税なくして日本と国民の将来はない」ではなく「財政再建なくして日本と国民の将来はない」だと思ってます。財政再建の為には、「あればあるだけ支出する仕組み」を解消しなければなりません。具体的には、公務員給与引き下げよりも公務員削減が必要だと思ってます。

速記 (2012年01月16日)

速記したいときに「グラフティ」や「絵文字」を用いることがあります。絵文字という象形文字は、現代に生まれた異体字として扱うべきだと思ってます。

アイテム課金の問題 (2012年01月16日)

完全無料を謳っておいて課金するビジネスは、おそらく景品表示法違反にあたるとされると思ってます。だから、もし企業が「規約を理解せずにゲームする消費者に責任がある」と主張するならば「法令を理解せずにビジネスする企業に責任がある」と返すべきでしょう。

中学校で武道必修化 (2012年01月16日)

体育で「武術」を教えることに条件付きで賛成します。事故による死傷者増加よりも受け身や護身技能の修得による死傷者減少の方が大きいと考えるからです。ただし、教育科目としての道徳教育で「武道」(必要もなく戦闘技能を用いて他者に脅威や実害を与えてはならないという社会規範など)をちゃんと教えることを必要条件とします。

鬱状態の人を相手にするときは (2012年01月16日)

恐らくは「頑張れ」も「無理するな」も同様にプレッシャーになるだろうから、「少しぐらいなら無理してもいいし、無理しなくてもいい…と私は思う」ぐらいのスタンスが適切だと思ってます。特にアドバイスすることもなく、話を聞くだけ聞いてあげるだけでいいです。恐らくは、相手にしてみれば「意見されることなく話を聞いて貰える」がもっとも気楽でしょうから。

意見を求められたら、そのときに初めて「どうしても気にしちゃうんだろうけど、あまり気にしないでいいと私は思う」と言ってあげればいいです。

借景の対価 (2012年01月16日)

高いところに登ると、良い景色を愉しむことができます。でも、この景色を自分のモノにするのは非常に難しいです。その場所や建物を自分のモノにしたところでその景色まで自分のモノにすることはできないのですから。

さて、良い眺望の対価を込めて物件を高く購入した人が、その後の周辺開発によって眺望が台無しになったときに、行政や開発者に文句を言うのは間違っています。文句を言うべき相手は、眺望費込みでその物件を売却した不動産業者です(もしその眺望を永続的なものだと勝手に勘違いして購入したのであれば、不動産業者に対して文句を言うことも難しいでしょう)。

一時的な好環境を永続的な好環境であると誤認させて高い値段で売る方も悪いし、勝手に誤認して高い値段で買う方も愚かです。

もしどうしても行政や開発者に文句を言いたいのであれば、今までの眺望の対価を彼らに支払ってからにすべきでしょう(そして今後も環境への対価を補償金として彼らに支払い続けるべきということになります)。

借景はあくまで借景です。よい景色を守る為には地域住民みんなで景観規制に協力しなければなりません。

アンギャルド(再放送) (2012年01月13日)

アンギャルドのルールはかなり分かりづらく書かれていると思います。

本来は、フェンシング特有の攻撃権の概念を用いて「自分の手番の最初に、相手の攻撃状態から防御しきれなければ負け」とデザインされてたのではないかと思ってます。具体的には以下のシークエンスです。

ところが、基本ゲームあるいは標準ゲームにおいては便宜的に以下のように説明した方がずっと分かりやすいです(実際にルールブックに書かれている説明です)。

この便宜的な説明に「前進攻撃」を無理に追加しようとしたので、あのような難解な文章になったのだと思ってます。

Re:伝統ゲームを現代にプレイする意義 (2012年01月09日)

人によりけりですが、いろんな理由があると思います。例えば…

ブイヤベース (2012年01月09日)

本日の昼食はコーンポタージュとクラムチャウダーとブイヤベース。美味しかったです。

まともなブイヤベースを初めて食べたのはハタチ過ぎだったり。< 料理名だけは『密林熱鍋(クレイジーダンス)』(ヴァージンVS)で知ってたんだけどさ。

本日のダイジェスト (2012年01月08日)

本日のダイジェストです。

おつかれさまでしたー

紫のたぬき(天ぷらうどん)? (2012年01月07日)

久しぶりに官能テストしてみました。

今回は『マルちゃん緑のたぬき(天そば)』と『日清のどん兵衛(天ぷらそば)』です。いずれも諸元はほとんど同じです。大きな違いと言えば『緑のたぬき』は「先乗せ・七味唐辛子添付」であり、『どん兵衛』が「後乗せ・唐辛子添付なし」です。

実際に食べ比べて思うに、汁は『どん兵衛』の方がやや好みです。麺は『どん兵衛』の方が蕎麦に近いですが、『緑のたぬき』の方がややモチっとした食感で汁によく絡みます。そして天麩羅は、後乗せサクサク(ザクとは違うのだよ)の『どん兵衛』に軍配が上がります。そういえば、いずれにも蒲鉾は入ってなかったような?

全体としては『どん兵衛』が好みです。

ところで、日清のシリーズには天ぷらうどんがレギュラーでありますが、マルちゃんのにはありません(『讃岐風天ぷらうどん』はあったけどさ)。きつねそばが『紺のきつね』であったように、天ぷらうどんも『(?)のたぬき』のようなネーミングにするとして、どうも適切な色が思い浮かびません。強いて言えば、「たぬきうどん」という呼び方が関東のものであることに由来し、醤油の色を示す「紫のたぬき(天ぷらうどん)」あたりでしょうか。何色がいいと思います?

貧困層を盾にする富裕層を支持する貧困層 (2012年01月06日)

貧困層を盾にして富裕層が改革に反対することがあります。

例えば社会保障の改革においては十分に給付を受けている人達や不正に給付を受けている人達が「給付を減額したり審査を厳しくしたら貧困層が生活できなくなる」との名目で改革に反対し、増税論議においては富裕層が「貧困層の生活がますます苦しくなる」として所得税の増税に反対します。公務員給与の削減についても、一部の高級取りが「一般の公務員の生活が苦しくなる」として改革に抵抗します。

貧困層が「改革者と富裕層のいずれを支持すべきか」をしっかり判断しなければならないのですが、(見掛け上は富裕層が貧困層の意見を代弁している形になっているので)貧困層は富裕層の意見を支持しがちです。

だから、改革を進めるためには「富裕層に厳しく」と「貧困層に優しく」をセットで提示することが必要になります。裕福層への給付を減らすと同時に貧困層への給付を増やすようにすれば、富裕層は貧困層を盾にすることができなくなるわけです。もしもこのセットを提示できるだけの余裕が無くなってしまえば、改革は困難となって問題が先送りにされ、ますます改革は困難になり、やがていつか破綻することになりましょう。

朝三暮四 (2012年01月06日)

宋の狙公がサルたちにエサを与えるにあたり「明日からは、朝に3つ、暮れに4つやる」と言うと、サルたちが「少ない!」と怒りました。そこで「朝に4つ、暮れに3つやる」と言うと、サルたちは喜びました。これは「朝三暮四」という格言で、目先のエサに釣られる愚を戒めたものです。

好景気においては、朝に余分に貰ったエサを運用していくらかの利益を得ることもできましょう。前借りを運用して「朝四暮四」とすることもできるかも知れません(今までの日本は朝四暮四な食生活に慣れきってました)。しかし、不景気においては前借りの利子の分だけ損失は膨らみます。下手すると「朝四暮二」ともなりかねません。

不景気において前借りして喜ぶのは、夕食を必要としない一部のサルたちだけです。翌昼に借り逃げするつもりの老サルは「朝のエサを増やさせよう!」と煽ります。しかし、借り逃げできない若サルがそれを支持するのは非常に愚かなことです。

(2012年01月02日)

あけましておはようございます。たまに思うに、年や月(太陰暦)や日は自然と関係あるけど、週や時分はあくまで人間の決めたモノでしかないということに。だから自然界の動植物はきっと曜日や時刻を認識できないだろうと。今日も宜しくお願いいたします。

優雅に歌など詠みませんか? (2012年01月01日)

せっかくの正月ということで、優雅に歌など詠みませんか?

この遥かな昔からある遊びとほぼ同じシステムのテーブルゲームが現代にもたくさん出版されてます。今も昔も人間が感じる面白さの仕組みにたいして違いはありません。古代人にとっても現代人にとっても砂糖は甘いのです。ただし、その甘さをどのように思うかは、それぞれの価値観によります。

壬辰(水の兄・辰)の年 (2012年01月01日)

あけましておめでとうございます。

昨年中はみなさまにたくさんお世話になりました。

今年も趣味に限らず様々なことに興味を抱き、「愉しむ為に生きる」を実践し続けるつもりです。物事の本質や仕組みを考察するのは、「思考の領域」の住人として何よりも愉しいことだと思ってます。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。