2011年のログです。
昨今のゲーマーの多くは「ゲームという製品は遊具ではなく作品だ」と考えてるんじゃないかな。だから、楽しく使うことよりも正しく鑑賞することを重視しがちになると。
用具を自作したりルールを改変することや楽しんだ結果としてゲームを汚損してしまうことについて過剰に怒るのもそういうわけだと思う。それが業界の発展の為だと信じているゲーマーが多いけど、結果的に粗製乱造を招いてる。ますます新作を鑑賞しては次の新作を鑑賞するという消費行動になりがちで、楽しんでいる余裕ないんだろうと思います。< でも、当人達は愉しむ為にプレイしてるんじゃないみたいだから、私たちがどうこう言うこともないです。
ゲームという品はあくまで道具です。さまざまな用途に使っていいと思う。ただ、異なる目的で使っている人達とは一緒にプレイしない方がいいだろうけどさ(世の中には稼ぐために使うギャンブラーだっていますし)。ゲームを使って愉しみたいなら、愉しむ為に使う人達(ぶっちゃけて言うとゲーマーでない人達に多い)と遊べばいいと思います。その際には、作品性の低いモノを選ぶのがいいでしょう。
そんなわけで、また「遊び」にいらっしゃいな♪
ニュースによれば、韓国の新聞社が東日本大震災についての当時の記事における「日本沈没」を「日本がんばれ」に変更したそうです。そのニュースを読んで、あらためて「報道とは何か?」を考えました。
私の価値観では、過去記事について謝罪したり訂正したり非公開にするのはともかく編集するのは絶対に認めるべきではありません。もし編集を認めてしまうと、例えば「韓日問題(領土や慰安婦など)について過去にこのような記事があった」と捏造されかねません。それは歴史の真実を覆い隠すものです。
おそらく「報道の存在意義とは何か?」「歴史の存在意義とは何か?」について価値観が異なるのでしょう。日本人の多くは「不愉快なものであっても実際の出来事により近いものがより正しい歴史だ」と考えていますが、諸外国では必ずしもそうではないということです。
技術がどんどん進化し当時の紙質そっくりに捏造することすら簡単になった現在において、この価値観の違いはいつか大問題になるだろうと思ってます。
今月は自宅や例会などでたくさんのゲームを遊びました。< もちろん遊ぶのはゲームばかりじゃないけどさ。
やはり、ゲームに費やせる休日は月に4日が限界です(苦笑)
テーブルゲーム(いわゆる広義のボードゲーム)のオープン例会を主催しています。いつも常連さんがたくさんゲームを持ち込んでくれてるので、私は「ビギナー向けゲーム」「紹介用ゲーム」「時間調整用ゲーム」「定番ゲーム」を中心に持ち込んでます。
ボードゲームサークル「バンガードミッション」のオープン例会に持ち込んでいるキャリートランク(縦55×横35×高25cmぐらい。A3ファイルがちょうど収まります)には、たいてい以下のものを詰め込んでます。
こうして書き出してみると、案外に多くのものを詰め込めでると再確認できます。さすがに多すぎかな?
当時の軍人さんたちがどのような想いで戦場に臨んだのかを想像するに、深い感謝を禁じ得ません。
メールでしか連絡が取れない相手から返信がないのは「届いてない」「読んでない」「返信していない」のいずれだろう?(相手がメアド変更していたり、携帯でPCアド拒否してたり、海外在住だったりすると、確認が難しいです)。こう考えると、近い将来には世界的に知人間の連絡はSNS経由がメインになるんじゃないかな?
Aの所持品をBが汚損した事例において、Aは「この品物は使えなくなった」としてBに買い取りを要求し、Bは「その品物は今まで通りに使える」として買い取りを拒絶。そんな場合の落とし処は「破損直前の状態の相場でBが買い取り、それを破損直後の状態の相場でBが誰かに転売して宜しい」あたりかと。
北朝鮮の金正日総書記の死亡について「情報を収集して対応を検討する」のではなく「情報を収集して想定通りに対応する」が望ましいです。単に「想定済みと言わないだけ」だったならあまり問題ないのですが、官僚らはともかく政治家は本当に想定してなかったかも知れないのでいささか不安です。
うがった見方をすれば…。韓国の李明博大統領が訪日しているタイミングにあわせて発表したことについても何か理由があるのかも知れません。
韓国大統領が来日し、従軍慰安婦問題について主張しました。私はそれを韓国国内向けのポーズであると解釈しています。
従軍売春婦は存在していたのは間違いありませんし、それを従軍慰安婦と呼称していたことも間違いありません。しかし、国家による強制があったというのは間違いです。もしも(個人や業者による強制についてはともかく)国家による強制があったとするならば、なぜ日韓条約締結(1965年)以前にその問題が認識されていなかったのでしょうか?
既遊数+所有数=106
箱詰めパズルの最適解を求める能力は、実生活においてとても有用です。で、ボードゲームなど数十点をキャリートランク&トートバッグに詰め込んだわけですが、効率的に詰め込めば詰め込むほど密度は高くなり重量感が増すという罠。
充電式の
3回以上プレイしたものから選びました。なお、子供向けやパーティ向けなどのゲームは、ゲームそのものでなくそのシチュエーションが好きなので除外しました。
犬夜叉は朔のときと同じように人間になるんだろうか?
出演する役者さんのファンの間ではけっこう前評判が高く、高橋留美子作品ファンの間ではあまり前評判はよくありませんでした。私としては、アニメとは別物の二次創作として楽しめればいいと思ってます。
リアルタイムで観ましたが、けっこう頑張って原作らしさを出しているように思いました。「許婚」の台詞をあかねに言わせたのが面白いです。細かいとこはともかく、このドラマをアニメ化できないものか?(笑)
本日10時半の電話で「先方は今日じゃないと会えない」と仲介者が言うので、もともとあった地元での用事をかなり苦労して夕方にリスケジュールし、仲介者に「現地に15時までなら居られる」と伝え、いそいで仕度し2時間かけて現地に着くと、「先方は15時過ぎにならないと来れない。明日の昼なら時間ある」とのことで、「他人を責めてもしょうがないし今は善後策を講じるべき」と考え、明日にまた往復4時間かけることになったという今日この頃です。
いつもより早く未明3時頃に目が覚めました。思うことは毎年毎年いくらか異なりますが、先祖達が未来を守ろうとしてたことは感謝し続けたいです。
電気やガスやコンビニがなくとも衣食住が足りてるならば真の意味で「モノがない」とまでは言えないと思ってます。だから、私なら「10人いるとします。椅子が8脚あるならみんなで詰めればなんとか座れます。そして、椅子が3脚しかない場合に備えて、誰をどのように座らせるかを自分達で決められるようになっておくこと。みんなにとって最善なら自分が犠牲になる覚悟をもっておくこと。そして何よりも、みんなで協力して椅子の数を維持すること」と教えます。
老人達の世代にも教えます。「未来の世代が椅子に座れるように、あなた達の世代も少し詰めて座って下さい」と。
「日本政府、非常用石油を韓国で備蓄する計画」という記事がありました。
日本海側での大災害のリスクと朝鮮戦争再開のリスク(破壊工作や強制流用など)とを考えるに、日本は石油を国内に分散して備蓄すべきです。ただし、韓国が軍事同盟国になるなら備蓄名目で支援するのはあり。
本日は豊洲で第10回アクワイア大会が催されました。
いろいろドラマがありましたが、おかげさまで優勝しました。トロフィや賞品など頂きました。
これが私のアクワイア。この[3I]がバンガードファンタジー。
みなさま、ありがとうございました。
もしかしてボードゲーマーの多くは市販された商品だけをボードゲームだと思っているんじゃ…
一般に商品は、その価値を知る人が増えれば価格も高くなります。逆に言えば、その価値を知る人が減れば価格も下がります。極端な例ですが、もし売り手だけがその価値を知ってそれに見合ったプレミア価格を付けていたら、きっと誰も買わないでしょう(もし安価な代用品があれば尚更です)。
その商品を売るためには、その価値を宣伝するか、価格を下げねばなりません。さもなければ、「良い商品なのになぜか売れない」と嘆きつつ在庫を抱え、最終的には当人にとってタダ同然で処分しなければならなくなります。いつの日か当人がその商品に興味を失ったときには、自分が抱えていた在庫に呆然とすることでしょう(当人が死亡したときには、遺族が呆然とするでしょうが…)。
商品ではなく蒐集品についても同様です。自分にとって価値がある品物といえども他人にとって価値があるとは限りません。< 私の高橋留美子作品コレクションは相当なもののはずですが、興味ない人にとってはきっと二束三文でありましょう。
最新の研究によって、人類の半分を殺せるであろう鳥インフルザウィルスが開発されました。当然のことながら倫理的な批判は免れません。しかし、もしこの研究がなされてなかったとしても、遅かれ早かれ数十年以内にはバイオテロリストやマッドサイエンティストがウィルスを開発してしまうでしょう。それに備えて、ワクチン開発できる技術を優位に整えておかねばなりません(できることなら、信頼できる研究者らだけで知識を共有すべきです)。
この研究によって人類が壊滅するリスクが数十年ほど早く発生することになりました。しかし、千年後に人類が壊滅してる可能性を下げることはより優先されるべきです。悲しいことではありますが、私はこの研究を必要悪として支持したいです。
15時のおやつはレディグレイ(twinings)とお土産に頂いたマドレーヌ(ら・ふらんす)。マドレーヌは円形よりも貝殻形が好みです。ありがとう♪
スポーツには『野球』や『サッカ−』や『剣道』など数多くの種目があります。いずれもルール使用料は掛かりません(用具代や場所代や保険料や受講料などは別に考えます)。新たに考案された種目も原則として誰でも無料でプレイできます。
ボードゲーム(広義)にも数多くの種目があります。しかし、ボードゲーマーの間では、慣習的に「ルール使用料は用具代に含まれている」と考えられており、(伝統ゲームなどを除けば)用具を自作してプレイすることはあまり推奨されていません。ましてや、他者が考案した作品の為の用具を製造して販売することは批判の対象になります。
この違いは、ボードゲーマーの間では「ルールは著作物である。著作者の経済的利益を保護することで文化的な発展が望める」と考えられていることによります(なお、法解釈においては「ゲームのルールそのものは著作権の保護対象にあたらず、用具のデザインやルールブックの文章は保護対象にあたる」とされています)。
ルールの考案がビジネスとして確立したが故に数多の作品が考案され続け、結果的にそのいずれの種目も文化として定着することなく消費され続ける現状は、ちょっとしたパラドックスです。果たして、ここ30年以内の種目で伝統ゲームの仲間入りできるものはどれだけあるものやら。それとも、映画や小説のように作品が創作され続けることを文化の発展と呼ぶべきか…
「ボードゲームの文化的発展は、スポーツ(種目)のようにあるべきか、それとも映画や小説やマンガなど(作品)のようにあるべきか?」は非常に重要な問題です。ボードゲーマーの多く(鑑賞を重視している人たちや業者側の人たち)は後者を望んでいるみたいですが、競技や交流を重視している私は前者を望みます。そして恐らくは、非ボードゲーマーの多くも前者を望むだろうと思います。
私は以下のロジックによってボードゲーム(広義)はスポーツに近いと考えてます。
「ゲーム(広義)」とは、ルールに則って勝利条件の達成を目指す競技です。ゲーム(広義)のうち身体的作業を主とするものは「スポーツ」とも呼ばれ、知的作業を主とするものは「ゲーム(狭義)」と呼ばれます。このゲーム(狭義)のうちもっぱら卓上でプレイされるものが「テーブルゲーム」です。テーブルゲームは、いわゆるボードゲーマーの間で慣習的に「ボードゲーム(広義)」とも呼ばれてます。そして、テーブルゲームのうちゲーム盤を必要とするものが「ボードゲーム(狭義)」です。
由来を知らない人にとって「飛鳥(あすか)」はDQNネームなのかも知れません(苦笑)。プロトカルチャーの文化は大切に。
車道を走ると怪我するリスクが上がります。歩道を走行すると、赤切符のリスクや、歩行者に怪我させたときの責任がより重くなるリスクがあります。両方のリスクがあまりに高い場合には「自転車を押して歩道を」や「そもそも自転車に乗らない」という選択肢を検討すべきだと思ってます。
酷使してることもあり居合刀(脇差)の鯉口がずいぶん緩んできました。お腹の肉で鯉口を切れるほどです。
補修するには薄い朴板を貼り付ければいいのですが、「せっかくなので鞘を替えてみよう」と思い立ちました。基本的に独稽古なのでカラーリングで文句を言われることもありません。美術刀(鑑賞や装飾やコスプレに用いる模造刀。本気で振り回しちゃダメ)の鞘を流用するのが安上がりと考えてます。
いっそのこと、萌え画像を蒔いて「痛鞘」に仕立ててみましょうか? < さすがに福沢諭吉先生(ニュアンスが違いますがこの人も腹で鯉口を切れます)が飛んで行くけどね。
鶏料理専門店で「鶏ラーメン(白醤油)」というものがあったので食べてみました。麺はたいして美味しくありませんでしたが、炙りチキンと鶏肉団子と味玉とスープはなかなか美味しかったです。柚子胡椒がいいアクセントでした。麺抜きの鶏スープとして提供してくれればいいのに…と思いました。
もう二十数年前になりますか、音声時計『ピラミッドトーク(DA570G)』(SEIKO)を買いました。当時の大ヒット商品でシリーズ累計20万個も売れたそうです。音声時報機能が非常に便利でした。私の部屋に遊びに来た人たちは、どこからか聞こえてくる「何時です」という音声を聞いたことがあるはずです。頂上を連打すると「さささ・さんじごじゅっぷんです」のようにディケイドっぽく喋ります。
長いこと使用して寿命を迎えたのでさすがに処分しました。買い替え機種を探していたら、いつのまにか復刻版が販売されてました。いくつかの候補と比べても割高ですが、やはり毎日ずっと使うものですから気に入ったものを使いたいです。色は金色がいいです。ピラミッドといえば金色に決まってます。なんなら「百式」のロゴをいれたっていいです。
新しい『ピラミッドトーク(DA205G)』は旧機種と比べて一回り大きいです。クフ王のピラミッドを発見した人も同じように「でかっ」と感じたに違いありません。声質は旧機種に似ていますが、機能はずっと向上しています。1分毎に時刻を読み上げてくれるオートスピーキング機能がけっこう便利です。
生化学反応においては「低すぎても高すぎてもダメ」や「多い方が望ましいが閾値を超えるとダメ」というようなものがあります。分かりやすいものでは温度や調味料などがあげられます。
実感できない人は、食塩についていろいろ考えてみるのがいいと思います。< なお、自然界の食物には既に塩分が含まれてるので、わざわざ食塩で調味しなくても十分に生存できるとします。
社会から見れば「特定1人の命」と「不特定100人の命」とでは後者の方がずっと重いです。そして「刑罰には犯罪予防効果がある。もし死刑制度がなければ犯罪はもっと増えてた」と私は信じてます。だから、冤罪リスクがあったとしても一罰百戒の考え方に基づいて死刑執行すべきだと主張します。
日本の司法制度において刑罰を決定するのは裁判所であるので、法務大臣がサインしないのは職務怠慢にあたります。もしこの怠慢を許すのであれば、死刑執行官がボタンを押さないという怠慢をも許すことになってしまいます。死刑の是非は立法府が刑法を以て判断するものです。
童謡「さかなとにんじん」の歌詞には「ボクが魚を嫌いなんじゃない♪魚がボクを嫌ってるんだ♪」とあります。食べ物の好き嫌いを戒める歌詞なのですが、魚から見ればヒトは捕食者ですので嫌うのは当然かと。
やむをえず動植物(ヒトを含む)を殺傷する者は常に「いただきます」を心得ておくべきです。< このあたりは私の武道に対する考え方に関連します。
押井守監督が「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」と発言したそうですが、その解釈は間違ってないと思います。そして、「ある年の教科書は基本的に前年度の教科書のコピーである」と同様に、そのコピーは消費財として十分な需要があると考えます。
練習の帰りにY公園を通ったら、近所のおじさんたち二十数人が集まって『将棋』を指していました。
「風に飛ばされない」「汚損しても洗える」「コマの数が少ない」「手に持ち続ける必要がない」「短時間で決着」「繰り返しプレイに向く」「持ち運びしやすい」などの条件を満たしていれば、他のボードゲームでもこういう野試合ができるでしょう。< せっかくなので、野点しながら『盤雙六』で遊ぶかい?
伝統ゲームにはいくつかこの条件を満たしているものがありますが、ここ十年ほどのボードゲームでこれらの条件を満たすものは案外に少ないように思います。
そういえば、朝の公園でゲートボールに興じてた老人集団をしばらく見かけておりません。閉鎖的であったが故に新しい世代を引き込むことに失敗したのだろう…と想像しています。サークルを運営している身としてはいろいろ考えるべきことが多いです。
私がパズル好きになった切っ掛けの一つが、子供の頃に読んだ『Play Puzzle パズルの百科』です。この本にはさまざまなパズルが紹介されてますが、その中で最も惹かれたのが『十二支のペントミノ』(小黒三郎/1978年)でした。ペントミノの十二片をそれぞれ十二支に見立てた芸術品です。「これ欲しいなー」と憧れましたが、子供に手が届くような代物ではありません。そもそも当時からしてコレクターズアイテムだったようです。
やがて社会人になりいろんなパズルを簡単に入手することができるようになりました。『IVYパズル』を購入したときに製造元に問い合わせたところ「素材が違うものはまだあるが、ローズウッド製のもの(ちなみに値段は20000円以上)はもう作ってない」とのこと。そして、デザイナーが「私の作品が親や教師の手で作られ、子どもたちに使われ、遊ばれることは私の願うところでもある」と言って図面公開しているので、世の中に複製品が山のように存在します。
でも、私が欲しいのはローズウッド製のものです。だから、あの作品だけはいつまでも憧れの存在のままでした。
時は流れ、このたび縁あってあの作品を入手することができました。デザイナーの直筆サイン入りです。ハンドメイドの精密加工品(サイズは画像参照)とはいえ、シリアルナンバー15番って…いったいいくつ生産したんだよっ?(苦笑)
これで子供の頃から欲しかったパズルは全て入手できました。満足しています。
20日(日)は西橋本のサンエールさがみはらにてボードゲームサークル「バンガードミッション」の定例会を催してきました(残念ながら「潤水都市さがみはらフェスタ」2日目は不参加)。例会の参加者は22人ぐらい。みなさま、おつかれさまでした。
「バンガードミッション」は、かなりのヘビーゲーマーでも受け入れられる梁山泊みたいなとこだと思ってます。実際、かなり強い人が揃っていると思うよ。
この週末は、在日米軍の相模原補給廠にて「はやぶさの故郷 潤水都市さがみはらフェスタ2011」が催されてます。
今日はあいにくの雨天でしたが、予想よりも混んでました。
名称にふさわしく「宇宙キター!」な展示やプラネタリウムなどありました。宇宙飛行士訓練スーツのレンタルにはちょっと惹かれました。「はやぶさ」実物大模型の前で撮影するのはちょっとしたロマンかも?(笑)
お祭りらしく食べものの屋台がたくさん出てました。ただ、プロの屋台よりもアマチュアの屋台の方が活気があったように思います。焼き秋刀魚とかカレーヤキソバとかUFO餃子とかタイ汁ソバとかダチョウジャ−ギーとかアゲパンとか。
一般的な屋台とは別にラーメン屋16店が出店して「ラーメングランプリ」を開催していました。参加者による投票でjこと市のグランプリを決めます。ミニ丼とはいえ4杯はちょっときつかったかな?(いろいろ義理があるのです)。
メインは明日の日曜になるのですが、コスプレアニソン歌合戦やダンスグランプリなる企画もあります。
物販コーナーには、相模原の「萌え醤油」や「萌え羊羹」も並んでました。萌え醤油は新デザインだそうです。
地元の特産品をいろいろ買い込み。プチオフでお茶してから帰宅。冷えた体を温めて現在に至る。寒かったけど楽しい一日でした。
ダメ男を受け入れる女性にはダメ男たちが寄ってきますので、結果的にダメ男ばかりが選択肢になりがちです。だから何度もダメ男ばかりと付き合うのだろうと思います。「こんな俺でも良ければ」な甘えに対してちゃんと拒絶すべき。
面白い事案を観察しています。mixiコミュの乗っ取りです。
あるテレビドラマGについてのコミュ(約6000人)に新たに就任した管理人が、メンバに通知することなくそのコミュをファッションモデルHについてのコミュに作り替えました。どのような経緯で就任したかは分かりません(おそらくは管理人不在による就任かな?)。なお、テレビドラマGとファッションモデルHとの間に何らかの関連があるとは認められません。当然のことながらコミュGに参加していたつもりの人達は怒ってます(メンバたちはmixi事務局に通報するでしょうが必ずしも対応されるとは限りません)。
もしも新管理人がそのコミュを「管理人の承認が必要 (非公開)」「管理人のみ作成できる」と設定した上で全てのトピックを削除してしまったなら、アクティブでないメンバの多くは気がつかないまま参加し続けている状態になります。< 傍から見ればバカバカしいのですが、新管理人はそれで悦に入っている可能性がありえます。
# ぶっちゃけGもHも知らなかったけどっ(笑)
この事案より学ぶべきは、自分が参加している全てのコミュについてときどき確認することと、自分が退会するときには新しい管理人をちゃんと決めることです。ついでに、不慮の事故で自分がmixiアクセスできなくなる可能性もあるので、あらかじめ副管理人を選定しておくことも忘れるべきではないでしょう。
地元では有名なラーメン屋の一つが「ラーメン大五郎」(相模原市上溝)です。麺も叉焼もスープも全て手作りで、基本となる醤油ラーメンは昔から変わらず350円です。モロヘイヤ麺は追加50円で、大五郎ラーメン(野菜あんかけと味玉を乗せた塩ラーメン)は600円で、特上チャーシューメン(焙り叉焼が乗っている)は950円です(叉焼は追加350円、トロ叉焼は追加500円、特上叉焼は追加650円なり)。美味しさの割に安かったこともあり、20年ぐらい前から利用してました。
その「大五郎」が11月18日(金)をもって27年の歴史を閉じると聞き、今日の予定をやりくりして食べに行きました。最後になるであろう注文は「チャーシュー入り大五郎」(850円)にしました。私の記憶の中で最初に食べてたメニューです。
「今までお疲れ様でした。美味しかったです」と感謝の気持ちを伝えることができて良かったです。閉店の理由は、経営的に苦しいというわけではなく、単に老齢によるとのことでした。
今日は代々木公園でJediArts練習会があったので、FXライトセーバーを担いで夕方からお邪魔してきました。夕方の原宿駅前や代々木公園はあいかわらず人も多く賑やかでした。さすがにタケノコ族はもはやいませんでしたが、その流れを汲んでいるっぽい人たちがいました。なんか微笑ましいです。
私の戦闘フォームはちょっと独特なので、シーン再現などはあまり興味ないのですが、ライトアップされた噴水をバックに撮影したり(画像は後日追加)、以前から作りたかった片刃モール用の柄を頂いたり、楽しい時間を過ごすことができました。参加者は十人ちょっとぐらい。また宜しくです。
守破離とは、文化(技術や技法や文芸や芸術や遊戯や工芸など)の習熟および創作についての発展段階を表す語句です。おおざっぱな説明になりますが、「守」は既存の文化を学習する段階で、「破」はそれらの理合やノウハウを考察し改修する段階で、「離」はそれらの理合やノウハウを元に新たな文化を創作する段階です。
個人的な経験で言えば、この守破離の考え方は百芸に通じます。例えば、ゲーム業界であれば、様々なゲームをよく知る段階が「守」で、そのゲームを改修して面白さの仕組みを考察する段階が「破」で、その仕組みを元に新たなゲームを創作するのが「離」です。マンガや小説の業界であれば、既存の作品を良く読むのが「守」であり、二次創作などでノウハウなどを蓄えるのが「破」であり、そのノウハウを活かして自分の作品を創作するのが「離」です。製造業であれば、既存の製品に熟知するのが「守」で、インスパイアやリエンジニアリングして技術レベルを上げるのが「破」で、その技術を用いて新たな製品を開発するのが「離」に相当します。料理の業界においても、既存のレシピに習熟するのが「守」で、改良や工夫を加えるのが「破」で、新たなレシピを創作するのが「離」です。
興味深いことに、創作者の利益と業界の発展とは必ずしも一致するわけではありません。だから、多くの創作者はノウハウを秘密にしたりソースコードを秘匿したりブラックボックスを用いたりすることで簡単に「破」されないようにするわけです。
しかし、もしも「破」や「離」を禁じてしまったならば、文化の伝承はなされても文化の発展はそこで停滞してしまいます。また、ほとんど「破」を経ない「離」ばかりになると、劣化コピーが氾濫するだけでなく文化の伝承まで失われてしまいます。それならば、「守」を経ない「離」の方がまだマシかも知れません(「車輪の再発明」とも言います)。
文化の伝承と発展について最善であろうのは、「守・破・離」のバランスがとれている状態だと思います。
「誰であろうと資産や収支にかかわらず税金を一定とする」の運用は比較的に低コストです。みんなの経済状況が似たり寄ったりならば、みんなにとってメリットがありましょう。しかし、みんなの経済状況が大きく異なるならば、資産家にとってはメリットがより大きくなり、貧乏人にとってはメリットよりもデメリットの方が大きくなります。だから、一般には運用コストがある程度に高くなろうとも「誰であろうと資産や収支に応じて税金を決める」が運用されています。
資産家は「誰でも経済力に応じて」を「誰でも一定とする」に改正したがりますが、貧乏人はそれを変えさせるべきではありません(いったん変えてしまったら、資産家はそれを戻すことに反対し続けます)。もしも変えるべき理由が双方にあるとしたら、よほど経済力が均衡し将来も均衡し続けるであろう場合に限ります。しかし、そのような均衡は(結婚などによって双方の財布が一緒にならない限り)永続するわけがありません。
そうか、ならば日米併合すればいいのか?(笑)
戦国時代に「互いに自国の城の堀を埋めよう」という取り決めが提案されたとします。これは、もともと城の防御力に頼っていた国にとっては非常に不利になる取り決めです。確かに「互いに堀を埋めよう」は平等な取り決めでありましょう。しかし、「互いに堀を自由に作れることにしよう」もまた平等な取り決めです。だからこそ、いずれの平等が国益にかなうのかをしっかり考えなければなりません。
さて、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はもともと経済的に等しく小規模な国々による連携だったはずですが、そこに大国であるアメリカが割り込みました。もしこれに大国である日本が参加するとしたら、事実上の日米FTA(自由貿易協定)に相当する仕組みになります。
私は基本的にTPPに反対の立場ですが、もし参加するにしても十分に条件交渉しなければならないと考えてます。さもなければ、それは不平等条約ならぬ不公正条約になってしまうからです。平等なはずの取り決めはアメリカが有利になり、アメリカはその仕組みを変えさせまいとし続けるでしょう。
いったん締結されたものを覆すのはとても困難です。かつて日本が不平等条約を改正させるまでいったい何年を要したかは義務教育で習った筈です。
ん?駅伝中継で『フォーゼ』ないのか…。かつて野球中継で『うる星』がしばしば放映延期となってたときには、プロ野球が嫌いでした。ライダーの熱烈なるファンたちも同じような気持ちになんだろうか?(
3人以上で争うマルチゲームにおいては「自分は勝利できないが勝利者を決めることができる立場のプレイヤー」がしばしば発生します。そのようなプレイヤーをキングメーカーと呼びます。実力が劣るプレイヤーが単独で混ざっているとしばしばキングメーカーになりやすいです。勝利可能性が残っているプレイヤーたちは、このキングメーカーをいかに誘導するかを争います。
キングメーカーがいた方が勝率が高くなるプレイヤーは、あえてキングメーカーを発生させて誘導するようにプレイすることもあります(自分が反感を買わないように誘導するのがコツです。誰もが理性的にプレイするとは限らないのですから)。逆に、キングメーカーがいない方が勝率が高いプレイヤーは、キングメーカーを発生させないように調整しながらプレイする傾向があります(自分が勝利する為に、弱者にも“必要最低限の勝ち目”が残るようにプレイします)。
また、自分の勝利よりも雰囲気も重視するプレイヤーは、みんなに“十分な勝ち目”が残るように制御しながらプレイすることがあります。
交流を目的とする場における至高のプレイスタイルは「最後までみんなを楽しませて結果的に自分が勝利する」です。具体的には、僅差による勝利を目指すことが多いです。 < これが、私が『カタンの開拓者たち』大会に対して「より発展したカタン島の支配者になること(占有率の低い勝利)をより良い勝利とすべき」と主張していた理由の一つです。
3日(祝)は橋本公民館にてボードゲームサークル「バンガードミッション」例会を催してました。私がプレイしたゲームは『くるりんパニック』『アウフアクセ』『パンデミック』『なんこ』『ドメモ』『ベリシネベリシ』『くるくるタコポン』『バス必中』『キングオブトーキョー』『花火』『すぃりーかーど』『大商人』『アクワイア』などなどです。『パンデミック』は6回ほどプレイにつきあいました。人類は何度も全滅しましたが…(苦笑)。みなさま、ありがとうございました。
実用派と保管派とのスタンスの違いによる言い争いは、歴史資料や美術品などさまざまな世界においてしばしば見られます。その構図はしばしば、「使った(費やした)」と言う実用派に対して保管派が「使うな(費やすな)」と言う形になります。
原則として、保管すべき価値があるか否かはそれぞれの価値観によります。
トラブルを避ける為に実用派にできることは、保管派の目につくところで「費やした」と公言しないことです。さもなければ、使ったことそのものだけでなく資料に対する無理解までも責められます。
保管派にできることは、研究者なら研究成果を示してその価値を説明すること(もし納得してくれれば自主的に保管してくれるかも知れない。文化財指定ならなおさら!)で、蒐集家ならそれを譲り受けて自分達で保管することです。いずれにせよ、「それは私たち保管派にとって高い価値がある資料だから、あなたたち実用派はそれを使わずに保管して下さい」と言うだけでは筋が通りません。
高橋留美子作品については「実用(自分用と布教用)と保存用」と3冊セットで購入してますが何か? < そんじょそこらの蒐集家のよりもずっと上等なコレクションであることは自認してます。
ボードゲームについては基本的に実用派です。絶版品などの価値はそれなりに知ってますが、プレイできることをずっと優先しています。もちろん蒐集家には売るよ?
ついでに言えば、日本刀(分類は美術品)はひそかに実用したいけど結果的に保管した状態(笑)
天気予報の通りに昼間は汗ばむ陽気でした。カントリージャケットで散歩するにはもうちょっと寒い方がよかったです。でも、空は高くて気持ちよかったです。
世界の人口が70億で相模原市の人口が70万以上。
つまり世の中の10000人に1人は相模原市民ということになります。
こうして考えると、それなりに大きい都市だと実感できます(笑)
「トリック・オア・トリート!」
今年もカボチャマスクとサイス(大鎌,Syche)を装備して友人宅を襲撃してきました。
武器としてのサイスはあまり実用的ではありません。輸送するにあたっては他のポールアーム類と比べても非常に嵩張ります。戦闘時は、重量配分的に短く保持しなければならない上に、「刺す」と「刈る」のいずれもリーチが短いです。柄を用いた攻防も大鎌の重心をよく把握していなければなりません。遠間においては防御に徹し、中間においては相手が防御しづらい方向からの刺突&刈斬を狙うのが合理的だと思います。近間においてはさっさと大鎌を捨てて懐から短刀を取り出した方がいいかもしれません。
しかしながら、中世においては一般的な農具であり、安価に揃えることができたであろうと思います。そして何よりも、その見た目のインパクトは屈指のものであり、コスプレなどにはよく適していると思います。
そんなわけでハロウィンの季節になりました。
もともとケルトの収穫祭がヨーロッパに伝搬し、キリスト教の「万聖節の前夜(All Hallows eve)」と混合され、さらにアメリカに渡ってカブがカボチャになって、それが日本に伝わって季節のイベントとして定着しつつあります。もはや収穫祭の原型はほとんど留めてません(笑)
自然の恵みや生産者への感謝の方法は文化によって千差万別です。個人的に思うに、他文化の収穫祭については、その由来や意味を正しく理解した上で自分たちの文化にあわせてアレンジして愉しめばいいと思ってます。そして日本の収穫祭については、よく理解した上で正しく伝統していくべきだと思ってます。日本の風習が他文化に取り入れられてアレンジされることは、その由来や意味を正しく理解した上でのものであるなら一向に構わないと考えてます。
いつまでも食べものに困らないことを切に願ってます。
しかし、様々な要因を考えるに、世界的に食糧は不足し高騰し続けるでしょう。数十年以内には大規模な饑餓も発生するでしょうし、生産国が「自国の国民を優先する」という大義名分で輸出制限をかけるリスクもあります(国民の生活のためなら条約違反や条約破棄だってありえます)。そのときに生産能力を失ってる国家は、高価な食糧を輸入しなければなりません(もっとも、その値段が現在の日本の食糧の値段を超えるか否かは議論の余地があります)。
日本の農業についてはいろいろ改善すべき点が多いですが、それでもある程度の生産力を維持するために支援し続けなければなりません。そして、いったん失った生産力はそう簡単に回復できないのです。角を矯めて牛を殺してはなりません。< このあたりのロジックはFX選定問題(9月26日の日記)の「生産力は維持すべき」や経済破綻問題(10月28日の日記)の「心情的にも面白くないでしょうが」に通じます。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加については、魅力的なメリットもありますが、将来の食糧リスクが致命的なので原則的に反対です。目先の利益の為に外堀(関税自主権)を埋めてしまったら、次は内堀(非関税障壁)まで埋められて本丸が丸裸になります。双方の城が互いに堀を埋めたとしたら、兵力や軍資金や兵糧が少ない側がますます不利になるのは言うまでもありません。
ところで、毎年のことながら略奪したお菓子(キャンデーなど)よりも持参したお菓子(カステラやケーキなど)の方がずっと豪華です(笑)。でも喜んでくれてるので、それでいいのです。 < この日記の主題
ある経済圏が破綻すると周辺の経済圏もいくらかのダメージが被ります。そのダメージを避ける為に、しばしばその経済圏を周辺の経済圏が救済します。しかし、救済して疲弊した周辺経済圏がいつか破綻するときには、もはや救済できる経済圏は存在しません。そしてその破綻によって世界経済は致命的なダメージを被ります。
これらの構造はゲーム理論的に「現在の小さな破綻」か「将来の大きな破綻」のジレンマになります。先延ばしにすれば将来のリスクから逃げ切れるかも知れないので、意思決定者はしばしば後者を選択しがちです。また、現在の小さな破綻でも致命傷になるほど周辺の経済圏の体力が衰えている場合にも後者を選択せざるを得ないでしょう。
いまギリシャを救済できたとしても、いつかユーロ圏まるごと破綻するリスクが高まったように思います。
ところで、救済すべき対象が友好的であるとは限りません。延焼や巻き添えのリスクがあまりに大きい場合には、敵対的な相手を救済せねばならないこともありえます(そんな義理はありませんし心情的にも面白くないでしょうが!)。「我々を援助しないと我々の自爆に巻き込まれるよ」と瀬戸際的に強要されることすらありえましょう。あるいは、自分より贅沢な暮らしをしている人を救済せざるを得ないケースもありえるでしょう。
そのような場合には、援助する代わりに何らかの具体的条件(担保など)を引き出すのが賢いです。相手だって自分が助かるための瀬戸際戦術なのですから、交渉は十分に成立すると思います。対価もなく単純に援助するのでは、相手の自助努力も見込めませんし、いつ追加支援を求められるかも分かりません。
乏しい食料を分け合って最終的にみんなで餓死するリスクを負うか、何人かを見捨てて確実に何人かを生存させるかは、経済的にも倫理的にも非常に難しい問題です。例えば老人の医療費や姥捨山(尊厳死を含む)の問題もしばしば同じ構造になります。果たして、前世代を延命させることで次世代を育成する余裕がなくなることは、生物として本当に望ましい倫理なのでしょうか?(そして、もしその前世代を現世代が嫌っていたとしたら!)
いろいろ考えるべき事が多いです。それでも最善を選び続けなければなりませんし、そうしたいと思ってます。
リサイクルショップにて戦艦大和の模型(1/144)を見かけました。ネット販売されてるものより精密っぽいです。飾る場所なら…飾る場所ならあるのですが…値段は100万円。うーん、うーん、うーん。
『パンデミック(Pandemic)』(Matt Leacock/2008年/HobbyJapan)とは、強力な感染性ウィルス4種の根絶をテーマとした協力型ボードゲームです。プレイヤーはウィルス対策チームのメンバとなって各地で治療を行いつつワクチンを開発しパンデミックを防ぎます。もしパンデミック状態などに至れば全てのプレイヤーが敗北します。システム的にソロプレイにも適してます。
それほどプレイ回数は多くありませんが、気に入ったゲームの一つです。
戦術研究用に1セット(拡張セット込)を入手したので、さっそく標準的なゲーム(メンバはランダム3人。エピデミック5枚)で何度かソロプレイしてみました。
特に感じたことは「ゲーム性はアウトブレイク予防とワクチン完成とのトレードオフにあり。都市カードは各色12枚しかないので、できるだけ移動に用いずワクチン完成に用いるべき」です。また、衛生兵がいるとすごく効率的だと実感しました。
ざっと思いついた方針は以下の通りです(実際には参加できるメンバはランダムで決定されるので、これらの方針はあくまで参考です)。
プレイ時間は1時間とあります。しかし、高い難易度の設定ならすぐにゲームオーバーになるので、ゲーム会では短時間ゲームとして扱っていいかも?
もともと歩道と車道とを分離した理由は、歩行者の安全を確保する為にあります。よって、軽車両たる自転車(幼児や老人らが運転する低速のものを除く)は車道を通行すべきとされます。そして免許制度である自動車には、自転車の安全を確保しながら通行する義務があります。
しかるに現実的には交通量の増加や違法駐車の増加によって、自転車は自らの安全の為に歩行者の安全を犠牲にして歩道を通行することも多いです。結果的に、歩行者と自転車との接触事故は増えました。自転車保険が普及していないこともあり、しばしばトラブルは深刻なものとなります。
そんなこともあり、「自転車は車道を通行する」の徹底が図られつつあります。
いろいろ考えたのですが、やはり「原則として自転車は車道を通行する。歩道を走行できる条件を明確にする」を徹底するのが全体として最善だと思います。
その為に、長期的には「自転車の免許制度」「道路の拡張や駐車場の増設(流動的な駐車場シェアを含む)」を、短期的には「義務教育における更なる自転車講習」「自転車運転におけるイヤホンやケータイ使用や飲酒運転や速度制限などの違反に対する罰則と取り締まりの強化」「自転車保険の普及」と「違法駐車に対する罰則と取り締まりの強化」「違法駐車が原因となった事故における責任の明確化(ドライブレコーダーの普及によって立証しやすくなったはず)」を図るのが良いと思います。
これによって、自動車と自転車との接触事故の増加よりも、歩行者と自転車との接触事故の減少の方が大きくなると考えます。
余談になりますが、首都圏においては道路や駐車場の量に対して自動車の数が多すぎだと思ってます。違法駐車問題については、駐車場増設が困難な現状を承知で自動車を利用しているドライバーに対して、あまり同情するつもりはありません。
なぜならば、「共有地の悲劇」問題においてはエゴイスティックな行動を採る人たちに責任があるからです(ただし、エゴイスティックな行動を採らざるを得ない人たちもいることは承知しています)。
日誌を書いていて「平均2時間はちょっと多いなあ。もしやmixiホリック状態?」と考えたのが先月末。そんなわけで、ここ一ヶ月ほどmixiを控えてみました。せいぜいマイミクの日記に目を通したりコミュの管理したりするぐらいです。訪問者リストを見てみると、訪問者数の激減に笑えます(コミュ経由の訪問者が表示されるようになってました)。
mixi日記を書かなくても強迫観念は抱かなかったので(友人といえども常にアクセスしている必要はないと考えてますから)、mixiホリックにはなってなかったみたいです。
だいたい毎日1時間ぐらい余裕が増えたので、ちょっとした隠し技能を修得してました。もうちょっとレベルが上がったら公表できるかも♪
『らんま1/2』(高橋留美子)びドラマ化については賛否両論があります。つぶやきでも書きましたが、原作やアニメのファンはおおむけ否定的であり、役者さんのファンはおおむね肯定的です。
余談ですが、「韓国でドラマ化される」よりはずっとマシです。もしそのようなことになったら、らんまは三段変身(男・女・パンダ)するようになってしまいます(参考動画)。それは最大的悲劇です。
誰かが苦労してルールを考案したのだとしても、そのルールの利用そのものは無料であるべきです。ルールブックや用具の製造&販売については一般の商品と同様に扱うべきだと思います(講習料についても同様)。< ボードゲームじゃなくスポーツの話だよ?
資料部屋には検索専用として旧いデスクトップPC「GT5084j」(Gateway)を置いてましたが、さすがに場所がもったいないので小型のPCに換えることにしました。ノートPCでも十分なのですが、ディスプレイとキーボードは大きい方がいいです。そんなわけで、店頭で目に付いたウルトラスモールPC「LM-mini20/w7」(mouse)を買ってきました(値段も19800円だったし)。高さや奥行きは17センチぐらいで重量は590グラムと本当にお弁当箱サイズです。クラウドでしか使わないだろうので、これでもオーバースペックかと?
ここ一週間ほど、ヒマな時間に『アステロイド(Asteroid)』(ATARI/1980年)をプレイしています。隕石をレーザーで破壊するだけのシンプルなアーケードゲームです。ベクタースキャンのワイウアーフレームがいかにもコンピューターグラフィックっぽくて気に入ってます。
ところで、この『アステロイド』に似たアーケードゲームで名称が分からないものがあります。操作方法は『アステロイド』とほぼ同じなのですが、隕石の代わりに人工惑星っぽい敵を破壊するものです。人工惑星の周囲には3重ぐらいの回転するバリアー(16角形ぐらい?)があり、そのバリアーの辺を壊しつつ、惑星本体を攻撃するというものです。誰か分かりますか?
為政者の役割は「対策を立てること」でなく「問題を解決すること」だと思う。だから責任を全うするためには、「私はちゃんと対策しました」だけではなく、その対策が結果的に最もマシなものであることを示さねばなりません。実効性のない対策や「角を矯めて牛を殺す」は絶対に避けるべきです。
露天商は祭りの雰囲気を盛り上げる大きな役割を担ってます。露天商を閉め出して素人が同じように祭りを盛り上げるには、多大な努力やコストが掛かります。したがって、露天商締め出し問題は以下の3択の構造を持ちます。
私は(A)を支持しています。そもそもヤクザの収入にもなるからといって、善悪の区別なく禁ずるのは間違っています。露天商そのものに限らず祭りの仕切りなどは社会にとって有益な活動です。最終的にヤクザの収入になる部分についても、仲介料や技術料や警護料として相応な額であると考えてます。もし「相応な金額とは言えない」と言うならば、もっと安価に仕切れることを示さねばなりません。
将来的には、暴力団でない専門の仕切り業者や露天商の育成が望まれます。暴力団から抜けた人たちの受け入れ先として考えればいいと思ってます。
ヨドバシ横浜店やイエサブや元町や港の見える丘公園や人形館や萬珍樓や青龍洞や中華街や自由ヶ丘の話はともかく、本日の日記は「栗の押し売りにご注意下さい」に尽きます(笑)
「俺の言ってること、間違ってないよね?」と言う人は、たいてい論点がずれてます。言ってることは間違ってなくても、やってることが間違ってます。論点がずれてることを説明するのは(当人が間違ってないと信じ込んでいるだけに)とても面倒くさいです。なにかいい説得方法はないものか(苦笑)
有力候補3機種の中では「EF2000 タイフーン」を推します。いずれも要求仕様をほぼ満たした機体ですが、私が特に重視する理由は「全面的なライセンス生産が可能である」です。
海洋国家である日本にとって領海上の制空権の保持は死活問題です。現在のところ中国のステルス機や艦載機の脅威(局地的な脅威ではなく広域的な脅威)はまだ小さいです。現実的な脅威となるのは早くても十数年後になるでしょうし、その脅威は更に数十年以上も存続するであろうと考えています。
次期主力戦闘機が決まったとして、いずれ次々期主力戦闘機を検討しなければなりません。そのときに、日本の防衛産業がライセンス生産も自主開発もできないような状態になっていてはいけません。
「F-35A ライトニングII」は共同開発国が日本によるライセンス生産を認めておりません。「F/A-18E/F スーパーホーネット」もエンジンやレーダーの供与は禁止されてます。しかし、「EF2000 タイフーン」は全面的なライセンス生産が認められています。売り込みの為とはいえ、これは非常に大きなアドバンテージだと考えます。
小海老3匹と栗2個が入った白粥です。練梅と大根味噌漬と塩が付いてます。朝7時の高崎駅での限定販売品です。以前から食べてみたいと思ってましたが、なかなか機会がありませんでした。群馬2泊旅行の帰りに念願が叶いラッキーなり。
中立者は立場を明確にしておかないと、たいてい双方から嫌われます。コウモリの故事のように日和見していると、最初に付いた側からは裏切り者とされますし、後に付いた側からは信用して貰えません。日和見するなら目立たぬように振る舞わなければならないのです。しかし、このネット社会においてはそれも難しくなっています。いったん炎上してしまったら、覚悟を決めてどちらかに付かねばなかなか沈静化しないでしょう。
だからこそ、ネットで騒ぎ立てると脅せばコウモリはたいてい水面下で譲歩してくれます(アメムチ併用ならなおさらです)。もっとも、それは「譲歩したことを公言するぞ」という次の脅しに使われるわけですが…
例えば以下の選択肢があるとします。
もし目標(勝利条件)が「プラスを15万円以上にする」であるならば選択肢Bを選ぶべきだし、目標が「マイナスを15万円以内に抑える」ならば選択肢Aを選ぶべきです。ものごとを決断するときには、なにを目標としているのかをしっかり自覚しないとなりません。さもないと、単純に期待値の大きい方を選んでしまいがちです(この例では期待値は同じですが…)。
ほとんどの経営者や指揮官は目標を設定しています。しかし、しばしば目標は秘匿しなければならないので、それが従業員や兵士にまで認識共有できてるとは限りません。結果的に、期待値の低い選択をしている無能に見られてしまうこともありましょう。
余談ですが、闇雲に「目標は高ければ高いほどいい」と本気で信じている経営者は愚かです。不必要なほど高い目標を達成するために、しばしば勝率や期待値が低い選択をせねばならなくなるのですから。
18日(日)@橋本公民館の参加者は25人でした。みなさまおつかれさまでした。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
StartとGoalの間に24マス。互いに逆方向に進む(自Startは相手Goal)。各15駒。ダイス2個で任意の駒(Start枡のが優先)を進める。相手が2駒以上いたら入れない。相手が1駒だけなら「Startに戻す」。Goal手前6枡に全自駒がいたらGoalに入れる。全自駒をGoalしたら勝ち。
私の基本スタンスは「愉しむ為に生き、生きるために食べ、食べる為に稼ぐ」です。そして、愉しみの一つが「前世代から受け継いだこの文化圏を少しマシにして次世代に引き渡したい」です。私は伝統的な日本の文化(価値観を含む)をけっこう気に入ってます。
私の所属意識は、国家でも民族でもなく文化圏にあります。だから、日本人でなくても日本の文化を尊重する人は尊敬するし、日本人であっても日本の文化を尊重しない人は軽蔑します。
異なる文化の交流においては互いに尊重しあうべきだと考えてます。だから、私は文化剽窃や起源捏造や文化財略奪(破壊や盗難を含む)に強い怒りを覚えます。私にとっては、小規模な領土紛争よりも大きな問題です。
もし利害の対立が発生したなら交渉して調整すべきだし、交渉が決裂したなら自分たちの文化を守る為に戦うべきだと思ってます。だから、十分な論拠や研究が必要だと信じてます。
私が国家を愛するのは、この文化圏を維持し伝承する有用な仕組みであるからです。自国の文化の発展(not宣伝)を支援する政策は原則的に支持します。もしも発展をおざなりにして宣伝を重視するとブーム捏造のような事件が発生します。隣国のブランド委員会やVANKのようなありかたではいけません。< 「クールジャパン」ロゴについてはまだ様子見だけどね。
内政・外交・軍事などバランスのとれた政治を望みます。日本国は民主主義ですので外交や軍事よりも票稼ぎのための内政が重視されがちですが、主権者はしっかり政策を評価して投票行動すべきだと考えます。目の前のエサに釣られなければならないような状態になってはいけません。
私の価値観においては、拒絶できない負の遺産は最も忌避すべきものです。後の世代に負担を課すことで現世代が利益を得る仕組みは、私のスタンスに明らかに反します。「現世代負担を次世代負担にすること」あるいは「更に次世代負担を次々世代負担にすること」で差益を貪る行為は支持したくありません。
だから、老人手当(賦課方式の年金や医療など)の仕組みは好きじゃありません。所得あるいは資産が一定以上の老人には、支給額を制限すべきと考えてます。逆に、子供手当や給食無料化などは、将来にツケを残さない範囲で支持します。
文化を伝搬伝承する道具である日本語を重視しています。日本に永住する人は日本語を生活レベルで修得して欲しいです。逆に、日本語を用いるつもりのない人の永住は認めたくありません(日本の文化発展に有用な招待客は例外)。
次世代に対する教育を重視しています。学校だけでなく家庭や地域による教育も大事だと考えてます。教育とは学業に限らず、躾けや家事や趣味や交流スキルなどを含みます。だから、ネットにおけるプライバシーポリシーをネット以外にまで広く適用することを愚かだと考えます。
子供を叱る親は尊敬するけど、子供に怒る親は軽蔑します。叱られて育った子供は叱る親になりやすく、怒られて育った子供は怒る親になりやすいのです。だから、世の中を少しでもマシなモノにする為に、「怒らずに叱ってあげれ」と何度でも言います。私は親になる予定はないけど、自分を育ててくれた親を尊敬しています。
ほかにもいろいろありますが、とりあえず今日はこのへんで。
結果的に私はかなり右寄りの思想ですが、ちょっとだけ斜め右上らしいです。
民主党の政策は支持してないが、より考えるべきは記者の質問部分がほとんど報道されてないことだと思ふ。< 記者「大臣(作業服)着替えてないんですか」。大臣「今福島から戻ったばかりだ、そんな暇ないよ」。記者「じゃ福島の放射能ついたままですか」。大臣「それがどうした? 放射能つけてやろうか?」。
自民党の時代もそうでしたが、日本のマスコミがこういうレベルであることを前提に発言しなければなりません。引用文でさえ本人が言ったと勝手に編集されてしまうのです。こんなマスコミばかりだと政治家はどんどん沈黙するようになって(実際に多いじゃん?)、民主主義が正常に機能しなくなっていきます。
フジテレビの貫流ゴリ押し問題もそうですが、マスコミが営利目的に活動することを認めていていいのだろうか?
性的関係の有無を問わず、同時に複数の相手と恋人関係になった場合を「浮気」と呼んでます。一方または双方が既婚者であり継続的な性的関係がある場合は(恋人関係であろうがなかろうが)「不倫」と呼んでます。
かつては「OA化でペーパーレスに」と言われていましが、現実的にはますます書類が増えているオフィスもあります。一時的な小さなメモで十分であるにもかかわらず、わざわざ時間を掛けて体裁を整えA4で印刷し、それを丁寧に保管してしまう人たちもいるでしょう。簡単に書類を作成できてしまうがゆえのパラドックスだと思います。内容の重要度や保管期限を評価することは非常に大事だと思います。
さて、数ページの印刷物を綴じるときにはしばしばホッチキス(一般名詞はステープラー)が用いられます。しかし私は、ホチキスの針があまり好きではないので小さなダブルクリップを用いてました。針を使わないホチキスというのを以前に記事で目にしたときには惹かれましたが、枚数が4枚までということで微妙に使いずらそうでした。
ところが、いつの間にかそのホチキスは進化していました。8枚まで綴じられるそうです。これなら十分に実用になります。
そんなわけで、買ってきました。さっそく整理を兼ねつつ既存の書類の綴じ直します。100個以上のダブルクリップが余りました(笑)
これだけ豊かな日本にあっても障碍者の社会参加は非常に困難です。また、学習の方法が限定されるだけでなくイジメなどの問題で、十分な教育がなされるとは限りません。ある程度の公的支援があるとは言え、彼らの収入は非常に低いものになりがちです。
それにつけ込んで障碍者を利用しようとする悪人や、障碍者を助けるために悪知恵を授ける善人がいることも想像できます。保護者が障碍者の将来の生活のために、責任をとってくれる相手を探しているケースすらあるかも知れません。現実問題として、これらの悪人や善人がいなければ障碍者が飢え死ぬ可能性があります。
しばしば障碍者のエゴが社会問題になりますが、彼らの中にはそうでもしないと生きていけない人たちもいるのだろうと思います(余裕のある障碍者までがその権利を主張するから問題になるわけで…)。
個別の問題の解決は容易かも知れませんが、この構造的な問題の解決は非常に困難です。構造的問題の解決にあたっては、障碍者当人を責めても効果はなく、障碍者らの背後にも注目しなければなりません。
文章を書くのが好きなので、しばしば外出先でテキストを打ち込んでます。
外出先でのテキスト打ちには『ポメラ(DM10-赤)』(KingJim)を用いてましたが、長く使っているうちにまた電源が入らなくなりました。
修理見積は10000円で、新しい『ポメラ(DM20)』は15000円です。セッションにしか使っていないネットブック『Eee PC 701 SD-X』(ASUS)を有効活用しようとも思いましたが、やはり復帰速度とレスポンスに不満があります(この機種はCドライブへのアクセスがとても遅いのです)。スマートフォンに外付けキーボードという組み合わせも考えましたが、まだしばらくケータイを買い換える予定はありません。いっそのこと中古のモバイルギア2(数千円)を探そうかとも考えてました。
そこに、値崩れした『LifeTouch NOTE』(NEC)の話を耳にしたので、仕様とレビューを確認してさっそく買ってきました。決め手は復帰速度とバッテリーです。台座にセットする必要もなく、ブルートゥース再接続を待つこともなく、ポメラのように2秒待ちすることもなく、開いた瞬間から打ち込めるのが最大の魅力です。私の使い方なら、バッテリーは8時間以上もつでしょう。
キーピッチは16.8mmでキーストロークは1.6mm。カナ漢字変換はATOKです。キーバインドは変更可能なので、HHKに慣れた指にはありがたいです。
そんなわけで、夕方からずっとこれで遊んでます。
101年後の今日は、ドラえもんが製造される日です。残念ながら(タイムマシンでもない限り)私は寿命でその瞬間を見届けることはできませんが、きっと私たちの子孫が実現してくれるでしょう。
初めて読んだのは小学2年生のとき。たしか帯電スーツの話やころばし屋の話が載っていた単行本です。
ドラえもんの秘密道具の実用化も望まれます。既に現在の技術で実用になってるものもいくつかありますが、101年後にはさらに多くのアイテムが実用化されていることでしょう。
個人的に欲しいアイテムの一つが「もしもボックス」です。これは世界のルールや価値観を書き換えます(疑似体験や催眠とは違うのです)。これほどまでにパワフルなアイテムは他にありません。「どこでもドア」も「タケコプター」も「タイムマシン」も基本的には価値観やルールが定められた世界の中で有益な道具でしかありません。喩えるならOSとアプリケーションぐらいの差があります。
「もしもボックス」があれば、私の興味ある数々の社会実験が簡単に試せます。
大人になっても夢は忘れてません。
選択肢の少なさは同情できるが、あまり聞かない名前も多い。専門外らしき担当も見受けられ適材適所とは思えません。解散前提にした経歴バラマキとさえ思えます。思想的に同意できない大臣もいるので、私の評価は「残念ながら斜め下」です。
日本語で言葉を紡ぐときにしばしば苦労するのが「主語たる集合名詞への修飾」です。例えば「善良なる日本人は…」という主部があったとします。この主部が示すモノが「善良である全ての日本人」か「日本人のうち善良なる者」かはしばしば分かりにくいです(しかも前者の場合は真偽を考慮しなければなりません)。そして、それを厳密に表記するとかなり諄い言い回しになってしまいます。
新しいアカウントで再攻撃されるよりは、現在のアカウントを生かしたままブロックした方が効果的だったりします。
素振りや打撃練習などに使っていたRSWソフトソード(カタナ&ワキザシ)がそろそろ寿命っぽいです。今度は自分で個人輸入すべきか検討中。別に試合に使うわけでもないので、自作も考えてます。
100億人が住む星で大飢饉が発生し、年間あたり30億人分の食糧しか生産できないとします。完全に平等に分配するなら、餓死者は70億人を遥かに超えるでしょう。しかし、不平等に分配するなら、餓死者を70億人に抑えることができるかも知れません。このような場合において、不平等な分配方法は(平等な分配方法と比べて)より多くの生命を救うことができます。
社会に余裕がない状態においては、誰かに犠牲に割り当てないとより多くの犠牲を招いてしまうのです。
「平等が最善だ」と主張する人は、おそらく余裕がある状態しか経験したことのない幸福な人なのだろうと思います。「平等な幸福を実現できる状態」を目指そうとするのは良いことですが、そんな状態でもないのに平等を強いるのは宜しくありません。
首まわりがずいぶん凝ってるので、マッサージ機を買ってきました。試してみると、予想よりも強力でなかなか良い感じです。でも、いちいち手で当てるのは面倒です。いっそのことマッサージチェアでも良かったかも?
キミはすっかりケータイ依存症だね。察するに、繋がってないと途切れてしまうことが不安なんだね。「いつでも繋がる」という安心感が欲しいのは理解できるよ。
でも、かつてネットもケータイもない世界があったことは覚えておいて欲しい。その世界では「いつかきっと繋がる」という希望を持ってみんな生きてたよ。友達や恋愛の形も今とは違ってた(参考文献『めぞん一刻』)。もし興味があるなら、キミの両親にどんな恋愛してたか聞いてごらん?
牛丼&玉子を食べるときは、別皿の溶き卵に肉をつけ、ごはんに戻して食べます。ちょっとしたスキヤキ風です。学生時代にこの食べ方を教えて貰いました。
欧米では愛情なくても色事はできます。なぜならば「I」は「H」の後だからです。ちなみに日本では「あい」が最初です。でも、かつては日本でも「いろ」が最初でした。
携帯電話はauとSoftbankとの2台を使い分けてます。後者はホワイトプラン通話専用です。しかるにSoftbankの先月分の明細をみたら、なぜか通話料が余計に掛かってました。察するに、通話相手の誰かがMNP(携帯電話番号ポータビリティ)したと思われます。MNPしたならちゃんと通知してくれっ(苦笑)
もし人権擁護法案や外国人参政権について誰かが報道させたくないなら、そろそろ島田紳助について「新たな事実」が出てくるはず?
X国のテレビ局が日本のアニメーションばかり放映していたとします。しかもこのテレビ局はグッズ販売権もあわせて日本から買っていたとします。そして、X国の一部の反日的な民衆が「日本のアニメーションばかり放映するな」と騒ぎだしてデモをしたり不買運動まで始めたとします。
日本から見れば、反日感情をもってX国内で争うのだから非常に愚かしいことです。はたして、X国の民衆は何を批判すべきだったのでしょうか?
常識的に考えれば、批判されるべき点は以下の通りです。
もちろんこの喩えは、フジテレビの韓流ゴリ押し問題を揶揄しています。テレビ局は内部の不正をしっかりチェックすべきだし、報道の公共性の為にある程度の規制はすべきだし、国内産業の再育成には韓国のように国家的な支援が必要でしょう。そして、日本国民は何をターゲットとすべきかもっと理性的に判断できるようになるべきです。
意外に思うかも知れませんが、私は韓国そのものはたいして嫌いじゃないです。多くはないものの、韓国にも立派な文化がいくつかあります。キムチや焼き肉は韓国で発展したユニークな文化だと高く評価していますし、IT技術などはいまや高く成長していると思います。また、外面を重視した芸能や骨董無形な韓国ドラマもユニークだと思います(二番煎じは興味ないけどさ)。
しかし、韓国の民族性は好きじゃありません。特に捏造とゴネを肯定する民族性が嫌いです。起源や歴史の捏造は非常に愚かしいです。たしかに国内向けの政策としては有効なのでしょうが、それは諸外国の反韓感情を煽るものでしかありません。確かに日本にも隠蔽など多いですが、捏造よりはずっとマシだと考えてます。
悪い部分があるからと言って全体を嫌うべきではないし、良い部分があるからと言って全体を好くべきでもありません。だからこそ、右手で握手しながら左手で殴り合う関係に日本人はもっと慣れていくべきだと考えてます。
例えば「幼い象には内臓が内蔵されてないぞう!」なんて言わないそう。…あれ?やはりウケてないぞう(涙 < こうなると諄い
初めてモスバーガーを食べたのは高校1年の頃だったと記憶しています。思い出の補正もありますが、当時のモスバーガーのミートソースはもっと濃厚だったように憶えてます。
若い頃は、質より量でしたので「テイクアウトでモス2個」というオーダーが多かったです。でも、今じゃそんなに食べないこともあり「イートインでWモスチーズとアイス烏龍茶S」というオーダーばかりです。今日はたまたま昼食&土産でこれら2種のオーダーで買いましたが、いずれも同じ値段だと初めて気がつきました。
駅前店は椅子が堅いので長居しにくいですが、当時の憧れだったWモスチーズの為にときどき利用しています。記憶違いかも知れませんが、当時のはチーズ2枚だったように憶えてます。
ちなみに初めてのマクドナルドは小3に世田谷代田駅前店でビッグマックを。ドムドムは小学校高学年のときに相模原駅前店でコロッケバーガーを。ロッテリアその他は憶えてないです。
週末(土&日)はボードゲームサークル「バンガードミッション」の例会に参加してました(…と言うか主催者です)。参加者は延べ35人でした。みなさまおつかれさまでした。
乳の好みは自然数が無数にあるかのように千差万別だ。きっと南斗の流派ほどあるだろう。しかし数字の1はユニークだ。ひんぬー教はきっと北斗のごとく分派が少ないに違いない。
私は子供手当の類は「子供を扶養する人」ではなく「子供」に支給すべきだと思ってます(もちろん結果的にその保護者に預けることになります)。親のいない子供の問題や国籍などの問題もありますが、ここではあくまで支給額決定の根拠の観点で言ってます。子供に支給することで、親の収入に関わらずほぼ一律に支給することができます。
もしも老人手当の類(年金など)が「老人」ではなく「老人を扶養する人」に支給されるとしたらどうでしょう。扶養者の収入が多ければ減額されるとしたらどうでしょう?
チャットルームにおける会話は「大部屋の中の各テーブルでそれぞれが話している」というよりも「ひとつの大テーブルをみんなで囲んで話している」というイメージです。だから、誰が誰の会話に割り込んでも構わないと思ってます。そのため、自明な宛先付けは無用だと思ってます。
勉強したことはきっと無駄にならない。もし若いときに憶えたのであれば、その知識を使用できる期間はずっと長い。
状況が整えば、人間は簡単に調教できます。例え心理学の知識がなくとも結果的に調教してしまうことさえあります。何人かの人間は(実害が少ないと公然あるいは暗黙に保障されているならば)どんな羞恥プレイでさえも「これはプレイだから」と自己催眠的に受け入れて気持ち良くなれてしまい得ます。
SMや調教そのものに対しては男女の性癖の問題なのでどうこう言うこともありません。しかし、その男女が上手に別れないと悲劇が発生します。
例えばいわゆる調教済み女性は、新しいノーマルなパートナーに対してそのことをなかなか告白できません。結果的に、表向きは円満な夫婦関係であってもセックスの悩みを密かに抱えることになります。そしてしばしば浮気や不倫の原因になります。だから、調教関係にあったパートナーが別れるときは、しっかり関係を解除しなければなりません。単純に捨ててはいけないのです。
そして、新しくパートナーとなった男性は嫉妬心を抑えつつ早い段階で「調教された経験あるか、正直に答えなさい」と優しい命令調で聞いて、彼女に告白する機会を与えるべきなのです。優しい命令調であることはすごく大事です(さもないと告白できない女性がいますから)。また、それに備えて性的なスキルも身につけておくべきでしょう。
…腹立たしいことに、こういう相談には慣れてます(解除もそれなりに慣れてるつもり)。おまえら、調教するならちゃんと責任もって調教しろ。無責任に調教された側があまりにかわいそうだ。
個人的に思うに調教プレイは、「暴行や束縛されているからしょうがない」と自己納得させて、肉体的あるいは精神的な気持ちよさをを受け入れさせるための手段でしかないと思ってます(もっとも私の場合は、相手の心情や願望を推察してその通りに優しく指示するほうが楽だけどさ)。あくまで気持ち良くなって愉しむ名目だと思っているので、相手の心を依存させたり壊したりすべきじゃないと思ってます。
そういえば、仲良しのSM女王さま(なぜか私の前では小動物のように振舞うが…)が「SMとはサービスと満足のこと」だと言ってました。大いに納得できます。
相手の心にロックを組み込むのはすごく簡単です。最初に小さな制約を受け入れさせて、その制約を利用しちょっとずつ大きな制約を組み込んでいけばいいのですから。早い段階で依存させてしまえば、心理学のド素人でも簡単にそれらしい多重構造を組み込めてしまえます。
メス豚を人間に戻すには調教の上書きではなく調教の解除が必要です。人間のフリができるメス豚に仕立ててはいけません(まあ区別つくけどさ。指摘しないけど)。しかし、多重にロックされた心を解除するのはとても難しいです。パズルを解くように、錠前の構造を推測し、少しずつ解錠していかねばなりません。
私はもっぱら調教よりも解除に興味を抱いてます。
半年ぐらい前の話になりますが…。親友の目の前でオナニーやフェラするほど調教された羞恥マゾ女さんの相談に乗りました(正確には、その親友さんからの依頼でしたが…)。
苦労して聞き出した話によると…。最初は相手の親切さに依存するようになり、捨てられる寂しさに怯えるようになり、優しく快楽を与えられる代償に、他の男性との連絡禁止を受け入れ、さらに恥ずかしくて気持ち良くなるプレイ(屋外オナとか緊縛撮影とか)を受け入れ続けて、同性との連絡制限も受け入れ、さらにエスカレート、もう誰にも相談できずに戻れなくなり、最後に捨てられたみたいでした。話を聞く限り、どうやら素人♂が興味本意でエスカレートさせてしまったみたいです(怖くなって逃げたらしい?)。幸いにも、最終段階(♂♀♀の3P、そして♂♂♀の3P(これがターニングポイント)、そして調教師の目の前で調教師以外の男性とプレイ、公衆肉便器化、などなど)までには至ってなかったみたいです。新たなパートナーを見つければいいのでしょうが、このレベルではそれも簡単なことではありません。
最終的には「わたしメス豚から人間に戻れました(涙)」という程度にまで解除できたので、あとはその親友さんに任せました。
誰からの相談その他に乗るよ。「実は私は…」に対してぜんぜん動じずに応じるよ。信じられないかもしれないけど、「思考の領域(Sphere of Thought)」の住人はそのくらいの超越性を持っているのさ。
うる星やつらイベント。とてもとても熱かった日。僕たちは武道館にいた。
あのときに「10年後も20年後も付き合いが続けばいいね」と言っていた。
感謝。そして乾杯。
「戦争がどのようなものであったか?」を後世に伝えることは非常に大事なことです。
しかし日本では本土空襲や物資不足の悲惨なイメージだけがクロースアップされてます。例えば「なぜ戦争が発生したのか?」「なぜ物資不足になるのか?」「占領されたらどうなるのか?」の議論がおざなりにされています。また、日清戦争や日露戦争について「戦争がどのようなものであったのか?」が語られることはあまりありません。
あくまで私の個人的な意見ですが、大事な目標は「私たちの文化圏を守ること」であり、その手段の一つとして「戦争しないこと」があるだけです。
誤解している人も多いみたいですが、日本は対米戦争を避けようとしてきました(政治家や軍部の大多数は日本の国力が国際的にまだ貧弱であることぐらいよく知ってました)。
しかし、米国がつきつけたハルノートの横暴な要求「日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄すること」(当時の解釈)はとても受け入れられないものでした。既に数十年も自国領土であった地域を放棄せよというのですから、現代人の感覚だと「自衛隊を半減し、北海道や沖縄を放棄せよ」ぐらいに相当するでしょう。
そこまでして戦争を避けたとしても、その未来は悲劇的なものです。当時の日本の国力では、植民地となっている可能性すらありました(当時の植民地が現在までどのような歴史を歩んだかは自分で調べて欲しい)。
私の主張は「理由を自覚せずに戦争に反対するのではなく、空襲や占領や饑餓を避けたいならどうすればいいかしっかり考えろ!」です。戦争した方が避けれるならそうすべきだし、戦争しない方が避けられるならそうすべきです。
「戦争がどんなものであるか?」を正しく知ることで、「戦争を避けるにはどうすればいいか?」を正しく考えることができます。
私の意見は「ある程度の軍事力を整備しておくこと。政治や軍事について論理的に教育すること。これらによって戦争や封鎖を抑止し、空襲や占領や饑餓から私たちの文化圏を守る」です。
確かに、強盗に対して妻や娘を差し出せば生命だけは守れるかも知れません。しかし、家族を守れるだけの警備や武力を備えておく方がずっとずっと確実です。
私は日本を愛してます。
大丈夫。体重計など怖くありません。さあ、その体重で踏みつぶしてしまいなさいっ!
「言葉」というのは人間が生み出した偉大な文化です。たしかに人々を不幸にすることもありますが、それ以上にたくさんの人々を幸福にするものだと思ってます。自分の言葉が誰かの役に立つことはこの上なく幸せなことです。いつもそんな文章ばかり紡げればいいのですが、なかなかそうもいきませぬ。
私が帰宅した後に雨が降ってきたのは運が良く、雨が降る前に帰宅した私は勘が良い。
地域コミュなど管理しています。ともだち募集トピにおける「既婚です」がそういう暗号なのは一目瞭然なんだけど、禁止ワードにすべきでもないし。どうしたものかな。セフレ関係に留めたいなら既婚者の方がいいかもね。独身者だと恋人関係に発展しやすいですから。
確信できる正解が導き出せないなら、さっさとどれかを選んでしまうのがいい。選択肢を総当たりしたほうが、悩み続けるより早く正解にたどりつけることもしばしばだからね。時間切れよりはずっとマシさ。さあ、キミのチップをテーブルに乗せて?
「正直に言っただけだ」と開き直る人は、正直に言えばどこで何を言っても許されると勘違いしているようです。正直に言うこととその場での発言を許されることとは別の問題であるのに…。こういうのは面倒くさいです。
綺麗に盛りつけされている料理を混ぜ混ぜするのはあまり好きじゃないです。しかし、具を退避させるスペースがなくとも、タレを麺に絡ませる為に全体をよく混ぜねばなりません。
BLTサンドは人類が生み出した芸術のひとつだよ。これにC(チーズ)やE(エッグ)を入れてもいいけどさ
夫婦関係は双方の合意で解消できるべきだけど、親子関係(母子と父子)は親の都合で解消できてはならないと思ってます。子供を産み育てるのは それだけ重いことだと思います。
母親は「自分がシングルマザーでもいい」と覚悟を持って産めるけど、子供は「自分に父親がいなくてもいい」を受け入れられないかもしれません。だから少なくとも、いつか子供が大きくなったときに父子関係をどうしたいかを子供が選択できるようにしてあげて下さい。
もともとラーメンは安価にカロリーを補充できる大衆食です。今では市販の生麺とスープの素があれば家庭で簡単に調理することができます(味はそれ相応ですが…)。その為か、プリミティブなラーメンは専門店ではなかなか見かけません。どの専門店も麺やスープに独自の工夫を重ね、値段に見合うだけの高級品を提供しています。だからプリミィブなラーメンを外で食べたいときは、一般の食堂に行くようにしています。
例えば「私の担当だけど今は勤務時間じゃない」と「勤務時間じゃないけど君の担当でしょ?」はたいていコンフリクト(競合)します。だから、残業代のシステムで双方が利害調整しています。従業員に「プロ意識」を植え付けることでサービス残業を受忍させる経営はある程度に有効です。しかし、もともと「プロ意識」とは報酬に見合うだけの仕事をこなすことですので、それに気がついた従業員にサービス残業を強要すると感情的な対立を引き起こします。
人間の社会は、その人口を維持する為の人口を必要とします。地方の農村で衰退するところは、人口が減って産業が衰退し、そしてまた人口が減るという負のスパイラルによる影響が大きいです。やがて限界集落となればそのまま消滅します。サークルや交流サイトでも、人が少なくなると加速度的に衰退していきます。だから、社会の運営者はその社会を維持する為に、人口が臨界し続けるように制御しなければなりません。
国家レベルで見れば、少子化は非常に大きな問題です。ある閾値を下回ったら途端に「もはや手遅れで解決不能な大問題」として顕在化するでしょう。
しかるに、負の遺産が増えているので子供を作らないという人が増えてます(繁殖世代に経済的余裕がないことも大きいです)。結果的に、押しつけられる一人当たりの負の遺産は増大するので、ますます子供を作らないという人が更に増えていくでしょう。
三日坊主というのは悪いことばかりでもないと思う。なんせ1年間に100個以上の夢を持てるのだから。
『En Garde(アンギャルド)』はフェンシングをモチーフにしたボードゲームです。このゲームのルールは微妙に複雑に書かれています。手番の流れや補充のタイミングについていくつかの解釈があるので、プレイ前にルールを確認することが大事です。
ハウスルールでは、フェンシングの攻撃権(得点する権利)の概念を用い「攻撃または前進攻撃を選択すると攻撃権を得て攻撃している状態になる」としています。具体的には「自分の手番に相手が防御できなければ勝ち」ではなく「手番の最初に相手の攻撃に対して防御できなければ負け。但し、前進攻撃に対しては防御せずとも後退すれば負けない」となります。プレイヤーは手番に以下のいずれかを選べます。
例えば以下のような流れがありえます。
よりフェンシングっぽくなるので、よかったら試してみて下さい。
ルールの表記が分かりづらい理由について仮説を立ててみました。
標準ルール(移動と攻撃と防御と補充のみ。前進攻撃はない)においては「自分の手番の最初に防御できなければ負け」よりも「自分の手番に相手が防御できなければ勝ち」の方が直感的に分かりやすいです(攻撃側の補充の処理をスキップすることもできます)。
そのためか、標準ルールにおいて手番の流れは以下のようになってます。
このように説明されている状態に前進攻撃のルールを追加すると、攻撃権を用いて説明できなくなります。これが原因で結果的に、手番や補充のタイミングが分かりづらくなっているのだろうと思います。
古来より日本において特別な道具を用いずに大勢から一人を選ぶときには『じゃんけん』が多用されます。そして、より大勢から選ぶときには「少ないもの勝ち(minority)」ルールが用いられることもあります。
私の知ってる「少ないもの勝ち」ルールは「グーとチョキとパーのうち最も少ない人数のグループ(同数なら両方)が生き残ります。これを繰り返して決定します。もし最後に2人が残ったら通常のジャンケンで決定します」でした。
例えば20人から1人を選びます。「グーが5人、チョキが5人、パーが10人」だったなら、まずパーの10人が脱落します。残りの10人で2回戦。もし「グーが5人、チョキが3人、パーが2人」だったならパーの2人が勝ち残ります。最後にその2人から通常のジャンケンにて決めます。
非常に優れた方法なので、再び普及して欲しいと思ってます。
誰が言い出したのか知りませんが、このルールの発展形「グーとチョキとパーのうち最も少ない人数のグループ(同数ならそのうち強い方)が生き残ります」が近年のボードゲーマーの間で「ゲーマーじゃんけん」として普及しているみたいです。しかし、一般社会においては普通に「少ないもの勝ち」の方が分かりやすいと思います。
余談になりますが、「多いもの勝ち」ルールでは周囲の数人が協調して同じ記号を出し続ければたいてい有利になります。問題はその協調集団が生き残ってしまったときに顕在化します。誰もが「ここで他の記号を出すと脱落する」と考えてしまい、いつまでたっても終わらないことがあります。そのため、この「多いもの勝ち」ルールは決定方法としてはあまり採用されません。
獣の嘶きかと聞きまごう奇怪な大音声を見上げると、そこには無数の鳥たちが虚ろな目で私を見下ろしていた。彼らは何か邪悪な意思に従っているかのように整然と並び、名状しがたき狂奏曲を喉から絞り出している。そしてあるものは黄昏の空を舞い踊り、愚鈍なる人類の不吉な未来を告げるのであった。
理系の大学生の人と会話しました。昔の話をしたら「そのくらいのプログラムなら中学生だって作れる人いますw」とのこと。
それからちょっと別の話題をしてたがて夕食の話になりました。以下はその要約です。
あらい「ところで、中学生にカレーは作れるかな?」
大学生「カット野菜を使えば小学低学年にだって作れます」
あらい「材料は全て自分で買い出し。市販のルゥを使ってもいいけど、野菜は自分で剥いて切る。お肉も自分で切り分ける。これなら?」
大学生「作れる小学生もいます」
あらい「昔は、野菜を自分で収穫するとこから始めたんだよ。スパイスも調合した。もっと前の世代はきっと畑を開墾し牛を育てるとこから始めてたんじゃないかな。もちろん、今ではそんなことする必要なんてないし、そんなこと出来なくてもいい。でも、市販されている野菜や肉やルゥは誰かが作ったということだけは憶えておいて欲しいな?」。
その後はまた別の話題での雑談になりました。
果たして、私が言いたかったことは伝わっただろうか?
中学生にでも作れるというプログラムをこの人は作れるのだろうか?
そして何よりも、日本の教育は本当に大丈夫なのだろうか?
この問題について私たちに何ができるだろう?
ずっと昔に買ったアラームラジオ『AJ-3920』(Philips社)です。CDとラジオを聞くことしかできないシンプルなラジオです。
この十数年間ずっと「NHK総合」主音声を24時間BGM(小音量)として鳴らし続けてました。テレビで他のチャンネルを観ているときでも点けっぱなしにしてました。最初のうちはCDを聞くこともありましたが、MP3が普及してからはそれもありません。実稼働時間は十年に至ると思います。
アナログ放送が終了し、今朝の自室はすっかり静かです。
『AJ-3920』に感謝。
24日(日)は上溝夏祭り。目印としてFXライトセーバー持って参加しました。混んでたけど愉しかったです。
23日(土)の予定は「まーぶるまっどねす@拝島」だけだったのですが、諸般の事情(maroさん上京)で「バンガードミッション特例会@橋本」が同日に催されることになりました。
私がいなくてもバンガードにはスタッフが何人もいるので欠席でもよかったのですが、せっかくなので顔だけ出すことにしました。朝9時に橋本に顔を出し、昼間は拝島で遊び、20時に橋本まで戻って来ました。ちょっと慌ただしかったです。
相模原駅からは徒歩。途中の麺屋匠で夕食。
今日は「杜のホールはしもと」にてボードゲームサークル「バンガードミッション」7月定例会がありました。参加者は24人ほどでした。みなさま、おつかれさまでした。
>私がプレイしたゲームは以下の通りです。
どんなに忙しいときでも遊ぶことは大事です。
男女間の恋愛が成立するのと同様に男女間の友情も成立すると思います。よって「恋愛かつ友情」「恋愛なし友情」「友情なし恋愛」「恋愛も友情もなし」の4パターンがありえます。ただ、「恋愛かつ友情」と「友情なし恋愛」はまとめて恋人関係と呼称されます。
異性の友人を作る面白い方法を紹介しましょう。とても簡単です。
もっとも、この方法に問題が無いわけではないのですが…(笑)
『おばけキャッチ』は、めくられたカードで指定されたアイテムをより早く掴むアクションゲームです。この指定というのが((論理和の否定)または(論理積))でとても間違えやすくなってます。こういうのは子供らの方が強いです。ええ、強いです(苦笑)
個人的には『うすのろまぬけ』のようにラウンド毎に敗者1人を決めるシステムの方が盛り上がると思っているので、いつか5人プレイで試してみようと思ってます(そのものが表示されてたら誰も何も掴んではいけないルールで)。
幼少の子供に対して「間違った手段」を禁じてばかりだと「正しい手段」を採るときにまで躊躇するようになるよ。「禁じてないことは自由にやればいい。自分で考えなさい」というのはある程度に成熟した児童に適用する理屈であって、未成熟な幼児にまでそれを適用するのは無理があるさ。叱るときはちゃんと正しい手段も示すべきだし、正しい手段を採ったときはちゃんと褒めるべきだと思う。
何が正しいのかを自分で判断できない子供はきっとたくさん悩んでたり困ってたりしているよ。悩んでるだけなら(つまり結論を考えている最中なら)ときどき共感してあげるだけでいいけど、困ってるなら(つまり考えたけど結論が導けなかったなら)ちゃんとアドバイスあるいは手助けしてあげるのがいいと思います。
仲良しグループはたいてい異なる役割(元気・真面目・天然・変人など)の人たちで構成されます。個人的には、変人のポジションにいたいです。半歩だけ離れてみんなを見守る立場が気楽です。
報道を読む限り、原子力発電所のストレステストとは想定内のトラブルに対して安全であることを再証明するようなものです。こんなものは普段の定期検査のときに個々にやるべきものであり一斉にやるべきものではありません。
国民に一時的な安心感を与える効果は見込めるものの、その代償を考えるとあまり割に合わないと思います。それだけのコストを掛けるのであれば、想定外のトラブル(例えば巡航ミサイルによる攻撃など)に対して安全であることをテストして欲しいです。
高橋留美子傑作集「運命の鳥」が発売されました。「Pの悲劇」「専務の犬」「赤い花束」に続く第4集です(ちなみに短編集「1orW」は別シリーズです)。このシリーズは「ビッグコミックオリジナル」に掲載された高橋留美子劇場シリーズが収録されてます。
ほとんどが家族関係や近所付き合いをテーマにしており、高橋留美子作品としては社会に対するメッセージ性が強いものとなっています。
さて傑作集「運命の鳥」ですが、以下の作品が収録されてます。
いずれも面白いのですが、中でも『運命の鳥』はなかなか良い作品だと思います。最後にテレビに映った五木ひろみには赤い鳥が憑いているだろうと思いますが、そこをうまくぼかすことでマスターが安堵する演出は気に入りました。また、自分の力をみんなの為に使う理由が自分が後悔しない為であることに共感を覚えます。
想い出の品などに限らず、価格を考慮せず自分にとっての価値を重視すべきものがいくつかあります。常に身近において使うモノ…例えばメガネやキーボードや枕や椅子や箸や入れ歯などが典型です。もともとたいした値段でないものならなおさらこの傾向が強くなります。
風鈴もその一つです。値段に関わらず快い音色のものを選びたいです(そこそこの耐久性もあればなお宜し)。安物で気に入らない音色のものを買ったならきっと後悔するだろうし、高級品で気に入らない音色のものを買ったならもっと後悔するでしょう。
そんなわけで、今日は何件かをまわって気に入る音色の風鈴を探しました。福沢さん1枚ぐらいなら生け贄に捧げるつもりでしたが、最も気に入ったのはとても安価(1260円)なものでした。構造の簡単な南部鉄風鈴(三連ミニ)です。この個体だけなぜか絶妙に周波数がずれているらしく心地よい唸りが聞こえます。これが噂に聞く「ワン・オブ・サウザンド」か?(笑)
良い買い物だったと思います。
「節電してなかったAさんが節電する負担」よりも「節電してたBさんがさらに節電する負担」の方がずっと大きいです。例えば、昨年に冷房を24℃に設定してたAさんが今年は26℃に設定することと、昨年に冷房を28℃に設定してたBさんが今年は30℃に設定することとを比べれば一目瞭然です。
さて、ここで最も公平な政策はいずれでしょう?
私は「AもBも28℃に設定すべき」を支持します。もしこの政策が実現できるとしたら、それは一人あたりの節電目標ではなく一人あたりの消費制限を定めるものになりましょう(もちろん余剰分は売買できます!)。もっとも、そんな仕組みが実現可能か否かは改めて考えなければなりませんが…
この問題は既得権や差別の問題をどう解決すべきかの思考実験でもあります。例えば世界的な二酸化炭素排出の問題についても同様に考えます。過去の排出実績に関わらず、一人あたりの排出制限を定める方法が望ましいと考えてます(人口が多い国にとっては有利です)。男女差別についても逆差別問題は発生させるべきではありません。
私は原子力エネルギーそのものは否定してません。
放射性廃棄物が生物の生存圏に累積することによるリスクが高いと思っているので消極的反対しているだけです(原発事故による拡散よりも大きく見積もってます)。ついでに言えば、「事故は絶対に発生しません」なんて台詞は信用してません。数十回の半減期の間ずっと施設が耐えられるとも思ってないし、巡航ミサイルやテロのリスクだってあります。絶対に事故が発生しないと言えるのは、例えば地球のマントル深くに封じ込めて数百回の半減期の間ずっと取り出し不能な状態とかのレベルです。
だから、核融合炉のように放射性廃棄物がほとんど発生しないシステム(ちなみに太陽エネルギーも核融合によるものです)の開発には賛成しています。現在の核融合炉はトリチウムを使用するのでまだ完全な放射能フリーではありませんが、技術的には十分に実現可能だと信じています。そして、核融合炉の開発の課程で核分裂炉が必要だと考えているので、原子力の研究開発そのものは賛成しています。
パーティにおいて初対面の人たちを和ませる為にゲームを用いることがあるのと同様に、ゲーム会で初対面の人たちを和ませるのにゲーム以外を用いてもいいと思います。もし「ゲーム会ではゲームのみ」というルールがあるならゲームを用いるしかありませんが…
実は、ARG(Alternate Reality Games)は参加したことも運営したこともありません。それでも、LARP(Live Action Role Play)に似ているイベントであることぐらいは理解しています。LARPなら企画運営したことあるので、その相違点についておおまかに考察してみました。
ARGもLARPも、アイテムや情報やNPCなどが設定された状況の中でそれぞれの役割を担ったプレイヤーたちがシナリオに定められたクエスト(勝利条件)を満たすイベントです。
しかしながら、そのコンセプトは大きく異なります。
ARGはゲームをライブ化したイベントであり、もっぱら「アゴン(競争)」を愉しむことを旨とします。情報やフラグはゲームの骨幹であり、小道具や舞台装置はあくまでゲームのフレーバーに過ぎません。
一方で、LARPはリアルなロールプレイ(コスプレを含む)にゲーム性を持たせたイベントであり、もっぱら「ミミックリィ(模倣)」を愉しむことを旨とします。ゲームは必ずしもクリアーしなければならないものではありません。
このように考えると、これらの類のイベントを企画するときにはコンセプトを明確にすることが非常に重要だと分かります。中途半端なコンセプトだと、楽しみのポイントや運営リソースが分散されるので、参加者の間に温度差が発生してしまうことでしょう。
いつかまた何か企画するときには、よく留意しておきたいと思います。
一般社会においては「エッチな話そのものに拒否反応」は少数派であり「エッチな話ばかりであることに拒否反応」あるいは「TPOをわきまえないことに拒否反応」が多数派だと思います。
私の感覚だと、居酒屋でヘビーなエロ話をするのはTPOに反します。せいぜい電話や少人数の個室やクローズドチャットまでです。ライトなエロ話なら居酒屋などでも大丈夫だと思います(エロ話ばかりになるのは遠慮させてもらうけどさ)。精神医学や社会問題などに絡む性の話ならもっと許容範囲が広いと思います。
夜空を見上げても星はほとんど見えませんが、星空が広がっていることは知ってます。
今夜は七夕です。織女と牽牛の夫婦が年1回の逢瀬を重ねる夜とされてます。昨今では無料通話もライブチャットもあるらしいのであまり悲壮感はありませんが、いつまでも互いを愛し信じ続ける関係はロマンチックであることに変わりありません。夜明けに彼らは「また会おう」と堅く約束して別れ、再会の約束を心の支えに1年間を堪え偲ぶのでしょう。
再会の約束は心の支えになります。だから、なかなか会えないけど仲の良い人とは「いつか会おう」という約束をしておきたいです。こうしておくことで、人間関係が自然消滅しかけてもその約束を名目に修復を試みることもできます。
「合意した約束は履行すべき」だと考えてますので、履行しない状態を維持する為にこの約束は敢えて期限を定めないようにしています。また、履行したなら次の約束を取り付けるようにしています。それは「またねー」の一言かも知れません。
焦って会わなくてもいつか会えると信じてます。だから大丈夫。
肺癌と火災の減少による経済効果も期待したい。
いまやホームレスよりも懲役刑の方がまともな暮らしができることがあるので、刑罰による抑止効果は減少しています(刑務所に入るための犯罪すら発生しています)。そのため、鞭打ち刑(自白用ではない)などの復活を検討すべきだと思ってます。
ついでに言えば、私は死刑制度を支持しています。冤罪によって失われる命よりも、死刑の抑止効果によって助かる命の方が多いと考えています。だから、抑止効果を維持する為に、刑が確定したら速やかに執行すべきとも考えてます。
高濃度汚染水の増加が食い止められたことは一定の目処とみなしていいと思います。現場の技術者や作業員らに敬意と感謝を。
砂糖を口に詰められたら誰でも甘く感じてしまいます。刑罰は強姦行為に対するものです。
苦痛であれ性感であれ感動であれ、「大声を上げる」は自己表現の一種だと思うし「声が出そうなのを我慢する」も自己表現の一種だと思います。でも、「大声を上げてしまう(=声が出そうなのを我慢できなかった)」は自己表現じゃないと思います。
被害者がいるからと言って加害者がいるとは限りません。そもそも加害者が人間であるとは限りません。自然現象であったり動物かも知れません。
被害者の立場としては誰かの責任にしたい気持ちもあろうかと思いますが、因果関係は正しく認識すべきだと思います。
しばしばこの認識を歪めるのが「誰が被害者を救済するか?」です。人間は被害者を救済するルールとして例えば「加害者が賠償する」と「社会が救済する」を定めてます。ここで、加害者が存在しないか加害者に賠償能力がなく、そして社会の救済能力が貧困である場合には、社会を加害者とみなす(社会に管理責任があると主張する)ことで社会に多大な賠償を求めることがあります。
でも、明らかな天災にまで社会に賠償責任を追求するのは無理があります。そもそも、社会にそこまでの管理監督責任を負わせるだけの税金は納めてないはずです。
自分が被害者になったときに必ず誰かを恨まなきゃならないことなんてありません。もしそんなバカバカしいルールを適用している人がいるならば、せめて自分が受益者になったときには必ず誰かに感謝して下さい。
かなり前に見た記事ですが…。福岡空港(利用者数1800万人)の赤字67億円は国から補填されてます。赤字の主たる原因は、借地料80億円を松本組(松本龍議員の関連会社)などに支払い続けていることです。自分の土地に公共施設を誘致し、国庫から借地料を吸い上げ続けるカラクリは、もはやなかなか改善できません。
きつい言い方ですが…。このような議員を選び続けてきた有権者の見識はバカにしていいレベルだと思います。
報道や記録が全て正しいとは限りません。事実が報道や記録よりもずっとマシな場合もしばしばあります。同様に、事実の方がずっと酷い場合もあります。報道機関に圧力が掛けられている場合はたいてい事実の方が酷いです。
ここ十年で最も意味が変化した漢字は「痛」だと思ふ。< ちなみに「萌」は1990年頃から。
「結果的に傷つけていたならばお詫びしたい」は巧妙な表現です。発言者が「意図的であり結果的ではないのでお詫びするつもりはない」という意図をこめて言ったのだとしても、お詫びされる側は「傷つける意図は無かった」という主張まで言外に承認しなければならなくなります。
似たような表現としては「ご理解とご協力をお願いします」があります。「理解はするけど協力はしない」という立場の人はこれに対して「NO!」と言わねばならないのですが、あたかも理解すらできないかのようでなかなか言いづらいものがありましょう。
こういう表現は上手に利用すれば、軽微な問題を双方の対面を保ちつつ終わらせることができます。双方がロジックを理解しているのであればある種の予定調和になりましょう。
しかし同時に、こういう表現は重大な問題までを本質的に解決しないまま有耶無耶にしてしまうこともあります。有耶無耶にさせたくない側は、あらかじめ相手の逃げ道を塞いでおくのが有効です。
2日(土)と3日(日)は秋葉原の「武器屋」で武器や防具を売ってました。
「店頭にあるエクスカリバーはレプリカですので魔法は掛かってません。シナリオの終盤になったら特別な品が入荷してるかも知れませんので、レベルとゴールドとフラグを稼いでまたご来店ください」。
教皇を法王と呼ぶのは天皇を日王と呼ぶようなものではなかろうか?
2008年のセブンイレブン一番くじ『うる星やつら』の賞品の一つです。保存用に1脚だけあればいいので、残りの2脚は飾り台として用いてます。
たまたま帰り際にリサイクルショップで未使用品を見かけたので即座に買い足しました。ゲーム専用キャリーカートの中に入れておけば、カードゲーム用テーブルになるかも?
地域社会であろうとサークルであろうと、しばしば噴出する問題の一つに「共同購入における負担のありかた」があります。たいてい「みんなが平等に負担すべき」とか「所得や資産に応じて負担すべき」とか「受益者が利益に応じて負担すべき」とか様々な意見が出てきます。
必ずしも万能なわけでもありませんが、ゲーム理論的に面白い方法を紹介します。それは「必要な金額に達したら購入します。あなたはいくらまで出しますか?」とアンケートをとる方法です。もし過剰に集まるようならば、提示額比率に応じて負担して貰えばいいでしょう。
「原子力発電をやめろ!」に対して「分かりました。夏場の電力ピークが一定値以下であったなら原子力発電をやめます」と公式に宣言するのは、アイデアとしてはありかも?
経験則で言えば、中華料理屋のラーメンよりもラーメン専門店のラーメンの方がずっと美味しいです。でも、中華調理が乗る麺類(広東麺や天津麺や麻婆麺など)となると、なかなか美味しいものに出会えません。中華料理屋のは麺やスープに不満があるし、ラーメン専門店ではそもそもメニューにありません。せいぜいタンメン専門店や坦々麺専門店を稀に見かける程度です。相模原は神奈川県の一部のはずですが、サンマーメン(秋刀魚は乗ってません)を供するラーメン専門店も少ないです。
そんなわけで、広東麺が美味しいお店の情報を募集中。
「こんなこともあろうかと」を事前に公表すると不安を煽ります。逆に、不安を煽らないようにするとリスクがわずかに高まります。
pHが11近い3号機プールのpH調整にホウ酸水を用いることについて「ホウ酸をいれるということは…」と不安を煽る人もおりますが、因果関係や確率は適切に評価しなければなりません。確かに、発表内容の信頼性を疑う気持ちも分からなくありませんが、やみくもに疑うのではなくデータの整合性などをもとに判断すべきです。
ホウ酸水は「こんなこともあろうかと」の観点で悪くない選択だと思います。
報道とデータから読み取るに、現場の技術者たちはよく頑張っているし、被害の拡大は予想よりも低く抑えられていると思ってます
過去に何度もこんなやりとりがありました。
私だって普通に感情を持ってます。楽しいときや嬉しいときや快いときにはポジティブな感情を抱きます。美味しいものを食べたいし、エッチなことにだって興味あります。同様に、不快なときや悲しいときや辛いときにはネガティブな感情を抱きます。
ただ、ネガティブな感情を抱くシチュエーションそのものを予防しているので、結果的にストレスはほとんど溜まりません。
少なくとも、ストレス発散そのものが次のネガティブな感情を引き起こすスパイラルは避けることにしています。いつもの喩えで恐縮ですが、スパイラルの仕組みのを以下のように分析しています。
これは他のネガティブな感情についても同様です。悲しさや辛さを発散させるときは、その発散そのものが次の原因になるようではいけません。私が鬱日記を書かないのは(もともとその必要がほとんどないからだけでなく)鬱日記そのものが周囲にネガティブな影響を与えて結果的に自分に戻ってくる可能性があるからです。
それではどのように発散すべきかというと、単純にスパイラルに陥らないように発散させればいいだけです。誰かの言動に腹を立てているならその人がいないとこで発散させればいいです。もしできるなら、誰もいない場所で発散させるのがいいです。言葉にするなら非公開日記で書けばいいです。
私の場合は、例えば素振り(居合刀とかライトセーバーとか)しているときにしばしば自分の暗黒面と向き合って雑念を振り払ってたりします。トイレの個室に逃げ込んで「くっくっくっ」と笑ってることもあります。
脳天気な躁人間に見えてるかも知れませんが、私だってそれなりに工夫しています(苦笑)
2008年のセブンイレブン一番くじ『うる星やつら』の賞品の一つです。保存用に1脚だけあればいいので、残りの2脚は飾り台として用いてます。
たまたま帰り際にリサイクルショップで未使用品を見かけたので即座に買い足しました。ゲーム専用キャリーカートの中に入れておけば、カードゲーム用テーブルになるかも?
地域社会であろうとサークルであろうと、しばしば噴出する問題の一つに「共同購入における負担のありかた」があります。たいてい「みんなが平等に負担すべき」とか「所得や資産に応じて負担すべき」とか「受益者が利益に応じて負担すべき」とか様々な意見が出てきます。
必ずしも万能なわけでもありませんが、ゲーム理論的に面白い方法を紹介します。それは「必要な金額に達したら購入します。あなたはいくらまで出しますか?」とアンケートをとる方法です。もし過剰に集まるようならば、提示額比率に応じて負担して貰えばいいでしょう。
「原子力発電をやめろ!」に対して「分かりました。夏場の電力ピークが一定値以下であったなら原子力発電をやめます」と公式に宣言するのは、アイデアとしてはありかも?
単に「こういうのを不愉快に思う人は読まないで下さい」と書いておいても、たいてい読まれてしまいます。想定力が足りないと、「不愉快にさせない為の注意書き」ではなく「責任を負わない為の注意書き」になりがちです。不愉快にさせない為には「読まないでください」ではなく「こういう内容が含まれてます」の方が効果的だと思います。
子犬の話。夫婦喧嘩でもアメフラシでもありません(笑)。「犬は3日飼えば恩を忘れず」と云います。幸せで良かったね。> ベロ
東の空が白み始めました。かつて時計がなかった時代に、人々はどうやって暦を作ったのか。いろいろな可能性を想像するだけで、「人間はすごい」と信じることができます。
すっきりしない天気です。蒸し暑いです。
人間に天候を変えることはできませんが、天候に備えることはできます。人間の知恵はそのために発達したのではないかとさえ思います。
私にも感情はあります。感情を抱くことはとても重要です。同時に、感情をむやみに表に出さないことも重要だと思ってます。だから、たいてい理性的に行動しています。
世の中には感情的に行動する人がけっこう多いです。誰もが自制できるわけじゃありません。それでも、相手が何を望んでいるのかを推測し利害調整を図ることでたいていは共存できます。どうしても共存が無理なら、トラブルの再発を予防する為にあっさりと住み分けを選びます。
「怒る」について、母親と子供の喩えで説明してみましょうか。
子供を教育することと自分のストレスを発散させることは別です。子供を用いてストレス発散するのは教育効果を薄れさせてしまうので避けるべきでしょう。適切に制御していけば、やがて怒る原因であるトラブルそのものが減っていきます。
この喩えは職場や近隣におけるトラブルにも応用できると思います。
ストレス発散ぐらいなら付き合いますよ。
『HANABI(花火)』とは、花火職人であるプレイヤーたちが協力して各色の花火を順序よく打ち上げるカードゲームです。他人の手札は全て見えますが自分の手札を見ることはできません。プレイヤー間の情報伝達は制限されている(手番とチップを消費して色1つまたは数字1つだけを通知することができます)ので、どの手札をプレイして欲しいのかを効率的に伝えなければなりません。情報無しもまた情報です。そして、自分も相手も論理的に考えているとは限りません!(笑)
19日(日)は「杜のホールはしもと」にてボードゲームサークル「バンガードミッション」6月定例会です。参加者は34人ほどでした。
初参加者応対などで忙しかったですが、愉しかったです。みなさま、おつかれさまでした。
『キャット&チョコレート』とは、手持ちのアイテムを駆使して苦境を脱する方法を即興で述べるゲームです。『ホラー編』と『ビジネス編』があります。
ホラー編では幽霊屋敷の中で様々な恐怖に襲われます。例えば「猫」と「タキシード」と「バナナ」のいずれか2つを使って「飾られていた甲冑が動きだし、君に襲いかかる」という状況を切り抜けなければなりません。手番のプレイヤーはその方法を即興で述べて成否の判定を待ちます。判定は他のプレイヤーが行いますが、恣意的な判定を防ぐ為の工夫がなされてます。ビジネス編も基本的に同様です。
愉しいパーティゲームですが、いくつか細かい点を変えればもっと遊びやすくなると思います。
なお、「黒猫ルナにタキシード仮面を呼んできてもらう」はOUTですっ(笑)
話題のホットスポットですが、実体を知らずに過剰に恐れている人もいます。恐れるならば実体を知った上で適切に恐れるべきです。
おおよそでいいので憶えておくべきは「ホットパーティクル(放射性物質の粒)が原因である。たいてい円形で、直径が数十mから数百mぐらい。ホットスポットの境界は誤差十m以下で確認できる」です。
ホットパーティクルの移動によってホットスポットも移動するので、定期的な観測を続けることが必要です。ホットパーティクルが布団や部屋に定住することを防ぐ為に、定期的に清掃することも大事だと思います。
怪人「5人がかりは卑怯だぞ!」
戦隊「俺たちは5人で1人だ!」
12日(土)の昼は相模原拉麺部のオフ会@ラーメン大野でした。
食べたのは、塩ラーメン(550円)にチャーシュー(+300円)です。麺は細麺でよく絡みます。スープはしっかりした塩の味が特徴的。チャーシューは薄めで味がよく染みこんでます。
どういう話の流れか、店主が占いしてくれました。運気が上がるとされる珠を渡されましたが…?(笑)
オフ会の内容は、予想よりも濃くてとてもローカルなものでした。近隣のラーメン屋さんのさまざまな裏話など聞けたのが収穫です。次回は8月あたりかな?
ヒロインである真宮桜の着替えシーンと入浴シーンが描かれています。どっちがエロいかはともかく、なぜに自室で脱ぐのだろう?
mixiの足跡機能が改修されました(便宜的に訪問者機能と呼びます)。
全体を見ることなく自分の都合だけで事務局に文句を言うのではモンスターと変わりありませんので、私なりにいくつか推察してみます(もちろん、その上で文句を言うことはあります)。デメリット(足跡返しからの新たな交流あるいは出会いができなくなった。キリ番をネタにした交流ができなくなった。誰が閲覧したかリアルタイムに分からなくなった。などなどなどなどなどなどなどなど)については多くのユーザーが論じているので、ここでは主にメリットに注目してみます。
諸々のデメリットをあわせて全体的に考えてみますと、ほどほどにmixi利用しているマジョリティにとってこの機能改修はあまりデメリットになっていないと思います。人によってはメリットの方が多いでしょう。リアルタイム足跡機能という性質上、困るであろうのはアクティブな常駐ユーザーがメインであろうと思われます。足跡機能改修に本気で反対するのであれば、上記のメリットに代わる効果的な方法をmixi事務局に提案するのがいいと思います。
私のアクセスカウンターは25万ちょっとでした(ニュースで日記を書くと一挙に増えてたのであまり参考になりません)。また、ここ一週間で6割のマイミクさんが訪問してくれたらしいです。いつもありがとう。
荷物を整理して出発。中延で私用を済ませ、六文そばでゲソ天そばを食し、都営浅草線で浅草に向かいます。この段階で既にうっすら汗をかいてます。今日は蒸し暑くなりそうです。11時半。都産貿(台東館)で催されているゲームマーケット(要するにボードゲーム販売会)に参加。主な目的は挨拶まわり(固定キャラはなんとか)。買い物は『キャット&チョコレート,ホラー編(第2版)』『キャット&チョコレート,ビジネス編』『花火(Hanabi)』『天九紙牌』など。さらに小物をいくつか。おかげでトートバッグの中が袋だらけ。1時間ちょっとで退出。他のフロアの様子を覗いてから浅草寺へ。仲見世通りで土産用の人形焼き4袋。銀座線。ブラスター用サイリュームを補充する為に末広町駅で下車。ドンキ秋葉原店のAKB48コーナーにあるのですが行列が長いのでパス(苦笑)。武器屋にも寄ります。スケジュールの打ち合わせなど。竹下通り。平均年齢の若いこと若いこと(笑)。ダイソーでサイリューム20本をまとめ買い。17時頃に代々木公園でジェダイアーツの練習会に合流。今回は14人。FXライトセーバーを振り回したり、ブラスターを弾いたり、撮影したり。相模大野経由で20時半に帰宅。
結局、折りたたみ傘は使いませんでした。でも、居合刀袋もトートバッグも汗で濡れてるので洗わねばなりません。万歩計を見たら15000歩でした。よく歩きました。
おつかれさまでしたー > ALL
10日(金)から11日(土)にかけて長野旅行してきました。
さすがに数日前に高崎に行ったばかりなので中央本線経由で。あずさの中でのBGMは『らんま1/2』と決めてます。蕎麦が美味しかったです。安い蕎麦を4回食べるよりも超高級品1杯の方が効率的な経験値になります。松本に戻って、朝ドラ『おひさま』(NHK)で有名になった安曇野に宿泊。聖地巡礼するおばさまたちがいるそうです。暗闇の中で耳を澄ますと素敵な違和感を抱けます。蛙の大合唱でSANチェック。夜半になると今度は静寂に覆われます。土曜日はワサビを買い込んできました。昼食はお焼き。土産はアレ(苦笑)
ともあれ、よいリフレッシュになりました。
『オセロ』の知的財産はその名称とカラーリングです。だから例えば紅白のコマを使ったものは『オセロ』と呼ぶことは出来ません。
ルールそのものはイギリスの『リバーシ』のバリエーションと同じです。しかるに、メーカーによる説明は「ルールも日本生まれである」と誤解させやすいです。誤った起源主張をしかねないので注意すべきかと。
認定投票(あるいは範囲投票)とは選挙の投票制度の一種です。巻単に言えば、それぞれの候補者に対してポイントを投票する仕組みです。簡略化の為に「賛成(+1)か棄権(±0)か反対(−1)」あるいは「認定(+1)か否認(0)」を投票するのでも構わないです。
しかし、この方法にはデメリットもあります。例えば、以下の4人から2人を選ぶ場合に「カレーとラーメン」「紅茶と珈琲」という悲劇的な組み合わせが発生しえてしまいます(もっとも、この悲劇は一般的な投票制度でもしばしば発生しえます)。
そこで、候補者に投票するのではなく状態に対して投票する制度を提案します。上記の例では、以下の6パターンに対して投票します。
この方法は学生時代に思いついたのです。でも、たぶん既に誰かが提唱してるんかないかな?(苦笑)
技術屋の多くは、メルトダウン確定の段階でメルトスルーも予想してたんじゃないかな? < 溶融して圧力容器底面に接触した核燃料を冷却するのはとても難しいのです。
もし溶け落ちた核燃料によって圧力容器底部が破損したのだとすれば、「まず内圧によって核燃料が外に押し出されて内圧が下がり、また破損部に燃料が溜まって内圧が高まる」というプロセスを繰り返す可能性があります。この状態になると「格納容器底部を貫通させないこと(核燃料は格納容器内に飛散するであろうので再臨界する可能性は低いでしょう)」と「格納容器内の汚染水を循環させ冷却し続けること」が重要な問題になります。技術的には十分に冷却可能だろうと思いますが、果たしてその作業する環境を維持し続けられるか否や。そっちが心配です。
私にとってのSNSの役割は、SNS外での人間関係をマッピングしてコミュニケーションを補助するツールです。だから、SNS内だけの人間関係というのはもともと重視していないです。「SNSで知り合ってそこからSNS外でも交流するようになればいい」という意見もありますが、SNS内だけの関係(SNSでのオフを含む。どっちかがSNSやめたら途切れてしまう関係)を望む人のなんと多いことか(苦笑)
mixiがもはやSNSじゃなくなっていることを少しだけ残念に思ってます。< もちろん、現状のmixiを望む人が多数派だと理解してますし、現状にあわせて利用することも大事だと納得してますよ。
今日の午後はボードゲームサークル「バンガードミッション」例会に参加してました。今回の参加者は16人でした。みなさま、おつかれさまでした。
「子供を叱る(他動詞)」は教育効果を伴う行為ですが、「親が怒る(自動詞)」は結果的に教育効果がある場合も教育効果がない場合もあります。このロジックで考えれば、「教育効果あるので体罰を加える」は躾け(叱る)または虐待(怒る)で、「教育効果ないのに体罰を加える」は虐待(怒る)になります。つまり、体罰は必ずしも虐待であるとは断言できません。
但し、現代日本の価値観においては、他に効果的な方法があるのに体罰を用いることは躾けでもあるが虐待でもあると見なされます。「その体罰は虐待である」と批判する人は、他に効果的な方法があることを示す必要があります。
戦略級ウォーゲーム『Victory at Sea(大西洋戦争)』(CMJ)は、第二次世界大戦中の大西洋における枢軸国と連合国との戦いをテーマにしています。『War at Sea(英独大西洋上の戦い)』(AH)のリメイク作品です。
その『Victory at Sea』を3日ほどかけてソロプレイしてみました。感想を一言で言うと「Uボートテクノロジーの要素が重すぎると思いますっ!」です(苦笑)
高校生「大人と同じ仕事をしているので大人と同じ時給が欲しい」
経営者「君の責任で損害が発生したら大人と同じように賠償請求するけど、それでいい?」
「与党に裏切られた」と言って与党の責任を追及している人たちは、自らも与党に投票した責任を負っていることを忘れるべきではありません。マニフェストの実現可能性を検討することなく毛針に釣られた人たちには、衆愚政治(Ochlocracy)という言葉の意味を学んでもらいたいです。
なお、「いったんやらせてみよう。ダメなら元に戻せばいい」と認められた側は当然に「そう簡単に元に戻せない状況」を構築します。そのことも憶えておいて欲しいです。
私が特に好きなボードゲームの一つが『アクワイア(Acquire)』です。そのシステムを簡単に説明してみます。
まず、ホテル経営を夢見る7人の少女がいます。彼女らに対して数人のインキュベーターが「僕と契約して経営者になってよ?」と契約を迫ります。経営者となった少女は、初めのうちはインキュベーターの助けでホテルが大きくなっていくことを喜びます。しかし、そのホテルはやがてインキュベーターらの思惑で他のホテルに吸収されてしまい、インキュベーターはそのときに生じる絶望エネルギーを回収します。そしてゲーム終了時には大きく成長したホテルもまるまるエネルギーとして回収されてしまいます。この因果律(ルール)に基づいて最も多くのエネルギーを集めたインキュベーターが勝ちます。そんなゲームです。
食べる速度が通常の3倍の人と一緒に大皿の餃子24個を食べると、自分が6個を食べる間に相手は18個を食べてしまいます。
そんなときは自分の分として別皿に例えば8個を取り分けてしまえばいいです。きっと相手は「2倍も貰えた」と感謝してくれます。自分用に10個を取り分けたのだとしても、きっと相手は「自分の方が多い」と感謝してくれます。取り分けなければ18個(3倍)を食べれたにも関わらずです。
要するに、相手は自分が食べた数なんて覚えてません(笑)
なお、最初から取り分けておくのではあまり感謝してくれません。まずは大皿に盛りつけておいて相手の目の前で取り分け、そして「よかったら食べて」と声に出して渡すのが演出というものです。
安全性や公平性や緊急性を理由にすればいくらでも目処がつくのを遅延させることができます。悲劇的なことに、それは確信的な遅延かも知れません。
ボードゲーム(カードゲームやダイスゲームなどを含む)は、ゲーム内で定義された勝利条件を達成することを目的とした遊具です。しかし、プレイヤーの目的は必ずしも遊興に限らず、交流や賭博や勧誘や名声や卜占や学術や教育など様々です。
ところで、いわゆるボードゲーマーと呼ばれる人たちの多くは「ボードゲームは、遊興や交流など健全な目的に用いるべきものであって、営利を目的に用いるべきものではない」と主張しています。もしかしたら「麻雀や花札やポーカーやキャッシュフローはボードゲームの定義に含めるべきではない」とすら考えているかもしれません。おそらくは、自分たちの趣味活動を世間から尊重してもらうために「私たちの趣味は健全なものだ」とアピールしたいのであろうと思います。
でも、先述したようにボードゲームは様々な用途に用いられているのが現実です。この現実を変えることなくボードゲームの定義を変えたところで世間の評価はたいして変化しません。世間一般から見れば、麻雀も花札もやはりボードゲームの一種のままなのです(さすがに、賭博に用いないボードゲームもたくさんあることぐらいは広く認識してもらえてますが…)。
だから、自分たちの趣味活動を尊重してもらいたいのであれば、ボードゲームを尊重してもらうよりも自分たちボードゲーマーを尊重してもらえるように努力するのが効果的です。具体的には、ボードゲームばかりを優先するのではなくボードゲーム以外にもほどほどにリソース(お金や時間や交友など)を費やすのがいいと思います。< もっとも、ずっと以前と比べればかなりマシになってきていると思うので、この主張はもう繰り返さなくて済むかも?
このロジックは他の趣味にも適用できます。例えばアニメやマンガが好きな人たちが自分の趣味を家族に尊重してもらうためには、「不健全な作品と一緒にしないで。私が好きなのは健全な作品です」と主張するだけでなく「アニメやマンガには不健全な作品もあるけど、私はちゃんとやっている」と示すのが効率的です。
トラブルを予防するためには、目的が大きく異なるプレイヤーと一緒にプレイしないのが望ましいです。勧誘目的のゲーム会に参加しておいて「ボードゲームを使って勧誘するな」と文句を言うのは、雀荘に行って「麻雀を営利目的に使うな」と言うのと同様に愚かしいことです。適切に住み分けるか使い分けるべきだと思います。競技目的のゲームサークルと交流目的のゲームサークルとでさえうまく使い分けねばなりません。「郷に入らば郷に従え」です。
29日(日)の午後はボードゲーム『Victory in the Pacific』をプレイしてました。
『Victory in the Pacific』(Richard Hamblen/AvalonHill/1977)は、太平洋戦争における大日本帝國海軍と連合軍艦隊との空海戦をテーマにした戦略級ウォーゲームです。邦題は『太平洋の覇者』と訳されてます。
日本側の目的は「有利な条件で講和するためにより多くの支配海域を確保し続けること」であり、連合国側の目的はそれを阻止することです。ゲームは半年単位の8ターンで構成され、支配海域から得られる点数(Points of Control)を競います。空母や戦艦や重巡洋艦などが1隻単位でユニット(駒)となってますが、ゲームバランスの為にパラメータはずいぶん調整されてます。史実と同様に、序盤は日本軍が有利ですが、後半は連合軍の凄まじい物量に圧倒されます。
個人的意見ですが、このゲームは「日本側がよほど変なことをしなければ第6ターン開始時にはほぼ決まった形(日本側POCは29近く)になり、結果的に最終8ターンまで勝敗がもつれる展開になる」というデザインになっていると思います。
今回は、序盤に真珠湾軍港とサモア軍港を攻略するハイリスクハイリターンな作戦を試してみます。第2ターンの目標は、ハワイ諸島海域(Hawaiian Islands)および米国委任統治領海域(U.S.Mandate)を制圧することです。これらの海域の制圧が困難になった場合には、珊瑚海海域(Coral Sea)を予備の目標とし米豪分断を図ります。英軍はできるだけ相手にしないよう、ベンガル湾やインド洋には手を出しません。
ゲームバランスが調整されているとはいえ、これらの海域制圧には帝國海軍空母の集中運用とアメリカ太平洋艦隊の戦力分散を必要とします。そのために序盤は、日本列島海域とマリアナ海域とアリューシャン海域と北太平洋海域と中部太平洋海域は必要最小限の水上艦で防御し、インドネシア海域と南太平洋海域とマーシャル諸島海域はもっぱら陸上基地航空隊だけで防御します(連合国の哨戒艦隊の侵入に対しては必要に応じて適切に派遣します)。これらのうち中部太平洋海域や北太平洋海域やアリューシャン海域は点数(POC)が低いので囮にして構いません。
第2ターンからはハワイ諸島海域と米委任統治領海域と珊瑚海に哨戒艦隊(各3〜4隻)を派遣し、連合軍に「どこを守るか?」の3択を迫ります。この3ヶ所のうち2ヶ所に強力な襲撃艦隊を投入します。このようにして5ターン終了時までに十分な点数(目標POC=29)を獲得しておきます。
6ターン以降は「得失点を計算して決定した絶対国防圏」だけを死守し、他の海域は放棄することで戦力漸減を防ぎます。例えば日本列島海域とマリアナ諸島海域とインドネシア海域だけ死守すれば1ターンあたりマイナス4点で済みます。
真珠湾奇襲には空母8隻(鳳翔以外)を投入します。空襲力4の空母4隻(赤城,加賀,翔鶴,瑞鶴)は装甲4の戦艦にそれぞれ割り当てます。この奇襲では撃沈よりも着底を優先します。もし可能なら第3次攻撃(第1ターンの通常の追撃戦としての空襲)を行います。もし第3次攻撃を行えなくとも、第2ターンの真珠湾空襲を予想させることで連合軍の作戦を限定させることができましょう。
余裕があれば、奇襲2ラウンド目に停泊中の巡洋艦2隻も空襲します(これは真珠湾奇襲の直後のハワイ諸島海域の戦闘を考慮しています)。ハワイ航空隊も撃滅したいのですが、その余裕はあまり期待できません。
インドネシア海域には基地航空隊4を配備します。今回の戦略方針においては、最優先目標は戦艦2隻(英国東洋艦隊)ではなく防御力4の基地航空隊(5th.AF)です。英戦艦は討ち漏らしても構いません。
移動可能な5隻の連合国巡洋艦への対策を考えます。
日本列島海域およびマリアナ海域には4隻(巡洋艦3+戦艦1)ずつ配備し、南太平洋海域およびインドネシア海域には基地航空隊だけを配備します。これによって、連合国巡洋艦3隻の侵入は困難になるでしょう。おそらく2隻は(イ号による制圧解除に備えて)珊瑚海および米国統治海域にそれぞれ哨戒に向かい、残りの3隻はベンガル湾(POC=2:1)かインド洋(POC=2:0)に移動または退避するでしょう。なお、日本列島海域に配備する戦艦1は哨戒艦艇ではなく襲撃艦艇とし、もし連合国巡洋艦3隻が他の海域に哨戒移動したなら中部太平洋海域に襲撃移動します。
中部太平洋海域に登場する米国空母への対策は以下の通りです。
増援で登場する米空母(1〜2隻と想定)を確実に撃沈する為に、中部太平洋海域に戦艦4と巡洋艦5と軽空母1と陸戦隊を哨戒させる(襲撃移動で戦艦1が追加されるかもしれません)。陸戦隊と軽空母は囮になります。なお、この海域に米空母3隻以上が同時に出現する確率は1割程度です。
同じく、ハワイ諸島海域に登場する米国空母への対策は以下の通りです。
ハワイ諸島海域には米巡洋艦2隻と真珠湾の生き残りがいるだろう。米空母3隻以上が同時に出現する確率は3割程度である(ちなみに5隻同時確率は1/81である)。やや高めに見積もり、空母3隻(および護衛5隻)登場を想定する。具体的には空母3と損傷戦艦1と巡洋艦8隻よ基地航空隊1と想定します。帝國海軍は、真珠湾奇襲した空母8の護衛をかねて、巡洋艦8と戦艦4を配備します。もし、珊瑚海と米国統治領にイ号を配備しないならハワイ諸島海域に配備します。
真珠湾奇襲は最悪に近い出目でした。空襲2回で真珠湾の戦艦8隻のうち「沈没1隻、着底3隻、大破1隻、中破2隻、無傷1隻」という戦果です。さらにこの第1ターンにハワイ沖に空母3隻(れ,ほ,よ)が登場し、中部太平洋に空母1隻が登場しました。なんとか第3次攻撃で真珠湾の戦艦3隻を撃沈しましたが、空母3隻は豪州に逃げてしまいました。
第2〜4ターンにおいては戦略方針にある3択を迫りつつPOCを稼ぎました。インドネシア海域には航空隊3を常駐させます。サモアは攻略成功しましたが、真珠湾はぎりぎりで攻略失敗しました。
なんとかやりくりしつつ第5ターンの終了時にはプラス29点に達しました。あとは絶対国防圏を維持すれば勝利できるはずです。ケアレスミス(マリアナに哨戒艦隊を置き忘れ)もありましたが艦隊をやりくりしつつ耐えました。第7ターン終了時にマリアナやインドネシアを失いましたが、なんとかプラス16点を維持できてます。最後の第8ターンで日本列島海域だけ守りきれれば大日本帝國の勝利です。そこで、最終ターンには日本列島海域に空母13隻と航空隊6を哨戒させました。本土を米軍の空襲に晒したくありません。しかし残念なことに、最後の航空戦では連合国の物量に敗れました。結果はマイナス2点でした。
戦略はそれほど悪くなかったと思ってます。もし次回があれば、また大日本帝国海軍側をプレイしたいです。
個人的に太平洋戦争(あるいは大東亜戦争)については「ハルノートの要求は受け入れられない。早期の講和を目指してたのは正しい。敗戦確定した時点でさっさと降伏すべきだった。全ての犠牲者を哀悼します。悲劇を繰り返さないために歴史の仕組みを学ぶことが必要だ」という立場です。そして、ゲームについては、実際に誰も犠牲になることなく「どうやれば犠牲を最小にできるのか?」を考える有用なツールだと思ってます。
火を点けるなら、油を注ぐ人が存在することを前提にして欲しいなぁ。確かに火災の責任は油を注いだ人にあるにせよ、火災の理由はそれを分かってて点けた人にもあるわけだし。
絵双六作成は社会心理学のツールとして非常に有効ですが、それはもはや遊戯の範疇から外れるように思います。もしこれを遊戯として論じるのであれば、「他人の人生の模擬体験」の形にまで発展させる必要があると思います。
『盤双六ではプライム禁止?」について説得力のある結論が出されました。とても興味深かったです。なお、件の『雙六独稽古』については神保町に行ったときに確認しておきます。
どの道を選ぶのかは任意だけど、いずれかの道を選ばなければならない。自分で道を敷くことはできるけど、空は飛べないし、海を渡ることもできない。自由とはそういうものだと思ってます。
自分の生き方を自分で決めることができるようになった時点で大人の仲間入りだと思ってます。こっちの世界にようこそ(笑)
『ドラえもん』の中で特に好きなエピソードは「のび太の宇宙開拓史」と「ゆうれい城へ引っこし」です。前者は映画化された長編なので知っている人も多いと思いますが、後者はあまり知られていないかも知れません。
古城を下見に行ったのび太たちが、所有者のロッテ嬢と隠し財産を狙う叔父ヨーゼフとの争いに巻き込まれる話です。
今にして思えば、挨拶以外のドイツ語を憶えた話でもあり、プレートメイルって格好いいなあと思った話でもありました。そしてなによりも、ロッテは「格好いい女性」と思った初めての女性キャラでした。シナリオの秀逸さとあいまってある種の憧れを抱いていたのでしょう。
もし「『ドラえもん』に登場する女子キャラクターなら誰と結婚しますか?」という質問があれば、今でもロッテ・ミュンヒハウゼンを選びたいです。
ふと「ロッテ・ミュンヒハウゼン」で画像検索してみました。すると、昨今のリメイクアニメ版ではすっかり美少女化していました。ここは喜ぶべきか悲しむべきか?(涙)
「ホルモンバランスが男性的であるほど女性としての魅力が乏しくなる」は同意だけど、これは必ずしも人間としての価値を示すものではないと思います。人間の価値は性的な魅力だけではありません。だから、例えば「繁殖期にある女性は閉経後の女性よりも性的に魅力である」に対して「老婆には人間としての価値がないと言うのか?」と反発する必要はありません。
花火大会の見学者が増えると一般家庭での電力消費量が減るので、計画停電を避ける意味で私は開催に賛成します。電車を止めると車を利用する人が増えてしまうのと同じ理屈です。
忙しい時期ほど日誌や日記をちゃんと書くのがいいと思ってます。その一日の意味を再確認できるだけでなく、より効率的な時間運用を考えることもできます。そしてブログとして公開することで、友人とのコミュニケーションの為に費やすコストも節約できます。
3号機の崩壊熱は1.7%ぐらいまで減少してるはずですが、まだ安全とは言えません。もし3号機もメルトダウンしており、そして圧力容器の中に十分な冷却水が注がれてないとすれば、やがて圧力容器の底が融けて核燃料が格納容器に落ちる可能性があります。果たして、建屋の地下室から水があふれ出すのが先か後か。
怪談にはいくつもテンプレートがあります。例えば「知り合いから聞いた話。みんなで霊的スポットを探検する。悪ふざけで仕掛けをいじった。おかしくなった仲間を連れて帰る。霊能者「これは祟り。お祓いする」。その後は知らない」のようなシナリオです。
でも、そんじょそこらの霊能力者が解決できる程度のモノなら、とっくに何とかできなければなりません。怪談を創作するときは、いろいろチェックする必要があります。
いわゆる北方領土が現状で返還されるとして、もしも高レベル放射性廃棄物や原子力潜水艦が遺棄されていたとしたら、日本はどうすべきだろう。
やはり、返還された領土をまるごと新たな廃棄物貯蔵施設にするか。
例えば、稽古用具である竹刀や木刀を実戦に用いると刀身部分を掴まれてしまう可能性があります。だから、実戦(護身を含む)を想定する武術家は、真剣を用意しておくか、得物を掴まれない戦い方や得物を捕まれた場合の戦い方も修得しておくべきです。でも、実戦を想定せずに心身の鍛練を目的としている武道家(あるいはスポーツのプレイヤー)は、そんなことまで考えなくていいです。
そんなわけで、玩具とはいえFXライトセーバーの刀身には触らないように。
この蒸し暑い日本でスーツ姿がここまで定着してしまった背景には、冷房(扇風機やクーラーなど)の普及が大きいです。もし冷房がここまで普及してなければ、機能とデザインを両立させた日本式クールビズが発展していたでしょう。
有効ではあるがエレガントではないクールビズおよびスーパークールビズが提唱される背景には、冷房普及ゆえの未発達があるのだろうと思ってます。
たまたま駅や繁華街を通らない日が続いてるせいか、ポケットティッシュの在庫が切れました。でも、よくよく思い出してみると(繁華街を通る通らない以前に)配布そのものが減っているような気がします。見えにくいところでいろいろ影響があるのだと、改めて感じました。
で、ドラッグストアで補充してきました。せっかくなので、ちょっと良いモノを。
この週末にはボードゲームサークル「バンガードミッション」の例会がありました(デザインフェスタはパス)。震災の影響でボードゲームが流行していると聞きますが、あまり実感できてません。
14日(土)の参加者は18人でした。プレイされてたらしきゲームは『ベルサイユ』『ローマ水道』『ゴールド』『ドミニオン』『迷宮牧場の決闘』『アクワイア』『ゴッドファーザー』『ビブリオス』『ザ・ビッグチーズ』『キャット&チョコレート』『ガイスター』『エイジ・オブ・エンパイア3』『髑髏と薔薇』『スコットランドヤード』『カタンの開拓者たち』『える★あらめいん』『6ニムト』『M○S△I×』などなどです。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
14日(土)のメモなど。
15日(日)の参加者は21人でした。プレイされてたらしきゲームは『カルカソンヌ』『アクワイア』『世界の7不思議』『バトルライン』『える・あらめいん』『ホテル・サモア』『ラー』『ドミリオン』『ニワトリのシッポ』『ローマ水道』『ル・アーブル』『FFF』『カタンの航海者たち』『ベリシ・ネベリシ』『ロジステゴ』『ドミニオン』『ダンジョンロード』『ファクトリーマネージャー』『ファミリア』『カカドゥー』『フォーリング』『ローラーコースター』『ファンタジーパブ』『たんとくおーれ』『ラミーキューブ』『エレファント』などなどです。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
15日(日)のメモなど。
私は「ネット(HNを通じた交流の場であるオフ会などを含む)は別世界ではなく、私たちがリアルに住んでいるこの世界の一部である」と考えてます。
SNSについても「SNSの存在意義はリアル(ネットを含む)での人間関係をネットでマッピングしたもの」とも思ってます。だから、SNS上だけの人間関係は、あくまでいつかリアル(SNS外のネットを含む)で交流するに至るまでの一時的な状態であると捉えてます。< もっとも、そこに至るまでの期間は数年以上に及ぶかも知れませんし、そこに至る前に自然消滅することもしばしばです。
そのように考えているので、ネットである程度に見知った相手にはネット以外での連絡先も公開しています。
でも、ネットは別世界だと考えている人たちは、オフ会で会って仲良くなってネット以外で交流するようになってもなかなか本名や住所などを公開しないみたいです。推測するに、彼らは必ずしも「ネットだけの付き合い」であり続けたいわけではなく単にネットにおけるプライバシー基準をネット以外にまで適用し続けているだけのようです。
もっとも、彼らから見れば私は「リアルでのセキュリティ基準をネット(オフ会などを含む)にまで適用し続けている」となるのでしょうが(苦笑)
携帯電話やPDAなどが普及する以前は、アドレス帳(物理)にみんなの電話番号を書き込んでました。親しい人たちの電話番号はしっかり憶えてました。
でも今やすっかりアドレス帳(電子)に任せっきりでほとんど電話番号を憶えることもありません。住所やメアドや誕生日なども昔ほどにちゃんとは憶えていません。ついでに言うと、顔もあまり憶えきれてません。昔なら顔写真を使ってひそかに憶えてたのですが、昨今はなかなかそうもいきませぬ。
なお、バックアップ(電子データおよび印刷物)はこまめに更新してるので、データ消失はあまり心配してません。
さすがに個体識別子である本名あるいはそれに準ずる長期固定HNなどはしっかり憶えてます。しかも音信不通から十年以上経ってもたいてい憶えてるので、再会に成功する可能性はそれなりに高いつもりです。
ハンドルネームは、知り合いを増やすのに有用だけど、それを超えて仲良くなろうとするときには壁にもなります。もともとハンドルネームを通じて知り合わなければ…そもそもネット以外の場で最初に出会っていれば…と考えることがあります。
ネット以外の連絡手段をあらためて多重化しようと思ってます。電話(ダイヤル発信)と手紙はもっと活用していきたいです。さすがに二十年前のような手紙魔にはなりませんが(苦笑)
PB「ボクと契約してボランティアになってよ?」
一ヶ月前にも書きましたが、被災者らは一時的でない継続的な支援を必要としています。そんなわけで、わずかではありますが義捐してきました。着ないであろう夏服も出すつもりです。
余震はしばらく続くでしょうが、大きな被害を及ぼす可能性は低いと考えてます。津波も数mに及ぶものはたぶん来ないでしょう。数ヶ月単位の期待値で言えば、余震による損害よりも復興や支援の遅れによる損害の方が大きいだろうと考えてます。
原発事故の方も、現状よりも悪化するシナリオは限られてきました。特に乳幼児に多大な影響を及ぼすヨウ素131(半減期8日)のほとんどは既に崩壊したと考えられるので、この点については少しだけ安心しています(放射性セシウムの影響は放射性ヨウ素ほどではありません)。また火災で放射性物質が大量に飛散したチェルノブイリ原発事故と異なり、福島第一原発事故では放射性物質の拡散は原子力発電所周辺地域に集中しているので、発電所から数十kmの地域における影響はチェルノブイリほど大きくはないと考えます。
しかしながら、今夏の電力不足による生産力低下とそれに伴う景気悪化は深刻だと思ってます。浜岡原発の停止については、不確実なドカ貧と確実なジリ貧との二択はデータとロジックに基づいて決断すべきだと思ってます。
まだ日本国民には助け合うだけの余力があります。確かに最善を尽くしてもマイナスではありましょうが、そのマイナスの絶対値はもっと減らすことができると信じてます。
占いは信用しないけど利用するよ?
結論を導き得るテーマについてたくさん考えてれば、結論の存在し得ないテーマについて考え込まないですみます。あるいは、結論が存在し得ないことを証明してしまって悟ってしまうのも宜し。(
表情の造形の話は別にして…。このポーズからの電撃はたいてい空中からのものです。よって、膝を折りまげてもっとエビ反りさせたポーズにすべき。
こんな殺人事件の話があります。
容疑者らの刑事的責任については、議論の分かれるところであり非常に難解です。
ところで、この事例と同じ構図になってないかを、ちゃんと確認すべきことがあります。
将来に彼らの責任を問うのは非常に難解となりましょう。
私もTRPGにおいて「PC達の心理的な歪みを利用してスト−リーを最悪の方向に誘導する」というマスタリングが得意ですが、この能力は最善の方向に誘導することにも使えます。そして、それはリアルな社会においても使用できます。だから、私はみんなの価値観や人間関係の歪みを把握し適切に調整することをすごく大事にしています。
余談ですが、個人的な好みで言えば「黄>黒>赤>桃>青」の順です。
師からは「工場を建設するときは爆撃される可能性も頭の隅に入れておけ」と教えられました。数十年単位で考えるなら、発電所やダムは巡航ミサイルによる攻撃も想定しておかねばなりません。巡航ミサイルの性能は年ごとに進化しています。終戦からまだ百年も経っていないのです。世界情勢はまだまだ流動的です。
初等数学において「(1/2)a÷(1/3)b = (1/2)×a÷(1/3)×b = 3ab/2」と「(1/2)a÷(1/3)b = ((1/2)×a)÷((1/3)×b) = (3a)/(2b)」のいずれが正しいかは、ちょっと興味深い問題です。この問題については後者が正しいと考えてます。
しかし、二項演算子「×」の後項が定数式の場合は「×」を省略できないとも考えてます。だから、先日の「6÷2(1+3)=?」については「書式エラーにより計算不能」が正解だと考えてます。
情報の隠蔽を非難する人は、公開された情報を適切に評価&対応できねばなりません。もしも適切に評価できずにパニックでより大きな損害を招くばかりであるならば、隠蔽したほうがマシという選択を誘引します。
知る幸福と知る不幸との相互関係はすごくカオスです。
5月第2日曜日は「母の日」とされてます。
確かに人類は人口問題を抱えてますが、繁殖はほぼ全ての社会にとって有益です。だから、繁殖(育成を含む)をもっぱら担う全ての母親に敬意を表します。そして、自分の祖先の母親たちに感謝してます。
演算記号「×」の省略条件をちゃんと理解してないと、大人でも間違えるだろうなあ(笑)
4月30日(土)から5月1日(日)にかけてバンガードミッションGW特例会@橋本公民館を催しました。2日間の延べ参加者数は46人でした。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
みなさま、おつかれさま&ありがとうございました。
全ての人間が「本当の幸せは人間関係の中に」と思っているわけではありません。「本当の幸せは自分の意見を実現することにあり」と本気で考えている人たちも存在します。従って、良好な人間関係による幸福(彼らが所属するコミュニティにおける善)よりも、自分の意見を通す幸福(一人から構成される社会における善)を優先する人たちは存在しえますし、実際に存在しています。
「感謝されると心が温かくなる」もまた当人にとっての利益の一種ですから、正義とされる行為の誘因になりえます(多数派でありますが全員ではありません)。そして同様に、感謝されても心が温かくならない人にとっては誘因になりません。
文化は多くの人にとって有益なので、エゴイスト(当人のみで構成される社会における善を最優先する人)たちばかり集団においてさえ文化は形成されえます。このあたりは社会契約論の考え方に近いと思います。
そろそろ発売して欲しいなあ。我に大人買いの用意あり。
もし「ペットは家族の一員だ」と主張するなら、ちゃんと躾けなければなりません。躾けなかったことが原因で周囲(飼い主を含む)とトラブルになればみんなが不幸になってしまいます。このロジックは「保護者が子供に優しくすることは子供を甘やかすこととは違います。子供は愛玩動物ではない」と同様です。
いわゆる隠れ家レストランで食べてきました。店構えは一般の民家と区別つきません。もちろん完全予約制です。ジャンルは創作フレンチらしいです。おおよそ理解できたつもりですが、柚子風味ホタルイカと桜ポタージュだけはよく分かりませんでした。まだまだ宇宙は広いです。
ついでに、この営業形態のメリットとデメリットをリストアップしてみましたが、かなりハイリスクハイリターンだと思います。
そんなわけで、おつかれさまでしたー。
出荷禁止野菜について感情的に叫びたいのであれば「東京電力が買い取れ」ではなく「東電社員が買い取れ」と主張すべきかと。
予定が確定していない日の方が忙しくなるのは、どういうわけだろう?(苦笑)
今日はみんなありがとうでした。たくさんの人たちに感謝。
天九牌(32枚)を用いる『鹿狩り』というゲームがあります。2対2のペア戦で行うゲームです。
このゲームにおいては、最強牌である「天」(2枚)が各チームに1枚ずつ配られるようにするルールがあります。そして、ボードゲーマーの間では、強い牌(6枚)が各チームに均等に配られるルールでプレイされることが多いそうです。
もし数えることができる程度にしかプレイしないのであれば(特にホビーとしてプレイするのであれば)、確実に接戦になる均等分けルールを採用した方が面白いだろうと思います。しかし、数え切れないほどプレイするのであれば(特にギャンブルとしてプレイするのであれば)、ワンサイドゲームが発生しにくいことはマイナスにもなりえます。
喩えるなら、全員の配牌が必ず3シャンテンになる『麻雀』や、バランスよく初期配置されている『カタン』です。おそらくは誰でも確実に楽しむことができましょう。でも、数え切れないほどプレイするのであれば、飽きも早くなろうと思います。
自衛隊による震災地域救援についてちょっとだけ気になってたことがあります。自衛隊10万人を集中した地域に余震&津波が来なくて本当に良かったです。まだやるべきことは多かろうと思いますが、自衛隊の活動を高く評価しています。
「ダウトを言った人の次の人の手番」のルールだと、残り二人になったときの無限ループ対策が必要になりますが、「嘘は見破ってるけど敢えて承認する」の誘因が強くなり、結果的に場札が積み上がって盛りあがりやすくなります。パーティ向きのルールだと思います。
「ダウトに勝った人の手番」のルールだと、カードの移動を考慮しながらプレイする意味が強くなるので、ゲーマー向けになると思います。
「銃弾や砲弾の種類に関わらず、ベクレルは連射性能を表し、シーベルトは破壊力を表す」と考えればおおよそイメージしやすいかと。
JediArts練習会@代々木公園にはしばらく参加してません。別に興味を失ってるわけじゃないので、ときどき一人稽古していますし、夜のお祭りなどに持ち込んでチャンバラしてます。
参加してない理由はすごく単純です。
うん、本当にこれだけです。
イースター関係のイベントに行くか、相模大野アートクラフト市で買い物するか、秋葉原までサイコロを受け取りに行くか、市内でラーメン店を新たに開拓するか、大きな鞄を持って相模湖方面まで小旅行するか、豆腐料理を作るか、代々木公園までFXライトセイバーを振りに行くか、積みあがっているビデオやゲームや書籍を消化するか、スーツのデザインするか、本当に休養にあてるか。うーむ。
いずれにせよ、閑居しても善を為したいです。
『魔法少女まどか☆マギカ』最終回まで視聴しました。総じて演出はユニークで効果的。テーマとシナリオが合致しており、回収率の高い結末だったと思います。必ずしもハッピーエンドではありませんが、一つの回答だったと思います。
ところで、もし家畜が人語を解して「こんなの絶対おかしいよ!」と言い出したら、人類はどのように対処するでしょう?
ここは肉牛を育てている久兵衛牧場。
久兵衛「その肉を代価にしてキミは何を願う?」
まど牛「全ての牛肉を、精肉される前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての牛肉を、この手で」
久兵衛「それは牧場経営に対する反逆だ」
因果律が改変され、ここは乳牛を育てている久兵衛牧場。
久兵衛「キミの話にあった牛肉の概念は、なかなか興味深くはある。食料を収集する方法としては、確かに魅力的だ。そんなうまい方法があるなら、僕たち牧場主の戦略ももっと違ったものになっただろうね」
ほむ牛「そうね。あなたたちはそーゆーやつらよね」
歴史において、人類は実際にこの問題に向き合ったことがあります。
かつて奴隷が家畜として扱われてたセカイがありました。やがて、そのセカイの因果律(奴隷制度)はやがて改変されました。現代においては、かつての価値観を継承している白人などほとんどおりません。
白べぇ「キミの話にあった奴隷の概念は、なかなか興味深くはある。人間の労働力を収集する方法としては、確かに魅力的だ。そんなうまい方法があるなら、僕たち白人の戦略ももっと違ったものになっただろうね」
黒ほむ「そうね。あなたたちはそーゆーやつらよね」
Do not buy what you want, but what you need; what you do not need is deer at a farthing.(Cato the Elder)
欲しいものを買うな、必要なものを買え。必要でないものには何の価値もない。(大カトー)
これを実践するだけで、無駄遣いのほとんどは防げます。
大事なのは、運転しているときに健常であることです。だから、「持病の薬を飲み忘れての運転」や「眠気が酷い状態での運転」は「アルコールを飲んでの運転」と同様に扱えばいいと思う。病気持ちであることが悪いのであれば、酒飲みであることも悪くなります。
もし眠気を簡易に測定できる技術があれば、飲酒運転と同様に眠気運転を取り締まりあるいは予防できるだろうか?
東日本大震災の直接的な犠牲者数は最終的に3万人ぐらいになりそうです。しかるに震災直後の発表や報道を見ると、発表された数字は非常に小さなものでした。また、福島第一原発事故の犠牲者数はまだ0ですが、例えば25年後には相応に増えていると思われます(もし福島第一原発事故(2011年)をチェルノブイリ原発事故(1986年)と比較するなら、その予想値を用いるべきでしょう)。
実際に発生している災害について、日本では「推定される犠牲者数」ではなく「確定した犠牲者数」だけが発表されがちです。その為に、後になってどんどん犠牲者数が増えていきます。推定値が得られないために、結果的に適切な対策が間に合わないこともあります(で、ますます犠牲者数が増えます)。
推定値よりも確定値が優先される仕組みについて、ざっと考えてみました。
犠牲者数について、多数の国民が情報を適正に評価できるようになれば、やがて適正な情報の比率も増えていくでしょう(あたかも天気予報のように!)。その為には、私たちが正しい知識や判断力を身につけることだけでなく、政府発表やマスコミ報道やネット情報や口コミなどについて「どれがどれだけ偏向報道されているか」および「どれをどれだけ偏向視聴しているのか」をときどき自己評価することが大事だと思います。
いやな情報であってもちゃんと向き合っていきたいです。より良い未来を作る為にもそれは必要です。
17日(日)は橋本公民館の中会議室にてボードゲームサークル「バンガードミッション」4月定例会を催してきました。参加者は27人でした。みなさま、おつかれさまでした。
プレイされてたらしきゲームは『ハチエンダ』『ゴジラ怪獣王決定戦カードゲーム』『フンタダイス:大統領万歳』『7不思議』『カタンの開拓者たち』『電力会社(計画停電マップ)』『サンダーストーン』『チキチキマシーン猛レース・カードゲーム』『ファミリア』『ボーナンザ』『ポイズン』『M○O△S×』『ラミーキューブ』『サンファン』『ギガンテン』『ロード・オブ・ベガス』『サムライ・カードゲーム』『江戸時代の先物取引』『アクワイア』『カルタゴ』『FFF』『パンデミック』『フィプセン』『ピッグテール』『ヤニフ』『ドミリオン』『モンスター』『ウントチュース』『ダビデとゴリアテ』『チェーテン』『鹿狩り』『ベリシネベリシ』『ダイスビンゴ』などなど。
なんか抜けてるような?
たまに意味を知らない単語に出会う。そして調べ、新たな知識と成。
貴方の武士道が「命を捨てても味方(多数の人々)を守ること」であることは理解しました。
もし福島第一原発が「放射能障害による死をもってしか味方(多数の人々)を救えない状況」または「死をもってすれば味方を救える状況」であるならば、貴方が死を覚悟して作業員に志願することには筋が通ってると思います。
ただ、作業員の死亡は周囲に多大な迷惑を及ぼすので、急性放射線障害で即死するような作業はさせてもらえないでしょう。おそらくは、被爆総量を測定しながらわずかな時間で交代して忍耐強く作業し続ける生活になります。将来に発症して命を落とすことになるかも知れませんが、貴方はそれも覚悟しているのでしょう。
なお、かつての武士が剣術や礼法を修得していたのと同様に、作業に必要な知識や技能やコミュニケーション力を習得していることが必要だと思います。
非科学的に放射能の恐怖を煽って原子力に反対してた人たちの責任は重いです。放射線と放射性物質とは違うこと、大量の放射線を浴びた障害がどのようなものであるかを、しっかり周知するのが大切だと思う。
飲料水などの備蓄を追加補充してきました。災害を防ぐことはできませんが災害に備えることはできます。人災を防げる立場にいないのが残念です。
出発→統一地方選の投票→墓参り→打ち合わせ@小田急線→買い物@秋葉原→「武器屋」→非電源ゲームサークル「袋小路」→「つあーすたっふ」→「西門夜桜祭り」→帰宅。
もしも「把握してるけど公表しなかった」でなく「把握してないから公表できなかった」であったなら、事態はとてつもなく悲劇的です。
悲劇中の幸いですが、公表しなかった項目について一定の方向性が見えるので、前者であろうと推定できます。
ところで報道された測定値を見る限り、福島第一原発の1号炉が再臨界を起こしている可能性があります。リスクを具体的にいえば、底に溜まった核燃料が再臨界し、その高熱で炉の底が溶け、漏れ出た核燃料が水に触れて水蒸気爆発し、炉が大破する可能性が上昇しています。
避難準備を確認するとともに、どのように公表されるかを注視しています。
私は、人が多く集まるとこではエアコンを使用すべきだと思いますし、納涼花火大会なども積極的に開催すべきだと思ってます。外出する人たちの部屋の分だけ、ルームエアコンに費やす電気が節約できるからです。
同様の理由で、家族の団らんも推奨したいです。
統一地方選の候補者達が「震災に強い都市つくり」と連呼してますが、具体的なプランになるとほとんど触れられてないです。
相模原には大きな活断層も埋立地もないので、通常の建築基準で十分だと思います。また、相模川水面(南区)でも海抜80mあるので1000年に1度の大津波も到達しません(ちなみに最高点は蛭ケ岳(山頂)の1673mです)。火災については住宅密集地が多いので対策する必要性が高いです。大量の避難民が発生する状況は考えにくいので、避難所についてはそれほど重視しなくて大丈夫だと思います。人口が多いので、災害後のライフライン復旧と食料や燃料の備蓄は重視すべきだと思ってます(なお、潤水都市を謳うだけあって水は豊富です)。
他にもいくつか考えましたが、やはりあまりぱっとしない陳腐なアイデアが最良の選択になると思います。そんなわけで確かに、具体的な政策よりもイメージ戦略の方が選挙には有効そうです(苦笑)
「平和ボケしてる日本人が云う武士道とは、伝統的なものではなく、実戦を想定していない口先だけのものではないか?」について、私なりに回答してみます。
例えば「武士道とは、主君や家族や自己の名誉を守るために己の犠牲を厭わない生き様」あたりがおおよそ共通する解釈であろうと思います。これは必ずしも戦闘行為に特化したものではありませんし、無意味な自己犠牲を自己に強いるものでもありません。一族の為に身を粉にして働くこともまた武士道の一種ですし、社会秩序を維持することも同様です。刀剣など武器の代わりに法律や交渉を用いて戦うこともしばしばあります。
名誉が汚された否かは、他人の評価や挑発によって決まるものではなく自分の判断で決めるものだと思います。例えば、狂犬に遠吠えされたところで名誉は失われないのです。
なお、私の宗教観は「神仏を尊べど神仏を頼らず」です。だから、地震や戦争が発生しないことを神仏に祈願するのではなく、自分にできる範囲で次の地震に備えたり戦争を避ける為に利害調整しています。
今週末は『西門夜桜まつり』です。節電ということでライトアップは限定されてましたが、十分に綺麗な夜桜でした。風によって散りゆく様は、日本の伝統的価値観を連想させます。
大人達にとってはいろいろ思うこともありましょうが、子供達にとってはあまり関係ありません。たくさん愉しんでくれればいいと思ってます。そして、それを手伝うのが大人の仕事だと思ってます。
個人的には、この雰囲気の中で買い食いするのが愉しいです。景気回復の為には「花より団子」です。
公益ある自粛はともかく公益なき自粛はむしろデメリットの方が大きいです。被災者たちや社会全体の為に有益ならば自粛する意義もありましょう。しかし、「被災者たちの為に自粛すべき」と主張する人たちのためだけに自粛する必要はまったくありません。
新年度になりましたが、ボードゲームサークル「バンガードミッション」運営方針は特に変わりありません。
現時点における運営上の問題は以下の2点と認識しています。
毎月第3日曜日に橋本公民館を使用するサークルや地域団体が増えたので、毎月第3日曜日に橋本公民館を確保することが難しくなっています。また、震災に伴う計画停電により、当面は夜間使用できないそうです。対策として、第3日曜日は「杜のホールはしもと(セミナールーム2)」を確保してます(春秋は「サンエールさがみはら(会議室1)」を予備の候補にしています)。その上で、橋本公民館使用枠(最大5マス)を特例会に用いることにしています。
なお、「杜のホール」と「サンエール」は、申し込んでから一週間以内に窓口で手続きしなければなりません。現在は盤長(新井さとし)が都合をやりくりして窓口手続きしてますが、いつか誰かにお願いする可能性があります。
「橋本公民館(工作室や中会議室)」も「杜のホールはしもと(セミナールーム2)」も「サンエールさがみはら(会議室1)」も、同時に三十人が来ればキャパオーバーになります。対策として、宣伝を最低限に抑えてます。ここ2年間はコンスタントに常連二十数人が来ています。
長期的な問題としては、固定メンツのまま平均年齢が上がることです。いつか常連が引退していくときに、新規に参入しにくい状態になりえます(つまり参加者がいったん減り始めると加速度的に減ります)。より広い会場を毎月確保できればこの問題は予防できるので、いくつか探してみます。荒技としては、相模原市で新規サークルを育成しておいて、いつか吸収合併(こっちが移住する側になってもいい)してしまう方法もあります。
今日は市民会館の小会議室を借りてTRPG『AD&D2』です(7人)。
今回のあらすじは「戦災で恋人を失ったエルフ少女。親友のドライアドは、彼女の勇気ある誓いを叶えます。生命の樹の地下にある隠し部屋に木像となって眠る彼女。女神像3体が歌うメロディが村人達を眠りと死に誘います。MP3プレイヤーでその歌を流しながらのプレイ。シナリオが進むにつれて歌詞が変化していき、少女の決意が見えてきます」というものでした。
1ヶ月ぶりに秋葉原に行きました。平日かつ節電ということか、いつもよりはわずかに寂しい雰囲気でした。ガイガーカウンター(70000円)に悩みました。ソーラー&ダイナモ充電式ライト3本を買いました
今週の少年マガジンに掲載されている『もう、しませんから』(西本英雄/講談社)を読みました。目白のキャッスル・ティンタジェルが紹介されてます。大荷物を担いで行くには中途半端に遠いこともあってここしばらく登城してませんが、また遊びに行きたいです。
後になってから「もっと早い段階で廃炉を覚悟して海水注入していれば…」と言われます。もしかしたら数ヶ月後に「もっと早い段階で汚染や犠牲を覚悟して冷却系復旧を間に合わせていれば…」と言われてるかも知れません。でも、それらは結果に対する批評でしかありません。だから、後になって「あのとき海水注入しなければ…」と言われてたかも知れないし「時間を掛けていればうまくいってたはずなのに…」と言われてるかも知れません。現在の選択が、情報と権限を持っている人たちによる適切なトリアージの結果であることを期待しています。
思いっきり個人的な意見を言えば、「首都圏が生活可能であり続ける確率がもっとも高くなる選択」を望みます。
春休みということで小動物&保護者らを相手に「とぶとり会」です。お茶菓子をつまみながら『将棋』『ブロックス』『カルタッチョサッカー改』『オバケだぞー(6人)』『モノポリー』『パックマンvs.』『ボンバーマン(6人対戦)』『ラトルスネーク』『シャット・ザ・ボックス』『(スポンジ剣)チャンバラ』などで遊びました。
で、小動物に『世界のだれでもアソビ大全』をプレゼントしました(今回で5本目。おまけに『ロードランナー』も)。伝統ゲームのルールは一生ずっと使える知識ですので、いつでもどこでもだれでも共通するルールで憶えてもらいたいと思ってます。
私の地元だって遠方の人たちにとっては十分に「旅行先」候補です。しかし、地元民にとっては初めて通る道であっても初めて降りるバス停であってもなかなか旅行気分にはなれないものです。だから旅行気分を味わいたいときは、敢えて大きな旅行鞄を持って日帰り旅行することがあります(適当に軽くて嵩張る物を中に詰めます)。帽子や靴も旅行用のものにするとなお効果的です。
初めて通る道や初めて降りるバス停で「知らない町を歩いてみたい♪」と口ずさみながら旅行気分に浸るのが愉しいです。
これらの他にも自警団用の武器などが必要だと思う。
懐中電灯、眼鏡、入れ歯、スリッパ、携帯電話と電池式充電器、ラジオ。
レトルト食品(ごはん・おかゆなど)・アルファ米、インスタントラーメン・カップみそ汁、飲料水。
給水用ポリタンク(水)、カセットコンロ、ティッシュペーパー・ウェットティッシュ、ラップフィルム、紙皿・紙コップ・割り箸、簡易トイレ、ドライシャンプー、ビニール袋、雨具や敷物(不透明トイレ用)、ロープ、工具セット、ほうきとちりとり、ランタン、長靴。
現金(電話用10円玉も)、預金通帳、印鑑、保険証、免許証。懐中電灯、携帯ラジオ、予備の乾電池、ヘルメット・防災ずきん、笛。厚手の手袋、毛布、缶切り、ライター・マッチ、ナイフ、携帯用トイレ。救急箱、処方箋の控え、胃腸薬・便秘薬・持病の薬、生理用品。乾パン、缶詰、栄養補助食品、アメ・チョコレート、飲料水。下着・靴下、長袖・長ズボン、防寒用ジャケット・雨具。携帯用カイロ。
二十数年ほど使っていたお気に入りの湯飲みが欠けました。底が円形で縁がロータリー形になった備前焼の湯飲みです。もし何かあればこれを予兆とし、何もなければこれを身代わりと解釈するのが、精神衛生的に良いです。ともあれ、今までお役目ご苦労様でした。
毎年4月1日と9月1日に「非常持ち出しセット」などの中身をチェック&アップデートしていますが、この春はいつもより早めにチェックしました。早く余震が収まって欲しいです。
緊急度の高いモノとは別に、重要度の高いモノはアルミトランクにまとめてます。こうすることで(火事や水害でもない限り)後で回収することもできます。それに、避難する場合でも荷造りしているヒマぐらいありますし。
それでもやはり火災や盗難が少し心配です。そこで、重要度の特に高いモノだけを頑丈な耐火ケースに収納&擬装することにしました。耐火ケースの容量は、ずっと以前に利用してた貸金庫ぐらいあれば十分です。オフィス専門店でいくつか迷った末に、安価な『ファイアセーフケース1160』(SentrySafe社。容量7リットル)を買ってきました。
使ってみると、なかなか良い具合です。気休め以上の効果があると思ってます。
相模原市は水系が違うので、放射能(放射線を出す能力を持った物質)のレベルはまだまだ安全圏です。
ペットボトルの水が入手できなくて心配している人は、現在のうちにたっぷり汲み置きしておくのも一つの方法だと思います。もし明日も安全圏であるならば(新たな爆発でもない限りそう変化しないはずですが…)また改めて汲み置きなおせばいいと思います。
もしペットボトルの水に余裕があるなら、できるだけ乳幼児や妊婦さんを優先して欲しいです(報道にもあるように、細胞分裂が活発な乳児や胎児は大人よりもずっと強く放射能の影響を受けます)。あるいは、将来に放射能汚染が酷くなったときの為に今は保存しておくのもよいと思います。
欧米諸国も自国領が戦場になれば、敵国から「『人間の盾』を用いた」として批判されると思ふ。(
21日(祝)は橋本公民館にてボードゲームサークル「バンガードミッション」3月特例会を催してきました。19日(土)夕方に橋本公民館から「計画停電の可能性がある時間帯は使用できません」と電話があったので、小会議室で15時までの開催です。停電の影響なのでやむをえません(前日に停電回避できるとわかってもダメなんだそうです)。今日の参加者は20人でした。震災義援金として11200円を支出しました。
私がプレイしたゲームは『すぃりーかーど』『ピッグ10』『キャプテンクール』『どうぶつしょうぎ』『7不思議』『カンビオ』などです。
アフターはジョナサン。豆腐ハンバーグ。
まだあちこちで品切れが続いてますが、私の地元では全体的に米パニックは終息に向かいはじめたように思います。
もともとお米の収穫時期は秋なので、今年の秋まで国内在庫は十分にあります。だから、物流が回復すれば店頭に並びます。また、放射能についても昨年に収穫された米は汚染されようがありません。そんなわけで、米についてはそれほどあわてる必要はないのです(小麦も同様)。
おにぎりやパンについては、計画停電で調理できなくなる人たちや時差炊飯できない人たちにとって有用なので、品不足はやむを得ないと思ってます。
もしも炊飯を控えれば被災地にご飯が届くなら、いくらでも自粛します。でも、そんなことはありません。< もちろん、これみよがしに見せつけるのは論外です。
ごはんが美味しいです。感謝。
期待値を高めるには、うまくいかない場合に備えるだけでなく、うまくいった場合にも備えておかねばなりません。最近はつくづくそう思います。
死者数と行方不明者数を合計できるということは、死者数には身元不明の死体が数えられてないということになります。
私の認識を以下に記します。
放射線とは、高エネルギーの粒子(ヘリウム核や中性子とか電子とか)や電磁波をいいます。そして、放射線を出す能力を持った物質を放射性物質といいます。
人体が被曝する(放射線にさらされる)と、細胞のDNAが死滅あるいは損傷して、血液や吸収細胞が正しく作られなくなったりします。その結果、体調不良や白血病や癌などを引き起こします。
だから、放射線の拡散を防ぐことよりも放射性物質の拡散を防ぐことがずっとずっと重要です。特にプルトニウムは半減期が長いだけでなく毒性が高いので、拡散すると関東地方と東北地方は放射能汚染で半年以内に壊滅するでしょう。プルトニウムの拡散だけは絶対に防がねばなりません。
福島第一原発には以下の核燃料があります。
これらの核燃料は発熱し続けてるので、冷却し続けないとやがて自身の熱で溶解してしまいます。原子炉内にある核燃料はそれほど漏洩しないでしょうが、冷却プール内の核燃料は大気に露出して水素爆発を誘因し大気中に放射性物質を拡散させてしまいます(最悪の可能性は再臨界ですが、その可能性は比較的低いと思います)。
この9ヶ所の核燃料のいずれか一つでも作業不能レベルの放射線を出し続けたら、残り8ヶ所の冷却作業もやがてできなくなります。よって、9カ所すべてを冷却し続けなければなりません。そのためには、作業可能な状態を維持すること、とりあえず冷却すること、長期的に冷却し続ける準備(修理や電源確保など)をすることが必要です。政府や経営陣の命令がなくとも様々な選択肢を準備しておかねばなりません。
ブレストなレベルですが、いろいろアイデアを考えてます。
スーパーマーケットの商品棚を眺めるに、本当に「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」な状態です。でも、贅沢は言うべきではありません。できることをやります。
朝の爆発で福島第一原発の2号機のプールが損傷した模様。職員の一部が待避したそうです。
十分な準備も設備も足りない状況で現場はよく頑張っていると思ってます。当人らは覚悟をもって従事しているだろうとは想像してます。
それでも、「メルトダウンを防いで欲しい。すまないが、日本の為に死んで下さい」と思ってます。
先の大戦中に神風特攻を命じた人たちもこんな気分だったのだろうか?
被害総額はGDPの数%に達すると思います(阪神大震災が2%ぐらい?)。復興の為に増税するというなら、国民的な賛同が得られると思います。でも、どの税金をどれだけ上げるのかはしっかり考えなければなりません。
報道を見る限りでは、死者数は数千人に達すると予想できます。被災者数そのものになると、とてつもない人数になるでしょう。
歯がゆいことですが、彼らのために震災地以外の人たちが今すぐ出来ることはほとんどありません。それでも、新たな地震に備えることはできます。病気や怪我や犯罪に備えることもできます。新たな被害を減らすことができればその分だけ震災地に救出や復旧の為のパワーを費やすことができます。休めるときは休んで下さい。今日だけでなく明日にも明後日にも、支援する人たちが必要です。
それぞれが情報を正しく評価し、余裕があれば互いに助け合うこと。それが全体として被害を最小にする選択だと思います。
冷酷かも知れないけど、悲しむのも嘆くのも後回し。
私の居住地域は震度5弱でした。
私のとこの被害は以下の通りです。
「その発言が事実であれば」について「発言したことが事実であれば」と「発言した内容が事実であれば」とではずいぶん違うと思ふ。
東京MXでアニメ『らんま1/2』(高橋留美子)の再放送が始まりました。もちろん第1話からの放送です。< もっとも、私が第1話を見るのはだいたい1ヶ月ぶりかな。ちなみに、最初に第1話を見たのは1989年春の先行上映だったりします。
最初の放送から20年以上が経ちましたが、いまや世界中で視聴されています(昨年のジャポンエキスポでもいまだ人気絶頂だったそうな)。ファンの贔屓目もありますが、そのクオリティは現在のアニメ諸作品と比べてもまったく引けをとっていません。
それにしても、この露出の多い作品をよくぞゴールデンタイムに放送できたものです(笑) < でも、その放送は別の理由(某誘拐事件の影響とされています)でいったん打ち切られてしまいます。既に制作されていた格闘フィギュアスケート編は放送されませんでした。しばらくして、夕方に『熱闘編』として再開され、ようやく「格闘フィギュアスケート」も放映されます。
私にとってはちっとも懐かしい作品ではありませんが、多くの人と『らんま』について語り合えることを愉しみにしています。
「欲しいモノではなく使うモノを買う」を心に留めておくと、無駄遣いしなくなります。おかげさまで、積みゲーも積み本もずいぶん減りました。
それでも、安いモノは制限かけてないけどね。
「泣くな」とも「悩むな」とも言わないけど「泣かないで済むようになろう」とか「悩まないで済むようになろう」とは言うよ。ついでに「(目標達成の為に必要なら)泣くフリや悩むフリもできるようになっておこう」とも言います。
この音が好きで購入したスティールドラム『Cycle of Fifths』ですが、気分転換にときどき叩いてます。必ずしも上手にならなきゃならないわけでもないので、練習もずいぶん気が楽です。なんとかリズミカルに簡単な曲を叩けるようになった程度ですが、そろそろ披露できるかも?(無理)
「元気」「真面目」「天然」「変人」の組み合わせは安定しやすい?(
体重よりも体型が大事で、体系よりも体調が大事だと思ってます。生活が不規則なのは仕方ないけど、適度な運動や食事でコントロールするのが吉。
3月4日(金)にmixi事務局から以下のような警告メールを頂きました。
===メール引用、ここから===
こちらは mixi運営事務局です。
このたび、運営事務局にてお客様の投稿を確認いたしましたところ、利用規約に違反する内容がございましたので、該当する箇所を削除いたしました。
mixi では以下のような行為を禁止しております。運営事務局が発見次第、投稿を削除したりアカウントの利用を停止したりする場合があります。
・異性間の出会いを求める内容を書き込むこと
・異性を対象に含めて、面識のない人と会おうとしたり、知り合おうとする内容を書き込むこと
・その他、男女間の関係の発展を期待するような募集を書き込むこと
(以下略)===メール引用、ここまで===
でも、まったく心当たりありません。
いろいろ調べてみたら、自分が管理している来たれ相模原市民コミュの中のトピック「ともだち募集5」(数ヶ月前に管理人が作成)が削除されてました。ちゃんと管理してたつもりなので、かなり残念でした。
で、5日(土)夕方に管理人として「ともだち募集6」を作成しました。しかし、どうにも作成できません。作成権限が制限されているのかなと思いつつ何度か試しましたが、どうにも作成できません。ちなみにトピ主文は以下の通りです。
===トピック主文、ここから===
ともだち募集トピ6です。
募集するときは、どのような友達を募集しているのかできるだけ明記して下さい(マイミクや趣味友やママ友など)。プロフページにちゃんと自己紹介を記しておくと応募者が増えるかも知れません。
なお、募集に対する質問や応募はコメントではなくメッセージでおこなってください。
★募集についての削除基準
「もっぱら異性限定の募集」「18歳未満の募集」「高校生による募集」「出会い系っぽい表現の書き込み」「期限が切れたもの」「20コメントをあけない再募集(自己削除した上での再募集を含む)」「募集に対する質問や応募など」「その他、コミュニティの運営に支障をきたすもの」は予告なく削除いたします。判断に迷うものは「募集者のプロフペページに出会い目的っぽい表現がある」か「削除要請があった」か「最新20コメントから消えた」ら削除することがあります。
前トピ「ともだち募集5」はmixi事務局によって削除されました。出会い目的っぽい書き込みは全削除していたつもりだったので、ちょっと残念です。
いろいろありますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
===トピック主文、ここまで===
その後に分かったことですが、作成失敗した数だけ警告メールを頂いてました。要するに、通報や人力検索によるものではなく単に自動チェックの副作用によるものだったみたいです。いちおうmixi事務局にメッセージを送信しましたが、まともに対応してもらえるか否か不安です。
QB「お金を貸すから、ボクと契約して借金取立人になってよ。キミがノルマを果たしてくれてる限りずっと返済しないでいいからさ(ノルマ果たせなければキミが取り立てられる側になるけどね)」。< 『魔まマ』
しばしば領土問題は「盗品故買における善意の第三者問題」に似ています。要するに、もともと所有してた人と、盗品と知らずにそれを買い受けた人とが所有権を争う構図です。盗難バイクを購入する例がわかりやすいでしょう。水掛け論になった場合は、実際にバイクを占有している側がずっとバイク使用することになります。
この「盗品故買における善意の第三者問題」は原理的に解決困難であるので、日本の国内法では「こういう場合はこうする」と決められてます。でも、領土問題については国際法で必ずしも解決方法が定められているわけではありません。だから、実効支配している側は永遠に水掛け論を続けることでいつまでもその土地を利用することができます。
領土問題は「時間が解決する」どころか「時間が問題を解決不能にする」になりがちです。実効支配していない側が問題を先送りするのは単純に「あんたの領有権は認めてないんだからねっ!」でしかありません。
武術の上級者になるつもりはないですが、あらゆる初級者から身を守れる程度は維持したいです。同種あるいは他流の初心者から身を守るのは簡単ですが、異種の初心者から身を守るのは意外に難しいと思ってます。稽古できる時間はそれほど多くないので、効率的に学びたいです。
豊かな国々は、貧しい国々を直接支配せず間接支配することで、民衆の不満を自国でなく指導者に向けさせます。場合によっては、言葉とは裏腹に民主化させないことが重要になってしまいます。
期末試験や卒業試験における不正行為は、他者にたいして迷惑を掛けません。しかし、入学試験における不正行為は、不特定1名を不合格にします。だから、期末試験における不正と入学試験における不正とを同一に扱うべきではありません。
もしもあらゆるモノに神々が宿るのであれば、樹木にも携帯電話にも言葉にもオケラにもアメンボにもヒトにだって神々が宿るかも知れません。もっとも、ヒトに宿った神を「神」と呼ぶべきか否かは別問題ですが。
28日にジョイタイム渋谷店が閉店とのこと。あそこの「カニクリームコロッケ」がすごく好きでした。
楽しさは人それぞれです。そして、それらはたいていは両立しますし、その選択肢はたくさんあります。そのことは私たち知的生命体にとってとても幸せなことだろうと思います。
もし「他人を楽しませることが楽しい」という価値観なら、複数の有効な選択肢の中から選ぶのはそんなに難しくないと思います。たいていは、自分の楽しみを最大にするか・他人の楽しみを最大にするか・全体の楽しみを最大にするか、の3択でしょうから。
でも、楽しさは必ずしも両立するとは限らないし相反することすらあります。何らかの理由(時間的・空間的・経済的・人脈的などなど)で、複数の選択肢どころか一つの選択肢すら存在しないこともあります。そんなときにどうするのかはすごく難し…かった…です。
実際のところ、私は自分が愉しむ為に生きてます。信条は「情けは他人の為ならず」です。他人を楽しませるのは手段であって目的ではありません。楽しさや幸せは誰かに与えられるものではなく当人が自分で得ればいいと思ってます(私がやったことで結果的に他人が楽しさや幸せを得るのはまったく構わないです)。
私の価値観においては「複数の選択肢からどれを選ぶか」よりも「有効な選択肢が存在し続けるにはどうしたらいいか」が重要なテーマです。だから、ジレンマやパラドックスや悲劇の構図についていつも考察していますし、悲劇を事前に回避する方法を選び続けます。
余談ですが、逆説的に「効果的に悲劇に誘導する方法」にも慣れました。どうやら、TRPGのマスターをやってる私は「キュゥべえ」と同類らしいです。「まーぶるまっどねす」のみんなから「よく似てる」と言われてます(苦笑)
マルチゲームなどにおいて、「Bが「Aは合理的な選択をするべき・するはず」と信じている」とAが推測できるなら、一見して非合理的に見える選択肢もAにとっては合理的な選択肢になりえます。だから、その合理的な選択をBが批判するのは非合理的なことだとBには自覚して欲しいです。
ペンタイプの隠しカメラで問題文を無音撮影し、大きめの筆箱に入るサイズのスマートフォンにつないで協力者にメール送信し、その協力者がヤフー知恵袋にUPしたんじゃないかな?
オススメされた深夜アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』を8話まで見せてもらいました。< むしろ強制らしい?(苦笑)
第一印象としては「善意ゆえの行動によってみんなが不幸になってしまう」が巧く描かれていると思います。
また、「魔法少女」というモチーフをうまく利用することで、アニメファン層に対して憂鬱な展開を視聴し続けさせることに成功していると思います。
原作は知りませんが、たぶん最後までこのような憂鬱な展開が続くだろうと思います(例えば…魔女となった友人と別の友人との2択の後に、残った方を自分が倒さねばならなくなって、しかも倒した後に…)。もし過去のあまたの悲劇作品(非アニメ)で耐性を身につけてなければ、ちょっとしたトラウマになるんじゃないかな。で、「この作品は素晴らしい傑作だ」と信奉する人も出てくるでしょう(笑)
ところで、もしインキュベーター(incubator)らにとって善も悪も喜劇も悲劇も等しく無意味であるならば、もっと悲劇になるかも知れません。なぜならば視聴者が「キュウベェがすべて悪かった!」と自分を納得させることができなくなってしまうからです(笑)
26日(土)は東京都中央区で月例の「まーぶるまっどねす」のセッションでしおた。ちなみに、私の担当パートはパーカスです(待
衛兵隊長&ドワーフからの依頼です。黄金髑髏教団に奪われた塔から人質を救出するシナリオです。今日もダイス目が偏りました。だいたい「30d20の全てが15以下だった」と思ってください。
カードゲーム『マンチキン』は、TRPG『D&D』のパロディゲームです。プレイヤーたちは冒険者となってダンジョンを探索し、互いに「協力」しながら宝物を獲得しモンスターを倒してレベルアップを目指します。マンチキン翻訳とマンチキン・アイドル(動画)が参考になるでしょう。
うちには『Munchkin』『同2』『同3』『同Fu』『同Fu2』『マンチキン(日本語版)』が揃ってますが、今回は『日本語版』だけでプレイしました。やはりカオスな展開になります(苦笑)
「権利の濫用」や「公共の福祉」について考えるときは、「法令で定められているから保護すべき」ではなく「保護すべきだから法令で定めた」と考えるのがスマートだと思います。
無料で与えておいて、それを後から奪い去ること。さらにその負担を後付けで押しつけること。
はたして、子供手当をあてこんで子供にピアノを習わせた保護者は、子供手当が廃止されたときに子供にピアノをやめさせることができるだろうか?
もはや『うる星やつら』(高橋留美子)が絶版になることはないだろうから、当時に初版で購入した単行本のセット(保管用)を閲覧用に転用していいかも知れません。
ある法案について、有権者の1割(母集団A)が利害関係を持ち、有権者の残りの9割(母集団B)が利害関係を持たないとします。母集団Aの1割が積極的賛成で9割が積極的反対だったとし、母集団Bの6割が消極的賛成で4割が消極的反対だったとします。このとき全体としては賛成55%反対45%となります。絶対数が多いことやローカルに比率が高いことは必ずしも全体での比率が高いことではないのです。
一般に、積極的賛成者も積極的反対者もたいてい同じ意見の人たちが集っているので、自分たちの意見が多数派であると信じ込みやすいです。だから、自分たちの意見に同意する人が多いことを主張する為には、せめて全体における概算を示す必要があります。そうすることで主張に説得力を持たせることができます。
物事を決定するのはローカル社会における多数派ではなくグローバル社会における多数派です。もし自分の意見をグローバルに支持してもらいたいのであれば、ローカル社会の外部に向かって意見を述べなければなりません。
『ハープーン』というボードゲームがあります。とても煩雑なシミュレーションゲームです。十年ぐらい前にPC版をプレイしたことがありますが、とても細かく作り込まれており、海戦の雰囲気がよく出てるゲームだと思います。
保護者が「子供は騒ぐもので仕方がない」と主張するのであれば、騒いでも構わない場を保護者が子供に提供しなければなりません。
勝者の言葉は格言になりますが、敗者の同じ言葉は格言になりません。よって、格言を盲信してはいけません。
自転車に乗る子供の多くがヘルメットを着用しています。私が子供の頃はヘルメットを着用している子供なんて皆無だったように憶えてます。
ところで、自転車は軽車両のはずなので、歩道ではなく車道を走行しなければなりません。みんなが法律を遵守したらたぶん死傷者が増えます。法令と生命とのいずれを優先するかは、個人の判断によりますが…。
強力な電波で日本中の電波時計をハックしたら、どれだけの損害になるものやら?
傍観者は「暴力はいけない。話し合いで解決すべき」と言えますが、たぶん当事者にとっては暴力しか選択肢が残ってないのだろうと思います。実際に、話し合いで独裁政権を打倒することはできなかったし、すでに話し合いでデモを鎮圧することもできない状態になっていると思います。
リビアの指導者が「政権が崩壊するとリビアはもっと悪くなる」と判断してるからか、それとも「自分たちも、かつてクーデターでリビア連合王国を転覆させたときのようになる」と判断しているかまで分かりません。いずれにせよ、独裁政権が生き残る為には、退陣に追い込まれる前になんとしてでもデモを鎮圧しないとならないのでしょう。しかも外国の介入を避けつつ完全鎮圧しないとなりません。そのために「内戦」という形に持ち込みたいのだろうと思います。
反政府側にしても、独裁に反対して民主化したとしたところで国民の生活が良くなる保証はありません。反政府側や民衆は実現性のあるプランをしっかり描かねばなりません。さもなくば「独裁政権の頃の方がマシだった」となります。
政府側の目的と反政府側の目的を正しく認識した上で介入しないと、事態はより泥沼にはまっていくと思います。単純に「暴力はいけない」や「民主化を求める」だけじゃ問題は解決しません。
日本としては、リビアが内戦となったとしても早急な民主化を求めるのがいいと思います。今のリビアには石油がありますので、富の配分が適切に行われれば国民の不満は減少すると思います。
「流血してでも民主政に」と「無血だが君主政のまま」のいずれが望ましいかは政治哲学の大きな問題だと思います。必ずしも「無血で民主制に」とはならないのです。
秋葉原のイエサブに行ったら、『Deluxe G.E.V.』(SJ)がまだ売れ残ってました。もう十年ぐらい残っているんじゃないかな?(笑)
所有している『Deluxe OGRE』と組み合わせてプレイ動画を撮影したいのですが、その為だけに6800円は高いです(元値は10800円ぐらいだけどさ)。
子供の頃に「いつか地球は人口爆発して食糧不足になる」という予想を読んだ覚えがあります。数年前あたりからその兆候が見えはじめ、今年になっていよいよそのフェイズに入りつつあるように思います。
その原因は、加速度的な人口増加だけでなくバイオ燃料や肉食の普及などにもあります。問題の構造はとてもシンプルです。
原因の一つである肉食について言えば、草食に比べて肉食はカロリーベースで非常に効率が悪いです。例えば1キロカロリーの肉を得るためには約10キロカロリーの植物が必要になります(このあたりはさすがに常識だろうと思います)。
だから単純に、肉食が多い人たちが肉食を減らせば食糧問題は軽減されます。必須アミノ酸は動物以外からでも十分に摂取できます。
でも、これを実行するのは非常に困難です。残念なことに、個人の意識改革に期待するのは非現実的です。
豊かな人々のほとんどは「今年は世界中でどれだけ餓死者がでたか?」なんて興味を持ってません。だから、実行するには個人レベルではなく社会レベルで対応することが必要になります。
ところが、社会レベルで実行しようとすると酪農業界や外食業界が大反対します。彼らにとっては食糧不足の問題よりも自分たちの業界の安泰が大切だからです。それは彼らにとって当たり前のことです。したがって、社会的な対応もあまり実現性はないでしょう。
実際に世界中で肉食は、増加しこそすれちっとも減少していません。
かつてオイルショックは乗り越えられましたが、食糧はそう簡単に増産できませぬ。
もしかして口蹄疫などの伝染病は、人々を餓死から救おうとしている人たちによる警鐘だったり?
泣きたい気持ちのままであることが問題。だから、気持ちが落ち着くなら泣いていいです。たくさん泣いて、明日は笑ってください。
20日(日)はボードゲームサークル「バンガードミッション」2月定例会を催してきました。参加者は25人でした。みなさま、おつかれさまでした。
ガチンコ場(競技や試合や遊戯など)ではオヤクソクは控えるべきだし、オヤクソク場(演劇や演習やインストなど)ではガチンコは控えるべきです。そのためには、場の目的を明確に決めるだけでなく、それについて共通認識を持つことが必要だと思います。
もし共通認識がなかったら悲劇あるいは喜劇かも知れません。
例えば高校野球において球児たちが甲子園大会を真剣勝負の場であると認識していても、観客やマスコミは「球児らしい爽やかなプレイ」を彼らに求めます。そのような強要は球児らにとって負担やもしれません。また、大相撲やプロレスは基本的にオヤクソク場らしいのですが、かなりのアドリブが容認されてもいるので、観客や一部の選手からはガチンコ場に見えることもありましょう(笑)
さて、オヤクソク場でガチンコを強要する人はほとんどいませんが、ガチンコ場でオヤクソクを強要する人はまれに見かけます。「ゲーム(オヤクソクな展開)を壊さない為の助言」はまさにこの典型例です(これは「助言者自身の勝利の為の助言」とは性質が異なります)。
でも、試合の場においては、自分の愉しみや勝利確率を下げてまでトップを叩く必要なんかありません。キングメーカーを作ってそのキングメーカーに自分を選ばせるのだって一つの戦術です。いわゆる「仕事」しなきゃならない状況に追い込まれるのはやむをえませんが、「仕事」するか否かは自分で選択すべきです。悪手を選んで敗北するのも良い経験になりましょう。
だから、ガチンコな場においては「ゲームを壊さない為だけの助言」は控えて欲しいです。ついでに言うと、そんな理由で勝ち目を残してもらえた人もあまり嬉しくないだろうと思います(勝ったとしてもも負けたとしても!)。私だったら、対戦相手にも全力で遊んで貰いたいです。
なお、「オヤクソク」たる訓練や演習にも十分な意味があります。そのような場においては「ゲームを壊すな!」に従うべきです。
インストのためのプレイは言うまでもありません。練習で定跡を憶えることで初心者は中級者の域に容易に達することができます。また、1回ないしせいぜい数回しかプレイしないボードゲームであるならば、その典型的な展開を学ぶこともできましょう(ただし参加者全員の共通認識が必須です!)。
もしどうしても共通認識を得られないのであれば、一緒にプレイしないという選択肢もあります。卓を分けたり場を分ければいいのです。まずは練習で次に試合という形式もありです。あるいは、ガチンコとオヤクソクとが同一となりやすい「協力ゲーム」をプレイするのがいいと思います。
初心者3人を相手に勝利確率を最大にする選択肢と、ベテラン3人を相手に勝利確率を最大にする選択肢とは必ずしも一致しません。
昨夜の大雪で相模原も雪景色になりました。せいぜい数センチの薄化粧ですが、十分に風情があります。
昼になると、地肌があらわになって興が醒めます。かつて清少納言も「冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろすww」と書いてたそうな?
マナーが守られなくなるとルールが必要になります。実際にルール化したことによってうまくいった事例はたくさんあります。
ただ、安易にルール化すると「ルールに違反しなければいい」や「処罰されないようにやればいい」となります。また厳密に定義しないと拡大解釈されたりザル法になります(その性質上、厳密に定義&運用することができないものもあります。< だから、今まではマナーという形が採用されてたわけで)。そして、ルールを定めなかった方がマシだったとしても、いったん成立したルールを廃止するのは非常に困難です。
マナーのルール化の問題は原理的に以下の2択になります。
ルール化に賛成する人たちが「現実的にマナー回復には期待できない。ルール化すれば少なくとも不幸になる人が減る」を示している以上は、ルール化に反対する人たちも「誰かが不幸になってもやむをえないほどの社会的利益」あるいは「マナーが守られる実効的な政策」を示さねばなりません。いずれも示さずに反対するだけでは説得力がありません。
マナーのルール化については、安易に賛成するのでもなく安易に反対するのでもいけません。
理性的な議論を望みます。
8日(火)に近所のスーパーで、いろいろ食料補充してきました。
レジでの支払いが予想より安かったのですぐにレシートを確認したところ、5箱分のレトルトカレーが1箱分しか計上されてません。どうやらダンボールから直接に5箱パックを買物カゴに入れたのが原因みたいです(本来なら1箱ごとに陳列されてる商品です)。
「ん?これは善行を周囲に見せつけるチャンス!」ということで、よく目立ちつつ丁寧に訂正をお願いしました。内心で「そこな親子連れや従業員どもよ、世の中には正直な人もたくさんいるのだと思い知れっ!」と悦に入ってました(笑)
金銭的にはまったく損してないのに、ちょっとだけ気分がいいです。
ところで、『インドカリー(チーズ&ビーフ)』(中村屋)にはちょっとした違和感を覚えます。
例外もありますが、基本的に著作権法違反は親告罪です。だから、著作権者が著作物利用(複製など)を禁止ないし制限している場合には、第三者も「その著作物を勝手に利用すべきではない!」と主張できましょう。逆に著作権者が許諾している場合(しばしば営業戦略的に黙認という形式が採用されます)には、第三者が「その著作物を勝手に利用するな!」と勝手に禁ずることはできません。著作権者が許諾も制限も明示していない場合には、第三者は著作権者に通知することができます。利用の事実を知った上で著作権者がどうするかは著作権者が決めることです。
法令で明らかに認められている場合は別にして、著作物を利用するときは著作権者に通知してから利用するのが筋だと思います。利用の事実を知った上で著作権者が黙認することもしばしばですが。
あらたに将棋駒を買いました。普段から使うものなので、彫駒の中で最も安い黒彫駒にしました。独特のフォントを眺めているうちに、私が小動物だった頃に黒彫駒も使ってたと思い出しました。
この黒彫駒も使い古したら小動物に贈呈しよう。願わくば、それまで興味を持ち続けてくれることを。
「消費税税方式にすると、高齢者が負担に耐えきれない」という主張は、厳密には「高齢者の一部が負担に耐えきれなくなる」です。また、「保険料方式のままでは、現役世代が負担に耐えきれない」という主張もやはり「現役世代の一部が耐えきれない(負担に耐えられずに現在および将来の保障を受けられなくなった人たちが現存します)」です。
世代間の問題ではなく、富裕層と貧困層との問題として考えなければ、いつまでたっても埒があきません。
ハンドルは識別用IDで、ハンドルネームは同じ文字列を用いた名前です。だから、ハンドルには敬称をつけるべきではないが、ハンドルネームには敬称をつけるのが望ましいと考えてます。
余談ですが、コミュ管理人を「管理人さん」と呼ぶことについて私は例外的な考えを持っています。私にとって「管理人さん」とは音無響子(『めぞん一刻』(高橋留美子/小学館))です。
6日(日)はボードゲームサークル「バンガードミッション」特例会@橋本公民館に参加してきました。みなさま、おつかれさまでした。
私がプレイしたゲームは以下の通りです。
私の持ち込みセットについてちょっと話題になったので、ここに中身を記しておきます。
以上が基本セットです。この基本セットにいくつかゲームや書籍を加えます。例えば今回は『サンファン』『栄光のピクトリア』『サムライカードゲーム』などです。メジャーな物や新作や重量級は他の参加者が持ってきてくれてます。
大相撲とは、相撲というスポーツないし武術をテーマにした伝統芸能です。ただし、ほとんどの取り組みはアドリブです。より多くの出番と賞金を稼ぐために役者たちは日々の稽古で力や技を磨いているのです。きっと。
世の中には、戦争や経営や対人関係などの定跡や型を記したマニュアルがたくさんあります。それらは先人たちの研究成果の結晶であり、素晴らしい文化だと思います。
しかし、それら定跡を熟知しその通りに指せるだけでは必ずしもうまくいくとは限りません。なぜならば、定跡は「相手も最善手ないし次善手を選ぶこと」を想定しているので、相手がミスあるいは悪手を選んだときにはこちらも定跡外の手を選ばねばならないからです。
一般に、定跡を熟知するとその想定内だけでたいてい対応できてしまうので、想定外のケース(特に負け戦)を練習する機会はなかなかありません。ちょっとパラドキシカルですが、結果的にスキルアップは頭打ちになりがちです。だから、より高いスキルを目指す為に敢えて悪手を選び定跡外の乱戦を練習することも必要だと思ってます。
例えば、剣術において右手を負傷した状態が該当します。私が左手だけでも操刀できるよう練習しているのはそういうわけです。
別の例では、いくつかのボードゲームで敢えて不利な手順をいろいろ試してます。不利であることは理解できてますが、どのくらい不利なのかも実感しておきたいからです。
こうすることで、しぶといn枚腰を身につけます。
個人的にはタバコの煙は嫌いです。
だからと言って、全ての喫煙に反対しているわけでもありません。
これらのうち「喫煙の為の場」および「喫煙可能な場で嫌煙者がいないとき」はぜんぜん構わないと思ってます。
例えば飲食店のテーブルに灰皿が置いてあったとします。もしそこが「喫煙の為の場」ではなく「喫煙可能な場」であるならば、「灰皿が置いてあるのだからこの場所は喫煙していい場所のはずだ」は横暴です。逆に、そこが「喫煙の為の場」であるならば、「灰皿が置いてあるが嫌煙者がいるのでタバコは控えるべきだ」は横暴です。
現実的には「喫煙の為の場」よりも「喫煙可能な場」の方がずっと多いので、互いに配慮すべきケースもしばしば現れます。もし法律で禁止されてないのであれば「路上」はその典型だと思います。
互いに配慮し適切な妥協点を見いだす為に、愛煙者は「副流煙などで想像以上の実害を被っている人たちもいること」と理解すべきだし、嫌煙者は「頭ごなしに批判する態度に反感を抱く人たちもいること」と理解すべきでしょう。
議論をスタートさせるためにも、まず嫌煙者が物言いに留意すべきだと思います(これは飲食店や路上で誰かを注意するときにも重要なことです)。そして、愛煙者は「被害者が頭ごなしに批判するのはやむを得ない」とある程度まで容認した上で、理性的に反論すべきだと思います。
互いにマナーをわきまえることでトラブルを未然に防ぐことが理想です。しかしマナーだけではトラブルを防ぎきれない以上は、なんらかのルールを決める必要があります。路上については条例などで定めるべきですし、店内については事業者が明確に表示すべきだと思ってます。
29日(土)にディスカウントショップでカードゲーム『カルタッチョ・サッカー』2箱を購入したのですが、標準添付の公式ルールがあまり面白くありません。そこで、『アンギャルド』標準ルールを参考にしてルールを自作してみました。ずっと面白くなったと思います。
昨夜は遅くまでサッカーを観てました。日本もずいぶんと強くなったように思います。
30日(日)は橋本公民館の小会議室を借りて遊んでました。
もともとゲームサークルの例会用に確保した会場なのですが、やはり小会議室(30脚/52平米)では手狭です。そこで正式な例会とはせずに「使いたい人たちはどうぞ間借りしてください。ゲームしてなくても構いません」と開放したものです。非ゲーマーの旧友らに声を掛けてみました(来てくれてありがとう)。
私が遊んだのは『カルタッチョ・サッカー(自作ルール)』『ポラリティ』『SrarWars Ep1: Clash of the Lightsabers』『ドラフツ』『Automobile(TVゲーム版)』『カタンの開拓者たち(森林5枚で小麦畑2枚な島)』『アクワイア』などです。なんかいつものバンガード例会と大差なかったような気がします(苦笑)
昼食は水餃子バイキングで、夕食はオムソバでした。
次回の開放日には、地元民を集めてトランプ会などやってみたいと思ってます。
【ボードゲーマーに100の質問】に回答してみました。ここで「ボードゲーム」とはダイスゲームやカードゲームなどを含む広義の意味で使用されてます。
『Dungeons & Dragons(赤箱〜青箱)』『OGRE』『黒幕支配』など。『カタンの開拓者たち』など。
アブストラクトゲーム、伝統ゲーム、パブゲームなど。概して「ルールがシンプルでプレイが悩ましいもの」と「ルールがシンプルで盛り上がるもの」が好きです。
「バンガードミッション」、「袋小路」、「まーぶるまっどねす」、親戚や地元の集まりなど。
月に3〜4日ほどです(空いた時間にちょこっとプレイするものは除く)。
ゲーマーは十数人ぐらい。非ゲーマーは十人ぐらい。
たぶん150〜200ぐらい。
1〜60分。思考のオーバードライブは疲れるのです。でも連続プレイは大丈夫。
現在のところ『Acquire』です。
回数なら『将棋』。時間なら『AD&D2』。ちなみに『アクワイア』や『カタン』は百数十回ぐらい?(戦術研究は除く)
デザイナーが誰であるかはあまりこだわらない。
特になし。
強いて言えば、ドライマギア、ラベンズバーガー、HABAなど。
はい。
はい。ときどき遊んでいただいております(苦笑)
はい。プレイ中の雑談から学ぶことは多いです。
『将棋』や『オセロ』など。『麻雀』は中学生になってから。電源使用ゲームもそれなりに。
学生時代から卒業後3年は雀荘状態でした。最も好きな役は『八連荘』です。
それほど好きではないですが、誘われればプレイします。
かなり好きです。積極的に希望。
やや好き。非ゲーマーの集まりに持ち込んでます。
いいゲームだと思いますが、あまりプレイしません。
より面白くなるなら加えます。煩雑すぎるなら加えません。
好き。プレイだけでなく研究も。
いいえ。
はい。
たまに遊びます。ここ半年では『太平洋の覇者』と『OGRE』を遊びました。『Advanced Squad Leader』がほとんど揃ってますが、たぶん遊ぶことはなさそうです。もしかしたら近いうちに『日露戦争』やるかもしれません。
毎月、学生時代の友人らと遊んでます。ただし、『Advanced Dungeons and Dragons 2nd』のみ。
いいえ。
あまり遊びません。
はい。でも、必ずしも好きなゲームとは一致しません。
あります。ルールが複雑すぎるものや文字が細かすぎなものは苦手。
4年間ずっと棚にあった『アクワイア』(AH)。初プレイはその十数年後。
チーパス社のゲーム(笑)。『ヤッツィー』はさらに別の意味で。
欲しいモノはほとんど入手できました。後は『銀河帝国の興亡』や『タンクハンター』ぐらいかな。
あれですよ、あれ(笑)
ルールブック集や文献など。用具はあちらで自作します。『ビッグチーズ』をあのイラストの為に持ち込みたい。なお、他人の棺おけに突っ込みたいモノがあります。
海外に日本文化を紹介する意味で『将棋』と萌ゲー類。
『Once upon a time』など。
あまり詳しくない。
mixi(コミュと日記検索)。Gamegeek。TGIW。ゲーム名でGoogle検索でhitしたところ。
Gamegeek。すごろく屋。バネスト。
『世界のゲーム事典』。
1〜2個。今月は『CrazyDancing』『PhotoParty』など。
イエサブ。アマゾン。ヤフオク。最近では、すごろく屋の通信販売。
手間(費用や時間)の割にどれだけ愉しめそうか。
いいえ。かなり疎いです。
参考程度です。
好き嫌いはありません。新宿や秋葉原に出向いたときにイエサブに寄ります。
距離や時間や値段など。
いいえ。
はい。
高橋留美子作品なら何でも。
たぶん4割ぐらいが未開封です(ルールは読みました)。ゲーム仲間が所有しているのでゲームそのものはプレイしてます。
相手の都合でキャンセルされたことがあります。
ローカルの日誌(not日記)にメモ。例会でプレイしたものは公開することもあり。
是々非々で評価しています。理由は添えます。
目的は愉しむこと。手段は勝利を目指すことか盛り上がること。
緑色のダイスは私に有利。
こだわるのが礼儀であるならかなりこだわります。
勝利を目指すときはゲームに関係する会話を。雰囲気を盛り上げるときは雑談なども。
「ここはバンガードです。ありえるに決まってます!」。
はい。ルールを憶えるだけで終わるのは面白くないです。「どうやって愉しめるか」のイメージがつかめたなら、遠慮無く再プレイしていいと思います(ただし対戦相手の同意が必要です)。トランプやパブゲームは延々とやれます。
悪態。逆恨み。
同卓プレイヤーの倍ぐらいまで。ただし要所では長考も構わない。
メタルールにもよりますがおおよそ以下の通りです。競技プレイにおいては(全力で勝利を目指すのがエチケットであるので)どんなに退屈な展開になろうとも時間切れ同着1位を目指します。マナー的には長考ではなく長手数が望ましいと思ってます。交流プレイにおいては(互いに愉しませるのがマナーであるので)他のプレイヤーやギャラリーを愉しませるために勝敗をもつれさせます。
目的や人数や時間を考慮し、どれだけ愉しめるか。
「ルールを理解できてもプレイの考え方が分からない」というゲームのインストラクトにおいては、初心者さんが自力でプレイできるようになるまで定跡あるいは定石を教えることが大事だと思います。もしその初心者さんがそのボードゲームを二度とプレイすることがないならば(あるいはお試しプレイであるならば)ゲームを壊さない為のアドバイスも必要になりましょう。逆に、もし再びプレイすることがありえるなら、必要最低限のインストラクトだけで十分だと思います(初心者さんが負けたとしても、その理由を自覚できるだろうからです)。
「テーマ・目的(勝利条件など)・手段」の順序で説明します。
TPOに応じます。ゲーム会なら用具を汚さない程度に。逆に、飲食中のゲームはOKだと思います。
おおざっぱにやります。日誌を書くときに改めて考えます。
あります。
あります。
はい。かなり愉しいです。
その集まりの性質にもよりますが、ゲーム以外の雑談や業界話。でも、夜の予定が詰まっていてなかなかアフターに参加できません。
1.5時間以上。
ポーカーチップ。ダイストレイ。キャリーカート。プラ容器。
箱を捨てて圧縮します(アルバム参照)。
「バンガードミッション」(相模原)、「袋小路」(池袋)。
人数が多いので様々な組み合わせでプレイできます。知り合いが増えます。
ゲームやHNを通じてだけの付き合いになりがち。名札着用ルールは、識別や仲間を増やすのには有用ですが、そこから先に進展しにくいものかも知れません。
運営者として秩序を維持することです。
あります。その方は出入り禁止とさせていただきました。住み分けるのが互いにとって良いと考えてます。あとは、2ちゃんねるの卓上ゲーム板で騙られたこと。
はい。
います。あいつとあいつとあの人とあれと…。
比率はやや高め。
いいえ。
はい。
はい。「趣味の一つ」として公言しています。
むしろ一緒にプレイ。
はい。私のスタンスは「ボードゲーマーの集まりに一般人を誘致するのではなく、一般人の集まりにボードゲームを紹介する」です。
あくまで交流の道具として紹介するので、ルールが簡易であり勝敗にこだわらずに愉しめるものを持ち込んでます。また、「用具を容易に自作あるいは入手できること」や「その場でプレイした人が他の人にインストできるようになること」も重視しています。
はい。金属製や木製でインテリアにもなるものを。
趣味は、思索・高橋留美子作品・ダンディズム・遊戯史・科学哲学・栄養学・調理実験・旅行・武器屋・古武術・ライトセーバー・パーカッションなど。
思考の題材が増えたこと。仲間や友人が増えたこと。
日程調整はけっこう苦労してます(ボードゲーム以外の趣味もあるのです)。本棚に大量のゲームが積まれてます。
趣味としては敷居が高い部類であり、対戦相手を確保するのがやや困難。一定量の楽しみを得るために必要な時間がやや長め。
プレイヤーの多くはゲーマーですが、非ゲーマーのプレイヤーも増えつつあります。しかし、マーケットやサークルはもっぱらゲーマー向けであり、非ゲーマーが容易に入手ないし参入できる機会は限られています。結果的に、非ゲーマーのグループとゲーマーのグループとがやや乖離したままであるように思います。
せっかく良作が大量の新作で流されることで、発展がなかなか定着しないこと(伝統ゲームにいたってはむしろ失伝しつつあること)。 なお、業界の発展については別の問題かな。
交流の道具。研究の題材。
享保の頃、下女の給金は年2両(1日25文)ぐらいで、米1升は80文でした。つまり小判1枚(1両)で米110升(160kg)ぐらいです。
いわゆるボードゲーム(広義)の中でも特にパーティゲームと呼ばれるものは「ルールや道具がシンプルであり、誰でも気軽にプレイできること」だけでなく「真面目にプレイする人と不真面目にプレイする人とが混在していても、みんなが愉しめること」が肝要です。
日本における伝統的なパーティゲームは座敷芸や余興から発達しました。そのため、ルールは簡単でもたいして面白くなかったり、面白くてもチープ感があったり、ちょっと酔っていることやちょっとHであることが求められるものが多いです。また、雰囲気を盛り上げる役割は、ゲームではなく司会者に委ねられていることも多いです。一方、日本とは異なる発展をしてきた欧米のパーティゲームは、参加者が自ら盛り上がることができるものが多いように思います。もっとも、当たり外れも大きいですが…(苦笑)
さて、海外製パーティゲームの『Crazy Dancing(クレイジーダンシング)』と『Photo Party(フォトパーティ)』を買いました。以前に買った『Rythme and Baulet(リズム&ボール)』と同じくCocktailGames社(フランス)が出したものです。いずれもデザインが洒落ており、参加意欲を削ぐこともありません。ルールもシンプルで分かりやすく、かなり盛り上がると思います。実際に『Rythme and Baulet』はかなり盛り上がりました(ただし、非ボードゲーマーの集まりで)。
いつかプレイ機会を作るので、これらのゲームを簡単に紹介しておきます。なお、チープ感を醸し出したくないので、和訳シールは貼らずに使うつもりです(この程度なら憶えられます)。
『Crazy Dancing』は、簡単なダンスを競演するパーティ向けアクションゲームです。まずプレイヤー(6〜24人)を3チームに分けます。振付カード26枚(上半身用と下半身用があります。熱狂モードな追加17枚も付属)からランダム16枚(8拍ループ)で生成されたダンスを2グループが実際に踊り、残りの1チームのメンバが審査します。これを繰り返して、得点が多いチームが勝ちます。
踊りが下手でもちゃんとシンクロしていた方が高い評価を得られるかも知れません。
『Photo Party』は、デジカメを用いるパーティ向けアクションゲームです。プレイヤー(6〜15人。1人はカメラマン)は、例えば「片足だけ写っていること」「画面分割で少人数の側にいること」「頭の上に何か置き、手で触れてないこと」「両目が写っていること(他人の邪魔をしても構わない)」のような条件(全43種あり)を満たしつつ、三脚で固定されたデジカメにタイマー撮影されなければなりません。これを12回ほど繰り返して、得点が多い人が勝ちます。
コスプレ宴会で遊ぶにはもってこいだと思います。なお、「参加者限定公開であっても顔を写されたくない!」という人は、仮面やサングラスを装備してプレイしてください。
『Rythme and Boulet』は、リズムにあわせてポーズをとるパーティ向けアクションゲームです。まずプレイヤー(4〜12人)ごとに担当ポーズが決められます。みんなで4拍子のリズム(膝叩・膝叩・拍手・休符)を叩きます。最初のプレイヤーは、自分のポーズをとってから次のプレイヤーをポーズで指定します(いずれも拍手のタイミングで行います)。指定されたプレイヤーも同様に、自分のポーズをとってから次のプレイヤーをポーズで指定します(このあたりはプレイ動画を参照して下さい)。このように次々とプレイヤーがポーズをとっていき、ミスしたプレイヤーが失点します。誰かが失点するたびに、担当ポーズが追加されたり交換したりします。
5〜7人ぐらいでプレイするのがちょうどいいと思います。BGMは『We Will Rock You』(Queen)が最適です。プレイヤーの共通属性によってはさらに適したBGMがあるかも知れません。
さて、子供手当はどうなることやら?
子供手当が収入や資産にかかわらず一律に支給されるのは、個々の判定の手間があまりに多大だからだと思います。構図としては、ハガキ代が一定であるようなものでしょう。
もし財政最優先で考えるならば、判定の手間を減少させる為には納税者番号制度の導入が効果的だと思います。さまざまな税金や保険や年金や手当などの判定を一元化することで、判定コストを減少させられるからです。ついでに脱税を減少させることもできるので一石二鳥です。
プライバシーを盾に納税者番号制度に頭ごなしに反対するのではなく、メリットとデメリットとをちゃんと天秤に掛けて考えるのが大事だと思ってます。その上で、私は納税者番号制度の導入に賛成してます。
余談ですが、無収入の資産家や負債を抱えた高給取りに支給するか否か(あるいは税負担させるか否か)はすごく難しい問題です。これは「公的援助は収入の少ない人に支給すべきか?資産の少ない人に支給すべきか?」あるいは「税は収入に掛けるべきか?資産に掛けるべきか?」の哲学的な問題でもあります。
暇なときに考えてみると、ちょっとした思考の迷宮を散歩できます(笑)
車窓から外の風景を眺めていると、たくさんのオブジェが目に入ります。それが気に掛かるようになると、わざわざ時間を作って「ぶらり途中下車の旅」で確かめにいきます。線路脇を歩いていると、予想外のオブジェにも出会えます。とてもチープな旅ですが、こういうのも愉しいです。
線路脇の道はスピードを出した自転車がよく通り過ぎます。十字路がないので車両が横から飛び出してこないことと、信号が少ないことが主な理由だと思います。そんなことを考えていたら、ふと青信号に感謝したくなりました。いつもはたいして気にも掛けない信号機ですが、このシステムを考案し製作し設置し管理している人たちが世の中にいるのです。赤信号に文句を言う人は青信号には感謝すべきです。
毎月第4土曜日には学生時代の友人たちと集まってます。TRPGセッションを名目にしてますが実態はほとんど雑談です。人生の節目などで参加状況がいくらか変化しつつも今日まで長続きしています。今日も朝から7人が集まりました。いつまで続けられるか分かりませんが、みんなが生きている間ずっと続けられたらいいなと思ってます。
9時@ロイホ。大麦スープのモーニングセットを頂きました。ドリンクバーは紅茶各種をたっぷりと。
今回の会場は、あじさい会館(タイガーマスクのチャーシューで有名な?)の近くの和室を借りました。集まってからは延々と雑談です。こんなんでいいのです。
昼食@EVAN。カオソーイを頂きました。おおざっぱに言えば、ココナッツカレーに米麺と揚麺が入った料理です。辛いけど美味しいです。この店のランチ8種の中ではもっとも好きです。
まずは『Advanced Dungeons and Dragons 2nd』(7人)です。前回のシテイアドベンチャーの続きで、ダンジョン探索シナリオです。ちょっとした数陣の謎などありましたが、そんなものは秒殺です(笑)
『ルー』やりました。出下りのあるトリックテイクです。
夜は『Elfenland』(6人)を遊びました。一言で説明すると「独り言が多くなるスタンプラリー」です。最後はライバルのアシストを頂いて勝利しました。
おおざっぱに言えば、真名(まな)は漢字であり主に表意に用いられ、仮名(かな)は漢字を崩したもので主に表音や助詞に用いられます。
例えば「新井」の発音は「a・ra・i」です。これを仮名(かな)で表すと「あらい(アライ)」となります。しかし、例えば「i」の仮名表記は「い(イ)」に限りません。「為(井)」を崩した「ゐ(ヰ)」もまた「i」の仮名ですので、「あらゐ(アラヰ)」と表記することもできます。他の例では、「蕎麦」を表す仮名は「楚者」を崩したものがしばしば使われてます。花札の「あかよろし」の二文字目も「可」を崩したものです。このように、ずっと昔には様々な仮名が使われてました。なかには1文字で複数の音を表す仮名(合略仮名)もあったそうです。
さすがにそのままではデメリットが大きいので、明治33年に政令で「仮名は一音につき一字だけを標準とする」とされました(それが正体仮名(せいたいかな)です。それ以外は変体仮名(へんたいかな)と呼ばれます)。当初は混乱も見られたでしょうが、標準化のメリットは非常に大きかったと思います。
さて、「辺」という文字には百種近い異体字が存在するそうです。それらはいずれも誤字ではなく正字です。かつては異体字問題はほとんど見られませんでしたが、電算機技術の発展によりその問題が顕在化してきました。システムごとに異なる外字として登録されてしまったがゆえに、外字問題はシステム統合を阻害する要因になってしまいました。
この問題を解決する方法として、変体仮名(へんたいかな)の場合と同様に「異体字のいずれか一つを標準とする」と法律で決めてしまえばいいと思ってます。移行措置として、例えば渡辺さんも渡邊さんも渡邉さんも本名とは別に電算機ネーム「渡辺」を持てばいいと思います。
歴史的に文字は時代にあわせてさまざまに変化してきました。私たちが伝統文化だと見なしている文字体系もやはり近代に確立されたものにすぎません。それ以前にはもっと別の文化があったのです。
時代にあわせて変化させるべき伝統もあれば、変化させるべきでない伝統もあります。文字の問題を考えるときは、このような観点が必要だと思います。
布団で仰向けになって遊ぶには、DSi-LL(314g)よりGB-micro(80g)の方が軽くて適してます。ちまちまとGBA用『ロードランナー』(2003年/サクセス)してました。< だから眠れないんだってば?
うちの近所でもタイガーマスク運動がありました。
でも、匿名でのチャーシュー(800g)4本は現行法において困った贈り物です。文面から察するに、送り主は相模原市内のラーメン屋さんだろうと思います。
もし廃棄されるなら買い取ってもいいかも。そうすれば別の形になりますが善意は届きます。で、相模原ラーメン部の総力をあげて店舗を特定し、売り上げに貢献してやります。「情けは他人の為ならず」です。
個人的に思うに、チャーシューメン無料券の方がよかったんじゃないかな?
本日は「サンエールさがみはら(相模原市西橋本)の第一会議室にでボードゲームサークル「バンガードミッション」の月例会がありました。参加者は22人でした。プレイされてたゲームは『ぐりーど』『あくわいあ』『まるこぽーろ』『びーるこうしゃく』『でんりょくがいしゃ』『だいどうげいにん』『たんとりっくすげーむ』『7わんだー』『ちゃいなむーん』『ころれっと』『にゅーいんぐらんど』『げしぇんく』『びっくあくしょん』『たみーきゅーぶ』『がいすたー』『みゅーらー』『ぎょうしょうとしんらい』『どみにおん』『6にむと』『ろーどおぶべがす』『しんせんごくだいみょう』『まんちきん』『ろんぐしょっと』『さんだーすとーん』などなどです。みなさま、おつかれさまでした。
ほとんど全てのボードゲームは、全員が勝利を目指さすことで全員が愉しめるように作られてます。いくつかのボードゲームは、誰かが勝利を目指さなくても全員が愉しめるように作られてます。そしてさらにいくつかのボードゲームは、誰も勝利を目指さなくても全員が愉しめるように作られています。
大事なことは、全員が勝利を目指すことそのものではなく全員が愉しむことです。だから、あるゲームがどのようなタイプのゲームであるか分からない場合は、全員が勝利を目指すようにプレイするのが効率的です。また、勝利を目指さなくても全員が楽しめるタイプのゲームだと分かっているなら、無理に勝利を目指さなくてもいいと思います。
いつかコンピューターによって『将棋』が解析され尽くして例えば先手必勝が証明されたなら、『将棋』は先手後手を決める振り駒だけで勝敗が決定するボードゲームになります。でも、人間には未来のコンピューターほどの解析能力はないので、人間同士で対局する分にはやはりスキルが重要なままであり続けるでしょう。
「著作権がどうであるか」と「著作権はどうあるべきか」とは異なる議論です。現行の著作権法では、ゲームのルールに著作権は認められませんが意匠や文章には著作権が認められます。従って、ルールの公開はその個人利用を認めたものとして解釈すべきだと思います。
なお、著作物の利用についての制限は、現行ぐらいで妥当だと思ってます。
「ルールを理解できてもプレイの考え方が分からない」というゲームのインストラクトにおいては、初心者が自力でプレイできるようになるまで定跡あるいは定石を教えることが大事だと思います。
もしその初心者さんがそのボードゲームを二度とプレイすることがないならば(あるいはお試しプレイであるならば)ゲームを壊さない為のアドバイスも必要になりましょう。逆に、もし再びプレイすることがありえるなら、必要最低限のインストラクトだけで十分だと思います。初心者が負けたとしても、その理由を自覚できるだろうからです。なお、私は「みんなが再プレイしたいなら再プレイすればいい」という主義です。
くっくっく、ボクはこういう善意がすごく好きなのだよ。いろんなものをちょっとずつ我慢すればなにかできるはず。残る問題は誰を騙るべきかだ。
ずっと昔にボロアパートに下宿してた頃は、銭湯帰りの夜空がすごく好きでした。そんな思い出があるせいか、こんな寒い夜にはふと銭湯に行きたくなります。(
例えば、井戸A(深さ50尺)の中の蛙が「この井戸は深い」と思っていることがあり、井戸B(深さ100尺)の中の蛙が「この井戸は浅い」と思っていることがあります。だから、それぞれの蛙に「どのように感じているか」を尋ねただけでは「どっちの井戸が深いのか」を断定できません。
さまざまな社会の富裕度や犯罪発生率や差別状況などを比較する場合には、このロジックに留意しなければなりません。さもなければ「先進国が発展途上国よりも遅れている」のような結論になりえてしまいます。
世の中には井戸X(深さ10尺)も井戸Z(深さ300尺)もあります。いつか井戸間での交流が盛んになって蛙たちが互いの状況をちゃんと知ることができるようになれば、それぞれの蛙の回答はより客観的なものになりましょう。
先進国ばかりを見て「我が国は不幸だ」と嘆かないで欲しいですし、裕福な家庭だけを見て「うちは貧乏だ」と嘆かないで欲しいです。この世界には様々な国家や文化や家庭があります。もちろん、自分より下だけを見て悦にいるのもいけません。
客観的に見るのであれば、私たちが住む現代日本社会は総じてかなり上に位置するでしょう。だから、上も下も横も見た上でほどほどに希望を持ちそしてほどほどに足るを知るのがいいと思ってます。
何が幸せであるかは、十分な知識と判断力をもって各自が決めることです。裕福でも未練や不満を抱えていては幸せでないかも知れないし、貧困でも満足できる人生なら当人は幸せかも知れません。だから、他者の幸せを願うときは、どんなにバカバカしい内容であろうとも当人の意思を尊重しています。
もしかしたらズボンをはかない女の子が誤解しているかも知れないことの一つが「男の子が手袋しないでポケットに手をいれる理由」です。必ずしも格好つけたいからとは限りません。ポケットの方が手袋よりもずっと暖かいのです。
私は自分が幸せならそれでいいのです。そして、自分が幸せになる為には他人を幸せにするのが効率的だと思ってます。だから「情けは他人の為ならず」を採用しています。申し訳ないけど、みんなには幸せになってもらいます。あくまで私の幸せの為に。
もしみんなが同じように行動したなら、世の中はちょっとだけ良くなります。
ハンドルネームa(本名はA)さんと、ハンドルネームb(本名はB)さんとが、ネットで知り合って恋愛関係に至った。ただし、Aさんはbさんを好き、Bさんはaさんを好いていたりする。はたしてこれは相思相愛と呼べるのだろうか?
処分するPCがあったので、小細工しつつ『Windows98SE』と『Outlook2K』をインストール&軽量化してみました。
迅いです。当時のクロックアップの苦労はいったい何だったんだろう?(笑)
責任者が「事実関係がはっきりするまでは不確かなことは言えない」と言うためには、十分な情報収集能力が必要です。
でも現実的にそれは非常に難しいことです。だから、責任者はリスクを見極めつつ不確かなことを言わねばなりません。
「大人の対応」が大事なのではなく「大人の対応できる余裕」が大事です。余裕もないのに「大人の対応」するときっと無理が出てきます。
歌詞「決められた道をただ歩くよりも♪選んだ自由に傷付くほうがいい♪」に対して「この不況下では決められた道の方がいい」という意見があります。気持ちは理解できますが、それは贅沢というものです。ずっと昔には、生まれながらの奴隷は選択の余地なく一生ずっと奴隷だったのですから。
使う機会がなかなかないので、公園での素振りに用いてます。この時勢では木刀ですら持ち歩きづらかったり。
もうほとんど見かけることはありませんが、今でも『ゲイラカイト』のデザインは秀逸だと思ってます。
『麻雀』の役のうち最も好きなのは「八連荘」です。過去にあがったことあります。< でも、超強運技である稲妻真空竜巻ツモはいまだに習得できてませぬ。
さて、人間の実力は「才能」と「努力」と「運」の3要素で構成されていると思ってます。ここで才能とは「どんな問題でも一定確率で理解する能力」であり、努力とは「既知の類型ならすべて理解する能力」であり、運とは「理解してない問題に正答してしまう能力」です。子供のうちは才能と運が重要ですが、大人になるにつれ努力が重要になります。
とはいえ、努力には限界があります。例えばボードゲームの世界ではしばしば「技術(才能と努力)と運の割合」が論じられます。サイコロの目は才能や努力ではどうしょうもないのです。
『将棋』は(先手後手を決める振りゴマを除き)純粋に「技術」だけのゲームです。下級者が上級者に勝利するのは難しいです。しかし子供用の『絵双六』は純粋に「運」だけのゲームです。誰であろうと勝利確率は等しいものとなります。そして、『バックギャモン』は技術8と運2ぐらいで、『麻雀』は技術7と運3ぐらいだと思います。
努力によって無駄ツモをわずかに減少させることはできますが、運がなければ無駄ツモを激減させることはできません。無駄ツモのない麻雀は私の願望のひとつです。
2011夏に「ニューロコミュニケーター」が製品化されるそうです(記事1,2)。
要するに、言葉や身体が不自由でも念じるだけで意思を伝えることのできるシステム「ニューロコミュニケーター」が50万円以下で発売される見通しだそうです。
技術的にはすばらしいと思います。患者が50音やアルファベットで意思表示できるようになるのも容易でしょう。これによって多くの問題を軽減させることができます。
しかし、倫理的には新たな問題が発生します。回復の見込みのない患者による「早く殺して欲しい」を受け止めなければならなくなるからです。患者の意思を知ってしまった人たちが「頑張って生きて!」と言い続けないとならない事態は(私の価値観では)とても不幸なことです。尊厳死について早急に法整備すべきだと思います。
尊厳死問題は年金問題と医療費問題にも絡むので、その議論には相当の時間を要するでしょう。だからこそ尚更に、さっさと議論をはじめるべきだと思います。
個人的には透明なのよりも白濁したのが好きです。白濁したのにも種類があるので、今日はそれらを飲み比べて官能実験しました。どうやら私は青いのが好きみたいです。
さて、カードゲーム『Apples to Apples(アップル・トゥ・アップル)』を簡単に説明すると以下の通りです。
赤カード100枚以上それぞれにオブジェクト(女性キャラなど)。緑カード数十枚それぞれに属性やキーワード。親は緑カード1枚を提示し、子は手札の赤カード5枚から任意の1枚を裏向きで出します(そして補充)。親は出された赤カードをよくシャッフルし、緑カードに適した赤カードを任意に選びます。選ばれた赤カードを出したプレイヤーが得点します。得点プレイヤーが次の親。3点先取。
用具がなくても簡易に遊ぶことができます。親がお題を出し、子がカードなどに任意のオブジェクト(キャラでも物品でも出来事でも語句でも)を回答し、子の代表がそれらをランダム順に読み上げ、親が選定します。オプションルールで「子の回答が重複したときは両者とも失格となり読み上げられない」とすれば、ちょっとした駆け引きも味わえます。
正月の団らんなどにどうぞ。
自分が管理しているサイトのコピーライト表記を更新しました。ふと確認したところ、サイト『卓上打算機』の総バイト数は僅か56MBでした。あまりにコンパクトなのでちょっと驚きました。もうほとんど更新してませんが、高橋留美子作品への情熱は今も燃えてます(not萌えてます)。
「すき家」のサイト&店舗メニューによれば、牛丼のカロリーは以下のように表記されてます。
単純に差を見れば、肉0.5盛のカロリーが僅か8kcalになってしまいます。肉(並盛)が200kcalぐらいだろうので、この数字はあきらかに正しくありません。理屈の上では、ご飯100kcalほどが減ってなければなりません。
道路は全体的に空いてました(高速道路や幹線道路は混んでたみたいだけど?)。空いている街道を猛スピードで自転車を走らせている人もおりました。
自転車の危険運転を罰するためには、自転車運転について十分な教育がなされていることが必要です。さすがに免許制度を導入すべきとまでは言いませんが、義務教育の段階でしっかり教えることが大事だと思います。
時の概念がなくても時は流れます。時計がなくても地球には昼夜があり、カレンダーがなくとも約365回の昼夜で季節は一巡します。
人類によって最初に定義された時間単位は「日」であり、次に「月」と「年」であろうと思います。これらは自然界で生きる動植物にとって重要な時間単位です。人類も例外ではなく「年」の概念は農耕や狩猟をする上で非常に重要です。
人類はやがて進化し、やがて新たな「時」「分」「秒」を考案しました。原理的に、これらは人類以外にはどうでもいい単位です。
時間単位「年」の基準日が元旦です。現在に一般的に用いられているグレゴリオ暦では今日が該当します。たぶん、人類以外にはいつが元旦であろうとあまり関係ないのでしょう。
でも、人間にとっては暦は重要です。そこにはさまざまな文化が織り込まれています。
新しい年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。